国旗及び国歌に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
平成十一年八月三日(火曜日)
午前十時開会
─────────────
委員の異動
八月二日
辞任 補欠選任
山下 栄一君 松 あきら君
林 紀子君 阿部 幸代君
八月三日
辞任 補欠選任
佐藤 雄平君 本岡 昭次君
阿部 幸代君 畑野 君枝君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 岩崎 純三君
理 事
鴻池 祥肇君
溝手 顕正君
江田 五月君
森本 晃司君
笠井 亮君
委 員
市川 一朗君
景山俊太郎君
亀井 郁夫君
中川 義雄君
南野知惠子君
橋本 聖子君
馳 浩君
森田 次夫君
足立 良平君
石田 美栄君
江本 孟紀君
竹村 泰子君
本岡 昭次君
松 あきら君
山本 保君
阿部 幸代君
畑野 君枝君
山本 正和君
扇 千景君
山崎 力君
事務局側
常任委員会専門
員 志村 昌俊君
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
参考人
東京大学大学院
総合文化研究科
教授 石田 英敬君
武蔵野女子大学
教授 杉原誠四郎君
明星大学人文学
部教授
感性教育研究所
所長 高橋 史朗君
中央大学教授
東京大学名誉教
授
前日本教育学会
会長 堀尾 輝久君
─────────────
本日の会議に付した案件
○国旗及び国歌に関する法律案(内閣提出、衆議
院送付)
─────────────
この発言だけを見る →午前十時開会
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委員の異動
八月二日
辞任 補欠選任
山下 栄一君 松 あきら君
林 紀子君 阿部 幸代君
八月三日
辞任 補欠選任
佐藤 雄平君 本岡 昭次君
阿部 幸代君 畑野 君枝君
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出席者は左のとおり。
委員長 岩崎 純三君
理 事
鴻池 祥肇君
溝手 顕正君
江田 五月君
森本 晃司君
笠井 亮君
委 員
市川 一朗君
景山俊太郎君
亀井 郁夫君
中川 義雄君
南野知惠子君
橋本 聖子君
馳 浩君
森田 次夫君
足立 良平君
石田 美栄君
江本 孟紀君
竹村 泰子君
本岡 昭次君
松 あきら君
山本 保君
阿部 幸代君
畑野 君枝君
山本 正和君
扇 千景君
山崎 力君
事務局側
常任委員会専門
員 志村 昌俊君
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
参考人
東京大学大学院
総合文化研究科
教授 石田 英敬君
武蔵野女子大学
教授 杉原誠四郎君
明星大学人文学
部教授
感性教育研究所
所長 高橋 史朗君
中央大学教授
東京大学名誉教
授
前日本教育学会
会長 堀尾 輝久君
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本日の会議に付した案件
○国旗及び国歌に関する法律案(内閣提出、衆議
院送付)
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岩
岩崎純三#1
○委員長(岩崎純三君) ただいまから国旗及び国歌に関する特別委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨日、山下栄一君及び林紀子君が委員を辞任され、その補欠として松あきら君及び阿部幸代君が選任されました。
また、本日、佐藤雄平君が委員を辞任され、その補欠として本岡昭次君が選任されました。
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この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
昨日、山下栄一君及び林紀子君が委員を辞任され、その補欠として松あきら君及び阿部幸代君が選任されました。
また、本日、佐藤雄平君が委員を辞任され、その補欠として本岡昭次君が選任されました。
─────────────
岩
岩崎純三#2
○委員長(岩崎純三君) 国旗及び国歌に関する法律案を議題といたします。
本日は、本案の審査のため、参考人として、午前は、東京大学大学院総合文化研究科教授石田英敬君及び武蔵野女子大学教授杉原誠四郎君に御出席いただいております。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多忙のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
皆様方には、ただいま議題となっております国旗及び国歌に関する法律案につきまして忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
議事の進め方でございますが、まず石田参考人、杉原参考人の順序でそれぞれ二十分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。
それでは、まず石田参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。石田参考人。
この発言だけを見る →本日は、本案の審査のため、参考人として、午前は、東京大学大学院総合文化研究科教授石田英敬君及び武蔵野女子大学教授杉原誠四郎君に御出席いただいております。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多忙のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
皆様方には、ただいま議題となっております国旗及び国歌に関する法律案につきまして忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
議事の進め方でございますが、まず石田参考人、杉原参考人の順序でそれぞれ二十分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。
それでは、まず石田参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。石田参考人。
石
石田英敬#3
○参考人(石田英敬君) 東京大学の石田英敬と申します。
資料を用意しておりましたのですが、現在ちょっとどこかに置き忘れたみたいで、後ほど多分見つかると思いますが、とりあえず用意していた発言内容を発表させていただきたいと思います。
私は、記号とコミュニケーション研究の専門家として今日ここでお話をさせていただきます。と同時に、この法案が提案されることがはっきりしたこの六月以降、私たちのような人間科学、社会科学の比較的新しい研究分野で、特に日本の近代について、国民、国民国家、近代性、記号や表象といった問題を研究してきた研究者や知識人たちが出した日の丸・君が代の法制化に反対する共同声明の起草者の一人として、そして共同声明の署名者としての発言ともなるということをあらかじめ申し上げておきます。
この共同声明は、八百を超える署名者を共同署名者といたしまして、ニューヨーク、カリフォルニアからパリ、オスロ、ライプチヒ、香港、台湾、ソウルに至る、国際的な第一線の研究者を含む研究者、知識人による共同声明です。
したがいまして、私がこれから述べます意見は、もちろん一人の学者としての私の個人的な見解ではありますが、同時に、国民国家、ナショナリズム、国民や国家と記号や象徴の関係についての研究といった問題について世界各地の大学で日ごろ研究を行い、その知見に基づいて、今回の法制化について重大な危惧を表明している国際的な研究者たちの定説や共通した考えをある程度代弁するものであるということを御理解していただきたいと思います。
今回意見陳述を求められております国旗及び国歌に関する法律案が提起しております問題を、私たちのように国民、国家、近代の共同体を研究する立場から一言で定義するといたしますと、これは国家の象徴政治の問題であると言うことができると思います。
それは具体的には、どのような記号や象徴、すなわち旗にしても歌にしても、意味を生み出す記号やシンボルということですから、どのような記号や象徴を通して国民や国家の共同体をつくり出すのか、確認するのか、を国家が政治的に決定することにかかわる問題であるという意味で、これは国家の象徴政治にかかわる問題だというふうに考えるわけです。
これは、言うまでもなく国の根幹にかかわる重大な決定がかかっている事件であり、これこそすべての国民による広範な議論と十分な論議が尽くされるべき問題であることをまず述べておくことにいたしましょう。
限られた時間での意見陳述ですので、私が提起いたします問題の論点をあらかじめ幾つかに絞って整理して述べていきたいと思います。
今回の国旗・国歌の法制化に関して私が提起したい問題の論点は、ほぼ次の五つです。
その一、今回の法制化と天皇制の問題。二、今回の法制化がもたらす記憶の封殺の問題。三、今回法制化されようとしている日の丸・君が代が、私たちの用語でスペクタクル社会と呼びますが、見せ物とかマスメディアが支配するような社会、そのような今日のメディア・情報社会においての集団的忘却の回路とこの問題が結びつく可能性が提起する問題、これが第三点。四番目、特に学校教育において強化されると見られる象徴と権威の作用がもたらす問題、これが第四点。第五点は、それらすべての問題が私たちの国の民主主義にもたらす危機の問題であろうという、以上、五つの問題を論点として私の意見を述べさせていただきたいと思います。
第一に、天皇制の問題です。
周知のように、日本の近代国民国家は、天皇制という象徴的な権威の体系をつくり出すことによって国民の統合を行いました。人々は古い共同体から引き離されて、天皇制国家の象徴の体系の中に呼び込まれることによって国民となったのです。そのとき、近代天皇制の象徴体系の中に呼び込むための象徴装置の役割を担ったのが、日の丸、君が代、御真影、教育勅語といった、明治国家によって新しくつくり出された記号でした。
これらすべては古来からの伝統ではなく、近代国家をつくるための新しく発明された伝統であったということが重要です。日の丸は、のぼりなどとは違って、ヨーロッパ的規格に基づく当時としては新しい視覚記号、目に見える記号であり、君が代は、洋楽と雅楽の折衷のメロディーにより歌詞の意味を近代的に組みかえた新しい歌、御真影も、外国人画家が描いた天皇の肖像を写真として複製したという、二重の意味で新しい記号でした。
それらの記号は、公教育を通して、未来の国民としての生徒たちの身体の中に刷り込まれたのです。天皇を唯一の超越した「君」と呼ぶことで、一人称の私たちは、一人一人が、天皇という超越的な君主の臣下としての国民、すなわち明治憲法下における臣民になる。これらの国民を制作する象徴装置によって、人々は大日本帝国という近代的国民国家の君主に対する臣下として統合されていったと考えられます。
今回の法制化の問題点は、戦後の第二の国民国家において、「あいまいなまま」にとどめられていた明治憲法下における国家の象徴装置だったそれらの記号を、再び国民をつくり、あるいは、国民が自己を国民として確認するための国家の記号として明示的に定めようという点にあります。
このときに問われるのは、当然、大日本帝国憲法下の近代日本の第一期国民国家における象徴的な権威としての天皇制と、戦後の日本国憲法下の第二期国民国家における象徴天皇制との関係であるということが言えます。
しかし、また同時に、現在の国民国家を単位とする世界システムの再編期、すなわちこれが冷戦の終わり以降の世界新秩序の問題だと言うことができますが、その世界システムの再編期とのかかわりからいうと、明治憲法五十余年、戦後憲法五十余年という二つの国民国家を経て、恐らく今姿をあらわしつつある二十一世紀の第三期国民国家としての日本における天皇制の確認と再定義の問題がここで焦点となっているのであろうと分析することができます。
君が代の「君」をめぐっての六月十一日の政府見解や六月二十九日の小渕首相による補足は、天皇制の象徴体系について戦前と戦後の連続性を初めて政府見解として明言したものですが、引用いたしますが、「二十一世紀を迎えることを一つの契機」に、「成文法で明確に規定することが必要」という首相の説明は、来るべき第三の国民国家においては、明治憲法下における国家象徴が再定着、再定義されるべきだという意思の表明だと理解できます。
以上が天皇制をめぐる問題です。
第二の論点は、多くの人々が既に訴えているように、この法制化が記憶の封殺につながらないかという問題です。
