臓器の移植に関する特別委員会

1997-06-02 参議院 全134発言

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会議録情報#0
平成九年六月二日(月曜日)
   午後一時三十二分開会
    —————————————
  出席者は左のとおり。
    委員長         竹山  裕君
    理 事
                加藤 紀文君
                関根 則之君
                成瀬 守重君
                木庭健太郎君
                和田 洋子君
                照屋 寛徳君
                川橋 幸子君
                西山登紀子君
    委 員
                阿部 正俊君
                石渡 清元君
                尾辻 秀久君
                大島 慶久君
                小山 孝雄君
                塩崎 恭久君
                田浦  直君
                中島 眞人君
                長峯  基君
                南野知惠子君
                宮崎 秀樹君
                大森 礼子君
                木暮 山人君
                水島  裕君
                山崎 順子君
                山本  保君
                渡辺 孝男君
                大脇 雅子君
                菅野  壽君
                笹野 貞子君
                中尾 則幸君
                橋本  敦君
                佐藤 道夫君
                末広真樹子君
                栗原 君子君
       発  議  者  大脇 雅子君
    委員以外の議員
       発  議  者  猪熊 重二君
       発  議  者  竹村 泰子君
       発  議  者  朝日 俊弘君
       発  議  者  堂本 暁子君
    衆議院議員
       発  議  者  中山 太郎君
       発  議  者  自見庄三郎君
       発  議  者  能勢 和子君
       発  議  者  山口 俊一君
       発  議  者  福島  豊君
       発  議  者  五島 正規君
    事務局側
       常任委員会専門
       員        吉岡 恒男君
       常任委員会専門
       員        大貫 延朗君
    説明員
       法務省刑事局刑
       事法制課長    渡邉 一弘君
       厚生省保健医療
       局疾病対策課臓
       器移植対策室長  貝谷  伸君
    —————————————
  本日の会議に付した案件
○臓器の移植に関する法律案(衆議院提出)
○臓器の移植に関する法律案(猪熊重二君外四名
 発議)
    —————————————
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竹山裕#1
○委員長(竹山裕君) ただいまから臓器の移植に関する特別委員会を開会いたします。
 臓器の移植に関する法律案(第百三十九回国会衆第一二号)及び臓器の移植に関する法律案(参第三号)、以上両案を一括して議題といたします。
 前回に引き続き質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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中島眞人#2
○中島眞人君 自由民主党の中島眞人でございます。
 本会議の趣旨説明並びに代表質問、並びに前回の委員会等、私は、衆議院の段階での論議というのは、臓器移植を早くすべきだという一つの論議だったろうというふうにまとめて言うならば言えるのではないかと思います。参議院で審議に入った途端に、臓器移植ありきではいけない、やっぱりもっと大切なことは人の死というものをどういうふうに考えていかなければいけないのかという論議が、私は違った面で起き上がっているというふうに認識をいたしております。
 けさも、梅原氏の「政治が死を決定してもよいか」というような「論壇」が出ておりました。戦前の学徒出陣などの引き合いが出ておりまして、若干いかがなものかという気持ちはあるのでありますけれども、そのほか、脳死は法で決めていいものだろうかというような論議が盛んに論調として出てまいりますし、また国民の皆さん方のサイドにも、はて、法律がここまで来て本当にいいんだろうかという問いかけ自身が国民の中に起こっておるというふうに私は感じております。
