根本匠の発言 (厚生委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○根本委員 私も時間が限られておりますから、今聞いた意見について、私の意見を申し上げたいと思います。
私は、遺言でなった場合には、確かにそれは撤回と理解すべきだと思うのですね。それをやらないと、七条二項で「書面により表示された意思は、十分な調査を行い、慎重に確かめられなけれ
ばならない。」となっていますから、これは撤回とみなすべきだと思います。
それから、今、安楽死のお答えがありましたけれども、最後に、私の意見を申し上げたいと思います。
私は、脳死状態から摘出する問題点、これは幾つかあると思うのですね。今お話にありましたように、なぜ死体と脳死状態を書き分けたか。そのお答えは、脳死が人の死かで意見が分かれるから、脳死を人の死と思っていない人もいるのだから、要は、国会で人の死を決めないとして、脳死状態からの摘出を規定したということだと思うのですね。
脳死状態からの臓器を取り出す問題点、私は四点あると思うのです。
一つは、脳死状態は生きているということになりますから、これは安楽死を法律で初めて認めるということになります。これは、安楽死をめぐる大論争、大議論、法律の詰めが必要だと思うのです。
特に法律的な詰めが必要だと思ったのは、他人の生命を救うから、脳死の限界点より超えているという点では共通だが、目的が違う、こうおっしゃられましたけれども、立法論からいって、いかなる状態であっても、生きている人の生命を奪うということ、これを違法でないと認めるのは、刑法学者の平野東大名誉教授もおっしゃっていましたけれども、難しいし、できないと私は思うのですね。目的が違うから認めることができるということにはならないと思うのです。これは、殺人罪で告発されて違法性を阻却できるかというところに嘱託殺人のような話も出てきますから、私は、これは相当な法律の大議論が必要だと思うのです。
それからもう一つ、脳死を人の死でないという法案が出ました。これが非常にある意味で誤解されがちなのは、脳死を人の死でないという方の意見は二つあって、一つは、脳死をもって人の死とすべきではない、要は、まだ死んではいないという宗教観なり死生観、死の概念論でもって、体が温かいというのはまだ死とは言わないのだ、これは死の概念論ですから私もわかります。もう一つは、脳死状態というのは人の死ではないから、臓器移植のために脳死状態を死と規定して、これは死と規定しなくても同じだと思いますが、臓器を取り出すことは認められないのだという本質論があると思うのですよ。
私は、死体と脳死状態というのを書き分けたからといって、死の概念論に対してのお答えにはなりますが、本当に脳死状態から臓器を取り出すべきではないということで反対している方々の本質論には対応することにならなくて、やはり便宜的に書き分けたのではないかということになると思います。
それからもう一点、これは七条二項にも書いてありますが、脳死状態にある者は法律上は生きているわけですから、レシピエントの方が、脳死が人の死ではなくて、生きている状態の人からの摘出なら受けることができない、こうおっしゃっています。これは私は重い意見だと思います。したがって、外国の立法例でも、脳死を人の死と認めずに臓器を提供する立法例がないのだと私は思います。
それからもう一点、脳死を人の死と規定する意味ですが、その意味では、この臓器移植法においては、やはり死は客観的なものとして、この法律の適用範囲の死を規定せざるを得ないと私は思います。脳死は法律では人の死に含めざるを得ない、これは何も私が冷たいからではないのです、気持ちは温かいのですから、これは真剣に考えていますから。
脳死臨調や、臓器移植法案の法案審議の過程で明らかになったのは、脳死は医学的には人の死である、これは明らかになったと思うのですね。もう一つは、医学の進歩によって、死はプロセスであって、脳死は蘇生限界点を超えたところにある、これも明らかになったと思います。
ここで、脳死の死の定義の問題と移植の問題とは区別して考えるべきだと私は思いますが、法律でなぜ脳死体という概念を規定しているか。これは、医学の進歩によって死の概念が広がった、死のプロセスの中で臓器提供の意思を有する者に限ってこの法律の適用範囲を規定したのがこの法案の考え方だと思うのですね。他の既存の法律で死体と書いてある法律に影響するかどうかという議論はありますが、これはそれぞれの法律の有権解釈だと私は思いますが、この法案で初めて、死の概念が広がって、「(脳死体を含む。)」こう書いてありますから、「脳死体を含む」と書いていない既存の法律では脳死体は含まないのだろうと私は思います、有権解釈ですけれども。だから、既存の他の法律にはこれは影響しないと私は思っております。
最後に、私の結論の意見を述べたいと思います。
私は、その意味でいうと、臓器移植法の賛否、これは中山案に対しての賛否を問うべきだと思うのですね。大事なのは、脳死を人の死と認め、臓器移植を行うこと、これを一律にするのではなくて、提供する人と受ける人の自由意思の選択に限定する、これが大事だと思います、この点は共通しますけれども。
要は、中山案で大事なのは、脳死は医学的には死であって、これを人の死と認めて、臓器を提供しようとする人の自己決定の意思と、これを受ける人の意思、人間の自由意思による選択を社会的に受容できるか、この点が社会的に合意が得られるか、これが私はこの法律の賛否の基本だと思います。私は、臓器を提供しようとする方の意思、これは個々人の哲学や宗教によるものですから、この内面意思の自己決定は社会的に受容、尊重されるべきものだと思います。
ただ、最後に強調しておきたいのは、臓器移植の大前提、これは、自己決定の意思の尊重と医の倫理の確立、法律上のこの担保、これは、医学界は大きな責任を有するし、この点でこの法案で不足する部分があれば、それは私は書き加えた方がいいと思います。この医の倫理の確立、これを担保する措置は、もしここで不十分な点があれば私はもっと規制を強化してもいいと思います。
私は、人の死を定義するのは非常に政治家にとって重過ぎる課題でありますが、この法案の賛否に当たっては、私は、ナイーブな感覚も必要だし、人の意見に耳を傾ける、これは本当に大事だと思います。ただやはり、私は、これは本当に重い法案ですから、この法案で大事なのはウオームハートとクールヘッドとリーガルマインドだと思います。ということを申し上げまして、私の質問を終わります。
ありがとうございました。