日の丸・君が代は、日本の近代国家の成立過程において、国内においては国家による国民の強制的で規律的な統合の道具になったし、朝鮮や台湾の支配に見られるように植民地化と異民族の併合、そして特にアジア近隣諸国に対する戦争と侵略の道具になりました。第二次大戦後、日の丸や君が代が批判され議論の的となってきたのは、そのような日本国家の過去の行いについての記憶を持つ人々が現に多数存在しているからです。
日の丸・君が代は、国内における文化的、民族的、宗教的マイノリティーや戦争犠牲者たち、アジア近隣諸国の侵略を受けた人々の社会的記憶の象徴となっている。法制化はそれらの人々の記憶にどのようにこたえるかを示してはいません。今回の私たちの共同声明には、アジアの研究者のほか、アジア諸国からの留学生や、逆に日本からアジア諸国に留学して研究を行っている大学院生がたくさんの署名を寄せました。
そのような日本の過去の歴史を反省する議論を打ち切り、法による封印をすることになるのではないか。過去の侵略の歴史事実を否定したり虐殺を否認したりする歴史修正主義が無批判に流布される傾向が存在しているこの国では、過去をまともに正視し、きちんと整理した上で国の未来を議論するという契機をないがしろにしてしまうような国家の不道徳がさらに蔓延することにならないかというのが研究者、知識人の深刻な懸念であると申し上げておきましょう。
しかも、社会的記憶については、侵害を受けた側の方が侵害を行った側よりもずっと長く記憶を維持し続けるものであるという、これまた極めて人間的な事実も思い起こされるべきでしょう。国民への定着を言うのであれば、それらのシンボルが、在日韓国人、在日朝鮮人の人々やアジア近隣諸国の人々にどのようなイメージとして定着しているのかをも調査し、検討すべきなのではないでしょうか。
第三点、スペクタクル社会という問題ですけれども、オリンピックやワールドカップなどのスポーツイベントにおいて国民国家の象徴が果たす意味作用をもって、それらの象徴が人々に広く受け入れられたものとする見方が流布しています。それは、私たちのような研究を行う文化記号論的な立場から言うと完全な誤りです。スポーツはゲームである。すべてのゲームは便宜的な象徴や記号の働きによって可能になるのですが、それはその場限りで共有されたルールに基づいてつくり出される意味の経験にすぎない。そして、すべてのゲームは、世界の時間からの離脱と歴史の一時的な忘却をつくり出すという効果を持っています。人々は、現実から一時離れ、自分の生活をひととき忘れるためにこそゲームするのです。スポーツなどのゲームによって生み出される人間の意味の経験は、その場でのプレーがつくり出していくものにすぎません。
メディアイベントが支配するスペクタクル社会は、これを見せ物社会と言ってもよろしいと思いますが、そうした象徴のゲームによる忘却装置を社会の至るところに持つことになりました。そして、それは歴史の忘却を生み出すに至った。
しかし、歴史の中に蓄積された社会的記憶の問題とゲームが生み出す集団的忘却とを同じ水準で論ずることはできないのです。社会は、さまざまな水準で経験を組織し、同じ象徴でもそれらの水準において違った機能を担っています。マスメディア自体がスペクタクル社会の担い手であり、水準の混乱を引き起こし、歴史の忘却を促す役割を果たしつつあるとも言えます。
例えば、サッカーのサポーターが日の丸をボディーペインティングして熱狂することと、学校の国旗掲揚の儀式化を通して国民国家の一員になるということは、同じシンボルを介したものであるとしても、全く違った意味の経験です。前者は、観客の一人一人が想像の中でせいぜい日の丸サッカーチームの一員になるといった程度の想像的経験にすぎない。ところが後者は、国民国家の運命を引き受ける習性を持った一人一人の国民主体になることを意味している。それは国や国民の歴史や運命を引き受けることをも含むものです。
両者がまぜられ水準が混乱するときに、スポーツやイベントの政治利用の問題があらわれることになります。このような水準の混乱や政治利用の経験は、旧ユーゴスラビアの一九八四年のサラエボ冬季五輪とその後のバルカンの紛争や、ナチス・ドイツのベルリン・オリンピックの民族の祭典の経験が教えているものです。
四番目に参ります。
象徴は、人が何かを語るときの後ろ盾にもなり、権威の体系と結びつくことができます。国民を生み出す象徴装置という役割を既に述べましたが、日の丸・君が代の天皇制の象徴体系は、そのような権威の体系として成立し機能してきました。
そして、再び日の丸・君が代は、学校においてそのような権威と規律の体系を強化するために再び使われようとしているのではないか。国家の象徴体系と権力の系列関係が学校において整序され対応するようになると、教育という行為がどのようなものになっていくのかという問題がここにはあります。
国民国家の教育という場合、教育の役割は国民の再生産ということですから、その再生産は、理論的には市民社会や国民を基礎にして行われるというあり方、すなわち国民による国民のための国民の教育というあり方と、国家がヘゲモニーを持って国民をつくり出していくという二つの方向性があり得ることになります。法制化は明らかに後者の傾向に、国家のヘゲモニーの傾向に象徴的な裁可を与えることになります。
国家による教育の強化によって、市民社会における市民の教育の自由はますます狭められていく。そのことによって、教師たちはますます物言わぬ人々へと変えられていき、生徒たちは規律による教育の受動的な受け手に変えられていく。そして、市民の公教育への参加の契機はますます閉ざされていくことになりはしないか。
先ほど紹介いたしました私たちの共同声明は次のように述べています。
かつて一度も法制化されたことのなかった国旗・国歌を、法制化によって正当化しようとするこの動きが、主として学校教育の場を念頭において進められていることも、私たちの懸念をより深刻なものにしています。いま学校教育にもとめられているのは、有無を言わせず「日の丸」を掲げ生徒たちに「君が代」を歌わせることではないはずです。疑問を封殺するために国家の規範を強制するのではなく、世界の人々と共生することができる国や社会の原理とはなにかを生徒たちに考えさせること、他の国々との相互の歴史認識を深め、国の内外の異なった言語や民族や文化の人々と共に生きる市民社会の基本的価値や原理とは何かについての議論を重ねることからしか、国民的同一性についての真の教育は根付かないのではないでしょうか。
と、このように述べております。これが、国家の教育の強化か、市民社会に基づく教育かという対立にかかわる今回の法制化の問題点です。
最後に、以上に述べました問題点を総合してみた場合に、法制化が私たちの近未来社会にもたらす影響についての論点があります。
学校では、日の丸・君が代という古風な記号を強制され、規律と権威のルールの体系を身体に刷り込まれ、他方、学校の外では、ますます拡大し続けるスペクタクル・メディア社会の忘却のゲームにのみ込まれていくというような生活が定着するときに、国民とはどのようなものになっていくことを運命づけられるのかという問題です。
同じような生活は、学校を終えた後の国民の生活の基調でもあり続けるでしょう。例えば、仕事の場においては権威と規律の関係に支配され、仕事の外ではマスメディアのスペクタクルの、見せ物の支配に流されていくという生活、それは基本的には今でもよく見なれた国民生活の光景と言えるかもしれません。
国家イメージをつくる記号に関してそのような回路が定着してしまうとき、決定的に欠落してしまうのは、実は、私たちの市民社会とは何か、国民とは何か、国とは何かという問いかけと反省の理性的な契機なのです。
法という沈黙のおきてによって決められた国家の象徴の囲いは、市民社会の自己イメージ化を許しません。国家の象徴をみずから動機づける、モチベートする対話を許さない。そして、スペクタクル社会は、みずからの最も近い過去の歴史を問う回路をあらかじめショートさせてしまう。国民自身が自問すること、自分たちの過去の歴史についての議論を公共化し、自分たちの未来をともに考えて決定することや、他者とのかかわりにおいて自己を問題化するための契機、市民社会の原理に基づいた理性的な他者との、そして自分自身との対話の契機をこの国は失ってしまうことにならないか。過去の記憶の封殺と、集団的忘却をつくるメディア社会の仕組み、そして権威の体系の強化、それらが国家のシンボルをめぐって結びついたとき、私たちの国から一体何が失われていくのか。それこそ、私たちがもう一度理性的に考えてみなければならないことではないでしょうか。
その意味で、今回の国旗・国歌の法制化は私たちの国の民主主義の大きな危機を予告していると、私は多くの研究者や知識人とともに深く危惧せざるを得ないのです。
いずれにいたしましても、冒頭に申し上げましたように、今回の法制化は、日本の国民国家の基本原則にかかわる国と国民の未来にとって重大な問題でありますので、拙速な決定は避けるべきであります。多くの国民が慎重に議論を重ねた上で決定すべきであると考えていることは新聞社による世論調査の結果等が示していることでもあります。
この問題については、広範な国民的議論が行われなければならないと思いますし、だれの目から見ても問題のない民主主義的なプロセスを経て決定が行われることが何よりも重要なことであろうと思います。国民世論と国民の声の負託が議会に反映されるという代議制民主主義の基本原理にもとるような、国会内的な数合わせによって採決決定されるには、事は余りに重大な案件であり、二十一世紀の国民国家の未来にとって禍根を残すことのないよう、十分な審議を尽くすことを国会には望みます。
以上、私、石田英敬からの参考人意見陳述でした。
この発言だけを見る →資料を用意しておりましたのですが、現在ちょっとどこかに置き忘れたみたいで、後ほど多分見つかると思いますが、とりあえず用意していた発言内容を発表させていただきたいと思います。
私は、記号とコミュニケーション研究の専門家として今日ここでお話をさせていただきます。と同時に、この法案が提案されることがはっきりしたこの六月以降、私たちのような人間科学、社会科学の比較的新しい研究分野で、特に日本の近代について、国民、国民国家、近代性、記号や表象といった問題を研究してきた研究者や知識人たちが出した日の丸・君が代の法制化に反対する共同声明の起草者の一人として、そして共同声明の署名者としての発言ともなるということをあらかじめ申し上げておきます。
この共同声明は、八百を超える署名者を共同署名者といたしまして、ニューヨーク、カリフォルニアからパリ、オスロ、ライプチヒ、香港、台湾、ソウルに至る、国際的な第一線の研究者を含む研究者、知識人による共同声明です。
したがいまして、私がこれから述べます意見は、もちろん一人の学者としての私の個人的な見解ではありますが、同時に、国民国家、ナショナリズム、国民や国家と記号や象徴の関係についての研究といった問題について世界各地の大学で日ごろ研究を行い、その知見に基づいて、今回の法制化について重大な危惧を表明している国際的な研究者たちの定説や共通した考えをある程度代弁するものであるということを御理解していただきたいと思います。
今回意見陳述を求められております国旗及び国歌に関する法律案が提起しております問題を、私たちのように国民、国家、近代の共同体を研究する立場から一言で定義するといたしますと、これは国家の象徴政治の問題であると言うことができると思います。
それは具体的には、どのような記号や象徴、すなわち旗にしても歌にしても、意味を生み出す記号やシンボルということですから、どのような記号や象徴を通して国民や国家の共同体をつくり出すのか、確認するのか、を国家が政治的に決定することにかかわる問題であるという意味で、これは国家の象徴政治にかかわる問題だというふうに考えるわけです。
これは、言うまでもなく国の根幹にかかわる重大な決定がかかっている事件であり、これこそすべての国民による広範な議論と十分な論議が尽くされるべき問題であることをまず述べておくことにいたしましょう。
限られた時間での意見陳述ですので、私が提起いたします問題の論点をあらかじめ幾つかに絞って整理して述べていきたいと思います。
今回の国旗・国歌の法制化に関して私が提起したい問題の論点は、ほぼ次の五つです。
その一、今回の法制化と天皇制の問題。二、今回の法制化がもたらす記憶の封殺の問題。三、今回法制化されようとしている日の丸・君が代が、私たちの用語でスペクタクル社会と呼びますが、見せ物とかマスメディアが支配するような社会、そのような今日のメディア・情報社会においての集団的忘却の回路とこの問題が結びつく可能性が提起する問題、これが第三点。四番目、特に学校教育において強化されると見られる象徴と権威の作用がもたらす問題、これが第四点。第五点は、それらすべての問題が私たちの国の民主主義にもたらす危機の問題であろうという、以上、五つの問題を論点として私の意見を述べさせていただきたいと思います。
