広瀬崇子の発言 (外交・防衛委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○参考人(広瀬崇子君) 広瀬でございます。
本日は、核の専門家の方がいらっしゃいますので、私はインド・パキスタン関係、特にカシミール問題を中心にお話しさせていただこうと思います。
まずは、核実験が行われたということの要因なんですが、これを言っていますと時間がなくなりますので、簡単に項目だけ挙げさせていただきます。
インドが核実験を行ったことの対外的な要因といたしましては、世間で言われておりますように、核体制、NPT・CTBT体制に対する批判をみずから行動で示した、これが第一点でございます。それから第二点といたしましては、インドの対中国の対等の地位を要求する、そういう宿願といいますか、こういったインドの希望がございました。それから第三番目には、中国とパキスタンの核及びミサイルにおける協力関係、これに対するインドの反発、これは特にパキスタンのガウリ・ミサイルの発射実験の結果ということが言えるかと思います。これが対外的な要因でございます。
それから、対内的には、強いインドということを唱えております新政権、インド人民党が中心になっております新政権の誕生ということがまず大きな要因になるかと思います。
それから第二番目には、連立政権内部、これははっきりいたしておりませんが、現在約二十政党というくらいの連立政権になっておりますので、その中でのごたごたをおさめるために一気に強い指導力を発揮したい、これが現在のバジパイ首相の思惑であっただろうと考えられます。
それから第三番目には、核実験を通しまして、バジパイ首相及びインド人民党の政権が国民の間にナショナリズムを喚起させたい、こういうことを考えていたのだろうと思います。そのためには、核実験というのは国民の間で既にコンセンサスがインドではできておりまして、一番反対のない争点であった、そこでこの核実験に踏み切った、こういうふうに考えられます。これが核実験のインド側の要因でございます。それに対しましてパキスタンは、これはただインドへの対抗という一言に尽きるかと思います。
何でそんなにインドとパキスタンがライバルになるかということが、これは二番目の議題でございますが、インドとパキスタンの分離独立という問題、これがカシミール紛争の最も根源にある問題なんですけれども、これを考えなければいけないと思います。
インドとパキスタンは、御承知のように一九四七年にイギリスの植民地支配から分離独立したわけですけれども、その分離独立のときに新しく国境線が引かれました。これは西と東と両方でございますが、今のバングラデシュもパキスタンでございました。そこを通りまして、パキスタンサイドからはヒンズー教徒とシーク教徒が、それからインドサイドからはイスラム教徒、ムスリムが国境線を渡りまして移住したわけです。その数は、はっきりはいたしませんけれども約一千五百万人というふうに言われております。
それで、分離独立の際にあっちこっちで暴動が起きました。道を通るすれ違いざまもありますし、あるいは近所で、例えばヒンズーの居住地区だとムスリムの家を焼き討ちするとか、そういったものも含めまして、暴動が主ですが、その暴動の犠牲となった人の数が約百万人と言われております。これは想像を絶する数でして、しかも暴動というのは目の前で殺し合うわけですので、そういう形で百万人が犠牲になったというその後遺症が現在でも残っている。特に北インドあるいはパキスタンにいる人たちは近親者あるいは知人、そういった人のだれかが殺されているといったような状況がございます。それが現在の国民感情としてインドとパキスタンの間の問題になっております。
それから、分離独立をいたしましたが、その際に、パキスタンはイスラム教徒の国、すなわちムスリムの国としてヒンズーが支配するところにはいられないということで国を出て分離独立いたしました。それに対抗いたしまして、インドの方は、別にヒンズーの国家をつくるわけではない、政教分離国家、セキュラー国家といいますけれども、政教分離の国家、宗教、信仰の自由を認める国家をつくるのだと、こういう形でセキュラー国家インドとムスリム国家パキスタンが誕生いたしました。
この誕生というのは、単にそういう国であるという以上の重みを持っております。
まずはインドの方では、ムスリムが大量にパキスタンに出ていったにもかかわらずまだ大勢のムスリムがインド側に残りました。現在でも一億人以上のムスリムがインドには住んでおります。そういうムスリムも平和に暮らせるのだということをインドとしては示す必要があります。
