横島庄治の発言 (国会等の移転に関する特別委員会)

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○参考人(横島庄治君) 御紹介いただきました高崎経済大学地域政策学部の横島庄治でございます。
 本日は、当特別委員会にお招きいただきまして、私のつたない意見でございますけれども、お聞きいただく機会を得ましたことを大変うれしく思っております。
 本日は、高崎経済大学地域政策学部教授という立場でお話を申し上げるわけでございますが、昨年の十一月までNHKの解説委員をしておりまして、その立場から、現審議会の前身であります調査会の専門部会で二つの委員を拝命いたしまして、その間の勉強も含めて私のテーマにしております関係からいいますと、その事情からの発言ということになることをまず御了解いただきたい。したがいまして、前身であります調査会は、国会の両院の決議及び法律に基づく国会等の移転をどのように進めるかということについてのありようを研究した調査会でございますので、私の意見もおのずとその線に沿ったものであることを御承知おきいただきたいと思っております。
 お手元に「首都機能移転のもう一つの発想」ということで私のきょうの意見のレジュメをお届けしてございます。そのほかに資料一、二、三ということで三点資料をお届けしております。このレジュメに従いまして、またこの資料によりまして三十分のお時間をちょうだいいたします。
 御存じのとおり、各国においての首都ないしは首都機能の移転という問題については、場合によってはその国の独立てあるとか、あるいは革命であるとか、あるいは東西ドイツのような併合あるいは統一であるとかいうような大きな出来事に追随するといいましょうか、対応して行われることが一般的でございました。あるいはブラジリアのようにこの種の大イベントというよりは経済的大開発をやろう、こういう発想から行われた国家的な経済プロジェクトというような発想も例としてはございます。
 それに引きかえまして、我が国において行われております目下の首都機能移転のきっかけ及びその目途とするところは、いささか私は事情が異なるであろうと。これは各識者の意見もそのようなことになっておりますが、少しそのような意味でいいますと、乱時の移転あるいは移動というよりは平時、平和時の移動ということになります。
 例えて申し上げれば、いい例えでないかもしれませんが、テニスのボールは先方から打ってきたものを打ち返すというリバウンドボールを打っていくわけですが、平時の移転というのはとまっているボールを打つゴルフのようなものでございまして、なかなかエネルギーの生まれ方が難しい、そういうテーマであろうか、そこに我が国が今抱えているこのテーマの難しさが潜んでいるということも言えるのではないかと思っております。
 ただ、この問題は今に始まったわけではございませんで、さかのぼれば明治維新以来の問題でもございましょうし、近時におきましては、昭和三十年代に磯村英一先生が富士のすそ野へ遷都という議論を起こされて以来、四十年の歳月を経てここで一気に具体化した議論でございますが、その都度幾つかの理由が出ておりまして、その理由の幾つかが並びかえられまして、一番の理由になったり三番の理由になったり、そういう意味では社会的状況、政治的状況あるいは経済的状況に応じてその理由が順序立てを変えて登場しているという意味でも、他の国に余り例のないテーマの経緯をたどっているということが言えるかと思います。
 もちろん、いつの時代にも統一して言えた東京からの首都機能の移転問題というのは、東京への一極集中の弊害をいかに解消するかということに大きな主眼が置かれていたことには変わりないことでございますけれども、その後に、地方分権あるいは景気浮揚あるいは危機管理の問題から、そして最近は、新しい世紀に向かって国民の夢をはぐくむ人心一新という視点から主張される方もおりまして、こうした幾つかの理由が人によって時代によって順序を変えているということは先生方御賢察のとおりでございます。
 特に、現在、国土審議会が審議を進めております四全総に続く国土の総合的な計画という視点から見ますと、この首都機能移転という問題が、新しい国土開発ではなくて新しい国土経営あるいは新しい国土編成という視点からどのように組み込まれるべきなのか、あるいはそれは別の問題とすべきという論者もおいでと思いますけれども、そういう視点も新たに重要な点として加えておかなければ全体像を見失うおそれがあるのではないかということが私の基本的な考え方でございます。
