舩橋惠子の発言 (国民生活・経済に関する調査会)
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○参考人(舩橋惠子君) 私は、山田先生と同じく社会学なので、社会学の立場から出産・育児をめぐる社会の変化ということで一つにはお話をさせていただきたいと思います。それからもう一つは、私自身が女性であり、三人の子供の母親であるというふうな観点から、少しリアリティーのある議論ができたらというふうに思っております。
全体として言いたいことは二つございまして、一つは、出生率低下というものをどうとらえたらよいかということです。ジャーナリズムを中心としまして今ちまたに言われていることは何かずれているというふうに感じることが大変多いので、どこがずれているのかということをまず最初にお話をしたいと思います。
それから、それを踏まえまして二番目に、ではどのような社会制度をつくっていったらよいだろうか。これは、法律を直接つくることを目的としてはいらっしゃらないということですが、行く行くはそういう政策形成の方向へということも含んでおられる調査会だということですので、制度形成の基本的な考え方、理念といったものを後半、第二ポイントとしてお話をさせていただきたいと思います。
まず第一点目でございますが、出生率低下というのが新聞をにぎわすようになってもうかれこれ十年近くたちます。そのたびに私はどうもおかしいおかしいと思うんです。
三つほど大きな誤解があると思うんですけれども、誤解の第一は、合計特殊出生率が一・三九というふうな数字が出てきますと、女性が子供を産まなくなったというふうな議論がなぜか出てきます。それから、一・三九という数字ですので、一人っ子がふえたのではないか、そういう議論が大変多いんです。ところが、これは完全に間違いであります。実際に女性は平均二人ぐらい相変わらず産んでおります。これは最初に大淵先生がおっしゃったとおりに、一九七五年以降合計特殊出生率はじりじりと下がっているんですけれども、一夫婦当たりで何人産んだかという数字は二人以上を維持しております。
どうしてこういうことが起こるのかといいますと、合計特殊出生率というのはあるモンタージュ写真のようなものなんです。私もこういう人口学の専門ではないのですけれども、素人なりにわかりやすい表現をちょっととってそこに図を書いてみました。
十五歳から四十九歳までの女性の年齢別の出生率をある年度について出します。それを縦軸にとりまして、その合計を足したものが合計特殊出生率なんです。いわばこのカーブの面積のところであらわされるわけですが、一九七五年以降その合計特殊出生率が下がってきたということの背景に晩婚化、未婚化が進行したという事実があります。つまり、山田先生も今おっしゃいましたように、結婚年齢、出産年齢がどんどん後ろへずれてきているわけです。
そうしますと、実際の一人の女性が生涯に産むであろう数ではありませんで、ことしのようなペースである年齢に出産する確率があるとすれば、将来にわたって一人の女性が平均何人ぐらい産むだろうかという数字なわけですから、前半部分、若い層の出生率が落ちた分、本当はその人たちは後半になってから実際に産んでいくわけなんですけれども、そこが過小評価される。その結果、平均二人以上産んでいるんだけれども合計特殊出生率は一・三九というふうな奇妙な数字が出てくるわけです。
年齢別の出生率の変遷というのを右側の図の方に挙げておきましたけれども、実際のところ三十代の出生率というのはそんなに下がっておりません。三十代前半はむしろやや上がり気味であります。従来、非常に出産適齢期と思われていた二十代後半が大きく落ち込んでいるわけです。こういう変化からこの辺の事態というのを理解できると思います。ですから、出生率を上げたいというふうなときに、実際産んでいるところへもってきてどうして産まなくなったのだろうかというような言い方は大変おかしいわけです。
それから、誤解の二番目でございますが、女性が出産・育児よりも何か自分の生きがいですとか楽しみですとかあるいは仕事を優先するから出生率が下がってきたのではないかというふうな議論が大変多くなっています。
ところが、実際に出産・育児をめぐる現場というのを調査しておりますと、子供を産む願望というのはちっとも衰えておりません。若い女性に聞きましても、生涯子供を持ちたくないというふうに初めから考えている人はほとんどいないのです。いることはいますけれども、数値としてはまだ非常に少ない数です。現場で見ますと、そこに書きましたように大変育児熱心ですし、子供が欲しいと思っているし、育児雑誌というのはいろんな雑誌が衰退していく中で非常に売れ筋の領域ですから、現実は全然違うというふうに思われるわけです。
