国民生活・経済に関する調査会

1999-04-16 参議院 全56発言

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会議録情報#0
平成十一年四月十六日(金曜日)
   午後一時三分開会
    ─────────────
   委員の異動
 三月三日
    辞任         補欠選任
     齋藤  勁君     円 より子君
     但馬 久美君     山下 栄一君
 四月十五日
    辞任         補欠選任
     前川 忠夫君     輿石  東君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         久保  亘君
    理 事
                長峯  基君
                成瀬 守重君
                平田 健二君
                山本  保君
                畑野 君枝君
               日下部禧代子君
                阿曽田 清君
                松岡滿壽男君
    委 員
                金田 勝年君
                岸  宏一君
                斉藤 滋宣君
                田中 直紀君
                中原  爽君
                日出 英輔君
                松村 龍二君
                輿石  東君
                円 より子君
                藁科 滿治君
                沢 たまき君
                山下 栄一君
                西山登紀子君
                清水 澄子君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        村岡 輝三君
   参考人
       中央大学経済学
       部教授      大淵  寛君
       東京学芸大学教
       育学部助教授   山田 昌弘君
       桜美林大学国際
       学部教授     舩橋 惠子君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○国民生活・経済に関する調査
 (「次世代の育成と生涯能力発揮社会の形成に
 関する件」のうち、少子化の要因と対応につい
 て)

    ─────────────
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久保亘#1
○会長(久保亘君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 去る三月三日、齋藤勁君及び但馬久美君が委員を辞任され、その補欠として円より子君及び山下栄一君が選任されました。
 また、昨十五日、前川忠夫君が委員を辞任され、その補欠として輿石東君が選任されました。
    ─────────────
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久保亘#2
○会長(久保亘君) 理事の補欠選任についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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久保亘#3
○会長(久保亘君) 御異議ないと認めます。
 それでは、理事に平田健二君を指名いたします。
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久保亘#4
○会長(久保亘君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、次世代の育成と生涯能力発揮社会の形成に関する件のうち、少子化の要因と対応について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、中央大学経済学部教授大淵寛君、東京学芸大学教育学部助教授山田昌弘君及び桜美林大学国際学部教授舩橋惠子君に御出席いただき、御意見を承ることといたします。
 この際、参考人の皆様に一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人の皆様におかれましては、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております次世代の育成と生涯能力発揮社会の形成に関する件のうち、少子化の要因と対応について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず少子化の進展が経済社会に与える影響と対応策について大淵参考人、非婚化・晩婚化の経済的、社会的、心理的要因について山田参考人、家族をめぐる社会環境の変化と少子化対策について舩橋参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただきました後、二時間程度各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。
 質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていただきたいと存じます。質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って質疑を行うようお願いいたします。
 また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくようよろしくお願いいたします。
 なお、参考人からの意見陳述、各委員からの質疑及びこれに対する答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、大淵参考人からお願いいたします。
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大淵寛#5
○参考人(大淵寛君) 中央大学の大淵です。御指名ですので、意見を申し上げます。
 時間が限られておりますので、お手元にお配りいたしました資料のすべてにわたってこの時間内にお話しすることはできませんので、かいつまんで要点のみお話しいたしまして、それ以外の点については後ほど質疑の中でお話しいたしたいと思います。
 まず、今問題になっております少子化ということの意味について少しく申し上げておきたいと思います。
 少子化と申しますのは、一般的には出生率あるいは出生数の減少あるいは低下を意味することが多いのでありますが、多少専門的に申しますと、人口置きかえ水準以下への出生率の低下をいうというのが正確な意味合いであります。
 この置きかえ水準と申しますのは、お手元の資料の一ページ目、図表1に図を挙げておきましたけれども、ある死亡率のもとで人口を増減のない状態に保つのに必要な出生率のことをいいます。
 いわゆる合計特殊出生率、私はもう合計出生率と申しておりますが、これで表現いたしますと、現在の日本における死亡確率のもとで二・〇七に相当いたします。合計出生率といいますのは、一人の女性が生涯に産む平均的な子供数と近似的に言われているものであります。
 少子化は、一九七〇年代の半ば、第一次石油危機後の低成長への転換と軌を一にして始まりまして、既に四半世紀を経過しております。したがいまして、少子化の人口的な影響は年齢で申しますと二十歳代の半ばまで及んでおりまして、若年層の人口は確実に減少を続けております。しかし、二十代半ば以上の人口は過去の比較的に高い出生率のために増加しておりまして、そのため全体としての日本人口は今なお若干の増加を続けております。
 このように、少子化、つまり置きかえ水準以下の低出生率が四半世紀も続いているにもかかわらず日本人口はまだ減少しておりません。これは、人口増加に惰性、惰力とか慣性とも申しますが、これが働いているためでありますが、やがてその惰性も消滅して日本人口は減少局面を迎えるのであります。
 少子化の人口的な帰結の第一はこのように人口の減少であります。これは図表3にありますとおり、国立社会保障・人口問題研究所、略して社人研と言っておりますが、この社人研の一九九七年の推計によりますと、日本人口のピークは二〇〇七年で、十年足らずでピークを迎え、その後持続的な減少が始まります。人口減少にも惰性が働きますので、出生率が近い将来に置きかえ水準を回復しそれを上回っても人口が反転増加するということはすぐにはないわけで、少なくとも数十年はかかるわけであります。したがって、現状では日本人口が二十一世紀を通じて減少し続ける、あるいは二十二世紀に入っても減少し続けるということはかなりの確度を持って言えるわけであります。
 もう一つ、少子化がもたらす人口的な帰結は人口の高齢化であります。これは図表2と4にありますが、世界一のスピードで、しかも世界で最も高水準の高齢化が二十一世紀に到来することをその図表2などはよく示しております。
 さて、図表1の一番最後の時点は一九九七年でありますが、このときの合計出生率は御承知のとおり史上最低の一・三九という水準でありました。昨年の数字はまだ発表されておりませんが、ほぼそれと同水準であると推定されます。戦前水準は合計出生率にして四から五の間でありました。戦後のベビーブーム時も同様であります。この一・三九というのはその三分の一かそれ以下であり、置きかえ水準の三分の二に相当いたします。
 これが将来不変のまま続きますとどうなるか。五十一年、およそ半世紀で半減いたします。そして、百六十九年で十分の一になります。したがって、それが続きますと、およそ五百年で千分の一、千年で百万分の一になります。つまり、現在一億二千六百万の日本人口がわずか千年でおよそ百五十人ほどに減少してしまうわけであります。事実上、日本人は地球上から姿を消します。それほどに現在の日本の出生率は低いということでありまして、これはもちろん計算上のことではありますけれども、この低出生率の持続は日本の国と民族の生存にかかわる重大問題であると私は認識すべきだと考えております。
 さて、この少子化の要因でありますが、これは人口学的には女性の晩婚化が唯一の要因だということがわかっております。
 日本における出産の九九%が結婚の中で起こっております。逆に言えば、いわゆる婚外子はわずか一%にとどまっております。つまり、日本人は結婚しなければ子供を産まないわけであります。結婚が遅いために出産が遅くなる、晩婚化が晩産化を生み、それが少子化につながっているというのが現在の構図であります。結婚した女性の子供の産み方はほぼ一貫して変わっておりません。したがって、少子化というのはやや厳密さを欠くものでありまして、晩婚化が平均的な子供数を減らしているというのが実態であります。
 さて、この少子化がどのような影響をもたらすか、これを若干経済的な側面から申し上げたいと思います。
 まず、経済成長に対する影響でありますが、経済成長の要因は大きく分けて供給面と需要面に分かれます。
