行政改革に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
平成九年五月二十八日(水曜日)
午前九時開議
出席委員
委員長 綿貫 民輔君
理事 自見庄三郎君 理事 野呂田芳成君
理事 谷津 義男君 理事 柳沢 伯夫君
理事 鹿野 道彦君 理事 中井 洽君
理事 枝野 幸男君 理事 松本 善明君
赤城 徳彦君 臼井日出男君
大野 松茂君 大原 一三君
金田 英行君 熊代 昭彦君
下村 博文君 砂田 圭佑君
田野瀬良太郎君 滝 実君
谷 洋一君 中谷 元君
中山 利生君 林 幹雄君
福田 康夫君 船田 元君
松永 光君 山口 俊一君
山本 公一君 伊藤 達也君
石田幸四郎君 今井 宏君
倉田 栄喜君 斉藤 鉄夫君
富田 茂之君 永井 英慈君
西田 猛君 増田 敏男君
宮本 一三君 池田 元久君
生方 幸夫君 川内 博史君
末松 義規君 春名 直章君
畠山健治郎君 前田 武志君
土屋 品子君
出席国務大臣
内閣総理大臣 橋本龍太郎君
大 蔵 大 臣 三塚 博君
国 務 大 臣
(内閣官房長官)梶山 静六君
国 務 大 臣
(総務庁長官) 武藤 嘉文君
出席政府委員
首席内閣参事官 太田 義武君
内閣審議官 畠中誠二郎君
内閣審議官 白須 光美君
行政改革会議事
務局参事官 坂野 泰治君
公正取引委員会
事務総局経済取
引局長 塩田 薫範君
総務庁長官官房
審議官 西村 正紀君
大蔵大臣官房金
融検査部長 中川 隆進君
大蔵大臣官房総
務審議官 武藤 敏郎君
大蔵省主計局次
長 溝口善兵衛君
大蔵省主税局長 薄井 信明君
大蔵省理財局長 伏屋 和彦君
大蔵省証券局長 長野 厖士君
大蔵省銀行局長 山口 公生君
委員外の出席者
参 考 人
(麗澤大学国際
経済学部長) 鈴木 幸夫君
参 考 人
(ソロモン・ブ
ラザーズ・ア ロバート
ジア証券会社 アラン
マネージン フェルドマ
グ・ディレク ン 君
ター)
参 考 人
(東洋大学経済
学部教授・経済
研究所長) 中北 徹君
参 考 人
(名古屋経済大
学名誉教授) 山田 弘史君
特別委員会第三
調査室長 田中 達郎君
─────────────
委員の異動
五月二十八日
辞任 補欠選任
熊代 昭彦君 滝 実君
杉浦 正健君 大野 松茂君
谷 洋一君 砂田 圭佑君
中山 利生君 田野瀬良太郎君
福田 康夫君 下村 博文君
松永 光君 林 幹雄君
安住 淳君 川内 博史君
末松 義規君 生方 幸夫君
木島日出夫君 春名 直章君
同日
辞任 補欠選任
大野 松茂君 杉浦 正健君
下村 博文君 福田 康夫君
砂田 圭佑君 谷 洋一君
田野瀬良太郎君 中山 利生君
滝 実君 熊代 昭彦君
林 幹雄君 松永 光君
川内 博史君 安住 淳君
春名 直章君 木島日出夫君
─────────────
本日の会議に付した案件
金融監督庁設置法案(内閣提出第六六号)
金融監督庁設置法の施行に伴う関係法律の整備
に関する法律案(内閣提出第六七号)
日本銀行法案(鈴木淑夫君外四名提出、衆法第
二九号)
金融委員会設置法案(鈴木淑夫君外四名提出、
衆法第三〇号)
────◇─────
この発言だけを見る →午前九時開議
出席委員
委員長 綿貫 民輔君
理事 自見庄三郎君 理事 野呂田芳成君
理事 谷津 義男君 理事 柳沢 伯夫君
理事 鹿野 道彦君 理事 中井 洽君
理事 枝野 幸男君 理事 松本 善明君
赤城 徳彦君 臼井日出男君
大野 松茂君 大原 一三君
金田 英行君 熊代 昭彦君
下村 博文君 砂田 圭佑君
田野瀬良太郎君 滝 実君
谷 洋一君 中谷 元君
中山 利生君 林 幹雄君
福田 康夫君 船田 元君
松永 光君 山口 俊一君
山本 公一君 伊藤 達也君
石田幸四郎君 今井 宏君
倉田 栄喜君 斉藤 鉄夫君
富田 茂之君 永井 英慈君
西田 猛君 増田 敏男君
宮本 一三君 池田 元久君
生方 幸夫君 川内 博史君
末松 義規君 春名 直章君
畠山健治郎君 前田 武志君
土屋 品子君
出席国務大臣
内閣総理大臣 橋本龍太郎君
大 蔵 大 臣 三塚 博君
国 務 大 臣
(内閣官房長官)梶山 静六君
国 務 大 臣
(総務庁長官) 武藤 嘉文君
出席政府委員
首席内閣参事官 太田 義武君
内閣審議官 畠中誠二郎君
内閣審議官 白須 光美君
行政改革会議事
務局参事官 坂野 泰治君
公正取引委員会
事務総局経済取
引局長 塩田 薫範君
総務庁長官官房
審議官 西村 正紀君
大蔵大臣官房金
融検査部長 中川 隆進君
大蔵大臣官房総
務審議官 武藤 敏郎君
大蔵省主計局次
長 溝口善兵衛君
大蔵省主税局長 薄井 信明君
大蔵省理財局長 伏屋 和彦君
大蔵省証券局長 長野 厖士君
大蔵省銀行局長 山口 公生君
委員外の出席者
参 考 人
(麗澤大学国際
経済学部長) 鈴木 幸夫君
参 考 人
(ソロモン・ブ
ラザーズ・ア ロバート
ジア証券会社 アラン
マネージン フェルドマ
グ・ディレク ン 君
ター)
参 考 人
(東洋大学経済
学部教授・経済
研究所長) 中北 徹君
参 考 人
(名古屋経済大
学名誉教授) 山田 弘史君
特別委員会第三
調査室長 田中 達郎君
─────────────
委員の異動
五月二十八日
辞任 補欠選任
熊代 昭彦君 滝 実君
杉浦 正健君 大野 松茂君
谷 洋一君 砂田 圭佑君
中山 利生君 田野瀬良太郎君
福田 康夫君 下村 博文君
松永 光君 林 幹雄君
安住 淳君 川内 博史君
末松 義規君 生方 幸夫君
木島日出夫君 春名 直章君
同日
辞任 補欠選任
大野 松茂君 杉浦 正健君
下村 博文君 福田 康夫君
砂田 圭佑君 谷 洋一君
田野瀬良太郎君 中山 利生君
滝 実君 熊代 昭彦君
林 幹雄君 松永 光君
川内 博史君 安住 淳君
春名 直章君 木島日出夫君
─────────────
本日の会議に付した案件
金融監督庁設置法案(内閣提出第六六号)
金融監督庁設置法の施行に伴う関係法律の整備
に関する法律案(内閣提出第六七号)
日本銀行法案(鈴木淑夫君外四名提出、衆法第
二九号)
金融委員会設置法案(鈴木淑夫君外四名提出、
衆法第三〇号)
────◇─────
綿
綿貫民輔#1
○綿貫委員長 これより会議を開きます。
内閣提出、金融監督庁設置法案及び金融監督庁設置法の施行に伴う関係法律の整備に関する法律案並びに鈴木淑夫君外四名提出、日本銀行法案及び金融委員会設置法案の各案を一括して議題といたします。
本日は、各案審査のため、参考人として、麗澤大学国際経済学部長鈴木幸夫君、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社マネージング・ディレクター、ロバート・アラン・フェルドマン君、東洋大学経済学部教授・経済研究所長中北徹君、名古屋経済大学名誉教授山田弘史君に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。
なお、議事の順序でありますが、まず、各参考人からそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、次に、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
それでは、鈴木参考人にお願いをいたします。
この発言だけを見る →内閣提出、金融監督庁設置法案及び金融監督庁設置法の施行に伴う関係法律の整備に関する法律案並びに鈴木淑夫君外四名提出、日本銀行法案及び金融委員会設置法案の各案を一括して議題といたします。
本日は、各案審査のため、参考人として、麗澤大学国際経済学部長鈴木幸夫君、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社マネージング・ディレクター、ロバート・アラン・フェルドマン君、東洋大学経済学部教授・経済研究所長中北徹君、名古屋経済大学名誉教授山田弘史君に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。
なお、議事の順序でありますが、まず、各参考人からそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、次に、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
それでは、鈴木参考人にお願いをいたします。
鈴
鈴木幸夫#2
○鈴木参考人 おはようございます。麗澤大学の鈴木でございます。本日は、参考人として意見を述べさせていただく機会を与えられまして、大変感謝しております。
最初に、今回御審議中の内閣提案の金融監督庁設置法案、それと、それの施行に伴う関係法律の整備に関する法律案、さらに、新進党の鈴木淑夫議員ほかから御提出の日本銀行法案並びに金融委員会設置法案について私の見解を簡単に述べさせていただくと同時に、それに関連して、金融行政一般並びに金融の監督行政について私見を若干述べさせていただきたいというふうに思っております。
まず、内閣提案の金融監督庁設置法案でございますけれども、どんな法案でもベストということはあり得ないと思うので、法案成立後、運用上若干問題を残しているというふうに私は考えておりますけれども、現在の諸般の情勢の中で一応、一応と言うと失礼ですけれども、ぎりぎり実情に即したものであろうというふうに評価しております。そういう面で、この法案の成立には賛成いたしております。
私が特に注目しておりますのはこの法案の背景にある考え方でございまして、従来、護送船団方式とよく言われておりますけれども、政府、特に大蔵省の行政指導といいますか、事前誘導型の、一種の乳母日傘型の保護行政を中心とした金融行政というものから、昨年以来はっきりと政府は転換をいたしております。
その転換した方向というのが、基本的には市場原理というものを重視して自己責任原則というものを徹底していこう、市場における規律というものを厳格に守っていく、そのためにルール違反は厳しく取り締まっていこう、しかもそのルールは透明で公正なものをできるだけ確実につくり上げていこう、こういう発想というものが、私も若干政府の方々といろいろな意味で議論する機会がございますけれども、最近の政府、特にいろいろ御批判のある大蔵省の思想転換というものは、百八十度大きく変わりつつあるというふうに考えております。
そういう思想を背景としてこの金融監督庁の法案というものができ上がったのだと私は理解しております。それぞれ権限意識の面で微妙な対立もいろいろあったでしょうけれども、でき上がった結果としては、私は、現段階においては現実的で一応筋の通った案であるというふうに理解しております。
鈴木淑夫議員ほかから御提出のこの二つの法案につきましては、私も、鈴木議員もよく存じ上げておりますので、何をお考えかもよくわかるのですが、論理的にはそれなりに、それなりと言うと失礼ですけれども、一貫しておりまして、私自身も大変示唆されるところも多いわけですけれども、そういう面で、まとめられた御努力は大変敬服いたします。しかし、現実にこれを適用するとなると非常に問題が多い。これも後で申し上げますが、そういう意味では若干現実から遊離している部分があるのではないか。そういう意味で、この内閣提案の法律にかわる良案であるとは私は認めがたいということで、いろいろいい面はあるけれども、やはり内閣提案の方がベターではないかというふうに考えております。
私がここで一言強調したいと思っておりますのは、時間の関係がありますから余りだらだらとは申し上げませんけれども、よく財政と金融の分離ということを強調される。それから一方では、財政当局を中心に、財政、金融の一元化ということが昔からいろいろ言われている。どっちが正しいか、白か黒かという議論が非常に多いのですけれども、私は、政策の実務的な機能としては、金融と財政というものはおのずから性格が異なるわけで、金融はやはり市場原理というものを主体として動くものであり、財政というものは市場原理になじまない部分というのをたくさん持っている、そういう意味ではカテゴリーは別であろうと思います。実務的な面では、それぞれが独立した行政機能なりあるいは調整機能というものが動かなければいけないと思います。
そういう面では分離ということは現実的に存在するわけですけれども、しかし、一国の経済運営という点から考えたり、あるいは、国際的な通貨なり金融なりあるいは経済の全体的な調整という面から見て、財政と金融というものがばらばらで、一国の政策の体制として不統一のままで国家間の経済協調というのはなし得ないわけですし、また国内においても、経済政策の総合的な責任を負う、議院内閣制のもとでは経済政策における最終責任はすべて内閣が負うわけです。
ですから、その内閣の責任において財政も金融もやはり統一的に、統一と言うとまた言葉が悪いかもしれませんが、総合的に調整する機能というものは、これはあって当たり前のことでありまして、財政、金融の一体化というと、何か大蔵省が権限を振るってどうのという議論がすぐ出てくるのですけれども、私は、そういう小さな権限論ではなくて、経済運営のあり方として、財政、金融というのは基本的にやはり一体となって、いわゆるポリシーミックスというものが前提とならなければならないというふうに考えております。
ですから、そういう神学論争をもうやめて、それぞれ財政と金融の特性のもとに責任当局が自主性、独立性を持って運営すると同時に、その総合調整は、ここにいらっしゃる先生方を中心とする国会議員の方々が政府というものに対していろいろ注文をつけると同時に、その政府も、やはり議員の皆様方から選ばれたいわゆる与党の政治家の方が内閣を担っておられるわけですから、その方々の責任が非常に重大だと思うのですね。
ですから、今後金融監督庁が大蔵省から分離されるにしても、私は、やはり基本的には、今後は、内閣の責任であると同時に、国会もまた金融監督庁の運営について厳しく対応していただかなければならないのではないかというふうに考えております。
時間がございませんので、また細かい点は御質疑のところでお話ししたいと思いますが、もう一言申し上げれば、監督と検査というものを分離するかどうかとかいう議論が最初ありましたけれども、私は、当然これは一体となってやるべきものだと思います。
同時に、野党の新進党並びに民主党の方からもいろいろ御提案があるようですけれども、基本的に、議院内閣制のもとで政府が責任を持たなければならないとすれば、合議制の三条委員会というような形で果たして処理できるのかどうかという問題があるわけでございまして、非常に時間もかかるし、それから、今のような、緊急にいろいろな問題が起こっている事態に対する対応が非常に問題になるのではないかというふうに考えております。
細かい点についてもいろいろ考えるところがございますが、これからのいわゆる監督行政というものは、一つは、個別的な金融機関の、いわゆる破綻に陥らないように、あるいは破綻になった場合の対応措置というものを、個々の銀行の業績というものを常にフォローしながらルーチンな仕事としてやっていくべき部分と、それから、多数の金融機関が破綻して、金融システムなりあるいは経済全体に大きなリスクというものが生み出されるときと、おのずから分けて考えなければならない。
前者の方は、やはり今回の金融監督庁が担当するのは、これは当然なことだと思います。しかし、システム全体の問題としてリスクが大きくなった場合には、これはもう当然、政府、特に財政当局と監督庁との間で、例えば公的資金を使うか使わないかとか、あるいはどういうふうな手法でもってシステム危機を乗り越えていくのかといったようなことで、やはり大蔵大臣なり日銀総裁なり、あるいは、時には預金保険機構の責任者の方なりが意見を交換し合うということは、これはもう当然なことだと思いますので、そういう意味で、私は、今回の法案の内容というものは、そういう現実的な処理の上で、比較的きちんとした手順というものを踏めるような形になっているのではないかというふうに考えております。
時間がもうございませんので、私の発言は一応これで終わらせていただきますが、また後ほど、いろいろな点について、先生方からの御質疑にお答えしたいと思っております。
以上でございます。拍手
この発言だけを見る →最初に、今回御審議中の内閣提案の金融監督庁設置法案、それと、それの施行に伴う関係法律の整備に関する法律案、さらに、新進党の鈴木淑夫議員ほかから御提出の日本銀行法案並びに金融委員会設置法案について私の見解を簡単に述べさせていただくと同時に、それに関連して、金融行政一般並びに金融の監督行政について私見を若干述べさせていただきたいというふうに思っております。
まず、内閣提案の金融監督庁設置法案でございますけれども、どんな法案でもベストということはあり得ないと思うので、法案成立後、運用上若干問題を残しているというふうに私は考えておりますけれども、現在の諸般の情勢の中で一応、一応と言うと失礼ですけれども、ぎりぎり実情に即したものであろうというふうに評価しております。そういう面で、この法案の成立には賛成いたしております。
私が特に注目しておりますのはこの法案の背景にある考え方でございまして、従来、護送船団方式とよく言われておりますけれども、政府、特に大蔵省の行政指導といいますか、事前誘導型の、一種の乳母日傘型の保護行政を中心とした金融行政というものから、昨年以来はっきりと政府は転換をいたしております。
その転換した方向というのが、基本的には市場原理というものを重視して自己責任原則というものを徹底していこう、市場における規律というものを厳格に守っていく、そのためにルール違反は厳しく取り締まっていこう、しかもそのルールは透明で公正なものをできるだけ確実につくり上げていこう、こういう発想というものが、私も若干政府の方々といろいろな意味で議論する機会がございますけれども、最近の政府、特にいろいろ御批判のある大蔵省の思想転換というものは、百八十度大きく変わりつつあるというふうに考えております。
そういう思想を背景としてこの金融監督庁の法案というものができ上がったのだと私は理解しております。それぞれ権限意識の面で微妙な対立もいろいろあったでしょうけれども、でき上がった結果としては、私は、現段階においては現実的で一応筋の通った案であるというふうに理解しております。
鈴木淑夫議員ほかから御提出のこの二つの法案につきましては、私も、鈴木議員もよく存じ上げておりますので、何をお考えかもよくわかるのですが、論理的にはそれなりに、それなりと言うと失礼ですけれども、一貫しておりまして、私自身も大変示唆されるところも多いわけですけれども、そういう面で、まとめられた御努力は大変敬服いたします。しかし、現実にこれを適用するとなると非常に問題が多い。これも後で申し上げますが、そういう意味では若干現実から遊離している部分があるのではないか。そういう意味で、この内閣提案の法律にかわる良案であるとは私は認めがたいということで、いろいろいい面はあるけれども、やはり内閣提案の方がベターではないかというふうに考えております。
私がここで一言強調したいと思っておりますのは、時間の関係がありますから余りだらだらとは申し上げませんけれども、よく財政と金融の分離ということを強調される。それから一方では、財政当局を中心に、財政、金融の一元化ということが昔からいろいろ言われている。どっちが正しいか、白か黒かという議論が非常に多いのですけれども、私は、政策の実務的な機能としては、金融と財政というものはおのずから性格が異なるわけで、金融はやはり市場原理というものを主体として動くものであり、財政というものは市場原理になじまない部分というのをたくさん持っている、そういう意味ではカテゴリーは別であろうと思います。実務的な面では、それぞれが独立した行政機能なりあるいは調整機能というものが動かなければいけないと思います。
そういう面では分離ということは現実的に存在するわけですけれども、しかし、一国の経済運営という点から考えたり、あるいは、国際的な通貨なり金融なりあるいは経済の全体的な調整という面から見て、財政と金融というものがばらばらで、一国の政策の体制として不統一のままで国家間の経済協調というのはなし得ないわけですし、また国内においても、経済政策の総合的な責任を負う、議院内閣制のもとでは経済政策における最終責任はすべて内閣が負うわけです。
ですから、その内閣の責任において財政も金融もやはり統一的に、統一と言うとまた言葉が悪いかもしれませんが、総合的に調整する機能というものは、これはあって当たり前のことでありまして、財政、金融の一体化というと、何か大蔵省が権限を振るってどうのという議論がすぐ出てくるのですけれども、私は、そういう小さな権限論ではなくて、経済運営のあり方として、財政、金融というのは基本的にやはり一体となって、いわゆるポリシーミックスというものが前提とならなければならないというふうに考えております。
ですから、そういう神学論争をもうやめて、それぞれ財政と金融の特性のもとに責任当局が自主性、独立性を持って運営すると同時に、その総合調整は、ここにいらっしゃる先生方を中心とする国会議員の方々が政府というものに対していろいろ注文をつけると同時に、その政府も、やはり議員の皆様方から選ばれたいわゆる与党の政治家の方が内閣を担っておられるわけですから、その方々の責任が非常に重大だと思うのですね。
ですから、今後金融監督庁が大蔵省から分離されるにしても、私は、やはり基本的には、今後は、内閣の責任であると同時に、国会もまた金融監督庁の運営について厳しく対応していただかなければならないのではないかというふうに考えております。
時間がございませんので、また細かい点は御質疑のところでお話ししたいと思いますが、もう一言申し上げれば、監督と検査というものを分離するかどうかとかいう議論が最初ありましたけれども、私は、当然これは一体となってやるべきものだと思います。
