小山孝雄の発言 (行財政機構及び行政監察に関する調査会)
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○小山孝雄君 会長の並々ならぬ御決意を承ったわけでありますが、過去数回本調査会で参考人質疑等、あるいは自由討議は初めてでしょうか、拝聴してまいりまして、私なりに今この政策評価制度というものに対しての考え方を申し述べさせていただく次第であります。
既に省庁再編の基本法にも、たしか二十九条に「政策評価機能の充実強化を図るための措置を講ずるものとする。」ということになりまして、そして具体策としては、「府省において、それぞれ、その政策について厳正かつ客観的な評価を行うための明確な位置付けを与えられた評価部門を確立すること。」と、既に基本法にこのように書かれておるわけです。そして、その評価部門は、府省の枠を超えて政策評価を行う機能を強化することと、さらに国民に対する説明責任を明確にする部門でなければならないという三項目が明記されて、間もなくこれは衆議院を通過して本院に参るわけであります。
したがって、省庁再編が進むに従って個々の部門が新たに設けられるという現実具体の展開でありますので、せっかく本調査会で論議してきたことでありますから、何らかの提言を行いたいという会長の意欲につきましてはぜひそのようにしていただきたいと思うわけであります。
そこで、まず第一に、私はこの論議を通じて感じましたのは、最小にして最大の効果を上げなければならないというこの基本線は、これはもうこの政策評価制度が制度化されていようといまいと、政策の立案、企画、執行、そしてまたその事後においても貫かなければならないテーマだと思いますし、今まで全くそのことが行われてきていなかったというものではないと思うわけであります。
それでは、現実の制度としての政策評価のあり方はどうかということを見ましたときに、この制度下においては先輩のアメリカなんかの例を見ました場合、七〇年代に導入されたPPBSという、プランニング・プログラミング・バジェッティング・システムというものだそうですが、これは国防政策には適用できたけれども、福祉や教育、いわゆる数量化に向かないというか困難なものについても進めようと、そうした結果、アメリカの七〇年代に導入されたPPBSというのは既に完全に挫折したという経過があります。
それから、クリントン政権になりまして法律がつくられたのが略称GPRA、ガバメント・パフォーマンス・リザルツ・アクトという、これは法律までつくってやろうとしたわけでございます。クリントン政権は今二期の半ばにかかろうとしておりますが、実際やろうとした段階で行政機関の各所で猛反発に遭いまして、進捗状況は極めて悪い、このように承知をいたしております。
こうしたアメリカの現状などを見ましたときに、日本でこの政策評価を制度化する際に果たしてどうなのか、かなりなじみにくい面が出てくることが多々危惧されるわけでありますが、何点か意見を申し述べさせていただきます。
それは、現実にどういう政策を評価するのか、どういう方法でやるのかだれが評価するのか。すなわち、総論賛成各論反対になる可能性が極めて強い点が第一に指摘されると思います。
それから第二点目には、この省庁再編法案に入る、そして制度化されて、新たにスタートする各省庁に政策評価部門ができる。そうすると当然評価が行われる。そこで、日本社会で一番危惧されることでありますけれども、数字というものが発表されますと、さも絶対的な科学的な根拠でもあるかのような権威を持ってひとり歩きするという日本社会、そしてそれが全体の社会の空気を支配していくというその危惧でございます。
例えば、各新聞社が絶えず行います世論調査、これはおのおの賛否のパーセンテージが示されるわけでありますが、それを見ますと何となくそれが事実と思ってしまう面があります。あるいは、産廃問題や原発問題などで各地で今行われつつあります住民投票、これも、自分の住む町に産廃施設が、処理場がある方がいいか悪いか原発がある方がいいか悪いかと言われれば、それはノーに決まっているんです。
しかし、その背景には、こういったことを考える場合には、じゃ原子力発電所なしに日本のエネルギー需要は賄えるのかという問題、ごみは出したら必ずどこかで処分されなければいけない、そのことはもうだれも逃れられないわけでありますけれども、そういったことは一切、一切と言ったら語弊がありましょうか、投票行動のときにはほとんど除外されるわけであります。それでも住民投票の結果というものがやはりいろんな問題の解決に大きな示唆を与え、あるいは時には縛っていくということもあります。
この前の沖縄のヘリポート基地の賛否両論もそうでありました。名護市の住民投票にかけたわけでありますけれども、現実にあの海上ヘリ基地がつくられるところの地域の人たちは圧倒的に多数が歓迎だったわけでありますが、それは全体の賛否両論の数字の中に埋もれてしまうわけであります。
それからまた、よく新聞発表されます豊かさの指標ということなんかでも同じことが言えるわけでありまして、ついせんだっても新しい指標が発表されました。それによりますと、一番住みやすい県が福井県であり一番住みにくい県が埼玉県だ、こういう数字が発表されました。私は今埼玉県に住んでいるから、本当に住みにくいのかな、こう思うのでありますが、これはどういうことでこうなるのかということを調べてみますと、経済企画庁が新国民生活指標というものを発表する、それを全分野の評価を単純平均化した総合順位をマスコミが勝手に順位をつける、そしてそれが発表される。そうすると、おらっちは住みいいうちは住みにくいというようなことが非常にひとり歩きしやすい記事として発表される、こういうことでありまして、数字というものが及ぼす心理的な影響、そして、さも絶対的な権威でもあるかのようにひとり歩きしていくことの日本社会の特徴ということも考慮しなければならないであろう、こう思うわけであります。
そして、次には、政策評価にもやっぱり大きな費用が要るという点は見逃すわけにはまいりません。評価する部署がつくられるということは、省庁再編で部局を何局何部削減しろというようなことが目標に掲げられているわけでありますけれども、例えばその中で政策評価課というものが各府省に新設される、まさに行政機構の肥大化の一端を担うことにはならないかという指摘もしておかなければなりません。
そしてまた、評価する専門家を育てるということが必要だということがこの前の勉強でも明らかになったわけでありますが、人間の配置とその育成ということにおいてやはり費用がかかる。そこで、費用対効果を意識することが必要だというわけでございますから、どの程度の費用がいいのか。この前の委員会では、たしか武見委員と参考人とのやりとりの中で、一%についていいか悪いかということで論議があったやに記録に残っておりますが、参考人は、x%としか言えないと、こういうことでありました。その費用の査定についても大変難しい問題があるわけであります。
結局は、政策評価の制度を導入するコストが結果的に全体に及ぼす影響などから見まして費用がかかり過ぎるということになれば、この制度はまさにむだな政策であったということになりはしまいかということも指摘しておかなければいけないかなという感じを持ちました。
以上でございます。