高原洋太の発言 (厚生委員会薬害エイズ問題に関する小委員会)

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○参考人(高原洋太君) 本日、この場で私どもに発言の機会を与えてくださいまして、ありがとうございます。また、プライバシー保護の観点で私どもに配慮していただき、まことにありがとうございます。
 私は、東京HIV訴訟の原告番号十二番、仮名ですが、高原洋太と申します。
 ところで、ことしになって菅大臣のもと、厚生省では調査プロジェクトを立ち上げ、遅まきながら薬害エイズの真相究明に乗り出しました。私もその調査に期待を寄せたのですが、残念ながら失望の連続です。
 私は、薬害エイズのことが問題になった一九八三年、八四年、八五年と東京の血友病患者の会、東京ヘモフィリア友の会の役員をしていました。
 血友病患者とエイズの関係が新聞等で報道されました一九八三年春、四月、五月以降は、私はほかの役員と一緒に正しいエイズ情報と対策を求めて東奔西走の毎日でした。もちろん、厚生省生物製剤課にもたびたび出かけました。そのとき私たちが厚生省などで現実に受けた対応と今回調査プロジェクトが得た回答との余りの格差、乖離に愕然とするばかりであります。
 時間の制約もあり、そのすべてをここで申し上げることはできません。ここではその一つのエピソードとして、八五年加熱製剤認可後の非加熱製剤回収について、当時の松村明仁生物製剤課長の対応と安部英先生の加熱製剤治験調整の問題について述べたいと思います。
 一九八五年七月一日、危険な非加熱輸入血液製剤が加熱になりました。私はほかの役員と一緒に八月一日に、再三通っていました厚生省の生物製剤課に行きました。七月の末ごろ、オーストリア、西ドイツのワインに有害な不凍液が入っていて、厚生省は緊急通知を出して店頭や家庭内に持ち込まれた製品の回収を徹底させていました。新聞紙面に載った回収通知や報道を見聞きしていて、なぜ命に直結するのにエイズ入りの危険な製剤の回収が放置されているのか松村生物製剤課長に詰め寄りました。
 安全な加熱処理製剤が出るようになっても、厚生省はその回収命令は出しませんでした。私たちは血友病患者のエイズ感染被害を追及しましたが、松村課長は、これまでも言っていましたように、製剤にエイズの汚染はないと平然と言うのです。危ない製剤をなぜ回収しないのか、すぐに回収の広告を出しなさいと言いましたら、ワインは一般国民が飲むものだけれども凝固因子の使用者は限られているからと、血友病患者には緊急対応はしないという返事でした。血友病患者は日本国民じゃないのかと強く抗議しました。
 後で知ることになったわけですが、この時期も、次の年も、次の次の年もエイズ入りの危険な米国由来の非加熱濃縮製剤の出荷を認めていた感覚は、どうせ対象は病人なのだからという人権無視の感覚と、命を守るために最善の方策を尽くす使命感がない人たちの集まりだということでした。
 その場で被害患者の治療はどうするのかと聞けば、厚生省にその担当部局はないと言うのです。
 彼らには、私たち薬害エイズの被害者を全力を挙げて救おうなどという気持ちはこの時点でも全くなかったのです。
 それが、その後十年間、裁判で国の加害責任が指摘されて初めて重い腰を上げ始めたのです。本当に次々と被害者を見殺しにしていって、積極的な治療に全力を挙げようとしない、命を何としても守ろうとしない、早く死んでくれてうやむやになればと願っていたに違いないのです。伝染病を国の認可した製剤で血友病患者にまき散らし、配偶者や恋人の二次感染被害者をつくり、最悪の事態を国がつくっていた感覚と姿勢が松村課長や法廷で証人に立った郡司課長に象徴的にあらわれています。
 特に松村課長は、その後、保健医療局長となり、我が国のエイズ対策の責任者となるわけです。エイズ医療が全く進展するはずがないのがよくわかります。被害を拡大させた張本人が被害者の命の見張り番になっていたわけですから、命を全力を挙げて救おうとする手だてを厚生省がやるわけがないはずでした。
 松村課長は、調査プロジェクトのアンケートに、エイズと非加熱製剤との関係は原因と結果の一つの組み合わせではないかと不安を感じていたなどと答えていますが、余りにもばかにした話です。
 彼は私たちに、八五年当時でも従来の非加熱製剤がエイズウイルスに汚染されている危険性はない、だから回収命令は出さないと言い張っていたのです。
 次に、加熱処理製剤の治験調整について私が実際に聞いたことをもとにお話しいたします。