 さて、本日、私から申し上げたい論点は二点ございまして、一点は、危機管理という視点がえてして軽んじられるということではないにしても、第一の理由から消えやすいということについていいのかどうかということでございます。第二点は、今、調査会、審議会を通じて検討されている手法が、ある一点に三権の府を統一して動かすということを前提に検討がされておりますけれども、果たしてそれだけの検討の前提で十分かどうか。別の見方として、もう少し幅広い範囲に幅広い機能を分けて移すということが可能ではないだろうか、その場合のメリット、デメリットは何なのかという二点について主に十分間ずつお話をさせていただこうと思います。
 第一点の危機管理の問題でございますけれども、これはあいにく先生方のお手元に資料が間に合わなくて恐縮でございましたけれども、日本の国土が置かれている極めて恵まれないといいましょうか、自然的に厳しい状況というものを我々はもう少し基本的に認識しておかなければいけないのではないか、こういう視点でございます。
 我が国土は三十七万平方キロメートルでございますが、これは地球上の陸地の〇・三%にすぎません。ところが、この三十七万平方キロのうちの平地率はわずか三一%でございまして、残り六九%は丘陵山岳地帯であります。さらに、国土全体の一二%余りは沖積層と言われる非常に緩い地盤の上に乗っております。かてて加えて、日本列島そのものがフィリピンプレートを中心とする複雑な地殻構造の上に乗っております。こうした状況を概括しながら、さらに加わりまする不利な条件が非常にたくさんあるということでございます。
 第二点は、列島を非常に急峻な脊梁山脈が貫いております。このことによって太平洋側と日本海側が厳しく分断をされております。しかも、その厳しい山脈から流れ出る川は太平洋側にしろ日本海側にしろ極めて急峻な河川である、こういう状況がございます。
 二番目に、そこに降る雨の量でございますが、日本の平均雨量は年間千七百五十ミリでありますけれども、これは世界の平均八百ミリに比べて二倍を超えております。非常に多い雨がこの急峻な国土を襲って急流を流れると、こういう状況になっております。
 雨だけではなくて、台風の年間発生率は、これは理科年表による数字でございますが、日本の近くで発生する台風が年間平均二十七・八回でございます。そのうち十一回日本列島に接近をします。そして、年間一丁八回の平均で日本に上陸しております。雨が多い上に加えて、集中的に雨が降る台風が非常に日本列島を襲う頻度が高いということも日本列島の苦しい状況を物語る数字でございます。
 このほかに、豪雪地帯が非常に多い、あるいは御存じのように火山が多いという条件がございます。そして、最終的に日本の最も国土的不幸となってまいりますのが地震の発生でございます。この〇・三%の非常に狭い日本の国土に、世界じゅうで放出されるエネルギーの一〇%が集中していると言われております。特に、マグニチュード六以上の発生回数だけで見ますと、日本で発生する回数が世界で発生する回数の二八%を占めております。
 私は地理学の専門ではございませんけれども、以上拾い上げた数字を見まするに、我が国がいかに自然災害に弱い国か、そして地震において危険な国かということがわかります。その結果、私どもは安全な国土をつくるために、アメリカやヨーロッパ大陸の国のようなことではとてもまいらない多額の社会資本の投資を余儀なくされております。
 日本の高速道路をつくる場合の用地買収費を含めた一キロメートル単価は、全国平均で八十億円と言われております。首都圏にありましては、三百億円から五百億円と言われております。これは、土地の値段との関係もございますけれども、橋をつくり、トンネルをつくり、地震に対する耐震性を高めるということが絶対条件になっている関係から、日本の社会資本というのは他の国に比べて非常に多額の費用を要し、そして厳しい技術開発を求められながら今整備が行われていると、こういう実情を考えなければ、私どもの国土に対する視点というものがやや十分さを欠くことになるんではないかと思います。
