清水睦の発言 (行財政機構及び行政監察に関する調査会)
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○参考人(清水睦君) お手元に「国政調査権の充実について」というレジュメがおありかと存じますが、私に意見を述べるようにと言われました事項は、「国政調査権の本質」、それから「国政調査権と行政権」、さらに「国政調査権充実の方策について」、レジュメでいいますと一と二と四でございます。三については、私の方で少し意見を述べさせていただきたいと思いましてつけ加えさせていただいたものでございます。
最初に、「国政調査権の本質」というところですが、これは浦和充子事件がこの本質といいますか、調査権の性格論争が始まる契機になったと思います。
しかし、この事件は必ずしもこの性格論争の題材としては適切なものであったとは思えません。といいますのは、この裁判が確定したものとはいえ、裁判を直接評価する、批判する、そういう形のものが果たしてこの調査権の権限の対象として認められるかどうか、そういうことだったものですから、これは学会では司法権の独立の問題ということで、そのためにいわゆる独立機能説の立場から支持する見解、これは参議院の法務委員会の立場と独立機能説というのはつながつたわけですけれども、学会では余り支持されなかったようであります。この場合は、むしろ最高裁判所のいわゆる補助的機能説が割に支持が学会では多かったと言うことができるかと思います。
それで、私は補助的機能説が妥当だというふうに思っておりますが、補助とか補充とかという言葉を使うことはちょっと問題があるのではないかと思っております。
といいますのは、この補助的機能説は、つまり議院の憲法上認められているかなり広い機能を有効に行使するためのいわば手段となる、そういう機能として国政調査権を見ているわけですので、手段的機能というふうに言うならばともかく、補助とか補充という言葉は目的と手段どの関係で、手段を指しては使われないと思うんですね。
ですから、補助とか補充というと何か機能としては余り強いものではない、いわば従的なものであるという感じがしますけれども、この手段としての機能というのは、目的を達成するために重要であり、かつ国政調査権の場合は不可欠な手段というふうに考えなければいけないと思いますので、どうも補助とか補充という言葉がともすれば調査権を軽視する雰囲気を持つように誤解されてしまうおそれがあるように思います。これは言葉の問題ですけれども、補助、補充という言葉は必ずしも適切ではないのではないかというふうに思います。
それから、新独立機能説というのは、いわゆる国民の知る権利を踏まえまして、国民に情報を提供する、そこに国政調査権の本質があるという考え方でありますけれども、これについては私は必ずしも賛成ではありません。国政調査権の機能が国民に調査の結果として得られる情報を知らせるということは十分認め、かつそれは重要なことだと思いますけれども、国政調査権の目的自体がそういう国民の知る権利を保障するところにあるんだということではないのではないか。やはり議院の機能、つまり立法権とかあるいは行政統制の機能を十分に効果的に発揮するために国政調査権というのはあるんだという理解が妥当なのではないかと思うわけでございます。
日本国憲法の定める議院内閣制は、六十五条で行政権が内閣にあるということになっております。しかし、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」というふうになっていますから、この憲法六十六条の三項からしますと、国会を構成する各議院は、内閣の行政権の行使について責任をとらせるという行政統制の権限を持っているわけでありますし、それは極めて多岐にわたるものであります。
国政調査権は、恐らく行政にのみ向けられるものではないかもしれませんが、やはり国政という言葉からしましてその範囲は行政が一番広いものを持っているわけですので、行政権に対する調査というのがメーン、最も重要なものであるということが言えると思うんです。したがいまして、そういう点では国政調査権と行政権との関係というのが国政調査権の問題を考える上では一番重要になってくるということになるわけでございます。
それで、この国政調査権と行政権との関係では、いわゆる並行調査ということが従来もいろいろ問題にされてきました。並行調査の場合には、検察事務レベルの問題と裁判所に事件が係属してからの調査の問題、この二つの問題があろうかと思います。
検察事務の場合は、国政調査権の行使は事実調査に限られるべきであって、検察権の行使の仕方についていろいろ調査をするというふうなことは、やはり検察行政の公正を確保するというふうな点から見ますと謙抑的であるべきではないかと思います。
それから、裁判所に事件が係属した場合には、事件の事実関係について調査を進めるということは妥当だと思いますけれども、その訴訟指揮とかあるいは判決がなされた場合、判決自体の評価を目的としまして調査をするということは司法権の独立、言いかえますと裁判官の独立という憲法上の要請と抵触するおそれがあるのではないかというふうに思います。
それから、次はいわゆる議院証言法の第五条に出てまいります内閣声明の問題でありますけれども、これは国政調査権の充実という観点かち考え
ますと一番の大きな壁なのではないか。つまり、内閣声明があればもうそこで調査はとまってしまうということになるわけでございますので、この内閣声明の制度は改正する必要がある。内閣声明を認めますと、最も調査権が行使されなければならないような重要な問題に当面したときに、もうこの内閣声明でストップせざるを得ないということになるわけでございます。この点は四の方でまた触れたいと思います。