 さてそこで、脳死は人の死と主張する中山案について、今までの審議の中で数々の問題点が指摘されてまいりました。現在、三徴候による死に対しては、国民はおおむね死として認めているわけであります。脳死イコール人の死はおおむね国民的合意が得られている、ゆえに法律で定めてもよいのではないかという中山案の発想に対して、今の国民感情ではなじまないのではないかという意見が出始めてきておるわけであります。
 脳死は人の死ではないという三〇%あるいは五〇%の世論調査あるいは国民の意思に対してどう対応していくんだろうか。多分、今までの論議でいきますと、臓器を提供する意思と移植の可能な手順について規定したもので、これに反対の人は応じなければ問題はないという論調であったと思います。
 しかし、法律で脳死は人の死と決めた時点で、立法者の意思とは関係なく、法律というのはひとり歩きするものだというのは前回の委員会の中でも御論議をされたところであります。法案が臓器移植以外の場面でどのように影響を及ぼすかという御認識をまず中山先生から簡潔にお答えをいただきたいと思います。
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中山太郎#3
○衆議院議員(中山太郎君) 参議院における臓器移植及び脳死の審議に当たって、脳死は果たして人の死かということが大きな問題であるという御指摘でございますけれども、やはり御指摘されている問題は、人間の死に関することでございますから、私は極めて重要なことだと認識をいたしております。
 そこで、今までの死の三徴候というものは、医学の進歩あるいは進歩に関係なく、人が亡くなられるということは、医学を学んだ方でなくても人が死んだということの客観的な事実を十分認識される条件があると思います。
 つまり、瞳孔の対光反応がなくなったとか、心臓がとまってしまっているとか、あるいは呼吸がとまってしまっている、こういったような状況が続けば、どなたがごらんになっても人が亡くなったと、こういう御認識をお持ちになって悲しまれると思われますけれども、医学の進歩というものが、現実の問題として脳死という新しい人間の死というものを、存在というものを認めた。こういう中で、いわゆる脳死判定という方法が開発されてくる。それは、一般の方には非常にわかりにくい専門の領域で行われるというところにこの問題の難しさ、また国民の皆様方の御理解がいただきにくい点があるのではないか、私はそのように考えております。
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中島眞人#4
○中島眞人君 過般の委員会でも、それぞれの委員の先生方から御提起がございました。
 よしんば、人の死を脳死とするならば、例えば遺産相続はどうなるんだろうか。あるいは、中山先生は、医療保険は当分の間認めると。当分というのはまあ当分であって、何も期間は限りませんと言っているのでありますけれども、死という形で認められていくと、死者に医療保険の適用というのは矛盾があるんではないか。このことについては、衆議院の厚生委員会で、小泉厚生大臣が脳死判定後の治療に疑問を投げかけておりますね。私は、脳死は人の死であるという問題から派生するそういうふうなさまざまな問題が整理されていないんではないのか、こんな感じを実は持つわけであります。
 それと同時に、医療現場において想定される問題もいろいろあるんではないか。ただいま言った医療保険の適用の問題、将来にわたっての問題。同時に、医療現場に脳死判定が積極的に持ち込まれるんではないのか、第二点の問題。また、救急医療の取り組みが後退するのではないのか。
 こういう指摘があるのでありますけれども、この三点について簡潔にお答えをいただきたい。
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中山太郎#5
○衆議院議員(中山太郎君) 遺産相続の件につきましては、いわゆる脳死判定が行われ、さらに六時間後の再判定が行われた結果、死亡が診断された、それが御本人の生存中の意思あるいは御家族の反対によって脳死判定を受けないという場合については、先般も御答弁申し上げたように、自然死に至るまで治療を続けるということでございますから、遺産相続というものはこの死亡診断の時期から発生してくるものと考えております。
 第二点、医療保険の適用で小泉厚生大臣が疑問を感じて投げかけているという御指摘でございますが、死体に対する治療というものを継続していくことについて、これはいかがなものかという御質問の御趣旨だろうと思います。
 本来、亡くなられた方に対して医療行為を行うということ自身、私どもは基本的に保険の対象には原則としてならないのではないかと思いますけれども、御家族の中で、まだ体が温かいとかあるいは人工呼吸器をつけていれば心臓は動いているといったような状態の中で、やはりこのまま治療を続けてやってもらいたいという御要望があれば、それは一定の期間となると思いますけれども、医療保険の適用として治療行為を行うということも考えなければ、なかなか日本では、脳死状態における、脳死による臓器を御本人の意思に基づき、また家族の御同意によって他人の方に提供されるということは、現実の問題として感情的な問題から難しくなるのではないかということを考えた上でこのような法案の作成をしたわけでございますが、その期間につきましては、これから中央社会保険医療協議会等の場で議論をされるべき問題であろうと私は考えております。
