中村英夫の発言 (国会等の移転に関する特別委員会)

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○参考人(中村英夫君) 都市を安全なものにしていくというのは大変難しい事業であるとおっしゃいました。全くそのとおりだと思います。したがって、東京は大変危険だということを何回も言いましたが、それを危険でないようにしていくというのはもう本当に大事業であり、これは百年、二百年かかる仕事であるというふうに思っています。しかし、それは必ずやらなければいけない。
 今、議員がおっしゃったヨーロッパの例でも、例えばパリなんていうのは、あれは大変な苦労をしてあそこの町をつくっているわけであります。
 一八五〇年代、今から百五十年くらい前、オスマンというセーヌ県の知事がおりました。東京都知事のような立場であります。その人が中心になって、それまでパリは地震はありませんが大変汚い、快適でない、衛生的でない都市だったようであります。道も狭い。それをあのシャンゼリゼを初めとして大きな道路をつくり、大きな公園をつくり、快適な都市にした。
 そして、それをつくっていく途中ではお金ももちろん大変かかるわけであります。それから、住民の大変大きな反対にも遭うわけであります。フランス人は日本人よりもはるかにそういうふうな事業に対して、公共のものに対して協力的かというと、決してそうは言えないように思います。ましてや、その何年か前まではあの大革命をやって国王をギロチンにかけるというところまで過激なことをやってきた国民であり市民であります。そういうふうな中であれだけの都市整備事業をやったというのは大変なことだったわけであります。事実、それをやったオスマン知事は最後は失脚し、失意のうちに亡くなるわけであります。だけれども、その後また何年もかけてその事業を続けてできたのが今のパリであります。そのパリを世界じゅうの人が花のパリと言い、立派な町だと言い、集まるわけであります。
 そういうふうな意味で、都市づくりというのは大変時間もかかる、そして大変大きな反対にも遭う。だけれども、これはやっぱり政治家も、そして都市計画その他に携わる人たちも何年間かは命をかけてやるに値する仕事であろうというふうに思っているわけであります。そういうふうなことで、オスマンなんという名前を今もって多くの人が、フランス国民はもちろんみんな知っていますし、我々などもよく知っているわけであります。
 そんなことで、東京もぜひそういうふうなことをして安全な都市にしていただきたいというふうに思うわけであります。臨海副都心なんというのも、そういうふうな意味が一つあったんじゃないかというふうに思っております。ただ、残念なことに、先ほども申しましたように、それが必要であるということが言われ、大変困難であるということが言われる。だけれども、それに対して打たれた手というのは、臨海副都心を除けば本当に少ないわけであります。
 そういったことで、新首都をつくっていくというふうな事業が契機となって、そしてそのときに残された土地が種地となって、それがどんどん回転していって、東京の危険でしかも快適でないところを立派なところにしていくということです。東京を安全で快適なところにすれば、私はこれは世界一の立派な大都市になるというふうに確信しているわけであります。こんな安全で清潔な巨大都市は世界にないわけであります。
 ただ、東京のだめなところは、いつ地震が来るかわからないその危険さと、そして狭い道、狭い家、そういうふうなものに代表される都市的な生活の快適さの欠如であります。それをどうしてもやらなければいけない。それの一つの契機がこの事業であるというふうに私は思っているわけであります。
 ともかく、そういうふうにして東京の経済、東京の文化、それを大事にする。だけれども、それと東京の政治・行政機能を同時に被災させてしまわない。どっちかがいかれてもどっちかが生きていればそれは補える。日本はそれを取り返すことができる力があるというふうに思っているわけであります。だけれども、両方ともが同時にやられたときというのは、これは本当に日本沈没になってしまうということを恐れるわけであります。

発言情報

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発言者: 中村英夫

speaker_id: 23774

日付: 1998-03-12

院: 参議院

会議名: 国会等の移転に関する特別委員会