江田五月の発言 (国旗及び国歌に関する特別委員会)
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○江田五月君 今回の日の丸・君が代の議論の発端は、官房長官がたびたびおっしゃるように広島県の世羅高校の校長先生の出来事でした。
きょうはまた広島原爆記念日で、小渕総理も参列をして午前中式典が行われた。もう一つ、今、重要な日になるであろうと思われている九日、これは長崎の原爆記念日になる。広島のこと、長崎のことは日の丸・君が代と関係があるのかないのか。関係がある、そういう思いを持っている人も大変多いので、何か象徴的な偶然の一致を感ずるわけでございます。
私の場合でも、例えば私の父は戦前、戦争反対で二年八カ月投獄されました。父の獄舎が多分窓が北向きだったんでしょうか、南の空が見えない。行商で生活を支えて父に差し入れをする母に対して、私の父が、秋のある日でしょう、シリウスはまだ見えないかと。私は自分の主宰するグループをつくったときに、名前をシリウスとつけました。
私自身はそういう生まれですから、その時代のことはまだ生まれていないですから追体験で知るしかありませんが、原体験を持っている皆さんの強烈な思いというのはまだございます。私は、まあ器用に生きよう、もう国民みんながそう言うならいいじゃないかと思ったりしますが、しかし、いやいや、あの時代の思い出を風化させることはできないとこだわる皆さんの思いというのもやっぱりこれは大切だと思います。
そういう戦争中の日の丸・君が代が悲しい使われ方をした時代のことを話をすると、どうも何かこの委員会の中にもあるいは世間でも、残念ながらそういうことに対してあざけるといいますか罵倒するといいますか、そういう人々の心の痛みに対して何かとげとげしく反応するような風潮がある。私は、やはりこれはいいことじゃない。何かこういう日の丸・君が代の問題を議論するときにどうも物が非常に言いにくい。何なんだろうか。日の丸・君が代というものが何かしら一つ持っている不可侵性といいますか神格性といいますか、そんなことがこの社会を非常に住みにくくしているということがあるんじゃないかという気がいたします。
そんなことで、日の丸・君が代を国旗・国歌に法定することに対して抵抗する気持ちを持っている皆さんのそういう思いを、官房長官はどう思われますか。そういう思いはおかしいんだと言うのか、そういう思いは大切なんだと言うのか、そこのところをお答えください。