それからパキスタンの方は、ムスリム国家として出たわけですから、セキュラー国家インドの中にいるよりもムスリム国家パキスタンの中にいる方がムスリムは幸せなのだ、こういうことを国民に訴えなければなりません。すなわち、この分離独立によって、セキュラリズムとそれからイスラムというきずな、こういうものが国家のアイデンティティーになったわけです。
ですから、インドとパキスタンの間が対立いたしますと即自分の国のナショナルアイデンティティーにもはね返ってくるという非常に重要な問題になりますので、インドとパキスタンの間は単なる外交関係というような形よりは、むしろ国内問題、国内政治の延長というふうにとらえる必要があるかと思います。
そして、カシミールなんですけれども、実はパキスタンという言葉はもともと清らかな国という意味なんです。実はこのパキスタンの頭文字というのは、当時の英領インド時代のムスリムの多住州の、つまりパキスタンが国家を構想しましたときにムスリムが多住地域であったというところの頭文字をとっております。
ちなみに、Pはパンジャブ、Aはアフガンなんですが、これはアフガンとの国境地帯にございます現在パキスタンの北西辺境州というところです。これはパシュトゥン人なんですけれども、アフガン人のマジョリティーと同じ民族です。それからこのKがカシミールなわけです。それで、Iは飛ばしまして、Sはシンド、TANというのは、現在バルーチスタン州というのがございますが、そのTAN。すなわち、その頭文字と最後のところを合わせましてパキスタンという言葉ができております。したがって、パキスタンの方といたしましてはカシミールというのは最初から、独立のときから構想に入っていたということになります。
ちなみに、インドから見ますとカシミール州というのは唯一のムスリムの多住州です。ほかの州ではヒンズーがマジョリティーを占めております。ところが、唯一カシミールだけがムスリムがマジョリティーになっております。このムスリムが多住であるということだけの理由でもしパキスタンに行くのであるならば、セキュラー国家インドというもののアイデンティティーはどうなるんだろう、こういうことになってくるわけです。ですから、カシミール問題というのは単なるヒマラヤ山ろくの領土問題というよりもパキスタンとインドの両方の国家の存亡をかけた戦いになると。それほど深刻な問題だということをおわかりいただきたいと思います。
それでは、カシミールがどうしてこういう形で紛争になったのだろうか。この辺は経過が長くなりますので簡単に御説明いたしますと、もともとカシミールというのは藩王国すなわちマハラジャの支配した国でした。これはイギリス統治時代に半独立を与えられていたところで、イギリスと条約があったわけですけれども、インドとパキスタンが独立する際にすべての藩王国はインドかパキスタンかどちらかに入らなければならないということになりました。
それで、ほとんどの国は地理的な要因とかそれから宗教的な要因で帰属を決めたわけですが、カシミールの場合には藩王マハラジャがヒンズーでして、そして住民の多数がムスリムでした。そこで、どちらにつくか、あるいはマハラジャとしましては独立という夢もあったということで、帰属がなかなか決まらなかったということです。ただ、ここで一つ御注意いただきたいことは、必ずしもムスリムの住民すべてがパキスタンを望んでいたわけではないということです。すなわち、既にマハラジャに対して民主化運動が英領のころから起こっていまして、そのときに一番そこの中心になっていた人が実はネルーの親友であった、そしてインド回民会議派と非常に近い関係にあったというところからムスリムの組織はパキスタンへの帰属を望んでいなかった、こういう事情がございます。
それで、マハラジャが決断を渋っているうちにインドとパキスタンが独立いたしました。パキスタンは、当然カシミールはパキスタンに来ると思っておりましたので、それで独立後にパキスタンの一部の部族がカシミールに武力侵入いたしました。そこで、慌てたマハラジャは帰属文書に調印しまして、インドに帰属するということに決まりまして、その帰属を受けてインドが軍隊を送って、そこでパキスタン側から来た部族と戦う。そこへ最終的にはパキスタンの正規軍が介入いたしまして第一次印パ戦争ということになったわけです。この経過は年表にまとめてありますので後で御質問にお答えしたいと思います。これで国連の調停などもございました。
