明石康の発言 (国際問題に関する調査会)
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○参考人(明石康君) 私は、在来型PKOでありましたら、日本は参加するのに何のちゅうちょも留保も要らないだろうということを申し上げましたし、現在もそう信じておるわけであります。
在来型PKOは三つの原則に立脚しており、そのりちの一つは当事者の同意原則、もう一つは自衛のため以外には武力を行使しないという原則であります。基本的にはこれは、国連憲章七章の武力の行使による平和の維持の範疇に属することではなくて、紛争の平和的解決という第六章に属する事柄であります。
しかしながら、この在来型PKOというのは、言ってみますと、軍人でなければできないけれども、その果たす役割は甚だ非軍人的な、むしろ外交官的な仕事であるというふうに言われております。これは非常に味のある言葉であって、やっぱり軍人でないとできないわけでありますけれども、それは戦うための軍隊ではありません。私はよく在来型PKOをデパートのショーウインドーみたいなものだと。それを打ち破ろうとすれば簡単にできるんだけれども、ショーウインドーを壊すとガチャンと大きな音がするので、おっ取り刀で隣近所の人がみんな駆けつけてくるからなかなかそれを壊す人が出ないんだと。国連の在来型PKOも同じようなものだと言っております。
ですから、そういう在来型PKO、六章型のPKOであれば、それに全面的に参加するのに我が国はちゅうちょする必要がないんじゃないかと私は思います。その意味で、本体業務への参加ということも凍結する必要はないんじゃないかというふうに考えております。国連が現実に必要としておるのはむしろ後方支援とかそういうことの方面でありますけれども、本来のPKOには全面的に現在のフリーズを解いて参加してもいいのではないかというのが私の個人的な意見であります。
今までは六章型のPKOと七章型の戦う国連軍というのは峻別されてきましたけれども、九〇年代になりましてから内戦という非常に厳しい状況のもとで、PKOの同意原則とか武力不行使の原則もかなり弾力的に解釈され適用されなくちゃいけない事態がふえてきておるわけでありまして、そういう意味では私が第四世代のPKOと称しているものに変化しつつあるという情勢にあります。
しかしながら、日本はそのすべての型のPKOに参加する必要はないわけですけれども、日本の理解する第六章型のPKOだったならば、そのすべてに参加してもらいたいし、またそれはできるはずであるし、カンボジアにおける自衛隊もそのように行動したのだと私は思います。カンボジアで自衛隊が行ったことは、カンボジアにおける平和の維持でありましたけれども、参加したほかの国の軍隊との信頼醸成という意味でも非常に効果がありましたし、日中両国の軍隊の間のいろんな交流とか、そういう点でも私はよかったと思います。
そういう意味で、私が在来から提唱しているのは、アジアにもPKOの共同訓練所をつくったらどうかと。そういうところで日本の自衛隊も中国、韓国、東南アジアの軍隊も、同じかまの飯を食いながら、国連の旗のもとにPKOに従事する場合にどういうふうに行動するかをお互いに訓練し合うということであります。