 まず、供給面への影響として、労働供給、これは来世紀早々から減少を開始いたします。図表5と6に示されておりますが、その減少とともに女性化、高齢化も進展いたします。第二に資本供給、これは国内貯蓄が主な源泉でありますが、これも将来的には減少するであろう。当面は私の推定では減少しないということになっておりますけれども、将来はそうはいかない。資本供給も減少に転ずるだろうと思っております。第三に技術進歩でありますが、高齢化は特に技術の開発、応用、利用等に不利な影響を及ぼします。このように、成長要因のうち供給面ではいずれもマイナスの効果を持つと考えられます。
 他方、需要面への影響でありますが、まず消費需要であります。人口の減少は、これは明白に市場規模を縮小いたします。これは図表8に示されております。また、投資需要は、消費の伸び悩みによって企業家の投資意欲がそがれることにより、これも減少いたします。現在の不況がこの要因によって起こっていることは御承知のとおりであります。
 以上二つの側面は、いずれも国内的な要因でありまして、海外との関係を考慮しておりません。そこで、輸入輸出あるいは公的部門などを考えてみますと、労働供給については例えば外国人労働者を受け入れればいいではないかという考え方もありますが、これは景気のショックアブソーバーになりやすいこと、文化的な摩擦や犯罪の増大などを引き起こしかねないことなど問題も数多くあります。また、外資導入、資本の不足を外資によって補う、あるいは国内的な技術開発のおくれを技術導入によって賄うということも不安定要因につながる要素であります。また、国内需要の減少を輸出によって補うとすれば、これは直ちに貿易摩擦を引き起こすことになります。
 したがいまして、国内的には低成長とはいえ十分な豊かさを保持するであろうと私は考えております。図表の9と10にそれが示されておりますが、したがってこれ以上それほど急速な成長を望む必要は少ないのではないか。他方、国際的には、日本は世界経済の牽引車的な役割を期待され、また内需主導型の経済成長を要請されておりますので、こうした国内外のジレンマが今後ますます難しい問題を引き起こすであろうと考えられるわけであります。
 それから、社会保障に対する影響でありますが、急速な高齢化はよく知られているように年金、医療を中心に社会保障財政を破綻に導きます。これは図表11、12に示されます。また、医療、保健、福祉、介護需要の急増の一方でマンパワーの不足が激化するであろうことが懸念されます。これは図表13と14に推計が行われております。このような負の影響が非常に大きいであろうと思われますが、持続的な人口減少と急速な高齢化が今や不可避でありますから、これにどう対応するかということが次の大きな課題になります。
 現在の経済社会システムはすべて過去の右肩上がりの時代に適合したものでありますが、来世紀の日本は近代化に入って初めて右肩下がりの時代を迎えます。異なるシステムを必要とするようになるわけであります。ここにいわゆる構造改革、構造調整、構造転換といったことが問題になります。行財政のスリム化、地方分権化、規制緩和、民間活力の活用といったこと、また新規産業、例えば情報、バイオ、シルバーなどの育成や高度情報化の促進、日本型雇用慣行の見直しや雇用形態の多様化、女性、高齢者、外国人労働者の活用、労働力の質的向上と流動化、技術開発の促進や国際競争力の強化といったことがこの人口減少社会への適応策として強く求められるのであります。
 しかし、このような人口減少と高齢化に対応する構造調整だけでは実は不十分なのであります。現在の出生率は先ほど申し上げたとおり余りに低過ぎますので、やはりある程度は引き上げざるを得ないのであります。長期的には国家、民族の存亡にかかわる大問題だということもありますけれども、中期的にも出生率の回復が人口減少と高齢化の速度を緩める効果を持つからであります。人口減少にも惰性が働きますので出生率の回復が直ちに人口を制止させる、あるいは増加に結びつくわけではありませんが、若年労働力の補給、年金、医療財政の改善、消費需要の拡大などに貢献することが期待されます。
 ただ、出生率の回復が必要だといっても、第二次大戦中のように産めよふやせよというのは余りに時代錯誤であります。民主国家日本として現在なし得ることは、産みたいけれども経済的その他の理由から欲するだけの子供を持てないでいる人々の制約条件を取り除くこと、つまり環境整備、障害の除去によってそれを改善する、そこに立法、行政の重要な役割があるであろう。
 最後に、少子化対策について若干申し上げますと、もう時間がありませんのでこの表を後でごらんいただきたいのでありますが、五ページ、六ページにありますように大きくは制度改革と意識改革とに分かれる。制度だけを変えても、人の意識をきちっと改革していかなければやはりこの問題は解決しないであろうということを申し上げて、私の意見をとりあえず終わりといたします。
 以上でございます。
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久保亘#6
○会長(久保亘君) どうもありがとうございました。
 次に、山田参考人にお願いいたします。
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山田昌弘#7
○参考人(山田昌弘君) 今御紹介にあずかりました東京学芸大学助教授の山田昌弘と申します。こういうところは初めてで非常に緊張しておりますので、もしかしたら失礼な発言をするかと思いますが、その際は御容赦ください。
 私がこういう場に呼ばれた理由というのは多分二点あると思います。一つは、私は現在四十一歳でございます。多分、若い人の意識や実態というものを調査等で知り得る立場だということが第一点だと思います。第二点は、私は社会学というのをやっておりまして、もともと家族の愛情とお金の関係について研究してきたものでございます。そのために、経済的な要因と心理的な要因の二つを絡めて考えることが必要なのではないかという点からもしかしたら貢献できるのかもしれません。
 きょうは「非婚化・晩婚化の経済的、社会的、心理的要因について」ということで、いわゆる少子化に係る非婚化、晩婚化、つまり結婚しない人がふえているというところに関する私の見解を述べさせていただきたいと思います。
 レジュメに従って御報告させていただきます。
 まず、未婚化、晩婚化の実態なのですが、少子化の直接要因の一つがいわゆる未婚化、晩婚化、つまり結婚をおくらせる人、しない人がふえているということであることは皆さん御存じの人も多いかと思いますが、実はその実態についてはかなり誤解が多いところがあります。
 まず第一点としては、日本の未婚者の大部分は親と同居している未婚者ということです。
 未婚者、結婚していない人、独身者というと普通はひとり暮らしを想像しますが、実はこれは日本だけの特徴でございます。二十歳から三十四歳の未婚者のうち、いわゆる結婚適齢期と言われる未婚者のうち、男性約六割、女性約八割が親同居未婚者です。その割合は近年増大しています。別冊の図表の方とあわせて見ていただけるとわかりやすいと思うのですが、図1に示しました。そして、私はこれをパラサイト・シングル、親に寄生して生きるシングルというふうに二年前に名づけたんですけれども、つまり親の豊かさに支えられてリッチな生活をしている人が非常に多い層なわけです。
 第二番目としては、いわゆる未婚にとどまる男女の属性が異なっていて、その両者が結婚する確率は非常に低いのではないかというふうに予測されるわけです。つまり、結婚難に陥っている人の属性は男女で非常に異なっています。
 まず、女性から先にいいますと、女性では、父親の経済力が高く親と同居する専業主婦志向の女性がむしろ結婚難に陥っているのではないかと私は推定します。キャリア志向、つまり仕事をしたいから結婚しないという人は確かにいるんですけれども、私の調査などでは、結婚をあきらめてまでしたい仕事をする、しているというふうに言う女性というのはむしろ非常に少なかったと分析しております。ということはどういうことかというと、結婚して主婦となったときに今の生活よりも低くなるような結婚はしない、そして苦労してまで両立させたいと思う仕事をしたいと思っている女性は少ないわけです。つまり、多くの女性は周縁労働をしているのであって、仕事が夢で、それで結婚しないという女性はむしろ少数派だと私は思います。
 男性の方は、むしろ経済力に自信のない男性に結婚難が起こっています。つまり、豊かな生活を一人の収入で支える自信のない男性というのは結婚をためらうそうです。
 結婚には相手がいます。つまり、自分がいいといっても相手がオーケーしなければだめですし、相手がいいといっても自分が嫌だといえば結婚は成り立たないわけです。つまり、男女において、結婚していない人の間でそういう意味での構造的ミスマッチが起こっているというところをまず事実として認識しなくてはいけないと思います。
 三番目は、経済の低成長化というところです。
 私は、女性の職場進出というものは未婚化の原因ではなくて結果であると解釈しております。図4を見ていただくとわかると思いますが、オイルショック以降、これは経済成長率と平均初婚年齢の経年変化を見てきたものですけれども、いわゆる高度成長時代は平均初婚年齢が低かった。しかし、オイルショック後、経済成長が鈍化するとともに男女とも平均初婚年齢の上昇が始まっております。
 次に、二番目として、未婚化、晩婚化の原因について述べさせていただきたいと思います。
 この実態を踏まえますと、未婚化、晩婚化、少子化の原因というのは三つに整理できると思います。
 一つは、息子や娘に苦労をさせたくないという親、子供のためにという意識が非常に強いところだと思います。つまり、子供のためにという意識は二通りの回路で未婚化、少子化をもたらします。
 まず一つは、いわゆるパラサイト・シングルをつくり出す。今言ったように、親が子供を自分のところに同居させ続けるという状況をつくり出すことです。つまり、結婚して独立した生活をすると生活水準が落ちるから結婚をおくらせます。女性は、男性もそうなんですけれども、親が基本的生活を保証してくれるから結婚しなくてもやっていけるわけです。つまり、女性は、社会進出が起こってひとりでもやっていけるから結婚をしないのではなくて、親元に住んでいて、親の不動産を相続できて、とりあえず親が家事をやってくれるとか、そういうふうにいい生活をしているからなかなか結婚をしないと私は分析いたします。
 逆に、欧米で結婚が多いのは、欧米は成人すれば親の家から追い出されてひとり暮らしが求められます。そうすると、結婚なり同棲なりを行ってカップルが一緒に住むことを選択し、一緒に住み始めると子供が産まれるという形になっていると思います。
 第二番目には、経済力がないと結婚し子供をつくることをためらうという傾向が非常に強いわけです。つまり、子供は自分が育った以上の豊かな環境で育てたいという意識が今の若者に強いわけです。今の二十代、三十代の若者というのは豊かな親のもとで育っていますから、自分は個室を与えられたとか、ピアノとかスポーツ教室に通わせてもらったというふうに、親からたくさんのいろいろなことを受けているわけです。それで、いざ自分が子供を産んだ際、親の収入が少ないと子供がかわいそうだとか、三歳まで専業主婦でいなければ子供がかわいそうだという意識が強過ぎるがゆえに子供を産むのをためらったり子供の数を少なくしたりするわけです。