それから、一九六五年にはこの問題をめぐって再び第二次印パ戦争が戦われております。それから七一年には第三次印パ戦争が戦われております。これはバングラデシュの独立戦争ですけれども、やはりカシミールが戦場となりました。そして、最終的にはその第三次印パ戦争の結果結ばれたシムラ協定、一九七二年ですが、そこでカシミール問題ということははっきり言っていないんですが、二国間の係争は二国間の話し合いで平和的手段により解決する、こういう条項がシムラ協定にはございます。これがインド側の主張する根拠になっております。
ちなみに、第一次印パ戦争のときに国連決議というのが出まして、これでは、住民投票をして最終的に住民の意思でもってインドかパキスタンへの帰属を決める、こういうことになっております。ですから、これがパキスタンの主張の根拠になっておりまして、片やシムラ協定というのはインドの主張になっております。すなわち、パキスタンは国連その他の介入を経てカシミール問題を国際化して、そして最終的には国連監視のもとで住民投票をする、これがパキスタンの従来からの主張でございます。今回もその主張は変えておりません。それに対しまして、インドはあくまで二国間で話し合って問題を解決する。こういう形で、カシミール問題に関する話し合いについては入り口のところで常に対立がございます。この点を押さえていただきたいと思います。
それで、最終的に結論的なことを申しますと、まずこのカシミール問題と核問題、核実験があったのでカシミール問題というのも注目を浴びているわけですけれども、核問題を解決するためにカシミール問題の解決も一挙にしてしまおうというのはこれは無理だろうと私は個人的には考えております。すなわち、カシミール問題というのは半世紀にわたって続いているわけでして、これまでに国連あるいはその他の国々が仲介を試みたことも随分ございます。しかし、それもすべて失敗に終わりました。
ですから、カシミール問題が解決しなければ今度は核戦争になるというそこの論理の飛躍は気をつけなければいけない。すなわち、今後することというのは、核問題は核問題で別に扱い、そしてカシミール問題はやはり二国間で対話を持ってもらわないことには解決はできないだろう、しかも、これはそう簡単に短期的に解決のつく問題ではないだろうというふうに考えております。そうしますと、今度は核戦争になるのではないかという危惧が出てくるわけですけれども、この危惧に関しましては、例えば先制攻撃をしないとか、そういった形で核問題は別個に扱った方がよろしいのではないか、これが私の意見でございます。
その場合に、じゃ日本は一体何ができるかということなんですが、日本は経済制裁をいたしました。インドの新聞などを読んでおりますと、もちろんこれは織り込み済みなんですけれども、経済的には確かに打撃を受けております。それから、パキスタンの方はもっと厳しい打撃を受けているだろうというふうに考えられます。ただ、これは、経済制裁はもともと覚悟の上で行った核実験ですし、それから、例えばパキスタンのある人が言ったのは、経済は困るかもしれないけれども、生きていれば食べなければいけないけれども死んでしまったら食べる必要はないのだと、こういうことを言っておりました。すなわち、もしインドが核兵器で攻撃してきたならば死んでしまう、そうなれば経済発展もあるいは食糧の供給もそんなものは問題でないんだと、このくらいの危機感をパキスタンは持っていたということなんです。
ですから、経済援助の停止というのは長期的には確かにある程度の長期的には打撃はあるんですけれども、国民生活を圧迫するわけですけれども、それによってインドとパキスタンが核政策を変えるということはまずあり得ないだろうというふうに思います。
ですから、軍縮に関して日本が対話を促進するということは重要かと思いますが、その際に、インドとパキスタンを決して孤立化しないということが重要なことだろうと思います。インドとパキスタンが核実験をして保有国であるという宣言をしたという、これは事実としてございますので、これを無視してはなかなか核の問題というのは解決しないだろうというふうに私は考えます。その際に、経済援助の停止は武器にはならないというふうに考えております。
そして、カシミール問題は、日本が仲介というより、パキスタンは常にどこの国に対しても仲介をしてもらいたい、特に国連あたりが大々的に介入することを望んでいるわけですけれども、これにはインドがうんと言わないだろう、イエスとは言わないだろうということでございます。もしそれを強行すれば、インドをある程度敵に回すということを覚悟しなければならない。それで、片方のパーティーが同意しない場合には仲介というのは成功する確率はほとんどないので、日本が仲介してということはかなり難しいだろう、有効性は限られているだろうというふうに私は考えております。
以上でございます。