国旗及び国歌に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
平成十一年七月三十日(金曜日)
午前九時一分開会
─────────────
委員の異動
七月二十九日
辞任 補欠選任
阿部 幸代君 山下 芳生君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 岩崎 純三君
理 事
鴻池 祥肇君
溝手 顕正君
江田 五月君
森本 晃司君
笠井 亮君
委 員
市川 一朗君
景山俊太郎君
亀井 郁夫君
中川 義雄君
南野知惠子君
橋本 聖子君
馳 浩君
森田 次夫君
足立 良平君
石田 美栄君
江本 孟紀君
竹村 泰子君
本岡 昭次君
松 あきら君
山下 栄一君
山下 芳生君
山本 正和君
扇 千景君
山崎 力君
国務大臣
文部大臣 有馬 朗人君
国務大臣
(内閣官房長官) 野中 広務君
政府委員
内閣官房内閣内
政審議室長
兼内閣総理大臣
官房内政審議室
長 竹島 一彦君
内閣法制局長官 大森 政輔君
内閣法制局第二
部長 宮崎 礼壹君
内閣総理大臣官
房審議官 佐藤 正紀君
法務省刑事局長 松尾 邦弘君
外務省アジア局
長事務代理 樽井 澄夫君
文部大臣官房長 小野 元之君
文部省初等中等
教育局長 御手洗 康君
文部省教育助成
局長 矢野 重典君
文部省高等教育
局長 佐々木正峰君
文部省体育局長 遠藤 昭雄君
文化庁次長 近藤 信司君
事務局側
常任委員会専門
員 志村 昌俊君
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
─────────────
本日の会議に付した案件
○国旗及び国歌に関する法律案(内閣提出、衆議
院送付)
○委員派遣承認要求に関する件
○参考人の出席要求に関する件
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この発言だけを見る →午前九時一分開会
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委員の異動
七月二十九日
辞任 補欠選任
阿部 幸代君 山下 芳生君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 岩崎 純三君
理 事
鴻池 祥肇君
溝手 顕正君
江田 五月君
森本 晃司君
笠井 亮君
委 員
市川 一朗君
景山俊太郎君
亀井 郁夫君
中川 義雄君
南野知惠子君
橋本 聖子君
馳 浩君
森田 次夫君
足立 良平君
石田 美栄君
江本 孟紀君
竹村 泰子君
本岡 昭次君
松 あきら君
山下 栄一君
山下 芳生君
山本 正和君
扇 千景君
山崎 力君
国務大臣
文部大臣 有馬 朗人君
国務大臣
(内閣官房長官) 野中 広務君
政府委員
内閣官房内閣内
政審議室長
兼内閣総理大臣
官房内政審議室
長 竹島 一彦君
内閣法制局長官 大森 政輔君
内閣法制局第二
部長 宮崎 礼壹君
内閣総理大臣官
房審議官 佐藤 正紀君
法務省刑事局長 松尾 邦弘君
外務省アジア局
長事務代理 樽井 澄夫君
文部大臣官房長 小野 元之君
文部省初等中等
教育局長 御手洗 康君
文部省教育助成
局長 矢野 重典君
文部省高等教育
局長 佐々木正峰君
文部省体育局長 遠藤 昭雄君
文化庁次長 近藤 信司君
事務局側
常任委員会専門
員 志村 昌俊君
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
─────────────
本日の会議に付した案件
○国旗及び国歌に関する法律案(内閣提出、衆議
院送付)
○委員派遣承認要求に関する件
○参考人の出席要求に関する件
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岩
岩崎純三#1
○委員長(岩崎純三君) ただいまから国旗及び国歌に関する特別委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨日、阿部幸代君が委員を辞任され、その補欠として山下芳生君が選任されました。
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この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
昨日、阿部幸代君が委員を辞任され、その補欠として山下芳生君が選任されました。
─────────────
岩
岩崎純三#2
○委員長(岩崎純三君) 国旗及び国歌に関する法律案を議題といたします。
本案の趣旨説明は既に聴取しておりますので、これより質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。
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質疑のある方は順次御発言願います。
南
南野知惠子#3
○南野知惠子君 自由民主党の南野知惠子でございます。
日本人の一人といたしまして、君が代、日章旗には大きな愛着を感じております。本日も赤と白の日章旗の姿で参りました。
これは日章旗のイメージでございますが、私は幼いころに満州で生活いたしました。そのころ父母が教えてくれた歌がございます。私の大好きな歌であり、満州の異国の地で日本をしのびながら歌った、口ずさんだ歌でございます。「白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしい 日本の旗は」という歌詞の日の丸という歌がございます。
この歌は日章旗のすばらしさを端的にあらわしていると思いますが、この歌につきまして、文部大臣及び官房長官の御感想をお伺いいたします。
この発言だけを見る →日本人の一人といたしまして、君が代、日章旗には大きな愛着を感じております。本日も赤と白の日章旗の姿で参りました。
これは日章旗のイメージでございますが、私は幼いころに満州で生活いたしました。そのころ父母が教えてくれた歌がございます。私の大好きな歌であり、満州の異国の地で日本をしのびながら歌った、口ずさんだ歌でございます。「白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしい 日本の旗は」という歌詞の日の丸という歌がございます。
この歌は日章旗のすばらしさを端的にあらわしていると思いますが、この歌につきまして、文部大臣及び官房長官の御感想をお伺いいたします。
野
野中広務#4
○国務大臣(野中広務君) ただいま南野委員から、幼少のころより我が国の国旗について歌われてまいりました「白地に赤く 日の丸染めて」という歌詞をそのまま口ずさんで、お聞きをいたしました。私も幼少のころを思い起こしながら感慨新たなものがあるわけでございます。
今おっしゃいましたように、私もまことに簡潔にかつ端的に日章旗の旗の美しさを表現した歌であると考えておるところでございます。また、私としては、我が国の国旗である日章旗に、シンプルかつ印象的なデザインであることを誇りに思い、世界に誇り得る日章旗であると考えておるところでございます。
この発言だけを見る →今おっしゃいましたように、私もまことに簡潔にかつ端的に日章旗の旗の美しさを表現した歌であると考えておるところでございます。また、私としては、我が国の国旗である日章旗に、シンプルかつ印象的なデザインであることを誇りに思い、世界に誇り得る日章旗であると考えておるところでございます。
有
有馬朗人#5
○国務大臣(有馬朗人君) まず、極めて短い楽曲でございますが、日章旗のイメージを的確に歌い上げていて、しかもリズムの点で大変歌いやすいと思います。小学生にとっても無理なく歌えるところから、極めて親しみやすい歌であると考えております。
私自身も、小学校に入りましてすぐにこの歌を勉強いたしまして、その後、親しんでいるところでございます。
この発言だけを見る →私自身も、小学校に入りましてすぐにこの歌を勉強いたしまして、その後、親しんでいるところでございます。
南
南野知惠子#6
○南野知惠子君 ただいまはもう半世紀を過ぎておりまして、今、私どもは新しい世紀に向かって歩み出そうといたしております。
私は、満州で生まれました。昭和二十一年、十歳のときに引き揚げてまいりましたが、まだ子供のころではございました。日本の土を踏み締めましたときに、ああ、ここが私の祖国なのかと心の底から込み上げてくるものがございました。数々の苦しみ、数々の喜びが満州時代の思い出として浮かんでまいります。
また、古事記に、ヤマトタケルノミコトが東征の帰路、鈴鹿近くの能褒野の地で大和の国を思って歌った歌がございます。「大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和し美し」という歌でございます。私は、「大和し美し」という言葉に万感の思いを感じるものでございます。大和は今は日本ととらえることができます。日本が、国民も国土も麗しく、そして世界の人々から尊敬される国として一層の発展を祈念するものでございます。