 こういう中で起きた平成七年一月の阪神・淡路大震災、二年と十カ月を過ぎまして、ともすれば私どもの記憶から消えやすい状況になってまいりましたけれども、そのこととこの首都機能、国会等の移転の問題は、やはりしっかりと組み合わせた上で位置を決めておかなければいけないんではないか。
 財政論的な立場から、先ほど国土庁から報告があったように、最終的には最大限公費として四兆四千億円の負担というふうに言われておりましたけれども、この四兆四千億円が、果たして我々がこの危険な国土の上に安全な首都というものを守り続けていく上で高過ぎるのか安過ぎるのかという財政論もやはり見ておかなければいけないのではないかと私は思っております。
 先ほど、一キロメートルの道路をつくるのに八十億から百億と申し上げましたが、四兆四千億という最大幅をとりましょう。そして、これを二十年とすれば、単年度で年間二千二百億円でございます。四十年とすれば千百億円でございます。それですから、千百億円の方をもしとるといたしますと、一キロにかかる道路百億円といたしますと、道路、高速道路をつくるのは十一キロ、十一キロの高速道路をつくる費用を単年度ごとに使いながら、安全な国土のための新しい首都機能の分散を行うということが必要な経費なのか、ぜいたくな財政支出なのかということは、立場上いろいろと見方はあると思いますけれども、一つの参考数字にはなるかと思います。
 一方で、小さく見る数字だけでは不公平でございますから、大きく見る数字といたしましては、東京湾アクアラインが来月の十八日に開通いたします。川崎−木更津間を結ぶこの海底トンネルと海上橋の高速道路でございますが、一兆五千億円の費用を要しております。四兆四千億円はおよそ東京湾アクアライン三本分という数字でございます。これは考え方によっては巨額な社会資本になります。高いと見るのか安いと見るのかは道路だけで見ても映り方が大変違うものであると。そこに国家のリダンダンシーをどのように守るかという概念を盛りつけたときに、財政的な視点から三年の凍結はやむを得ないといたしましても、我々がその先で考えなければいけない安全性というものについて少し思いをいたさざるを得ないのかなというふうに私は思っております。
 レジュメの(二)がちょっと順序が逆になって飛びましたけれども、少し申し上げておきたいのは、この議論の間で東京との比較考量という議論が出ました。東京が一極集中によってすべての機関、すべての人材といってもいいと思います、あるいはすべての資金が集中的に集まっているということは現実でございますけれども、その東京が非常に効率的な首都経営をしてきたこともまた一つのメリットでございます。
 ただ、余りに東京にばかり集まって、東京のひとり勝ちという状況が今出ているわけでありますけれども、その東京のひとり勝ち状態が本当に国民全体にとって幸福な状態なのかどうかということについては、地方分権や、本日も盛んに議論が行われておるでありましょう省庁再編成を中心とした行政改革などのポイントから見ましても、やはり見ておかなければならない現象ではないかと思います。
 特に、国の国家機能が集まります首都ないしは首都機能というものは、今までは集中的な国家運営による合理性を追求してきたわけでございますが、これからは効率的な国土運営を図るためのいわば新しい視点というものを持ち込まざるを得なくなってきておりまして、今までの合理主義とこれからの効率主義はおのずと時代的には入れかわらなければいけないというふうにも考えられるわけでございます。その点からも東京への、何もかにもが集まっていると。よくパリもそうではないか、ロンドンもそうではないかという議論がございますけれども、ロンドンやパリの一極集中と東京の一極集中は私はかなり内容的に違いがあるんではないかというふうに思っております。
 欧米各国の首都というものは、確かに人口でいいますとパリ市中人口八百万ですから、東京二十三区とほぼ匹敵するような人間が集まっているわけです。しかし、国のそうした首都機能以外のものは全国に確実に点在をしながら、先ほどの文化論も含めて国土に非常によきバランスを得ているわけでありますけれども、どうもその辺で東京のひとり勝ち状態というのは、やや言葉の適切さを欠くかもしれませんが、その種の感じを東京以外の全国各地が持っているとすれば、その状態をどのように解消するかということと首都機能の移転とが無関係ではいられないというふうに私は論理的には言えるんではないかと思っております。
