江田五月の発言 (国旗及び国歌に関する特別委員会)
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○江田五月君 お二人の先生方、きょうはお忙しい中を大変ありがとうございます。
御意見を伺わせていただいて、私も杉原先生とは多分同じとき同じ大学にいたんでしょうか、御迷惑をおかけしました。石田先生の方は四十五歳とおっしゃるので、ざっと一回り下というわけです。
国旗・国歌の議論、この委員会の中でも随分同じ議論ばかりやっていて、もういいじゃないか、蒸し返しばかりだと、そんな意見も聞かれたりするんですが、いやそうじゃない、やっぱりきょう聞いて本当によかった。かなり議論を深めることができたと思っております。
ただ、学者の先生方のお話というのはやっぱり大変難しくて、かなり老化した頭で一生懸命何をおっしゃっておられるのかということを、共感する方向に自分の体を寄せながら寄せながら聞いたつもりですが、それでもなかなかわからないところもあったので幾つか聞きたいんです。
まず石田先生にお伺いをするんですが、五つの点、それぞれお伺いしたいところがあるんですが、余りすべてを伺っておりますと、十五分という時間ですからできませんので、一つ。
スペクタクル社会ということで、スポーツにおける経験というのは、スポーツという限られた場での経験にすぎない、それと国民国家とか市民社会とかをどうまとめていくかという話とは違うというお話をされたんですが、この委員の中にはスポーツ界で大活躍をされてここへ来ている人たちもおられて、スポーツでの経験を、すぎないというふうに言われると、やっぱりかちんとくるんじゃないかという気がするんですね。
私は、むしろ先生がおっしゃっているのは、それとこれとは違う話であると。スポーツの社会での、例えば優勝してそのことをみんなで喜ぶというのは、それはそれで非常に大切な経験だ、それを決して軽視しているわけでも何でもない、ただ違う話だということだけおっしゃっているのじゃないかと。
むしろ、例えばスポーツの社会でいえば、勝った者は大変喜ぶけれども、同時に、勝って喜んでいるときに負けた者の悔しさもわかる、それがスポーツの社会だと。そして、喜んでいるとき、悲しんでいるときに人間が自分の生を感ずることができるといったこと、これはこれで非常に大切なことなんだ、こう思うんですが、その辺どうなんでしょう。
先生は、やはり御自分のなさっていることが一番とうとくてという、そういうお気持ちをお持ちでしょうか。