終戦直後のことを思い起こしますと、ビルが建ち並び車が行き交う現在の繁栄、平和で豊かな日本は、まさに当時からすれば夢のようでございます。明治以降、我が国は欧米を目標にその文物を取り入れ、国力を充実させるとともに、国民が豊かに暮らせるよう国を挙げて努力してまいりました。昭和三十年代からの驚くべき経済成長によって日本は経済大国と言われるようになり、明治以来追い求めていた目標が達成されたのでございます。
しかし、次の目標がどこにあるのか、お手本がなくなった中で、私たち自身が日本のあり方を、日本の進むべき道をつくり出していかなければならない時代になってきております。そのためには、日本の国家としてのアイデンティティーをもう一度見詰め直す必要があるのではないでしょうか。また、経済中心的な物の考え方から、日本の精神的、文化的側面を尊重する考え方に少しは転換していってもいいのではないか、またその必要があるのではないかと思っております。
その意味で、二十一世紀を迎えようとする変革期の今このときに本法律案が提案されましたことは、日本にとりましてまことに意義深いものがあると考えております。提案理由の中で「二十一世紀を迎えることを一つの契機として、」との御説明がございましたが、我が国の戦後の歩みと二十一世紀におけるあるべき姿などを踏まえまして、本法律案の意義についてもう少しお尋ねしてみたいと思っております。
私は、国家というものを正しく理解していれば、おのずから国旗掲揚の場においては姿勢を正すことができる、習っていれば国歌斉唱の場合においては歌うことができると考えております。
我が国にはこれまで、国家と国民を対立するものととらえたり、国家は国民を苦しめるもの、抑圧するものであるというような考え方が一部に根強くあったような気がいたします。そして、このことが国旗・国歌に対する自然な感情の発露を妨げていたのではないかと思います。しかし、このような考え方は非常に古い、言うなれば誤った国家観であり、現代の議会制民主主義の国家におきましては全く合わない考え方ではないかと思っております。国家は、議会における代表者を通じて行動する国民の共同体であると考えております。
米国のケネディ大統領は就任演説でおっしゃっております。国家が諸君のために何をしてくれるのかを問わず、諸君が国家のために何をなし得るかを問いたまえと国民に訴えられておりますが、国家が国民の共同体であると考えればこれは当然のことであろうかと思います。
国旗・国歌を考えますときに、国、国家とは何か、どのようなものであるのかということがその根底にあると考えます。国、国家をどのようにお考えになるのか、官房長官にその御認識をお伺いいたします。
この発言だけを見る →私は、満州で生まれました。昭和二十一年、十歳のときに引き揚げてまいりましたが、まだ子供のころではございました。日本の土を踏み締めましたときに、ああ、ここが私の祖国なのかと心の底から込み上げてくるものがございました。数々の苦しみ、数々の喜びが満州時代の思い出として浮かんでまいります。
また、古事記に、ヤマトタケルノミコトが東征の帰路、鈴鹿近くの能褒野の地で大和の国を思って歌った歌がございます。「大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和し美し」という歌でございます。私は、「大和し美し」という言葉に万感の思いを感じるものでございます。大和は今は日本ととらえることができます。日本が、国民も国土も麗しく、そして世界の人々から尊敬される国として一層の発展を祈念するものでございます。
終戦直後のことを思い起こしますと、ビルが建ち並び車が行き交う現在の繁栄、平和で豊かな日本は、まさに当時からすれば夢のようでございます。明治以降、我が国は欧米を目標にその文物を取り入れ、国力を充実させるとともに、国民が豊かに暮らせるよう国を挙げて努力してまいりました。昭和三十年代からの驚くべき経済成長によって日本は経済大国と言われるようになり、明治以来追い求めていた目標が達成されたのでございます。
しかし、次の目標がどこにあるのか、お手本がなくなった中で、私たち自身が日本のあり方を、日本の進むべき道をつくり出していかなければならない時代になってきております。そのためには、日本の国家としてのアイデンティティーをもう一度見詰め直す必要があるのではないでしょうか。また、経済中心的な物の考え方から、日本の精神的、文化的側面を尊重する考え方に少しは転換していってもいいのではないか、またその必要があるのではないかと思っております。
その意味で、二十一世紀を迎えようとする変革期の今このときに本法律案が提案されましたことは、日本にとりましてまことに意義深いものがあると考えております。提案理由の中で「二十一世紀を迎えることを一つの契機として、」との御説明がございましたが、我が国の戦後の歩みと二十一世紀におけるあるべき姿などを踏まえまして、本法律案の意義についてもう少しお尋ねしてみたいと思っております。
私は、国家というものを正しく理解していれば、おのずから国旗掲揚の場においては姿勢を正すことができる、習っていれば国歌斉唱の場合においては歌うことができると考えております。
我が国にはこれまで、国家と国民を対立するものととらえたり、国家は国民を苦しめるもの、抑圧するものであるというような考え方が一部に根強くあったような気がいたします。そして、このことが国旗・国歌に対する自然な感情の発露を妨げていたのではないかと思います。しかし、このような考え方は非常に古い、言うなれば誤った国家観であり、現代の議会制民主主義の国家におきましては全く合わない考え方ではないかと思っております。国家は、議会における代表者を通じて行動する国民の共同体であると考えております。
米国のケネディ大統領は就任演説でおっしゃっております。国家が諸君のために何をしてくれるのかを問わず、諸君が国家のために何をなし得るかを問いたまえと国民に訴えられておりますが、国家が国民の共同体であると考えればこれは当然のことであろうかと思います。
国旗・国歌を考えますときに、国、国家とは何か、どのようなものであるのかということがその根底にあると考えます。国、国家をどのようにお考えになるのか、官房長官にその御認識をお伺いいたします。
野
野中広務#7
○国務大臣(野中広務君) 国、国家は、ただいまも委員から御指摘がございましたが、国民生活の最も基礎的な要素であると考えておるところでございまして、広辞苑によりましても、近代以降では通常、領土、人民、主権がその概念の三要素とされておるところでございます。
また、国家にとりまして国旗・国歌は、その象徴としての認識を有するまことに重要なものと考えておるところでございまして、国旗は国の印とする旗であり、国家を象徴する標識であるということを広辞苑も定めておりますし、また国歌は、国家的祭典や国際的行事で国民及び国家を代表するものとして歌われるということが言われております。
私ども、それぞれ国旗・国歌は、今申し上げましたようにその象徴としての認識を有するまことに重要なものであると認識をしておるところでございます。
この発言だけを見る →また、国家にとりまして国旗・国歌は、その象徴としての認識を有するまことに重要なものと考えておるところでございまして、国旗は国の印とする旗であり、国家を象徴する標識であるということを広辞苑も定めておりますし、また国歌は、国家的祭典や国際的行事で国民及び国家を代表するものとして歌われるということが言われております。
私ども、それぞれ国旗・国歌は、今申し上げましたようにその象徴としての認識を有するまことに重要なものであると認識をしておるところでございます。
南
南野知惠子#8
○南野知惠子君 ありがとうございました。
私は、昭和三十八年、当時の最先端の助産婦教育を受けるためにイギリスに留学してまいりました。当時、出発に際して友達からは、どうして敵国に行くのなどということを問われたこともございました。
私が留学しておりました病院には、日本人は私一人しかおりませんでした。そのころは、終戦から約二十年近くが経過していたとはいえ、我が国に対し好ましくない感情をお持ちの方が少なくないという時代ではございました。しかしながら、私は日本人であるということを理由に差別を受けたことはございません。ただし、人と出会いますときに、ロンドンにはわずかな日本人しかおられませんでしたので、いつも、あなたはチャイニーズかと聞かれたことはございます。
当時、留学先の病院には世界の各国から人種や文化が異なる留学生仲間が集まってきておりましたが、みんなお互いの国を尊重し、みんなが自分の国を誇りとしておりました。そのとき私は、人間として一番重要なものは何かということを知ることができたように思います。それは、自分が属する国家に誇りを持つことであり、またそれが、ひいては自分にも誇りを感じさせるものにつながっていっているということでございます。思い返してみますと、当時、みんなが自分の国について語るときは胸を張り目を輝かせていたことを思い出します。また、その人の話を聞く者も真剣に耳を傾けておりました。言ってみれば、こういうことは当たり前のことだと思っております。
私は、国際社会の一員として必要なものは何かということを理解していたつもりではございましたけれども、そのとき、その認識を新たなものとして感じた次第でございます。この経験が、今ここに立っております国会議員としての立場でもそのもとになっているのは間違いないと、自分自身、心の中で誓っております。
