松永憲生の発言 (法務委員会)

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○松永参考人 ノンフィクション作家をしています松永です。
 この委員会は司法改革をテーマに審議しておられますが、僕は司法分野の取材、事件取材等をこれまで続けてまいりました。その関係で、特に裁判官取材、冤罪事件の取材等を通じて、司法改革はぜひ必要であると十数年前から痛感してまいりましたので、取材体験も交えて、きょうはお話しさせていただきたいと思います。
 直接、裁判官に初めて取材したのはもう二十年くらい前なんですが、裁判官世界に興味を持った動機は冤罪事件の取材でした。裁判官も自由心証主義ですから、やはり自由に心証を形成する場合に、証拠をにらんで判断する、有罪か無罪か悩むことも人間ですからあると思うわけですね。有罪か無罪か悩んだときに、どういう悩み方をするのか。時には死刑の判決も下すわけですから、そういうときにどういうためらいがあるのか。そういうところに、人間としての裁判官の素顔に大変興味を持ちました。
 有罪、無罪かを迷ったときに、どちらか必ず判決を出さなければいけない、中間はないわけですね、刑事裁判に和解はありませんから。そういう意味で、裁判官の仕事というのは大変な仕事なわけです。大変な仕事であろうと思って当然取材に入りましたけれども、結果としてはやはり大変な仕事だなと思いました。
 しかし、その大変さの中身ががらりと違いました。僕は当初、苦悩し、真実を求めて格闘する裁判官の人間らしい姿を想像していましたけれども、現実の裁判官の大変だなと思う実態は、言うならば、営業成績をめぐって格闘するサラリーマンのそれと似たような顔、こういう顔にめぐり会って、しかし、それも同じ人間ですから一概におかしいとは言えませんけれども。
 その中で、裁判官の生の人間性、あるいは私生活における子供の親の顔、夫としての顔、そんな顔に接しながら、裁判官というのは公務員の中で最も勤勉でまじめに働いている人々である、そんなふうな印象を持ちました。これは取材に応じてくれた裁判官の多数の方々が気負いなく語っていましたし、また僕もそれはそうであろうなというふうに実感できたところです。
 問題とする裁判官としての顔で大変だなと僕が感じたその実態についてですが、これは「裁判官の内幕 裁きの神の顔」というタイトルで最初に出した本なんですが、この中に書きつづったものです。時間の関係上詳しくは御紹介できませんけれども、かいつまんで少しお話ししたいと思います。
 例えば、裁判所というのは裁判官会議によって運営されているんです。多くの裁判官の会議で重要事項を決定する。ところが、一九五五年ですから、昭和三十年に裁判所の事務処理規則を改正することによって、この裁判官会議が形骸化していってしまうことになります。どういうことかというと、長官と所長の権限が強くなっていくのですね。ですから、事務処理規則の中で当該裁判所と書いてあった部分を自動的に、簡略に言うと長官または所長、このように変えたために、裁判官会議の形骸化が起こってくる。
 その結果、どういう実態になっているかというと、ごく簡単に説明しますと、ある裁判官が漏らしていました。我々裁判官にとって、楽しみは、裁判官会議が不活発、低調なので、それも裁判官会議は開かれることは開かれるのだけれども、その中で興味あるのは選挙であると言うのですね。今選挙たけなわですが、裁判官もやはり選挙が楽しいそうです。
 どういう楽しみかというと、例えば、裁判所の所長の代理を決める、その代理をだれにするかというのは大体あらかじめ決まってしまうそうなんですが、大きいところだと第一代理と第二代理、二人選出するらしいのですね。第一代理の方は大体最高裁の意向によって決まってしまっている。年配の人の数はだんだん減っていきますから、年功序列で決まっていきますので、大体この人というふうに決まってくるそうですが、人数が多いと、最高裁の意向に沿わない人が決まってしまうと危険なので、事前に人事異動をするそうです。中堅以下の裁判官がおもしろいと言うのは、第二代理を決める選挙。この中に批判票がどのくらい集まるかとか、そんなことをみみっちく楽しみながら裁判官会議に出る、こういう実態を漏らしてくれました。
 それから、五五年のその事務処理規則の改正以降、裁判官には勤務評定が行われています。考課調書という勤務評定。それから、勤務評定の中身も問題ですけれども、それをされていること自体、裁判官は独立してその職権を行使するというふうに憲法で保障されていますが、その独立性をまず最初に危うくさせたのがこれだったと思います。