 なお、私も一昨日大阪市立総合医療センターに参りまして、さらに現場の医師たちにも聞きましたけれども、やはり人間の死に至る直前の医療費というものが極めて高額になるということは現場の人たちの意見として承ってまいりました。
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中島眞人#6
○中島眞人君 今、救急医療の取り組みが後退するのではないかという質問をいたしたんですけれども、それと答弁漏れをお答えいただきたいと思います。
 また、法が制定をされますと、医療現場が家族に人工呼吸器をとめるかどうか、臓器提供をするかどうかを尋ねる機会というのは大変な増大をしてくるんだろうというふうに私は思うんですけれども、この辺についての御所見。
 同時に、さまざまな問題というのは医療現場だけでなくて、遺産相続の問題というような指摘もございましたけれども、現に損保会社、交通事故等でいわゆる加害者と被害者、損保会社との関係で、損保会社は法案の行方を見届けてから検討するという形で、脳死を起こす要因である交通事故に対して、損保会社が前向きではなく、脳死は死であるということについて検討をしている、こういうことなどの報道もあるわけでございますので、先ほどの答弁漏れとあわせてこの問題等についても御所見をお伺いいたしたいと思います。
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中山太郎#7
○衆議院議員(中山太郎君) 救急医療の現場では、医師及び医療のスタッフは全力を挙げて、その方の生命を維持するために全力投球して努力をいたしております。また、今後ともそうあるべきだと確信をいたしております。
 第二点のお尋ねの人工呼吸器を外す問題、これはあくまで御家族の御同意というものが必要であろうと考えております。
 第三番目の御質問の民間の保険会社の扱いにつきましては、これはあくまで民間の企業が考えている問題でございまして、この問題につきましては、政府の医療保険の取り扱い等の経過を見ながら、民間の保険会社におきましてもそれなりに独自の判断が行われるものと考えております。
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中島眞人#8
○中島眞人君 ちょっと中山先生、先生は、この法律をつくる中ではまさに性善説の立場で物事をお考えになっておるわけでありますけれども、法律というのはつくられてしまいますと、やっぱり全然違った意思のままに走り出していくというふうな従来の法律制定、法律の中で間々見られた傾向でございます。ですから、性善説の立場に立ったものが全く違った形で回転をしていくということも、立法者あるいは我々は法律をつくっていく過程の中では十分過ぎるほどの論議をしていかなければいけないんではないか、こんなふうに思うんです。
 さてそこで、家族の問題が出てまいりました。先般五月二十六日、当委員会で関根委員が患者や家族に脳死判定を拒否する権利はあるのかという質問に対して、提案者の中山先生は、拒否する権利、拒否権はあると答弁されております。しかし、厚生省の小林局長は心臓死か脳死かの選択権を与えるのは不適当と、食い違いを見せております。また、厚生省の小林局長は人の死を脳死であるという断定の上に立っての発言がるる述べられておったわけでありますが、中山案が法律とされていくとすれば、やっぱり小林局長の答弁のように選択権はない、すなわち拒否権はないのではないかという方向へ進んでいくという懸念が私はあるんではないかというふうに心配するんです。
 そこで、そのことと、家族というのはだれを指すのか。家族もたくさんおりますから、賛成もあれば反対もありであります。その場合、賛成あり反対ありという場合にどういう結論を出すのか。この辺についても衆議院あるいは本院での質疑の中でも明確になっておりませんので、全員が賛成すればいいんです、全員が反対すれば問題ないんですけれども、賛成もあれば反対もありといったときには何を基準に判断をなされていくのか。
 この二点について御所見をお伺いしたいと思います。
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中山太郎#9
○衆議院議員(中山太郎君) 性善説に立っておらなければこの法案を提案することができません。
 第二点目の、先般の委員会において拒否権の問題について私が発言いたしましたことと厚生省の小林局長の答弁とに食い違いがあるのではないかと。
 私も提案者の責任ある立場におきまして、先般も申し上げましたように、一昨日、大阪の市立総合医療センターに参りまして、救急部の責任の担当者といろいろ話をいたしました。そこで、拒否権という言葉が一番大きなひっかかりになるわけでありますが、実際の現場ではどうかという確認をいたしました。その場合に、医学の進歩によってこのような状況が生まれてきたわけだから、御家族の拒否権という形でなしに、あくまでも医療現場における医療の行為としてこれは認められるべきものであるというのが現場の御意見でございました。