ここで私が申し上げたいことは、終戦時において我が日本について抱いていたもの、そしてイギリスにおいて知ったこと、これが現在の我が国にあるのかなという思いでございます。自分の国を誇りと思えない人が他国を敬うことができるはずもないと思っております。戦後の我が国は、この、自分の国に誇りを持つ、自信を持つ、また日本人としての自信と誇りを持つということについて、このような国民的気風をはぐくむことについて欠けるところがあったのではないかなと感じているところでございます。
この点につきまして、官房長官、文部大臣、お考えをお伺いしたいと思っております。
この発言だけを見る →私は、昭和三十八年、当時の最先端の助産婦教育を受けるためにイギリスに留学してまいりました。当時、出発に際して友達からは、どうして敵国に行くのなどということを問われたこともございました。
私が留学しておりました病院には、日本人は私一人しかおりませんでした。そのころは、終戦から約二十年近くが経過していたとはいえ、我が国に対し好ましくない感情をお持ちの方が少なくないという時代ではございました。しかしながら、私は日本人であるということを理由に差別を受けたことはございません。ただし、人と出会いますときに、ロンドンにはわずかな日本人しかおられませんでしたので、いつも、あなたはチャイニーズかと聞かれたことはございます。
当時、留学先の病院には世界の各国から人種や文化が異なる留学生仲間が集まってきておりましたが、みんなお互いの国を尊重し、みんなが自分の国を誇りとしておりました。そのとき私は、人間として一番重要なものは何かということを知ることができたように思います。それは、自分が属する国家に誇りを持つことであり、またそれが、ひいては自分にも誇りを感じさせるものにつながっていっているということでございます。思い返してみますと、当時、みんなが自分の国について語るときは胸を張り目を輝かせていたことを思い出します。また、その人の話を聞く者も真剣に耳を傾けておりました。言ってみれば、こういうことは当たり前のことだと思っております。
私は、国際社会の一員として必要なものは何かということを理解していたつもりではございましたけれども、そのとき、その認識を新たなものとして感じた次第でございます。この経験が、今ここに立っております国会議員としての立場でもそのもとになっているのは間違いないと、自分自身、心の中で誓っております。
ここで私が申し上げたいことは、終戦時において我が日本について抱いていたもの、そしてイギリスにおいて知ったこと、これが現在の我が国にあるのかなという思いでございます。自分の国を誇りと思えない人が他国を敬うことができるはずもないと思っております。戦後の我が国は、この、自分の国に誇りを持つ、自信を持つ、また日本人としての自信と誇りを持つということについて、このような国民的気風をはぐくむことについて欠けるところがあったのではないかなと感じているところでございます。
この点につきまして、官房長官、文部大臣、お考えをお伺いしたいと思っております。
野
野中広務#9
○国務大臣(野中広務君) みずからの国に誇りを持つということは真の愛国心とも相通ずるところがあると理解をするところでございまして、委員御指摘のように、私も、最近我が国ではみずからはぐくまれてきたこの国に誇りを持つことが残念ながら徐々に薄らいできたのではないかと深刻に考えておる一人であります。自国に誇りを持つ心は、家庭や地域を初め、学校での教育の中などで醸成されるものでございまして、大切な財産として次の世代に引き継いでいかなくてはならない我々の責任だと考えておるところでございます。
今回の国旗・国歌の法制化は、自国に誇りを持つ心の涵養などとは直接関係するものではないわけでございますが、私としては、自国に誇りを持つこととは、我が国の国土、歴史、文化や伝統などをよく理解し、これらに誇りを持つことではないかと考えておるところでございます。また、このような自国に誇りを持つ心をはぐくむことが、将来の日本の国や社会の発展を願う心につながるものでなかろうかと考えておるところでございます。
この発言だけを見る →今回の国旗・国歌の法制化は、自国に誇りを持つ心の涵養などとは直接関係するものではないわけでございますが、私としては、自国に誇りを持つこととは、我が国の国土、歴史、文化や伝統などをよく理解し、これらに誇りを持つことではないかと考えておるところでございます。また、このような自国に誇りを持つ心をはぐくむことが、将来の日本の国や社会の発展を願う心につながるものでなかろうかと考えておるところでございます。
有
有馬朗人#10
○国務大臣(有馬朗人君) 私も、ちょうど先生がイギリスにいらっしゃったころアメリカに参りまして、それ以後、外国から日本を見直すという立場をずっととってまいりました。何回となく私は、アメリカ及びヨーロッパで、アメリカの場合は終身雇用をされましたし、ヨーロッパの国からは招待を受けたことがございますが、常に断って日本に戻ってまいりました。その理由は、日本の文化というのは極めてすぐれているということが一つでございます。それに、私自身も外国にいて初めて日本のよさをしみじみと悟ったということもありますけれども、日本のよさがある、これは明らかでございます。
そういう意味で、今の日本のさまざまな面で自信を喪失しているということは先生御指摘のとおりでございますけれども、文化において、科学技術において、そしてまたこのように長く平和を保ってきている国、こういう我が日本というものに対する自信を我々は持たなければならないと思っております。私は、非常に日本人はすぐれていると思う。独創性がないということをしばしば言われますけれども、そんなことはない、極めて独創性はある国民でございます。
そういう意味で、さらに教育においてこういう我が国の持っているよさということを教えるべきだと思っておりますし、地域社会を愛する、家庭を愛するというふうな気持ちをさらに一層あらゆる手段を使って教育していかなければならないと思っています。その中に当然、自分の国を愛するということがあると思っております。
この発言だけを見る →そういう意味で、今の日本のさまざまな面で自信を喪失しているということは先生御指摘のとおりでございますけれども、文化において、科学技術において、そしてまたこのように長く平和を保ってきている国、こういう我が日本というものに対する自信を我々は持たなければならないと思っております。私は、非常に日本人はすぐれていると思う。独創性がないということをしばしば言われますけれども、そんなことはない、極めて独創性はある国民でございます。
そういう意味で、さらに教育においてこういう我が国の持っているよさということを教えるべきだと思っておりますし、地域社会を愛する、家庭を愛するというふうな気持ちをさらに一層あらゆる手段を使って教育していかなければならないと思っています。その中に当然、自分の国を愛するということがあると思っております。
南
南野知惠子#11
○南野知惠子君 ありがとうございました。
官房長官、文部大臣ともに自信をお持ちになって日本の国をリードしていっていただきたい、二十一世紀に向けての大きなかけ橋を先生方の手で、リーダーとしての役割をお果たしいただきたいと願うものでございます。
日の丸・君が代は、我が国の国旗・国歌として国民の間に広く定着していると私は考えるものでありますが、あえて国旗・国歌を法制化する理由について、その趣旨について、官房長官、よろしくお答えいただきたいと思います。
この発言だけを見る →官房長官、文部大臣ともに自信をお持ちになって日本の国をリードしていっていただきたい、二十一世紀に向けての大きなかけ橋を先生方の手で、リーダーとしての役割をお果たしいただきたいと願うものでございます。
日の丸・君が代は、我が国の国旗・国歌として国民の間に広く定着していると私は考えるものでありますが、あえて国旗・国歌を法制化する理由について、その趣旨について、官房長官、よろしくお答えいただきたいと思います。
野
野中広務#12
○国務大臣(野中広務君) ただいま委員からも御指摘ございましたように、我が国の日の丸・君が代が、長年の慣行によりましてそれぞれ国旗・国歌といたしまして国民の間に広く定着をしていることは委員御指摘のとおりでございます。
二十一世紀を迎えることを一つの契機といたしまして、成文法によりその根拠を明確に規定することが必要であるという認識を持ちまして、このたび法制化を行うこととしたわけでございます。
この発言だけを見る →二十一世紀を迎えることを一つの契機といたしまして、成文法によりその根拠を明確に規定することが必要であるという認識を持ちまして、このたび法制化を行うこととしたわけでございます。
南
南野知惠子#13
○南野知惠子君 本法案につきましては、一点気になるところがございます。
官房長官に再度御答弁いただきたいと思いますが、本法案は、「国旗及び国歌に関する法律案」とされております。「関する」という言葉が入っていることでございます。例えば、教育基本ということにつきましては教育基本法でありますし、児童福祉に関しましては児童福祉法、元号につきましても明確に元号法となっておりますが、「関する」という文言が入っていることによって少しぼやけるのではないかと思ったり、明確さを欠く印象を受けるのでございますが、本案は、第一条で国旗について、第二条で国歌について定めた国旗・国歌そのものの法律であると思っております。
