寺田輝介の発言 (外務委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○説明員(寺田輝介君) メキシコの寺田でございます。
私の方も、改めて本日、本委員会で任国事情についてのお話をさせていただくという機会を与えていただきまして心から御礼を申し上げます。
私は、四点について簡単に御説明いたしたいと思います。第一に移住百周年、二番目にメキシコの政治経済情勢、三番目にNAFTA、四番目に一言でございますが白墨修好条約でございます。
第一の移住百周年、おかげさまで本年の五月十二日にメキシコシティーで無事式典が挙行されました。これには御案内のとおり、日本から秋篠宮、同妃両殿下、加えましてセディージョ大統領夫妻、ダリア外務大臣夫妻等メキシコの閣僚も出席いたしました。加えまして、私どもにとりまして大変光栄に思いましたのは、まさに立法府を代表されまして奥田議員を団長とされる衆参両院の議員団五名の先生方に出席を賜ったということでございます。
さて、この移住百周年でございますけれども、メキシコはまさに中南米におきまして最初に日本人を受け入れたということでございます。それだけに、一年以上の時間をかけましてこの百周年に取り組んだわけでございます。
私は、この百周年事業で非常に大事だと思いますのは、もしこの記念式典のみにとどめたならば五月十二日のわずか二時間ばかりの式典で終わってしまう、それではいけないんだと、やはり一年間を通じて日本とメキシコの一層の緊密化を図る、これがやはり百周年の式典の一つのねらいではなかろうかと、こう考えたわけでございます。
そこで、セディージョ大統領の賛同も得ましていろいろな事業を行いました。その中には、コンサートをやったり、図書の寄贈をやったり、あるいは総理府の青年の船にも来てもらう、また海上自衛隊の練習艦隊にメキシコに来てもらいまして、特に象徴的に百年前に、あのチャパス州の港もないようなプエルト・マデロというところがございますが、そこに入港してもらい、チャパス州州民あるいは州政府に対して敬意を表した、こういう事業を行ったわけでございます。
しかし、最初から考えたわけでございますけれども、百周年に何かメキシコに残すことはないかと。なかんずくメキシコ三十一州の中でチャパス州というのは一番貧しい州でございます。そこにアカコヤグア、あるいは俗称エノモト村という村がございます。そこに何か残すことはできないかと。そこで、私ども考えましたのは、政府のODAを可能な限り使う、あるいは成功している日系社会に呼びかける、あるいは商工会議所の皆さんにお手伝いを願うと、こういうことの結果として今三つの点が実現しつつあるわけでございます。
一つは、この日本人の子孫がおられるアカコヤグア村、それからメキシコのチャパスに入ってまず行きましたところはタパチュラという現在人口十万の都市、そこに日墨交流会館をつくると。これはやはり百年前に日本人を受け入れてくれたお礼ということで寄贈することにしたわけでございます。
ところで、現在日系人がおりますアカコヤグア村でございますが、私は昨年の一月に行きまして、そこで日系の方に言われたことは、日本は百年たってこれだけ繁栄した、自分たちの経済水準は依然として高くない、大使、何かしてくれませんかと、こういう要請でございました。
私はやはりこれは二つの道があると考えまして、短期的にはこの村の基盤である農業を何とか生産性を向上できないかと、こういうことで本省とかけ合いまして、これまたODAの使用でございます。ここに農業開発調査団を派遣するということで、既に派遣いたしました。問題はこれからのフォローアップでございます。
それからもう一つは、中長期的に考えますと教育でございます。ここには学童百数十名を対象とした中学校のみある。私が行ってみまして驚きましたことは、先生は非常に熱心な先生でございましたが、教室にはほとんど教材がない。そういう状況でございましたので、これまたODAの草の根無償というものを使うことにいたしまして、私は十二月の中旬にでも、これで恐らく五回目になると思いますが、この村に行きまして、教材を寄贈し、改めてこの百周年の最後の締めくくりをしたい、こう思っておるわけでございます。
