古賀光生の発言 (憲法調査会)
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○参考人(古賀光生君) よろしくお願いいたします。
憲法は国家の基本法ですが、近代憲法においてそれ以上に重要なことは、憲法は諸個人の権利を最終的に保障する規範であるということです。確かに、現代において権利や自由の乱用が社会正義に反する程度にまで振りかざされる傾向があります。しかし、そのことをもって基本的人権そのものをおとしめるような言説が流布していることは大変残念であります。
憲法によって保障される基本的人権の尊重は、特定個人の利益のためにあるのではなく、一人一人の人間が最大限に尊重され、個性を発揮しながら生きるために不可欠な条件を万人に保障するためのものであり、言うならば正義の実現の要求にほかなりません。これは何らかの義務の見返りに与えられるものではなく、人が人であることから自明に与えられる保障であります。
憲法をめぐる議論において現実と理念のギャップが取り上げられていますが、ここで注意が必要なのは、現実とはだれにとっての現実かということであります。
憲法が保障しようとする権利は、歴史的に見て社会的弱者や少数者において侵害されがちなものでした。そのため、限界的に保護を与えようとする規定が時に非現実的に映ったとしてもやむを得ない場合さえあるのではないでしょうか。
憲法が国家の統治機構について多くの条文を割いているのは、個人の尊重を可能にする体制を模索しているからにほかなりません。また、あらゆる条文が結局は個人の尊厳をいかに守るかを念頭に置いて編まれていると言っても過言ではありません。まず何よりこのような前提に立って議論がなされることを望みます。その上で、何が単なる放らつで何が正義実現の要求たる権利かを見きわめることが必要であると思います。
また、そのような権利は積極的に国家によって保護されなければなりません。確かに、往々にして国家は人権を侵害する側に回ることがかつて多かったのですが、そのことをもって国家の果たすべき役割を過小評価してしまうのは大変もったいないことであると思います。先ほども申しましたように、少数者の権利は民主制下においてさえも時に容易に侵害され得ますが、憲法という根本の法で保障されることで、司法などを通じて権利の救済が可能であれば、国家機関が人権の擁護に積極的に関与できるはずです。そのような観点から統治機構について語られることを期待します。
とても抽象的な話になってしまいましたが、具体的な条文の是非を論じる前にぜひ心にとどめおいていただきたいと思いましてお話しさせていただきました。
以上で終わります。
本日はありがとうございました。