憲法附属の国の基本に関する重要な法案であります。明確に国旗・国歌法とする方が適切ではなかったのではないでしょうかと思いますが、立法技術上の問題とも考えられます。なぜ国旗・国歌法案となさらなかったのか、その理由についてお伺い申し上げます。
この発言だけを見る →官房長官に再度御答弁いただきたいと思いますが、本法案は、「国旗及び国歌に関する法律案」とされております。「関する」という言葉が入っていることでございます。例えば、教育基本ということにつきましては教育基本法でありますし、児童福祉に関しましては児童福祉法、元号につきましても明確に元号法となっておりますが、「関する」という文言が入っていることによって少しぼやけるのではないかと思ったり、明確さを欠く印象を受けるのでございますが、本案は、第一条で国旗について、第二条で国歌について定めた国旗・国歌そのものの法律であると思っております。
憲法附属の国の基本に関する重要な法案であります。明確に国旗・国歌法とする方が適切ではなかったのではないでしょうかと思いますが、立法技術上の問題とも考えられます。なぜ国旗・国歌法案となさらなかったのか、その理由についてお伺い申し上げます。
竹
竹島一彦#14
○政府委員(竹島一彦君) 法律作成上の技術的な面も御指摘のとおりございます。要すれば、国旗及び国歌、その二つのことについて定めさせていただく法律でございますので、当たり前のことを御答弁申し上げているようでございますけれども、このような法律の名前にさせていただいたわけでございます。
もしも国旗・国歌法となりますと、何か国旗と国歌というものがまた複合した一つの言葉というようなことにもなりかねませんので、あくまでも二つということで分けてこのような法律名にさせていただいたというだけでございます。
ただ、実際は報道の面でも国旗・国歌法案ということで報ぜられておりまして、通称といいますか、そういう意味では国旗・国歌法案と言っていただいて何ら内容的にも差しさわりがないというふうに考えております。
この発言だけを見る →もしも国旗・国歌法となりますと、何か国旗と国歌というものがまた複合した一つの言葉というようなことにもなりかねませんので、あくまでも二つということで分けてこのような法律名にさせていただいたというだけでございます。
ただ、実際は報道の面でも国旗・国歌法案ということで報ぜられておりまして、通称といいますか、そういう意味では国旗・国歌法案と言っていただいて何ら内容的にも差しさわりがないというふうに考えております。
南
南野知惠子#15
○南野知惠子君 よくわかりました。ありがとうございました。
この法律案におきまして、義務づけまたは尊重規定を盛り込まれなかった理由についてもお示しいただきたいと思います。
この発言だけを見る →この法律案におきまして、義務づけまたは尊重規定を盛り込まれなかった理由についてもお示しいただきたいと思います。
野
野中広務#16
○国務大臣(野中広務君) このたびの法案で国旗・国歌の法制化の趣旨は、先ほども申し上げましたように、日の丸・君が代が長年の慣行によりましてそれぞれ国旗・国歌といたしまして国民の間に広く定着していることを踏まえまして、二十一世紀を迎えるに当たりまして、一つの契機といたしまして、成文法によりまして根拠を明確に規定することが必要であると認識をしたところでございまして、国旗・国歌の義務づけや尊重規定を織り込むことは適当でないと判断をしたところでございます。
この発言だけを見る →南
南野知惠子#17
○南野知惠子君 よくその御趣旨を体しながら、法案成立後、またさらに我々の頑張りというもの、または周知徹底ということも必要になってくるのかなと思っております。
日の丸・君が代が過去の日本の戦争のシンボルであり忌まわしい記憶と結びついている、日本の国旗・国歌にふさわしくないのではないか、そのように思っておられる意見が国民の一部にはございます。
どこの国におきましても、その歴史には光の部分と影の部分があると私は思っております。日の丸・君が代が我が国の過去の栄光とともに不幸な歴史を背負ってきたことは否定することはできないわけでありますが、しかし、過去に不幸な戦争があったからといっても、それは日の丸・君が代が悪い、日の丸の旗、君が代のせいではないと私は思っておるわけでございます。
明治維新から昭和二十年の終戦までの我が国の歴史は、欧米列強諸国に追いつき追い越せ、いわゆる富国強兵と言われる背伸びした国の方針のもとに何回も対外的な大きな戦争を行い、アジア諸国に御迷惑をかけたことは事実であろうかと思っておりますが、それでも今現在、平和なときの方をはるかに長く経験いたしております。また、戦後は、現在まで五十四年の長きにわたり、二度と戦争は起こさない、そのような反省と決意の上に我が国は平和国家としての道を歩いております。これは大きな声で諸外国に申し上げることができると思っております。日本はいかなることがあっても二度と戦争は起こさない、特に我々女性は起こさせてなるものかと思っているところでございます。
平成五年二月には、カンボジアにPKO通信関係、医療関係の視察に行かせていただきました。平和のために赴いておられるPKOの方々の激励と同時に、カンボジアの友好というところを大きなポイントにされておられるかと思いますが、カンボジア視察は、野中官房長官のお供として、私がまだ議員生活ぺいぺいのころにお供させていただいた経験がございます。自民党の派遣でございました。
そのとき、これからの日本が国際社会の一員として果たさなければならない役割について痛感いたしました。そのときの野中長官の御活躍ぶり、外交ぶりは今でも目に焼きついております。日本橋のたもとでどのような御感想であったか、今また日本橋が話題になっておりますが、我が国の役割ということも野中長官の胸にはひしひしとあると思います。また、通信の問題についても、野中官房長官の主たるトップのお役目でございますので、そのようなことについても思い入れが多かったのであろうかと思っております。
たまたまそこに行きましたときに、日本の国ではございませんが、よそのPKOの方にエイズが発生した、一人発見できたという悲しい出来事も体験いたしました。それは私、看護婦としての大きな痛手でありました。
また、清潔な場所で生命の誕生を迎えたいと願うベトナムの仲間がおります。その方々の母子保健の向上を目指すため、私はベトナムの助産婦協会の設立を支援してまいりました。今、大きな活躍を彼女たちが全土にわたって行ってくれております。
また、クロアチアの戦いの後にも、これは日本と関係のない欧州のことなのにと言われることはございますが、クロアチアの戦後に、五つの爆破された小学校の修復を、または里子の支援をボランティアとしてさせていただきました。
多くの感謝をいただいているところでありますが、感謝のためにしたのではないわけでございます。日本の顔が見えること、平和を願う我々としてどのように日の丸を印象づけられるのか、日本の国の顔を見させていけるのかというのが本心でございます。
今、自民党では、コソボ難民の支援に日本の顔が見えるよう、日章旗のイメージが伝わるよう、援助に取り組んでおります。いつまでも日の丸・君が代を過去の戦争の記憶と結びつけて、忌まわしいもの、嫌いなもの、敵対するもの、それは日本の旗じゃないと思う人たちがおられるとすれば、また論じられるのであれば、ある意味で日本の戦後の歩みを否定した時代錯誤的な議論ではないかと私は思います。そのようなものにとらわれず、これから先果たしていかなければならないアジアのリーダーとしての役割があるのではないかと私は感じております。アジアは我々の仲間の人たちでございます。我々の兄弟であろうかと思っております。
ここで官房長官にお伺いいたしますが、残念ながらまだ国民の一部に君が代・日の丸に対する戦争シンボル論というのがあろうかと思います。それと、戦後の我が国が歩いてきた平和国家としての歴史をどう評価されておられるのか、これは官房長官、文部大臣の両者から、もしよろしければコメントをいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →日の丸・君が代が過去の日本の戦争のシンボルであり忌まわしい記憶と結びついている、日本の国旗・国歌にふさわしくないのではないか、そのように思っておられる意見が国民の一部にはございます。
どこの国におきましても、その歴史には光の部分と影の部分があると私は思っております。日の丸・君が代が我が国の過去の栄光とともに不幸な歴史を背負ってきたことは否定することはできないわけでありますが、しかし、過去に不幸な戦争があったからといっても、それは日の丸・君が代が悪い、日の丸の旗、君が代のせいではないと私は思っておるわけでございます。
明治維新から昭和二十年の終戦までの我が国の歴史は、欧米列強諸国に追いつき追い越せ、いわゆる富国強兵と言われる背伸びした国の方針のもとに何回も対外的な大きな戦争を行い、アジア諸国に御迷惑をかけたことは事実であろうかと思っておりますが、それでも今現在、平和なときの方をはるかに長く経験いたしております。また、戦後は、現在まで五十四年の長きにわたり、二度と戦争は起こさない、そのような反省と決意の上に我が国は平和国家としての道を歩いております。これは大きな声で諸外国に申し上げることができると思っております。日本はいかなることがあっても二度と戦争は起こさない、特に我々女性は起こさせてなるものかと思っているところでございます。