 また、将来においては、高い大学の授業料を親が負担しているのは日本のみでございます。御存じのように、ヨーロッパは国が出していますし、アメリカは高い授業料を自分の働きやアルバイトや将来への奨学金で負担しております。つまり、高校を出れば、子供が独立して、別のところにやって、高等教育の費用も負担しないというふうな欧米であれば子供を産んでも将来の負担にはならないんですけれども、日本は、大学教育の費用どころか、結婚式やらそういう費用さえも親が負担しようとする意識が逆に子供の数を減らす要因になっているわけです。多分、韓国で今少子化が急速に進行しているというのは、日本と同じように、子供のために親は何でもするべきだという意識が強いところから来ているんだと私は判断いたします。
 第二番目には、専業主婦志向の強さです。
 ここで専業主婦志向と一応言いましたけれども、経済的に言えば、専業主婦とは夫の経済力に自分の生活水準が連動する存在というふうに私は定義しております。例えば、パートで年百万円稼いだところでそれほど収入、いわゆる生活の足しにしかならないわけで、つまり自分が生活水準を決められるのではなくて、例えば夫の収入が余りなければそこそこの生活、高ければ高い生活ができる存在であるわけです。つまり、同じ家事をするのでしたら夫の収入は高い方がいいわけです。
 となると、男女の相手の選び方というのは、やはり今でも違っております。つまり、女性にとって結婚というのは一種の生まれ変わりとなります。生まれ変わりというのは、親の家の経済水準から夫の家の経済水準へという形での移行なわけです。となりますと、女性はどうしても経済力のつきそうな夫を求める傾向が今でも非常に強く残っています。親の方も経済力の見通しがない男性との結婚には反対いたします。つまり、現在、低成長化になりまして、自分の父親よりも、もちろん今とは言いませんが、収入が高くなりそうな男性がなかなか見つからない状況に今あるというところが女性の結婚難なわけです。
 男性の方は、私は幾つか調査をいたしましたが、妻子を養って豊かな生活が送れるほどの収入になるまで結婚をおくらそうとする傾向があります。つまり、家事を手伝えと言われるような女性は嫌いだとか、育児を要求されるなら子供は要らないといったように、ただ単に男性が育児を手伝えば子供を産むかといったら、またそれは別の問題だと、もちろんそれは必要なことなんですけれども、それはまた別の問題だと私は思っております。
 そして、経済の低成長化が加わりまして、子供のためにという志向が非常に強過ぎること、専業主婦志向が非常に強過ぎること、そしてそれに経済の低成長化という条件が重なって、その組み合わせが日本における未婚化、少子化をもたらしたというふうに私は思っています。
 つまり、若い人は親元で豊かな生活を送っているわけです。そして、若い男性の収入では専業主婦のまま豊かな生活は送れない経済状況になっているわけです。すると、生活水準が高い豊かな生活をしているのに、結婚をしてわざわざ苦労して子供を育てるというような生活をしたくないというような若者の意識が結婚をためらわせているわけです。
 時間がないので三番に行かせていただきます。
 これを戦後の歴史に照らし合わせてみますと、経済の高度成長期、いわゆる一九五五年から一九七三年までは非常に結婚は容易でした。
 それは第一に、親が余り豊かでなかったからです。つまり、親元にいても余り生活は豊かでないし、地方から都会に出てきてひとり暮らしで生活が豊かではない。そうしますと、結婚しても生活水準が落ちなかったわけです。つまり、結婚をすれば生活水準が上昇する期待が持てた時代に高度成長はあったわけです。
 第二番目には、戦後の日本の高度成長期は専業主婦が普及した時代でございます。つまり、戦前までは農業社会でしたので、女性は皆外で農作業、自営業等で働いていました。そして、サラリーマン化が起こった時期に、農作業などで働かなくてもよい専業主婦になることは高度成長期の若い女性にとって夢で、あこがれであったわけです。そして、父親以上に経済力がつきそうな夫が容易に見つかったという点も大きいと思います。
 三番目に、もちろん経済の高度成長という条件が多いと思います。結婚して若いうちは貧しくても、徐々に社会が豊かになっていく、つまり若い男性の収入が上昇しましたので、今貧しくても将来の家庭生活に夢を見ることができた時代だということがあります。つまり、結婚や子育てが夢であったのは、結婚前の生活が貧しく、社会が豊かになりつつある時期だったからです。
 一九七〇年代の半ば、つまり経済の低成長化とともに一億総中流化が起きて、そこそこ豊かな社会が実現しました。年功序列も完成し、親の代の収入は高くなり、若者の収入が低くなりました。そして、都会で豊かに育った子、つまりサラリーマン・専業主婦の子が成長して結婚適齢期に達したときに未婚化が起きたわけです。つまり、若い男性一人の給料では結婚して専業主婦のまま豊かな生活を維持することができなくなった、そのために日本では未婚化、晩婚化が起きたと考えられます。つまり、男性の収入が高くなるまで親と同居して待つということが行われているわけです。
 欧米でも、一九六〇年代まではサラリーマン・専業主婦が主流でした。欧米で異なっていたのは、一九七〇年代の不況のときに専業主婦のままでは生活できない事態になったんですけれども、親からの独立を求められていましたので、男女二人の収入を合わせないとそこそこ豊かな生活は送れないということを覚悟したわけです。そのために、特にアメリカ、イギリス、北欧といった諸国では少子化というものは日本に比べれば影響は少なかったと考えられます。
 そこに「日本との違い」と書きましたけれども、子供は成人したら親から独立するという自立意識、そして女性労働が周縁労働ではなくて男性と対等に近い収入が得られた、この二つの条件があったために欧米では夫婦二人の収入で生活を支え、そこそこの豊かさの中子供を育てるということが実現したんだと思います。
 しかし、日本ではそうはなりませんでした。それは先ほど言ったように、パラサイト・シングル化ということが起きてきたからです。
 五ページの四番のところに移ってください。そして、図7というのをごらんください。
 その親同居未婚者というのは今、日本で一番豊かな層になっております。今、日本で一番豊かで小遣いを持っている層は何かといったら、親と同居している未婚者なのです。これは世論調査から出たものですけれども、一九九七年末のデータですけれども、生活に対する満足度で一番高いのは二十代女性、詳しいデータは私はもちろん手に入れられませんが、それも多分未婚女性がこれを高めているんだと思います。去年と比べた生活の向上感においても、この不況の中、五十代、六十代が低下していると答える中、唯一二十代若者、特に女性に向上している人が多くなっているわけです。
 私はそういう目的で親と同居する未婚者をここ数年間調査しているわけですけれども、同居の親に払うお金というのはせいぜい月に一万円から三万円。もちろん収入は働いて四、五年たてば手取りで十五万とかになりますので、つまり自由に使える小遣いが十万以上という人が、特に若い女性にざらにいるわけです。
 図8を見てください。
 さらに、未婚社会人の自由に使える小遣い額ですけれども、男性は六・九万円、女性は八万円。これが結婚すると同時に男性三・九万円、女性三・一万円に落ちてしまうわけです。そして、家事は事実上専業主婦の母親がやってくれています。私の調査でも、男性も女性も同じように親と同居する未婚者、働いている未婚者の八割はほとんど全く家事を行っていません。私がある調査をしたところ、未婚者は男性の方が家事をやっているという調査結果が出ました。それはなぜかといえば、男性の方がひとり暮らしをしている割合が多いので、結果的に男性の方が家事をやっている人が多くなってしまうわけです。
 これは実は経済的な影響もかなり及んでいると思います。つまり、パラサイト・シングル、いわゆる親と同居する未婚者で生活を親に支えてもらっている未婚者というものは、ぜいたく品消費やレジャーはするけれども、基礎的な消費はしません。親元に同居する限り住宅費、光熱費は要らないし、家電製品も共有できます。気に入ったものだけを消費して、好きな仕事だけをするという状況、親が生活を支えているからそういう状況にいるわけです。
 そして、この量を計算して私も驚いたのですが、二十歳から三十五歳まで人口は約二千五百万人います。そのうち親と同居する未婚者は男女五百万人ずつ、一千万人いるわけです。これほどの親同居未婚者がいる社会は史上世界的に初めてだと思います。この彼らがひとり暮らしを始めたり結婚して新たな世帯を持てば、住宅、家具とか家電製品とか需要が喚起されます。親元にとどまって生活する限りこれらの消費はふえないわけです。
 つまり、私は経済学においては素人なのですが、素人の目から見ても、いわゆる世帯分離が思ったように進まないことが日本社会の経済の有効需要というのを減退させています。もちろん、バブル期は買いかえ需要は喚起されますが、例えば一千万人の親元同居未婚者のうちの一割が独立してひとり暮らしを始めただけで住宅百万戸の需要が、アパート百万戸の需要が出ますし、その一割が結婚しただけで五十万戸の新居の需要が出るわけです。
 では、これが将来どうなるかというと、パラサイト・シングルの不良債権化と私は名づけたのですが、女性はいつか相対的に収入が高い男性があらわれて豊かな専業主婦生活が送れるという夢を抱いています。しかし、経済力に自信のない男性は、いつか収入が高くなって専業主婦を養い子供を豊かな環境で育てることができるという夢を抱いています。これが破綻するのは目に見えています。
 もう時間がなくなりましたので、「有効な少子化対策とは」というところで、私が思いつくことは余りないのですが、荒唐無稽というふうに笑われるかもしれませんが、三つのことを一応意見として述べたいと思います。
 一つは、成人した若者、特に娘なんですけれども、親から独立させるということ。そのためには、もちろん若者の自立支援の政策、つまり親に頼らなくてもそこそこ豊かな生活を送れるようにする、ひとり暮らしの若者や若いカップルを支援するということ、給与の年功序列をやめ、若者に手厚い配分、親から独立しながら自分の能力をつけられるシステムといったものが必要ではないかと思います。
 二番目は、多分実現は不可能だと思いますが、私はある雑誌で親同居税を提案したら、多分不可能だろうというふうに言われたんですけれども、親の経済負担を贈与とみなして贈与税をかけるということがもし可能なら対策にはなるのかなという気はいたしております。
 二番目には、専業主婦体制のリストラクチャリング、つまり夫婦二人で働いて、家事、育児を分担して、そこそこ豊かに生活できるシステムをつくる。これは多分舩橋先生の方から詳しく述べていただけると思いますので、詳しくは省略いたします。
 三番目は、「結婚、子育ては現実、各自が各自の夢を見つける社会へ」と書きましたが、最近、結婚、子育てに夢をというような言葉が躍っておりますが、私は、むしろ夢がないから結婚しないのではなくて、非現実的な夢、女性だったらいつか収入の高い彼があらわれて私を専業主婦にして豊かな生活になれるんじゃないか、男性でしたらいつか収入が高くなって専業主婦が得られるんじゃないかという夢を見続けているからこそ結婚をためらっているんではないかという気がいたします。
 どうも長い間ありがとうございました。
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久保亘#8
○会長(久保亘君) ありがとうございました。
 次に、舩橋参考人にお願いいたします。