 加熱製剤については、トラベノール社員は早くに日本に出せると言っていました。米国本社の役員が厚生省に早く出せるように申し入れに来たとも言っていました。それは緊急輸入とか、剤型変更とかの形でとのことでした。しかし、その後加熱処理製剤は治験を経て供給されることになったのです。
 一九八五年七月になって第Ⅷ因子製剤の加熱処理製剤が一斉に認可されまして、加熱製剤の安全性や供給などを尋ねて製薬各社を回りました。化血研に行ったとき、化血研はもっと早く加熱処理製剤を出したかったが、開発がおくれたミドリ十字に合わせるために遅くなったのですと言われました。うわさの情報として、ヘキスト以外、トラベノールが早く、カッターがおくれ、ミドリ十字はかなりおくれているということでした。やはりうわさは真実に近かったのです。ヘキストは七〇年代後半に開発を成功していて、日本にも出したかったそうですが、この安全な薬が日本に入る壁は相当厚かったとも言っていました。血液製剤協会や厚生省の利権絡みの壁のことを言っていたのかもしれません。
 一九八五年八月十五日、当時の東京ヘモフィリア友の会の会長F氏と帝京大学の安部先生のところに行きました。初め、医学部長室に通されてそこで待っていました。応接セットのテーブルの上にカルテの山がありました。F氏はそのテーブルに行き、全国の患者のカルテだ、治験のためのカルテだと言って次々とめくって見ていました。私は何か恐くて、上にあるのをちょっと見ました。
 名古屋の患者さんのカルテでした。その場には安部先生は来ないで、女性秘書が私たちを副学長室に案内しました。
 安部先生と会ってF氏が加熱の治験を話題にしましたら、安部先生は誇らしげに、ようやく加熱が認可になった、私が責任者として治験を取りまとめたと言いました。私が、でもトラベノールはもっと早く出せると言っていましたよと問いかけると、安部先生は次第に興奮して、みんなに公平に行き渡らなければ大変でしょ、ですからこれまで出していた全社の態勢ができるまで待たせたんだ、そうしないと皆さんがお困りでしょうと言いました。でも、私は納得がいかず、先生、それよりも輸入製剤は危なかったのだから輸入禁止にしてほしかったですと口を挟むと、君は手術なんかで製剤が足らなくなって死ぬような患者が出たらその患者に対して切腹できるのかと怒り出してしまったのです。私は、じゃ先生はエイズで死んだ患者に対して切腹できるのですかと反発しましたら、だから君たちと会うのは嫌なんだと怒ってしまいました。この加熱の治験調整の話は、その後新聞記事でも見ました。
 しかし、なぜ全社が足並みがそろわなくてはいけなかったのか、エイズを早くに大変な病気と認めていた医師が、その危険性を置いて一番おくれている会社の可能時期に合わせたなんて、犯罪的です。安部先生は、今ごろテレビのインタビューなどで、私が治験を調整したことなどは何であり得ましょうかなどと白々しいうそをついています。私は、この耳で彼が治験調整を自慢気に語っていたのを聞いていました。
 私を初め患者は、安全な薬を一社でも出してくれれば、互いに融通し合い命を守る方策を立てました。トラベノールが足らなければ、もう完全な製剤としてできていたヘキストの液状加熱製剤を緊急導入もできたのです。それよりも日本製薬のような凍結乾燥クリオをもっとつくり、また日本人の血液でできた濃縮製剤ハイクリオやPPSBを使って緊急時をしのげばよかっただけです。患者に正確な情報、真実を言わず、勝手に患者の命を握りつぶそうとしたその対応は絶対に許されるものではありません。これは厚生省もそうですし、製薬会社も同じです。
 これだけ申し上げただけでも、厚生省、血友病専門医がいかに事実をうそでねじ曲げているかおわかりいただけるものと思います。当時、現実に厚生省などとの交渉、陳情を担当していた者として、これらのうその発言、回答は断じて容認できません。
 それから、八三年夏、帝京大学症例をエイズと認定しなかったこと、国内で危険な非加熱製剤を一部回収しながら厚生省がその情報を握りつぶしていたことについては、本委員会で徹底的に究明してほしいと思います。これらの出来事は、私たち血友病患者五千人の運命を決定的に変えてしまった悪魔の選択だからです。
 血友病患者の世界は連帯感が強く、患者会を通じて情報もよく伝わります。仮に、帝京大学症例についてCDCのスピラ博士の認定に従いエイズ患者であると発表してくれていたなら、私たち成人患者は間違いなく自己防衛策をとれたのです。
 未成年患者やその家族に対して、危険な米国由来の製剤を使わないよう説得して回れたのです。死んでいった仲間たちのためにも、本委員会における真相究明を大いに期待しております。