平成五年二月には、カンボジアにPKO通信関係、医療関係の視察に行かせていただきました。平和のために赴いておられるPKOの方々の激励と同時に、カンボジアの友好というところを大きなポイントにされておられるかと思いますが、カンボジア視察は、野中官房長官のお供として、私がまだ議員生活ぺいぺいのころにお供させていただいた経験がございます。自民党の派遣でございました。
そのとき、これからの日本が国際社会の一員として果たさなければならない役割について痛感いたしました。そのときの野中長官の御活躍ぶり、外交ぶりは今でも目に焼きついております。日本橋のたもとでどのような御感想であったか、今また日本橋が話題になっておりますが、我が国の役割ということも野中長官の胸にはひしひしとあると思います。また、通信の問題についても、野中官房長官の主たるトップのお役目でございますので、そのようなことについても思い入れが多かったのであろうかと思っております。
たまたまそこに行きましたときに、日本の国ではございませんが、よそのPKOの方にエイズが発生した、一人発見できたという悲しい出来事も体験いたしました。それは私、看護婦としての大きな痛手でありました。
また、清潔な場所で生命の誕生を迎えたいと願うベトナムの仲間がおります。その方々の母子保健の向上を目指すため、私はベトナムの助産婦協会の設立を支援してまいりました。今、大きな活躍を彼女たちが全土にわたって行ってくれております。
また、クロアチアの戦いの後にも、これは日本と関係のない欧州のことなのにと言われることはございますが、クロアチアの戦後に、五つの爆破された小学校の修復を、または里子の支援をボランティアとしてさせていただきました。
多くの感謝をいただいているところでありますが、感謝のためにしたのではないわけでございます。日本の顔が見えること、平和を願う我々としてどのように日の丸を印象づけられるのか、日本の国の顔を見させていけるのかというのが本心でございます。
今、自民党では、コソボ難民の支援に日本の顔が見えるよう、日章旗のイメージが伝わるよう、援助に取り組んでおります。いつまでも日の丸・君が代を過去の戦争の記憶と結びつけて、忌まわしいもの、嫌いなもの、敵対するもの、それは日本の旗じゃないと思う人たちがおられるとすれば、また論じられるのであれば、ある意味で日本の戦後の歩みを否定した時代錯誤的な議論ではないかと私は思います。そのようなものにとらわれず、これから先果たしていかなければならないアジアのリーダーとしての役割があるのではないかと私は感じております。アジアは我々の仲間の人たちでございます。我々の兄弟であろうかと思っております。
ここで官房長官にお伺いいたしますが、残念ながらまだ国民の一部に君が代・日の丸に対する戦争シンボル論というのがあろうかと思います。それと、戦後の我が国が歩いてきた平和国家としての歴史をどう評価されておられるのか、これは官房長官、文部大臣の両者から、もしよろしければコメントをいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
野
野中広務#18
○国務大臣(野中広務君) 委員からただいま、さまざまな戦中戦後の経験を通されまして我が国の歩んできた道筋を御意見としてお話しになり、かつ、ちょうど八年前になりますか、カンボジアのPKO活動視察のためにかの地を訪れた際のお話を聞きながら感慨新たなものがあるわけでございます。
委員が御指摘になりましたように、ことしは一九九九年、まさに一九〇〇年代の最後の年であります。このときに私どもは、この一九〇〇年代という百年間が一体どんな年であったのかを反省し、検証していかなくてはならないと思うわけでございます。
前半の半世紀は、いわゆる五十年は、委員が御指摘になりましたように、明治維新の歩みの中から、我が国は一方において西洋文明を大胆に受け入れ近代国家の建設を目指してはまいりましたけれども、一方において残念ながら富国強兵への道を歩んでしまいました。そして、その五十年間を振り返ってみますと、折に触れて、日清、日露を初めとして第二次世界大戦に至る間、景気が悪くなれば戦争という手段に訴えてきたのではなかろうかとさえ思うような状況がございました。戦争に敗れて、食べるものも着るものも働く場所もなくなった中から、多くの戦争による犠牲者の上に今日の平和を享受することができてまいりました。
けれども、過去のこの半世紀の歩みの中に、国家を否定し、あるいは国旗・国歌を否定することが新しい国づくりかのような、新しい教育かのような、そして祖国を徹底して悪く印象づけることがすなわちその国の革命への早道であるかのごとき錯覚をするような、そんな動きが残念ながらあったことも否めないと思うのでありますけれども、我が国国民は、たくましくあの廃墟の中から立ち上がって近代国家をつくってき、そして平和憲法のもと、我々はこの五十四年間一度の戦渦にまみゆることもなく、戦争に手を出すこともなく、平和を享受することができてまいりました。
この五十年の歩みを私どもは大切にし、来るべき二十一世紀という新しい世紀が、この国を限りなく愛し、そして家族や地域社会をお互いにいたわり合い愛し合う、そういう中に国家が存在するということを考え、そういう中に私どもの象徴である日の丸・君が代というものを成文化することによって、我が国の新しい世紀へのスタートにしなければならないと痛感をした次第であります。
まさにカンボジアに参りましたときに、通信手段が悪かったこと、医療手段が悪かったこと、あるいは同じ民族が同じ民族でありながら相戦い、そして虐殺し、拷問し、あの虐殺記念館を眺めたときに私どもは改めて戦争の罪過の恐ろしさを知ったわけであります。また、あのとうといPKO活動やボランティア活動によって、私どもが帰りました直後に高田警視やあるいは中田青年が亡くなった犠牲を思い、七回忌を契機にして高田警視のお父さんが自殺をされたという報告を私ども受けまして、まさに傷跡はまだいえていない、そういう中で、とうとい犠牲があったことを思いながら、アジアの皆さんとともにこれからの平和を構築していかなくてはならないと改めて私どもは認識を強くした次第でございます。
この発言だけを見る →委員が御指摘になりましたように、ことしは一九九九年、まさに一九〇〇年代の最後の年であります。このときに私どもは、この一九〇〇年代という百年間が一体どんな年であったのかを反省し、検証していかなくてはならないと思うわけでございます。
前半の半世紀は、いわゆる五十年は、委員が御指摘になりましたように、明治維新の歩みの中から、我が国は一方において西洋文明を大胆に受け入れ近代国家の建設を目指してはまいりましたけれども、一方において残念ながら富国強兵への道を歩んでしまいました。そして、その五十年間を振り返ってみますと、折に触れて、日清、日露を初めとして第二次世界大戦に至る間、景気が悪くなれば戦争という手段に訴えてきたのではなかろうかとさえ思うような状況がございました。戦争に敗れて、食べるものも着るものも働く場所もなくなった中から、多くの戦争による犠牲者の上に今日の平和を享受することができてまいりました。
けれども、過去のこの半世紀の歩みの中に、国家を否定し、あるいは国旗・国歌を否定することが新しい国づくりかのような、新しい教育かのような、そして祖国を徹底して悪く印象づけることがすなわちその国の革命への早道であるかのごとき錯覚をするような、そんな動きが残念ながらあったことも否めないと思うのでありますけれども、我が国国民は、たくましくあの廃墟の中から立ち上がって近代国家をつくってき、そして平和憲法のもと、我々はこの五十四年間一度の戦渦にまみゆることもなく、戦争に手を出すこともなく、平和を享受することができてまいりました。
この五十年の歩みを私どもは大切にし、来るべき二十一世紀という新しい世紀が、この国を限りなく愛し、そして家族や地域社会をお互いにいたわり合い愛し合う、そういう中に国家が存在するということを考え、そういう中に私どもの象徴である日の丸・君が代というものを成文化することによって、我が国の新しい世紀へのスタートにしなければならないと痛感をした次第であります。
まさにカンボジアに参りましたときに、通信手段が悪かったこと、医療手段が悪かったこと、あるいは同じ民族が同じ民族でありながら相戦い、そして虐殺し、拷問し、あの虐殺記念館を眺めたときに私どもは改めて戦争の罪過の恐ろしさを知ったわけであります。また、あのとうといPKO活動やボランティア活動によって、私どもが帰りました直後に高田警視やあるいは中田青年が亡くなった犠牲を思い、七回忌を契機にして高田警視のお父さんが自殺をされたという報告を私ども受けまして、まさに傷跡はまだいえていない、そういう中で、とうとい犠牲があったことを思いながら、アジアの皆さんとともにこれからの平和を構築していかなくてはならないと改めて私どもは認識を強くした次第でございます。
有
有馬朗人#19
○国務大臣(有馬朗人君) 先生おっしゃられたとおりでございましたし、今、官房長官がお答えになられたとおりのことを私も考えております。
やはり戦争ということは大変いけなかったと私は思っております。いろんな理由はあったと思いますが、あらゆる手段を尽くして、一種の理想論かもしれませんが、戦争を避けるべきであったと今思っておりますが、起こってしまった事実ということはきちっと厳粛に受けとめていかなければならないと思っています。そして、今後絶対戦争というものをこのアジア地区で起こすべきではないと、こう考えております。そして、特にいろいろ戦争中に御迷惑をかけたアジア諸国と日本と共存共栄の道を歩んでいかなければならないと強く思っておりまして、私自身も多くのアジア諸国の留学生諸君を育てるという上で大変な努力をさせていただいてまいりました。
