安住淳の発言 (農林水産委員会)
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○安住委員 そこで、今度は昭和四十七、八年ごろに米価はどうだったかというと、私の記憶では、毎年のように大変な上がり方をする。官房長、そうですね、四十七、八年というのは大変なんです。つまり、農家から見ると、いろいろな矛盾と、やはり基本が見えなくなってきている時代だったと思うのですね。一方で大変な減反をここで強いたわけですね。
ばらばらな、ちょっとまとまりのない話をさせてもらうと、たしか四十五年で持ち越し在庫が七百二十万でしょう。それで、五百八十九万、三百七万とくるわけですよ。またそれが五十年代に入って、六百六十六万という昭和五十五年の数字があるのです。つまり、減反が始まって、当時大体二五%ぐらい、国家予算で一兆円という話を私はこの間しましたけれども、四十五年、六年というのはそういう年です。
そういう中で、当時のことを余り責めてもしようがないのですが、多分その時点では、一等農地というか、農地をできるだけ守って、なおかつ土地の集約化を図っていって、規模拡大をして足腰の強い農業をつくるという大きな目標があったにもかかわらず、今私が説明したような社会状況があって、しかし減反に伴って、また米価も上がった。だから結局、思うように後継者がといいますか、今で言う、つまり認定農家になり得るような、柱になるような農家というものができなかったのではなかったか、私はそういうふうに考えているのですけれども、いかがですか。