よく考えてみますと、二番目の矢印なのですけれども、現実の状況というのは逆説的です。なぜかといいますと、子供を丁寧に育てよう、しっかりいい子に育てようというふうに思っている人ほどたくさん産むことができない。それから、育てることが非常に負担になってくるわけです。
ここ二、三年、子供をめぐる事件が大変起こっておりまして、そのたびに親は針のむしろというふうな気分にさせられます。私も、人の親の一人としまして、当事者のことを考えるといても立ってもいられない気持ちになるんですけれども、何かというと親の責任になるわけです。もちろん親には責任があるんですけれども、しかし、こういう風潮が強まれば強まるほど子供を育てるということが大変重いことになります。
しかも、いいかげんに済ますことができずに一生懸命育てようと思えば思うほどつらい、心配だ、これだけいろいろなことが起こっていて、しかも受験競争も激しい中で、新しく子供を産んで育てて、そして立派に育ち上げていくことができるのだろうかという不安を若い女性は大変持っております。逆に、子供って適当でいいんだというふうに思っておりまして、気楽に人に預ける、平気で子供を預けて遊びに行ける、そういう女性ほどたくさん産むことができますし、また育てることがちっとも苦痛ではありません。
これはもうかなり前ですが、十年ほど前に日仏の子育てアンケート調査というのをやってみたんですけれども、フランスの女性は子育てが楽しいんですね。日本の女性はやはりつらいことが多いというのが回答としては多かったのですけれども、その背景にあるのは、フランスの女性というのは子供を平気で預けてしまいます。仕事のためだけではなくて、遊ぶためにも預けることができます。社会もそのようになっているということなんです。ですから、実際には逆で、女性が出産・育児を重く見るからこそ出生率が上がることができない。実際、一番目の誤解とちょっと重なりますけれども、気楽に育てることができる環境をつくるということが非常に重要なポイントになってきます。
昔の母親はどうだったかといいますと、実際、野良仕事などで忙しくてとてもたくさんの子供に手が回らなかったわけで、その方がむしろ子供はみずから育つ力が発揮できたとも言えるわけです。
誤解の二に関して実際どうなのかということを大きく文字にしてみますと、むしろ子育て過剰であって、子供がみずから育つというのを子育ちというふうに仮に呼ぶとしますと、子育ちが文化的に衰退してくるといいますか、そういう現状があるせいではないかというのが実態と言うことができます。
次のページに移っていただきたいと思いますが、誤解の三番目、なぜか出生率というのは上げなければいけないというふうにどなたも思っていらっしゃいます。
この出生率に関しては多角的なとらえ方が必要であるというふうに私は考えています。少なくとも四つのレベルを想定すべきではないでしょうか。
一つ目は、家族のレベル、あるいは世帯のレベルと言ってもよろしいんですけれども、家族レベルです。これは一家族当たり、一夫婦当たり平均何人というふうな数字で実態をとらえることができますが、先ほど申したように相変わらず二人です。この観点からいいますと、このレベルで言えることは、例えば三人ほしい、だけれども現状では二人しか産めないという方々のために、望む数の子供を産める社会にしていくというふうな政策が取り上げられるでありましょう。ただ、最近、理想子供数というのが若干減る傾向を見せておりまして、これは大変注目されるところです。年齢が若いほど、結婚経過年数が若いほど、それから時代が移るほど、ほんのわずかですけれども理想子供数自体が減ってきております。この解釈については時間があれば後で質疑の中で申し上げたいと思います。
それから二番目のレベルですけれども、地域のレベルというのを考える必要があります。少子化少子化というふうに言いますけれども、地域社会によって非常に状況が違います。例えば都心ですと合計特殊出生率も低いし実際その地域の中の子供の数も少ない、一夫婦当たりの子供の数も少ないというふうな一種の過疎状況というのがあります。そういう自治体で、例えば都心なんかで直面している状況と、むしろ郊外の新興住宅地あたり、若い出産適齢期のカップルがたくさん移住してくるような地域というのはちっとも子供の数は減らないわけです。合計特殊出生率は同じようにそう高くはないわけですけれども、子供がその地域で減っているということではないというふうな状況があります。例えば農村ですと逆に子供の数は一夫婦当たりかなりいるんだけれども全体として少ないというふうなそんな状況があって、自治体ごとに全然課題が違うわけです。
それから、急ぎまして、国家レベルというのがあって、国家のレベルでは、年間の要するにある年齢の子供数がこれからどんどん減ってくるというふうな、既に減っているわけですけれども、総出生児数が減ってくる、それから年少人口割合が減ってくるというふうなことで、構造的な変革が必要になってきます。
