ロバート・アラン・フェルドマンの発言 (行政改革に関する特別委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○フェルドマン参考人 本日は、お招きいただき、非常に光栄に思っております。とりわけ、金融制度改革という極めて重要な問題について意見を述べます機会を与えられたことを、大変うれしく思います。もちろん、きょうここで述べますのは私個人の見解であり、ソロモン・ブラザーズの見解とは必ずしも一致しません。
いわゆる外人がこのような席でお話しする機会はそれほど多くないと思いますので、まず、簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。
私は、マサチューセッツ工科大学で博士号を取り、現在、エコノミストとして働いています。現在は、米国の証券会社ソロモン・ブラザーズで日本担当の首席エコノミストを務めております。その前は、国際通貨基金、IMFに六年間勤務していました。私の日本研究は、二十八年前、交換留学生として名古屋の南山高校で一年間を過ごした時期にさかのぼります。
現在私たちが直面している問題は非常に深刻です。日本の金融システムは信頼喪失の危機に瀕しています。こうしたことが今後も続いてよいはずはありません。これは、正義の問題のみならず、生き残りの問題でもあります。金融システムは資本を配分します。効率的な資本配分は、日本が生活水準を落とさずに高齢化の時代を生き抜くための唯一の方法です。
規制制度は、効率的な資本配分にとって欠くことのできない要素です。これがうまく機能しなければ、生活水準は悪化します。現行の規制制度が破綻しているのはだれの目にも明らかです。修復が必要なのです。ここで問題となるのは、現在提出されている二つの改革案のうち、どちらがよりすぐれた方法かということです。
規制制度の基本的な役割を復習しましょう。
簡単に言えば、その役割は公正な金融取引を促すことです。金融取引が公正でない場合は、実際の資源が不正を防ぐために使われます。公正でない取引を防ぐ規制制度は経済効率に貢献します。
公正な取引をどのように促すかが問題ですが、必要なことは幾つかあります。第一に、透明なルールは欠かせません。第二に、ルールを透明に実行するメカニズムが必要です。第三に、ルールも実行メカニズムも、それぞれの参加者を均等に扱うべきです。第四に、ルールから生まれる政治干渉への誘惑は避けるべきです。最後に、ルールを実行する負担は、できるだけ軽く、できるだけ公平にすべきです。
現時点での日本の規制制度は、すべての項目で満点をとったと言えないでしょう。この意味では、本日議論されている提案は褒めるべきものに値します。独立された規制機構はルールの透明性を高めるでしょう。新しくできた組織が、自分の存在感をつくるために、はっきりした実行メカニズムをつくると思われます。その上、独立された規制機構は、管轄問題から生ずる対立が少なくなると思われます。すべての金融機関を対等に取り扱うことは、政治干渉の誘惑を少なくするでしょう。
まず言っておきたいことですが、監督庁の案も、金融委員会の案も、現時点での制度にまさるでしょう。しかし、両提案には相違点が四つあると思われます。すなわち、規制当局の地位、規制を取り巻く経済的なインセンティブ、資源の面から見た規制のコスト、そして市場の受けとめ方の四つです。これからその一つ一つを論じていきたいと思います。
規制当局の地位に関しては、まず幾つかの事実を挙げてみたいと思います。
まず、政府案では、金融監督庁はいわゆる三条機関となりますが、金融監督庁の長官には次官級の人がつくことが想定されています。そして、長官の任期は三年です。監督庁の最終決定権限は内閣総理大臣にあります。
金融委員会案では、規制当局は同じく三条機関となります。しかし、総裁は、閣僚と同様な地位を持ち、任期は五年となります。規制上の決断の最終権限は金融委員会総裁にあります。
問題は、規制当局の効率は地位が高いほどよくなるかという点です。答えは恐らくイエスだと思います。長官は、その判断が政治家である上司にチェックされますが、総裁の場合はそのようなことはありません。中身のある改革の実効を上げるには、三年の任期は短過ぎるおそれがあります。また、三年という任期は、実効性のある政策遂行のためのポジションというより、官僚の忠実な職務遂行に対する御褒美に成り下がる余地が残ります。