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舩橋惠子#9
○参考人(舩橋惠子君) 私は、山田先生と同じく社会学なので、社会学の立場から出産・育児をめぐる社会の変化ということで一つにはお話をさせていただきたいと思います。それからもう一つは、私自身が女性であり、三人の子供の母親であるというふうな観点から、少しリアリティーのある議論ができたらというふうに思っております。
 全体として言いたいことは二つございまして、一つは、出生率低下というものをどうとらえたらよいかということです。ジャーナリズムを中心としまして今ちまたに言われていることは何かずれているというふうに感じることが大変多いので、どこがずれているのかということをまず最初にお話をしたいと思います。
 それから、それを踏まえまして二番目に、ではどのような社会制度をつくっていったらよいだろうか。これは、法律を直接つくることを目的としてはいらっしゃらないということですが、行く行くはそういう政策形成の方向へということも含んでおられる調査会だということですので、制度形成の基本的な考え方、理念といったものを後半、第二ポイントとしてお話をさせていただきたいと思います。
 まず第一点目でございますが、出生率低下というのが新聞をにぎわすようになってもうかれこれ十年近くたちます。そのたびに私はどうもおかしいおかしいと思うんです。
 三つほど大きな誤解があると思うんですけれども、誤解の第一は、合計特殊出生率が一・三九というふうな数字が出てきますと、女性が子供を産まなくなったというふうな議論がなぜか出てきます。それから、一・三九という数字ですので、一人っ子がふえたのではないか、そういう議論が大変多いんです。ところが、これは完全に間違いであります。実際に女性は平均二人ぐらい相変わらず産んでおります。これは最初に大淵先生がおっしゃったとおりに、一九七五年以降合計特殊出生率はじりじりと下がっているんですけれども、一夫婦当たりで何人産んだかという数字は二人以上を維持しております。
 どうしてこういうことが起こるのかといいますと、合計特殊出生率というのはあるモンタージュ写真のようなものなんです。私もこういう人口学の専門ではないのですけれども、素人なりにわかりやすい表現をちょっととってそこに図を書いてみました。
 十五歳から四十九歳までの女性の年齢別の出生率をある年度について出します。それを縦軸にとりまして、その合計を足したものが合計特殊出生率なんです。いわばこのカーブの面積のところであらわされるわけですが、一九七五年以降その合計特殊出生率が下がってきたということの背景に晩婚化、未婚化が進行したという事実があります。つまり、山田先生も今おっしゃいましたように、結婚年齢、出産年齢がどんどん後ろへずれてきているわけです。
 そうしますと、実際の一人の女性が生涯に産むであろう数ではありませんで、ことしのようなペースである年齢に出産する確率があるとすれば、将来にわたって一人の女性が平均何人ぐらい産むだろうかという数字なわけですから、前半部分、若い層の出生率が落ちた分、本当はその人たちは後半になってから実際に産んでいくわけなんですけれども、そこが過小評価される。その結果、平均二人以上産んでいるんだけれども合計特殊出生率は一・三九というふうな奇妙な数字が出てくるわけです。
 年齢別の出生率の変遷というのを右側の図の方に挙げておきましたけれども、実際のところ三十代の出生率というのはそんなに下がっておりません。三十代前半はむしろやや上がり気味であります。従来、非常に出産適齢期と思われていた二十代後半が大きく落ち込んでいるわけです。こういう変化からこの辺の事態というのを理解できると思います。ですから、出生率を上げたいというふうなときに、実際産んでいるところへもってきてどうして産まなくなったのだろうかというような言い方は大変おかしいわけです。
 それから、誤解の二番目でございますが、女性が出産・育児よりも何か自分の生きがいですとか楽しみですとかあるいは仕事を優先するから出生率が下がってきたのではないかというふうな議論が大変多くなっています。
 ところが、実際に出産・育児をめぐる現場というのを調査しておりますと、子供を産む願望というのはちっとも衰えておりません。若い女性に聞きましても、生涯子供を持ちたくないというふうに初めから考えている人はほとんどいないのです。いることはいますけれども、数値としてはまだ非常に少ない数です。現場で見ますと、そこに書きましたように大変育児熱心ですし、子供が欲しいと思っているし、育児雑誌というのはいろんな雑誌が衰退していく中で非常に売れ筋の領域ですから、現実は全然違うというふうに思われるわけです。
 よく考えてみますと、二番目の矢印なのですけれども、現実の状況というのは逆説的です。なぜかといいますと、子供を丁寧に育てよう、しっかりいい子に育てようというふうに思っている人ほどたくさん産むことができない。それから、育てることが非常に負担になってくるわけです。
 ここ二、三年、子供をめぐる事件が大変起こっておりまして、そのたびに親は針のむしろというふうな気分にさせられます。私も、人の親の一人としまして、当事者のことを考えるといても立ってもいられない気持ちになるんですけれども、何かというと親の責任になるわけです。もちろん親には責任があるんですけれども、しかし、こういう風潮が強まれば強まるほど子供を育てるということが大変重いことになります。
 しかも、いいかげんに済ますことができずに一生懸命育てようと思えば思うほどつらい、心配だ、これだけいろいろなことが起こっていて、しかも受験競争も激しい中で、新しく子供を産んで育てて、そして立派に育ち上げていくことができるのだろうかという不安を若い女性は大変持っております。逆に、子供って適当でいいんだというふうに思っておりまして、気楽に人に預ける、平気で子供を預けて遊びに行ける、そういう女性ほどたくさん産むことができますし、また育てることがちっとも苦痛ではありません。
 これはもうかなり前ですが、十年ほど前に日仏の子育てアンケート調査というのをやってみたんですけれども、フランスの女性は子育てが楽しいんですね。日本の女性はやはりつらいことが多いというのが回答としては多かったのですけれども、その背景にあるのは、フランスの女性というのは子供を平気で預けてしまいます。仕事のためだけではなくて、遊ぶためにも預けることができます。社会もそのようになっているということなんです。ですから、実際には逆で、女性が出産・育児を重く見るからこそ出生率が上がることができない。実際、一番目の誤解とちょっと重なりますけれども、気楽に育てることができる環境をつくるということが非常に重要なポイントになってきます。
 昔の母親はどうだったかといいますと、実際、野良仕事などで忙しくてとてもたくさんの子供に手が回らなかったわけで、その方がむしろ子供はみずから育つ力が発揮できたとも言えるわけです。
 誤解の二に関して実際どうなのかということを大きく文字にしてみますと、むしろ子育て過剰であって、子供がみずから育つというのを子育ちというふうに仮に呼ぶとしますと、子育ちが文化的に衰退してくるといいますか、そういう現状があるせいではないかというのが実態と言うことができます。
 次のページに移っていただきたいと思いますが、誤解の三番目、なぜか出生率というのは上げなければいけないというふうにどなたも思っていらっしゃいます。
 この出生率に関しては多角的なとらえ方が必要であるというふうに私は考えています。少なくとも四つのレベルを想定すべきではないでしょうか。
 一つ目は、家族のレベル、あるいは世帯のレベルと言ってもよろしいんですけれども、家族レベルです。これは一家族当たり、一夫婦当たり平均何人というふうな数字で実態をとらえることができますが、先ほど申したように相変わらず二人です。この観点からいいますと、このレベルで言えることは、例えば三人ほしい、だけれども現状では二人しか産めないという方々のために、望む数の子供を産める社会にしていくというふうな政策が取り上げられるでありましょう。ただ、最近、理想子供数というのが若干減る傾向を見せておりまして、これは大変注目されるところです。年齢が若いほど、結婚経過年数が若いほど、それから時代が移るほど、ほんのわずかですけれども理想子供数自体が減ってきております。この解釈については時間があれば後で質疑の中で申し上げたいと思います。
 それから二番目のレベルですけれども、地域のレベルというのを考える必要があります。少子化少子化というふうに言いますけれども、地域社会によって非常に状況が違います。例えば都心ですと合計特殊出生率も低いし実際その地域の中の子供の数も少ない、一夫婦当たりの子供の数も少ないというふうな一種の過疎状況というのがあります。そういう自治体で、例えば都心なんかで直面している状況と、むしろ郊外の新興住宅地あたり、若い出産適齢期のカップルがたくさん移住してくるような地域というのはちっとも子供の数は減らないわけです。合計特殊出生率は同じようにそう高くはないわけですけれども、子供がその地域で減っているということではないというふうな状況があります。例えば農村ですと逆に子供の数は一夫婦当たりかなりいるんだけれども全体として少ないというふうなそんな状況があって、自治体ごとに全然課題が違うわけです。
 それから、急ぎまして、国家レベルというのがあって、国家のレベルでは、年間の要するにある年齢の子供数がこれからどんどん減ってくるというふうな、既に減っているわけですけれども、総出生児数が減ってくる、それから年少人口割合が減ってくるというふうなことで、構造的な変革が必要になってきます。
 それから四番目としては、地球レベルで考えてみますと、これはむしろ人口爆発の危機ということが大きいわけでして、先進地域一人で非先進地域の五十人分のエネルギーを使用していると言われている現状では、日本の人口というのは減りますと大変効率的に地球の資源エネルギー問題が解決されていきますので、むしろ先進国では減った方がよいという議論も成り立つわけです。
 ですから、どのレベルなのかということをよく考えて、立体的にといいますか、いろいろな観点から出生率というものをとらえていく必要があるだろうと思います。
 トータルに見て、私の意見は、出生率低下というのはある程度避け得ない普遍的な現象であるというふうに考えています。非常に下がってしまうのか緩やかな下りなのかという違いであろうというふうに思っております。したがって、公共政策の与件というふうにとらえるべきでありまして、社会保障の制度がうまくいかない、破綻するということが予測されるのであれば、社会保障制度を変えなければならないということなわけです。これは日本だけではなくて、いわゆる高齢化、少子化先進国である欧米諸国でも同じような経緯をたどっております。
 おおむね、今日私たちが出生率低下ということで問題になっている、急速な高齢化が進んでいる直接的な原因ということで言いますと、人口転換の中でちょうど高度経済成長期に労働力になった世代、そこに伊藤達也先生の分類を借りまして三つの人口学的な世代というのを挙げてメモをしておいたのですけれども、その真ん中のところです。たくさん生まれるんだけれども乳児死亡率が下がって兄弟数が多いような世代というのが一九二五年から五〇年生まれまでの間にありまして、現在、大体四十九歳から七十四歳ぐらいまでの方がその世代に当たるわけです。ここのところが高齢化の急速なカーブというものの主人公になっているわけです。
