中山正暉の発言 (予算委員会)

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○中山国務大臣 私は、昭和三十八年に大阪市議会から政界に入りまして、市議を二期やりましたが、私が昭和三十八年に出たときは、革新市長のもとで、私は、野党自由民主党、野党議員でございますので、大勢の自民党の方々とはちょっと経歴が違うと思います。
 そのときに、いろいろな問題がございました。よど号を乗っ取って、大阪市大の田宮高麿以下九名の人たちが北朝鮮へ行きましたり。そのときに、私は、全国の有為な学生を、大阪市民の負担によって、商都大阪の商大の伝統を継ぐ、そういう大学が、当時の灘尾弘吉文部大臣の懇談会に、全国五十八の公立大学がありましたが、東京都立大学、神奈川県立大学、愛知大学それから大阪府立大学、大阪市立大学、この五校の役員校のうちで、大阪市大の渡瀬譲学長だけが、前夜に全学連と協議をして、文部大臣懇談会を拒否したことがございました。
 そのとき、そういう大学を調査する必要はないかということを言いましたら、昭和四十二年十二月二日の新聞で、中山正暉の大学の自治を侵す行為だとやられたことがありました。しかし、その二年後に、日本じゅうの大学が火の海になりました。そんなことを、大阪の市民、府民は大きな経験を持っていると思います。
 それからまた、黒田了一という共産党の知事が出たときに、私は、この方は細胞会議にしょっちゅう出ている人だということを言ったために特捜部に呼び出されて、左翼大学教授名鑑というのを持って特捜部に行ったことがございました。私を起訴してくれと頼みましたが、起訴してもらえませんでした。それでまた、起訴にならなかったということを私に通告がありませんでしたので、なぜ私を起訴してくれませんでしたか、私はそういうことを裁判所ではっきりさせたい、こう言いましたら、被告訴人に通告の義務なし、訴えてきた人には知らせる必要はあるけれども、訴えられた者になぜ知らせる必要があるかと。これじゃ民主主義の闘いというのはできないなと思った。そんな大阪でございますが、その結果、昔は大阪財界というのはすばらしい財界だったのですが、今は漫才界の方で強くなってしまいまして。
 そういう結果から、私は、今度は、大阪府民、市民はちゃんとした判断をするんではないか、長い間の教育の期間でございましたが、これは民主主義としてやはり必要な教育であったと。
 ですから、民主主義に目覚めていただいて、どういう人を選んだらいいのかというのは、直接府民、市民の不幸につながるということをちゃんと理解してもらった、その結果を私は出していただきたい。大阪市民の一人として、それから日本の政治家の一人として、心から念願をいたしております。

発言情報

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発言者: 中山正暉

speaker_id: 32328

日付: 2000-02-03

院: 衆議院

会議名: 予算委員会