 ただ、脳死判定を行う場合には、いわゆる無呼吸検査というような検査を行わなければならない。これは侵襲性があるわけでございまして、非常に重要な生命にかかわる問題が存在をいたしております。その場合に、御家族にインフォームド・コンセントに基づいて十分御説明を申し上げてこれをやらなければならない。その場合に御家族の同意がなければもちろんできないことになります。
 結果といたしまして、小林局長が申しましたことと私の申しました拒否権という言葉が私は食い違ったと思いますけれども、拒否権という言葉ではなしに、同意しない、いわゆる家族の権利というものはそこで担保されるべきであると考えております。
 それから、家族の範囲につきましてお尋ねがございました。
 通常は喪主ないし祭祀主宰者が遺族の総意を取りまとめることになると考えているので現行の角膜及び腎臓移植法、献体法、死体解剖保存法においても単に遺族と規定されているところでありますけれども、その運用については特段に問題は起こっておらないということでございます。通常考えられることとしては、同居の親族、特に配偶者あるいはお子さん、こういったところが中心になっていろいろとお話を決められるのだろうと思います。
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中島眞人#10
○中島眞人君 先生は性善説という立場でつくったと、私も性善説でありたいと思います。しかし、やっぱり法律というのはっくられますと、先ほどから言っているように、どんどんひとり歩きをしていく。そして、このことが私は、問題になったホームレスの方ですとか、あるいは知的障害者とかと呼ばれる方々のところへある面ではどんどん進行していくということの懸念も実はあるわけです。こういう点から考えて、法律はより厳しくより保守的でなければいけない、こんな気持ちを私は持ちながら、あえて意地悪のような質問をしていることをぜひお許しいただきたいと思うんです。
 さてそこで、厚生省にお聞きをいたしますけれども、私は、臓器移植の法案が衆議院を通って参議院へ来た、これで、臓器を欲しくて、いわゆる生命が維持できるという方々に何かバラ色の幻想を余りにもまき過ぎているような感じがすると思うのでありますけれども、実態論としてこの臓器移植という問題が数的にどうなのか、数的に現行の中でこれを補完していくことがどうなのかという問題について、まず厚生省からお聞きをしたいと思います。
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貝谷伸#11
○説明員(貝谷伸君) お答え申し上げます。
 今御審議されておりますいずれの案におきましても、臓器提供の要件につきましては本人の書面による同意ということに限定されていることになってございまして、また諸外国のさまざまな例にかんがみますと、私どもとしては臓器の提供は少なくとも当初は少数にとどまらざるを得ないものというふうに考えているところでございます。
 以上でございます。
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中島眞人#12
○中島眞人君 私は、この問題についてもあらぬ幻想というかバラ色の幻想でなくて、実態論を厚生省サイドからもはっきり出していただきたい。そして、臓器の提供者があっても必要とする方との間にはどういう必要性があるのかという問題も考えておかなければいけないんではないか、こんなふうに思うんです。
 それと、コストの問題については、この間、心臓約一千万、肝臓九百万ということだったんですけれども、この費用の負担についてはどんなふうにお考えになっていますか。
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貝谷伸#13
○説明員(貝谷伸君) 脳死体からの心臓、肝臓の移植につきましては先生今御案内のような数字がございました。現在、医療保険の対象としては、このような手術そのものは行われておりませんので、当然対象になってございません。
 ただ、そのような額でございますので、私どもといたしましても患者の家族の方にとりまして大変大きな負担ではないかというふうに考えております。
 現在、臓器移植につきましては、既に実施されております角膜と腎臓につきましてちゃんと保険の対象になっております。また、肝臓の一部生体で行われているものにつきましても高度先進医療ということでの適用をされているところでございまして、本件心臓、肝臓などの臓器移植が今後行われるということになった場合におきましては、状況を見つつできるだけ速やかに、このような形での医療保険での適用ということにつきまして中央社会保険医療協議会におきまして検討を行っていくというような方向で考えたいというように考えております。
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中島眞人#14
○中島眞人君 現在提出されている、あえて中山案、猪熊案、死に関してはこんなに違いもございますけれども、臓器を移植するという点については一致しておるわけです。何とかこの問題についてクリアできないものかというふうに私は考えておりますけれども、人の死を足して二で割って調整案をつくっていくというのはなかなか難しい問題だなというふうに考えております。