 ですから、いわゆる今日の出生率低下が今の高齢化の問題を引き起こしているのではなくて、戦後の少産少死世代、第三番目の世代に移っていくそのプロセスのところで急激な少子化が起こったというところが今日の高齢化問題というところに直接結びついているという注意が必要であろうかと思います。
 二ページの一番下にある図を見ていただきたいんですけれども、これもよくいろいろなところで見かける図でございますが、人口構造というのが社会構造を非常に大きく規定しているということを理解するのに大変便利な図です。大体一九五五年のところと二〇〇〇年のところに縦に二本ラインを入れておきました。
 五五年ぐらいまではいわゆる従属人口指数が高い、つまり子供という形で従属人口指数が高い時代だったわけです。それが高度経済成長とその後の一世代分くらいは、つまり今日、今までの戦後の発展期というのが非常に人口学的に言うと負担の少ない、そういう大きな時代的な特徴を持っていたわけです。二〇〇〇年以降、大まかにですけれどもまた状況が基本的に変わってしまいます。これは、少子・高齢化というのがいよいよ本格的に地についてきた結果、老年人口が年少人口を上回ってかつどんどんふえていくというふうな形で従属人口がふえてくる、そういう時期なわけです。
 ですから、戦後改革の時期に一つ大きな転換点があるとすれば、大体二〇〇〇年前後に今日非常に大きな構造的な転換点があるわけです。戦後五十年間やってきたような政策ですとか社会の枠組みでは、これからまたその先やっていくことができないわけです。
 そういう状況に比較的日本よりも早く至ったのはヨーロッパ諸国でありまして、四角い枠をちょっと見ていただきたいんですけれども、少子・高齢化という人口構造の変化により家族介護が構造的に困難になる。これは親の面倒を見なきゃいけない子供の数というのが大体等しくなってきますので、二人・二人というのが高齢層に入ってきますと困難になってくるということです。そうすると、どこでも介護の社会化ということが課題になります。日本でも今なっております。
 介護の社会化が進みますと、労働力の女性化というのは必ず起こってまいります。そうしますと、男性が育児に参加せざるを得ないし、それから育児というものを社会化せざるを得ない。そういう一種の基本パターンがこのように枠でくくったような形であらわれるわけです。日本社会は二〇〇〇年以降こういう状況の中に突入していくのだというふうに私は判断しております。
 ちなみに、ヨーロッパ諸国の高齢化率一四%のころというのが何年だったかというのを追ってみますと、スウェーデンが七二年、フランスが七九年、日本が九四年でございます。ちょうどその時期に同じような社会政策をめぐる議論がそれぞれの社会で起こっております。スウェーデンやフランスも初めから福祉ですとか育児の社会化というのが進んでいたわけではありません。このような限定的な意味において、日本社会は非常に制度形成がおくれていたと思われます。アメリカがよくモデルというふうにされてきたのですけれども、この観点からいうと、アメリカは高齢化が非常に遅いので日本のモデルにはなりません。
 つまり、出生率を上げなければならないというふうな何となくの暗黙の前提をとりやめて、目指す方向というのは、ある程度の少子化を前提にした上で真に子供を産み育てやすい社会、本当の意味で生活が豊かな社会というものをつくっていくことではないでしょうか。
 大分時間が押してきましたので、後半の2の部分を急ぎ足でお話をさせていただきたいと思います。
 制度形成の基本的な理念としましては、基本的には二つだと思います。先ほどの四角の枠の中にありました育児の社会化というのが第一点。それから第二点は、男性の育児の促進ということです。
 方向一ということでいいますと、まず基本的に保育観の転換が必要であろうかと思います。親だけで子供は育たないということなんです。かつては親だけで育てていたわけではありませんで、地域社会ですとか周りのいろいろな人たちが寄ってたかって育てていたような時代があって、それがいつの間にか母親の孤立した育児というふうに構造の転換の中で戦後変わってきたわけです。それに対して、またいろいろな人たちが寄ってたかってある一人の子供の面倒を見ていくというシステムをつくっていく必要があるわけです。
 ですから、親が働いているから本来親が育てるべき子供を保育園が育てるというふうな考え方ではもう成り立ちませんで、すべての子供が社会的に保育されるような、そういう権利宣言というものが必要であろうというふうに思われます。ちなみに、デンマークでは既にもうそういう権利宣言をしておりまして、すべての子供が保育の権利を持つというふうに制度形成が進んでおります。
 保育所だけではありませんで、いろいろな形、家庭福祉員ですとか、それから仮に育児休業中あるいはたまたま専業主婦である期間であっても、母親一人で育てるのではないようなオープンな保育システムというものが十分に整備される必要があります。
 それから、特に日本の制度を見ていて感じますのは、保育制度と教育制度が非常に分断されているということです。今回の行政改革と、それから今少しずつ出てきた動きの中で、保育園と幼稚園との統廃合というのが恐らく課題になってくると思いますが、フランスのいわゆる保育学校、エコールマテルネルという制度ですが、それは大変世界的に見てもモデルになるようなシステムであろうかと思われます。
 それから次に、育児の費用の社会的な再配分が必要ですけれども、これは額をふやすということもさることながら、支援の仕方というのが非常に重要であろうかと思います。世帯主を通じてという形ではなくて、だれが子供を見ているか、家族形態、中立的な形で子供に支援する、その子供を実際見ている人に支援するというようなシステムづくりというのが必要であろうかと思います。
 それからもう一つ、ぜひ声を大にしたいのは、介護保険ができたのであれば、なぜ育児保険ができないのかということです。もちろん介護保険の制度と育児保険の制度というのは当然性格が違いますけれども、育児というものにかかるコストを社会的に再配分するためのそういった一種の保険制度のようなものがあってもよかろうというふうに考えます。
 時間がありませんので、男性の子育てという点についてはポイントを三点のみ項目だけ申し上げます。
 一つは、父親の育児休業の取得を促すような制度ということでありまして、これは単に男女両方ともとれるということでは足りませんで、附属資料の方にヨーロッパの方の育児休業制度の一覧表をつくって載せたのですけれども、育児休業制度の設定の仕方次第で男性がとりやすいかとりにくいかということが大分違ってくるんです。そこに書いてありますように、期間が長い、給与に連動した高水準の給付、これが育児保険ということであるんですけれども、そういう給付の高さ、それから柔軟にとれる、フレキシビリティーがある、単一期間まとまってとるのではなくて時間でとれるというようなことです。それから、男性がとらないと権利が消えてしまうような割り当て制というようなことが大変重要な条件であろうと思います。
 それから、父親労働者が育児にかかわれるような労働慣行ということもぜひ確立していきたいというふうに思います。
 それから、男性保育者をふやすということです。お父さんばかりではなくて、実際、保育の現場あるいは乳幼児が教育される現場で男性も多く働くというようなことが大変重要になってくると思われます。
 あえて単純化して言えば、今の日本というのは、男性が職業労働を十二時間やって過労に陥っていて、女性が育児を十二時間やって拘束感にさいなまれているというのが現実です。そうではなくて、男女とも六時間働いて六時間育児をした方が同じ労働時間であるならばはるかに豊かな社会と言えるのではないでしょうか。極めて単純化した言い方ではありますけれども、御理解いただければと思います。
 どうも延長いたしまして申しわけございません。
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久保亘#10
○会長(久保亘君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑は午後四時ごろまでをめどとさせていただきます。質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って質疑を行うようお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
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清水澄子#11
○清水澄子君 三人ともいろいろな立場から御見解ありがとうございました。
 ここに共通をしていることは、あらわれている現象のとらえ方というのは非常に興味深く聞かせていただいたんですが、山田先生のおっしゃったことも舩橋先生のおっしゃったことも、結局、女性も男性も描いている夢、それが男女役割分業の中で、若い人たちも自分たちの幸せというのが、やはり男性だったら自分が養っていかなきゃいけないとか、経済力という意味で、そういうものにとらわれている。女性の方も、やはり豊かな経済力を持った男性のもとで、そして余りつらい仕事ではなくてということであるとすると、今の若い人たちも男女役割分業の固定化というんですか、分業意識に非常にとらわれているんだなというのを感じたんですが、そういう問題を、これを政策的にどういうふうに変えていけるかということをちょっとお二人にお伺いしたいと思います。
 そしてもう一点は、舩橋先生の、実は今お話しにならなかったんですが、この「父親と家族」を最初いただいておりまして、これを読んだときに、家政という、いわゆる家のことは実は男性の仕事であったというのが書いてあるんですね。そういう面は、みんな、これは初めから女の仕事と思っていたと思うんですけれども、本来これは父親が子供を育ててきたんだという十七世紀の話があるんですけれども、それが産業社会になるのと同時に変化してきた、いわゆる家族の役割とか家族の中の人間関係の役割が変わった、それが今日いろいろ問題を起こしているという点で、それらについて少し説明していただきたい。
 それと、三歳神話というのがあるでしょう、母親は三歳児までは子供を自分のスキンシップで育てるべきだという。これが非常に日本の幼児教育の中でも、まだ神話どころかすごくこれが固定していますね。これらについて本当にそうなのだろうかという点で、これをどのように改めていけるのかというようなことについてお話しいただけたらと思います。これは舩橋先生。
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舩橋惠子#12
○参考人(舩橋惠子君) 三点御質問があったかと思います。
 まず一点目、性別役割分業意識を政策的にどのように変えていくことができるかということですけれども、性別役割分業というのは個人によって選び取られているものですから、個人生活に政府が介入する、政策的に介入するというのは大変難しい側面があります。しかし、父親の育児休業ですとか若い父親の出産立ち会いですとか、そういう目が覚めるような体験のきっかけを与えるような制度づくりは可能であろうかと思います。
 ですから、北欧がやっているのは、北ヨーロッパで行われているのはそういう政策なんですね。育児休業期間のうちの一カ月は父親がとらないと権利が消失してしまう。その期間は、しかも九〇%、今は八〇に落ちているんですけれども、の給料が払われる。そうすると、とらなきゃ損ですからとるわけです。とって子供の面倒を見てみるとすごくおもしろいんですね。やってみないとつまらない、女がやることだと思っているんですけれども、やってみると結構おもしろくて、そういうことをきっかけに変わっていくというふうなそのきっかけを与えるということは可能だと思います。