第一に、天皇制の問題です。
周知のように、日本の近代国民国家は、天皇制という象徴的な権威の体系をつくり出すことによって国民の統合を行いました。人々は古い共同体から引き離されて、天皇制国家の象徴の体系の中に呼び込まれることによって国民となったのです。そのとき、近代天皇制の象徴体系の中に呼び込むための象徴装置の役割を担ったのが、日の丸、君が代、御真影、教育勅語といった、明治国家によって新しくつくり出された記号でした。
これらすべては古来からの伝統ではなく、近代国家をつくるための新しく発明された伝統であったということが重要です。日の丸は、のぼりなどとは違って、ヨーロッパ的規格に基づく当時としては新しい視覚記号、目に見える記号であり、君が代は、洋楽と雅楽の折衷のメロディーにより歌詞の意味を近代的に組みかえた新しい歌、御真影も、外国人画家が描いた天皇の肖像を写真として複製したという、二重の意味で新しい記号でした。
それらの記号は、公教育を通して、未来の国民としての生徒たちの身体の中に刷り込まれたのです。天皇を唯一の超越した「君」と呼ぶことで、一人称の私たちは、一人一人が、天皇という超越的な君主の臣下としての国民、すなわち明治憲法下における臣民になる。これらの国民を制作する象徴装置によって、人々は大日本帝国という近代的国民国家の君主に対する臣下として統合されていったと考えられます。
今回の法制化の問題点は、戦後の第二の国民国家において、「あいまいなまま」にとどめられていた明治憲法下における国家の象徴装置だったそれらの記号を、再び国民をつくり、あるいは、国民が自己を国民として確認するための国家の記号として明示的に定めようという点にあります。
このときに問われるのは、当然、大日本帝国憲法下の近代日本の第一期国民国家における象徴的な権威としての天皇制と、戦後の日本国憲法下の第二期国民国家における象徴天皇制との関係であるということが言えます。
しかし、また同時に、現在の国民国家を単位とする世界システムの再編期、すなわちこれが冷戦の終わり以降の世界新秩序の問題だと言うことができますが、その世界システムの再編期とのかかわりからいうと、明治憲法五十余年、戦後憲法五十余年という二つの国民国家を経て、恐らく今姿をあらわしつつある二十一世紀の第三期国民国家としての日本における天皇制の確認と再定義の問題がここで焦点となっているのであろうと分析することができます。
君が代の「君」をめぐっての六月十一日の政府見解や六月二十九日の小渕首相による補足は、天皇制の象徴体系について戦前と戦後の連続性を初めて政府見解として明言したものですが、引用いたしますが、「二十一世紀を迎えることを一つの契機」に、「成文法で明確に規定することが必要」という首相の説明は、来るべき第三の国民国家においては、明治憲法下における国家象徴が再定着、再定義されるべきだという意思の表明だと理解できます。
以上が天皇制をめぐる問題です。
第二の論点は、多くの人々が既に訴えているように、この法制化が記憶の封殺につながらないかという問題です。
日の丸・君が代は、日本の近代国家の成立過程において、国内においては国家による国民の強制的で規律的な統合の道具になったし、朝鮮や台湾の支配に見られるように植民地化と異民族の併合、そして特にアジア近隣諸国に対する戦争と侵略の道具になりました。第二次大戦後、日の丸や君が代が批判され議論の的となってきたのは、そのような日本国家の過去の行いについての記憶を持つ人々が現に多数存在しているからです。
日の丸・君が代は、国内における文化的、民族的、宗教的マイノリティーや戦争犠牲者たち、アジア近隣諸国の侵略を受けた人々の社会的記憶の象徴となっている。法制化はそれらの人々の記憶にどのようにこたえるかを示してはいません。今回の私たちの共同声明には、アジアの研究者のほか、アジア諸国からの留学生や、逆に日本からアジア諸国に留学して研究を行っている大学院生がたくさんの署名を寄せました。
そのような日本の過去の歴史を反省する議論を打ち切り、法による封印をすることになるのではないか。過去の侵略の歴史事実を否定したり虐殺を否認したりする歴史修正主義が無批判に流布される傾向が存在しているこの国では、過去をまともに正視し、きちんと整理した上で国の未来を議論するという契機をないがしろにしてしまうような国家の不道徳がさらに蔓延することにならないかというのが研究者、知識人の深刻な懸念であると申し上げておきましょう。
しかも、社会的記憶については、侵害を受けた側の方が侵害を行った側よりもずっと長く記憶を維持し続けるものであるという、これまた極めて人間的な事実も思い起こされるべきでしょう。国民への定着を言うのであれば、それらのシンボルが、在日韓国人、在日朝鮮人の人々やアジア近隣諸国の人々にどのようなイメージとして定着しているのかをも調査し、検討すべきなのではないでしょうか。
第三点、スペクタクル社会という問題ですけれども、オリンピックやワールドカップなどのスポーツイベントにおいて国民国家の象徴が果たす意味作用をもって、それらの象徴が人々に広く受け入れられたものとする見方が流布しています。それは、私たちのような研究を行う文化記号論的な立場から言うと完全な誤りです。スポーツはゲームである。すべてのゲームは便宜的な象徴や記号の働きによって可能になるのですが、それはその場限りで共有されたルールに基づいてつくり出される意味の経験にすぎない。そして、すべてのゲームは、世界の時間からの離脱と歴史の一時的な忘却をつくり出すという効果を持っています。人々は、現実から一時離れ、自分の生活をひととき忘れるためにこそゲームするのです。スポーツなどのゲームによって生み出される人間の意味の経験は、その場でのプレーがつくり出していくものにすぎません。
メディアイベントが支配するスペクタクル社会は、これを見せ物社会と言ってもよろしいと思いますが、そうした象徴のゲームによる忘却装置を社会の至るところに持つことになりました。そして、それは歴史の忘却を生み出すに至った。
しかし、歴史の中に蓄積された社会的記憶の問題とゲームが生み出す集団的忘却とを同じ水準で論ずることはできないのです。社会は、さまざまな水準で経験を組織し、同じ象徴でもそれらの水準において違った機能を担っています。マスメディア自体がスペクタクル社会の担い手であり、水準の混乱を引き起こし、歴史の忘却を促す役割を果たしつつあるとも言えます。
例えば、サッカーのサポーターが日の丸をボディーペインティングして熱狂することと、学校の国旗掲揚の儀式化を通して国民国家の一員になるということは、同じシンボルを介したものであるとしても、全く違った意味の経験です。前者は、観客の一人一人が想像の中でせいぜい日の丸サッカーチームの一員になるといった程度の想像的経験にすぎない。ところが後者は、国民国家の運命を引き受ける習性を持った一人一人の国民主体になることを意味している。それは国や国民の歴史や運命を引き受けることをも含むものです。
両者がまぜられ水準が混乱するときに、スポーツやイベントの政治利用の問題があらわれることになります。このような水準の混乱や政治利用の経験は、旧ユーゴスラビアの一九八四年のサラエボ冬季五輪とその後のバルカンの紛争や、ナチス・ドイツのベルリン・オリンピックの民族の祭典の経験が教えているものです。
四番目に参ります。
象徴は、人が何かを語るときの後ろ盾にもなり、権威の体系と結びつくことができます。国民を生み出す象徴装置という役割を既に述べましたが、日の丸・君が代の天皇制の象徴体系は、そのような権威の体系として成立し機能してきました。
そして、再び日の丸・君が代は、学校においてそのような権威と規律の体系を強化するために再び使われようとしているのではないか。国家の象徴体系と権力の系列関係が学校において整序され対応するようになると、教育という行為がどのようなものになっていくのかという問題がここにはあります。
国民国家の教育という場合、教育の役割は国民の再生産ということですから、その再生産は、理論的には市民社会や国民を基礎にして行われるというあり方、すなわち国民による国民のための国民の教育というあり方と、国家がヘゲモニーを持って国民をつくり出していくという二つの方向性があり得ることになります。法制化は明らかに後者の傾向に、国家のヘゲモニーの傾向に象徴的な裁可を与えることになります。
国家による教育の強化によって、市民社会における市民の教育の自由はますます狭められていく。そのことによって、教師たちはますます物言わぬ人々へと変えられていき、生徒たちは規律による教育の受動的な受け手に変えられていく。そして、市民の公教育への参加の契機はますます閉ざされていくことになりはしないか。
先ほど紹介いたしました私たちの共同声明は次のように述べています。
かつて一度も法制化されたことのなかった国旗・国歌を、法制化によって正当化しようとするこの動きが、主として学校教育の場を念頭において進められていることも、私たちの懸念をより深刻なものにしています。いま学校教育にもとめられているのは、有無を言わせず「日の丸」を掲げ生徒たちに「君が代」を歌わせることではないはずです。疑問を封殺するために国家の規範を強制するのではなく、世界の人々と共生することができる国や社会の原理とはなにかを生徒たちに考えさせること、他の国々との相互の歴史認識を深め、国の内外の異なった言語や民族や文化の人々と共に生きる市民社会の基本的価値や原理とは何かについての議論を重ねることからしか、国民的同一性についての真の教育は根付かないのではないでしょうか。
と、このように述べております。これが、国家の教育の強化か、市民社会に基づく教育かという対立にかかわる今回の法制化の問題点です。
最後に、以上に述べました問題点を総合してみた場合に、法制化が私たちの近未来社会にもたらす影響についての論点があります。
学校では、日の丸・君が代という古風な記号を強制され、規律と権威のルールの体系を身体に刷り込まれ、他方、学校の外では、ますます拡大し続けるスペクタクル・メディア社会の忘却のゲームにのみ込まれていくというような生活が定着するときに、国民とはどのようなものになっていくことを運命づけられるのかという問題です。
同じような生活は、学校を終えた後の国民の生活の基調でもあり続けるでしょう。例えば、仕事の場においては権威と規律の関係に支配され、仕事の外ではマスメディアのスペクタクルの、見せ物の支配に流されていくという生活、それは基本的には今でもよく見なれた国民生活の光景と言えるかもしれません。
国家イメージをつくる記号に関してそのような回路が定着してしまうとき、決定的に欠落してしまうのは、実は、私たちの市民社会とは何か、国民とは何か、国とは何かという問いかけと反省の理性的な契機なのです。
法という沈黙のおきてによって決められた国家の象徴の囲いは、市民社会の自己イメージ化を許しません。国家の象徴をみずから動機づける、モチベートする対話を許さない。そして、スペクタクル社会は、みずからの最も近い過去の歴史を問う回路をあらかじめショートさせてしまう。国民自身が自問すること、自分たちの過去の歴史についての議論を公共化し、自分たちの未来をともに考えて決定することや、他者とのかかわりにおいて自己を問題化するための契機、市民社会の原理に基づいた理性的な他者との、そして自分自身との対話の契機をこの国は失ってしまうことにならないか。過去の記憶の封殺と、集団的忘却をつくるメディア社会の仕組み、そして権威の体系の強化、それらが国家のシンボルをめぐって結びついたとき、私たちの国から一体何が失われていくのか。それこそ、私たちがもう一度理性的に考えてみなければならないことではないでしょうか。
その意味で、今回の国旗・国歌の法制化は私たちの国の民主主義の大きな危機を予告していると、私は多くの研究者や知識人とともに深く危惧せざるを得ないのです。
いずれにいたしましても、冒頭に申し上げましたように、今回の法制化は、日本の国民国家の基本原則にかかわる国と国民の未来にとって重大な問題でありますので、拙速な決定は避けるべきであります。多くの国民が慎重に議論を重ねた上で決定すべきであると考えていることは新聞社による世論調査の結果等が示していることでもあります。
この問題については、広範な国民的議論が行われなければならないと思いますし、だれの目から見ても問題のない民主主義的なプロセスを経て決定が行われることが何よりも重要なことであろうと思います。国民世論と国民の声の負託が議会に反映されるという代議制民主主義の基本原理にもとるような、国会内的な数合わせによって採決決定されるには、事は余りに重大な案件であり、二十一世紀の国民国家の未来にとって禍根を残すことのないよう、十分な審議を尽くすことを国会には望みます。
以上、私、石田英敬からの参考人意見陳述でした。
岩
杉
杉原誠四郎#5
○参考人(杉原誠四郎君) 武蔵野女子大学の杉原と申します。