 同時に、臓器を提供する方、提供される方、医療現場という三つのセクションの持っている認識が大変違うということです。大体一つの問題をなし遂げていくときには共通認識というのが出るんですけれども、少なくともこの三者での認識度の違いが大変あるということであります。そういう点を埋めていく努力もしなければいけない、そんなふうに考えるわけであります。
 さてそこで、私は、この死に対する大変に大きな食い違いはございますけれども、今申し上げましたように、両案とも臓器提供者の意思による臓器移植の実施については一致している、これがせめてもの救いなんではないのか。とすれば、日本人の死生観、生命倫理観が多様である今日、脳死を人の死とすることについて、関根委員が本会議でも申されましたけれども、ある面では一般化することにはまだまだ問題があるのではないのか。そういう観点から、脳死判定を拒否できるという権利等々を十分担保できるような形でこの法律が通っていったらいいな、実はそんな願いを持っているわけであります。
 私は、あくまでも当事者の意見、当事者の意思というのを大事にしたい。ですから、生前において法律家等を立ち会わせる中で、みずから、私は臓器を提供します、私は脳死判定を受けた時点で提供しますと。あくまでもこの脳死の死というものを法律で一般化するのでなくて個人のものとする、こういう位置づけでいくことはいかがだろうか。同時にまた、家族の意思でありますけれども、家族の意思についてはやっぱり臓器提供者、私なら私本人が指名する家族というふうに限定をしたらいかがだろうか。
 そんなふうに私自身は思うのでありますけれども、中山先生と猪熊先生に、私のこの提案といいますか趣旨に対して御所見を例えれば大変ありがたいと思います。
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中山太郎#15
○衆議院議員(中山太郎君) 御本人が生存中に自分が臓器提供者になるということを文書をもって記録して残すということは当然でございますが、そこに法律家を立ち会わせると。法律家といってもいろいろございますから、普通一般に弁護士の資格を持った方に立ち会ってもらわないと遺書としての有効性が問われる可能性がある。その場合の問題は、果たして弁護士会との間での話し合いというものがこれから必要なのか、あるいは弁護士個人とそれから臓器提供者の御本人個人との間の話し合いで行っていけるのか。恐らく私は、個人と個人との関係が優先すべき問題だと思いますが、そこに一つの問題があろうかと思っております。
 それから、自分が指定した家族あるいは遺族の中で個人的に指名するといったことが可能かどうかということでございますが、これは、御本人の遺書、生存中の意思というものを、この臓器を提供するということをだれに決めてもらうかという御趣旨じゃないかと思うんです。そういうことでしょうか。
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中島眞人#16
○中島眞人君 はい。
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中山太郎#17
○衆議院議員(中山太郎君) その場合に、外国の法律で私どもがちょっと勉強しましたところでは、御本人に選択できる意思が脳死状態でないわけですから、生前にそれを決めておくということも一つの考え方としてはあろうかと思います。
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猪熊重二#18
○委員以外の議員(猪熊重二君) 私たちは、今、中島先生のおっしゃったような基本的なこの臓器移植に関する見解に賛成でございます。
 特に、脳死を人の死と一般化するようなことをしないようにしよう、脳死判定拒否権を当然家族に認めようというふうなことは基本的なことでございまして、大変重要なことだと思います。
 私たちとしては、臓器提供をしてもよろしいという善意の臓器提供者と臓器をいただいてさらなる命を得ようというレシピエントのこの二つの間の何とかうまいかけ橋となるような法律をつくることで法律は十分であり、またそれ以上にあたかも人の死に行くことを待つような法律というものをつくるべきではない、このように考えております。
 なお、先生から出ました臓器提供承諾書の問題、それから拒否権に関する家族の問題、これについては少々先生と意見の違うところもございますが、根本において先ほど申し上げましたように同一意見で、ぜひそのような方向で審議を進めていただきたい、こう考えております。
 以上です。
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中島眞人#19
○中島眞人君 主として中山先生に、同じ党内ということもありましたものですから前々から私が感じておったことを御質問申して、猪熊先生の方には質問の時間がなかったものですからできませんでした。
 ただ一言、私は、猪熊先生の脳死を人の死とはしない、しかし提供者であったらそのときで成立するんだという、現行の法律では、先ほど中山先生の側に私が質問したように、余りにも問題点がたくさんあり過ぎる。