私は、この百周年関連の事業がほぼ終わりつつありますが、そこで感じられますことは、一万数千名の日系人の方、中には前の政権で厚生大臣の要職を占められる方も出てきたわけでございますが、この百周年で日本がオールジャパンということでいろいろな行事を行ってきたということで、日系人社会に対するメキシコ人の温かい感情が一層強まったという気がするわけでございます。私どものメキシコにおける経験というものが、今後、ペルーあるいはブラジル、アルゼンチン等々、移住百周年事業がございますので、参考になるのではないかと思っておるわけでございます。
ところで、こういった百周年、実はことしだけですべてうまくいったわけではございませんで、その前の段階で私は二つの大事な日本からの要人訪問があったということをこの際申し上げたいと思います。
一つは、昨年の七月にまさに参議院より斎藤議長においでいただいたということでございます。その際に、政治的に非常に高いレベルで、来年は移住百周年だと、よろしくお願いするということをおっしゃっていただいたということでございます。加えまして、八月でございますけれども、橋本総理においでいただいたと。こういう中で無事移住百周年関連事業が終わりつつある、こういうことでございます。
第二点でございますが、メキシコの政治経済情勢、かなり厳しい状況にございます。やはり三年前の話になりますが、一九九四年、これはメキシコにとって大変激動的な年であったというふうに総括できると思います。
具体的に申し上げますと、九四年の一月一日、待ちに待ったNAFTAが発効したと。まさにそのお正月の日にこのチャパスの山岳地帯でサパティスタ民族解放軍が蜂起するという事件が起きた。三月には大統領候補のコロシオ氏が暗殺された。そういう状況の中で、八月に大統領選挙が行われたと。それで、御案内のとおりセディージョ大統領となったわけでございます。大統領選挙が終わった途端、今度は九月にはルイス・マシューという与党の幹事長がこれまた暗殺されたと。十二月一日からセディージョ大統領は就任したわけでございますが、まさに就任して二十日後の十二月二十日に通貨危機が発生してしまった。大変な重荷をしょって大統領は新政権を発足させたわけでございます。
こういうことでございますから、九五年、九六年というのは経済面、政治面、社会面にも大きな影響を及ぼしたと。具体的に申しますと、九五年につきましては、経済成長がマイナス六・九%になってしまうと。せっかくサリーナス政権の後半にはインフレを一けた台に持っていきましたのが、五二%になってしまうと。
こういうことになりますと、政治面、経済面に当然影響が出てくるわけでございます。その一つのしっぺ返しと申しましょうか、本年の七月六日の中間選挙で与党は大敗北いたしました。
社会面を見てみますと、犯罪が増大している、かつまた恐るべき営利誘拐がふえていると。あるいは、私は二回目の勤務でございますが、今回非常に気がつきましたのは、日本のホームレスと違いましてストリートチルドレンが非常にふえている、かつまたインフォーマルセクターも増大している、こういう状況になったわけでございます。
しかし、こういう苦しい状況にもかかわらず、セディージョ政権というのはマクロ経済運営に関する限りしっかりかじをとって少しずつ経済改善に努めている。ちなみに、恐らくことしは成長率は四・五%程度になろうかと思われますし、インフレもようやく一五%ぐらいになってくる、こういうことでございます。
しかし、こういう中で、メキシコにとって一つの明るい材料といいますのは、第三の点は、NAFTAでございます。まさに、北アメリカと自由貿易地帯をつくったと。この効果というのは貿易の面と投資の面で出ている。かつまた、このNAFTAが動き出しましてことしの四月までのメキシコに入ってきました投資の額を見ますと、二百四十一億ドルも入っている。これがメキシコにおいて次から次と労働集約的な産業を興している。しかし、このNAFTA効果と落ち込んだミクロの面におけるマイナス面とまだまだつり合いがとれていない、こういう実情にあるわけでございます。
さて、最後に一言のみ。ことしは移住百周年、来年は日墨修好条約百十周年でございます。この条約の意味といいますのは、まさに明治維新政府が列国に抑えつけられて不平等条約を締結させられたと。その中で、メキシコのみが平等条約を締結してくれたわけでございます。また来年も感謝の念を込めて新しいいろいろな記念事業を考えておりますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。
ありがとうございました。