町村信孝の発言 (文教・科学委員会)

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○国務大臣(町村信孝君) 委員のお考えはお考えといたしまして、いわゆる受験エリート校というもの、どういうふうに定義するかということもありましょうが、よく巷間言われている受験エリート校は私立の中高一貫に見受けられるわけでありますが、例えば高校二年の段階までで全部のカリキュラムを終わって、最後の三年生のときはもうひたすら決めた大学の受験勉強だけをやるというような姿があったり、あるいは入学の際に極めて難問奇問的、とても小学校六年生にはわからないような試験をやってその点差で採る、そういう形で受験エリート校というのができ上がってきているのかなとも思うんですが、そういうものを私は今回つくりたいとは思っておりません。むしろそういうのはつくってはならない、こう思います。
 なぜならば、受験エリートのなれの果てといいましょうか、行く末といいましょうか、それは一体何なんだろうかというと、いい学校を出て、いい大学を出て、それはいい会社に入るかもしれない。しかし、それは人生のエリートでも何でもないんです。むしろ、江本委員のようにプロ野球でエリートになるという方がある意味でははるかにエリートかもしれません。だから、ただ単にある部分、どちらかというと記憶力だけが異常にすぐれているということをもって人間のエリートでも何でもないと私は思うのであります。
 だからこそ、私どもは七つのパターンと申し上げておりますけれども、例えば、じっくりと学びたい子供たちに合ったような学校をつくったり、あるいは国際化教育に特色を出す学校とか、あるいは環境教育をしっかりやる学校とか、あるいは情報化問題に対応できる学校とか、あるいは体験学習を非常に重視する学校、そういうようないろいろな特色を持った中高一貫校というものを目指すべきだろうし、したがって、小学校六年生、受験生に対して学力試験というものは課さないというのもそうした考え方に基づいているわけでございます。
 じゃ、世の中にいろんな意味でのエリート、それはいろんな分野でのまたいい意味のエリートというのは僕はあると思うんです。それがこの世の中必要ないかといえば、それはそうではないんだろうと私は思います。ただ、それが日本ではえてして受験エリート、すなわち何か日本社会のエリートみたいになっちゃっているところがむしろおかしいんだろうなと、こう思っておりまして、そういう意味の受験エリート校を私どもはこの中高一貫で全く考えていないということをはっきりと申し上げたいと思います。

発言情報

speech_id: 114215074X02619980604_015

発言者: 町村信孝

speaker_id: 34906

日付: 1998-06-04

院: 参議院

会議名: 文教・科学委員会