中島眞人の発言 (臓器の移植に関する特別委員会)
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○中島眞人君 自由民主党の中島眞人でございます。
本会議の趣旨説明並びに代表質問、並びに前回の委員会等、私は、衆議院の段階での論議というのは、臓器移植を早くすべきだという一つの論議だったろうというふうにまとめて言うならば言えるのではないかと思います。参議院で審議に入った途端に、臓器移植ありきではいけない、やっぱりもっと大切なことは人の死というものをどういうふうに考えていかなければいけないのかという論議が、私は違った面で起き上がっているというふうに認識をいたしております。
けさも、梅原氏の「政治が死を決定してもよいか」というような「論壇」が出ておりました。戦前の学徒出陣などの引き合いが出ておりまして、若干いかがなものかという気持ちはあるのでありますけれども、そのほか、脳死は法で決めていいものだろうかというような論議が盛んに論調として出てまいりますし、また国民の皆さん方のサイドにも、はて、法律がここまで来て本当にいいんだろうかという問いかけ自身が国民の中に起こっておるというふうに私は感じております。
さてそこで、脳死は人の死と主張する中山案について、今までの審議の中で数々の問題点が指摘されてまいりました。現在、三徴候による死に対しては、国民はおおむね死として認めているわけであります。脳死イコール人の死はおおむね国民的合意が得られている、ゆえに法律で定めてもよいのではないかという中山案の発想に対して、今の国民感情ではなじまないのではないかという意見が出始めてきておるわけであります。
脳死は人の死ではないという三〇%あるいは五〇%の世論調査あるいは国民の意思に対してどう対応していくんだろうか。多分、今までの論議でいきますと、臓器を提供する意思と移植の可能な手順について規定したもので、これに反対の人は応じなければ問題はないという論調であったと思います。
しかし、法律で脳死は人の死と決めた時点で、立法者の意思とは関係なく、法律というのはひとり歩きするものだというのは前回の委員会の中でも御論議をされたところであります。法案が臓器移植以外の場面でどのように影響を及ぼすかという御認識をまず中山先生から簡潔にお答えをいただきたいと思います。