そういう戦前の不幸な歴史があったことは事実でございますけれども、それは国旗や国歌が問題であってそうなったわけではないということを私は強く認識している次第でございます。そういう意味で、今度この法案によりまして、もう既に慣習法として皆さんに認められていると私は信じているわけでありますが、より一層はっきりと国旗・国歌が成文法として定義されることは極めて将来にとっていいことだと私は思っております。
この発言だけを見る →やはり戦争ということは大変いけなかったと私は思っております。いろんな理由はあったと思いますが、あらゆる手段を尽くして、一種の理想論かもしれませんが、戦争を避けるべきであったと今思っておりますが、起こってしまった事実ということはきちっと厳粛に受けとめていかなければならないと思っています。そして、今後絶対戦争というものをこのアジア地区で起こすべきではないと、こう考えております。そして、特にいろいろ戦争中に御迷惑をかけたアジア諸国と日本と共存共栄の道を歩んでいかなければならないと強く思っておりまして、私自身も多くのアジア諸国の留学生諸君を育てるという上で大変な努力をさせていただいてまいりました。
そういう戦前の不幸な歴史があったことは事実でございますけれども、それは国旗や国歌が問題であってそうなったわけではないということを私は強く認識している次第でございます。そういう意味で、今度この法案によりまして、もう既に慣習法として皆さんに認められていると私は信じているわけでありますが、より一層はっきりと国旗・国歌が成文法として定義されることは極めて将来にとっていいことだと私は思っております。
南
南野知惠子#20
○南野知惠子君 ありがとうございました。大臣のお答えをお聞きしながら、私もその思いを深くした一人でございます。
次は、皆様方のお手元に用紙を一枚配らせていただきましたが、有馬文部大臣のところにもございますでしょうか。
各国の国歌の歌詞を見てみますと、戦争をたたえるような内容が多いように見受けられますが、これに比べまして君が代の歌詞は、穏やかな国の発展を願うものであると思っております。平和を愛する日本国民にふさわしい内容ではないでしょうか。
また、君が代の歌詞は、明治二十六年八月に官報に告示された君が代は一番だけであります。しかし、明治二十四年十二月の通牒を受けて編まれた大祭祝日唱歌集などに見られますものでは、明治二十六年八月の官報告示まで命脈を保っております儀式用の唱歌集には、君が代の歌詞は三番まで掲載されております。また小学唱歌集初編には、記載されている君が代は二番まででございます。
お手元の資料にお配りしました日本のところには三番まで書かせていただきました。ともにすてきな歌詞であろうかと思っております。例えば、イギリスの国歌は三番まででございます。スイスの国歌は四番までございます。ドイツは三番までございましたが、一番、二番は文言が厳しいということで三番のみにして、今それだけを歌うようになっております。
このような例を見ますと、我が国におきましても、歌詞は二番、三番まであってもおかしくはないのでしょうかといういろいろな御意見がございます。また、多くの意見の中には、二番、三番を公募してもいいのではないかというような意見もございました。私は、かつて君が代の二番、三番と言われた歌詞を拝見いたしましたが、現行の君が代の歌詞に劣らずともすばらしいものであろうかと思います。
君が代の歌詞についての御感想と、今回の法制化で一番のみにした理由についてお伺い申し上げます。官房長官、よろしくお願いします。
この発言だけを見る →次は、皆様方のお手元に用紙を一枚配らせていただきましたが、有馬文部大臣のところにもございますでしょうか。
各国の国歌の歌詞を見てみますと、戦争をたたえるような内容が多いように見受けられますが、これに比べまして君が代の歌詞は、穏やかな国の発展を願うものであると思っております。平和を愛する日本国民にふさわしい内容ではないでしょうか。
また、君が代の歌詞は、明治二十六年八月に官報に告示された君が代は一番だけであります。しかし、明治二十四年十二月の通牒を受けて編まれた大祭祝日唱歌集などに見られますものでは、明治二十六年八月の官報告示まで命脈を保っております儀式用の唱歌集には、君が代の歌詞は三番まで掲載されております。また小学唱歌集初編には、記載されている君が代は二番まででございます。
お手元の資料にお配りしました日本のところには三番まで書かせていただきました。ともにすてきな歌詞であろうかと思っております。例えば、イギリスの国歌は三番まででございます。スイスの国歌は四番までございます。ドイツは三番までございましたが、一番、二番は文言が厳しいということで三番のみにして、今それだけを歌うようになっております。
このような例を見ますと、我が国におきましても、歌詞は二番、三番まであってもおかしくはないのでしょうかといういろいろな御意見がございます。また、多くの意見の中には、二番、三番を公募してもいいのではないかというような意見もございました。私は、かつて君が代の二番、三番と言われた歌詞を拝見いたしましたが、現行の君が代の歌詞に劣らずともすばらしいものであろうかと思います。
君が代の歌詞についての御感想と、今回の法制化で一番のみにした理由についてお伺い申し上げます。官房長官、よろしくお願いします。
野
野中広務#21
○国務大臣(野中広務君) ただいま委員からもお話がございましたように、各国のそれぞれの国歌はそれぞれの国の歴史や伝統や国民性などに由来するものでございまして、それを象徴する歌詞を有しておるものと理解しておるところでございます。
一般的には、委員が今御指摘になりましたように、外敵に対する戦いや独立などに関する勇壮な歌、あるいは国民の士気を鼓舞する歌が多うございます。これに比べますと、今御指摘ございましたように、我が国の国歌君が代は古歌に由来するものでございまして、悠久の時間の中で国の繁栄を祈る極めて平和的な歌で、まさに我が国の国歌としてふさわしいものであると受けとめておるところでございます。
二番、三番の問題等につきましては、過去の経緯もございますので、政府委員からお答えをさせていただきます。
この発言だけを見る →一般的には、委員が今御指摘になりましたように、外敵に対する戦いや独立などに関する勇壮な歌、あるいは国民の士気を鼓舞する歌が多うございます。これに比べますと、今御指摘ございましたように、我が国の国歌君が代は古歌に由来するものでございまして、悠久の時間の中で国の繁栄を祈る極めて平和的な歌で、まさに我が国の国歌としてふさわしいものであると受けとめておるところでございます。
二番、三番の問題等につきましては、過去の経緯もございますので、政府委員からお答えをさせていただきます。
竹
竹島一彦#22
○政府委員(竹島一彦君) 君が代の二番、三番のことでございますけれども、私どもが持っております資料によりますと、明治十五年、文部省が編さんいたしました小学唱歌集初編というものがございまして、その中における君が代は二番まであったということで、その資料も残っております。いずれにしましても、その昔は古歌でございまして、広く民衆の間で親しまれ、歌われてきたものでございまして、若干ずつ歌詞が違ったり、いろいろなものが存在するということは言われておりますし、その一部については資料としてあるわけでございます。
しかしながら、文部省の明治十五年の小学唱歌集初編も約十年ぐらいで使われなくなりまして、私どもが今回の君が代というものの原点は、明治二十六年、同じ文部省の告示によりまして、君が代を、小学校において祝日大祭日に儀式を行う際には今のいわゆる一番といいますか、一番しかないのでございますが、その歌詞及び曲とするということが告示として示されておりますが、これが我が国の君が代の歌詞である。すなわち、これも長い年月がたっておりますけれども、君が代の歌詞はいわゆる一番だけというふうにすべきであるというふうに考えております。
この発言だけを見る →しかしながら、文部省の明治十五年の小学唱歌集初編も約十年ぐらいで使われなくなりまして、私どもが今回の君が代というものの原点は、明治二十六年、同じ文部省の告示によりまして、君が代を、小学校において祝日大祭日に儀式を行う際には今のいわゆる一番といいますか、一番しかないのでございますが、その歌詞及び曲とするということが告示として示されておりますが、これが我が国の君が代の歌詞である。すなわち、これも長い年月がたっておりますけれども、君が代の歌詞はいわゆる一番だけというふうにすべきであるというふうに考えております。
南
南野知惠子#23
○南野知惠子君 ありがとうございました。よくわかりました。我が国の君が代、
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで
すてきな文言だと思います。
先ほど申しおくれましたけれども、ドイツの国歌を皆様方のお手元のプリントに印刷することができませんでした。これの日本語訳を一度読んでみます。
統一と権利と自由を ドイツの祖国のために!これに向かってみな励まん
兄弟の如く心を一つに 手を携えて!