 それから、統計表というのがありまして、裁判官は非常に激務で、たくさんの、二百五十件から三百件、三百五十件というような、常時それほどの事件を抱えて大変激務ですから、事件の処理を急ぐわけですね。国民のための迅速な裁判ではなくて、裁判官のための迅速な裁判に走りがちであります。
 そこで、新受事件数と、毎月毎月判決を下す判決済みの処理した件数とのバランスが問題になります。それが個人別にあらわれるのが統計表です。名前は出ていませんけれども、東京地裁刑事一部一係というふうに出ていますから、自動的にだれが今月は処理件数が多かったか少なかったかはすぐわかります。営業成績をめぐって苦悩するサラリーマンの顔と言ったのは、それに関係します。
 実は、公然と裁判所では、これは裁判官が実際に話してくれましたけれども、処理件数が多く、つまり新しく受ける事件数よりも多かった場合には、今月私は黒字になりました、処理件数が少なくて、そして新しく今月受けた事件数が多いと、これは赤字ということになるわけですね。だから、赤字、黒字という言葉を実際に使っているそうです。
 それからさらに、長期未済事件報告制度というのがありまして、そのような形で処理を急いでもなお、民事事件では五年を超えると最高裁に報告しなければならない。刑事事件だと三年を超えると報告をしなければならない。少年、家裁事件だと一年を超える。そういう長期未済事件として報告せざるを得ない事件数がだんだん多くなってくると、やはりこれも勤評としてはよくないわけですね。
 だから、裁判官の仕事というのは、じっくり慎重に審理するというのと、国民のための迅速な裁判、拙速を防ぎながらそれを慎重にやらなければいけないという意味で、非常に大変なんですが、官僚的な締めつけはかなり強いものを感じました。
    〔委員長退席、橘委員長代理着席〕
 この本で述べたそのような実態は、さらに今日深化しています。そして、現在、ではどうなのかというと、僕がこのとき指摘した問題点はさらに深化し、かつ変わった部分もあります。その深化し、かつ変わった部分がどういう実態であるかという点についての資料をお手元に配付させていただきました。
 「知られざる裁判官の内幕」という、これは別冊宝島の取材記事ですが、生田暉雄さんという弁護士さんは、裁判官に二十二年間在職した方です。七〇年から九二年三月まで裁判官をやっていましたので、言うならば、これが現在の裁判官の実態の核心部分についての最新情報であるというふうに受け取っていただいて結構です。
 それでは、この点について結論的に申し上げたいことは、司法権の独立のための裁判官の独立、職権の独立保障ですね、これが一番司法権にとっては大事なことであり、司法制度の核心的な部分だと思います。これが危ういとなると、いかなる部分に手を加えても無理だと思います。裁判官の独立をいかに実体を伴ったものにするのかという点については、ただ単に裁判官の数をふやせばいいということではないと思います。これは特に強調しておきたいと思います。
 それから、そのような形で裁判官会議を活発化するということですね。
 そして、簡単に申し上げますけれども、裁判官の独立を支える重要な役割を演じているのが弁護士自治だと思います。
 弁護士自治について、いろいろ問題にされているようですけれども、これまで冤罪事件を取材した関係上実感するところですが、弁護士が自治に支えられてこそ人権擁護の活動をできる、その点は特に強調しておきたいと思います。
 それから、この審議会についてですけれども、時間の関係で簡単に申し上げざるを得ないのですが、つまり、現在の司法改革についてこの審議会をつくる、この審議会を設置する法案をめぐって議論が行われていると思うのですけれども、最初に結論を申し上げますと、この審議会については疑問に思います。
 一つは、内閣法十二条四項に基づく審議会であるという点。内閣の事務を助けることが使命であるとすると、やはり政府・自民党の方針になっていくだろう。賛成でしたらそれでもいいんですけれども、先ほど高橋先生も御指摘のとおり、僕も、人権擁護のための司法改革という視点の欠落性からいって少し危惧を感じます。
 それから、情報公開が期待できない。審議事項等、審議内容を白紙委任するような立法であるというような点を主な理由として、疑問に思います。
 有意義な司法改革を行っていただきたいことを念じて、以上です。(拍手)

発言情報

speech_id: 114505206X00719990413_008

発言者: 松永憲生

speaker_id: 11658

日付: 1999-04-13

院: 衆議院

会議名: 法務委員会