林寛子の発言 (逓信委員会)

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○林寛子君 そのことの基本的認識の上に立って、今回の法案に対して、今まで過去の歴史がるるあったのは御存じのとおりですし、今まで委員からいろんなお声ももう既に出ております。私はこれからいろんなことを申し上げますけれども、一九八二年の第二臨調の答申以来、私は電電公社が民営化への道を歩み始めたきっかけだったと思うんです。
 その当時、御存じのとおり問題のある人ではありましたけれども、民間から初めて電電公社の総裁になられた真藤さんという方がいらっしゃいました。残念ながら、いろいろと理由があって責任をとられたりありました。私はあの当時を考えてみますと、今までもめていたものというか、もめているというか、発想の転換というものを電電公社というものが持ったのは、その当時の、一九八一年五月十九日、臨調の第四部会での「電話事業は頭打ちで、八五年以降、赤字転落もしかねない財務体質の悪化が進む。これらを克服するためには、何より体質の改革が急務だが、今の公社制度では、予算制度、労務関係、投資、新事業、いずれも機敏な対応ができない。それの総和は、経営者の責任感を奪い、良好な労使関係も阻害される」と、八一年五月十九日、公社の限界について真藤総裁が初めて発言された、それがきっかけなんです。私はそう思っています。
 ですから、私は古いことは言いたくありませんけれども、守住先生、先ほどから古いこともずっと御記憶ですから講義をしてくださいました。私はそれとまた違った視点で、素人で守住先生のような専門家ではございませんけれども、やはり政策の転換、あるいは企業の経営方針の転換期を、勇断を持ってだれがいつどのように決断するかというのは、その企業が生き残るための大きなきっかけがなければならないと思っております。にもかかわらず、逆に言えば、今日までそれぞれの経過はあったにしろ、十五年間この法案を作成するまでの時間がかかったわけでございます。十四年と言うべきか、十五年と言うべきでしょうね、もう間もなく七月ですから。
 その間、世界は大変な大競争時代となった。中でも情報通信分野は、各国は国を挙げて国家戦略を展開しているんです、その間にも。世界の状況をこの十四年間、あるいは十五年間と言いかえてもいいこの間、どのようにその世界の情報の動きを認識していらしたのか。今日まで年数がかかったことに、今どういうお気持ちを大臣はお持ちなのか、伺わせてください。

発言情報

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発言者: 林寛子

speaker_id: 14436

日付: 1997-06-12

院: 参議院

会議名: 逓信委員会