 レジュメの(四)に移らせていただきます。
 論点の二番目でございますが、先生方、あるいは御視察があったかもしれませんが、オーストラリアのキャンベラは一九〇二年に独立したときにどこに置くかということで、百年がかりでつくられた新しい首都でございまして、大変環境的にもよろしい、土地の問題も地価高騰を防ぐような新しい制度を盛り込んだところでございますけれども、いかんせん日本とは社会的状況、国土的状況が違い過ぎます。確かに環境共生型の都市というモデルにはなると思いますけれども、それ以外のところでは少し教科書になりにくいんではないかと思います。
 ブラジルについてもまた同様でございますが、さらにブラジル的な開発で今首都を興そうとしておりますのはマレーシアでございまして、マレーシアのクアラルンプール、首都でございますが、ここから南におよそ二十キロのところにプトラジャヤという新しい首都の分散先を今突貫工事で建設をしております。マレーシアは、ここは国会は動かさずに行政府を動かそうということで、来年の十月に首相府がここで事務を開始するべく、あと一年間の残りを物すごい勢いで開発をしております。本来、ここはアブラヤシのプランテーションだったところでございますが、民有地を国が強制的に買い上げまして、そこを開発することで土地の価値をふやして、それを民間に売却するといういわば不動産的な仕掛けで資金を得まして、その資金を政府が公的に投入して首都機能の建物づくり、開発をする、こういう手法をとっておりまして、極めて危ない手法でございます。
 私、この五月に見てまいりましたが、案の定、昨今のマレーシアの金融危機を含め、経済危機を含めてややこの計画が苦しくなってきているそうでございますけれども、日本としては、当然のことながらこの種の開発中心の首都機能移転という都市づくりは絶対に許されないという意味では、これはモデルにならないと思います。
 よく申し上げるのはドイツのケースでございますが、ドイツはベルリンに二〇〇〇年に首都を開府いたしますが、現在はボンにございます。一般的に伝えられておりますのは、ボンとベルリンの関係が少しひずんで伝えられている感じがいたしますので少し整理をした方がよろしいのではないかと思います。
 実は、ドイツの連邦議会はベルリンに移りますけれども、当面、連邦の上院、参議院でございますが、これはボンに残ることになっておりまして、議会そのものが二つの首都機能の町に分かれて存在するという状況がしばらく続くというところは割合に知られておりません。
 また、ベルリンに移る政府機関につきましても、全部が移るように伝えられておりますけれども、実はベルリンに移る政府機関は、大蔵省、外務省、法務省、経済省、交通省、主なものでございます。その他ございますが、数で言うとほぼ半分でございます。首相府と今申し上げたような行政官庁はベルリンに移りますが、ボンに残る行政府としましては、環境省あるいは郵便通信省、国防省、保健省などなどはボンに残ることになっております。
 はっきり申し上げますと、東西ドイツの統一によるベルリンの象徴性というものを重んじて首都を移すわけですけれども、結論的に申し上げますと、ドイツは二部制度をとると言ってもいいぐらいのベルリンとボンのバランスになっております。
 そのほか、日本の最高裁に該当します連邦裁判所はぐっと南のカールスルーエというところに今もございますが、これは移しません。そのほかミュンヘンやフランクフルトに連邦銀行などが点在しまして、詳しい資料は国土庁に用意してあると思いますから御必要ならお取り寄せていただきたいと思いますが、ドイツの場合には、二つの首都的機能を持った複眼構造にしつつ、さらに幾つかの行政機関が全国各地に点在をするという形をとり続けることになっております。
 その意味で申しますと、ベルリンに首都が移るという言い方はあるいは必ずしも正解ではないのかもしれません。もう少し広い視点でドイツは国土全体にバランスをしている。これはナチスドイツの国家統一、いわば独裁政権を生んだ土壌を国土的に再現したくないという西ドイツ時代の基本的な政策を反映したいわば分散配置ということにも起因しているようでありますけれども、非常に独特の行政機関の配置になっておりまして、これは最後のところで結びといたします分散にもひとつつながるものかと思います。