 それから、二番目ですが、家政は男の仕事であったというのを読んでいただいてありがとうございました。男は家事をしない、あるいは家のことにかかわらないというのは歴史的にずっとあったことではなくて、むしろ日本においてもヨーロッパにおいても、産業化が進んでくる段階の中で起こったことだという、そういう例えとして挙げたものです。
 ですから、家政学というと何か女の学問というふうに思われてきたんですけれども、実際には男性が、家業ですので家で何かを生産していますので、子どもを育てることも次の世代の労働者育成で教育ですからとても大事なわけです。子育てにむしろ父親は歴史的に見るとかかわってきたのが近年になってかかわらなくなったのだという、そういうことです。
 ですから、古今東西を比較するという観点からいうと、歴史的に見てもむしろ、先ほどレジュメでお話しさせていただいた二ページ目の人口構造の転換の図なんですけれども、一九五五年から二〇〇〇年という時代の方が特殊なんです、歴史的に見て。過去五十年は非常に特殊な時代であったということです。そんなことで説明になりますでしょうか。
 それから、三番目の三歳神話ということですが、三歳神話というのは、まさにこの特殊な時期に広がり、固定化したものです。つまり、それ以前ですと、母親というのはかなりの数が農民でありまして、野良仕事で忙しいので、大体お姉ちゃんやお兄ちゃんが赤ん坊を背中にくくりつけていたり、それからおじいさんおばあさんが育てたりしておりまして、母親が育てていたケースというのはそんなに多いわけではないんです。それが戦後になって、やはり生産年齢人口が大変多いですから夫婦二人働いてもらう必要はないということで、専業主婦というのが適合的になってきたわけです。そういう中で適合的なイデオロギーとして三歳神話というのが輸入され、広がったんだというふうに思います。
 具体的には、WHOの報告で、うんと条件の悪い乳児院を調査した結果、子供に発達のおくれがあるということで、マターナルなケア、母親的なケアが欠けると子供がうまく育たないという報告が出まして、それが日本に輸入されたときに、お母さんがみずからそばにいて育てないと子供はうまく育たないというふうに、ちょうど時代の状況と適合的だったので、そういう形にすりかえられ、広がってしまったということです。
 七〇年代以降、欧米ではむしろWHO報告というのは修正されまして、生みの母親じゃなくてもよいと、保育者でも何でもいいんですが、少人数の温かな環境である程度丁寧なケアをされるということがあればいいんだというふうに変わってきたんですが、日本ではそのような修正はごく最近までなされませんでした。
 それが余りにも根強くて、今日でも自治体の子育て学級なんかに行きますと、やはり母親の責任だから、つらいけれども我慢しなくちゃいけないと若いお母さんたちおっしゃるんですね。いや、むしろ少し突き放して考えた方があなたも楽になるし子供もむしろいいんだというようなお話をするんですけれども、これを改めていくというのは大変難しいと思います。多分いろんなところから変わっていかなければいけないんだと思います。保母さんですとか看護婦さんですとか、幼児教育にかかわる方たちの養成の場で例えばかなり古い心理学がまだ教えられているというようなこともありますし、いろいろなところから少しずつだというふうに考えております。
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山田昌弘#13
○参考人(山田昌弘君) 清水先生がおっしゃったように、今の若い人も役割分業で経済力を高めようという夢にとらわれ続けている人がまだ多いというふうにお答えしておきたいと思います。
 それはなぜかというと、多分、高度成長期は夫がサラリーマン、妻が専業主婦で、徐々に生活が豊かになっていくという実感がある家庭で実際に育っているからだというふうに思われます。そして、今の経済状況ですので、結婚して二人で生活をすると豊かさを失ってしまう。つまり、今の若者は今の豊かさを失いたくないという後ろ向きの欲求というものがまず前面に出てきているのではないかと思います。
 という状況であるならば、とりあえず夫婦共働きで家事と育児を分担してそこそこの豊かさを保障することによって、各自が豊かさ以外の目標と言ったらいいんでしょうか、もちろん仕事をやりたい人は仕事をやっていいんだと思いますし、マイホームをつくりたい人はマイホーム、ボランティア活動をやりたい人はボランティア活動ということで各自の夢を抱けばいいと思います。そのためには、今の豊かさを失いたくないという不安というものをひとつ解消しなくてはなかなか新しい生活には踏み込めないのではないかという気がいたします。
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田中直紀#14
○田中直紀君 きょうはどうもありがとうございました。自由民主党の田中でございます。
 大淵先生に一つお伺いいたしたいと思いますが、当然、少子化の経済的な影響というものは、中期的に見ても御指摘のように供給面での減少、労働、資本、技術という面でのとらえ方は事実だと思いますし、また経済成長においては需要面での縮小ということが大きな問題になるわけでありますが、経済低成長が少子化の一つの大きな要素だという側面は否めないと思います。
 しかし、これだけ経済の規模が大きくなってきておりますから、成長努力はしていくわけでありますが、なかなか時間がかかるという中で、人口が減ってくると再配分はある面ではふえてくるのではなかろうか。豊かさは出てくる。そういう中で、中期的にどういうふうに歯どめがかけられるか、悪循環をとめていくポイントがあるのかどうか、ちょっとお伺いいたしたいと思います。
 それから、山田先生には、適齢期の子供を持つ親として大変分析が当たっておるのではなかろうかというふうに感じておりますし、日ごろ書かれておる記事をもっとよく親としては読まなきゃいけないなという実感がございます。
 実際に自立をしていくということで社会に、会社に入っていくわけでありますけれども、いわゆる親離れといいますか、親が逆に過保護になっておるという側面が今の現象ではなかろうかと思いますし、いろいろな政策の中で、二十代の男女、男はだらしないんだという感じの印象も受けましたし、なかなか女性が思い切って共稼ぎをしながらも結婚をしていこうという踏ん切りのつかないというような二十代、しかし一方では仕事に大変興味を示してきておるという世代ではなかろうかと思います。
 共稼ぎの家庭にどういうような政策を施して、そして安定した、当然給料を多く出すということもなかなか企業ではままならないわけでありますが、やはり家庭を持つということに二十代が勇気を持ってといいますか安心して臨めるというような、この分析からポイントがどこにあるかというのをもう一度お伺いいたしたいと思います。
 それから、最後に舩橋先生には、十数年前ですがノルウェーに参りましたときに、既に大変女性の社会進出というものが果たされておる、育児休業も当時日本では全然話題になっておりませんでしたけれども、一年以上育児休業ができるというような中で各界に女性が進出しておることを目の当たりにして、大変ある面では進んでおるなということを肌で感じた記憶がございます。
 既に先生からは男性の協力が必要だというお話があったわけでありますけれども、まだまだ日本が学ばなければいけない、そしてまたでき得る範囲の、今のヨーロッパの諸外国は大変いろいろ対策を講じてきておるんですけれども、女性の社会進出のみならず少子化対策としてどこの国の政策というものが日本にとって大変適切な対策になるのかという、そういうことがちょっとわかりましたらお教えいただきたいと思います。
 よろしくお願いいたします。
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大淵寛#15
○参考人(大淵寛君) 御質問のポイントがちょっと十分把握できなかったんですけれども、これからの少子・高齢化時代の低成長をどのように活性化させるか、その手段についてお聞きになったというふうに御理解してよろしいでしょうか。
 それは先ほども意見の中で私が申し上げた点ですけれども、経済的な面に限定して申し上げますと、より新しい時代に適合した新しい産業を育成するということがまず求められるかと思います。その中心はやはり情報産業、高度情報化の促進ということが重要ではないかと思います。
 全国的な光ファイバー網の設置等によって、例えば自宅にいても会社にいるのと同じような仕事ができるというようなインフラを整備することによって、働く女性が会社に行かなくても自宅にいて十分な仕事ができるというような条件を整えることにもつながることであります。
 したがって、相当の資本は当然投下しなければなりませんけれども、高度情報化ということがやはり二十一世紀の経済活力を高める、あるいは維持するために絶対必要なことであるというふうに考えております。
 それとともに、労働力の減少が間違いなく二十一世紀に入りますとすぐに始まりますので、ここでやはり量的な面のみならず質的な面での改善を必要といたします。
 量的な面で申しますと、女性と高齢者と外国人労働者ということになります。男性は、既に若年層と高齢者を除きましてほとんど九七、八%労働市場に出ております。女性は、御承知のとおりM字型の労働供給曲線を持っておりまして、子育ての時期に谷を形成いたします。しかし、労働意欲は相当にありますので、ここの部分を労働力として活用するということが将来求められます。
 ただ、現状ではこの就業と出産・育児というものがトレードオフの関係にある。一方をとれば他方を捨てなければならない。つまり、働けば子供が産めない、子供をつくると働けない、こういう状況は女性の労働力化を妨げますので、働きながら子育てができる、こうした環境をつくることが必要であります。先ほど申し上げた情報化の促進ということがその一助になろうかと思います。
 また、日本型雇用慣行と言われるような年功賃金体系とか終身雇用、こうした慣行を見直すとか、あるいは少子化対策として一覧表を掲げておきましたけれども、その中でいろいろ掲げておいた多様な雇用形態、就業形態というものを企業が採用することによって女性が働きやすくなる、働きながらでも子育てができる、こういう状況をつくり出すことがぜひとも必要になろうかと思っております。
 それからまた、若い人々に特に期待されるのは技術面での開発努力といったことでありますけれども、情報とかバイオとか、そうした新しい産業を育成する中で、新しい技術の開発というものがより一層強く求められる時代になっていくだろうというふうに考えます。その前提として労働力の質的な向上が必要なわけで、その前提として教育水準のなお一層の向上ということが必要になります。
 これまで高学歴化と言っておりました大学進学率の上昇がずっと進行しておりましたけれども、御承知のように大学の定員と志望者の数が同じになってしまう、競争率が一になるというような状況が間もなく参ります。学部では余り専門教育ができないようなそういう状況に今なりつつありまして、問題がそうした面で大変大きくなっているんですけれども、将来的にはやはりアメリカなどと同様に、大学院における専門教育というものが日本のこういう技術開発等々で中心的な役割を演ずる時代が来るであろうというふうに考えております。