 例えば、過般、朝日先生がお答えになりましたけれども、死亡の診断書はこれから考えるんだという問題、あるいは死亡時刻はどうなるのかというと、やっぱり死亡時刻は摘出した時点で死亡時刻になるわけですから、死亡時刻イコール原因というものがそこには出てくるわけですから、大変な矛盾がある。そして、それの訴追を阻却するために刑法第三十五条の法令から逃れられるんだということは、余りにもまたこれは都合がよくて、ちょっと何かロマンチックな感じがいたしてならない、問題があるのではなかろうか、こんなことでございまして、これはお答えをいただけませんけれども、そんな思いを持ちながら私の質問を終わらせていただきます。
 以上です。
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阿部正俊#20
○阿部正俊君 自由民主党に所属しております阿部正俊でございます。
 短時間で、二十五、六分の質問時間しかございませんので、できますればお答えいただく方も端的に少し御協力をお願いできればなというふうに思いますので、ひとつよろしくお願い申し上げます。
 前半は主に中山案につきまして、最後に、時間の都合で非常に短くなると思いますが、猪熊案につきましてお尋ねを申し上げたいというふうに思います。
 まず最初に、中山案につきましてお尋ねいたします。
 まず一つは、やはり脳死は死であるという事実から始まるんだろうと思うのでございます。ただ、世の中一般の方々の受けとめ方として、何か医療界あるいはもっと狭く言えばお医者さんが移植をしたがっているんじゃないか、生き返るかもしらぬのにもかかわらず無理無理殺しちゃうというか、死と認めて何かしたがっているというふうに誤解しているような懸念というものがあるのかなと。現実に、例えばきょう大変御苦労いただいています中山先生も、それからお隣の自見先生もたまたまお医者さんですので、なおさらそんなふうな色彩が強くなるのかなと。まさかそんな懸念は私はないんだろうと思うんですけれども、そんなふうな思いを持っている国民も相当いるのかなと思います。
 だから、そういう懸念がないんだということと、できれば、いわば医療界あるいはお医者さんという人以外の方々で、まあ高名な方といいましょうか、そういう方々がしっかりそうじゃないんだよというような声明を出すとかいうふうなことを何かされるような御工夫でもあればいいんではないかなという気がしますけれども、この点について、まず第一点、簡潔にお答えいただきたいと思います。
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自見庄三郎#21
○衆議院議員(自見庄三郎君) お答えをいたします。
 今、阿部先生から、脳死は人の死であると。中山先生も私もたまたま医師でございますが、医師でない山口先生も一緒に答えていただいておりますが、先生の御懸念、私は本当によく理解できるわけでございまして、残念ながら医療に対する不信感もある。そういった中で、今のお話でございますが、脳死は人の死である、よみがえることが絶対にないのだということを科学と良心に従って高名な信頼性の高い人に言っていただいたらどうかという御質問だと思うわけでございますが、もう先生の方がずっと御存じなわけですね。
 脳死臨調というのを法律をつくってつくらせていただいたわけでございますけれども、これは医師、弁護士、作家、報道関係者など幅広い人に実は委員になっていただいて、大変この脳死について御審議をいただいたわけでございますが、当然この中には、今も言いましたように、弁護士さんだとか作家だとか報道関係等々の方々もおられたわけでございます。
 また、今も先生御懸念の中で、どうもお医者さんが功名心に陥ってやっているんじゃないかという御懸念があるということでございます。そういった中でございますが、やはり竹内基準に従って脳死と判定された方で生き返った方はいないということでございまして、これは脳死臨調の結論でもございます。先般、竹内教授も脳死基準に従って脳死と判定された人が生き返った例はないということをはっきり言っておられたわけでございます。そういったことが記載をされております。
 今の意見でございますが、脳死臨調が終わってもう五年たつわけでございますし、そういった中で、新たに脳死のことについて、よみがえることは絶対ないということを声明すべきであるということでございますが、国民のそういった御懸念、御不安もあるわけでございますから、大変に私は拝聴すべき意見だというふうに思いますので、提案者ともども十分に前向きに承っておきたいというふうに思っています。
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阿部正俊#22
○阿部正俊君 要するに、先ほどから本委員会でも判定というのが一つの大きなテーマになっているように思いますけれども、私は、過渡的な問題は別にいたしまして、やはり死というものは客観的に決められる、あるいは決まるものではないのかなというような気がするわけです。判定というのはそれを確認するための一つの手続、しかもより慎重にということであって、逆な立場かもしれませんけれども、せんだっての、第三者がいいと認めたら死亡時刻がこの時点になり、いかぬと言ったらこの時点になるというのは、本来的には余り望ましい状態ではないのではないかということなんだと思うんですね。