私は、教育学を専攻しておりまして、教育学の立場から話したいと思います。
教育は今日、大変混乱、崩壊状態にありますが、それを支える教育学もしっかりしていないがゆえに、そういう意味で教育学に対してじくじたる思いがあります。その立場から見た範囲内で憲法とか日の丸とか国歌について述べたいと思います。
まず、教育の立場から四点あるんですけれども、まず一点、憲法の制定手続をどう理解するかということです。今日の憲法改正に関係しては、改正憲法論という立場と民定憲法論という立場、占領憲法論という立場、大きく分けるとこの三つで、民定憲法論というのを極端に言いますと、宮沢俊義の八月革命説、要するに日本が降伏したときに革命があったという考え方です。占領憲法論というのは、極端に言いますと、これは占領軍に押しつけられたのであるからそれ自体が無効であるという考え方であります。
八月革命説というのは、これは事実に反しますので違いますが、教育学の立場から見たときに、この憲法無効論ということも採用できないのでございます。これは、憲法を前提に教育基本法が成り立ち、教育基本法を前提に学校教育法が成り立つ。それによって学校を設立、運営して教育をしておりますので、そのためにその根本である憲法を教育で否定することはできないわけであります。したがいまして、教育学から見たときには、憲法学としては多様な見解が成り立つかもしれませんが、教育学の立場からは改正憲法論、すなわち大日本帝国憲法の改正手続を経て生まれたものであるという論であります。それが教育学から見たときの改正手続に対する結論です。
第二点としまして、今日の憲法の象徴というものをどう解するかという問題がありますが、象徴とは通俗的に言いますと君主の属性をあらわす言葉のようですが、昭和二十四年八月に文部省から出ました社会科、十五番目の教科書で「社会の政治」という教科書があります。そこの中では、天皇は君主であるという説明をしております。
今日の天皇は、この憲法のもとで政治的権能は持っておりませんが、しかしながら、日本の長い歴史とか文化とかという意味において、象徴という意味は、占領期に出された文部省の教科書に書いてある君主という考え方でよいのではないかということが言えるのではないかと思います。この主権とか国体とか君主とか元首とかいう言葉は相互に関係しておりますので、いろいろ説は分かれるところがありますけれども、しかしながら日本の場合、長い歴史を背景として憲法改正のときに象徴天皇制を明確に認めたわけでありますから、象徴天皇、主権在民制というふうなことになります。
では第三点でございますが、そういうふうな象徴天皇制を憲法に載せたような制度がこれからの国家にたえるのかたえないのかという、ここでは先ほどの石田先生の考え方とかみ合う、議論の余地のあるところだと思いますが、これからの日本というか、世界のそれぞれの国が国際協調をしながら国際化していかなければいけない時代の趨勢にあるわけであります。
そういう時代で、最終的には世界連邦とか世界国家というふうな状況に何世紀か後になっていくのかもしれません。そうすると、今まで存在していた国家というものは、世界国家の中で地方自治というふうな立場になっていくかと思います。世界国家になっても言語が一つになるわけでもありませんし、風俗が一致するわけでもありません。そうすると、それぞれの地方自治という現在の国家は、それぞれ個性を持ち、それぞれの歴史の意味を生かしながらアイデンティティーをそれぞれに形成し、持続させていくものだと思います。そういう意味で、我々は古い歴史を担い、その歴史をまた次の世代に伝えていくという役割を持ちながら文明の進化に合わさっていっているんだと思います。そういう意味で、象徴天皇制というものが憲法にあるということは、これは決して世界の文明の進展に反するものではないというふうに思われます。むしろ、世界の文明の発展に合わせて、日本というのが非常に個性を持った、アイデンティティーを明瞭に持った平和的な国家というか地方自治というものになっていくということで、世界の文明の発展にむしろ貢献するのではないかというふうに思っております。
次の四点目というのは、日の丸とか君が代の問題を直接お話しします。
先ほど憲法の改正は大日本帝国憲法の改正手続によってなしたものであると申しましたけれども、それは逆にどういうことをあらわすかといいますと、その改正した時点において改正手続を経なかったものはすべて有効であるという前提に立ちます。したがいまして、その時点で国歌とか日の丸とかというものを廃止する手続はとっておりません。したがいまして、その時点で慣習的には有効であったというふうに判断せざるを得ません。
これは、現在の憲法体制のもとでもたしか六十か七十ぐらい勅令が存在しております。大日本帝国憲法下で出された勅令が今日なお有効であります。これは明らかに現在の日本国憲法は帝国憲法を経由して生まれたものだということになります。したがいまして、その時点で廃止の手続をとらなかったものについては有効である。ただし、憲法の中に、前文のところに、日本国憲法に反するものは直ちに廃止というふうなことがありますけれども、その条項にすらかからなかったものが六十か七十個あるわけです。そういうことで、大日本帝国憲法と昭和憲法、今の憲法は主権在民ということにおいて明確な相違がありますが、それ以外の廃止の手続を経なかったものに対しては有効であるというふうに言えると思います。
したがいまして、一般的には日の丸も君が代もここで法制化する必要は本来はないと思います。しかしながら、今日の教育状況において、法制化していないことが大いに混乱のもとになり、そしてそのことが教育の崩壊に直接関係していると言えば言い過ぎになりますけれども、それは確かに言い過ぎですけれども、少なくともその混乱の収拾に貢献はしていないということにおいて、教育においてこういう混乱を早急になくしていくためには法制化はやむを得ないというふうに思っております。
ただし、この法制化した段階におきましては、単に制定したというだけではなくて、やはり我々国民とか官庁の方々もある程度気をつけてほしいことがございます。
と申しますのは、私は団地に住んでおりますけれども、団地というものが昭和三十年ごろから日本にかなり普及しましたけれども、団地の中には国旗を掲揚しようにも国旗の掲揚のポールがありません。五月のときに子供たちのためにこいのぼりを上げてやろうとしましても、そういうものがありません。一棟しかない団地でしたら仕方がないかもしれませんけれども、その中に公園をきちんと持っている巨大な団地もそういう施設を持っておりません。昭和三十年代とか占領が終わったときには、各家に全部国旗を祝日の日にはかけていたんですね。それで、これが日本人の一体感を形成、石田先生にしかられそうですけれども、一体感を非常に形成していたんですね。それがそういうふうに、国旗をかけようにもかけられないような施設がどんどんできていったわけであります。
そして、これは運輸省が関係するんだと思いますけれども、祝日のときに公共バスとか電車にはたしかかなり前までは国旗を掲げていました。それがいつの間にかかけなくなりました。そういうところにおいて、教育の学校の中においてだけ国旗をかけろとか歌えとか、そういうことだけを言われたのでは教育関係者の負担が非常に大きくなると思うんですね。やはりこれは、つくった以上は、関係省庁に自分たちのできることはきちんとやっていただかなければいけないと思います。
こういうふうな混乱の起こった一つの大きな流れを申し上げますけれども、占領下でアメリカ軍に強制されて憲法を事実上つくって、そしてその解釈についても随分アメリカの介入があったわけですけれども、それでも先ほど申しましたように文部省の教科書において天皇は君主であるというふうなことを述べておりました。しかしながら、昭和三十二年から三十九年にかけて憲法調査会というのができました。この憲法調査会というのは、本来の意図としては憲法を改正するという意図で審議を始めたと一応言っていいと思うんですけれども、そういう形の中で三十二年から三十九年にかけて審議をして、結果的にその憲法改正を放棄しました。
これは私個人から言わすと、憲法を改正するよりも憲法の解釈をきちんとすべきだというふうに、今日の憲法には積極的に評価すべき点が多々ありますので、そういう意味で憲法の調査をするといったときに、その三十二年から三十九年の間空白があるんですね。その間に憲法の解釈は占領期よりももっと混乱、後退した形のいろんなところにおいて問題を起こして、そしてそれが教育、特に文部省の責任もあると思いますけれども、そこからそういう憲法を改正するという前提があったがゆえに、本来望ましくない解釈が社会に普及するのを放置したんですね。
そのために、昭和三十年代前半のころは、国旗・国歌とかというものは議論の余地はなかったんです。これはすべて占領が解除されたときにみんな喜んで国旗とか国歌をきちんとやったわけですね。それがだんだん今日のように混乱の種になったのは、その間の憲法解釈をきちんとしなかったからですね。これは、自民党の方もいらっしゃると思いますけれども、自民党の一番先輩に当たる、私は外交問題も少し勉強しておりますが、吉田茂氏などのやっぱり怠慢があったと思うんですね。
そういう形の中で、今日の憲法の混乱は、憲法自体ではなくて解釈の問題であるということ。そこに行政の側というか国権の側がきちんとなすべきことをなさなかったがゆえに混乱がだんだん大きくなっていったというふうに解しております。そういうことです。
それで、天皇象徴ということは、今日の憲法でそういう意味で明瞭に認められており、そして、憲法をつくるとき、押しつけではありましたけれども、あのときの国民の天皇制を残すという強い意思とあわせて、そのときの人たちが受け継いだものを後世に残すという形で非常に努力して天皇制を残したわけですから、それはやっぱり意味を持つべきだと思います。
天皇制と戦争の問題がよく出てきますが、確かにあの戦争は日本から見ればなすべき戦争ではなかったとは思いますが、しかしながら、長い歴史を見たときに、日本の天皇制の意義を簡単に否定はできないというふうに思っております。
と申しますのは、中国と日本の歴史を比較したときに、中国は二百年に一度革命を起こします。そのためにどれだけ国が混乱するか。日本が遣隋使とか遣唐使をしたときには日本は文字も知らないような非常に非文明的な国家でしたけれども、明治維新の時点では日本だけがアジアではヨーロッパ並みに識字率を誇り、中国をはるかに越していたという。
これは、我々日本人が平和な社会を築いたその結果として天皇制が続いた。天皇制が続いたから平和な国家だとは言いませんけれども、平和な国家を持続させたがゆえに天皇制が残った。そういう意味において、長い歴史から見れば天皇制というのは日本の中で平和のシンボルであった。その意味であるがゆえに、返す返すもあの戦争はしなければよかったというふうには思いますが、もう少し広い観点から日本の歴史というものを考えるべきだというふうに思っております。
ちょっと時間が早いかもしれませんが、以上です。
この発言だけを見る →私は、教育学を専攻しておりまして、教育学の立場から話したいと思います。
教育は今日、大変混乱、崩壊状態にありますが、それを支える教育学もしっかりしていないがゆえに、そういう意味で教育学に対してじくじたる思いがあります。その立場から見た範囲内で憲法とか日の丸とか国歌について述べたいと思います。
まず、教育の立場から四点あるんですけれども、まず一点、憲法の制定手続をどう理解するかということです。今日の憲法改正に関係しては、改正憲法論という立場と民定憲法論という立場、占領憲法論という立場、大きく分けるとこの三つで、民定憲法論というのを極端に言いますと、宮沢俊義の八月革命説、要するに日本が降伏したときに革命があったという考え方です。占領憲法論というのは、極端に言いますと、これは占領軍に押しつけられたのであるからそれ自体が無効であるという考え方であります。
八月革命説というのは、これは事実に反しますので違いますが、教育学の立場から見たときに、この憲法無効論ということも採用できないのでございます。これは、憲法を前提に教育基本法が成り立ち、教育基本法を前提に学校教育法が成り立つ。それによって学校を設立、運営して教育をしておりますので、そのためにその根本である憲法を教育で否定することはできないわけであります。したがいまして、教育学から見たときには、憲法学としては多様な見解が成り立つかもしれませんが、教育学の立場からは改正憲法論、すなわち大日本帝国憲法の改正手続を経て生まれたものであるという論であります。それが教育学から見たときの改正手続に対する結論です。
第二点としまして、今日の憲法の象徴というものをどう解するかという問題がありますが、象徴とは通俗的に言いますと君主の属性をあらわす言葉のようですが、昭和二十四年八月に文部省から出ました社会科、十五番目の教科書で「社会の政治」という教科書があります。そこの中では、天皇は君主であるという説明をしております。