統一と権利と自由は 我らが幸せの証
この幸せの光輝に 栄えよ
栄えよ ドイツの祖国!
というのがドイツの国歌の文言でございます。
次は、私は、国旗・国歌をとうとぶ、人間として当然のこととして認識いたしておりますが、我が国におきましては、残念ながらその当たり前のことが十分理解されないまま今日に至っているというふうに思います。それは、国旗・国歌に対するマナーなどでございます。最近では、ワールドカップサッカーにおきましてフランスで我が国の国旗がはためき、国歌が大合唱されたうれしい記憶はまだまだ新しい出来事でございます。しかし、これは特異な例と申すことができるだろうと思います。
今、全国各地で夏の高校野球が開催されております。その場で国歌君が代が演奏されておりますけれども、口が動いている高校生はほとんど見当たらないのが残念でなりません。試合に勝った学校は校歌を斉唱いたしますが、そのときはみんな大きな声で大きな口をあけて歌っております。校歌は斉唱するにもかかわらず、国歌である君が代を斉唱しないのは一体どういうことであろうかと私自身いつも感じておりました。私はこの光景を見ると非常に悲しくなってまいります。なぜこのようなことになってしまったのだろうかと思います。
有馬文部大臣は、春の甲子園で始球式をなさいました。そのときも国旗掲揚、国歌斉唱が行われたことと思いますが、そのときの状況はいかがでございましたでしょうか。夏の高校野球も近づいてまいります。その点についてお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで
すてきな文言だと思います。
先ほど申しおくれましたけれども、ドイツの国歌を皆様方のお手元のプリントに印刷することができませんでした。これの日本語訳を一度読んでみます。
統一と権利と自由を ドイツの祖国のために!これに向かってみな励まん
兄弟の如く心を一つに 手を携えて!
統一と権利と自由は 我らが幸せの証
この幸せの光輝に 栄えよ
栄えよ ドイツの祖国!
というのがドイツの国歌の文言でございます。
次は、私は、国旗・国歌をとうとぶ、人間として当然のこととして認識いたしておりますが、我が国におきましては、残念ながらその当たり前のことが十分理解されないまま今日に至っているというふうに思います。それは、国旗・国歌に対するマナーなどでございます。最近では、ワールドカップサッカーにおきましてフランスで我が国の国旗がはためき、国歌が大合唱されたうれしい記憶はまだまだ新しい出来事でございます。しかし、これは特異な例と申すことができるだろうと思います。
今、全国各地で夏の高校野球が開催されております。その場で国歌君が代が演奏されておりますけれども、口が動いている高校生はほとんど見当たらないのが残念でなりません。試合に勝った学校は校歌を斉唱いたしますが、そのときはみんな大きな声で大きな口をあけて歌っております。校歌は斉唱するにもかかわらず、国歌である君が代を斉唱しないのは一体どういうことであろうかと私自身いつも感じておりました。私はこの光景を見ると非常に悲しくなってまいります。なぜこのようなことになってしまったのだろうかと思います。
有馬文部大臣は、春の甲子園で始球式をなさいました。そのときも国旗掲揚、国歌斉唱が行われたことと思いますが、そのときの状況はいかがでございましたでしょうか。夏の高校野球も近づいてまいります。その点についてお伺いしたいと思います。
有
有馬朗人#24
○国務大臣(有馬朗人君) 先生今御指摘のように、去る三月二十五日に行われました第七十一回選抜高等学校野球大会の開会式に私も出席いたしまして、文部大臣の祝辞を申し述べた次第でございます。この大会におきましては、高校生主役の開会式の一環といたしまして、史上初めて高校生による君が代の独唱が式次第に取り入れられまして、私もその場でその歌を、君が代を聞きましたけれども、極めて厳粛な雰囲気の中で、しかもこの高校生は大変美しい言葉、美しい歌声で歌いまして、私も深く感銘を受けました。こんなに君が代というのはすばらしいものかなと思った次第であります。また、昨年の夏出席させていただきましたが、全国高校野球選手権大会では、例年の大会と同様に君が代吹奏によって国旗を掲揚しております。
このような場合に自然と国歌が歌われるようになるように私どもは期待をいたしているところでございます。実際、昨年の夏の大会等々におきまして、音楽に合わせて君が代を歌っている声も私のそばの人たちから聞こえておりました。そういうことを記憶いたしております。
そういう感想を持った次第でございます。
この発言だけを見る →このような場合に自然と国歌が歌われるようになるように私どもは期待をいたしているところでございます。実際、昨年の夏の大会等々におきまして、音楽に合わせて君が代を歌っている声も私のそばの人たちから聞こえておりました。そういうことを記憶いたしております。
そういう感想を持った次第でございます。
南
南野知惠子#25
○南野知惠子君 ありがとうございました。歌う学生がどんどんふえていってほしいものと願っております。
国旗掲揚、国歌斉唱時にはみずから敬意をあらわすことができるような国民的気風の涵養、これが大切であろうと考えております。
さらに、国旗掲揚、国歌斉唱時の行動と申しますか、いずれの場合においても起立脱帽は当然のことであろうかと思います。しかしながら、我が国においては、議事を進行される方が、一同起立、着席、などと声をかけなければならないという状況にあるのではないかなと思いますが、国歌の場合は起立して斉唱するということでありますが、国旗については、多くの人は国旗の取り扱い方を知らないのではないかなと思われる節がございます。
外国におきましては、法律などにおきまして国旗掲揚に関し細かく規定している国もございます。我が国においても、国際的な常識としまして、例えば半旗の意味を知らない人たちも多いと思っておりますが、弔意をあらわす半旗の意味なども含めまして、マナーを周知する必要があるのではないかと考えております。
国旗の取り扱い方につきましての国際的な常識、また国歌に関しましても国際的な常識というものがございますれば、官房長官にお教え願います。
この発言だけを見る →国旗掲揚、国歌斉唱時にはみずから敬意をあらわすことができるような国民的気風の涵養、これが大切であろうと考えております。
さらに、国旗掲揚、国歌斉唱時の行動と申しますか、いずれの場合においても起立脱帽は当然のことであろうかと思います。しかしながら、我が国においては、議事を進行される方が、一同起立、着席、などと声をかけなければならないという状況にあるのではないかなと思いますが、国歌の場合は起立して斉唱するということでありますが、国旗については、多くの人は国旗の取り扱い方を知らないのではないかなと思われる節がございます。
外国におきましては、法律などにおきまして国旗掲揚に関し細かく規定している国もございます。我が国においても、国際的な常識としまして、例えば半旗の意味を知らない人たちも多いと思っておりますが、弔意をあらわす半旗の意味なども含めまして、マナーを周知する必要があるのではないかと考えております。
国旗の取り扱い方につきましての国際的な常識、また国歌に関しましても国際的な常識というものがございますれば、官房長官にお教え願います。
有
有馬朗人#26
○国務大臣(有馬朗人君) 国際化が非常に進展する中でございますので、広い視野を持って異文化を理解しこれを尊重する態度や、異なる文化を持った人々とともに協調して生きていく態度を育成しなければならないと思っております。そういう中で、先ほど御指摘のありました、我が国の歴史や伝統、文化などについての理解を深める、国際社会で主体的に生きていくことができる資質を養成することが教育の上で極めて重要だと思っております。