それから四番目としては、地球レベルで考えてみますと、これはむしろ人口爆発の危機ということが大きいわけでして、先進地域一人で非先進地域の五十人分のエネルギーを使用していると言われている現状では、日本の人口というのは減りますと大変効率的に地球の資源エネルギー問題が解決されていきますので、むしろ先進国では減った方がよいという議論も成り立つわけです。
ですから、どのレベルなのかということをよく考えて、立体的にといいますか、いろいろな観点から出生率というものをとらえていく必要があるだろうと思います。
トータルに見て、私の意見は、出生率低下というのはある程度避け得ない普遍的な現象であるというふうに考えています。非常に下がってしまうのか緩やかな下りなのかという違いであろうというふうに思っております。したがって、公共政策の与件というふうにとらえるべきでありまして、社会保障の制度がうまくいかない、破綻するということが予測されるのであれば、社会保障制度を変えなければならないということなわけです。これは日本だけではなくて、いわゆる高齢化、少子化先進国である欧米諸国でも同じような経緯をたどっております。
おおむね、今日私たちが出生率低下ということで問題になっている、急速な高齢化が進んでいる直接的な原因ということで言いますと、人口転換の中でちょうど高度経済成長期に労働力になった世代、そこに伊藤達也先生の分類を借りまして三つの人口学的な世代というのを挙げてメモをしておいたのですけれども、その真ん中のところです。たくさん生まれるんだけれども乳児死亡率が下がって兄弟数が多いような世代というのが一九二五年から五〇年生まれまでの間にありまして、現在、大体四十九歳から七十四歳ぐらいまでの方がその世代に当たるわけです。ここのところが高齢化の急速なカーブというものの主人公になっているわけです。
ですから、いわゆる今日の出生率低下が今の高齢化の問題を引き起こしているのではなくて、戦後の少産少死世代、第三番目の世代に移っていくそのプロセスのところで急激な少子化が起こったというところが今日の高齢化問題というところに直接結びついているという注意が必要であろうかと思います。
二ページの一番下にある図を見ていただきたいんですけれども、これもよくいろいろなところで見かける図でございますが、人口構造というのが社会構造を非常に大きく規定しているということを理解するのに大変便利な図です。大体一九五五年のところと二〇〇〇年のところに縦に二本ラインを入れておきました。
五五年ぐらいまではいわゆる従属人口指数が高い、つまり子供という形で従属人口指数が高い時代だったわけです。それが高度経済成長とその後の一世代分くらいは、つまり今日、今までの戦後の発展期というのが非常に人口学的に言うと負担の少ない、そういう大きな時代的な特徴を持っていたわけです。二〇〇〇年以降、大まかにですけれどもまた状況が基本的に変わってしまいます。これは、少子・高齢化というのがいよいよ本格的に地についてきた結果、老年人口が年少人口を上回ってかつどんどんふえていくというふうな形で従属人口がふえてくる、そういう時期なわけです。
ですから、戦後改革の時期に一つ大きな転換点があるとすれば、大体二〇〇〇年前後に今日非常に大きな構造的な転換点があるわけです。戦後五十年間やってきたような政策ですとか社会の枠組みでは、これからまたその先やっていくことができないわけです。
そういう状況に比較的日本よりも早く至ったのはヨーロッパ諸国でありまして、四角い枠をちょっと見ていただきたいんですけれども、少子・高齢化という人口構造の変化により家族介護が構造的に困難になる。これは親の面倒を見なきゃいけない子供の数というのが大体等しくなってきますので、二人・二人というのが高齢層に入ってきますと困難になってくるということです。そうすると、どこでも介護の社会化ということが課題になります。日本でも今なっております。
介護の社会化が進みますと、労働力の女性化というのは必ず起こってまいります。そうしますと、男性が育児に参加せざるを得ないし、それから育児というものを社会化せざるを得ない。そういう一種の基本パターンがこのように枠でくくったような形であらわれるわけです。日本社会は二〇〇〇年以降こういう状況の中に突入していくのだというふうに私は判断しております。
ちなみに、ヨーロッパ諸国の高齢化率一四%のころというのが何年だったかというのを追ってみますと、スウェーデンが七二年、フランスが七九年、日本が九四年でございます。ちょうどその時期に同じような社会政策をめぐる議論がそれぞれの社会で起こっております。スウェーデンやフランスも初めから福祉ですとか育児の社会化というのが進んでいたわけではありません。このような限定的な意味において、日本社会は非常に制度形成がおくれていたと思われます。アメリカがよくモデルというふうにされてきたのですけれども、この観点からいうと、アメリカは高齢化が非常に遅いので日本のモデルにはなりません。