同時に、野党の新進党並びに民主党の方からもいろいろ御提案があるようですけれども、基本的に、議院内閣制のもとで政府が責任を持たなければならないとすれば、合議制の三条委員会というような形で果たして処理できるのかどうかという問題があるわけでございまして、非常に時間もかかるし、それから、今のような、緊急にいろいろな問題が起こっている事態に対する対応が非常に問題になるのではないかというふうに考えております。
細かい点についてもいろいろ考えるところがございますが、これからのいわゆる監督行政というものは、一つは、個別的な金融機関の、いわゆる破綻に陥らないように、あるいは破綻になった場合の対応措置というものを、個々の銀行の業績というものを常にフォローしながらルーチンな仕事としてやっていくべき部分と、それから、多数の金融機関が破綻して、金融システムなりあるいは経済全体に大きなリスクというものが生み出されるときと、おのずから分けて考えなければならない。
前者の方は、やはり今回の金融監督庁が担当するのは、これは当然なことだと思います。しかし、システム全体の問題としてリスクが大きくなった場合には、これはもう当然、政府、特に財政当局と監督庁との間で、例えば公的資金を使うか使わないかとか、あるいはどういうふうな手法でもってシステム危機を乗り越えていくのかといったようなことで、やはり大蔵大臣なり日銀総裁なり、あるいは、時には預金保険機構の責任者の方なりが意見を交換し合うということは、これはもう当然なことだと思いますので、そういう意味で、私は、今回の法案の内容というものは、そういう現実的な処理の上で、比較的きちんとした手順というものを踏めるような形になっているのではないかというふうに考えております。
時間がもうございませんので、私の発言は一応これで終わらせていただきますが、また後ほど、いろいろな点について、先生方からの御質疑にお答えしたいと思っております。
以上でございます。拍手
綿
ロ
○フェルドマン参考人 本日は、お招きいただき、非常に光栄に思っております。とりわけ、金融制度改革という極めて重要な問題について意見を述べます機会を与えられたことを、大変うれしく思います。もちろん、きょうここで述べますのは私個人の見解であり、ソロモン・ブラザーズの見解とは必ずしも一致しません。
いわゆる外人がこのような席でお話しする機会はそれほど多くないと思いますので、まず、簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。
私は、マサチューセッツ工科大学で博士号を取り、現在、エコノミストとして働いています。現在は、米国の証券会社ソロモン・ブラザーズで日本担当の首席エコノミストを務めております。その前は、国際通貨基金、IMFに六年間勤務していました。私の日本研究は、二十八年前、交換留学生として名古屋の南山高校で一年間を過ごした時期にさかのぼります。
現在私たちが直面している問題は非常に深刻です。日本の金融システムは信頼喪失の危機に瀕しています。こうしたことが今後も続いてよいはずはありません。これは、正義の問題のみならず、生き残りの問題でもあります。金融システムは資本を配分します。効率的な資本配分は、日本が生活水準を落とさずに高齢化の時代を生き抜くための唯一の方法です。
規制制度は、効率的な資本配分にとって欠くことのできない要素です。これがうまく機能しなければ、生活水準は悪化します。現行の規制制度が破綻しているのはだれの目にも明らかです。修復が必要なのです。ここで問題となるのは、現在提出されている二つの改革案のうち、どちらがよりすぐれた方法かということです。
規制制度の基本的な役割を復習しましょう。
簡単に言えば、その役割は公正な金融取引を促すことです。金融取引が公正でない場合は、実際の資源が不正を防ぐために使われます。公正でない取引を防ぐ規制制度は経済効率に貢献します。
公正な取引をどのように促すかが問題ですが、必要なことは幾つかあります。第一に、透明なルールは欠かせません。第二に、ルールを透明に実行するメカニズムが必要です。第三に、ルールも実行メカニズムも、それぞれの参加者を均等に扱うべきです。第四に、ルールから生まれる政治干渉への誘惑は避けるべきです。最後に、ルールを実行する負担は、できるだけ軽く、できるだけ公平にすべきです。
現時点での日本の規制制度は、すべての項目で満点をとったと言えないでしょう。この意味では、本日議論されている提案は褒めるべきものに値します。独立された規制機構はルールの透明性を高めるでしょう。新しくできた組織が、自分の存在感をつくるために、はっきりした実行メカニズムをつくると思われます。その上、独立された規制機構は、管轄問題から生ずる対立が少なくなると思われます。すべての金融機関を対等に取り扱うことは、政治干渉の誘惑を少なくするでしょう。
まず言っておきたいことですが、監督庁の案も、金融委員会の案も、現時点での制度にまさるでしょう。しかし、両提案には相違点が四つあると思われます。すなわち、規制当局の地位、規制を取り巻く経済的なインセンティブ、資源の面から見た規制のコスト、そして市場の受けとめ方の四つです。これからその一つ一つを論じていきたいと思います。
規制当局の地位に関しては、まず幾つかの事実を挙げてみたいと思います。
まず、政府案では、金融監督庁はいわゆる三条機関となりますが、金融監督庁の長官には次官級の人がつくことが想定されています。そして、長官の任期は三年です。監督庁の最終決定権限は内閣総理大臣にあります。
金融委員会案では、規制当局は同じく三条機関となります。しかし、総裁は、閣僚と同様な地位を持ち、任期は五年となります。規制上の決断の最終権限は金融委員会総裁にあります。
問題は、規制当局の効率は地位が高いほどよくなるかという点です。答えは恐らくイエスだと思います。長官は、その判断が政治家である上司にチェックされますが、総裁の場合はそのようなことはありません。中身のある改革の実効を上げるには、三年の任期は短過ぎるおそれがあります。また、三年という任期は、実効性のある政策遂行のためのポジションというより、官僚の忠実な職務遂行に対する御褒美に成り下がる余地が残ります。
一方、金融委員会案では、総裁という地位は高く、規制制度の決定がより尊重される効果を持つと思われます。この地位は、その他の大臣からの干渉を抑制されます。政治力を使って規制当局の決定に影響しようとする、あるいはそういう影響をねらう規制される側もちゅうちょするでしょう。その上、総裁の五年間の任期は、総裁の実行力をふやすでしょう。
米国では、大統領は規制問題に介入する権限は持ちません。それどころか、高級官僚が介入の気配を見せただけで解任されたこともあります。米国が規制に関して犯した戦後最大の失敗は、八九年の貯蓄銀行SアンドLの破綻でしたが、これは一部の財務省高官が、選挙の年にみずからの管轄内金融業界の問題が露見することを恐れたことが一つの原因となりました。米国の失敗から学ぶべき教訓は明らかです。すなわち、選挙を経て地位を得る人々から規制をできるだけ遠ざけろということです。
経済のインセンティブという点でも、この二つの案には違いがあります。監督庁案では、監督庁の職員のほとんどは大蔵省から出向となるでしょう。大蔵省と監督庁の間で人事が往復することも認められるでしょう。その結果、監督庁が大蔵省に残るその他の機能と密接な関係を持つことになると思われます。さらに、監督庁案では、地方の財務局の役割が変わりません。
では、金融委員会案の方はどこが違いますか。問題解決のためにはどの道具があるかが主な違いだと思います。金融委員会は税制に対する権限はありません。予算への請求権もありません。しかし、金融政策の権限があります。ここに一つの危険をはらんでいます。金融委員会が間違いを起こせば、それを直すためにインフレを使うおそれがあります。しかし、日銀法に物価安定を義務づけることによって、このリスクは少なくなるでしょう。金融委員会案では、厳格な運営に対するインセンティブが強いのでしょう。
監督庁の案も、金融委員会の案も、リスクが存在しています。監督庁案は財政リスクがあります。金融委員会案はインフレのリスクがあります。日本はもう既に大きな財政問題があるので、金融委員会案はリスクのバランスをとる観点から見れば魅力があると思われます。
資源コストも非常に重要な問題です。高齢化は日本が直面する最も深刻な経済問題です。経済政策に関するあらゆる決定は、この問題を念頭に置いて行う必要があります。
ここにおられるどなた様も、政府の外庁は雑草のようなものだということは御存じだと思います。一たん芽を出すと、その成長をとめることは至難のわざです。日本では、人口が減少する中、生産性を高める必要に迫られています。新しい外庁の拡大は避けられないとわかっているのに、今それをつくるべきでしょうか。貴重な資源を節約するという見地から見れば、自動的なルールを強化して、裁量を必要とする規制制度を縮小する方が賢明ではありませんでしょうか。
この点、米国の例は反面教師となるでしょう。米国は、証券会社や業態別の銀行、保険会社などを対象に規制当局がひしめいています。その結果、各分野に特化した弁護士過剰になっています。日本は、米国の成功からだけではなく、失敗から学ぶことができます。
最後に、規制制度の改正を投資家がどう受けとめるかは非常に重要です。
監督庁案は、確かに一歩前進だというのが市場の大方の見方でしょう。しかし、大蔵省の監督庁に対する権限は引き続き強大となるため、規制制度は時代が必要とする速度と度合いで進化するかに関しては、疑問が残ると思われます。こうした中で監督庁が独立性と信認を確立するのは、金融委員会以上に難しいでしょう。
もちろん金融委員会の場合も、最終的には行動をもってみずから標榜する独立性と厳格さを証明しなければならないでしょう。しかし、新しい規制制度の見た目が旧制度と全く違う方が、再び信認を築くのは容易と思われます。五年任期のある大臣級の地位を持つ総裁が率いる規制機構は、投資家からの見た目がよろしいでしょう。
ここでも米国の例が役に立ちます。FRB、連邦準備銀行制度は、規制当局として高い信認を得ています。証券取引委員会も同様です。この二つの機関が独立性と厳格さを確立しているおかげで、米国の金融機関は規制にかかわる問題が生じたときでも、比較的容易にそれを克服できます。その例から読み取れる教訓ははっきりしています。つまり、厳格な取り締まりが公正な市場を生むということです。
最後につけ加えたいことですけれども、時間がないということです。日本の信頼性が問われています。しかも、高齢化は待ったなしで進むため、徐々にコンセンサスを築いていくという日本の伝統的なやり方で対応する余裕はありません。確かに監督庁案の方が実行しやすいです。過渡期のコストも低いでしょう。しかし、監督庁案より成果を上げる可能性は金融委員会案にあると思われます。
御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →いわゆる外人がこのような席でお話しする機会はそれほど多くないと思いますので、まず、簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。
私は、マサチューセッツ工科大学で博士号を取り、現在、エコノミストとして働いています。現在は、米国の証券会社ソロモン・ブラザーズで日本担当の首席エコノミストを務めております。その前は、国際通貨基金、IMFに六年間勤務していました。私の日本研究は、二十八年前、交換留学生として名古屋の南山高校で一年間を過ごした時期にさかのぼります。
現在私たちが直面している問題は非常に深刻です。日本の金融システムは信頼喪失の危機に瀕しています。こうしたことが今後も続いてよいはずはありません。これは、正義の問題のみならず、生き残りの問題でもあります。金融システムは資本を配分します。効率的な資本配分は、日本が生活水準を落とさずに高齢化の時代を生き抜くための唯一の方法です。
規制制度は、効率的な資本配分にとって欠くことのできない要素です。これがうまく機能しなければ、生活水準は悪化します。現行の規制制度が破綻しているのはだれの目にも明らかです。修復が必要なのです。ここで問題となるのは、現在提出されている二つの改革案のうち、どちらがよりすぐれた方法かということです。
規制制度の基本的な役割を復習しましょう。
簡単に言えば、その役割は公正な金融取引を促すことです。金融取引が公正でない場合は、実際の資源が不正を防ぐために使われます。公正でない取引を防ぐ規制制度は経済効率に貢献します。
公正な取引をどのように促すかが問題ですが、必要なことは幾つかあります。第一に、透明なルールは欠かせません。第二に、ルールを透明に実行するメカニズムが必要です。第三に、ルールも実行メカニズムも、それぞれの参加者を均等に扱うべきです。第四に、ルールから生まれる政治干渉への誘惑は避けるべきです。最後に、ルールを実行する負担は、できるだけ軽く、できるだけ公平にすべきです。
現時点での日本の規制制度は、すべての項目で満点をとったと言えないでしょう。この意味では、本日議論されている提案は褒めるべきものに値します。独立された規制機構はルールの透明性を高めるでしょう。新しくできた組織が、自分の存在感をつくるために、はっきりした実行メカニズムをつくると思われます。その上、独立された規制機構は、管轄問題から生ずる対立が少なくなると思われます。すべての金融機関を対等に取り扱うことは、政治干渉の誘惑を少なくするでしょう。
まず言っておきたいことですが、監督庁の案も、金融委員会の案も、現時点での制度にまさるでしょう。しかし、両提案には相違点が四つあると思われます。すなわち、規制当局の地位、規制を取り巻く経済的なインセンティブ、資源の面から見た規制のコスト、そして市場の受けとめ方の四つです。これからその一つ一つを論じていきたいと思います。
規制当局の地位に関しては、まず幾つかの事実を挙げてみたいと思います。
まず、政府案では、金融監督庁はいわゆる三条機関となりますが、金融監督庁の長官には次官級の人がつくことが想定されています。そして、長官の任期は三年です。監督庁の最終決定権限は内閣総理大臣にあります。
金融委員会案では、規制当局は同じく三条機関となります。しかし、総裁は、閣僚と同様な地位を持ち、任期は五年となります。規制上の決断の最終権限は金融委員会総裁にあります。
問題は、規制当局の効率は地位が高いほどよくなるかという点です。答えは恐らくイエスだと思います。長官は、その判断が政治家である上司にチェックされますが、総裁の場合はそのようなことはありません。中身のある改革の実効を上げるには、三年の任期は短過ぎるおそれがあります。また、三年という任期は、実効性のある政策遂行のためのポジションというより、官僚の忠実な職務遂行に対する御褒美に成り下がる余地が残ります。
一方、金融委員会案では、総裁という地位は高く、規制制度の決定がより尊重される効果を持つと思われます。この地位は、その他の大臣からの干渉を抑制されます。政治力を使って規制当局の決定に影響しようとする、あるいはそういう影響をねらう規制される側もちゅうちょするでしょう。その上、総裁の五年間の任期は、総裁の実行力をふやすでしょう。
米国では、大統領は規制問題に介入する権限は持ちません。それどころか、高級官僚が介入の気配を見せただけで解任されたこともあります。米国が規制に関して犯した戦後最大の失敗は、八九年の貯蓄銀行SアンドLの破綻でしたが、これは一部の財務省高官が、選挙の年にみずからの管轄内金融業界の問題が露見することを恐れたことが一つの原因となりました。米国の失敗から学ぶべき教訓は明らかです。すなわち、選挙を経て地位を得る人々から規制をできるだけ遠ざけろということです。
経済のインセンティブという点でも、この二つの案には違いがあります。監督庁案では、監督庁の職員のほとんどは大蔵省から出向となるでしょう。大蔵省と監督庁の間で人事が往復することも認められるでしょう。その結果、監督庁が大蔵省に残るその他の機能と密接な関係を持つことになると思われます。さらに、監督庁案では、地方の財務局の役割が変わりません。
では、金融委員会案の方はどこが違いますか。問題解決のためにはどの道具があるかが主な違いだと思います。金融委員会は税制に対する権限はありません。予算への請求権もありません。しかし、金融政策の権限があります。ここに一つの危険をはらんでいます。金融委員会が間違いを起こせば、それを直すためにインフレを使うおそれがあります。しかし、日銀法に物価安定を義務づけることによって、このリスクは少なくなるでしょう。金融委員会案では、厳格な運営に対するインセンティブが強いのでしょう。
監督庁の案も、金融委員会の案も、リスクが存在しています。監督庁案は財政リスクがあります。金融委員会案はインフレのリスクがあります。日本はもう既に大きな財政問題があるので、金融委員会案はリスクのバランスをとる観点から見れば魅力があると思われます。
資源コストも非常に重要な問題です。高齢化は日本が直面する最も深刻な経済問題です。経済政策に関するあらゆる決定は、この問題を念頭に置いて行う必要があります。
ここにおられるどなた様も、政府の外庁は雑草のようなものだということは御存じだと思います。一たん芽を出すと、その成長をとめることは至難のわざです。日本では、人口が減少する中、生産性を高める必要に迫られています。新しい外庁の拡大は避けられないとわかっているのに、今それをつくるべきでしょうか。貴重な資源を節約するという見地から見れば、自動的なルールを強化して、裁量を必要とする規制制度を縮小する方が賢明ではありませんでしょうか。
この点、米国の例は反面教師となるでしょう。米国は、証券会社や業態別の銀行、保険会社などを対象に規制当局がひしめいています。その結果、各分野に特化した弁護士過剰になっています。日本は、米国の成功からだけではなく、失敗から学ぶことができます。
最後に、規制制度の改正を投資家がどう受けとめるかは非常に重要です。
監督庁案は、確かに一歩前進だというのが市場の大方の見方でしょう。しかし、大蔵省の監督庁に対する権限は引き続き強大となるため、規制制度は時代が必要とする速度と度合いで進化するかに関しては、疑問が残ると思われます。こうした中で監督庁が独立性と信認を確立するのは、金融委員会以上に難しいでしょう。
もちろん金融委員会の場合も、最終的には行動をもってみずから標榜する独立性と厳格さを証明しなければならないでしょう。しかし、新しい規制制度の見た目が旧制度と全く違う方が、再び信認を築くのは容易と思われます。五年任期のある大臣級の地位を持つ総裁が率いる規制機構は、投資家からの見た目がよろしいでしょう。
ここでも米国の例が役に立ちます。FRB、連邦準備銀行制度は、規制当局として高い信認を得ています。証券取引委員会も同様です。この二つの機関が独立性と厳格さを確立しているおかげで、米国の金融機関は規制にかかわる問題が生じたときでも、比較的容易にそれを克服できます。その例から読み取れる教訓ははっきりしています。つまり、厳格な取り締まりが公正な市場を生むということです。
最後につけ加えたいことですけれども、時間がないということです。日本の信頼性が問われています。しかも、高齢化は待ったなしで進むため、徐々にコンセンサスを築いていくという日本の伝統的なやり方で対応する余裕はありません。確かに監督庁案の方が実行しやすいです。過渡期のコストも低いでしょう。しかし、監督庁案より成果を上げる可能性は金融委員会案にあると思われます。
御清聴ありがとうございました。拍手
綿
中
中北徹#6
○中北参考人 本日、このような高いお席にお招きいただきまして、大変光栄かつ感謝をする次第であります。
金融監督庁の権限及び機能、組織形態について論議いたしますことは、今般の行政改革の方向について論ずることと等しいわけでありますが、それにもとどまらず、首相らが提唱する二〇〇一年ビッグバンのインフラについても論ずることになるかと思います。
戦後五十年、奇跡とも言える戦後の復興、高度成長を裏方として支えてきた行政のそのまた中心の役割を果たしてきた役所が大蔵省であったということは、だれもが認めることだと思います。財政と金融は一体とする主張は、高度成長期に大蔵省が、一国の経済政策は全体として調和している必要があり、そのためには単一の主体、すなわち大蔵大臣が財政・金融政策の両方を決めた方がよいと一貫して述べてきたことから生じております。
確かに、大蔵省が財政投融資を含む予算と金利決定権を、右手と左手を同時に持つことにより、予算の大盤振る舞いが可能であったし、また、低金利政策により、それが景気を刺激し、経済を浮揚させ、拡大させることも可能であったわけであります。財政政策と金融政策の調和は、いわゆるポリシーミックスとして機能し、経済を持続的に発展させることにあずかったと言えます。
しかし、資金過剰の局面に入った一九七〇年代末期から、既に日本は、それまでの高度成長型経済の手法から市場メカニズムに即した先進国型経済への移行を求められておりました。集中豪雨のごとき輸出が主導する経済成長の結果、累積した巨大な貿易黒字が皮肉にも日本の市場開放を促したのであります。
八五年のプラザ合意以降、日本は円高を容認し、閉ざされていた日本市場をあけ、規制緩和による内需主導の経済へと転換しました。それは当然のことでありましたが、急激な円高のあおりを受けた輸出企業を中心に円高不況対策の声が強まり、その対応が超低金利政策となり、長期にわたる緩和はバブルを生んだのであります。
同時並行的に進めていた金融の自由化は質的な転換を求められていたはずでありましたが、従来からの業界の利害の調整と大蔵省による金融業界への大幅な介入による我が国金融市場の不透明とにより、自由化は不徹底にならざるを得ず、バブルの崩壊後には、銀行業の質的転換ではなくして、土地、株式に貸し付けた債務が膨大な不良債権の山を築くことになったのであります。