今日の天皇は、この憲法のもとで政治的権能は持っておりませんが、しかしながら、日本の長い歴史とか文化とかという意味において、象徴という意味は、占領期に出された文部省の教科書に書いてある君主という考え方でよいのではないかということが言えるのではないかと思います。この主権とか国体とか君主とか元首とかいう言葉は相互に関係しておりますので、いろいろ説は分かれるところがありますけれども、しかしながら日本の場合、長い歴史を背景として憲法改正のときに象徴天皇制を明確に認めたわけでありますから、象徴天皇、主権在民制というふうなことになります。
では第三点でございますが、そういうふうな象徴天皇制を憲法に載せたような制度がこれからの国家にたえるのかたえないのかという、ここでは先ほどの石田先生の考え方とかみ合う、議論の余地のあるところだと思いますが、これからの日本というか、世界のそれぞれの国が国際協調をしながら国際化していかなければいけない時代の趨勢にあるわけであります。
そういう時代で、最終的には世界連邦とか世界国家というふうな状況に何世紀か後になっていくのかもしれません。そうすると、今まで存在していた国家というものは、世界国家の中で地方自治というふうな立場になっていくかと思います。世界国家になっても言語が一つになるわけでもありませんし、風俗が一致するわけでもありません。そうすると、それぞれの地方自治という現在の国家は、それぞれ個性を持ち、それぞれの歴史の意味を生かしながらアイデンティティーをそれぞれに形成し、持続させていくものだと思います。そういう意味で、我々は古い歴史を担い、その歴史をまた次の世代に伝えていくという役割を持ちながら文明の進化に合わさっていっているんだと思います。そういう意味で、象徴天皇制というものが憲法にあるということは、これは決して世界の文明の進展に反するものではないというふうに思われます。むしろ、世界の文明の発展に合わせて、日本というのが非常に個性を持った、アイデンティティーを明瞭に持った平和的な国家というか地方自治というものになっていくということで、世界の文明の発展にむしろ貢献するのではないかというふうに思っております。
次の四点目というのは、日の丸とか君が代の問題を直接お話しします。
先ほど憲法の改正は大日本帝国憲法の改正手続によってなしたものであると申しましたけれども、それは逆にどういうことをあらわすかといいますと、その改正した時点において改正手続を経なかったものはすべて有効であるという前提に立ちます。したがいまして、その時点で国歌とか日の丸とかというものを廃止する手続はとっておりません。したがいまして、その時点で慣習的には有効であったというふうに判断せざるを得ません。
これは、現在の憲法体制のもとでもたしか六十か七十ぐらい勅令が存在しております。大日本帝国憲法下で出された勅令が今日なお有効であります。これは明らかに現在の日本国憲法は帝国憲法を経由して生まれたものだということになります。したがいまして、その時点で廃止の手続をとらなかったものについては有効である。ただし、憲法の中に、前文のところに、日本国憲法に反するものは直ちに廃止というふうなことがありますけれども、その条項にすらかからなかったものが六十か七十個あるわけです。そういうことで、大日本帝国憲法と昭和憲法、今の憲法は主権在民ということにおいて明確な相違がありますが、それ以外の廃止の手続を経なかったものに対しては有効であるというふうに言えると思います。
したがいまして、一般的には日の丸も君が代もここで法制化する必要は本来はないと思います。しかしながら、今日の教育状況において、法制化していないことが大いに混乱のもとになり、そしてそのことが教育の崩壊に直接関係していると言えば言い過ぎになりますけれども、それは確かに言い過ぎですけれども、少なくともその混乱の収拾に貢献はしていないということにおいて、教育においてこういう混乱を早急になくしていくためには法制化はやむを得ないというふうに思っております。
ただし、この法制化した段階におきましては、単に制定したというだけではなくて、やはり我々国民とか官庁の方々もある程度気をつけてほしいことがございます。
と申しますのは、私は団地に住んでおりますけれども、団地というものが昭和三十年ごろから日本にかなり普及しましたけれども、団地の中には国旗を掲揚しようにも国旗の掲揚のポールがありません。五月のときに子供たちのためにこいのぼりを上げてやろうとしましても、そういうものがありません。一棟しかない団地でしたら仕方がないかもしれませんけれども、その中に公園をきちんと持っている巨大な団地もそういう施設を持っておりません。昭和三十年代とか占領が終わったときには、各家に全部国旗を祝日の日にはかけていたんですね。それで、これが日本人の一体感を形成、石田先生にしかられそうですけれども、一体感を非常に形成していたんですね。それがそういうふうに、国旗をかけようにもかけられないような施設がどんどんできていったわけであります。
そして、これは運輸省が関係するんだと思いますけれども、祝日のときに公共バスとか電車にはたしかかなり前までは国旗を掲げていました。それがいつの間にかかけなくなりました。そういうところにおいて、教育の学校の中においてだけ国旗をかけろとか歌えとか、そういうことだけを言われたのでは教育関係者の負担が非常に大きくなると思うんですね。やはりこれは、つくった以上は、関係省庁に自分たちのできることはきちんとやっていただかなければいけないと思います。
こういうふうな混乱の起こった一つの大きな流れを申し上げますけれども、占領下でアメリカ軍に強制されて憲法を事実上つくって、そしてその解釈についても随分アメリカの介入があったわけですけれども、それでも先ほど申しましたように文部省の教科書において天皇は君主であるというふうなことを述べておりました。しかしながら、昭和三十二年から三十九年にかけて憲法調査会というのができました。この憲法調査会というのは、本来の意図としては憲法を改正するという意図で審議を始めたと一応言っていいと思うんですけれども、そういう形の中で三十二年から三十九年にかけて審議をして、結果的にその憲法改正を放棄しました。
これは私個人から言わすと、憲法を改正するよりも憲法の解釈をきちんとすべきだというふうに、今日の憲法には積極的に評価すべき点が多々ありますので、そういう意味で憲法の調査をするといったときに、その三十二年から三十九年の間空白があるんですね。その間に憲法の解釈は占領期よりももっと混乱、後退した形のいろんなところにおいて問題を起こして、そしてそれが教育、特に文部省の責任もあると思いますけれども、そこからそういう憲法を改正するという前提があったがゆえに、本来望ましくない解釈が社会に普及するのを放置したんですね。
そのために、昭和三十年代前半のころは、国旗・国歌とかというものは議論の余地はなかったんです。これはすべて占領が解除されたときにみんな喜んで国旗とか国歌をきちんとやったわけですね。それがだんだん今日のように混乱の種になったのは、その間の憲法解釈をきちんとしなかったからですね。これは、自民党の方もいらっしゃると思いますけれども、自民党の一番先輩に当たる、私は外交問題も少し勉強しておりますが、吉田茂氏などのやっぱり怠慢があったと思うんですね。
そういう形の中で、今日の憲法の混乱は、憲法自体ではなくて解釈の問題であるということ。そこに行政の側というか国権の側がきちんとなすべきことをなさなかったがゆえに混乱がだんだん大きくなっていったというふうに解しております。そういうことです。
それで、天皇象徴ということは、今日の憲法でそういう意味で明瞭に認められており、そして、憲法をつくるとき、押しつけではありましたけれども、あのときの国民の天皇制を残すという強い意思とあわせて、そのときの人たちが受け継いだものを後世に残すという形で非常に努力して天皇制を残したわけですから、それはやっぱり意味を持つべきだと思います。
天皇制と戦争の問題がよく出てきますが、確かにあの戦争は日本から見ればなすべき戦争ではなかったとは思いますが、しかしながら、長い歴史を見たときに、日本の天皇制の意義を簡単に否定はできないというふうに思っております。
と申しますのは、中国と日本の歴史を比較したときに、中国は二百年に一度革命を起こします。そのためにどれだけ国が混乱するか。日本が遣隋使とか遣唐使をしたときには日本は文字も知らないような非常に非文明的な国家でしたけれども、明治維新の時点では日本だけがアジアではヨーロッパ並みに識字率を誇り、中国をはるかに越していたという。
これは、我々日本人が平和な社会を築いたその結果として天皇制が続いた。天皇制が続いたから平和な国家だとは言いませんけれども、平和な国家を持続させたがゆえに天皇制が残った。そういう意味において、長い歴史から見れば天皇制というのは日本の中で平和のシンボルであった。その意味であるがゆえに、返す返すもあの戦争はしなければよかったというふうには思いますが、もう少し広い観点から日本の歴史というものを考えるべきだというふうに思っております。
ちょっと時間が早いかもしれませんが、以上です。
岩
岩崎純三#6
○委員長(岩崎純三君) ありがとうございました。
以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑に入ります。
なお、各参考人にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。
それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑に入ります。
なお、各参考人にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。
それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
中
中川義雄#7
○中川義雄君 自民党の中川義雄であります。
きょうは、大変忙しい中、この場まで来ていただいて御意見を述べていただきまして、本当にありがとうございました。
そこで、今、杉原先生から憲法上の問題から国旗・国歌を肯定するお話が出ましたが、逆に石田先生は、憲法の中の天皇制というような観点も踏まえて、過去の歴史その他から国旗・国歌を否定するというお話だったと思うんですけれども、憲法第一条を石田先生はどういうふうに理解し、それを否定的に考えているのかどうか、ちょっと意見を述べていただきたいと思います。
この発言だけを見る →きょうは、大変忙しい中、この場まで来ていただいて御意見を述べていただきまして、本当にありがとうございました。
そこで、今、杉原先生から憲法上の問題から国旗・国歌を肯定するお話が出ましたが、逆に石田先生は、憲法の中の天皇制というような観点も踏まえて、過去の歴史その他から国旗・国歌を否定するというお話だったと思うんですけれども、憲法第一条を石田先生はどういうふうに理解し、それを否定的に考えているのかどうか、ちょっと意見を述べていただきたいと思います。
石
石田英敬#8
○参考人(石田英敬君) 簡潔にお答えいたしますが、今の御質問の中で、私が憲法の中の天皇制の国旗・国歌を否定しているとおっしゃいましたけれども、それは私の認識とは違います。
国民国家、これは今の世界システムをつくっているものなんですけれども、国民国家が国歌・国旗を持ってきたという事実、これは日本に限らない問題ですけれども、こうした問題がどういうことを問題としてつくり出しているのかということを明確に議論した上で、そうした問題についての国の行方を決めるべきだと言っているのであって、国歌・国旗を否定しているということではありません。
それから、天皇制に関しても同じです。天皇制を否定しているというふうにお受け取りになると、私の意見とは違います。そうではなくて、天皇制がどういうふうに機能してきたのか。日本の二つの、明治期以降の五十余年の国民国家と戦後の国民国家五十余年を経て第三の国民国家期に入ったときに、そうした問題がこういう法制化についてどういう形で出てくるのかということについての意見を述べさせていただいたと、このように御理解いただきたいと思います。
この発言だけを見る →国民国家、これは今の世界システムをつくっているものなんですけれども、国民国家が国歌・国旗を持ってきたという事実、これは日本に限らない問題ですけれども、こうした問題がどういうことを問題としてつくり出しているのかということを明確に議論した上で、そうした問題についての国の行方を決めるべきだと言っているのであって、国歌・国旗を否定しているということではありません。