 したがって、脳死というは何なんだというと、いわゆる竹内基準の判定というのは非常に大きなポイントになっておりますけれども、私は、むしろ全脳死というものがまず死だということなのではないか、それを確認をするための手続が竹内基準なりなんなり、あるいは家族の同意なりなんなりということではないかと。そこをごちゃごちゃにしちゃうと何のための法律かなという感じがしてくるわけで、そうしたいわば全脳死というものを前提にして、より慎重に、あるいはそれを客観化した形で判定するのが竹内基準ではないかなと、こんなふうに理解していますけれども、まずそれについて、もし間違っていたら間違っているというふうに言っていただきたいと思うんですけれども、いかがでしょうか。
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自見庄三郎#23
○衆議院議員(自見庄三郎君) 言われるとおり、死は一つの客観的状態でございまして、まさに先生が言われましたように、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止した状態でございます。その状態は竹内基準という脳死の診断基準で判定できるということでございまして、死というものは、まさに先生御指摘のとおり、一つの客観的事実だというふうに我々は認識をいたしております。
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阿部正俊#24
○阿部正俊君 そうした前提あるいは認定をして死というものを確認した上で、例えば私なら私がもうノーリターンという状態になったことが死だと思うのでございますが、それを前提にいたしまして、自分の臓器の一部を他の生命体に役立てたいという方がおられるとするならば、それを役立てるように手はずを整えるといいましょうか、あるいはそれをだめだということではなくて、少なくともそれを生かしたいと願う者がおりますればそれを生かしていくというのが私は今回の法案ではないかなとむしろ思うのでございます。いわば脳死が是か非かということを決めるということが主目的というよりも、移植のための法案でございます。
 つまり、死体の一部をみずからの意思で、死体ですから、それを第三者のためになお生命体の中で生かしていってほしいと願う者があれば、それを合法的な形で、しかもうまい形でできるだけ社会的に、確かに今までの死というものの一つの観念が変わるわけですから一つの過渡期ではありますけれども、これを新しい形で生かしていこうというふうに法律的な道筋をつけようというのが今回の法案ではないかな、こんなふうに私は理解しているのでございます。したがって、名前もまさに臓器の移植に関する法律と、こうなっているんではないかなと。
 しかも今、世の中はいわゆる心臓移植ばかり言われていますけれども、それだけじゃなくて、角膜にしろ腎臓にしろ、たくさんの臓器があるわけでございますので、そうしたことについての取り扱いの一つのスタンダードを決めていこうやというのが今回の法律の一つの目的なんじゃないかなと思いますけれども、この辺について端的に、臓器の移植のための法案だといいましょうか、個々の死ということを前提にしてその生命体の一部を、過去の生命体の臓器の一部を他の生命体に生かしていく人たちの希望をかなえていくんだというのがこの法案の目的ではないかなと思いますが、ちょっと一言御確認いただきたいと思います。
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自見庄三郎#25
○衆議院議員(自見庄三郎君) 阿部委員の全く御指摘のとおりでございまして、本法律案は、死後の臓器を他の人のために役立てたい、そういった善意の意思を持たれた臓器提供者の御意思と、また臓器移植を他人から、人様から臓器をいただかなければもう命を保つことができない、こういう患者さんもおられるわけでございますから、その間のいわば橋渡しをするために国民各層の御意見を集約して知識と良識を結集したまさに臓器の移植の法案だというふうに、先生と同じ認識を持たせていただいております。
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阿部正俊#26
○阿部正俊君 さてそこで、ちょっと時間もありませんので一つ二つ飛ばしますが、日本でまだ移植に、特に心臓移植についてはまだ法的な仕組みができ上がっておりませんので、実は海外に行って、あるいは海外での移植というのを待っておるということがいわば一般化と言ってしまうと失礼かもしれませんけれども、結構日本では行われているという状態ではないかなと思います。
 海外で、特に心臓移植を受けている状況、国別、その推移とか、あるいは心臓以外の臓器等々について、あるいはそうしたときに一般的に要する経費などについて、一、二の例でも結構ですから、ちょっと簡潔にお答え願いたいと思います。
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自見庄三郎#27