この反省が、金融と財政政策の分離であり、日銀法改正による日銀の行政府からの独立となり、金融政策を担う必要のなくなった大蔵省から金融行政を引き離し、かねて業者行政を行い裁量行政の温床ともなったと思われる金融機関への検査を独立させ、引き離す今回の政策へとつながっていったのであります。
以上の反省を忘れて大蔵省の改革及び金融監督庁について議論をしたのでは何のためにもなりません。何の改革でありましょうか。
世界の趨勢は、金融政策と財政政策を切り離すことにより財政自身の規律を確保する方向にあります。財政のファイナンスも市場を通じて行うことにより、市場メカニズムの規律を受けるわけであります。
日銀法改正に関連して一言申し述べれば、日銀の政府からの独立は、政府の銀行としての機能を一部放棄しようとするものであります。なぜならば、政府の銀行と発券銀行としての日銀、すなわち通貨量を決め、金融政策の主体としての中央銀行、これら二つの機能は利害相反する業務であり、分離する方が理にかなっているからでございます。歴史的にこの二つの機能が共存して中央銀行にあったのは、単にその方が便利であったからにすぎません。本来は、国債管理政策の企画部門だけを財政当局が行い、実際のオペレーション、すなわち入札、決済などは民間の機構にアウトソーシングすれば済むはずのものでございます。そして、この金融市場は開かれた、かつ公正なルールにより運営されることが今や求められております。
中央銀行の業務の中にあって利益相反を生みかねない業務は、中央銀行の本分に照らして見直し、政府に返還するのがよいのであります。FBなど政府短期証券の引き受けは言わずもがな、現在の大蔵省の下請として行っている国債の入札事務、発行された国債の決済業務、国庫収入の出納業務、政府資金繰りの管理などはすべて大蔵省に大政奉還し、大蔵省はこれらの業務を民間に委託すればよい。ビジネスとすれば透明度も高め、国債入札時にあの儀式張った集まりなど持つ必要もなくなるわけであります。
財政と金融の分離に関して述べれば、さらに注意を促したいことが一点ございます。
財政と金融の分離といった場合、当然、財政政策と金融政策、すなわちマネタリーポリシーの分離を通常意味します。しかし、金融はイコール金融政策ではございません。金融政策の分離は、金融政策に対して大蔵省が口出しをし、それをほしいままにするということができないことは今や明らかでありますが、財政当局が金融行政、すなわちフィナンシャルレギュレーションを行う必然性がないこともまた明らかにしなければなりません。
既に申し述べましたとおり、財政と金融が一体であったのは、歴史的に、一国の財政運営上、利害相反という概念が生じないほど未分化のまま有効に機能してきたからであります。しかし、今日のように財政赤字が膨れ上がっている状況のもとで、そして他方、金融市場が厚みを増している中にあって、さらに金融と財政が癒着を深めることは国家基盤をさえ危うくするものであります。財政当局である大蔵省は財政運営のみに力を注ぐべきであって、財政運営もまた市場の原理に従うという意味において金融市場を分析する部署が万が一必要だというのであれば理解できるわけでありますが、それが業者である金融機関の監督や規制に短絡するというのでは筋が通らない話であります。
さらに、金融機関の破綻に関して公的資金を導入する意味で、両者は密接な関連を持つがごとき論議がございますが、これこそ財政と金融の利害相反にほかならず、財政を投入するに当たって厳しいチェック機能が働くように守るべきだからこそ、相互に自立し、機関として分離されているべきであります。
限られた時間の中でもう一言申し述べさせていただきます。
今回、金融監督庁を総理府のもとに置き、独立した検査監督権限を持つ外局を新設することになったわけであります。財政当局からの金融の分離を実効あらしめるためには、その目的を明確にする必要がございます。単に分離し、場所を変えればよいというのでは全く意味がございません。
金融監督庁の設立の目的とするところは、日本の金融市場を内外にわたって開かれた透明度の高いものにし、公正なルールを確立することにより、我が国金融市場に対する内外からの信頼をかち得ることにございます。
多発する金融犯罪及びその萌芽としてのいかがわしき行為が万が一あるのであれば、これに機動的に対処できる査察、告発権限を持つ監視機構をつくることであり、また、不正が生じた場合には迅速かつ厳格な対応をすることでございます。こうしたインフラなくして金融市場のルールや透明性を守ることは不可能であります。ビッグバンの理念であるフリー、フェア、グローバルな市場とは一体何によって担保されるのでございましょうか。
旧来の財政当局による一元的な、社会政策的な金融行政から市場型規律への移行を実現するためには、何が必要なのだろうか。マーケットの参加者、すなわちプレーヤーの自覚が必要であることは言うまでもありません。プレーヤー、参加者にディスクロージャーの義務があることも当然でございます。しかし、もしや不心得者がいて、マーケットの規律を乱しアンフェアな行為をしたとして、それにだれがどう対処するか、これこそが問題であるわけであります。
これまでは免許行政で、行政側にその責任の一端があり、何か事が起きれば行政に改善の術と方策とを与え、許認可権を盾に行政が業者を処分し、結果として規制を強めるというやり方であったわけであります。しかし、これぞまさに業者行政であり、そこには裁量が横たわり、不明朗な癒着も起き得るわけであります。それは住専問題や金融機関の破綻によって証明されたところであります。
行政側は時にディスクロージャーさえ抑制し、マーケットの規律や透明性に反する行為さえ行う。バブル崩壊後、即座に不良債権の処理が進まなかったのは一体なぜか。不良債権の存在さえ明らかにさせなかった行政側に責任の半ばはあると言わざるを得ません。
では、この教訓を踏まえ、新設される金融監督庁はいかなる任務と目的を持つべきなのか。
既に申し述べましたとおり、二〇〇一年のビッグバン完了までに、この金融監督庁を実効ある機構として、金融機関の検査、証券取引法に明記される市場参加者、すなわち企業、仲介業者、投資家、これら参加者の違法行為の摘発とそれに対するペナルティーや多様な排除措置などの処分権限を与えること、市場で資金調達を図るものへのディスクローズの義務の徹底、企業ファイナンスの申請の受理、会計基準の見直し等々を行うことであります。
そのためにも、現在まだ大蔵省に残っている証券局企業財務課の機能をこの金融監督庁に移し、公認会計士や税理士、弁護士などの専門家を多く登用し、民間の専門家集団に委託するなどして、膨大な情報量の解析や分析に充てる。この機能は、検査監視を実効あるものとする上で不可欠の機能でございます。
長い目で見て、金融監督庁としても、恐らく独自の企画立案部門を持って、日進月歩する金融にかかわる法律や政令などの見直しを不断に行うことが当然求められてくることでございましょう。
これから最も必要とされる機能で大切なことは、金融市場に新しく登場してくるであろう投信、年金商品、デリバティブズなど多種多様の金融商品を金融監督庁はいかにさばいていくかでございます。玉石混交の金融商品や金融犯罪を選別し、マーケットの破壊を起こさないことでございます。
消費者である一般の個人投資家からすれば、マーケットで提供される商品の違法性、脱法行為を取り締まる公正なルールの執行者、いわば金融警察の役割を期待するところでございます。こうしたインフラがないところでは安心して参加者にはなり得ないのであります。違法行為を監視する機関があればこそ、社会が機能するゆえんであります。法に対する信頼はこれをもって高まり、司法も機能するのであります。司法が機能しない社会では、情実とやみの権力が徘回するしかありません。
最後に、金融を開かれたビジネス、普通の産業にするためにも、行政から独立した金融監督庁がぜひ必要であります。ひっきょう、ビッグバンは何を目指すのか。日本の市場を活性化させ、世界に通用するルールで運営される市場とすることをもって、一千二百兆円の金融資産を生かし、消費者により多くの利益を提供することであり、また、このことは翻って我が国の金融市場と金融システムに対する内外からの信頼を高めるゆえんでもあります。この視点の欠落したビッグバンの議論は不毛かと存じる次第であります。
詳しくは、先生方の御質問の中で誠心誠意お答えさせていただきます。拍手
この発言だけを見る →金融監督庁の権限及び機能、組織形態について論議いたしますことは、今般の行政改革の方向について論ずることと等しいわけでありますが、それにもとどまらず、首相らが提唱する二〇〇一年ビッグバンのインフラについても論ずることになるかと思います。
戦後五十年、奇跡とも言える戦後の復興、高度成長を裏方として支えてきた行政のそのまた中心の役割を果たしてきた役所が大蔵省であったということは、だれもが認めることだと思います。財政と金融は一体とする主張は、高度成長期に大蔵省が、一国の経済政策は全体として調和している必要があり、そのためには単一の主体、すなわち大蔵大臣が財政・金融政策の両方を決めた方がよいと一貫して述べてきたことから生じております。
確かに、大蔵省が財政投融資を含む予算と金利決定権を、右手と左手を同時に持つことにより、予算の大盤振る舞いが可能であったし、また、低金利政策により、それが景気を刺激し、経済を浮揚させ、拡大させることも可能であったわけであります。財政政策と金融政策の調和は、いわゆるポリシーミックスとして機能し、経済を持続的に発展させることにあずかったと言えます。
しかし、資金過剰の局面に入った一九七〇年代末期から、既に日本は、それまでの高度成長型経済の手法から市場メカニズムに即した先進国型経済への移行を求められておりました。集中豪雨のごとき輸出が主導する経済成長の結果、累積した巨大な貿易黒字が皮肉にも日本の市場開放を促したのであります。
八五年のプラザ合意以降、日本は円高を容認し、閉ざされていた日本市場をあけ、規制緩和による内需主導の経済へと転換しました。それは当然のことでありましたが、急激な円高のあおりを受けた輸出企業を中心に円高不況対策の声が強まり、その対応が超低金利政策となり、長期にわたる緩和はバブルを生んだのであります。
同時並行的に進めていた金融の自由化は質的な転換を求められていたはずでありましたが、従来からの業界の利害の調整と大蔵省による金融業界への大幅な介入による我が国金融市場の不透明とにより、自由化は不徹底にならざるを得ず、バブルの崩壊後には、銀行業の質的転換ではなくして、土地、株式に貸し付けた債務が膨大な不良債権の山を築くことになったのであります。
この反省が、金融と財政政策の分離であり、日銀法改正による日銀の行政府からの独立となり、金融政策を担う必要のなくなった大蔵省から金融行政を引き離し、かねて業者行政を行い裁量行政の温床ともなったと思われる金融機関への検査を独立させ、引き離す今回の政策へとつながっていったのであります。
以上の反省を忘れて大蔵省の改革及び金融監督庁について議論をしたのでは何のためにもなりません。何の改革でありましょうか。
世界の趨勢は、金融政策と財政政策を切り離すことにより財政自身の規律を確保する方向にあります。財政のファイナンスも市場を通じて行うことにより、市場メカニズムの規律を受けるわけであります。
日銀法改正に関連して一言申し述べれば、日銀の政府からの独立は、政府の銀行としての機能を一部放棄しようとするものであります。なぜならば、政府の銀行と発券銀行としての日銀、すなわち通貨量を決め、金融政策の主体としての中央銀行、これら二つの機能は利害相反する業務であり、分離する方が理にかなっているからでございます。歴史的にこの二つの機能が共存して中央銀行にあったのは、単にその方が便利であったからにすぎません。本来は、国債管理政策の企画部門だけを財政当局が行い、実際のオペレーション、すなわち入札、決済などは民間の機構にアウトソーシングすれば済むはずのものでございます。そして、この金融市場は開かれた、かつ公正なルールにより運営されることが今や求められております。
中央銀行の業務の中にあって利益相反を生みかねない業務は、中央銀行の本分に照らして見直し、政府に返還するのがよいのであります。FBなど政府短期証券の引き受けは言わずもがな、現在の大蔵省の下請として行っている国債の入札事務、発行された国債の決済業務、国庫収入の出納業務、政府資金繰りの管理などはすべて大蔵省に大政奉還し、大蔵省はこれらの業務を民間に委託すればよい。ビジネスとすれば透明度も高め、国債入札時にあの儀式張った集まりなど持つ必要もなくなるわけであります。
財政と金融の分離に関して述べれば、さらに注意を促したいことが一点ございます。
財政と金融の分離といった場合、当然、財政政策と金融政策、すなわちマネタリーポリシーの分離を通常意味します。しかし、金融はイコール金融政策ではございません。金融政策の分離は、金融政策に対して大蔵省が口出しをし、それをほしいままにするということができないことは今や明らかでありますが、財政当局が金融行政、すなわちフィナンシャルレギュレーションを行う必然性がないこともまた明らかにしなければなりません。
既に申し述べましたとおり、財政と金融が一体であったのは、歴史的に、一国の財政運営上、利害相反という概念が生じないほど未分化のまま有効に機能してきたからであります。しかし、今日のように財政赤字が膨れ上がっている状況のもとで、そして他方、金融市場が厚みを増している中にあって、さらに金融と財政が癒着を深めることは国家基盤をさえ危うくするものであります。財政当局である大蔵省は財政運営のみに力を注ぐべきであって、財政運営もまた市場の原理に従うという意味において金融市場を分析する部署が万が一必要だというのであれば理解できるわけでありますが、それが業者である金融機関の監督や規制に短絡するというのでは筋が通らない話であります。
さらに、金融機関の破綻に関して公的資金を導入する意味で、両者は密接な関連を持つがごとき論議がございますが、これこそ財政と金融の利害相反にほかならず、財政を投入するに当たって厳しいチェック機能が働くように守るべきだからこそ、相互に自立し、機関として分離されているべきであります。
限られた時間の中でもう一言申し述べさせていただきます。
今回、金融監督庁を総理府のもとに置き、独立した検査監督権限を持つ外局を新設することになったわけであります。財政当局からの金融の分離を実効あらしめるためには、その目的を明確にする必要がございます。単に分離し、場所を変えればよいというのでは全く意味がございません。
金融監督庁の設立の目的とするところは、日本の金融市場を内外にわたって開かれた透明度の高いものにし、公正なルールを確立することにより、我が国金融市場に対する内外からの信頼をかち得ることにございます。
多発する金融犯罪及びその萌芽としてのいかがわしき行為が万が一あるのであれば、これに機動的に対処できる査察、告発権限を持つ監視機構をつくることであり、また、不正が生じた場合には迅速かつ厳格な対応をすることでございます。こうしたインフラなくして金融市場のルールや透明性を守ることは不可能であります。ビッグバンの理念であるフリー、フェア、グローバルな市場とは一体何によって担保されるのでございましょうか。
旧来の財政当局による一元的な、社会政策的な金融行政から市場型規律への移行を実現するためには、何が必要なのだろうか。マーケットの参加者、すなわちプレーヤーの自覚が必要であることは言うまでもありません。プレーヤー、参加者にディスクロージャーの義務があることも当然でございます。しかし、もしや不心得者がいて、マーケットの規律を乱しアンフェアな行為をしたとして、それにだれがどう対処するか、これこそが問題であるわけであります。
これまでは免許行政で、行政側にその責任の一端があり、何か事が起きれば行政に改善の術と方策とを与え、許認可権を盾に行政が業者を処分し、結果として規制を強めるというやり方であったわけであります。しかし、これぞまさに業者行政であり、そこには裁量が横たわり、不明朗な癒着も起き得るわけであります。それは住専問題や金融機関の破綻によって証明されたところであります。
行政側は時にディスクロージャーさえ抑制し、マーケットの規律や透明性に反する行為さえ行う。バブル崩壊後、即座に不良債権の処理が進まなかったのは一体なぜか。不良債権の存在さえ明らかにさせなかった行政側に責任の半ばはあると言わざるを得ません。
では、この教訓を踏まえ、新設される金融監督庁はいかなる任務と目的を持つべきなのか。
既に申し述べましたとおり、二〇〇一年のビッグバン完了までに、この金融監督庁を実効ある機構として、金融機関の検査、証券取引法に明記される市場参加者、すなわち企業、仲介業者、投資家、これら参加者の違法行為の摘発とそれに対するペナルティーや多様な排除措置などの処分権限を与えること、市場で資金調達を図るものへのディスクローズの義務の徹底、企業ファイナンスの申請の受理、会計基準の見直し等々を行うことであります。
そのためにも、現在まだ大蔵省に残っている証券局企業財務課の機能をこの金融監督庁に移し、公認会計士や税理士、弁護士などの専門家を多く登用し、民間の専門家集団に委託するなどして、膨大な情報量の解析や分析に充てる。この機能は、検査監視を実効あるものとする上で不可欠の機能でございます。
長い目で見て、金融監督庁としても、恐らく独自の企画立案部門を持って、日進月歩する金融にかかわる法律や政令などの見直しを不断に行うことが当然求められてくることでございましょう。
これから最も必要とされる機能で大切なことは、金融市場に新しく登場してくるであろう投信、年金商品、デリバティブズなど多種多様の金融商品を金融監督庁はいかにさばいていくかでございます。玉石混交の金融商品や金融犯罪を選別し、マーケットの破壊を起こさないことでございます。
消費者である一般の個人投資家からすれば、マーケットで提供される商品の違法性、脱法行為を取り締まる公正なルールの執行者、いわば金融警察の役割を期待するところでございます。こうしたインフラがないところでは安心して参加者にはなり得ないのであります。違法行為を監視する機関があればこそ、社会が機能するゆえんであります。法に対する信頼はこれをもって高まり、司法も機能するのであります。司法が機能しない社会では、情実とやみの権力が徘回するしかありません。
最後に、金融を開かれたビジネス、普通の産業にするためにも、行政から独立した金融監督庁がぜひ必要であります。ひっきょう、ビッグバンは何を目指すのか。日本の市場を活性化させ、世界に通用するルールで運営される市場とすることをもって、一千二百兆円の金融資産を生かし、消費者により多くの利益を提供することであり、また、このことは翻って我が国の金融市場と金融システムに対する内外からの信頼を高めるゆえんでもあります。この視点の欠落したビッグバンの議論は不毛かと存じる次第であります。
詳しくは、先生方の御質問の中で誠心誠意お答えさせていただきます。拍手
綿
山
山田弘史#8
○山田参考人 国会において意見を述べる機会を与えていただきまして光栄に存じております。
金融監督庁法案並びに関連法案についての政府原案、また修正案も出ておりますけれども、主として政府原案について私の意見を申し述べたいと思います。
昨年六月に決着をいたしました住専の処理に税金投入を政府・与党が強行したということについて、国民の八割、九割から非常に強い批判、意見が出たわけでありますが、その事実上の政策立案者、執行者であった大蔵省に対して、支配力を削減せよ、すべきだという要求が国民の間から広く盛り上がってまいりました。
そして、続きまして昨年十月の総選挙前後に、これは大蔵省に余りに行政権限が集中し過ぎるじゃないかということで、政府・与党におきましてもこれを取り上げ、プロジェクトチーム等においてもそのような議論があった。そして、また同時に、金融政策当局たる日銀への大蔵省の支配があわせて問題になりまして、その批判が高まった。そういった状況に対して、政府・与党が一定の宥和的対応を余儀なくされたというふうに私は見ております。
しかしながら、その直後、十一月に成立をいたしました第二次橋本政権のもとで、重要法案として、金融が重要政策として、金融に大きな関係のあるいわゆるビッグバンというふうに、ビッグバンという言葉は私は余り好きじゃないので使わないのですけれども、いわゆる金融システムの抜本的改革ということが提起をされました。
この金融システム改革というものが出たことによって、さっき申しました一定の宥和的対応、政府・与党の宥和的対応というものが変わってまいりまして、表面を繕っただけのものになってしまったというふうに私は考えております。ビッグバン自体について申しますれば、これは独占、大銀行の金融市場支配を短期間の間に強化しようというものだというふうに私は考えております。
〔委員長退席、野呂田委員長代理着席〕
さて、金融監督庁法案が提出されるに至りました、金融監督体制がいかにあるべきかという体制確立の理念につきましては、私は次のように考えております。
まず、これまでの大蔵省が一元的に担ってまいりました金融監督、それは一口に言って大銀行、大企業のためのものではなかったか。そのためにいろいろな批判が出てきたというふうに思うのでありますけれども、これを国民のための、もともと行政官庁は国民のためのパブリックサーバントとして、金融行政について国民の立場に立ってなすべきであるということが確立の理念の第一であるかと思います。