そういう意味で、日の丸・君が代を初め、諸外国の国旗や国歌に対する態度、マナーをきちっと教えていくべきだと考えておりまして、このため、地理や歴史、公民、外国語等々の各教科で、外国の国歌・国旗及び日本の国歌・国旗に対して十分教育を行っております。そしてまた、国際化の時代でありますので、特に外国の国旗・国歌に対してちゃんと尊敬の念を持つべきだということも教えている次第でございます。この点に関しましては、今後、総合的な学習の時間というふうなものも加わりますので、さらに教育を深めていく必要があろうかと考えております。
そういう点で、教育の上で国歌・国旗に対するまず親しむという気持ちを育てているところでございます。
この発言だけを見る →そういう意味で、日の丸・君が代を初め、諸外国の国旗や国歌に対する態度、マナーをきちっと教えていくべきだと考えておりまして、このため、地理や歴史、公民、外国語等々の各教科で、外国の国歌・国旗及び日本の国歌・国旗に対して十分教育を行っております。そしてまた、国際化の時代でありますので、特に外国の国旗・国歌に対してちゃんと尊敬の念を持つべきだということも教えている次第でございます。この点に関しましては、今後、総合的な学習の時間というふうなものも加わりますので、さらに教育を深めていく必要があろうかと考えております。
そういう点で、教育の上で国歌・国旗に対するまず親しむという気持ちを育てているところでございます。
南
南野知惠子#27
○南野知惠子君 ありがとうございました。ぜひ、子供たちが親しみ、そしてそれに対する敬意というものが払えるようになることを期待いたしております。
次は、マッカーサー元帥が日本の国民に対しまして、昭和二十四年、一九四九年の年頭のメッセージというのがございました。これは国旗掲揚の制限を撤廃し、「国内において無制限に使用し、掲揚することを許可する、」とあります。また同年に、国旗の掲揚について内閣官房長官より各省大臣あて通知が出され、祝日はもとより、適当な機会に国旗を掲揚し、国旗敬愛の風習を興すよう求めるとございます。また、翌二十五年には、時の天野文部大臣は、祝日の学校行事の際、国旗を掲揚し、国歌を斉唱することが望ましいとする旨の談話を行っておられます。
このように、国旗・国歌に関する常識を国民に普及啓発していく必要があると考えますが、国旗協会というところではパンフレットを作成して普及啓発活動を行っているようでございますけれども、その活動は余り活発でないように思われております。政府としまして国旗・国歌に関する啓発について積極的に取り組むべきではないかと考えますが、法制化されました後の官房長官のお取り組みの御見解をお伺いしたいと存じます。
この発言だけを見る →次は、マッカーサー元帥が日本の国民に対しまして、昭和二十四年、一九四九年の年頭のメッセージというのがございました。これは国旗掲揚の制限を撤廃し、「国内において無制限に使用し、掲揚することを許可する、」とあります。また同年に、国旗の掲揚について内閣官房長官より各省大臣あて通知が出され、祝日はもとより、適当な機会に国旗を掲揚し、国旗敬愛の風習を興すよう求めるとございます。また、翌二十五年には、時の天野文部大臣は、祝日の学校行事の際、国旗を掲揚し、国歌を斉唱することが望ましいとする旨の談話を行っておられます。
このように、国旗・国歌に関する常識を国民に普及啓発していく必要があると考えますが、国旗協会というところではパンフレットを作成して普及啓発活動を行っているようでございますけれども、その活動は余り活発でないように思われております。政府としまして国旗・国歌に関する啓発について積極的に取り組むべきではないかと考えますが、法制化されました後の官房長官のお取り組みの御見解をお伺いしたいと存じます。
野
野中広務#28
○国務大臣(野中広務君) 政府といたしましては、この法律案が国会で御可決をいただいた後の対応につきまして、現時点で具体的に取り扱いについての案を持っておるわけではないわけでございます。けれども、国民がより国旗あるいは国歌に対しまして親しみを持っていただけるよう、ひいては、先ほど文部大臣からもお話がありましたように、単に自国の国旗・国歌だけでなくそれぞれ外国の国旗・国歌に対して敬意を払えるような、そういう国民性を養っていく努力をしなければならないと思っておるわけでございます。
いずれにいたしましても、国会の御議決を賜りましたら、国民がより国旗・国歌に親しみを持っていただけるような政府としても心がけをしてまいりたいと思うわけでございます。
なお、政府関係機関におきましては、過去の例を調べてみますと、昭和三十七年二月の政務次官会議におきまして、各省庁とも毎日自主的に国旗の掲揚を行うことの申し合わせがなされておりまして、また、昭和六十年九月の政務次官会議におきまして、その趣旨の徹底を図るとともに、地方公共団体及び国所管の団体等に対しても祝日に国旗を掲揚することの協力方をお願いした経過がございます。
この発言だけを見る →いずれにいたしましても、国会の御議決を賜りましたら、国民がより国旗・国歌に親しみを持っていただけるような政府としても心がけをしてまいりたいと思うわけでございます。
なお、政府関係機関におきましては、過去の例を調べてみますと、昭和三十七年二月の政務次官会議におきまして、各省庁とも毎日自主的に国旗の掲揚を行うことの申し合わせがなされておりまして、また、昭和六十年九月の政務次官会議におきまして、その趣旨の徹底を図るとともに、地方公共団体及び国所管の団体等に対しても祝日に国旗を掲揚することの協力方をお願いした経過がございます。
南
南野知惠子#29
○南野知惠子君 ありがとうございました。
官房長官、これから家庭におきましても、また社会におきましても、親しみを持てるようなチャンスをつくるということは大切なことかと思っております。そういう意味では、官房長官の談話などもまた時に織りまぜながら皆様に聞かせていただきたいものと思っております。
次は、諸外国の学校における国旗・国歌の取り扱い状況についてお伺いいたします。
オリンピックやワールドカップなどの国際大会のときばかりでなく、外国の方々が自分の国の国旗や国歌を大切に思い、誇りを持って扱ったり歌ったりしている様子をよく見かけることがございますが、これは、伝統的に社会や学校、家庭でそれぞれ大事な取り扱いをしている結果、自然に身についてくる姿ではないかと思います。子供が親の後ろ姿を見て倣うと同じく、親の姿を子供は見て成長していく、それも国旗・国歌に親しむ姿がそこにあればと願うものでございますが、特に外国の学校では、国家の構成員である国民の公民教育の場として重要な役割を担っており、それぞれの歴史や文化によって必ずしも同じものとは思いませんけれども、外国の学校において、国の象徴としての国旗・国歌はどのように取り扱われておられるのかお教えいただきたいと思います。
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次は、諸外国の学校における国旗・国歌の取り扱い状況についてお伺いいたします。
オリンピックやワールドカップなどの国際大会のときばかりでなく、外国の方々が自分の国の国旗や国歌を大切に思い、誇りを持って扱ったり歌ったりしている様子をよく見かけることがございますが、これは、伝統的に社会や学校、家庭でそれぞれ大事な取り扱いをしている結果、自然に身についてくる姿ではないかと思います。子供が親の後ろ姿を見て倣うと同じく、親の姿を子供は見て成長していく、それも国旗・国歌に親しむ姿がそこにあればと願うものでございますが、特に外国の学校では、国家の構成員である国民の公民教育の場として重要な役割を担っており、それぞれの歴史や文化によって必ずしも同じものとは思いませんけれども、外国の学校において、国の象徴としての国旗・国歌はどのように取り扱われておられるのかお教えいただきたいと思います。