中島眞人の発言 (臓器の移植に関する特別委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○中島眞人君 現在提出されている、あえて中山案、猪熊案、死に関してはこんなに違いもございますけれども、臓器を移植するという点については一致しておるわけです。何とかこの問題についてクリアできないものかというふうに私は考えておりますけれども、人の死を足して二で割って調整案をつくっていくというのはなかなか難しい問題だなというふうに考えております。
同時に、臓器を提供する方、提供される方、医療現場という三つのセクションの持っている認識が大変違うということです。大体一つの問題をなし遂げていくときには共通認識というのが出るんですけれども、少なくともこの三者での認識度の違いが大変あるということであります。そういう点を埋めていく努力もしなければいけない、そんなふうに考えるわけであります。
さてそこで、私は、この死に対する大変に大きな食い違いはございますけれども、今申し上げましたように、両案とも臓器提供者の意思による臓器移植の実施については一致している、これがせめてもの救いなんではないのか。とすれば、日本人の死生観、生命倫理観が多様である今日、脳死を人の死とすることについて、関根委員が本会議でも申されましたけれども、ある面では一般化することにはまだまだ問題があるのではないのか。そういう観点から、脳死判定を拒否できるという権利等々を十分担保できるような形でこの法律が通っていったらいいな、実はそんな願いを持っているわけであります。
私は、あくまでも当事者の意見、当事者の意思というのを大事にしたい。ですから、生前において法律家等を立ち会わせる中で、みずから、私は臓器を提供します、私は脳死判定を受けた時点で提供しますと。あくまでもこの脳死の死というものを法律で一般化するのでなくて個人のものとする、こういう位置づけでいくことはいかがだろうか。同時にまた、家族の意思でありますけれども、家族の意思についてはやっぱり臓器提供者、私なら私本人が指名する家族というふうに限定をしたらいかがだろうか。
そんなふうに私自身は思うのでありますけれども、中山先生と猪熊先生に、私のこの提案といいますか趣旨に対して御所見を例えれば大変ありがたいと思います。