つまり、出生率を上げなければならないというふうな何となくの暗黙の前提をとりやめて、目指す方向というのは、ある程度の少子化を前提にした上で真に子供を産み育てやすい社会、本当の意味で生活が豊かな社会というものをつくっていくことではないでしょうか。
大分時間が押してきましたので、後半の2の部分を急ぎ足でお話をさせていただきたいと思います。
制度形成の基本的な理念としましては、基本的には二つだと思います。先ほどの四角の枠の中にありました育児の社会化というのが第一点。それから第二点は、男性の育児の促進ということです。
方向一ということでいいますと、まず基本的に保育観の転換が必要であろうかと思います。親だけで子供は育たないということなんです。かつては親だけで育てていたわけではありませんで、地域社会ですとか周りのいろいろな人たちが寄ってたかって育てていたような時代があって、それがいつの間にか母親の孤立した育児というふうに構造の転換の中で戦後変わってきたわけです。それに対して、またいろいろな人たちが寄ってたかってある一人の子供の面倒を見ていくというシステムをつくっていく必要があるわけです。
ですから、親が働いているから本来親が育てるべき子供を保育園が育てるというふうな考え方ではもう成り立ちませんで、すべての子供が社会的に保育されるような、そういう権利宣言というものが必要であろうというふうに思われます。ちなみに、デンマークでは既にもうそういう権利宣言をしておりまして、すべての子供が保育の権利を持つというふうに制度形成が進んでおります。
保育所だけではありませんで、いろいろな形、家庭福祉員ですとか、それから仮に育児休業中あるいはたまたま専業主婦である期間であっても、母親一人で育てるのではないようなオープンな保育システムというものが十分に整備される必要があります。
それから、特に日本の制度を見ていて感じますのは、保育制度と教育制度が非常に分断されているということです。今回の行政改革と、それから今少しずつ出てきた動きの中で、保育園と幼稚園との統廃合というのが恐らく課題になってくると思いますが、フランスのいわゆる保育学校、エコールマテルネルという制度ですが、それは大変世界的に見てもモデルになるようなシステムであろうかと思われます。
それから次に、育児の費用の社会的な再配分が必要ですけれども、これは額をふやすということもさることながら、支援の仕方というのが非常に重要であろうかと思います。世帯主を通じてという形ではなくて、だれが子供を見ているか、家族形態、中立的な形で子供に支援する、その子供を実際見ている人に支援するというようなシステムづくりというのが必要であろうかと思います。
それからもう一つ、ぜひ声を大にしたいのは、介護保険ができたのであれば、なぜ育児保険ができないのかということです。もちろん介護保険の制度と育児保険の制度というのは当然性格が違いますけれども、育児というものにかかるコストを社会的に再配分するためのそういった一種の保険制度のようなものがあってもよかろうというふうに考えます。
時間がありませんので、男性の子育てという点についてはポイントを三点のみ項目だけ申し上げます。
一つは、父親の育児休業の取得を促すような制度ということでありまして、これは単に男女両方ともとれるということでは足りませんで、附属資料の方にヨーロッパの方の育児休業制度の一覧表をつくって載せたのですけれども、育児休業制度の設定の仕方次第で男性がとりやすいかとりにくいかということが大分違ってくるんです。そこに書いてありますように、期間が長い、給与に連動した高水準の給付、これが育児保険ということであるんですけれども、そういう給付の高さ、それから柔軟にとれる、フレキシビリティーがある、単一期間まとまってとるのではなくて時間でとれるというようなことです。それから、男性がとらないと権利が消えてしまうような割り当て制というようなことが大変重要な条件であろうと思います。
それから、父親労働者が育児にかかわれるような労働慣行ということもぜひ確立していきたいというふうに思います。
それから、男性保育者をふやすということです。お父さんばかりではなくて、実際、保育の現場あるいは乳幼児が教育される現場で男性も多く働くというようなことが大変重要になってくると思われます。
あえて単純化して言えば、今の日本というのは、男性が職業労働を十二時間やって過労に陥っていて、女性が育児を十二時間やって拘束感にさいなまれているというのが現実です。そうではなくて、男女とも六時間働いて六時間育児をした方が同じ労働時間であるならばはるかに豊かな社会と言えるのではないでしょうか。極めて単純化した言い方ではありますけれども、御理解いただければと思います。
どうも延長いたしまして申しわけございません。