それから第二に、財政と金融の分離原則。これは最近のヨーロッパその他における状況でもわかりますとおり、資本主義が高度化してまいりまして、国民の所得、福祉を増強するという形の政府の経済政策また財政政策というものが、えてして非常に現在の通貨体制のもとでは通貨の増発というものを招くような方向に流れやすいし、また流れておる。それに対して日本では、日本銀行、やはり通貨の、マネタリーディシプリンと申しますか、金融政策当局として通貨価値の擁護に当たらなくちゃならない、それがえてして大蔵省、財政当局の支配に服する、従属するという形になっております。
また、金融政策と金融行政というものは若干異なるわけでありまして、金融政策はいわば市場政策である、マーケットの政策である。それに対して金融行政というものは、これは規制政策であるというふうに私は考えております。したがって、金融政策を財政から切り離すと同時に、金融行政もまた財政、徴税とか予算の作成、執行等から切り離す必要があるということが一つの原則であるかと思います。
そして、規制緩和ということが一つの経済政策の大きなスローガンになっておりますけれども、この規制緩和について申し上げますと、無限定の規制緩和ということは、私は余り適当ではないのではないか。やはり銀行あるいは金融機関の公共性、社会的責任に照らして、必要な規制は行わなければならないというふうに私は考えております。
また、これは国際的な観点から申しましても、バーゼルにありますBIS、国際決済銀行において最近公表されました、いわゆるバーゼル銀行監督委員会の銀行監督原則、二十五項目の原則に従ってやろうではないかと各国の中央銀行総裁の合意のもとにそれが出ておりますけれども、それの一項目に、銀行が高水準の倫理的、職業的基準を促進し、犯罪分子に用いられることを防ぐルールを確認する必要がある、すなわち倫理性というものが強調されております。金融機関というものは、公共性、社会的責任からして高い倫理性を持たないと、えてして最近のような不祥事に流れやすいということは言うまでもございませんけれども、そういう国際的な合意もあるということとも照らし合わせまして、やはりそのような三つの原則、大企業、大銀行のためではない、また、財政と金融を分離をする、無限定な規制緩和ではなくて必要な規制はこれを行う、また、倫理性を高めるという原則を持って金融監督に臨むべきであるというふうに私は考えます。
提出をされております政府案、政府原案の金融監督庁法案並びに関係法律の整備に関する法案でありますけれども、そのような、さっき申し上げました大蔵省批判の原点、また監督の理念というところから申しますと、余りにも大きな欠落があるというふうに私は考えております。法案の内容、これは金融監督庁の設置、また任務等の基本的な点の規定であるかもしれないけれども、余りにそっけない、法三章的な規定ではあるまいか。八一年に銀行法が新しくできましたときにも、いわゆる訓示規定を含んで、社会的責任に立った銀行のあり方というものが規定をされておる。これは銀行あるいは金融機関の監督についての基本的な法律でありますので、もう少ししっかりした法律であってもいいのではないかというふうに思います。
そして、いろいろございますけれども、基本的な点、二つ三つ申し上げますと、設置形態として、金融監督庁という総理府の外局、一応大蔵省とは切り離すけれども、外局、外庁という形態、これよりも私は、昨年九月の与党三党の合意にもあったように思うのですけれども、いつの間にかそうではなくなった、やはり公正取引委員会型の、同じ三条機関でも公正取引委員会型の独立した行政委員会という形であるべきだというのが一つでございます。
また、銀行の検査の機能、これを担うわけでありますけれども、やはりこれは関連法案という、あるいは関連の行政ということにかかわるかもしれませんけれども、人員が余りにも少ない。日本では金融機関検査五百七十六人、九七年度の定員が。アメリカでは、各種の検査機関がございますけれども、合わせると六千人以上の検査人員が携わっておる。こういう点からいっても、やはり検査をもっと充実させる必要があるというふうに思います。
それから、金融監督庁の法案の三条に任務ということがございます。預金者、保険契約者、それから有価証券の投資者を保護ということをうたっております。これは非常に適切なことでありますけれども、私は、それに加えてやはり、後で申しますけれども、最近、銀行による個人債務者の被害が続出しておる、そういう点から、借入人等銀行取引者全般に対して保護を促進をするという必要があるのではないかというふうに考えます。
先ほど指摘がございましたけれども、またその他にディスクロージャー、大蔵省が権限を持って非常に多くの金融のデータを持っております。それをやはりディスクローズするということが今まで行われていなかったということがいろいろな不正、不祥事にも関連してきている。やはりこのディスクロージャーというものをもっと充実してもらいたいということでございます。
先ほど申しました、公正取引委員会型の委員会になりますと、これは立法論としていろいろございましょうけれども、準司法機能を持つ委員会ということになりますと、調査あるいは告発ということが可能になる。現在、証券取引等監視委員会が八条機関として大蔵省にあるものが、新しい金融監督庁法案では、三条機関の金融監督庁にそのまま八条機関として附属をするという形になるようでありますけれども、やはり公正取引委員会型の行政委員会になりますと、準司法機能を持って検査、告発、これは最近、野村証券のあれがございました。それは第一勧銀からお金が出ているという、やはりこれは片手落ちといいますか、非常に著しく均衡を欠くことではないか。つまり、証券取引に関して証券会社等の調査、告発はできるけれども、銀行の非違に対してこれを是正する機能が欠けているということはこれは大きな欠落でありまして、そういう点をぜひ法案においては挿入されるべきではあるまいかと思っております。
せっかく機会を与えられましたので、この際、もう一つ、消費者、個人債務者保護のための銀行監督の強化について一言申し上げておきたいというふうに思います。
消費者の銀行被害、銀行の、特にバブル期における過剰融資、押しつけ融資といってもいい、そのような融資が横行した。それについての消費者、個人債務者の被害が続出をし、それが司法の場においても六百何件という、変額保険あるいは不動産共同投資、この変額保険だけでも六百件を上回る訴訟が起きている。それに対して、一部、銀行の非違を正す原告勝訴の判決も出ておりますけれども、大部分はやはり時間もかかるし、なかなか被害者の意見を聞いてもらえない。
私、弁護士さんなんかと一緒にこの被害者の声を直接聞く機会がありましたので非常にそのことを強く感じるわけでありますけれども、銀行の過剰融資に対する社会問題化しているこういうことについて、やはり監督体制の上でも一定の処置がなされるべきではあるまいかというふうに思います。
先ほど申しました、取引者、借入者の保護ということを明記すると同時に、例えば行政委員会、公取委型の行政委員会になりますと、消費者問題についての識見、経験を持ち、またその利益を代表することのできる者を委員に任命するということも可能であります。
そのようなことを含めまして、さらにこの法律、あるいはこれは基本法でございますので関連の法律になるかと思いますけれども、現在、金融制度調査会金融機能活性化委員会において、これら金融消費者保護の立法が必要であるという意見も出されておるように聞いております。そのような法律もあわせてやはり銀行の非違を正し、あるいはこのような不正、不祥事がなくなるような監督体制の確立。関連をして仲裁制度、アメリカにおいては非常に普及しております仲裁制度というものも日本ではもっと考えられていいのではないかというふうに考えております。仲裁制度、また、先ほど申し上げました統一消費者信用保護法ということをぜひ法案あるいは関連法案に加えていただくということを要望いたしたいと思います。
現在、全国銀行の貸付残高の業種別残高で一番シェアが多いのは、実は個人向けなんですね。九五年の残高で一六・七%ということが出ております。そのような状況からいっても、個人債務者、消費者保護のための銀行監督体制の強化ということが必要であるというふうに私は考えております。
どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →金融監督庁法案並びに関連法案についての政府原案、また修正案も出ておりますけれども、主として政府原案について私の意見を申し述べたいと思います。
昨年六月に決着をいたしました住専の処理に税金投入を政府・与党が強行したということについて、国民の八割、九割から非常に強い批判、意見が出たわけでありますが、その事実上の政策立案者、執行者であった大蔵省に対して、支配力を削減せよ、すべきだという要求が国民の間から広く盛り上がってまいりました。
そして、続きまして昨年十月の総選挙前後に、これは大蔵省に余りに行政権限が集中し過ぎるじゃないかということで、政府・与党におきましてもこれを取り上げ、プロジェクトチーム等においてもそのような議論があった。そして、また同時に、金融政策当局たる日銀への大蔵省の支配があわせて問題になりまして、その批判が高まった。そういった状況に対して、政府・与党が一定の宥和的対応を余儀なくされたというふうに私は見ております。
しかしながら、その直後、十一月に成立をいたしました第二次橋本政権のもとで、重要法案として、金融が重要政策として、金融に大きな関係のあるいわゆるビッグバンというふうに、ビッグバンという言葉は私は余り好きじゃないので使わないのですけれども、いわゆる金融システムの抜本的改革ということが提起をされました。
この金融システム改革というものが出たことによって、さっき申しました一定の宥和的対応、政府・与党の宥和的対応というものが変わってまいりまして、表面を繕っただけのものになってしまったというふうに私は考えております。ビッグバン自体について申しますれば、これは独占、大銀行の金融市場支配を短期間の間に強化しようというものだというふうに私は考えております。
〔委員長退席、野呂田委員長代理着席〕
さて、金融監督庁法案が提出されるに至りました、金融監督体制がいかにあるべきかという体制確立の理念につきましては、私は次のように考えております。
まず、これまでの大蔵省が一元的に担ってまいりました金融監督、それは一口に言って大銀行、大企業のためのものではなかったか。そのためにいろいろな批判が出てきたというふうに思うのでありますけれども、これを国民のための、もともと行政官庁は国民のためのパブリックサーバントとして、金融行政について国民の立場に立ってなすべきであるということが確立の理念の第一であるかと思います。
それから第二に、財政と金融の分離原則。これは最近のヨーロッパその他における状況でもわかりますとおり、資本主義が高度化してまいりまして、国民の所得、福祉を増強するという形の政府の経済政策また財政政策というものが、えてして非常に現在の通貨体制のもとでは通貨の増発というものを招くような方向に流れやすいし、また流れておる。それに対して日本では、日本銀行、やはり通貨の、マネタリーディシプリンと申しますか、金融政策当局として通貨価値の擁護に当たらなくちゃならない、それがえてして大蔵省、財政当局の支配に服する、従属するという形になっております。
また、金融政策と金融行政というものは若干異なるわけでありまして、金融政策はいわば市場政策である、マーケットの政策である。それに対して金融行政というものは、これは規制政策であるというふうに私は考えております。したがって、金融政策を財政から切り離すと同時に、金融行政もまた財政、徴税とか予算の作成、執行等から切り離す必要があるということが一つの原則であるかと思います。
そして、規制緩和ということが一つの経済政策の大きなスローガンになっておりますけれども、この規制緩和について申し上げますと、無限定の規制緩和ということは、私は余り適当ではないのではないか。やはり銀行あるいは金融機関の公共性、社会的責任に照らして、必要な規制は行わなければならないというふうに私は考えております。
また、これは国際的な観点から申しましても、バーゼルにありますBIS、国際決済銀行において最近公表されました、いわゆるバーゼル銀行監督委員会の銀行監督原則、二十五項目の原則に従ってやろうではないかと各国の中央銀行総裁の合意のもとにそれが出ておりますけれども、それの一項目に、銀行が高水準の倫理的、職業的基準を促進し、犯罪分子に用いられることを防ぐルールを確認する必要がある、すなわち倫理性というものが強調されております。金融機関というものは、公共性、社会的責任からして高い倫理性を持たないと、えてして最近のような不祥事に流れやすいということは言うまでもございませんけれども、そういう国際的な合意もあるということとも照らし合わせまして、やはりそのような三つの原則、大企業、大銀行のためではない、また、財政と金融を分離をする、無限定な規制緩和ではなくて必要な規制はこれを行う、また、倫理性を高めるという原則を持って金融監督に臨むべきであるというふうに私は考えます。
提出をされております政府案、政府原案の金融監督庁法案並びに関係法律の整備に関する法案でありますけれども、そのような、さっき申し上げました大蔵省批判の原点、また監督の理念というところから申しますと、余りにも大きな欠落があるというふうに私は考えております。法案の内容、これは金融監督庁の設置、また任務等の基本的な点の規定であるかもしれないけれども、余りにそっけない、法三章的な規定ではあるまいか。八一年に銀行法が新しくできましたときにも、いわゆる訓示規定を含んで、社会的責任に立った銀行のあり方というものが規定をされておる。これは銀行あるいは金融機関の監督についての基本的な法律でありますので、もう少ししっかりした法律であってもいいのではないかというふうに思います。
そして、いろいろございますけれども、基本的な点、二つ三つ申し上げますと、設置形態として、金融監督庁という総理府の外局、一応大蔵省とは切り離すけれども、外局、外庁という形態、これよりも私は、昨年九月の与党三党の合意にもあったように思うのですけれども、いつの間にかそうではなくなった、やはり公正取引委員会型の、同じ三条機関でも公正取引委員会型の独立した行政委員会という形であるべきだというのが一つでございます。
また、銀行の検査の機能、これを担うわけでありますけれども、やはりこれは関連法案という、あるいは関連の行政ということにかかわるかもしれませんけれども、人員が余りにも少ない。日本では金融機関検査五百七十六人、九七年度の定員が。アメリカでは、各種の検査機関がございますけれども、合わせると六千人以上の検査人員が携わっておる。こういう点からいっても、やはり検査をもっと充実させる必要があるというふうに思います。
それから、金融監督庁の法案の三条に任務ということがございます。預金者、保険契約者、それから有価証券の投資者を保護ということをうたっております。これは非常に適切なことでありますけれども、私は、それに加えてやはり、後で申しますけれども、最近、銀行による個人債務者の被害が続出しておる、そういう点から、借入人等銀行取引者全般に対して保護を促進をするという必要があるのではないかというふうに考えます。
先ほど指摘がございましたけれども、またその他にディスクロージャー、大蔵省が権限を持って非常に多くの金融のデータを持っております。それをやはりディスクローズするということが今まで行われていなかったということがいろいろな不正、不祥事にも関連してきている。やはりこのディスクロージャーというものをもっと充実してもらいたいということでございます。
先ほど申しました、公正取引委員会型の委員会になりますと、これは立法論としていろいろございましょうけれども、準司法機能を持つ委員会ということになりますと、調査あるいは告発ということが可能になる。現在、証券取引等監視委員会が八条機関として大蔵省にあるものが、新しい金融監督庁法案では、三条機関の金融監督庁にそのまま八条機関として附属をするという形になるようでありますけれども、やはり公正取引委員会型の行政委員会になりますと、準司法機能を持って検査、告発、これは最近、野村証券のあれがございました。それは第一勧銀からお金が出ているという、やはりこれは片手落ちといいますか、非常に著しく均衡を欠くことではないか。つまり、証券取引に関して証券会社等の調査、告発はできるけれども、銀行の非違に対してこれを是正する機能が欠けているということはこれは大きな欠落でありまして、そういう点をぜひ法案においては挿入されるべきではあるまいかと思っております。
せっかく機会を与えられましたので、この際、もう一つ、消費者、個人債務者保護のための銀行監督の強化について一言申し上げておきたいというふうに思います。
消費者の銀行被害、銀行の、特にバブル期における過剰融資、押しつけ融資といってもいい、そのような融資が横行した。それについての消費者、個人債務者の被害が続出をし、それが司法の場においても六百何件という、変額保険あるいは不動産共同投資、この変額保険だけでも六百件を上回る訴訟が起きている。それに対して、一部、銀行の非違を正す原告勝訴の判決も出ておりますけれども、大部分はやはり時間もかかるし、なかなか被害者の意見を聞いてもらえない。
私、弁護士さんなんかと一緒にこの被害者の声を直接聞く機会がありましたので非常にそのことを強く感じるわけでありますけれども、銀行の過剰融資に対する社会問題化しているこういうことについて、やはり監督体制の上でも一定の処置がなされるべきではあるまいかというふうに思います。
先ほど申しました、取引者、借入者の保護ということを明記すると同時に、例えば行政委員会、公取委型の行政委員会になりますと、消費者問題についての識見、経験を持ち、またその利益を代表することのできる者を委員に任命するということも可能であります。
そのようなことを含めまして、さらにこの法律、あるいはこれは基本法でございますので関連の法律になるかと思いますけれども、現在、金融制度調査会金融機能活性化委員会において、これら金融消費者保護の立法が必要であるという意見も出されておるように聞いております。そのような法律もあわせてやはり銀行の非違を正し、あるいはこのような不正、不祥事がなくなるような監督体制の確立。関連をして仲裁制度、アメリカにおいては非常に普及しております仲裁制度というものも日本ではもっと考えられていいのではないかというふうに考えております。仲裁制度、また、先ほど申し上げました統一消費者信用保護法ということをぜひ法案あるいは関連法案に加えていただくということを要望いたしたいと思います。
現在、全国銀行の貸付残高の業種別残高で一番シェアが多いのは、実は個人向けなんですね。九五年の残高で一六・七%ということが出ております。そのような状況からいっても、個人債務者、消費者保護のための銀行監督体制の強化ということが必要であるというふうに私は考えております。
どうもありがとうございました。拍手
野
野
自
自見庄三郎#11
○自見委員 自由民主党の自見庄三郎でございます。
きょうは、行政改革に関する特別委員会、当委員会に、金融監督庁の設置法案初め関連法案、また新進党からも対案が出ておりますけれども、大変貴重な時間を参考人の方々に御出席をいただきまして、貴重な御意見を聞かしていただきました。心からお礼を申し上げる次第でございます。
今さっきから、本当に含蓄のある参考人の方々の御意見を聞かしていただきました。もう言うまでもなく、金融システムの改革は、第二次橋本内閣が掲げる六大改革の一つとして位置づけられておりまして、先生方は御専門家でございますから、今のまさにボーダーレス経済あるいは米ソ冷戦構造の崩壊した後の大競争の時代、こういった世界の経済、金融が大きく移り変わっている中に、まさにこういった時代の背景として、六大改革の一つである金融システムの改革は、本当にこの国家が生存していくかどうかの大変基本的な大事な改革であるというふうに私は確信をするわけでございます。
今、いろいろと参考人の方々からも御意見がございましたように、我が国の金融、証券、保険などの金融市場は、今日、国際的な流れの中で、グローバルスタンダードから立ちおくれて競争力が低下してしまうなどの危機感が、いろいろな御意見があったわけでございまして、また、橋本総理も、改革の方向としては、市場原理の働く自由なマーケット、市場、それから透明で信頼できる公正な市場、あるいは国際的で時代を先取りする市場、今参考人の中にもございましたように、フリー、フェア、グローバル、この三原則を掲げて、御存じのように、今後五年間、規制の撤廃・緩和あるいはディスクロージャーの充実あるいは国際標準に沿った会計制度の転換などを示しているところでございます。
また、二〇〇一年、いわゆる日本版ビッグバンを目指すなら、金融、証券、保険に係る規制の緩和、撤廃にあわせて、これと表裏一体の関係にある検査監督機能の強化にもこたえるものでなければならない、こういうふうに思うわけでございます。
そういった中で、まず、透明な行政、監視ルールの提示、金融機関情報の開示、それと市場におけるチェック、それから自己責任原則などを基盤とした金融システム改革が不可欠であるということは、各参考人の共通した御意見であったように私は感じるわけでございます。私は特に強調したいのは、これらの改革は、国民に対しても同時に自己責任を伴うものであり、国民の理解を得ずして、また民主主義国家でございますから、これらの改革が実現することは不可能である、こういうふうに私自身は思うわけでございます。
そういった前提で、きょうは参考人の方々にまず質問をさせていただきたいと思うわけでございますが、これは各参考人全員にお聞きをさせていただきたいと思うわけでございます。
今私が申しましたような時代認識、なおかつ現実には、金融については不良債権問題あるいはビッグバンの問題など取り組まなければならない問題がたくさんございますが、これらの問題を解決していくに当たり、金融検査監督行政上いかなる点に留意していく必要があるのか。
