馳浩の発言 (国旗及び国歌に関する特別委員会)
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○馳浩君 君が代の解釈の政府見解の拘束性について質問いたします。
国民には、政府の解釈は解釈として、別に自分なりの解釈をする自由はあるのでしょうか。
関連して、例えば君が代の「君」や「代」の解釈について学校の先生が政府見解と異なることを教える裁量権はあるのでしょうか。特に、「代」を時間をあらわす語として使えるのか、さらに「君」を天皇を含めた二人称のあなたと解釈できるのか。
もう一つは、私は、先ほど申し上げたように、国語の教員としてこの和漢朗詠集にとられている君が代の歌詞を文学作品として生徒に授業で教える場合に、君が代の「が」を明確に古典文法として教えなければならないんです。
古典文法の成立というのは、大体、中・後平安時代に確立したものでありますが、その「が」というのは、まさしく君が代というのは、「君が」で連体修飾語となって「代」に係るものでありまして、この場合の格助詞の「が」の使い方というのは、もう一つ同じような使い方として使える格助詞に「の」があるんです。「が」と「の」の違いというものをやっぱり授業で教えざるを得ないんです。
残念ながら、残念ながらというか、「が」というのは自分と同等に近い人に対して使うときであり、自分より上位、位が上の人に対して使う場合には「の」を使っているんです。ですから、広く天皇というふうに解釈するときには君の代としなければならないというふうに、私は授業でやる場合にはそう教えざるを得ないんです、国語の問題として。
私が何を言いたいかといいますれば、文学作品として国民の間に広く定着しているこの和歌を、時代によって、政府の体制によって違う解釈を国民に示すということに私は違和感を感じるんです。無理を感じる。
ですから、ここでも解釈の拘束性ということについて質問させていただいておりますが、こういうふうに我々教員が現場で教えるときに、その自由な裁量権はあるのですかという確認の意味で質問を申し上げているわけでありまして、いかがでしょうか。