それから、天皇制に関しても同じです。天皇制を否定しているというふうにお受け取りになると、私の意見とは違います。そうではなくて、天皇制がどういうふうに機能してきたのか。日本の二つの、明治期以降の五十余年の国民国家と戦後の国民国家五十余年を経て第三の国民国家期に入ったときに、そうした問題がこういう法制化についてどういう形で出てくるのかということについての意見を述べさせていただいたと、このように御理解いただきたいと思います。
中
中川義雄#9
○中川義雄君 それでは、石田先生にお聞きしますが、国際的に見ても、現国歌・国旗というものは、あらゆる国際機関や国際的ないろんな大会等で五十数年間ずっと慣習的に続いていたことは否定できない事実だと思うんです。
その中で、今、この日本の国旗・国歌に対する、一部の人の話ではなくて、大きな地球全体から眺めて日本の国旗・国歌に対する国際的な認識というものをどう理解しているのか、ちょっとお聞かせいただきたいと思うんです。
この発言だけを見る →その中で、今、この日本の国旗・国歌に対する、一部の人の話ではなくて、大きな地球全体から眺めて日本の国旗・国歌に対する国際的な認識というものをどう理解しているのか、ちょっとお聞かせいただきたいと思うんです。
石
石田英敬#10
○参考人(石田英敬君) お答えいたします。
今の御質問ですけれども、一部の人ではなくてとおっしゃいましたけれども、一部の人というのが多分、私がここで社会的記憶ということで述べた過去の記憶の問題かと思いますが、そうした問題と、それからネーションステートの、国民国家の世界システムの中でそれぞれの国の国旗あるいは国歌がどういう扱いを受けており、そのネーションステートが一堂に会するような場面においてそれがどのような認知を受けているかという問題は、これは違った問題です。
後者につきましては、日本の国旗は日の丸であろう、国歌はよくわからないが君が代のようなメロディーであったかなという認識は、世界のネーションステートの一堂に会する場面においてはもちろん認知されているというふうに私は思います。
ただ、問題なのは、その社会的なあるいは歴史的な記憶の問題とこの問題が常にぎくしゃくした関係をつくっていることをどういうふうに国として解決していくのか、その解決の手順についてもう少しいろんな議論がなくてはいけないし、いろんな対策が施されるべきではないかということを申し上げているということです。
この発言だけを見る →今の御質問ですけれども、一部の人ではなくてとおっしゃいましたけれども、一部の人というのが多分、私がここで社会的記憶ということで述べた過去の記憶の問題かと思いますが、そうした問題と、それからネーションステートの、国民国家の世界システムの中でそれぞれの国の国旗あるいは国歌がどういう扱いを受けており、そのネーションステートが一堂に会するような場面においてそれがどのような認知を受けているかという問題は、これは違った問題です。
後者につきましては、日本の国旗は日の丸であろう、国歌はよくわからないが君が代のようなメロディーであったかなという認識は、世界のネーションステートの一堂に会する場面においてはもちろん認知されているというふうに私は思います。
ただ、問題なのは、その社会的なあるいは歴史的な記憶の問題とこの問題が常にぎくしゃくした関係をつくっていることをどういうふうに国として解決していくのか、その解決の手順についてもう少しいろんな議論がなくてはいけないし、いろんな対策が施されるべきではないかということを申し上げているということです。
中
中川義雄#11
○中川義雄君 要するに、国旗・国歌が国際的に今、先生が言われたように大体定着している、だからといって、それを法制化するに当たってはただそのままでやってはいけない、もっと過去の歴史だとかそういうものを議論した上でやるというお話でした。
そうであると、もう一つ問題なのは、これまでの五十年間、国旗・国歌が国際的に認知されたと言ったら言葉がちょっと違うのかもしれませんが、国際的な機関も日本の国旗・国歌として認めていた。その間に国旗・国歌に対する先生方のこういう貴重な御意見があればもっともっと出して、例えば、この国旗・国歌は国際的に何となく漫然と通用しているが、しかし真剣に考えてみて、こういうことから改めるとか改めないとかという提言もあってもよかったような気がするんです。そういう点では、今まで五十数年間、オピニオンリーダーとしてそういうことをしなかった最大の理由はどこにあると思いますか。
この発言だけを見る →そうであると、もう一つ問題なのは、これまでの五十年間、国旗・国歌が国際的に認知されたと言ったら言葉がちょっと違うのかもしれませんが、国際的な機関も日本の国旗・国歌として認めていた。その間に国旗・国歌に対する先生方のこういう貴重な御意見があればもっともっと出して、例えば、この国旗・国歌は国際的に何となく漫然と通用しているが、しかし真剣に考えてみて、こういうことから改めるとか改めないとかという提言もあってもよかったような気がするんです。そういう点では、今まで五十数年間、オピニオンリーダーとしてそういうことをしなかった最大の理由はどこにあると思いますか。
石
石田英敬#12
○参考人(石田英敬君) 私、今四十五歳ですので、その五十年の責任を私がとるということはできないんですけれども。
それから、先ほどの御質問にちょっと戻りますが、ネーションステートの世界システムの中で国旗・国歌が認知されるという問題は、そもそも日の丸・君が代がつくり出されたときの問題でもあるわけです。つまり、日本にはその前こういう国旗・国歌が、日の丸・君が代がなかったわけです。ただ、日本がネーションステートのシステムの中に十九世紀の半ばに入るときにそれを求められたということです。ですから、それは問題としては、認知されているかどうかというよりは、認知されるためにこそつくられたものだという意味においては認知されているということですね。
それから、今の御質問ですが、こうした問題について議論が十分に行われてこなかったと。私も恐らくそうだと思います。それは冷戦下の問題だと思います。第二の国民国家期と今私のお話の中で申し上げましたが、第二の国民国家期の最大の特徴というのは、これは冷戦時代である、世界システムが冷戦によってさまざまなオピニオンの分断をつくっている、こういう時代であったかと。
私は、今、第三の国民国家期に日本は入りつつある、ほかの世界のさまざまな国々と同様に入りつつあるであろうと。このときこそやはりこういう問題はきちんと議論していくべきだろうという立場ですので、第二の冷戦下におけるこういう問いかけがうまく機能してこなかったということについては、事実そのとおりだと思いますが、今こそ、第三の国民国家期に入るときにこうした問題をきちんと国民的に討議していくことが重要であろうかと思います。
この発言だけを見る →それから、先ほどの御質問にちょっと戻りますが、ネーションステートの世界システムの中で国旗・国歌が認知されるという問題は、そもそも日の丸・君が代がつくり出されたときの問題でもあるわけです。つまり、日本にはその前こういう国旗・国歌が、日の丸・君が代がなかったわけです。ただ、日本がネーションステートのシステムの中に十九世紀の半ばに入るときにそれを求められたということです。ですから、それは問題としては、認知されているかどうかというよりは、認知されるためにこそつくられたものだという意味においては認知されているということですね。
それから、今の御質問ですが、こうした問題について議論が十分に行われてこなかったと。私も恐らくそうだと思います。それは冷戦下の問題だと思います。第二の国民国家期と今私のお話の中で申し上げましたが、第二の国民国家期の最大の特徴というのは、これは冷戦時代である、世界システムが冷戦によってさまざまなオピニオンの分断をつくっている、こういう時代であったかと。
私は、今、第三の国民国家期に日本は入りつつある、ほかの世界のさまざまな国々と同様に入りつつあるであろうと。このときこそやはりこういう問題はきちんと議論していくべきだろうという立場ですので、第二の冷戦下におけるこういう問いかけがうまく機能してこなかったということについては、事実そのとおりだと思いますが、今こそ、第三の国民国家期に入るときにこうした問題をきちんと国民的に討議していくことが重要であろうかと思います。
中
中川義雄#13
○中川義雄君 私自身のつたない経験ですが、日本人の国旗・国歌に対する考え方の変わりようといいますか、今、杉原先生も言われましたように、戦後から今日まで年を経れば経るほど、例えば国旗の掲揚率も下がってきているし、それからいろんな機会で国歌を歌う機会も少なくなってきている。例えば学校の諸行事においても、私が義務教育それから高等学校教育を受けたころは、国旗・国歌について議論をするなんということはもうほとんどなかった時代におりましたが、それが最近になって非常に大きな議論になっている。それはそれで、国旗・国歌に対する議論はいいんですが、一方では、国際的に見ると変な日本人になりつつある、世界じゅうの人から日本人を見れば。
例えば、私が経験した非常に惨めな思いをしたのは、昭和四十六年に、私は北海道庁に勤めておりまして、シベリア開発と北海道の関係を親密にしようということでミッションを送ったことがあるんです。そのときに、ブラーツクというところでブラーツク大学の先生方と交流会を設けました。そして、ブラーツク大学の先生方が歓迎会を開いてくれて、大変愉快な会になったんです。そして、国旗をテーブルの上にきちっと置いて、司会者が立って、非常に上手な宴席に入ったんです、友好的な。そうしたら、そこに参加していた道会議員の一人が、かなり強いアルコールなものですから酔ってしまって、お酒を乾杯して座り際に当時のソ連の国旗にそれをかけてしまった。そうしたら、その途端に司会者の態度が一変するんです。何が急に起こったのか、私たちはそれを見ていませんでしたから、よく聞いて冷静になると、国が侮辱された、これは許しがたいことだと。
そのとき私がしみじみ感じたのは、日本では一体どうなるだろう。お客さんを呼んで形式的に国旗を置いても、お客さんを大事にするから、もし間違ってお客さんが日本の国旗にお酒をこぼしても、お客さんにかかったお酒をふくのがもう先に走って、国旗に対してそういう行為があってもだれも何も言わないのがこの国ではなかろうかと、そのとき本当に大変な気持ちになったことがある。
それからもう一つのとうとい経験は、今のは昭和四十六年の記憶ですが、昭和四十九年のときに北欧へ行ったんです、ちょうどオイルショックのときでしたけれども。省エネ省エネとやっていて、スウェーデンのストックホルムの市庁舎へ行ったら、広場の真ん中に人がたくさん集まっているんです。何をやっているのかと思って行ってみたら、国旗がたくさん置いてあるんです。市民がそれを一つずつとって、ちゃんとお金を払ってとっていっているんです。それでよく聞いてみたら、その国旗は温度が上がると半旗になるようにできている。ちょうど十九度ぐらいの温度でつくってあって、それ以上室内温度が高くなると半旗になる。そうすると、スウェーデン人の国旗に対する非常に敬虔な思い、半旗になることを非常に忌み嫌う。そういうことで、室内温度を十九度以上にしないように守らせるというような、そういう旗になっている。
そのときも私は大変感銘を受けましたが、果たして日本ではこんなことを工夫してもだれも守ってくれないだろう。大体、祝祭日にでさえ国旗も掲げない国民性、そういうふうになってしまった。
これからの国際社会において国際交流が大事になってくる。ですから、相手の国のいろんな伝統や文化を大事にすると同時に、日本のいろんなことも考えて、そして少なくともきちっと自分の国の国旗や国歌を思う心も育てて、そして国際的にもそういう誇りを持って交流できるような社会にしなければならないと思ったときに、この現実に私自身は大変ショックを受けたことがあるんです。
それに対して、つい最近、冬季オリンピックで日本の若い人が優勝しました。しかし、国旗が掲げられて国歌の中で表彰されましたが、そのときのお嬢さんのとった態度が大変国際的にもいろんな問題を起こしました。これも、その子供が悪いのではなくて、国旗や国歌、そういうものに対するしつけ、家庭教育から社会教育、学校教育を通じてのしつけがそうさせて、国際的に恥ずべき現象になってきている。
こういうことから見ましても、国旗・国歌をきちっと、歴史的な経緯があるのなら歴史的に経緯があってそこで議論されて、議論する人はきちっと提案してやるべきであって、決まった国旗・国歌については、それをきちっと尊重する心、国家としての日本国の将来を考えたときに、そういう国民を育てていくこと、私はそれが大事なことだと思いますが、それに対して石田先生と杉原先生の私の考え方に対する御評価をいただきたいと思います。