個々の先生、述べられた方もおられますし、時間があればもう少し詳しく述べたい、こういう参考人の方がおられたわけでございますから、もう一度詳細な意見を、もう少し言い足らなかったあるいはもう少しこういった点を強調したかったということがございましたら、金融検査監督行政上、こういった時代のときにいかなる留意をしていく必要があるのか、こういったことを各参考人からまずお知らせいただきたいというふうに思います。
この発言だけを見る →きょうは、行政改革に関する特別委員会、当委員会に、金融監督庁の設置法案初め関連法案、また新進党からも対案が出ておりますけれども、大変貴重な時間を参考人の方々に御出席をいただきまして、貴重な御意見を聞かしていただきました。心からお礼を申し上げる次第でございます。
今さっきから、本当に含蓄のある参考人の方々の御意見を聞かしていただきました。もう言うまでもなく、金融システムの改革は、第二次橋本内閣が掲げる六大改革の一つとして位置づけられておりまして、先生方は御専門家でございますから、今のまさにボーダーレス経済あるいは米ソ冷戦構造の崩壊した後の大競争の時代、こういった世界の経済、金融が大きく移り変わっている中に、まさにこういった時代の背景として、六大改革の一つである金融システムの改革は、本当にこの国家が生存していくかどうかの大変基本的な大事な改革であるというふうに私は確信をするわけでございます。
今、いろいろと参考人の方々からも御意見がございましたように、我が国の金融、証券、保険などの金融市場は、今日、国際的な流れの中で、グローバルスタンダードから立ちおくれて競争力が低下してしまうなどの危機感が、いろいろな御意見があったわけでございまして、また、橋本総理も、改革の方向としては、市場原理の働く自由なマーケット、市場、それから透明で信頼できる公正な市場、あるいは国際的で時代を先取りする市場、今参考人の中にもございましたように、フリー、フェア、グローバル、この三原則を掲げて、御存じのように、今後五年間、規制の撤廃・緩和あるいはディスクロージャーの充実あるいは国際標準に沿った会計制度の転換などを示しているところでございます。
また、二〇〇一年、いわゆる日本版ビッグバンを目指すなら、金融、証券、保険に係る規制の緩和、撤廃にあわせて、これと表裏一体の関係にある検査監督機能の強化にもこたえるものでなければならない、こういうふうに思うわけでございます。
そういった中で、まず、透明な行政、監視ルールの提示、金融機関情報の開示、それと市場におけるチェック、それから自己責任原則などを基盤とした金融システム改革が不可欠であるということは、各参考人の共通した御意見であったように私は感じるわけでございます。私は特に強調したいのは、これらの改革は、国民に対しても同時に自己責任を伴うものであり、国民の理解を得ずして、また民主主義国家でございますから、これらの改革が実現することは不可能である、こういうふうに私自身は思うわけでございます。
そういった前提で、きょうは参考人の方々にまず質問をさせていただきたいと思うわけでございますが、これは各参考人全員にお聞きをさせていただきたいと思うわけでございます。
今私が申しましたような時代認識、なおかつ現実には、金融については不良債権問題あるいはビッグバンの問題など取り組まなければならない問題がたくさんございますが、これらの問題を解決していくに当たり、金融検査監督行政上いかなる点に留意していく必要があるのか。
個々の先生、述べられた方もおられますし、時間があればもう少し詳しく述べたい、こういう参考人の方がおられたわけでございますから、もう一度詳細な意見を、もう少し言い足らなかったあるいはもう少しこういった点を強調したかったということがございましたら、金融検査監督行政上、こういった時代のときにいかなる留意をしていく必要があるのか、こういったことを各参考人からまずお知らせいただきたいというふうに思います。
鈴
鈴木幸夫#12
○鈴木参考人 トップバッターということになりますが、足りない点はまたほかの先生方に御質疑いただければと思います。
今お話しになりました問題意識は私も全く同じでございまして、これは野党の方々もその問題点については恐らく皆さん同じだと思いますが、特に、私は二、三、一つは、現在起こっているいろいろな不祥事というものが何に由来するかといえば、これは一つは、もちろんこれは大蔵省がこれまでやってきた護送船団方式というものによってでき上がったもたれ合い方式、もたれ合い的な体質というものがあって、金融機関全体にやはりそういう厳しさの欠けている部分があったんだろうし、それから、大蔵省の監督体制自身も長年の惰性の中で、同時にまた、一方に人手不足というような問題もいろいろございますけれども、今までの方式ではもう限界が来ているということのいろいろな表明ではないかと思うんですね。
そういう意味で、全体を一つ一つばらばらにやるんではなくて、総合的に変えていくという意味においては、今回のこのいわゆるビッグバンの体制づくりというのは、私は非常に政府としても思い切っておやりになったというふうに思っております。
特に、外為法改正が五月の十六日でございましたか成立いたしまして、これは内外の資本の自由化、外為業務の規制緩和は徹底的にやるわけですから、これがもう法律が通ってしまいましたから、こういう法律が通った後、金融制度、証券制度、保険制度がもたもたと今までのようなことをやっていたんじゃ、完全に千二百兆円の個人金融資産も大量に海外に流れていくでしょうし、日本の東京市場というものが全くローカル化してしまうということは、これはもう必然的だと思うんですね。
ですから、そういう意味では、背水の陣をもう既に政府はおしきになった。あれはワンステップだなんて気安いものじゃなくて、あれはもう背水の陣だというふうにお考えになった方がいいと思います。
私はそれを見ているがゆえに比較的楽観しているのは、先ほどから、大蔵省がいろいろ規制とかなんとかで市場ルールに反することをやるんじゃないかという懸念がいろいろ出ておりますけれども、そんなことをやっていたらどうにもならなくなってくるんです。
現に大蔵省の方々もそういう方向で覚悟を決めておられるし、現にビッグバンというものの推進者は実質的には、こう言うと差しさわりがありますけれども、大蔵省の方々があるいはOBの方々も含めて動いているということはもう間違いないわけでございます。
これはやはり昨年までのさまざまな大きな不祥事やら官僚のスキャンダルやら、いろいろなものの中で大蔵省たたきというのがマスコミなり政界の皆さん方から行われた。これによって徹底的にいろいろな意味で大きな反省の方向に向かってきたということで、我々は、むしろこれからは政界の方も、マスコミもそうでしょうけれども、官僚の人たちを前向きに、ともかく改革の方向に走ってもらうために、余りだたくばかりが能ではない。昔のことは大いにたたいて結構なんですが、これからやろうとしていることについては、できるだけ前向きに誘導してしりをたたく方がいいのではないかというふうに思っています。
それから、銀行いわゆる金融機関でございますが、私は、最近見ておりましても、第一勧銀の問題だとかあるいは証券では野村証券の問題だとか、これはもう私があえて言うまでもございませんけれども、そういう問題が起こって、あれは第一とか野村だけの問題ではない。やはり金融機関なり証券会社なりあるいは保険会社も含めて、いわゆる政府がリードしてしようとしているビッグバンというものに対して、まだまだいろいろな意味で甘えがあるんではないかと思っております。
自己責任原則ということを今度の金融監督庁法案にも基本的な思想としてうたっているわけでございますけれども、やはりそれに追い込んでいくということが必要なのではないか。私は、日本の金融産業の体質というものが不良債権の処理をおくらせているということがはっきり言えると思います。
そういう状態を生み出したのは政府にも責任がもちろんあるわけですけれども、私が一番痛感しますのは、そういうものに甘えて、土地だとか、いわゆる不動産とかゴルフ会員権とかそういうようなものにバブルのときに集中的に投資して、そしてそういうようなものにしか投資することができなかった、あるいは預金と貸し金の間の利子の差額だけで飯を食っている、こういう金融機関の体質が非常におかしいのであって、もう既に九〇年代に入りましてから、世界じゅうの先進国の銀行がデリバティブにしろさまざまな新しい商品開発をやっております。そういうものに対して日本の金融機関は、ただ大蔵省が規制してきたからできなかったのだということを理由にしているだけの話で、実際にやろうと思えばまだまだやれる余地があったのだろうと思います。
そういう意味では、やはり金融機関にもっとそういう意味での意識改革というものが行われてしかるべきだと思いますし、さらに、その延長線では郵貯を含めた財投各機関の問題ももちろんあるわけでございますけれども、当面、民間金融機関の問題というのは、先ほど申し上げたもう背水の陣でやらざるを得なくなったビッグバンというものは、中途半端にやれば日本の市場は成り立っていかない、その主体者であるのは金融機関ではないかということを考えますと、むしろそちらの方に私どもは言いたいことがたくさんございますが、一応ここで私の意見は終わらせていただきます。
この発言だけを見る →今お話しになりました問題意識は私も全く同じでございまして、これは野党の方々もその問題点については恐らく皆さん同じだと思いますが、特に、私は二、三、一つは、現在起こっているいろいろな不祥事というものが何に由来するかといえば、これは一つは、もちろんこれは大蔵省がこれまでやってきた護送船団方式というものによってでき上がったもたれ合い方式、もたれ合い的な体質というものがあって、金融機関全体にやはりそういう厳しさの欠けている部分があったんだろうし、それから、大蔵省の監督体制自身も長年の惰性の中で、同時にまた、一方に人手不足というような問題もいろいろございますけれども、今までの方式ではもう限界が来ているということのいろいろな表明ではないかと思うんですね。
そういう意味で、全体を一つ一つばらばらにやるんではなくて、総合的に変えていくという意味においては、今回のこのいわゆるビッグバンの体制づくりというのは、私は非常に政府としても思い切っておやりになったというふうに思っております。
特に、外為法改正が五月の十六日でございましたか成立いたしまして、これは内外の資本の自由化、外為業務の規制緩和は徹底的にやるわけですから、これがもう法律が通ってしまいましたから、こういう法律が通った後、金融制度、証券制度、保険制度がもたもたと今までのようなことをやっていたんじゃ、完全に千二百兆円の個人金融資産も大量に海外に流れていくでしょうし、日本の東京市場というものが全くローカル化してしまうということは、これはもう必然的だと思うんですね。
ですから、そういう意味では、背水の陣をもう既に政府はおしきになった。あれはワンステップだなんて気安いものじゃなくて、あれはもう背水の陣だというふうにお考えになった方がいいと思います。
私はそれを見ているがゆえに比較的楽観しているのは、先ほどから、大蔵省がいろいろ規制とかなんとかで市場ルールに反することをやるんじゃないかという懸念がいろいろ出ておりますけれども、そんなことをやっていたらどうにもならなくなってくるんです。
現に大蔵省の方々もそういう方向で覚悟を決めておられるし、現にビッグバンというものの推進者は実質的には、こう言うと差しさわりがありますけれども、大蔵省の方々があるいはOBの方々も含めて動いているということはもう間違いないわけでございます。
これはやはり昨年までのさまざまな大きな不祥事やら官僚のスキャンダルやら、いろいろなものの中で大蔵省たたきというのがマスコミなり政界の皆さん方から行われた。これによって徹底的にいろいろな意味で大きな反省の方向に向かってきたということで、我々は、むしろこれからは政界の方も、マスコミもそうでしょうけれども、官僚の人たちを前向きに、ともかく改革の方向に走ってもらうために、余りだたくばかりが能ではない。昔のことは大いにたたいて結構なんですが、これからやろうとしていることについては、できるだけ前向きに誘導してしりをたたく方がいいのではないかというふうに思っています。
それから、銀行いわゆる金融機関でございますが、私は、最近見ておりましても、第一勧銀の問題だとかあるいは証券では野村証券の問題だとか、これはもう私があえて言うまでもございませんけれども、そういう問題が起こって、あれは第一とか野村だけの問題ではない。やはり金融機関なり証券会社なりあるいは保険会社も含めて、いわゆる政府がリードしてしようとしているビッグバンというものに対して、まだまだいろいろな意味で甘えがあるんではないかと思っております。
自己責任原則ということを今度の金融監督庁法案にも基本的な思想としてうたっているわけでございますけれども、やはりそれに追い込んでいくということが必要なのではないか。私は、日本の金融産業の体質というものが不良債権の処理をおくらせているということがはっきり言えると思います。
そういう状態を生み出したのは政府にも責任がもちろんあるわけですけれども、私が一番痛感しますのは、そういうものに甘えて、土地だとか、いわゆる不動産とかゴルフ会員権とかそういうようなものにバブルのときに集中的に投資して、そしてそういうようなものにしか投資することができなかった、あるいは預金と貸し金の間の利子の差額だけで飯を食っている、こういう金融機関の体質が非常におかしいのであって、もう既に九〇年代に入りましてから、世界じゅうの先進国の銀行がデリバティブにしろさまざまな新しい商品開発をやっております。そういうものに対して日本の金融機関は、ただ大蔵省が規制してきたからできなかったのだということを理由にしているだけの話で、実際にやろうと思えばまだまだやれる余地があったのだろうと思います。
そういう意味では、やはり金融機関にもっとそういう意味での意識改革というものが行われてしかるべきだと思いますし、さらに、その延長線では郵貯を含めた財投各機関の問題ももちろんあるわけでございますけれども、当面、民間金融機関の問題というのは、先ほど申し上げたもう背水の陣でやらざるを得なくなったビッグバンというものは、中途半端にやれば日本の市場は成り立っていかない、その主体者であるのは金融機関ではないかということを考えますと、むしろそちらの方に私どもは言いたいことがたくさんございますが、一応ここで私の意見は終わらせていただきます。
ロ
○フェルドマン参考人 基本的な見解として、グローバルな金融制度の改革が進んでいるということに関しては自見先生と同じ考え方ですけれども、規制制度あるいは監督制度をどうやって効率を上げるかという点に関しては幾つかの点があるかと思います。
一つは、ルールづくりという機能を監査機能からできるだけ離すということが一つの大きなポイントだと思います。皆さんも選挙改革の問題によって、ルールをつくる人が変わるルールによって影響を受けることで、どこまで制度がぎくしゃくしてしまうかということはもう御存じかと思いますけれども、やはりできるだけルールづくりということを監督庁あるいは金融委員会から離すということが多分大きなポイントじゃないかと思います。監督庁提案にも金融委員会提案にも、いわゆる企画機能、ルールづくりの機能だと思いますけれども、これを大蔵省に残すという特徴があります。これは非常に健全なやり方だと思います。
もう一つですけれども、最近いろいろな方が大蔵省たたきという言葉を使っているのですけれども、私は、この大蔵省たたきは非常によくないことだと思います。日本の規制制度はどういうふうに今のものになってきたかといいますと、いろいろな勢力が絡んできてこうなったということが一番大きなポイントだと思います。ですから、大蔵省がつくったわけではありません。農林省も絡んでいますし、労働省も絡んでいますし、日本銀行も絡んでいますから、こっちがいい、こっちが悪いということを一切言えない状態だと思います。こういうマスコミ的なたたきはやめて、もっと分析的に取り組むべきではないかと思います。
ですから、大蔵省という言葉を使うときにみんな緊張したり、反対、賛成、強い、嫌だとかいろいろ言うのですけれども、言葉をやめて、こういう大蔵省という言葉のかわりに、例えばバナナとかリンゴとかそういう言葉を使えばもっと冷静に問題が分析できるのじゃないかと思いますけれども、とにかくたたきをやめましようというのが一つのポイントです。
もう一つは、監督を仕事とする機構を、政治から、財政からできるだけ離すということが非常に大きいと思います。ねじで何かをとめようとしたときに、道具箱からハンマーを出したってしようがないわけです。ですから、財政的な方法すなわち税制あるいは税収を使う支出、財政支出を使うということは、そもそも監督問題を解決する道具としてよくないということだと思いますから、そういう政治からも財政からも監督庁あるいは金融委員会を離すことが一つの大きなポイントじゃないかと思います。
もう一つですけれども、御存じのように日本の金融制度は民間の部門と公的の部門がありまして、どうやって監督基準を一本化するかという議論になりますと、主に民間部門に関する議論が多いと思います。これは残念なことだと思います。
というのは、日本のこれからの資本の使い方をよくするために、やはり公的部門の資本の使い方をよくしなければならないということが非常に大きなポイントだと思います。ですから、今度、監督庁が権限を持つ、あるいは金融委員会の持つ権限は、民間金融機構だけじゃなくて、公的部門の借入先にも当てはめる形を何かつくるべきじゃないかなと思います。特に、監査基準もできるだけ民間と公的部門も同じものを実行すべきじゃないかと思います。
この前、ニュージーランドの方とちょっと話をしたことがありますれども、やはりニュージーランドは非常に頑張って、公的部門をできるだけ民間基準で会計をやりましようという動きになりましたけれども、それによって随分財政もよくなったという話でした。こういう例を日本に導入すれば非常に日本経済が活性化するのじゃないかと思います。
もう一つは人の動きの話ですけれども、先ほど申し上げましたが、今度新しく例えば監督庁案が通った場合、その監督庁にはだれが入るかということは、恐らく大蔵省からの出向の方がたくさん入るという話をしましたけれども、アメリカの例を見ますと、公的部門と民間部門の人の流れがかなりあるという非常にいいところがあると思います。もちろん天下りとかいわゆる回転ドアという批判はいろいろあるのですけれども、やはりいろいろな方がいろいろなところで働けるという制度が、品種改良という観点から見れば非常に得するところはあると思います。
この問題は結局年金問題になってしまうと思いますけれども、長く日本の公的部門で働いた方は、民間から声がかかってきて、うちに来ないかということを言われたら、いや、年金がですねという答えが多いのです。ですから、せっかく日本の経済効率を高めるチャンスがあっても、年金が継続性がありませんので動けないという問題があるから、やはりこういう問題にちょっと取り組んでいくべきじゃないかと思います。
もう一つですけれども、やはり税制の一つの問題ですけれども、八〇年代前半にグリーンカードシステムという構想がありまして、結局だめになってしまいましたけれども、今度ビッグバンによってそういうシステムを導入しなければならないということになるのじゃないかと思います。今の金融制度の中で、どうやって税金を少なくするかということを目標にした枠組みが幾つかあると思います。そういう税逃れのためのことができないような番号制度を導入したら、もっと簡単に監督機能を果たすことが可能になるのじゃないかと思います。以上です。
この発言だけを見る →一つは、ルールづくりという機能を監査機能からできるだけ離すということが一つの大きなポイントだと思います。皆さんも選挙改革の問題によって、ルールをつくる人が変わるルールによって影響を受けることで、どこまで制度がぎくしゃくしてしまうかということはもう御存じかと思いますけれども、やはりできるだけルールづくりということを監督庁あるいは金融委員会から離すということが多分大きなポイントじゃないかと思います。監督庁提案にも金融委員会提案にも、いわゆる企画機能、ルールづくりの機能だと思いますけれども、これを大蔵省に残すという特徴があります。これは非常に健全なやり方だと思います。
もう一つですけれども、最近いろいろな方が大蔵省たたきという言葉を使っているのですけれども、私は、この大蔵省たたきは非常によくないことだと思います。日本の規制制度はどういうふうに今のものになってきたかといいますと、いろいろな勢力が絡んできてこうなったということが一番大きなポイントだと思います。ですから、大蔵省がつくったわけではありません。農林省も絡んでいますし、労働省も絡んでいますし、日本銀行も絡んでいますから、こっちがいい、こっちが悪いということを一切言えない状態だと思います。こういうマスコミ的なたたきはやめて、もっと分析的に取り組むべきではないかと思います。
ですから、大蔵省という言葉を使うときにみんな緊張したり、反対、賛成、強い、嫌だとかいろいろ言うのですけれども、言葉をやめて、こういう大蔵省という言葉のかわりに、例えばバナナとかリンゴとかそういう言葉を使えばもっと冷静に問題が分析できるのじゃないかと思いますけれども、とにかくたたきをやめましようというのが一つのポイントです。
もう一つは、監督を仕事とする機構を、政治から、財政からできるだけ離すということが非常に大きいと思います。ねじで何かをとめようとしたときに、道具箱からハンマーを出したってしようがないわけです。ですから、財政的な方法すなわち税制あるいは税収を使う支出、財政支出を使うということは、そもそも監督問題を解決する道具としてよくないということだと思いますから、そういう政治からも財政からも監督庁あるいは金融委員会を離すことが一つの大きなポイントじゃないかと思います。
