三塚博の発言 (大蔵委員会)

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○三塚国務大臣 哲学的な発想の政治論を御展開をいただきました。
 長い歴史は、必ずしも構造物、社会資本ということにイコールしないというのが東洋の違いなのでしょうか。中国のような偉大な文化文明を切り開いた国家は、遺跡は遺跡として保存され、またそれだけの耐用年数をもって今日に往時をしのばせておるわけでございます。しかしそれは、戦国乱世に見られますように、覇権を競い合う、もちろん王道を目指して国民全般の幸せをということもあったとは思います。
 そういう中で、我が国の社会資本に対する努力は、先人が最大の努力を持ってきたことだけは間違いございませんが、地震国なものでございますから、その時折の災害によって崩壊をしていく。もう一つは、石の文化と木の文化、こういう仕分けの仕方がわかりいいことなのでしょうか、そういう点で、日々新たにそれをつくり上げていくということが日本の社会資本という形であったというふうに思います。その日々は五十年であったり百年であったり、こういうミドルのスパンだと思いますが、そういう点で、政治の原点は中央も地方も均てんをすることが大事、こういうことでございますから、社会資本の充実に向けては不断の努力をしていかなければならない、その基本原則は変わらない。
 しかし、財政構造改革ということで、累積する深刻な債務を解消し、租税は租税として国民生活、国家の将来に向けて使われるようにしていかなければならない。租税のうち多くの部分が元利合計で支払いを行わざるを得ないということで、租税収入に比較をして歳出予算に計上できる租税はだんだんウエートが少なくなっていくということはいかがなものか、やはりその悪循環は断ち切る時期に来た、こういうことで、その中で、聖域を設けずという言葉がありますとおり、全体を見直しながら、プライオリティーを決めながら措置していくことが大事ではないのか、こういうことであろうと思います。

発言情報

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発言者: 三塚博

speaker_id: 28718

日付: 1997-02-21

院: 衆議院

会議名: 大蔵委員会