中山正暉の発言 (国土・環境委員会)
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○国務大臣(中山正暉君) 御縁の深い奥村先生、先生こそ参議院にお出ましいただきまして、本当におめでとうございまして、御苦労さまでございます。シベリアのノボシビルスクとイルクーツクとそれからブラーツク、シベリアの広大な都市、夜中の三時にブラーツクの本当に寒い空港に立っていた満天の星の下の先生のお姿を非常に印象深く思っております。
私のいろんな意味の前歴で畿央高原の会長をしていたところ、私は党内で話があったときに、一番最初は七〇年万博のあの会場がいいんじゃないかなんて党内で言ったことがありまして、みんな白っとした顔をしていました。ですから、私はいろんな意味で、首都を動かすということがもう本当に二十一世紀の最大の、何といいますかミレニアム計画の最前列に置くべきだ、こういう意欲に燃えておりますものでございます。
京都に天皇がおられて鎌倉に首都機能を移転したとき、それからまた天皇が京都におられてそして江戸に首都機能を移転した徳川幕府、二百六十五年間も続いたわけでございますが、そんないろんな首都機能を移したときがあります。平家の清盛も兵庫の港に移しましたし、六百四十五年の大化の改新の後に長柄豊碕宮に孝徳天皇のもとに日本の官僚機構はできたと言いますが、そのときの首都機能は天皇と一緒に大阪にあって、その百年後は平城宮、それから平安遷都、いろんなそのときそのときで日本の国の形態が大きく変わるきっかけになったのは、やっぱりそういう首都と首都機能の移転というのが私は重大な要素だったと思いますので、先生の御意欲に、大津に都があったこともつけ加えておかないとしかられるわけでございますが、そんな意味で、現在、国会等移転審議会においては候補地間の相互比較それから総合評価等を行っておりまして、近く結論が得られるように移転先の候補地の選定作業を鋭意先生方で進めてくださっているところでございます。
審議会の答申が行われましたら、国会等の移転に関する法律により、内閣総理大臣が答申を国会に報告し、国会における審議を経て、移転を決定する場合には国会が移転先について法律で定めるということになっております。答申が出されましたら、閣議決定がなされて、そして国会に御提案を申し上げる、国会で審議をしていただくということになると思います。そのときからの議論が大変楽しみでございますので、ひとつ首都機能が移転される日が実現できますように御協力をお願いしたいと思います。