もう一つですけれども、御存じのように日本の金融制度は民間の部門と公的の部門がありまして、どうやって監督基準を一本化するかという議論になりますと、主に民間部門に関する議論が多いと思います。これは残念なことだと思います。
というのは、日本のこれからの資本の使い方をよくするために、やはり公的部門の資本の使い方をよくしなければならないということが非常に大きなポイントだと思います。ですから、今度、監督庁が権限を持つ、あるいは金融委員会の持つ権限は、民間金融機構だけじゃなくて、公的部門の借入先にも当てはめる形を何かつくるべきじゃないかなと思います。特に、監査基準もできるだけ民間と公的部門も同じものを実行すべきじゃないかと思います。
この前、ニュージーランドの方とちょっと話をしたことがありますれども、やはりニュージーランドは非常に頑張って、公的部門をできるだけ民間基準で会計をやりましようという動きになりましたけれども、それによって随分財政もよくなったという話でした。こういう例を日本に導入すれば非常に日本経済が活性化するのじゃないかと思います。
もう一つは人の動きの話ですけれども、先ほど申し上げましたが、今度新しく例えば監督庁案が通った場合、その監督庁にはだれが入るかということは、恐らく大蔵省からの出向の方がたくさん入るという話をしましたけれども、アメリカの例を見ますと、公的部門と民間部門の人の流れがかなりあるという非常にいいところがあると思います。もちろん天下りとかいわゆる回転ドアという批判はいろいろあるのですけれども、やはりいろいろな方がいろいろなところで働けるという制度が、品種改良という観点から見れば非常に得するところはあると思います。
この問題は結局年金問題になってしまうと思いますけれども、長く日本の公的部門で働いた方は、民間から声がかかってきて、うちに来ないかということを言われたら、いや、年金がですねという答えが多いのです。ですから、せっかく日本の経済効率を高めるチャンスがあっても、年金が継続性がありませんので動けないという問題があるから、やはりこういう問題にちょっと取り組んでいくべきじゃないかと思います。
もう一つですけれども、やはり税制の一つの問題ですけれども、八〇年代前半にグリーンカードシステムという構想がありまして、結局だめになってしまいましたけれども、今度ビッグバンによってそういうシステムを導入しなければならないということになるのじゃないかと思います。今の金融制度の中で、どうやって税金を少なくするかということを目標にした枠組みが幾つかあると思います。そういう税逃れのためのことができないような番号制度を導入したら、もっと簡単に監督機能を果たすことが可能になるのじゃないかと思います。以上です。
野
中
中北徹#15
○中北参考人 はい。手短にお話しいたします。
自見先生の御指摘、二点ございます。
一点は、冒頭陳述で申し上げましたけれども、市場型に社会政策型から移行する、これはもう世界の趨勢だ。ドイツもフランスも、これまでの金融行政とさして問題はないわけですけれども、やはりこの世界の潮流、特にEU統合の中でこの方向というのは動かしがたいということだというふうに思います。
アングロサクソン型でどうしてという疑問をよく新聞紙上で言われるわけですが、ここにフェルドマンさんがいらっしゃるからというわけじゃないんですが、アメリカがいい、イギリスがいい悪いというのではなくて、私は、市場型ということがキーポイントだというふうに思います。スウェーデンも、八〇年代に社会政策型の旗手だったあの経済は大転換をした、年金も破綻して、大転換を遂げたという点が一点あります。
それからもう一点は、日本版SECというものをぜひここで目指していただくということが、キーポイント、かぎのかぎだというふうに思います。
すなわち、証券取引等監視委員会はありますが、アメリカにございます証券取引委員会のように、すべからく証券取引というものに関しては原則としてすべてチェックをして、単に業者だけではなくて、今日、コンピューターの中も洗いざらいチェックをする、何かいかがわしい商品があったら、すぐ専門家として摘発し、あるいは参考意見を述べ、ガイドラインをなし、基準をなし、また基準もオープンに意見を聞きながら迅速に変えていく、こういう流れで、金融市場の発展と、その金融の、いわば行政委員会でありますSECとの流れというのは非常に平仄が合っているわけであります。
したがって、何か問題が起きますと、会社ぐるみというのではなくて、金融犯罪を摘発するという観点から、ぜひシステムづくりをしていくということが極めて重要ではないかというふうに思います。ですから、犯罪捜査権をきちっと持った独立性の高いものをつくるという点がポイントだと思います。
この発言だけを見る →自見先生の御指摘、二点ございます。
一点は、冒頭陳述で申し上げましたけれども、市場型に社会政策型から移行する、これはもう世界の趨勢だ。ドイツもフランスも、これまでの金融行政とさして問題はないわけですけれども、やはりこの世界の潮流、特にEU統合の中でこの方向というのは動かしがたいということだというふうに思います。
アングロサクソン型でどうしてという疑問をよく新聞紙上で言われるわけですが、ここにフェルドマンさんがいらっしゃるからというわけじゃないんですが、アメリカがいい、イギリスがいい悪いというのではなくて、私は、市場型ということがキーポイントだというふうに思います。スウェーデンも、八〇年代に社会政策型の旗手だったあの経済は大転換をした、年金も破綻して、大転換を遂げたという点が一点あります。
それからもう一点は、日本版SECというものをぜひここで目指していただくということが、キーポイント、かぎのかぎだというふうに思います。
すなわち、証券取引等監視委員会はありますが、アメリカにございます証券取引委員会のように、すべからく証券取引というものに関しては原則としてすべてチェックをして、単に業者だけではなくて、今日、コンピューターの中も洗いざらいチェックをする、何かいかがわしい商品があったら、すぐ専門家として摘発し、あるいは参考意見を述べ、ガイドラインをなし、基準をなし、また基準もオープンに意見を聞きながら迅速に変えていく、こういう流れで、金融市場の発展と、その金融の、いわば行政委員会でありますSECとの流れというのは非常に平仄が合っているわけであります。
したがって、何か問題が起きますと、会社ぐるみというのではなくて、金融犯罪を摘発するという観点から、ぜひシステムづくりをしていくということが極めて重要ではないかというふうに思います。ですから、犯罪捜査権をきちっと持った独立性の高いものをつくるという点がポイントだと思います。
山
山田弘史#16
○山田参考人 二点だけお答えを申し上げます。
先ほど余りにも大きな欠落と申し上げましたけれども、先ほどちょっと申し残しました。人事遮断の欠落ということが非常に重要なことであるかと思います。新しい銀行監督機関を財政当局と切断、切り離すという場合に、人事的にいつでも帰れる、大蔵省のお役人はいろいろと回って偉くなりたいということでしょうから、余り気に入らないかもしれないけれども、国民の公僕として対する場合には、検査監督が非常に重要であるというからには、一回そちらに出た場合には「帰らざる河」ということで、帰らないということの方がやはり国民のためには必要であるかというふうに考えます。
もう一点、さっき申しましたけれども、やはり不正、不祥事への歯どめの規定を新しい金融監督機関の法律に欠いておる、欠落しておるということが大きいと思います。これは、銀行法の第四章監督規定、二十四条から二十七条までの規定については、何か関連法のあれでも新しいあれは出ていないようでありますけれども、やはりこれ自体非常に不十分なものなんですね。
最近の状況に際して、銀行は悪いことをしないんだというようなことじゃなくて、やはり悪いことをした場合にはこうという、そのような規定が、立法論的にはいろいろございましょうけれども、例えば銀行法には訓示規定というものがある、銀行は国民のためにしなくちゃいけないというような訓示規定、それでもよろしいし、どういう形でもいいですから、やはり不正、不祥事への歯どめの規定がぜひ必要であるというふうに考えます。
以上です。
この発言だけを見る →先ほど余りにも大きな欠落と申し上げましたけれども、先ほどちょっと申し残しました。人事遮断の欠落ということが非常に重要なことであるかと思います。新しい銀行監督機関を財政当局と切断、切り離すという場合に、人事的にいつでも帰れる、大蔵省のお役人はいろいろと回って偉くなりたいということでしょうから、余り気に入らないかもしれないけれども、国民の公僕として対する場合には、検査監督が非常に重要であるというからには、一回そちらに出た場合には「帰らざる河」ということで、帰らないということの方がやはり国民のためには必要であるかというふうに考えます。
もう一点、さっき申しましたけれども、やはり不正、不祥事への歯どめの規定を新しい金融監督機関の法律に欠いておる、欠落しておるということが大きいと思います。これは、銀行法の第四章監督規定、二十四条から二十七条までの規定については、何か関連法のあれでも新しいあれは出ていないようでありますけれども、やはりこれ自体非常に不十分なものなんですね。
最近の状況に際して、銀行は悪いことをしないんだというようなことじゃなくて、やはり悪いことをした場合にはこうという、そのような規定が、立法論的にはいろいろございましょうけれども、例えば銀行法には訓示規定というものがある、銀行は国民のためにしなくちゃいけないというような訓示規定、それでもよろしいし、どういう形でもいいですから、やはり不正、不祥事への歯どめの規定がぜひ必要であるというふうに考えます。
以上です。
自
自見庄三郎#17
○自見委員 大変含蓄のある情熱的な御答弁をいただきまして、ありがとうございます。
残念ながら、私の持ち時間を切りましたので、質問は終わらせていただきます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →残念ながら、私の持ち時間を切りましたので、質問は終わらせていただきます。ありがとうございました。
野
宮
宮本一三#19
○宮本委員 宮本でございます。
新進党を代表いたしまして、参考人にいろいろ御質問をさせていただきたいわけでございますが、本当に四人の参考人の皆様方の御意見、ただいま聞かせていただいておりまして、非常に含蓄のある、そして示唆に富んだ御意見を開陳していただきました。非常に感謝を申し上げておりますし、また、それぞれの御意見を参考にして、我々も最終的な判断を今からさせていただきたいということでございます。また、参考人の御意見の中で、いろいろと質問を私の方からさせていただきたいわけでございます。
実は今度のこの改正の問題の大きな出発点は、やはりバブル経済の発生と崩壊、そこから来る金融破綻といったことがもちろん最大の原因であるわけでございますが、正直申しまして、今大きな非難を受けている護送船団方式あるいは大蔵方式といいますか、いろいろな問題は確かにございますけれども、戦後の経済の発展をずっと振り返って見てまいりますと、あの混乱の中から五十年間を、少なくとも一九五〇年代、そして一九六〇年代、これは世界中が、日本というのは何とすばらしい経済発展を遂げている国だ、また七〇年代に入っても大体そういう評価で、オイルショックとかいろいろありましたけれども、切り抜けてきたわけであります。その過程で、日本株式会社と、そんな形で呼ばれるほどに、金融あるいは行政と民間企業とが非常にうまくいっている例としてさえ国際的に評価された時代があったのに、あのバブルからこんなことになってしまった。非常に残念なわけでございます。
この点に関しまして、私は、正直申しまして、あのプラザ合意というものが、先生方の中でも触れられましたけれども、大きな曲がり角のタイミングであったかなと思うのですが、あの合意の後で、どうしても円高をある程度容認しないことには国際収支が国際非難の的として余りにも大き過ぎるということで、またアメリカ側もドル高政策、ドルが強いことがアメリカの強さだといったような形から、やはり国際収支上これではやっていけないという認識を持ち、そして大きく世界の流れを転換するような合意がなされた。非常に象徴的な出来事だったと思います。
その結果としてでございますが、円高が進みました。円高は当初は歓迎されました、国際収支是正のためにいいことだと。ところが、予定されたかどうかわかりません、一定の水準を超してさらに円高が進んでしまいますと、これは日本としても輸出が大変なことになってきた。したがって、特に中小企業の方から、何とかこの円高を抑えてもらわないことには立ち行かないという悲鳴に似たような声が上がってまいったわけであります。
これは各先生も御指摘されましたように、そのためにはということになりまして、一つは、円高がこれ以上急速に進むのを国際協力のもとで、G7等で、特にアメリカの御協力を得て何とかスローダウンしたいという交渉があったわけだし、また、その見返りと言ってはあれでございますが、日本も思い切って財政支出を強化する、また金融政策でも、公定歩合を中心にできるだけの金融緩和策をやって内需を拡大する、そのことによって輸出圧力を内政で抑えてくださいよと、そういった恐らく合意のもとに国際協調が進んでいったと思うわけでございます。
ある段階になって、これは大変だ、そろそろブレーキをかけなきゃいけないなと思ったけれども、国際収支の為替レートに対する反応というのはすぐには起こらない。特に最初の半年や一年はむしろ逆効果さえ出るような、そんな状況でございますからして、大変だといったときには国際収支の黒字は減るどころかむしろふえているような、そんな状況に面して、バブルの足音が聞こえてきたのに、それに対するブレーキをどうしてもかけることが国内的にはできなかった、ブレーキを踏まなければいかぬなと思いながらも、外圧でどうしても踏めなかったという一つの事情があったのではないかなと思われるわけです。
最初にフェルドマン先生、こういった外国の委員会に御出席いただくということは本当に大変な御苦労だったと思いますし、特に日本語でやっていただいたわけでございますから、私たち本当に助かりましたが、同時に、非常に流暢な日本語といえどもやはり外国語でございますから、御苦労があったかと察するわけでございます。
その上で質問でございますが、今私が申しましたような、国際収支の黒字を抑えるために日本の金融当局があるいは財政当局がここでブレーキをそろそろかけなければいかぬのに、どうしてもかけられなかったような外圧があったのではないかという私の推測でございますが、それについて、外から見ておられてどんな御印象でございましょうか。
この発言だけを見る →新進党を代表いたしまして、参考人にいろいろ御質問をさせていただきたいわけでございますが、本当に四人の参考人の皆様方の御意見、ただいま聞かせていただいておりまして、非常に含蓄のある、そして示唆に富んだ御意見を開陳していただきました。非常に感謝を申し上げておりますし、また、それぞれの御意見を参考にして、我々も最終的な判断を今からさせていただきたいということでございます。また、参考人の御意見の中で、いろいろと質問を私の方からさせていただきたいわけでございます。
実は今度のこの改正の問題の大きな出発点は、やはりバブル経済の発生と崩壊、そこから来る金融破綻といったことがもちろん最大の原因であるわけでございますが、正直申しまして、今大きな非難を受けている護送船団方式あるいは大蔵方式といいますか、いろいろな問題は確かにございますけれども、戦後の経済の発展をずっと振り返って見てまいりますと、あの混乱の中から五十年間を、少なくとも一九五〇年代、そして一九六〇年代、これは世界中が、日本というのは何とすばらしい経済発展を遂げている国だ、また七〇年代に入っても大体そういう評価で、オイルショックとかいろいろありましたけれども、切り抜けてきたわけであります。その過程で、日本株式会社と、そんな形で呼ばれるほどに、金融あるいは行政と民間企業とが非常にうまくいっている例としてさえ国際的に評価された時代があったのに、あのバブルからこんなことになってしまった。非常に残念なわけでございます。
この点に関しまして、私は、正直申しまして、あのプラザ合意というものが、先生方の中でも触れられましたけれども、大きな曲がり角のタイミングであったかなと思うのですが、あの合意の後で、どうしても円高をある程度容認しないことには国際収支が国際非難の的として余りにも大き過ぎるということで、またアメリカ側もドル高政策、ドルが強いことがアメリカの強さだといったような形から、やはり国際収支上これではやっていけないという認識を持ち、そして大きく世界の流れを転換するような合意がなされた。非常に象徴的な出来事だったと思います。
その結果としてでございますが、円高が進みました。円高は当初は歓迎されました、国際収支是正のためにいいことだと。ところが、予定されたかどうかわかりません、一定の水準を超してさらに円高が進んでしまいますと、これは日本としても輸出が大変なことになってきた。したがって、特に中小企業の方から、何とかこの円高を抑えてもらわないことには立ち行かないという悲鳴に似たような声が上がってまいったわけであります。
これは各先生も御指摘されましたように、そのためにはということになりまして、一つは、円高がこれ以上急速に進むのを国際協力のもとで、G7等で、特にアメリカの御協力を得て何とかスローダウンしたいという交渉があったわけだし、また、その見返りと言ってはあれでございますが、日本も思い切って財政支出を強化する、また金融政策でも、公定歩合を中心にできるだけの金融緩和策をやって内需を拡大する、そのことによって輸出圧力を内政で抑えてくださいよと、そういった恐らく合意のもとに国際協調が進んでいったと思うわけでございます。
ある段階になって、これは大変だ、そろそろブレーキをかけなきゃいけないなと思ったけれども、国際収支の為替レートに対する反応というのはすぐには起こらない。特に最初の半年や一年はむしろ逆効果さえ出るような、そんな状況でございますからして、大変だといったときには国際収支の黒字は減るどころかむしろふえているような、そんな状況に面して、バブルの足音が聞こえてきたのに、それに対するブレーキをどうしてもかけることが国内的にはできなかった、ブレーキを踏まなければいかぬなと思いながらも、外圧でどうしても踏めなかったという一つの事情があったのではないかなと思われるわけです。
最初にフェルドマン先生、こういった外国の委員会に御出席いただくということは本当に大変な御苦労だったと思いますし、特に日本語でやっていただいたわけでございますから、私たち本当に助かりましたが、同時に、非常に流暢な日本語といえどもやはり外国語でございますから、御苦労があったかと察するわけでございます。
その上で質問でございますが、今私が申しましたような、国際収支の黒字を抑えるために日本の金融当局があるいは財政当局がここでブレーキをそろそろかけなければいかぬのに、どうしてもかけられなかったような外圧があったのではないかという私の推測でございますが、それについて、外から見ておられてどんな御印象でございましょうか。
ロ
○フェルドマン参考人 どうもありがとうございました。
きょうのテーマとちょっと離れた内容かと思いますけれども、米国の当局と日本の当局が密接な協力をするということは非常に大事なポイントだと思います。為替と経常収支の関係は非常に今大きく議論されて、私は、いろいろ研究を進ませようとしても、統計の不十分な点があって余り結果が出ないのであれですけれども、とにかく当局の協力と円相場の動きという点が非常におもしろいと思います。円相場が八十円台まで行ったときに、米国と日本の当局が協力してこれをとめようという動きが出たことは、非常にいいことだと思います。
逆転が非常に速かったということは、どこまで協力が効き目があるかということを非常にきれいにあらわすことだと思いますけれども、逆に、密接にそういうことをやっていないと、市場がオーバーシュートするということがあることが最近非常にはっきりしたんじゃないかと思います。
ただし、こういう為替の動きは規制制度と密接な関係があるかといいますと、ちょっと遠い存在じゃないかなと思います。規制がしっかりしている中で市場がオーバーシュートする傾向が抑えられるという効果があるだろうと思いますけれども、直接、例えば金融委員会ができたからといって、為替にそれがすぐ影響が出るということはちょっと言えないんじゃないかと思います。
私は、毎日いろいろな国の投資家、日本の投資家、ヨーロッパの投資家、アメリカの投資家、その他の地域の投資家と話をしていますけれども、日本は、これから方向として、しっかりした規制制度を導入するか、必要ない規制を外すか、経済効率を上げるかということに非常に高い関心を持っています。ただし、それは非常に長期的な話で、あした、あさっての為替相場に、例えばこういう行政制度を導入したら為替がこう動くという話じゃありません。
経常黒字と規制の問題は、金融セクターよりもむしろ非金融部門の方が一番大事な点じゃないかと思います。
金融セクターと絡む規制と為替という話をしますと、むしろビッグバンに関する話になるかと思いますけれども、結局、この前通った為替の法律が海外へのシフトを起こすかどうかということが非常に大きな議論に今なっていると思いますけれども、私は、むしろそれほど大きな海外へのシフトはないのじゃないかと思っています。