 次は、恒久対策について、特に責任に基づく医療の保障を述べさせていただきたいと思います。
 薬害エイズの被害者を国挙げて全力で救おうというかけ声はこれまで一度も厚生省から出ませんでしたし、態度もありませんでした。これまでの裁判などを通じて薬害エイズを何とかしてもみ消そうとする逃げの姿勢では当然あり得なかったことです。一九八五年に松村生物製剤課長に聞きました。そして、厚生省に対応する部局がないということで、本当かと疑って感染症対策課に行き、熊谷課長や森尾課長補佐などに伺いました。これは生物製剤課の問題だと言われ、交渉に来た患者、家族は怒りに燃えました。恐ろしい感染症を製剤でうつされ、その疫病を治療するところはどこかと聞けば厚生省にはないと言われたのです。予防キャンペーンはすさまじい予算を投入し、エイズの差別の象徴的存在になる予防法を施行し、薬害被害を訴えづらくしたのです。
 この十年以上の命を見捨てた厚生省の姿勢は、十年前から二千人の薬害被害者の存在を確認しておきながら、厚生省が直接指導管轄できる国立病院で被害者の命を守る最大限の、最善の努力をしてこなかったことに尽きます。最先端医療と先駆的医療の実際的効果を発揮して日本のエイズ治療の指針を導き出した東大医科研の医療は、熱意ある医療スタッフと患者のエイズ治療に対してあきらめることをしない治療努力と姿勢がつくり上げてきました。それは、カウンセリングでごまかすあきらめの治療とは決して違います。しかし、文部省の管轄など、エイズ医療に関心のない教授が選考されたり、命がけで患者の望んだエイズ診療部を臨床研究のため立ち上げても、野心のある所長と院長で実質的に診療ができるスタッフを追い出すなど、被害者救済の立場の届かぬところで私たちは苦しみました。一般診療のエイズ医療は大切ですが、国の加害行為で被害を受けた者に最大量善の医療を提供し、命を保障することがその加害責任を果たす根源です。
 このたび、七年に及ぶ薬害エイズの裁判が被告国らの加害責任を明らかにした裁判所所見を伴う和解が成立して、裁判所は被害救済の恒久対策として医療に対する被告の責務を指摘しています。
 私たちは、被害者の命を守る最後の機会として、国挙げて被害者の命を最大量善の総力を結集して守り抜く誓いと、その具体的実効性としてエイズ治療・研究開発センターを独立の組織と力を持ったものとして、かつ最新の医療開発などのエイズの臨床研究の最前線として行い、また地域の拠点病院などをネットして的確な診断とその診療方針を判断、決定できるリアルタイムの情報ハイウエーを整備して、地域の医療格差の解消と命の保障に努め、またエイズの治療ができる医師や医療スタッフを育て、かつ派遣するなどの実際的効果をねらったものとしてその設置を強力に求めてきました。
 これを放送局に例えるならば、番組をつくるキー局とその受け皿となる地方局のような関係です。エイズ治療、医療の面でも、最先端の治療を研究、実践するキー局と、それを全国展開するための地方局とが必要なのです。この責任ある医療の保障こそが、雪の降る二月の三日間の命がけの座り込みをかけての責任の明確化を基盤とした第一の要求でした。
 もう薬害被害者の命を守る最後の機会はことししかありません。ことしにこのセンターを立ち上げて診療を始め、具体的に治療を開始して地域との連携を早急につくることを国が強力に指導力を発揮して行われなければ救われません。その象徴としてのこのセンターを始動し、実際に臨床研究に当たるスタッフをそろえて私たちに提示していただきたい。また、それは拠点病院の充実とその中核となるミニセンター的地域核病院の設置も当然その即応すべき問題です。
 和解に当たり、厚生省は治療・研究開発センターの設置と拠点病院の充実を確約しました。しかし、これが現実に具体化するかどうかは不明です。私たちに二度とうそをつくような厚生行政を見せないでください。過去の真相を明らかにして責任の所在を明かし、その厳しい反省の上に立って最善の行政を行うことを誓ってほしいのです。
 責任ある医療の根幹は責任ある行政の実行です。国会から行政の正すべき点などをさらに積極的に指摘いただき、私たち国民が安心して医療を受けられる環境をぜひつくり上げていただきたいと思います。そのためには、さらなる薬害エイズの真相究明が薬害根絶の礎になるに違いないと確信しています。
 御清聴ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 高原洋太

speaker_id: 680

日付: 1996-04-17

院: 参議院

会議名: 厚生委員会薬害エイズ問題に関する小委員会