この発言だけを見る →例えば、私が経験した非常に惨めな思いをしたのは、昭和四十六年に、私は北海道庁に勤めておりまして、シベリア開発と北海道の関係を親密にしようということでミッションを送ったことがあるんです。そのときに、ブラーツクというところでブラーツク大学の先生方と交流会を設けました。そして、ブラーツク大学の先生方が歓迎会を開いてくれて、大変愉快な会になったんです。そして、国旗をテーブルの上にきちっと置いて、司会者が立って、非常に上手な宴席に入ったんです、友好的な。そうしたら、そこに参加していた道会議員の一人が、かなり強いアルコールなものですから酔ってしまって、お酒を乾杯して座り際に当時のソ連の国旗にそれをかけてしまった。そうしたら、その途端に司会者の態度が一変するんです。何が急に起こったのか、私たちはそれを見ていませんでしたから、よく聞いて冷静になると、国が侮辱された、これは許しがたいことだと。
そのとき私がしみじみ感じたのは、日本では一体どうなるだろう。お客さんを呼んで形式的に国旗を置いても、お客さんを大事にするから、もし間違ってお客さんが日本の国旗にお酒をこぼしても、お客さんにかかったお酒をふくのがもう先に走って、国旗に対してそういう行為があってもだれも何も言わないのがこの国ではなかろうかと、そのとき本当に大変な気持ちになったことがある。
それからもう一つのとうとい経験は、今のは昭和四十六年の記憶ですが、昭和四十九年のときに北欧へ行ったんです、ちょうどオイルショックのときでしたけれども。省エネ省エネとやっていて、スウェーデンのストックホルムの市庁舎へ行ったら、広場の真ん中に人がたくさん集まっているんです。何をやっているのかと思って行ってみたら、国旗がたくさん置いてあるんです。市民がそれを一つずつとって、ちゃんとお金を払ってとっていっているんです。それでよく聞いてみたら、その国旗は温度が上がると半旗になるようにできている。ちょうど十九度ぐらいの温度でつくってあって、それ以上室内温度が高くなると半旗になる。そうすると、スウェーデン人の国旗に対する非常に敬虔な思い、半旗になることを非常に忌み嫌う。そういうことで、室内温度を十九度以上にしないように守らせるというような、そういう旗になっている。
そのときも私は大変感銘を受けましたが、果たして日本ではこんなことを工夫してもだれも守ってくれないだろう。大体、祝祭日にでさえ国旗も掲げない国民性、そういうふうになってしまった。
これからの国際社会において国際交流が大事になってくる。ですから、相手の国のいろんな伝統や文化を大事にすると同時に、日本のいろんなことも考えて、そして少なくともきちっと自分の国の国旗や国歌を思う心も育てて、そして国際的にもそういう誇りを持って交流できるような社会にしなければならないと思ったときに、この現実に私自身は大変ショックを受けたことがあるんです。
それに対して、つい最近、冬季オリンピックで日本の若い人が優勝しました。しかし、国旗が掲げられて国歌の中で表彰されましたが、そのときのお嬢さんのとった態度が大変国際的にもいろんな問題を起こしました。これも、その子供が悪いのではなくて、国旗や国歌、そういうものに対するしつけ、家庭教育から社会教育、学校教育を通じてのしつけがそうさせて、国際的に恥ずべき現象になってきている。
こういうことから見ましても、国旗・国歌をきちっと、歴史的な経緯があるのなら歴史的に経緯があってそこで議論されて、議論する人はきちっと提案してやるべきであって、決まった国旗・国歌については、それをきちっと尊重する心、国家としての日本国の将来を考えたときに、そういう国民を育てていくこと、私はそれが大事なことだと思いますが、それに対して石田先生と杉原先生の私の考え方に対する御評価をいただきたいと思います。
岩
石
石田英敬#15
○参考人(石田英敬君) 簡潔に述べさせていただきます。
今、中川議員がおっしゃった問題を私なりの言葉で整理いたしますと、それは国家と国民をどういうふうに結びつけるかという問題だと思います。あるいは別の言葉で言うと、国家と市民社会とがどういう結びつきを持たなくてはいけないかという問題だと思います。そして、国家が一方的にナショナルなシンボルを強化することによって市民社会と国家の記号との結びつきが果たしてうまくいくかどうか、こういう問題であろうかと思います。
この発言だけを見る →今、中川議員がおっしゃった問題を私なりの言葉で整理いたしますと、それは国家と国民をどういうふうに結びつけるかという問題だと思います。あるいは別の言葉で言うと、国家と市民社会とがどういう結びつきを持たなくてはいけないかという問題だと思います。そして、国家が一方的にナショナルなシンボルを強化することによって市民社会と国家の記号との結びつきが果たしてうまくいくかどうか、こういう問題であろうかと思います。
杉
杉原誠四郎#16
○参考人(杉原誠四郎君) 先ほども申しましたけれども、これが制定されましたら、文部省にだけその尊重を訴えるのではなくて、やはり社会全体でそういう指導をしていただきたい。
先ほど言ったように、団地の中でそういうものを立てようにも立てられないというのは、昭和三十年代のころの、あれは建設省が関係するんですか、あのときから祝日法というのはあったわけですから、それを無視してかけなくても全然差し支えないような、かけようにもかけられないような施設をどんどんつくっていった、そういうところに非常に政策としての一貫性、全体性がなかったということがあると思います。その点をよろしくお願いしたいと思います。
この発言だけを見る →先ほど言ったように、団地の中でそういうものを立てようにも立てられないというのは、昭和三十年代のころの、あれは建設省が関係するんですか、あのときから祝日法というのはあったわけですから、それを無視してかけなくても全然差し支えないような、かけようにもかけられないような施設をどんどんつくっていった、そういうところに非常に政策としての一貫性、全体性がなかったということがあると思います。その点をよろしくお願いしたいと思います。
中
江
江田五月#18
○江田五月君 お二人の先生方、きょうはお忙しい中を大変ありがとうございます。
御意見を伺わせていただいて、私も杉原先生とは多分同じとき同じ大学にいたんでしょうか、御迷惑をおかけしました。石田先生の方は四十五歳とおっしゃるので、ざっと一回り下というわけです。
国旗・国歌の議論、この委員会の中でも随分同じ議論ばかりやっていて、もういいじゃないか、蒸し返しばかりだと、そんな意見も聞かれたりするんですが、いやそうじゃない、やっぱりきょう聞いて本当によかった。かなり議論を深めることができたと思っております。
ただ、学者の先生方のお話というのはやっぱり大変難しくて、かなり老化した頭で一生懸命何をおっしゃっておられるのかということを、共感する方向に自分の体を寄せながら寄せながら聞いたつもりですが、それでもなかなかわからないところもあったので幾つか聞きたいんです。
まず石田先生にお伺いをするんですが、五つの点、それぞれお伺いしたいところがあるんですが、余りすべてを伺っておりますと、十五分という時間ですからできませんので、一つ。
スペクタクル社会ということで、スポーツにおける経験というのは、スポーツという限られた場での経験にすぎない、それと国民国家とか市民社会とかをどうまとめていくかという話とは違うというお話をされたんですが、この委員の中にはスポーツ界で大活躍をされてここへ来ている人たちもおられて、スポーツでの経験を、すぎないというふうに言われると、やっぱりかちんとくるんじゃないかという気がするんですね。
私は、むしろ先生がおっしゃっているのは、それとこれとは違う話であると。スポーツの社会での、例えば優勝してそのことをみんなで喜ぶというのは、それはそれで非常に大切な経験だ、それを決して軽視しているわけでも何でもない、ただ違う話だということだけおっしゃっているのじゃないかと。
むしろ、例えばスポーツの社会でいえば、勝った者は大変喜ぶけれども、同時に、勝って喜んでいるときに負けた者の悔しさもわかる、それがスポーツの社会だと。そして、喜んでいるとき、悲しんでいるときに人間が自分の生を感ずることができるといったこと、これはこれで非常に大切なことなんだ、こう思うんですが、その辺どうなんでしょう。
先生は、やはり御自分のなさっていることが一番とうとくてという、そういうお気持ちをお持ちでしょうか。
この発言だけを見る →御意見を伺わせていただいて、私も杉原先生とは多分同じとき同じ大学にいたんでしょうか、御迷惑をおかけしました。石田先生の方は四十五歳とおっしゃるので、ざっと一回り下というわけです。
国旗・国歌の議論、この委員会の中でも随分同じ議論ばかりやっていて、もういいじゃないか、蒸し返しばかりだと、そんな意見も聞かれたりするんですが、いやそうじゃない、やっぱりきょう聞いて本当によかった。かなり議論を深めることができたと思っております。
ただ、学者の先生方のお話というのはやっぱり大変難しくて、かなり老化した頭で一生懸命何をおっしゃっておられるのかということを、共感する方向に自分の体を寄せながら寄せながら聞いたつもりですが、それでもなかなかわからないところもあったので幾つか聞きたいんです。
まず石田先生にお伺いをするんですが、五つの点、それぞれお伺いしたいところがあるんですが、余りすべてを伺っておりますと、十五分という時間ですからできませんので、一つ。
スペクタクル社会ということで、スポーツにおける経験というのは、スポーツという限られた場での経験にすぎない、それと国民国家とか市民社会とかをどうまとめていくかという話とは違うというお話をされたんですが、この委員の中にはスポーツ界で大活躍をされてここへ来ている人たちもおられて、スポーツでの経験を、すぎないというふうに言われると、やっぱりかちんとくるんじゃないかという気がするんですね。
私は、むしろ先生がおっしゃっているのは、それとこれとは違う話であると。スポーツの社会での、例えば優勝してそのことをみんなで喜ぶというのは、それはそれで非常に大切な経験だ、それを決して軽視しているわけでも何でもない、ただ違う話だということだけおっしゃっているのじゃないかと。
むしろ、例えばスポーツの社会でいえば、勝った者は大変喜ぶけれども、同時に、勝って喜んでいるときに負けた者の悔しさもわかる、それがスポーツの社会だと。そして、喜んでいるとき、悲しんでいるときに人間が自分の生を感ずることができるといったこと、これはこれで非常に大切なことなんだ、こう思うんですが、その辺どうなんでしょう。
先生は、やはり御自分のなさっていることが一番とうとくてという、そういうお気持ちをお持ちでしょうか。
石
石田英敬#19
○参考人(石田英敬君) すぎないという言い方が否定的な評価だというふうにとられてしまったとしましたら、それは撤回いたします。
これは、あくまで限定したスポーツの意味の経験というものと、それから国民国家の記憶の問題とを混同してはいけないということを言うために述べた文脈ですので、これはそれ以上でも以下でもありませんので、否定的な評価というふうにとられたとしたら私の本意に反しますので、それは訂正させていただきます。
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江
江田五月#20
○江田五月君 さらに続けて、国民国家というものに、そこに住んでいる者みんなが、国民国家の国民であろうと、あるいは国民でない、国籍を持っていない者であろうとにかかわらずみんな取り込まれていく、そういうものですね。それと、あるいは市民社会なり、さらにもっと言えば一人一人の人生なり、それは必ずしも同じじゃない。
だから、国旗とか国歌とかというものはネーションステートをまとめていくための一つのシンボル操作といいますか、象徴政治といいますか、そういうことであって、何か国旗と国歌がこうなれば人生すべてそれで決まりと、だからそれをやろう、あるいはだからそれはいけない、そうまでの議論とはちょっと違う。
しかし、日本の日の丸・君が代というのを国旗・国歌にすることによって、この国がネーションステートとして新しい国際社会の中でちゃんと役割を果たすのにプラスになるのか、あるいは障害になるのか、そういう議論をしっかりしなきゃいけないという、こっちの方もかなり限定された世界の議論ではないかという気もするんですが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →だから、国旗とか国歌とかというものはネーションステートをまとめていくための一つのシンボル操作といいますか、象徴政治といいますか、そういうことであって、何か国旗と国歌がこうなれば人生すべてそれで決まりと、だからそれをやろう、あるいはだからそれはいけない、そうまでの議論とはちょっと違う。
しかし、日本の日の丸・君が代というのを国旗・国歌にすることによって、この国がネーションステートとして新しい国際社会の中でちゃんと役割を果たすのにプラスになるのか、あるいは障害になるのか、そういう議論をしっかりしなきゃいけないという、こっちの方もかなり限定された世界の議論ではないかという気もするんですが、いかがでしょうか。