なぜかといいますと、確かに、この為銀法の改正によって取引コストは下がることは下がりますけれども、取引コストが下がったからといって海外資産を大きくふやそうという動きが出るかどうかは、まだまだちょっと判断するには時期尚早だと思います。
とにかく、本日の議論のテーマである規制制度は、経常黒字の動きと為替の動きとそんなに密接な、短期的な関係にはないと思いますけれども、長期的にやはり日本の経済の効率に貢献するところですから、ぜひとも頑張っていい制度をつくっていただきたいと思います。
この発言だけを見る →きょうのテーマとちょっと離れた内容かと思いますけれども、米国の当局と日本の当局が密接な協力をするということは非常に大事なポイントだと思います。為替と経常収支の関係は非常に今大きく議論されて、私は、いろいろ研究を進ませようとしても、統計の不十分な点があって余り結果が出ないのであれですけれども、とにかく当局の協力と円相場の動きという点が非常におもしろいと思います。円相場が八十円台まで行ったときに、米国と日本の当局が協力してこれをとめようという動きが出たことは、非常にいいことだと思います。
逆転が非常に速かったということは、どこまで協力が効き目があるかということを非常にきれいにあらわすことだと思いますけれども、逆に、密接にそういうことをやっていないと、市場がオーバーシュートするということがあることが最近非常にはっきりしたんじゃないかと思います。
ただし、こういう為替の動きは規制制度と密接な関係があるかといいますと、ちょっと遠い存在じゃないかなと思います。規制がしっかりしている中で市場がオーバーシュートする傾向が抑えられるという効果があるだろうと思いますけれども、直接、例えば金融委員会ができたからといって、為替にそれがすぐ影響が出るということはちょっと言えないんじゃないかと思います。
私は、毎日いろいろな国の投資家、日本の投資家、ヨーロッパの投資家、アメリカの投資家、その他の地域の投資家と話をしていますけれども、日本は、これから方向として、しっかりした規制制度を導入するか、必要ない規制を外すか、経済効率を上げるかということに非常に高い関心を持っています。ただし、それは非常に長期的な話で、あした、あさっての為替相場に、例えばこういう行政制度を導入したら為替がこう動くという話じゃありません。
経常黒字と規制の問題は、金融セクターよりもむしろ非金融部門の方が一番大事な点じゃないかと思います。
金融セクターと絡む規制と為替という話をしますと、むしろビッグバンに関する話になるかと思いますけれども、結局、この前通った為替の法律が海外へのシフトを起こすかどうかということが非常に大きな議論に今なっていると思いますけれども、私は、むしろそれほど大きな海外へのシフトはないのじゃないかと思っています。
なぜかといいますと、確かに、この為銀法の改正によって取引コストは下がることは下がりますけれども、取引コストが下がったからといって海外資産を大きくふやそうという動きが出るかどうかは、まだまだちょっと判断するには時期尚早だと思います。
とにかく、本日の議論のテーマである規制制度は、経常黒字の動きと為替の動きとそんなに密接な、短期的な関係にはないと思いますけれども、長期的にやはり日本の経済の効率に貢献するところですから、ぜひとも頑張っていい制度をつくっていただきたいと思います。
宮
宮本一三#21
○宮本委員 ありがとうございました。
ちょっと私の質問のポイントとは少しあれかと思うんですが、なぜこんな質問をしたかといいますと、フェルドマンさんの方の自見先生に対するアンサーの中で、大蔵省バッシングを余りやっちゃいかぬという説明がありましたので、ひょっとしたら、金融政策のバブルへの突っ込み、余りにもブレーキが遅過ぎたことに対する批判を、ちょっとひどいんじゃないかと言いたいのかなということで述べたんですが、ちょっと質問のポイントからずれておりましたが。
鈴木参考人、私が今申しましたようなバブルへの突っ込み、それと、ブレーキの問題もありますが、この問題で、あるいは責任がどこにあるかが今度のこの委員会の、今議論している金融監督庁の問題の原点でございますので、鈴木参考人はどんな御意見をお持ちでしょうか。
この発言だけを見る →ちょっと私の質問のポイントとは少しあれかと思うんですが、なぜこんな質問をしたかといいますと、フェルドマンさんの方の自見先生に対するアンサーの中で、大蔵省バッシングを余りやっちゃいかぬという説明がありましたので、ひょっとしたら、金融政策のバブルへの突っ込み、余りにもブレーキが遅過ぎたことに対する批判を、ちょっとひどいんじゃないかと言いたいのかなということで述べたんですが、ちょっと質問のポイントからずれておりましたが。
鈴木参考人、私が今申しましたようなバブルへの突っ込み、それと、ブレーキの問題もありますが、この問題で、あるいは責任がどこにあるかが今度のこの委員会の、今議論している金融監督庁の問題の原点でございますので、鈴木参考人はどんな御意見をお持ちでしょうか。
鈴
鈴木幸夫#22
○鈴木参考人 大変難しいというか、言いにくい問題だと思いますが、そもそも、あのころ私も、実際にいろいろ筆をとって経済問題について、自分もエコノミストの端くれとして物を書いたりなんかしておりました。
あの時点で、自分自身も反省して振り返ってみますと、バブルがあのように急激に拡大して、しかもあのような形で急激に落ち込んで、バブルになれば当然落ち込む時期がおのずからあるわけですから、私もある段階ではこれは危ないなと思いましたけれども、ああいう形で急激に落ち込んで、その落ち込んだ後がこれほど長引いて調整過程が続いたということは予想外であったわけでございます。
当時、やはり日本のエコノミストも含め大多数の方々が、いわゆるストック重視の時代だ、ストック経済の時代だと。今有名な評論家でおられる方も、今は大変厳しいことを言っておられますけれども、当時は、ストックの時代だ、どんどん株を買えとか、やれ何を買えとか言われておって、私はそれほどひどいことを言ったことはないんですけれども、当時のことを考えてみると、世の中の流れは皆そうであった。しかも、日本だけじゃございませんで、アメリカでもヨーロッパでも、当時はバブル現象というのは皆起こっておりまして、多かれ少なかれ、そういうものはあったわけでございます。
しかし、日本の場合、最大の問題は、バブルが終えんして落ち込んで以後、その後始末にこれほどまで時間がかかって、なおかつまだ解決していないというところが問題なんであって、これは、やはり不良債権というものがあれだけ拡大した、しかも、その処理に対して、行政の側にももちろん責任はあったと思いますけれども、いろいろな手おくれがあったということがあり、そういうものが累積して、しかも、それがあるために、今日これほどの低金利であるにもかかわらず景気が回復しないというその最大の原因は、まさにそこにあるのだろうと思いますね。
ですから、私は、そういう意味で、だれが悪かったかという責任については、バブルに乗った、あるいはそれを加速した金融機関なり、あるいは不動産を含めていろいろな業界の方であり、企業全般もやはりそういうものに乗った、乗らなかった人は偉いと思いますけれども、だろうと思いますし、また、その中で先を読めなかったマスコミも含めて、みんなの責任というのはあるのじゃないか。
ただしかし、そういう中で、いやしくも金融政策なり財政政策なりをコントロールしている立場にある政府の方、あるいは日銀も含めてですけれども、そういう方々がやはり適切な時期に調整に早目に乗り出す。バブルを生み出したのも、それから極端に景気をここまで落ち込ませたのも、やはりそういう政策当局者の責任はないとは言えない。
それは、どちらが悪いかというと、初期のころは財政が余り動かないで金融ばかりにしわを寄せていたという大蔵省にも責任があったでしょうけれども、ある段階から、今度は大蔵省がまたやたらに補正予算を組む。しかし、これもまた先生方にも責任があるのだろうと私は思っておりますから余り申し上げられませんけれども、円高だ円高だといって皆さんがお騒ぎになったものですから、こういうふうになってしまった。
ですから、責任問題といえば、それは簡単に言えば、財政、金融をコントロールしていた大蔵省が悪いのだということは言うのは簡単でしょうけれども、大蔵省をしてそういう悪い政策をとらしめたのはだれであるのかといったら、これは非常に言いづらいけれども、先生方も含めて我々みんなであったのではないかというふうに考えております。
ありがとうございます。
この発言だけを見る →あの時点で、自分自身も反省して振り返ってみますと、バブルがあのように急激に拡大して、しかもあのような形で急激に落ち込んで、バブルになれば当然落ち込む時期がおのずからあるわけですから、私もある段階ではこれは危ないなと思いましたけれども、ああいう形で急激に落ち込んで、その落ち込んだ後がこれほど長引いて調整過程が続いたということは予想外であったわけでございます。
当時、やはり日本のエコノミストも含め大多数の方々が、いわゆるストック重視の時代だ、ストック経済の時代だと。今有名な評論家でおられる方も、今は大変厳しいことを言っておられますけれども、当時は、ストックの時代だ、どんどん株を買えとか、やれ何を買えとか言われておって、私はそれほどひどいことを言ったことはないんですけれども、当時のことを考えてみると、世の中の流れは皆そうであった。しかも、日本だけじゃございませんで、アメリカでもヨーロッパでも、当時はバブル現象というのは皆起こっておりまして、多かれ少なかれ、そういうものはあったわけでございます。
しかし、日本の場合、最大の問題は、バブルが終えんして落ち込んで以後、その後始末にこれほどまで時間がかかって、なおかつまだ解決していないというところが問題なんであって、これは、やはり不良債権というものがあれだけ拡大した、しかも、その処理に対して、行政の側にももちろん責任はあったと思いますけれども、いろいろな手おくれがあったということがあり、そういうものが累積して、しかも、それがあるために、今日これほどの低金利であるにもかかわらず景気が回復しないというその最大の原因は、まさにそこにあるのだろうと思いますね。
ですから、私は、そういう意味で、だれが悪かったかという責任については、バブルに乗った、あるいはそれを加速した金融機関なり、あるいは不動産を含めていろいろな業界の方であり、企業全般もやはりそういうものに乗った、乗らなかった人は偉いと思いますけれども、だろうと思いますし、また、その中で先を読めなかったマスコミも含めて、みんなの責任というのはあるのじゃないか。
ただしかし、そういう中で、いやしくも金融政策なり財政政策なりをコントロールしている立場にある政府の方、あるいは日銀も含めてですけれども、そういう方々がやはり適切な時期に調整に早目に乗り出す。バブルを生み出したのも、それから極端に景気をここまで落ち込ませたのも、やはりそういう政策当局者の責任はないとは言えない。
それは、どちらが悪いかというと、初期のころは財政が余り動かないで金融ばかりにしわを寄せていたという大蔵省にも責任があったでしょうけれども、ある段階から、今度は大蔵省がまたやたらに補正予算を組む。しかし、これもまた先生方にも責任があるのだろうと私は思っておりますから余り申し上げられませんけれども、円高だ円高だといって皆さんがお騒ぎになったものですから、こういうふうになってしまった。
ですから、責任問題といえば、それは簡単に言えば、財政、金融をコントロールしていた大蔵省が悪いのだということは言うのは簡単でしょうけれども、大蔵省をしてそういう悪い政策をとらしめたのはだれであるのかといったら、これは非常に言いづらいけれども、先生方も含めて我々みんなであったのではないかというふうに考えております。
ありがとうございます。
宮
宮本一三#23
○宮本委員 今の参考人の御意見、本当にありがたいと思います。
確かに、だれがと言われると、本当にみんなではなかったかということでございます。そして、今我々もバッシングを一極に集中しているような態度をとるべきではないと思いますし、特に、今の話でございますれば、バブルへの突っ込みはみんなの責任だけれども、それからの脱出に当たっての手続といいますか、やり方については、これほど長引いたのはやはり行政当局、政治にも大きな責任を負ってもらわなきゃいかぬという御意見だと拝察しました。私も同感でございまして、後の処理の問題で非常に長引いたということは、やはり英断を持ってやらなかったがためにずるずると延びてしまったということだと思います。
そこで、私は思うのですけれども、最終的な判断というものは、議院内閣制でございます、いろいろなことは確かに大蔵、日銀が金融政策について責任を持っておりますけれども、今の建前からいきますと、最後の土壇場になれば決めるのは内閣総理大臣であり、そして大蔵大臣であり、当時の与党の最高責任者だったと思います。やろうと思えばできたのでございますが、それを行政当局にあるいは日銀当局に、そういうところにいつまでも任せておいて、後になって、何だという言い方は、これはないと思います。そういう意味で、我々も政治家の一人として、本当に政治が責任を持ってやらなきゃいけない問題ではなかったかということを今反省いたしている次第でございます。
実は、先生方の御意見の中で、私非常にありがたいと思いましたのは、フェルドマン先生、内閣案と、それから我々の新進党の方から提案させていただいた案とを対比されまして、そしてどっちの方がこういう点でいいのかということを明確に述べていただきまして、本当に参考になったと思います。
その点について、若干私の方でお聞きしたいと思いますのは、一方は、日銀総裁という高い地位にある五年間の任期を持つトップが監督業務をやっていく、最高責任をとっていくということと、次官クラスの長官ということで内閣案のようにやっていくのとでは、これは大きな違いがあるように思いますし、監督庁が行政あるいはいろいろな影響から独立した本当に強い主導権を発揮するためには、この点は非常に大事なポイントだと思うのでございますが、政府案を支持されておられまする鈴木先生、そこら辺の点はどういうふうにお考えでしょうか。今のトップの人事の問題と、それからまた、やはり選挙に左右されるような人からの影響をできるだけ避けるべきだという、そういった面での日銀総裁をして委員長たらしめる案と政府案との関係ですが、その点はどのようにお考えでしょうか。
この発言だけを見る →確かに、だれがと言われると、本当にみんなではなかったかということでございます。そして、今我々もバッシングを一極に集中しているような態度をとるべきではないと思いますし、特に、今の話でございますれば、バブルへの突っ込みはみんなの責任だけれども、それからの脱出に当たっての手続といいますか、やり方については、これほど長引いたのはやはり行政当局、政治にも大きな責任を負ってもらわなきゃいかぬという御意見だと拝察しました。私も同感でございまして、後の処理の問題で非常に長引いたということは、やはり英断を持ってやらなかったがためにずるずると延びてしまったということだと思います。
そこで、私は思うのですけれども、最終的な判断というものは、議院内閣制でございます、いろいろなことは確かに大蔵、日銀が金融政策について責任を持っておりますけれども、今の建前からいきますと、最後の土壇場になれば決めるのは内閣総理大臣であり、そして大蔵大臣であり、当時の与党の最高責任者だったと思います。やろうと思えばできたのでございますが、それを行政当局にあるいは日銀当局に、そういうところにいつまでも任せておいて、後になって、何だという言い方は、これはないと思います。そういう意味で、我々も政治家の一人として、本当に政治が責任を持ってやらなきゃいけない問題ではなかったかということを今反省いたしている次第でございます。
実は、先生方の御意見の中で、私非常にありがたいと思いましたのは、フェルドマン先生、内閣案と、それから我々の新進党の方から提案させていただいた案とを対比されまして、そしてどっちの方がこういう点でいいのかということを明確に述べていただきまして、本当に参考になったと思います。
その点について、若干私の方でお聞きしたいと思いますのは、一方は、日銀総裁という高い地位にある五年間の任期を持つトップが監督業務をやっていく、最高責任をとっていくということと、次官クラスの長官ということで内閣案のようにやっていくのとでは、これは大きな違いがあるように思いますし、監督庁が行政あるいはいろいろな影響から独立した本当に強い主導権を発揮するためには、この点は非常に大事なポイントだと思うのでございますが、政府案を支持されておられまする鈴木先生、そこら辺の点はどういうふうにお考えでしょうか。今のトップの人事の問題と、それからまた、やはり選挙に左右されるような人からの影響をできるだけ避けるべきだという、そういった面での日銀総裁をして委員長たらしめる案と政府案との関係ですが、その点はどのようにお考えでしょうか。
鈴
鈴木幸夫#24
○鈴木参考人 私も、実は若いときは先生と同じように、日銀あるいは金融というものを財政からできるだけ独立させるべきであるという考え方を持っておりました。
しかし、国際的に各国間の経済運営の調整というようなことをいろいろ見ていると、どうしてもやはり財政当局と金融当局とが一体となって対応していかなければならない。特に、先ほど御指摘がありましたプラザ合意にしても、そういう事態が起こったときに、もっとあそこで日本としては統一的な戦略というものを考えるべきではなかったかなというふうに、今から言っても始まりませんけれども、考えているわけでございます。
この新進党の案でいかれますと、日本銀行法も改正され、そして金融委員会というのが、いわばこれは、終戦直後、GHQがポリシーボード構想というのを持ち出してきまして、私もそのころまだ若かったのですけれども、ちょっとそれをフォローしたことがございますが、あれは日銀からも大蔵省からも権限を全部取り上げてしまうのですね。それで両方が一種の執行機関になるということなのです。それに対して、当時、日銀はとんでもないと言って反対されたし、大蔵省ももちろん反対したのですが、今日これを拝見いたしますと、これは日本銀行は本当に黙っているのかなという感じが私はします。
つまり、金融委員会というものがポリシーボード的にでき上がって、日本銀行はその言うとおりにただやっていればいいのだという話になって、検査機能だけは、今回の政府の日銀法改正案も考査については法制化するということになっておりますが、こちらの方でも検査をそこで終点的にやるというふうに書いてございますけれども、ただそれだけかという話になってまいります。
これは皮肉を言っているわけじゃございませんが、私は、やはり金融委員会というものが本格的に金融全体についての、企画立案は大蔵省だというふうになっておりますけれども、監督を中心にしておやりになるということのようでございますけれども、独立行政委員会というのは、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、やはり行政機関として、要するに純然たる行政機関ではないわけでございますから、そういう面で、行政機関でないところがどこまでその責任が負えるかという問題も一つございます。
それからもう一つは、先ほど申し上げたように、これは一応の合議制をとっておりますけれども、こういう合議制というものでうまくいけるかどうかという問題が一つございます。
それから、地方の組織というものを全然、何というか、独自の新設はしないということで、これはいいのですけれども、では、政府案のように地方の財務局を使うのか、日本銀行の支店を使うのかというような問題も出てきて、その辺もどうもちょっと私どもにとってはよくわからない部分があるのですね。
一貫性という意味においては、確かに新進党の案は割にすっきりしている部分はあるのですけれども、現実の責任体制とかいうような面からいうと、どうも私はまだしっくり、釈然としない部分があるので、これはやはりもう少し私自身も新進党の案そのものを勉強させていただいてから改めて申し上げたいと思います。ただ、今申し上げたような問題そのものも、私自身、今までの御説明資料では十分に納得できないところがいろいろございますので、その辺を含めて、論理的には大変おもしろい案であるけれども、現実的にはどうかなというふうに依然としてまだ考えているというところでございます。
以上でございます。
この発言だけを見る →しかし、国際的に各国間の経済運営の調整というようなことをいろいろ見ていると、どうしてもやはり財政当局と金融当局とが一体となって対応していかなければならない。特に、先ほど御指摘がありましたプラザ合意にしても、そういう事態が起こったときに、もっとあそこで日本としては統一的な戦略というものを考えるべきではなかったかなというふうに、今から言っても始まりませんけれども、考えているわけでございます。
この新進党の案でいかれますと、日本銀行法も改正され、そして金融委員会というのが、いわばこれは、終戦直後、GHQがポリシーボード構想というのを持ち出してきまして、私もそのころまだ若かったのですけれども、ちょっとそれをフォローしたことがございますが、あれは日銀からも大蔵省からも権限を全部取り上げてしまうのですね。それで両方が一種の執行機関になるということなのです。それに対して、当時、日銀はとんでもないと言って反対されたし、大蔵省ももちろん反対したのですが、今日これを拝見いたしますと、これは日本銀行は本当に黙っているのかなという感じが私はします。
つまり、金融委員会というものがポリシーボード的にでき上がって、日本銀行はその言うとおりにただやっていればいいのだという話になって、検査機能だけは、今回の政府の日銀法改正案も考査については法制化するということになっておりますが、こちらの方でも検査をそこで終点的にやるというふうに書いてございますけれども、ただそれだけかという話になってまいります。