 以上です。
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山田昌弘#16
○参考人(山田昌弘君) まず第一点の親離れということに関しましては、親離れしない息子、娘の裏には多分子離れできない母親、父親というのがいるんだと思います。それは今の五十代、六十代の多くの夫婦の夢というのが子供を豊かに育て上げることだったというところから、つまり経済的に豊かになることのみを夢として生活を組み立ててきたというところからきているのだと思います。つまり、今の五十代、六十代の親に、子供をお嬢さんお坊っちゃんに育て上げていい結婚をさせる以外の楽しみ、夢というものを見ていただくようというのも変なんですけれども、持つようにする必要があるのではないかと思っています。
 例えば、私、高齢者の夫婦の聞き取り調査というのをしていたんですけれども、そのとき夫婦二人で一度も出かけたことがないというような結果も出てきました。つまり、夫婦で楽しく過ごせないので、子を依存させ続けるという親ができてしまうというのも一因ではないかという気がいたします。
 もう一つは、共稼ぎの家庭に対してどのような政策が有効かということに関してですが、やはり一番大きいのは住宅政策ではないかと思います。
 今も、良質で安い住宅に入りさえすれば結婚できるんだがというような若い人の声は結構聞きます。今、出生率が結構高い層としていわゆる公務員や教員の共働き夫婦というのがあるんですけれども、それが高いのも、割と比較的良質の安い住宅に入れる上に共働きで、妻の方もパート収入ではなくてそこそこの収入を得られる見通しがあるからではないかと思っております。
 男の子育てや家事、育児の手伝いも、多分女性の能力を発揮してそこそこの収入を得ることにかかっているのではないかという気がいたします。これはまだ公表されていませんが、ライフデザイン研究所の前田正子さんの分析によると、夫の家事時間というものは妻の収入に比例する。別に夫の就業時間の短い長いとは余り関係なくて、妻の収入が高ければ夫は手伝うんだけれども、妻の収入がなければ夫の労働時間が短くても家事は手伝わないという、まことに身もふたもない結果が出ております。それを推進するために、やはり女性の能力を正当に評価して、そこそこの収入を得られるシステムをつくることが必要かと思われます。
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舩橋惠子#17
○参考人(舩橋惠子君) 日本が学ぶべき政策は具体的にどういうものがあるかという御質問ですが、第一点目は育児休業中の所得保障制度ということでありまして、スウェーデンの親保険制度というのは大変学ぶべきところがあると思います。介護保険とは違いますが、先ほども申したように、介護保険をつくったならば育児保険もつくってほしいというふうに思います。それが一番目です。
 それから二番目は、フランスの保育学校という制度は大変よくできておりまして、日本の公立の小学校と同じようなものなんですね。国と自治体がやっておりまして、基本的には保育の機能を果たしております。そういうような制度形成というのが今後求められるべきではないかというのが二番目です。
 それから三番目に、確かに山田先生が今言われたように、ヨーロッパの方でもそうなんですね。調査結果というのは、女性の収入が高い家庭ほど男性は家事、育児に参加しているというデータがやはり出ているんですけれども、それにしても日本の社会というのは参加したくてもできないという現実があります。ですから、やはり男性労働者の労働時間を減らすという方向での努力というのをするべきだと思います。これはなかなか政策的には難しいと思うのですが、恐らく補助金政策ですとか税の優遇政策ですとか、それからヨーロッパなんかでやっているのは賞を出すということですね。何か労働省でも賞を出すことを検討中だというようなことをちょっと聞きましたけれども、それはいいのではないかというふうに思います。
 ちょっとつけ加えさせていただくと、常日ごろ学生と接していて感じますのは、若い女性たちが専業主婦志向に走ってしまうというのは、労働時間が長過ぎるからです。男性並みの労働時間を前提にして、そこで働いてなおかつ家庭も持つということが非現実的だから、そうなるとということになってしまうということなんですね。ですから、男性の労働時間を減らすということはいろいろなメリットがあると思います。
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円より子#18
○円より子君 民主党・新緑風会の円より子と申します。
 それぞれの参考人の方々のお話を大変有意義に聞かせていただき、ありがとうございました。
 いろいろ議論を尽くしたいぐらいの話なんですが、短く質問させていただきます。
 一つは、大淵参考人と舩橋参考人にお聞きしたいんですが、私は三十年ぐらい前から北欧諸国によく行っておりまして、何年か前に行ったときに、スウェーデンの小学校の先生が学校でいつもこういうことを教える、あなたたちは世界じゅうで一番幸せな国に生まれたのよと教えるとおっしゃった。それはどうしてかというと、親の条件に関係なく、子供たちそれぞれに権利が保障されている、つまり非嫡出子であれ差別されるようなことがない国に生まれている、そういうことを教えると聞いたことがあって、ちょっとすごいなと思ったことがあるんです。
 先ほど大淵参考人が、日本では非婚の子供というのが一%で、少子化の大きな原因は晩婚化、晩産化というあたりで、結婚して子供を産むというのが日本では普通だとおっしゃったのですが、シングルでも産めるというような状況、相続の差別だけではなくて、例えば社会保障の制度にしてもそうでしょうし、シングルで子供を産みながら企業に勤め続けるなんというのはやっぱりまだ難しい部分がたくさんあります。そのあたりのことについてどうお思いになっているか。
 このことだけに限らず、例えば家族というものが一体どういうものなのか。日本では、とても狭い意味での家族というものに人々がとらわれざるを得ないような制度ができていると思うんです。舩橋参考人が先ほど戦後五十年つくられてきた制度や政策は見直さなきゃいけないとおっしゃいましたけれども、まさにそのとおりで、例えば家族というときに、九十歳のおばあさんと隣に全く血のつながりのない四十歳のシングルの男性が住んでいて、その人が助けているときに、それは家族じゃないから日本では扶養控除はつかない。でも、フランスではそのあたりが変わってきている。そういったときに日本でも、例えば十代の子供が中絶せずに産んだ子を里子や養子にしたいと思っても、シングルで働いていると里子や養子がしにくいというような状況があったり、とても家族を狭く考えております。
 この辺がかなり子供を産むとか晩婚化の潜在的な阻害要因になっているような気がするんです。この辺を変えていく必要があるんじゃないか。それにはどうすればいいかということを含めて、非嫡出子の問題についてぜひ御意見を聞かせていただきたいことが一つ。
 それから、山田参考人のお話は大変おもしろかったんですが、私は十六年前に「主婦症候群」という本を出させていただいて、ベストセラーぐらいになったんですが、その中に母親業定年拒否症というのを書いております。
 これは、先ほどおっしゃったように、夫婦の関係が大変日本は希薄でございます。その上に、それは個人の問題や夫婦で楽しめないということだけではなくて、平均寿命が延びて子育て後の時代がとても長くなった。その上に、女性が中高年になってからの再就職は年齢制限があってしにくいとか、仕切り直し、生き直しが、最近は男性も定年が早くなって大変問題になっていますが、二十年ぐらい前は主に女性の仕切り直し、人生の選択のし直しのしにくさというものが子供にどんどん過干渉、過保護になっていく要因だと。
 今の若い女性たちが子育てをしやすい職場環境、長時間労働をなくす、それから職場環境をよくするだけではなくて、中高年女性の労働環境を変えることがかなり子供の自立とかそれから経済力のある男と結婚する方がいいというようなそういう状況を長い目で変えていけるんじゃないかという、その辺の中高年女性の労働などの問題について御意見をお聞かせください。
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大淵寛#19
○参考人(大淵寛君) 北欧の例を挙げて、個を大事にする、そういう考え方が非常に強いということは私も同様に思っておりまして、やはり個人主義が非常に浸透しているといいますか、長い歴史を持っているということをいろいろ痛感することがございます。
 この非嫡出子の問題についても同様でありまして、法的な面だけではなくて、やはり社会的な規範としてそうした者に温かい目を向けるというか差別をしない、そういうものがあるんだろうと思います。
 翻って日本を見ますと、戦前というよりはもっと古くからの儒教的な物の考え方といったものがやはり深く根づいていて、その非嫡出子に対する偏見といいますか、そうしたものがいまだに強くあるということだろうと思います。
 かつては、この非嫡出子の比率は〇・一%ぐらいしかなかったんですけれども、最新の九五年の国勢調査では一・二%と、若干上がっている。しかし、これが例えばスウェーデンのように五〇%を超えるというようなことになるのかどうか、これは甚だ疑問でありまして、やはり日本のそうした儒教的な、全くと言っていいほど消え去ったように見えながら、そうした物の考え方といいますものはそう簡単に変わらない。他人思考といいますか、人の目を気にする、そういう考え方というようなものはそう簡単には変わらない。したがって、将来的にもこれがふえていくという可能性は今のままでは小さいのではないかというふうに思っております。
 例えば、経済同友会などがこの前こういう婚外子をもっとふやしたらどうか、ふやしたらといいますか、それを認めたらどうかというような大胆な提言をされておりましたけれども、これは価値観の問題でして、そう簡単には変わらないだろう、制度を変えただけでは変化しないものではないかというふうに考えております。
 以上です。
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舩橋惠子#20
○参考人(舩橋惠子君) 非嫡出子の問題をどう考えるか、それから家族依存の問題をどう考えるかという御質問だったかと思います。
 日本に儒教文化があるかどうかというのは私はちょっとよくわからない面があるのですが、本来、日本文化の中に割合と子供を中心に考えるという発想が伝統的にはあると思うんです。ですから、いわゆる子どもの権利条約ですけれども、子供の権利を中心に考えるというのは割合と日本人にとって文化的にもなじみやすい発想だというふうに考えています。
 そういう観点から見ていきますと、日本のいろいろな家族制度ですとか社会保障制度を総点検する必要があるというふうに考えています。つまり、子供を中心に考えたときに、どんな親のもとに生まれようと子供は選べないわけですから、責任のないことですので、同じような社会保障の条件が与えられるということが基本宣言として与えられるべきで、その後でそれにかなわない分については制度を変えていくということが必要ではないかと思います。先ほど申しました、世帯主経由の児童手当ではなくて子供の監護者へというのはそういう発想から来ております。