石
石田英敬#21
○参考人(石田英敬君) お答えいたします。
スポーツのワールドカップとかオリンピックについての流布している見方、国家シンボルが国民に定着していると。これは小渕首相の説明等の中にも言及があったかと思うんですけれども、その議論を念頭に置いて私が述べたいのは、その二つ、つまりスポーツイベント等における国家シンボルの経験と、それから国民社会、国民国家の中におけるナショナルシンボルの機能の仕方とは分けて考えるべきだということを強調したいために言った問題です。
それで、これは既にスポーツ愛好家の中でも論争がありまして、インターネット等でその論争が行われているんですけれども、つまり、自分がそのワールドカップのときは日の丸・君が代を含めてそれに同調した、共感したわけだけれども、実は私は、そういう今の問題になっているような日の丸・君が代の制定の仕方については疑問を持っている、これは一体自分の中でどういうことが起こっているのかという、そういう問いを立てている人はたくさんいるわけです。
それは、学問的に説明すると、先ほどちょっと述べさせていただきましたような経験の質の違いというものがあって、そしてその二つを区別して考えていかないとさまざまな歴史的な混乱の中に陥ることになりますよと。
特に、例えばサラエボ・オリンピックのときのユーゴスラビア国民の熱狂と、その後のバルカンの状況というような問題は、まさにこういう問題をはっきりと区別して論じなければ見えてこない問題だと思いますし、あるいは、意識的にそういうスポーツイベント等を利用するような権力のあり方としてのナチス・ドイツとか、そういう問題も歴史的に既に前例があるということを申し上げたということです。
この発言だけを見る →スポーツのワールドカップとかオリンピックについての流布している見方、国家シンボルが国民に定着していると。これは小渕首相の説明等の中にも言及があったかと思うんですけれども、その議論を念頭に置いて私が述べたいのは、その二つ、つまりスポーツイベント等における国家シンボルの経験と、それから国民社会、国民国家の中におけるナショナルシンボルの機能の仕方とは分けて考えるべきだということを強調したいために言った問題です。
それで、これは既にスポーツ愛好家の中でも論争がありまして、インターネット等でその論争が行われているんですけれども、つまり、自分がそのワールドカップのときは日の丸・君が代を含めてそれに同調した、共感したわけだけれども、実は私は、そういう今の問題になっているような日の丸・君が代の制定の仕方については疑問を持っている、これは一体自分の中でどういうことが起こっているのかという、そういう問いを立てている人はたくさんいるわけです。
それは、学問的に説明すると、先ほどちょっと述べさせていただきましたような経験の質の違いというものがあって、そしてその二つを区別して考えていかないとさまざまな歴史的な混乱の中に陥ることになりますよと。
特に、例えばサラエボ・オリンピックのときのユーゴスラビア国民の熱狂と、その後のバルカンの状況というような問題は、まさにこういう問題をはっきりと区別して論じなければ見えてこない問題だと思いますし、あるいは、意識的にそういうスポーツイベント等を利用するような権力のあり方としてのナチス・ドイツとか、そういう問題も歴史的に既に前例があるということを申し上げたということです。
江
江田五月#22
○江田五月君 ごめんなさい、ちょっと私の質問の仕方が悪くて。スポーツの話はもう終わったつもりでいたので、今度は国民国家におけるいわゆる記号なり象徴なりとしての国旗・国歌というものが持つ意味の重さの話を私はしたんですが、私なんかは、国家が住みにくいところであろうが、国家と離れて自分が個人で自分の人生を送っていく、そういうやり方もあるんじゃないかと。ただ、それでも国家の中に全部取り込まれますから、その国家が余り一人一人の人生を強く規定するような国家になられるとやりにくいなと。その意味で、未知の危機というお言葉はそうなんだなという感じはするんです。
もう一つ、日の丸と君が代あるいは国旗と国歌。きょうのお話はどちらも記号、象徴ということでずっとお話しになられましたが、その二つに違いがあるでしょうか、ないでしょうか。
この発言だけを見る →もう一つ、日の丸と君が代あるいは国旗と国歌。きょうのお話はどちらも記号、象徴ということでずっとお話しになられましたが、その二つに違いがあるでしょうか、ないでしょうか。
石
石田英敬#23
○参考人(石田英敬君) 二つの御質問にお答えします。
最初の、私が先ほどの答えで答えられなかった問題ですけれども、江田議員が言っている自分の生活感覚というか、市民としての生活感覚、そうしたものを大切にしていこうと。まさにそれは私が市民社会の自由ということで述べようとした問題です。そして、その領域が確保される、そのような形でこういう問題が整理されていかなくてはいけないだろうということを述べたということだと理解していただきたいと思うんです。ただし、その市民社会の自由というものが、一方における国家シンボルの強化と、それからスポーツイベント等によるそういう情報の増大という中で侵食されていく危機感があるということを申し上げたということです。
それから、国旗と国歌ですが、これは私の記号を専門に研究している立場からいいますと、二つは違ったものです。
日の丸は、要するに白に赤の丸で、目に見える。視覚記号と我々の用語で呼びますけれども、これは時によってその意味を変えやすいという性質を持っています。それに対して君が代は、これは歌ですのでメッセージを持っています。歌詞を持っています、言葉ですね。ですから、その意味が視覚記号よりはずっと変わりにくいという特徴を持っています。
そして、君が代に対する国民の世論調査等での抵抗感が示しているのは、まさに視覚記号が移ろいやすいといいますか、我々の用語で言うと恣意性が高いと言いますけれども、その込められる意味内容が変わりやすいという視覚記号の性質と、それから歌というメッセージ性の強い記号が持っている過去を維持する性格、変わりにくいという性格との違いがここで二つの記号に対する反応に出てきているというふうに思います。
したがって、二つは違ったものであるという答えです。
この発言だけを見る →最初の、私が先ほどの答えで答えられなかった問題ですけれども、江田議員が言っている自分の生活感覚というか、市民としての生活感覚、そうしたものを大切にしていこうと。まさにそれは私が市民社会の自由ということで述べようとした問題です。そして、その領域が確保される、そのような形でこういう問題が整理されていかなくてはいけないだろうということを述べたということだと理解していただきたいと思うんです。ただし、その市民社会の自由というものが、一方における国家シンボルの強化と、それからスポーツイベント等によるそういう情報の増大という中で侵食されていく危機感があるということを申し上げたということです。
それから、国旗と国歌ですが、これは私の記号を専門に研究している立場からいいますと、二つは違ったものです。
日の丸は、要するに白に赤の丸で、目に見える。視覚記号と我々の用語で呼びますけれども、これは時によってその意味を変えやすいという性質を持っています。それに対して君が代は、これは歌ですのでメッセージを持っています。歌詞を持っています、言葉ですね。ですから、その意味が視覚記号よりはずっと変わりにくいという特徴を持っています。
そして、君が代に対する国民の世論調査等での抵抗感が示しているのは、まさに視覚記号が移ろいやすいといいますか、我々の用語で言うと恣意性が高いと言いますけれども、その込められる意味内容が変わりやすいという視覚記号の性質と、それから歌というメッセージ性の強い記号が持っている過去を維持する性格、変わりにくいという性格との違いがここで二つの記号に対する反応に出てきているというふうに思います。
したがって、二つは違ったものであるという答えです。
江
江田五月#24
○江田五月君 変わりやすいというのを逆に言えば、視覚記号としての象徴の場合には、その象徴が象徴している実態というものがいろいろ変わっていってもそれに結構ついていける。しかし、歌の方は、これはそれ自体が一つの意味を持っているから、ついていくといったって、もうそれ自体が意味なり価値なりを持ったものだということで違いがあるということになるんでしょうかね。
杉原参考人にお伺いするんですが、ごめんなさい、ちょっとはっきり聞き取れないところがあって、最初の憲法のところで、先生は宮沢俊義先生の民定憲法論に立たないことはわかったんですが、改正憲法論と占領憲法論と、どの立場にお立ちになると言われたのか、ちょっとはっきりしなかったので。
この発言だけを見る →杉原参考人にお伺いするんですが、ごめんなさい、ちょっとはっきり聞き取れないところがあって、最初の憲法のところで、先生は宮沢俊義先生の民定憲法論に立たないことはわかったんですが、改正憲法論と占領憲法論と、どの立場にお立ちになると言われたのか、ちょっとはっきりしなかったので。
杉
杉原誠四郎#25
○参考人(杉原誠四郎君) それは改正憲法論です。
占領憲法論というのは、究極に突き詰めると、日本国民の自由意思の表明する機会を与えられない状況でつくられたものであるから、それ自体が無効であるという、論理的に言うとそうなっていくんですね。それは確かに一理ある……
この発言だけを見る →占領憲法論というのは、究極に突き詰めると、日本国民の自由意思の表明する機会を与えられない状況でつくられたものであるから、それ自体が無効であるという、論理的に言うとそうなっていくんですね。それは確かに一理ある……
江
杉
杉原誠四郎#27
○参考人(杉原誠四郎君) そうですか、済みません。
ですから、学校ではそういうことは教えられません。学校では現行憲法は有効であるという前提で教えなければいけません。したがって、私の立場は改正憲法論です。
この発言だけを見る →ですから、学校ではそういうことは教えられません。学校では現行憲法は有効であるという前提で教えなければいけません。したがって、私の立場は改正憲法論です。
江
江田五月#28
○江田五月君 同じときに同じ大学で勉強したので、私たちが習った、私の方は法学部の方ですが、立場の理解は、先生は今改正憲法論、八月革命説は事実ではないからそれはとれないとおっしゃったんですが、そうじゃなくて、あの当時の憲法学というのは、事実にどういう意味付与をするかと。あの憲法の変わり方というのは、これはとても明治憲法の改正手続で、それは確かに枢密院があり、天皇の裁可があり、そして改正されたという手続はとったけれども、しかしその事実にどういう意味を与えるかということで、宮沢俊義先生がこれは革命としか言いようがないということを言ったので、事実でないからそれはとれないというのとちょっと違うと思うんですが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →杉
杉原誠四郎#29
○参考人(杉原誠四郎君) その点については、私、宮沢さんのことを一度調べたことがありますけれども、宮沢さんは例の松本委員会の筆頭委員なんですね。もともと憲法は改正する必要はないというふうな、極端に言えばですよ、そういう論者であったわけです。
そして、この憲法が改正された直後に「あたらしい憲法のはなし」という子供向けの本を書いております。そこの中では、象徴天皇制を非常に肯定しており、戦前も事実上は日本の場合は象徴天皇制であったので、そういう意味において継続されている、ちょっと今は原文がありませんので、そういうことを言われて、その直後に八月革命説を言われたんですね。それは結局、その「あたらしい憲法のはなし」で示した解釈も占領軍から事実上否定されるような状況になって、それで自分の身分について非常に危惧したところがありまして、私の推測ですけれども、それで八月革命説を唱えれば今までの自分の過去が全部清算できるものですから、そういうことで学問を打ち立てた人ということにおいて、私は非常に学者としては良識のなかった人だと思っております。
この発言だけを見る →そして、この憲法が改正された直後に「あたらしい憲法のはなし」という子供向けの本を書いております。そこの中では、象徴天皇制を非常に肯定しており、戦前も事実上は日本の場合は象徴天皇制であったので、そういう意味において継続されている、ちょっと今は原文がありませんので、そういうことを言われて、その直後に八月革命説を言われたんですね。それは結局、その「あたらしい憲法のはなし」で示した解釈も占領軍から事実上否定されるような状況になって、それで自分の身分について非常に危惧したところがありまして、私の推測ですけれども、それで八月革命説を唱えれば今までの自分の過去が全部清算できるものですから、そういうことで学問を打ち立てた人ということにおいて、私は非常に学者としては良識のなかった人だと思っております。