安住淳の発言 (行政改革に関する特別委員会)
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○安住議員 すばらしい先生のお考えを聞かせていただきまして、ありがとうございました。
こういう言い方をすると適切でないかもしれませんが、日本の今の現行制度において、今の官僚制度や今の法体系の中で政治的リーダーシップを発揮するといっても、なかなか難しい問題が多分あるだろうと私は思っております。
ですから、もう少し違う観点で申し上げますと、今度のこの法律というのは大変画期的でございまして、百二十年に及ぶ帝国議会からの我が国の政と官の役割の問題からいうと、ようやく政の部分が、ある種政策決定の部分でも官が今までやってきたところに踏み込んでいける。ですから、与党も野党もという問題ではなくて、政治家が意思決定をしていく機能をつくれるかどうかといったところに、この法案が生きるか死ぬかという大きな問題がかかっているのではないかというふうに私は思っております。
ですから、そういう点から申し上げますと、例えば、我が国の憲法七十二条においては、内閣総理大臣の指揮監督権が明確に規定をされております。しかし、現行では内閣法はそうではなくて、例えば内閣法の六条では、指揮監督権があるにもかかわらず、閣議という一つの合議体に決定をゆだねて、そこで合意されたものがまさに指揮監督であると。
つまり、これはどういうことかというと、帝国議会での内閣制の役割を考えると、そこにおいては、同輩の首席論というのがあるわけであります。同輩の首席は、まさに内閣総理大臣も、当時の憲法下では、これは議会が決めるわけではなくて、天皇陛下が任命をする。しかし、ほかの閣僚についてもまさにそうであったからこそ同輩の首席論というのがあったわけで、戦後、現行憲法が想定したのは多分違ったのではないかと思います。違ったであろうにもかかわらず、同輩の首席論は、その後も我が国の現行憲法における内閣総理大臣のいわば地位と権能というものを縛りつけてしまった。そういう歴史がまさに私はあると思います。
ですから……(発言する者あり)確かにそういう点もあるかもしれませんが、やはり同輩の首席ではないということをまず明確にしないといけない。そこで、統括権という問題が出てくるわけです。なぜかというと、同輩の首席でない全くいい証明は、内閣総理大臣がほかの国務大臣を今は任命しているわけでありますから、そういう意味での戦前の解釈とは全く違う。
ですから、そういう意味では、現行憲法の七十二条の解釈をより狭い範囲に押さえ込んできたのが内閣法であり、それは逆に言うと、官僚に政治がいわば支配をされてきた目に見えない縛りというものがあったので、そこをどう超えられるかということに関して言うと、今の政府案ではやはり不十分であるからこそ、大宰相制というふうに我々の提案者も申し上げましたけれども、本来、内閣総理大臣は、選挙で選ばれ、またその議会で選ばれた唯一大きな立法府の代表として内閣を指揮監督するわけでありますから、当然、強大な権限を持って、そのリーダーシップのもとに行政は内閣総理大臣の意思を貫徹しなければならない組織だという解釈論に立って、リーダーシップの中からこの法案を出しているわけですから、我が党の案が成立すれば、総理大臣がリーダーシップをとれる政治主導の歴史がようやく百二十年かけて我が国に起こるという、そういうすばらしい法案であるというふうに思っております。