鴻池祥肇の発言 (憲法調査会)
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○鴻池祥肇君 発言の機会をいただきましてありがとうございます。自由民主党の鴻池祥肇でございます。
二月十六日のこの調査会におきまして、我が党からそれぞれ意見が出されました。ほぼ同じような私も意見でございまして、特に参議院は一致団結した自由民主党でございますので、重ねての発言になるかもしれませんがお許しをいただきたいと思います。五点に絞って発言をさせていただきたいと思います。
まず、この憲法が施行されてより約半世紀という節目というものを重点的に考えなければならない。これは憲法がつくり上げてきた戦後憲法体制というものをトータルに振り返る絶好のポイントであると思います。どこでありましても五十周年というものが節目でありますように、憲法もやはり五十年は総括のポイントであると思います。制定過程の検証も大変大事なことだと思います。これは白浜委員よりの御発言にもございました。
冷戦も終わりました。そして、かつての連合国が掲げておりました正義あるいは文明という大義名分というものも色あせてきた現状ではないかと思います。いわゆる連合国は正義であった、日本は悪であった、こういう単純な図式から、自由な歴史的な検証が今行われていいときであると思います。
重ねて申し上げれば、戦前が悪であった、戦後がイコール善であるという一方的な前提、観点にとらわれない問題の分析が必要ではなかろうかと思います。
二点目には、国民世論の進み方というものを基本に考えなければならないと思います。
世論調査によれば、国民の改憲志向というのは大変多くなってきております。この世論を無視できないと私は考えます。改憲の発議権は国会にしか与えられておりません。その国会が国民世論を無視してサボタージュすれば、国民はその重大な国政参加の機会の一つである国民投票にすらたどり着けない。これは国民の権利を絵にかいたもちにするものであると思います。国会議員は国民の負託を受けているという立場を忘れるべきではないと思います。
もちろん調査会は改憲案をつくるためのものではないということも承知をいたしております。しかし、調査の結果、憲法に問題があるという結論になったら速やかに改憲作業に入るべきであります。立法府の調査にはおのずとそれなりの特色がある。それはあくまでも立法を前提にした調査だということであります。また、それゆえに、調査には政治の時宜に応じためり張りといったものがあっていいのではないか。先日の御議論の中にも、ただ五年間というのではなく、議員の任期、政治状況などを勘案しつつ中間報告というものも必要ではないかという意見が出ておりましたけれども、私はこれについて賛成でございます。
三点目には、憲法三原則についてであります。
これを強調するのは自由ではございますけれども、余りにも漠然とした議論ではなかろうかと思います。例えば、平和主義と言いますが、そこには自衛隊の存在はどう位置づけられるのか。国民主権と言いますが、それは天皇の存在を根本的に容認してのものなのか。人権と言いますけれども、それは国家の存立、公共の福祉という問題といかなる関係に立つのか。各政党、論者によってはそれぞれの解釈が異なるものと思われますけれども、そうしたあいまいな状態を明確化すること、むしろこの点を明確にするためにまず三原則こそ調査のテーマにすべきではないかと思っております。
四番目に、憲法と現実の乖離という問題について申し上げたいと思います。
今日我々が直面している現実の問題は、悠長な議論をいつまでも待っているような問題もあります。少なくとも立法府としては即刻結論を出さなければならない問題もございます。その意味で、そうした議論には緊急性にふさわしい一定の優先度が与えられるべきではなかろうかと思います。
私は、以下、そうした観点から緊急度が高いと考えられるテーマについて申し上げたいと思います。
一つ、我が国の安全保障と憲法の問題、二つ、自由、人権の問題と国民の価値観の混乱の問題、三つ目、今日の状況に有効に対応し得ない政治システムの問題。
最後に、何を守るかという問題について申し上げたいと思います。
先ほど申し上げた憲法三原則を守るというのも一つの立場でもあろうかと思いますけれども、我が国の歴史、伝統は守らなくていいのでしょうか。二十一世紀は国民のアイデンティティーが問われる世紀になると言われておりますけれども、この憲法は余りにもこの問題に無理解ではなかろうかと思います。二十一世紀の国の形を論ずる、これは大変大事なことであると思いますけれども、それは空中に楼閣を築くようなものであってはならないと思います。歴史、伝統の護持、継承を離れてそれは成らないということもあわせて強く申し上げておきたいと思います。
以上でございます。