○衆議院議員(自見庄三郎君) 今、委員御指摘のとおり、約三十年前に和田先生が日本で心臓移植をされました。大変不幸なエピソードでございましたが、それ以来一遍も日本国では心臓あるいは肝臓を含めた臓器移植は行われておりません。その間に臓器移植を受けなければもう自分の命を保つことができないという人たちがおられるわけでございますから、そういった方が心臓移植では海外渡航者は二十六人に達しておりまして、主な渡航先はアメリカ、英国です。
 それから、どれくらいお金がかかるのかという話でございましたが、一応アメリカでは千五百万から二千五百万円、これはちょっと少ないんじゃないかという御意見もあるわけでございますが、それから英国では三千万円となっています。
 また、肝臓移植で一体どれくらいかかるのかという話でございますが、これは現在百二十五人の日本人が海外に行って肝臓移植の手術を受けております。
 主な渡航先はオーストラリアあるいはアメリカでございまして、費用はオーストラリアでは千四百万円から二千二百万円、アメリカでは肝臓移植は六千万円から七千万円だと、そういうふうに一応聞いております。
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阿部正俊#28
○阿部正俊君 そうした現実をお聞きいたしますと考えるのでございますが、今、日本は、例えば金融改革その他でもそうでございますし、あるいは国際的な国連中心で政治、外交をやっていこうというふうなこととかにつきましてもよく言われるのが、例えばグローバルスタンダードという言葉がございます、グローバルスタンダード。
 そういう視点から見ますと、今の自見先生のお話ですと国内では移植ができませんのでよその国へ行って一定の、我々からしても相当高額なお金を調達いたしまして、そこで受けてくる、そして日本へ帰ってくる。じゃ、受けた方の心臓なり肝臓なりがどこの国民のものだったのか、ものだったのかというとちょっと変ですけれども、少なくとも日本の中で行われたことじゃないことは事実ですね。それで、そういう状態をこれからも継続していくことが果たしてグローバルスタンダードということからしますとどうであろうかなというふうに考えざるを得ません。逆の立場に立って考えればわかることだと思うんです。
 そういう意味で、こうした臓器の移植についての取り扱いをしている国が、日本の現実について、あるいはその医学のあり方あるいは社会のあり方ということの一つの例証だと思うのでございますけれども、こうしたごとについて逆の立場に立って考えて、外国から見たらどういうふうに日本というのは思われるんだろうかなというようなことも、やはりグローバルスタンダードと言うならば逆のことも考えなきゃいかぬのだろうと思うんですけれども、どんなふうな見方をされているかなというようなことについて何か御意見がありましたらお聞かせください。
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自見庄三郎#29
○衆議院議員(自見庄三郎君) 今、阿部委員の御指摘でございますが、今、全世界にたくさんの国がございますが、移植医学をやっていない国は日本とパキスタンとルーマニア、三カ国だけだとお聞きをいたしています。
 前、あるところで、ポーランドの国のことをお伝えしたわけでございますが、実はポーランドは昨年十月に法律ができまして、ことしの三月に法律が施行されたということでございますから、実は臓器移植という医学が日本とパキスタンとルーマニア、三カ国だけで行われていないというふうに我々はお聞きをいたしております。
 今、外国では、米、英、豪州では大体肝臓が六千二百例、心臓が三千六百例、年間九千八百例でございますから一万例近い移植手術を毎年やっております。また、お隣の台湾でも実は心臓が九十四例、肝臓は三十四例、百二十八例の臓器移植をやっておりますし、韓国でも七十六例の臓器移植、心肝を含めてやっているというふうにお聞きをいたしております。
 先生の方からグローバルスタンダードという話があったわけでございますが、今さっき日本人の患者さんがイギリスに行ってしたという話をお聞きしましたが、実はこれは残念ながら過去の例でございます。現在は、実はイギリスはやはりイギリス国内の患者さんにまず臓器を提供するのが国家として当然の責務でございますから、イギリス人の患者さんが待っているのに臓器提供者が大変少なくなったということで、残念ながらイギリスは外国人にはもう臓器移植を停止したいということを決めたようでございます。一方、アメリカも外国人に臓器提供する場合はもう五%までだという数字を実は決めておりまして、そういった状況に今あるわけでございます。
 今、自分の国でやっぱり自分の国の国民の臓器移植をするということが基本でございますから、だんだん外国の世論、実態も、日本人がお金を持っていけば臓器移植してやろうという機会がだんだん少なくなってきたというのが今の世界の現実でございます。こういったことから判断すると、やはり自国内で解決がつかない問題を他国に持ち込んで、好ましからざる国として受けとめられているのではないかというふうに、大変残念なことでありますが、そういったことを危惧いたしております。
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