一方、金融委員会案では、総裁という地位は高く、規制制度の決定がより尊重される効果を持つと思われます。この地位は、その他の大臣からの干渉を抑制されます。政治力を使って規制当局の決定に影響しようとする、あるいはそういう影響をねらう規制される側もちゅうちょするでしょう。その上、総裁の五年間の任期は、総裁の実行力をふやすでしょう。
米国では、大統領は規制問題に介入する権限は持ちません。それどころか、高級官僚が介入の気配を見せただけで解任されたこともあります。米国が規制に関して犯した戦後最大の失敗は、八九年の貯蓄銀行SアンドLの破綻でしたが、これは一部の財務省高官が、選挙の年にみずからの管轄内金融業界の問題が露見することを恐れたことが一つの原因となりました。米国の失敗から学ぶべき教訓は明らかです。すなわち、選挙を経て地位を得る人々から規制をできるだけ遠ざけろということです。
経済のインセンティブという点でも、この二つの案には違いがあります。監督庁案では、監督庁の職員のほとんどは大蔵省から出向となるでしょう。大蔵省と監督庁の間で人事が往復することも認められるでしょう。その結果、監督庁が大蔵省に残るその他の機能と密接な関係を持つことになると思われます。さらに、監督庁案では、地方の財務局の役割が変わりません。
では、金融委員会案の方はどこが違いますか。問題解決のためにはどの道具があるかが主な違いだと思います。金融委員会は税制に対する権限はありません。予算への請求権もありません。しかし、金融政策の権限があります。ここに一つの危険をはらんでいます。金融委員会が間違いを起こせば、それを直すためにインフレを使うおそれがあります。しかし、日銀法に物価安定を義務づけることによって、このリスクは少なくなるでしょう。金融委員会案では、厳格な運営に対するインセンティブが強いのでしょう。
監督庁の案も、金融委員会の案も、リスクが存在しています。監督庁案は財政リスクがあります。金融委員会案はインフレのリスクがあります。日本はもう既に大きな財政問題があるので、金融委員会案はリスクのバランスをとる観点から見れば魅力があると思われます。
資源コストも非常に重要な問題です。高齢化は日本が直面する最も深刻な経済問題です。経済政策に関するあらゆる決定は、この問題を念頭に置いて行う必要があります。
ここにおられるどなた様も、政府の外庁は雑草のようなものだということは御存じだと思います。一たん芽を出すと、その成長をとめることは至難のわざです。日本では、人口が減少する中、生産性を高める必要に迫られています。新しい外庁の拡大は避けられないとわかっているのに、今それをつくるべきでしょうか。貴重な資源を節約するという見地から見れば、自動的なルールを強化して、裁量を必要とする規制制度を縮小する方が賢明ではありませんでしょうか。
この点、米国の例は反面教師となるでしょう。米国は、証券会社や業態別の銀行、保険会社などを対象に規制当局がひしめいています。その結果、各分野に特化した弁護士過剰になっています。日本は、米国の成功からだけではなく、失敗から学ぶことができます。
最後に、規制制度の改正を投資家がどう受けとめるかは非常に重要です。
監督庁案は、確かに一歩前進だというのが市場の大方の見方でしょう。しかし、大蔵省の監督庁に対する権限は引き続き強大となるため、規制制度は時代が必要とする速度と度合いで進化するかに関しては、疑問が残ると思われます。こうした中で監督庁が独立性と信認を確立するのは、金融委員会以上に難しいでしょう。
もちろん金融委員会の場合も、最終的には行動をもってみずから標榜する独立性と厳格さを証明しなければならないでしょう。しかし、新しい規制制度の見た目が旧制度と全く違う方が、再び信認を築くのは容易と思われます。五年任期のある大臣級の地位を持つ総裁が率いる規制機構は、投資家からの見た目がよろしいでしょう。
ここでも米国の例が役に立ちます。FRB、連邦準備銀行制度は、規制当局として高い信認を得ています。証券取引委員会も同様です。この二つの機関が独立性と厳格さを確立しているおかげで、米国の金融機関は規制にかかわる問題が生じたときでも、比較的容易にそれを克服できます。その例から読み取れる教訓ははっきりしています。つまり、厳格な取り締まりが公正な市場を生むということです。
最後につけ加えたいことですけれども、時間がないということです。日本の信頼性が問われています。しかも、高齢化は待ったなしで進むため、徐々にコンセンサスを築いていくという日本の伝統的なやり方で対応する余裕はありません。確かに監督庁案の方が実行しやすいです。過渡期のコストも低いでしょう。しかし、監督庁案より成果を上げる可能性は金融委員会案にあると思われます。
御清聴ありがとうございました。(拍手)