 ドイツに続いてイギリスにつきましては、我が国の調査会、審議会は少し視点が欠けていたと私は思うんですけれども、イギリスはもっとはっきりとした行政府の分散主義をとっておりまして、これは資料の二にございますが、ロンドンからの行政機関の移転については、資料二のA4に盛ってあるとおり、一九四〇年の第一次分散から始まりまして現在に至るまで、第四次に至るまで何度かにわたってその都度の政権がその都度の理由づけをしながら分散配置をしてきております。
 第一次分散は、御存じのように戦争中の危機回避ということで分散を行っておりますので、戦争が終わった後はまた戻しているというふうな行って来いのいきさつもございますが、現在は一九七三年に出されましたハードマン勧告というものに基づいて、一時サッチャー政権ではやや趣旨が変わりましたけれども、全国に行政府の分散を行っております。
 このハードマン勧告の趣旨は幾つかございますけれども、一つは地域が活性化するために国の機関をなるべくたくさんの都市に分散した方がいいという地域経済あるいは地域活性化論が一つ根強くございます。それから、なるべくお金をかけないために、既存の中小都市の中にその都市の規模に応じた行政府をはめ込んでいくという手法をとっております。このことによって、新たな都市づくりを必要といたしませんから、社会資本の整備費が安上がりになるということもねらいにあったようでございます。
 それから、イギリスと日本は学生諸君の就職志向というものが違いまして、イギリスの場合には一定の大学を卒業すると全員が官僚になるというようなことにはなっておりません。よって、行政府に人材が集まらないという悩みがあったそうでございます。そのために、行政府の方が全国にいわば分散して出かけていってよき人材をその地で確保するというような確保のねらいもあったようでございますし、そのことによって今度はその地域で関連する民間の施設が呼び込まれる、企業が発生するということで、新たな雇用創出も目指そうと。
 さまざまな理由づけの中で、イギリスはロンドンに国会を残し、行政の中の企画立案部門を残しつつ、エージェンシーを外に出した、こういう生き方をとっております。
 今、我が国では行政府の中のエージェンシー化が熱い議論を続けておりますが、どういう姿になるか。その姿が見えたときに、イギリス的なエージェンシーの全国配置という手法は日本にとって非常によきお手本になるんではないかと思っております。日本の場合には一カ所にということになっておりますが、ただ目下のところ、第一次分としては国会をまず移転する、こういう考え方になっております。そのことは、私はそれでよろしいんではないかと思うんですが、国会が移転した後の二次移転につきましては、今申し上げましたような行政府の中のエージェンシー化されたものをなるべくそこに集めずに、むしろ全国に適正に配置をすることによって、新しいポスト四全総に合うような地域活性化と国土全体の調整の図られた機能の配置ということも同時に図られることでよろしいんではないか、そういう考え方が成立してもよろしいんではないかということにつなげてみたいと思います。
 もう一点申し上げれば、日本の首都機能というものほかくのごとく熱い議論を呼んでいるわけでございますけれども、首都そのものというものが今それほど国家の権威を象徴するようなシンボル性だけが求められているか、そういう時代でもございません。国民が国家を選ぶ時代であります、あるいは国を選ぶ時代であります。どんどん外へ出ていっている時代に、日本が威風堂々たる国会議事堂とそれを守るがごときがっちりとした行政府が高級施設の中へはめ込まれるというような首都のイメージがいつまで生きているのかは、若干時代的には疑問になってまいりました。
 もう少し身軽で機能性豊かで、そして電気通信の能力を取り込んで、さらりとした首都が日本全体の中に機能を分散しつつ配置されるというふうな姿を想像することも、私はこの際一つの可能性として考えておいてもいいんではないか、そんなふうなことを思っております。
 いただいた時間が参りましたので、とりあえず三十分間の参考人の話は以上にさせていただきます。
 どうもありがとうございました。

発言情報

speech_id: 114114298X00319971120_009

発言者: 横島庄治

speaker_id: 34849

日付: 1997-11-20

院: 参議院

会議名: 国会等の移転に関する特別委員会