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山田昌弘#21
○参考人(山田昌弘君) 手短に意見を述べさせていただきたいと思います。
 円先生がおっしゃるとおり、多分、中高年の女性の労働環境の問題が子供に対して、つまり子供を経済的に依存させるかわりに子供に心理的に依存してしまう中高年女性、特に日本の特徴として、中高年であるほど、高学歴の女性ほど働いていないという現実があります。これは労働観の転換というものを少し考えていかなくてはいけない時期に来ているのではないかと思います。
 日本人は男性が働き過ぎと舩橋先生もおっしゃいましたけれども、男性も別に働きたくて働いているというよりも、インタビューなどを見てみると、家族を豊かにするために、子供のために長時間労働を頑張っているというようなことが結構多いです。中高年の女性がパートで働くのも、いわゆる子供の学費のために働くといったような、家族のために働くという働き方というのを見直す必要があるのではないかという気がします。
 そうしますと、いわゆる働き場さえ与えれば働く、例えば女性に関しても、保育園さえ整備すれば女性は喜んで働くかといったら、そうではないと思います。中高年にしても若い人にとっても、いわゆるプライドも持てて、そこそこの収入で裏打ちされたプライドを持つということは、つまりは自分の能力、潜在的な能力に見合った働き口というものが用意される、少なくとも今の中高年女性には用意されていないというところが大きな問題だと思います。
 例えば、アメリカは年功序列ではありませんので、中高年の女性でも例えばMBAを取ったらすぐもう育児後会社のマネジャーになるといったこともよく行われています。ヨーロッパに関しては、例えば日本が今ボランティアの主婦活動としてやっていることをいわゆる公務にしてちゃんとプライドを与えて、給料をもらう仕事として、ボランティア的なことを中高年の女性にプライドを持った仕事としてするというような制度が整っています。その点では日本はおくれていると思います。
 よろしいでしょうか。
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岸宏一#22
○岸宏一君 大淵先生のお話や書いたものを拝見させていただきますと、少子化はちょっと心配なんだ、やっぱり少子化じゃない方がいいと。それから、舩橋先生ですか、少子化はある程度認めて考えた方がいいと。お二人、かなり違う考え方のように思われます。
 私は、どちらかといいますと、やっぱり少子化は心配だ、だから何とか子供の数を、出生率を上げたい、一般に国民的にはそういう意見が多いと思うんです。現実的になかなかうまくいかないから認めざるを得ないという考え方で舩橋先生はおっしゃっておられると思うんですけれども、その辺のところをもしできればお二人の意見が対立した形でお聞きしてみたいものだ、こういうふうに思うわけですけれども、いかがでしょうか。
 それから、山田参考人にお伺いしますが、女性の所得が高ければ高いほど家事を手伝う、男性が家事をする、育児をするのが多いというお話を聞いたんですが、そのわけは一体何なのでしょうか。これを山田参考人にお聞きしたいと思います。
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大淵寛#23
○参考人(大淵寛君) 御質問ありがとうございました。
 私は、かねてから、少子化が行き過ぎるということは大変問題である、やはり出生率は少しは引き上げるべきだ、その目標としては人口置きかえ水準まで上げることが必要であるというふうに主張しております。
 人口が減った方がいいというふうに言う方は、現在の日本が非常に人口過密だというような意識をお持ちだろうと思いますけれども、確かに人口が減りますと一時的には過密感が薄れまして、いろいろな形でゆとりが生まれてまいります。ところが、人口が長期的に持続的に減少をし続けますと、先ほど申しましたように、労働力が減少し貯蓄率も下がり経済が成長しなくなり、停滞感、閉塞感が強まりまして個人のレベルでも貧困にあえぐようになる、そして失業に苦しむことになりかねないわけであります。つまり、国民経済が衰退いたしますと個々人も決して安楽ではいられないわけであります。
 人口の減少によってさまざまな問題が起こっておりますことは、現在の日本の過疎農山村をごらんいただければおわかりだろうと思います。日本じゅうがやがてそうした状況になれば人口が減った方がいいなどと安穏なことは言っていられないと、私は多少過激な表現で申し上げております。
 歴史的に人口が減って繁栄した国はないというのが私の常々申し上げていることであります。少なくとも過去においては、人口の増加というものは繁栄のしるしであるとともに成長を促進する原動力でありました。このことはもちろん将来もそうだというわけにはいかないわけですけれども、こうした歴史の教訓を軽視することも誤りであるというふうに考えます。
 基本的に私はマクロ的な見地から申し上げておりますので、舩橋先生のいわばミクロ的な見地と対立することがあり得るわけですけれども、ただ、政策的な面で私は、先ほど申しましたように、かつてのような産めよふやせよなどという時代錯誤のことを申し上げているわけではありません。
 以上です。
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舩橋惠子#24
○参考人(舩橋惠子君) 対比させるために多分呼ばれていると思いますので、やはり役は演じなければいけないかと思います。
 マクロ的に見ましても、先ほど申しましたように地球レベルで考えますと、むしろ人口爆発の危機にあるわけですから、出生率は是が非でも上げなければならないというふうにアプリオリに考えるのには私はちょっと疑問があります。
 それから、実際、出生率をふやすといいましても、家族レベルで考えますと産む数は同じなわけです。ということは、もっと産んでほしいということにほかならないことになるわけですから、そこら辺をどうとらえるかということなんですけれども。
 私も、例えば千年後に人口が百五十人になった方がいいというふうに申し上げるつもりは全くございません。しかし、マクロ的に見てもそんなに危機感を持たなくてもよいのではないかというのが私の基本的な姿勢です。というのは、確かに経済活力の一つのファクターではあると思いますが、別な形で社会システムの推進力というのを構築していくべきだというふうに私は考えるからです。
 それから、ミクロな観点から申し上げますともう一つ言いたいことがありまして、先ほど言わずに済ませたことなんですが、理想の子供数が今減っております。これに関しては私はちょっとした危機感を覚えております。
 というのは、全体に世の中が豊かになって便利になってきたために子育てというものがとてもばかばかしいものになってきてしまっているんですね。子供がいてかわいいということはあるとは思いますが、確かに家族にとって非常にコストの多い、負担の多い事柄なんです。しかも、子離れしなくちゃいけないということになりますと、育て上げた結果、見るも見事にけって出ていく子供というのに涙しなきゃいけないわけですから、こんなに割に合わないことはないわけです。ですから、ある意味で子育ての割の合わなさということが今文化的に認知されているのではないかということが私の危機感の原因です。
 日本の文化というのが非常に使い捨て文化でありまして、効率中心でありまして、子供を産んで育てることを通じて私はその問題に非常に気づかされました。何というんでしょう、効率の悪いことといいますか、子供の世界というものが私たちに文化的に教えてくれるものが大変多いものですから、そういう意味で男性も女性ももっと子育てを味わってほしいというふうに考えております。そういう意味では、出生率ということではなくて、子供を育てるということが文化的にもっとプラスに評価されるような社会になってほしいというふうに考えております。
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大淵寛#25
○参考人(大淵寛君) ちょっと言い残したことといいますか、舩橋先生が今言われたことに関連して、地球全体として見れば人口爆発をしているんだから、日本のような先進国の人口はむしろ減った方がいい、こういう意見も時々聞くわけです。
 ところで、地球で人口爆発が起こっているのかといえば、確かにそうなんですけれども、しかし一九六〇年代後半をピークとして増加率が漸減しておりまして、特に一九九〇年代には大幅に低下いたしました。それから、二十世紀に入ってからは開発途上国でも急速に増加率が低落いたしまして、以前の将来人口推計では、これは国連によるものですが、二〇五〇年に人口が百数十億までふえるということが言われておりましたけれども、最新の一九九八年推計ではもう百億に届かない、つまり人口爆発はもう終息しつつあると。もう人口爆発は危機ではないとすら言う人が最近出ております。
 もちろん現在の六十億、ちょうど六十億をことし突破すると言われておりますが、それが百億近くに、まだ五割以上ふえるわけですから相当の増加には違いありませんけれども、爆発というものにそろそろ限界が見えてきた、そういう状況にあるということだけ一言つけ加えさせていただきます。
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山田昌弘#26
○参考人(山田昌弘君) 妻の所得が高いほど夫の家事、育児の手伝いが増すというデータについて解説させていただきます。
 やはり、夫婦の間でもいわゆる心理的なバランスというのをとるように力が働いているんだと考えます。もちろん例外はあるんですけれども、家族は愛情の場と言いながら、現実はやりたくないことはやりたくないというふうに、お互い夫婦の間でどっちがやる、こっちがやるという形でせめぎ合っているような状況だと思います。
 特に、男性は、今の時点では調査をしてみますと家事、育児はやりたくないという人が多いわけです。やってみて楽しかったという人はいるんですけれども、やっていない段階ではやりたくないという人が多かったわけです。そういう男性に家事をやらせる最大の正当性、理由というのは、私もたくさん稼いでいるんだから同じぐらい分担しろという形で分担を推進するという戦略が一番大きいのではないかと思っております。
 ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、済みません。
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岸宏一#27
○岸宏一君 先生、今のはそういうふうに思うとおっしゃったんですけれども、調査結果ですか、それとも先生の推定ですか。
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山田昌弘#28
○参考人(山田昌弘君) 女性の所得が高ければ男性の家事への参加率が高まるというのは調査結果でございます。それに関する解釈に関しては私の意見でございます。
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岸宏一#29
○岸宏一君 調査ではないと。なぜかという理由は先生の推測というか。
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