南野知惠子の発言 (国旗及び国歌に関する特別委員会)
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○南野知惠子君 ただいまはもう半世紀を過ぎておりまして、今、私どもは新しい世紀に向かって歩み出そうといたしております。
私は、満州で生まれました。昭和二十一年、十歳のときに引き揚げてまいりましたが、まだ子供のころではございました。日本の土を踏み締めましたときに、ああ、ここが私の祖国なのかと心の底から込み上げてくるものがございました。数々の苦しみ、数々の喜びが満州時代の思い出として浮かんでまいります。
また、古事記に、ヤマトタケルノミコトが東征の帰路、鈴鹿近くの能褒野の地で大和の国を思って歌った歌がございます。「大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和し美し」という歌でございます。私は、「大和し美し」という言葉に万感の思いを感じるものでございます。大和は今は日本ととらえることができます。日本が、国民も国土も麗しく、そして世界の人々から尊敬される国として一層の発展を祈念するものでございます。
終戦直後のことを思い起こしますと、ビルが建ち並び車が行き交う現在の繁栄、平和で豊かな日本は、まさに当時からすれば夢のようでございます。明治以降、我が国は欧米を目標にその文物を取り入れ、国力を充実させるとともに、国民が豊かに暮らせるよう国を挙げて努力してまいりました。昭和三十年代からの驚くべき経済成長によって日本は経済大国と言われるようになり、明治以来追い求めていた目標が達成されたのでございます。
しかし、次の目標がどこにあるのか、お手本がなくなった中で、私たち自身が日本のあり方を、日本の進むべき道をつくり出していかなければならない時代になってきております。そのためには、日本の国家としてのアイデンティティーをもう一度見詰め直す必要があるのではないでしょうか。また、経済中心的な物の考え方から、日本の精神的、文化的側面を尊重する考え方に少しは転換していってもいいのではないか、またその必要があるのではないかと思っております。
その意味で、二十一世紀を迎えようとする変革期の今このときに本法律案が提案されましたことは、日本にとりましてまことに意義深いものがあると考えております。提案理由の中で「二十一世紀を迎えることを一つの契機として、」との御説明がございましたが、我が国の戦後の歩みと二十一世紀におけるあるべき姿などを踏まえまして、本法律案の意義についてもう少しお尋ねしてみたいと思っております。
私は、国家というものを正しく理解していれば、おのずから国旗掲揚の場においては姿勢を正すことができる、習っていれば国歌斉唱の場合においては歌うことができると考えております。
我が国にはこれまで、国家と国民を対立するものととらえたり、国家は国民を苦しめるもの、抑圧するものであるというような考え方が一部に根強くあったような気がいたします。そして、このことが国旗・国歌に対する自然な感情の発露を妨げていたのではないかと思います。しかし、このような考え方は非常に古い、言うなれば誤った国家観であり、現代の議会制民主主義の国家におきましては全く合わない考え方ではないかと思っております。国家は、議会における代表者を通じて行動する国民の共同体であると考えております。
米国のケネディ大統領は就任演説でおっしゃっております。国家が諸君のために何をしてくれるのかを問わず、諸君が国家のために何をなし得るかを問いたまえと国民に訴えられておりますが、国家が国民の共同体であると考えればこれは当然のことであろうかと思います。
国旗・国歌を考えますときに、国、国家とは何か、どのようなものであるのかということがその根底にあると考えます。国、国家をどのようにお考えになるのか、官房長官にその御認識をお伺いいたします。