次に、テレビ放映の禁止の問題でございます。
これは証人の人権という観点からテレビの放映は禁止されたわけでございますけれども、これについては国民の中から、下あるいはマスメディアの方からもいろいろ批判があることは御存じのとおりであります。私は、テレビの放映がなければ国政調査ができないというわけではないと思います。しかし、テレビの放映ということに国民が関心を持つのは、疑獄事件の調査のための特別委員会で調査が行われるような場合だと思います。ですから、国民が非常に関心を持っている問題ですから、原則的にはやっぱりテレビの放映というのは認めるべきではないのか。
ただ、証人の性格等からして非常にテレビの放映ということに恐怖を持つというふうな証人の場合には一委員会の配慮で例外的にテレビの放映を認めない。それも全面的にではなくて、どういう場面においては認めないかとか、そういうふうなことはいろいろ考慮する必要があるかと思いますけれども、例外的にテレビの放映を禁止するというふうな措置が委員会の裁量において行われるということはあってもよいのではないか。原則的にはやはりテレビの放映は認めるというのがよいのではないか、そういうふうに思います。
それから、四の方に行きますけれども、ドイツ基本法の四十四条一項には、調査委員会の設置について議員の四分の一の申し立てがあるときは設置しなければならないという規定がございます。これは少数派の国政調査権の問題に関する権利を定めている一つの例であると言われております。国政調査権の行使が行政に向けられる場合、議院内閣制の場合には野党と政府との対抗関係において問題になりますから、極言すれば国政調査権というのは、野党がイニシアチブをとって政府に対しいろいろな批判を行う場合の非常に有力な武器になるものである。ですから、与党よりは野党の方にイニシアチブを持たせるような国政調査権のあり方というものが考慮されるべきではないかと思います。
それから、二のところは裁判所との関係でございますが、司法権の独立という要請を強く意識しますと、国政調査権が裁判所に係属した事実の調査に対しても当然いろいろ遠慮をする、気兼ねをするという傾向も出てくるのではないかと思います。ですから、そういう場合には事実の認定等については、調査権の行使で一定の事実を明らかにしたというその事実と裁判所で認定された事実とが仮に食い違うような場合があっても、それは別に裁判所を拘束するものではないというふうにする必要があるのではないか。もちろん事実の評価につきましては、これは私の意見では、国政調査権はそういう評価をすべきではないと考えております。ですから、ドイツの基本法四十四条の四項の規定とは違う考え方をしております。
それから、なおこれは私のレジュメにちょっと誤りがありまして、「事実認定」というふうに書いてあるところは、これはドイツの基本法四十四条四項にはございません。認定事実の評価と判断について、裁判所は別に議会のそういうものに拘束はされないんだという趣旨のことが規定の上になっております。
ただ私は、事実認定について調査権を行使した結果とそれから裁判所の認定した事実とが仮に食い違うような場合に、裁判所は議院の認定事実には拘束されないんだということをはっきり規定しておけば、国政調査権の行使についても、司法権の独立を脅かすことにならないかというふうな気兼ねをする必要は議院の側にはないのではないか、そんなふうに考えているわけでございます。
それから、三のところの場合は、内閣声明の問題ですが、これはやはり秘密会という制度によって内閣声明を克服するという必要があるのではないか。私は、国政調査権の行使をする、それは委員会、特別委員会あるいはその調査のための特別の委員会、いろいろなものがあると思いますが、メンバーの人数が割に多いような場合には、仮にこの役員に限定すると。だから少数の人数で、内閣としては職務上の秘密で漏らすと国益を非常に害するというふうな、そういうことについてもそこでは明らかにしなければいけない。ただし、少数のメンバーの中に必ず野党の議員を入れておくということは必要であると思います。
つまり、そうすることによって、行政が行政の中に外に漏らしたくない秘密をいつまでも持っている、それで安心して国民の利益に反するようなことを行うということがあってはならないわけですから、そういうことができないように少数であれ、とにかく議会の議員がそういう秘密にタッチするという制度をやはりつくらなければいけないこれは行政上の秘密だけじゃなくて、企業秘密の場合も同様だと思います。企業秘密の場合にも、当然今は壁になっていると思いますけれども、それについてもやはり同じようなことが言えるのではないかと思います。
それから、参考人の制度は、私は認めるべきではないとは思いません。やはり、調査権を行使していくプロセスにおいて、証人には向かないけれども、参考人として呼んでいろいろ事情を聞く必要があるというふうなケースはあり得るだろうと思うんです。しかし、国政調査権の行使という名目のもとに参考人の方が主役を演ずる、そういうふうなことはやはり問題があるのではないか。その点、ひとつ考えてみなければいけないように思います。
それから、国政調査権を行政に対して有効に行使をするためには、やはり内閣から距離を置くということが必要で、それは議院内閣制をとっていますと国会全体についてそういうことは言えませんが、参議院は少なくとも内閣から距離を置くことによって、言いかえれば大臣は出さないということを徹底することによって、行政に対する国政調査権を強力に行使する基盤、条件をつくっておく、それが一番大事なことではないかと思います。
時間が来ましたので、六に書いてありますことはそのとおりでありますので、あと御質問等がございますれば、またそのときにお答えしたいと思います。
どうもありがとうございました。