山本幸三の発言 (法務委員会)
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○山本(幸)委員 自由民主党の山本幸三です。きょうは、参考人の皆さん方、本当に貴重な御意見をいただきましてありがとうございました。
私は、経済学は多少は知っているつもりでありますが、司法制度というのは全く素人でありまして、一体何を聞いたらいいのかわからないぐらいのレベルなんですけれども、非常にプリミティブな質問をちょっとしたいなと思っているんです。
裁判というのが機能しないと、機能不全を起こすとどういうことになるんだろうかなということなんですが、私はかつて、ヘンリー・デンカーという人の「復讐法廷」という小説を読んでそのことを思ったんです。それは実話だったらしいんですけれども、アメリカで、自分のお嬢さんが強姦されまして、殺されちゃった。裁判に行ったんだけれども、その捜査等の手続が不備であると言うらつ腕の弁護士が出てきまして、それで結局、ほぼ犯人であることは間違いないけれども、そういう手続上のことが不備というようなことで無罪になっちゃった。おやじさんは、とてもそんなことじゃ納得できないというので、どうしたかといったら、自分でその犯人を殺しに行っちゃったんですね。
つまり、裁判というのはやはり大変重要で、それが機能しなくなるとリンチの世界に戻っちゃうんですね。裁判というのは非常に重要で、社会的あるいは経済的にもいろいろな意味での機能を果たさないと、結局、裁判所に行って何もできないんだったらもうマフィアの親分に頼むかという話になっちゃうんですね。だから、そこのところを私は、裁判というのはなるほど大事かなというふうに思っているんです。
例えば、機能不全を起こすという意味で、いろいろありますね。私はきょうお伺いして、私の思っていることもそうだなと思ったんですが、裁判というのは、余り長期化しちゃったら意味がない。裁判所に持っていって、二十年、三十年以上かかるというようなことになれば、そんなところへ行ったってしようがないという気にだれだってなるんですね。
それから、経済学の立場からいいますと、私は経済学の立場からしか物を見られないんですけれども、お金をどんどんかければいいというものじゃない。あるいは、さっき言ったみたいに、時間を幾らかけてもいいというものじゃない。経済学の世界では、お金を幾らでもかけていいんなら何でもできる、時間を幾らかけてもいいんだったら何でもできるんですね。そんなものは対象にならない。問題の解決、処理というのは、やはりどれだけお金をかけないで、どれだけ時間をかけないでうまい処理ができるかということに努力しなければ、それは知恵を出したことにならないと私は思うんですね。そういう問題意識ぐらいしか持っていないんですけれども。
そこでまず、余り時間もないので一つ二つしか聞けないと思いますが、やはり裁判というのは余り長くし過ぎちゃいけないんだろうと思うんです。どうしたら裁判は短くできるのか。しかし、これは委員の皆さん方の中でも御指摘があったように、急ぐようにやれば中身は何でもいいというわけにもいかないんですね。実に難しい。中身を満足できるレベルにしないといかぬ。最低限のレベルというのはあるでしょうね。それ以上で、しかし最短の期間でやらなきゃいかぬ。私は今、この裁判制度の改革というのは、経済学で言うとミニマックス理論の課題かなと思うんです。
そこで、逢見先生、幸田先生と高橋先生、松永先生のお二方ずつで立場がちょっと違うような感じがしたんですが、逢見先生と幸田先生はまさに法曹界の外から物を見ておられて、そして高橋先生、松永先生はどっちかというと法曹界の立場から開陳されたように思うんです。
逢見先生、幸田先生は、例えば裁判が長期化しないためには、むしろ裁判外の役割を大きくすべきだというような御指摘をされたように思いますし、高橋先生は、それは陪審制度をやれば、市民も参加するんだから長くできないよと、そんなものかなと私もちょっとさっき思ったんです。松永先生の場合には、裁判官は短くしろと大変なプレッシャーに遭っていて、なかなか実体がないということですが、大変恐縮ですけれども、どうしたらレベルを余り下げないで短くできるかということについての御意見をお一人ずつ、一言ずつで大変難しい注文ですが、伺えればと思います。