これは皮肉を言っているわけじゃございませんが、私は、やはり金融委員会というものが本格的に金融全体についての、企画立案は大蔵省だというふうになっておりますけれども、監督を中心にしておやりになるということのようでございますけれども、独立行政委員会というのは、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、やはり行政機関として、要するに純然たる行政機関ではないわけでございますから、そういう面で、行政機関でないところがどこまでその責任が負えるかという問題も一つございます。
それからもう一つは、先ほど申し上げたように、これは一応の合議制をとっておりますけれども、こういう合議制というものでうまくいけるかどうかという問題が一つございます。
それから、地方の組織というものを全然、何というか、独自の新設はしないということで、これはいいのですけれども、では、政府案のように地方の財務局を使うのか、日本銀行の支店を使うのかというような問題も出てきて、その辺もどうもちょっと私どもにとってはよくわからない部分があるのですね。
一貫性という意味においては、確かに新進党の案は割にすっきりしている部分はあるのですけれども、現実の責任体制とかいうような面からいうと、どうも私はまだしっくり、釈然としない部分があるので、これはやはりもう少し私自身も新進党の案そのものを勉強させていただいてから改めて申し上げたいと思います。ただ、今申し上げたような問題そのものも、私自身、今までの御説明資料では十分に納得できないところがいろいろございますので、その辺を含めて、論理的には大変おもしろい案であるけれども、現実的にはどうかなというふうに依然としてまだ考えているというところでございます。
以上でございます。
宮
中
中北徹#26
○中北参考人 私、昨日、鈴木先生の事務所の方から、鈴木先生が書かれた資料を幾つか送っていただきまして、ありがたく思いました。
それで、現状の認識という点では、この「金融財政」に書かれた「金融監督庁は要らない」というのをちょっと拝読いたしまして、非常に平易に書いてあったものですから、それと法案を二重写しして感じましたことは、現状認識の点では、私、そう大きい違いはないというふうに思いました。つまり、このままだと非常に焼け太りになってしまう危険性がこの政府提出案にはあると。それから、現状のままでは、金融機関から見るといろいろ煩瑣だ、二カ所、三カ所回らないといけないというお話、これは現状認識では全くそのとおりだというふうに思います。
しかし、今後どういう絵を、どういう家を設計するかという点におきましては、かなり私は違和感がございます。まず、二カ所、三カ所回るというのは、ビッグバンの時代に、二カ所、三カ所回っているような金融機関は本当に存続できるのだろうかというふうに思いました。
それから、焼け太りとおっしゃっているのですが、確かに私もそういう危惧は全く同感であります。しかし、やはり世紀の大改革でありますので、一気にすべて欠陥をなくして、それで一挙に改革というのは、私はいろいろなところではかなり思い切った意見を述べておるつもりですが、すべて焼け太りをなくすというのはなかなか難しかろうという感じが率直にしております。
そういう点を感じますが、あとは、鈴木先生おっしゃったように、中央銀行の独立性の問題。ヨーロッパもアメリカも含めて、百年、二百年かけてきたこの中央銀行の独立性、ここから得られた歴史的な教訓というのは、この法案の中ではどんなふうに生かされているのかという疑問を私感じております。この金融委員会の、言葉は悪いのですが、いわば下請機関になってしまうというのが大変心配な点であります。
この発言だけを見る →それで、現状の認識という点では、この「金融財政」に書かれた「金融監督庁は要らない」というのをちょっと拝読いたしまして、非常に平易に書いてあったものですから、それと法案を二重写しして感じましたことは、現状認識の点では、私、そう大きい違いはないというふうに思いました。つまり、このままだと非常に焼け太りになってしまう危険性がこの政府提出案にはあると。それから、現状のままでは、金融機関から見るといろいろ煩瑣だ、二カ所、三カ所回らないといけないというお話、これは現状認識では全くそのとおりだというふうに思います。
しかし、今後どういう絵を、どういう家を設計するかという点におきましては、かなり私は違和感がございます。まず、二カ所、三カ所回るというのは、ビッグバンの時代に、二カ所、三カ所回っているような金融機関は本当に存続できるのだろうかというふうに思いました。
それから、焼け太りとおっしゃっているのですが、確かに私もそういう危惧は全く同感であります。しかし、やはり世紀の大改革でありますので、一気にすべて欠陥をなくして、それで一挙に改革というのは、私はいろいろなところではかなり思い切った意見を述べておるつもりですが、すべて焼け太りをなくすというのはなかなか難しかろうという感じが率直にしております。
そういう点を感じますが、あとは、鈴木先生おっしゃったように、中央銀行の独立性の問題。ヨーロッパもアメリカも含めて、百年、二百年かけてきたこの中央銀行の独立性、ここから得られた歴史的な教訓というのは、この法案の中ではどんなふうに生かされているのかという疑問を私感じております。この金融委員会の、言葉は悪いのですが、いわば下請機関になってしまうというのが大変心配な点であります。
山
山田弘史#27
○山田参考人 私、先ほど原案についての意見を申し上げて、最後に申し上げようと思いましたが時間がありませんで、新進党の修正案、民主党もあれですけれども、申し上げませんで、大変失礼をいたしました。お尋ねがありましたので申し上げます。
私も、昨日、鈴木先生の事務所から、改革案骨子、また御論文のコピーをいただいておりますので、御提案の趣旨はよくわかりました。
鈴木議員、大変に金融、財政について識見、経験の高い方でございますので、非常に考え抜かれた案だとは思いますけれども、私は、一言に申しまして、かなり無理な設定ではあるまいかと。私、先ほど、新しい金融監督機関の設置形態として、三条の独立行政委員会が好ましいと申し上げました。その点では共通しているようではありますけれども、中身から申しますとやや異なりまして、無理があると申し上げますのは、つまり、先ほど申し上げましたが、金融政策は中央銀行が独立してこれを行うということでございます。また、金融行政は一つの規制行政でございまして、この金融監督、今までは大蔵省、今度は金融監督の新機関が行う。これはやはり別の性格のものだと思います。これを一緒にいたしますと、かなりごっちゃになってしまう。
例えば、アメリカの連邦準備制度理事会の場合には、監督機能の一端を担ってはおりますけれども、これはそれぞれの、アメリカの銀行制度は、州権が強いですから、中央銀行が十二もある、その一つのポリシーボードとしてある。ですから、これは中央銀行より外にあるという必然性があるわけですけれども、日本銀行の場合には、日本銀行の外へ出してしまって、しかも、これが金融行政と金融政策と一緒にそれをやるというところで無理だし、それから、先ほど参考人からもありましたけれども、日本銀行が政策に従って執行だけをやるということもやはり現実に即さないというふうに思われます。
先ほど鈴木参考人も指摘されましたように、一九四八年、九年、これは占領軍の示唆で金融庁構想というのがございました。これは、大蔵省は大蔵省で金融監督権限があったわけですけれども、金融政策の最高意思決定機関として日本銀行より外にという、これはアメリカ式の直輸入でありまして、かなり無理がある。これに対して日本の当局が抵抗したのは当然でありまして、ですから、それは現行法の日本銀行政策委員会という形になったわけでございます。
いずれにしても、この新進党の修正案、非常によく考え抜かれた案ではありますけれども、やや無理がありますし、それから、金融行政と金融政策を一緒にやるということも無理がある。
もう一つ申し上げますと、御論文にありました検査と監督の問題、これは前にも論議でありました。つまり、検査するということで足りるのであって、金融監督庁は要らないというような、監督行政は極小化するというふうに鈴木先生、書かれておられます。私は、そうではなくて、金融の、銀行の監督というものは、やはり、国民の立場から非常に重要な、監督すべきものはきちっと規制をし、監督をするということが必要なのでありまして、これを極小化して、検査のみにいわば矮小化するという点で、ちょっとこの修正案には私は批判を持っておるということを申し上げます。
〔野呂田委員長代理退席、委員長着席〕
この発言だけを見る →私も、昨日、鈴木先生の事務所から、改革案骨子、また御論文のコピーをいただいておりますので、御提案の趣旨はよくわかりました。
鈴木議員、大変に金融、財政について識見、経験の高い方でございますので、非常に考え抜かれた案だとは思いますけれども、私は、一言に申しまして、かなり無理な設定ではあるまいかと。私、先ほど、新しい金融監督機関の設置形態として、三条の独立行政委員会が好ましいと申し上げました。その点では共通しているようではありますけれども、中身から申しますとやや異なりまして、無理があると申し上げますのは、つまり、先ほど申し上げましたが、金融政策は中央銀行が独立してこれを行うということでございます。また、金融行政は一つの規制行政でございまして、この金融監督、今までは大蔵省、今度は金融監督の新機関が行う。これはやはり別の性格のものだと思います。これを一緒にいたしますと、かなりごっちゃになってしまう。
例えば、アメリカの連邦準備制度理事会の場合には、監督機能の一端を担ってはおりますけれども、これはそれぞれの、アメリカの銀行制度は、州権が強いですから、中央銀行が十二もある、その一つのポリシーボードとしてある。ですから、これは中央銀行より外にあるという必然性があるわけですけれども、日本銀行の場合には、日本銀行の外へ出してしまって、しかも、これが金融行政と金融政策と一緒にそれをやるというところで無理だし、それから、先ほど参考人からもありましたけれども、日本銀行が政策に従って執行だけをやるということもやはり現実に即さないというふうに思われます。
先ほど鈴木参考人も指摘されましたように、一九四八年、九年、これは占領軍の示唆で金融庁構想というのがございました。これは、大蔵省は大蔵省で金融監督権限があったわけですけれども、金融政策の最高意思決定機関として日本銀行より外にという、これはアメリカ式の直輸入でありまして、かなり無理がある。これに対して日本の当局が抵抗したのは当然でありまして、ですから、それは現行法の日本銀行政策委員会という形になったわけでございます。
いずれにしても、この新進党の修正案、非常によく考え抜かれた案ではありますけれども、やや無理がありますし、それから、金融行政と金融政策を一緒にやるということも無理がある。
もう一つ申し上げますと、御論文にありました検査と監督の問題、これは前にも論議でありました。つまり、検査するということで足りるのであって、金融監督庁は要らないというような、監督行政は極小化するというふうに鈴木先生、書かれておられます。私は、そうではなくて、金融の、銀行の監督というものは、やはり、国民の立場から非常に重要な、監督すべきものはきちっと規制をし、監督をするということが必要なのでありまして、これを極小化して、検査のみにいわば矮小化するという点で、ちょっとこの修正案には私は批判を持っておるということを申し上げます。
〔野呂田委員長代理退席、委員長着席〕
宮
宮本一三#28
○宮本委員 中北先生、山田先生、いろいろありがとうございました。
新進党の方の案も相当練りに練った案であるという御評価もちょうだいしましたが、中身について、またひとつ我々十分説明をさせていただいて、ぜひ御理解を深めていただければと思っておりますが、やはり基本的には、金融政策の独立を財政とどういう形で持っていくかというポイントにあろうかと思います。財政と金融、これは本当に不可分のものであるという考え方ももちろんありますし、また、その方が有効に動くという説もあるし、同時にまた、金融がある程度独立していないことには、最近のような非常に残念な結果になるということもわかっております。
そこで、我々も、そういった両にらみで、何がこの日本の社会に、そして今の実態に即したベストな対案であるかということを考えていかなきゃいけないと思うわけでございますが、今もフェルドマン参考人の御意見の中で、やはりコストの問題に触れられておりました。本当に大事なことだと思います。
確かに、外庁は雑草のような強さがあると言われましたけれども、見ておりまして、本当にそのとおりでございます。一たん外庁をつくりますと、それが少々のことでは減らない、むしろ大きくなっていく傾向があるわけで、今行革が至上命題であるこのときにそのような余裕があるのかということ、これはどうしても真剣に考えなきゃいけない問題だと思います。
時間の関係もございますので、もう一つお伺いしたいのは、アメリカのSアンドLの崩壊の話がちょっとフェルドマンさんの方から出ましたのでお伺いするのでございますが、あのときは、公的資金も確かに投入はいたしましたけれども、大変な数の金融機関のトップを逮捕されたと聞いております。報告によっては数字、ばらばらでございますが、三けたになるような数の逮捕者を出し、そして有罪判決を受けて、いまだに獄中にいる方が七百名とも八百名とも報告を受けております。それほど、アメリカの社会では金融崩壊に対する責任は重い。金融秩序を守るために公的資金は導入するけれども、それ相応の厳しい罰則が適用されるということであります。
翻って、それでは日本の対応。公的資金は、アメリカに比べれば少ないかもしれませんが、投入をいたしました。一体どれほどの罰則が適用されたのかというふうに考えてみますと、特に大きな金融機関あるいは証券機関、むしろそちらがこのたびのバブルについても大きなウエートを持っているわけでございますが、何の責任もとらないと言うと語弊がありますけれども、タイミングを見計らつて辞職するだけで、そしてまた、時にはタイミングを見計らって復活するようなこともありました、もちろん、それは金融全体について言えるわけじゃございませんが。
そういった責任のとり方が、やはり今後の日本の金融を、そして監督庁のあり方を考える上で非常に大事だと思うのですが、フェルドマン参考人、日本の状況をアメリカとの対比で見てどのように見ておられるか、お願いしたいと思います。
この発言だけを見る →新進党の方の案も相当練りに練った案であるという御評価もちょうだいしましたが、中身について、またひとつ我々十分説明をさせていただいて、ぜひ御理解を深めていただければと思っておりますが、やはり基本的には、金融政策の独立を財政とどういう形で持っていくかというポイントにあろうかと思います。財政と金融、これは本当に不可分のものであるという考え方ももちろんありますし、また、その方が有効に動くという説もあるし、同時にまた、金融がある程度独立していないことには、最近のような非常に残念な結果になるということもわかっております。
そこで、我々も、そういった両にらみで、何がこの日本の社会に、そして今の実態に即したベストな対案であるかということを考えていかなきゃいけないと思うわけでございますが、今もフェルドマン参考人の御意見の中で、やはりコストの問題に触れられておりました。本当に大事なことだと思います。
確かに、外庁は雑草のような強さがあると言われましたけれども、見ておりまして、本当にそのとおりでございます。一たん外庁をつくりますと、それが少々のことでは減らない、むしろ大きくなっていく傾向があるわけで、今行革が至上命題であるこのときにそのような余裕があるのかということ、これはどうしても真剣に考えなきゃいけない問題だと思います。
時間の関係もございますので、もう一つお伺いしたいのは、アメリカのSアンドLの崩壊の話がちょっとフェルドマンさんの方から出ましたのでお伺いするのでございますが、あのときは、公的資金も確かに投入はいたしましたけれども、大変な数の金融機関のトップを逮捕されたと聞いております。報告によっては数字、ばらばらでございますが、三けたになるような数の逮捕者を出し、そして有罪判決を受けて、いまだに獄中にいる方が七百名とも八百名とも報告を受けております。それほど、アメリカの社会では金融崩壊に対する責任は重い。金融秩序を守るために公的資金は導入するけれども、それ相応の厳しい罰則が適用されるということであります。
翻って、それでは日本の対応。公的資金は、アメリカに比べれば少ないかもしれませんが、投入をいたしました。一体どれほどの罰則が適用されたのかというふうに考えてみますと、特に大きな金融機関あるいは証券機関、むしろそちらがこのたびのバブルについても大きなウエートを持っているわけでございますが、何の責任もとらないと言うと語弊がありますけれども、タイミングを見計らつて辞職するだけで、そしてまた、時にはタイミングを見計らって復活するようなこともありました、もちろん、それは金融全体について言えるわけじゃございませんが。
そういった責任のとり方が、やはり今後の日本の金融を、そして監督庁のあり方を考える上で非常に大事だと思うのですが、フェルドマン参考人、日本の状況をアメリカとの対比で見てどのように見ておられるか、お願いしたいと思います。
ロ
○フェルドマン参考人 アメリカとの比較の点ですけれども、米国の金融機関に問題があったときにどういうふうに責任がとられるかといいますと、もちろん日本のように上の方が辞任するとか、そういうことはよくありますけれども、まず、株価が落ちるという市場の反応が非常に大きなポイントだと思います。
市場の目から見て金融機関がうまくやっているかどうかという判断がすぐ下されるわけですから、そういう意味で、その銀行の、あるいは金融機関の動きが正しいかどうかに関して、投資家の判断がすぐわかるわけです。大きく株価が落ちた金融機関があっても、その銀行あるいは金融機関がまだしっかりしているから大丈夫だと思う人が自分のお金を投資してもいいわけですから、すぐ責任をとって、もっといい金融機関をつくり直そうという働きが動くわけですね。あるいは、株価が下がった場合に、いわゆるテークオーバー、買収ですね、それが可能になるわけですから、そういう意味で、株価あるいは株式市場の動きによって規律が成り立つことがあります。
もう一つの責任のとり方ですけれども、やはり問題が生じたときに金融機関からお金が流出するという働きがあります。かなりディスクロージャー、情報開示が進んでいるアメリカの中では、やはり問題があったときに、投資側がそれをすぐつかんで、自分のお金だから持って逃げようという動きが非常にはっきりしてきます。そうしますと、割と細かく、毎日毎日の出来事を見て投資側が動きます。株式の投資家あるいは預金者に当たる、各金融機関に負債を提供する方の動きも同じですけれども。とにかく、米国の場合は、大きな間違いを起こしたときにやはり投資側が責任をとるという非常にいいところがあると思います。
日本と比較しまして、預金は保証がつくものですから、それはやはりそのまま保証した方がいいと思われますけれども、保証がつかないところも、ある意味で保証されているという神話があるのですね。これは、これから投資家の動きを効率的にさせるために、はっきりと外した方がいいのじゃないかと思います。やはり投資家あるいは預金者が自分で自分のお金を守るという態度をとらないと、その責任のとり方が変わっていかないのじゃないかと思います。
結論として、預金者、投資家が自由に、確かな情報をもとにして自分のお金を動かす制度をつくった方が、日本の責任のとり方をよくすることになるのじゃないかと思います。
この発言だけを見る →市場の目から見て金融機関がうまくやっているかどうかという判断がすぐ下されるわけですから、そういう意味で、その銀行の、あるいは金融機関の動きが正しいかどうかに関して、投資家の判断がすぐわかるわけです。大きく株価が落ちた金融機関があっても、その銀行あるいは金融機関がまだしっかりしているから大丈夫だと思う人が自分のお金を投資してもいいわけですから、すぐ責任をとって、もっといい金融機関をつくり直そうという働きが動くわけですね。あるいは、株価が下がった場合に、いわゆるテークオーバー、買収ですね、それが可能になるわけですから、そういう意味で、株価あるいは株式市場の動きによって規律が成り立つことがあります。
もう一つの責任のとり方ですけれども、やはり問題が生じたときに金融機関からお金が流出するという働きがあります。かなりディスクロージャー、情報開示が進んでいるアメリカの中では、やはり問題があったときに、投資側がそれをすぐつかんで、自分のお金だから持って逃げようという動きが非常にはっきりしてきます。そうしますと、割と細かく、毎日毎日の出来事を見て投資側が動きます。株式の投資家あるいは預金者に当たる、各金融機関に負債を提供する方の動きも同じですけれども。とにかく、米国の場合は、大きな間違いを起こしたときにやはり投資側が責任をとるという非常にいいところがあると思います。
日本と比較しまして、預金は保証がつくものですから、それはやはりそのまま保証した方がいいと思われますけれども、保証がつかないところも、ある意味で保証されているという神話があるのですね。これは、これから投資家の動きを効率的にさせるために、はっきりと外した方がいいのじゃないかと思います。やはり投資家あるいは預金者が自分で自分のお金を守るという態度をとらないと、その責任のとり方が変わっていかないのじゃないかと思います。
結論として、預金者、投資家が自由に、確かな情報をもとにして自分のお金を動かす制度をつくった方が、日本の責任のとり方をよくすることになるのじゃないかと思います。