憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十二年四月五日(水曜日)
午後二時十七分開会
─────────────
委員の異動
四月四日
辞任 補欠選任
岩井 國臣君 佐々木知子君
直嶋 正行君 柳田 稔君
四月五日
辞任 補欠選任
扇 千景君 田村 秀昭君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 村上 正邦君
幹 事
久世 公堯君
小山 孝雄君
鴻池 祥肇君
武見 敬三君
江田 五月君
吉田 之久君
白浜 一良君
小泉 親司君
大脇 雅子君
委 員
阿南 一成君
岩城 光英君
海老原義彦君
亀谷 博昭君
木村 仁君
北岡 秀二君
佐々木知子君
陣内 孝雄君
世耕 弘成君
谷川 秀善君
中島 眞人君
野間 赳君
服部三男雄君
松田 岩夫君
浅尾慶一郎君
石田 美栄君
北澤 俊美君
笹野 貞子君
高嶋 良充君
角田 義一君
簗瀬 進君
柳田 稔君
魚住裕一郎君
大森 礼子君
高野 博師君
橋本 敦君
吉岡 吉典君
吉川 春子君
福島 瑞穂君
田村 秀昭君
平野 貞夫君
水野 誠一君
佐藤 道夫君
事務局側
憲法調査会事務
局長 大島 稔彦君
参考人
東京大学学生 古賀 光生君
早稲田大学学生 馬場慶次郎君
東京大学学生 平山 陽子君
慶應義塾大学学
生 中島 健君
早稲田大学学生 石川 貴夫君
龍谷大学大学院
生 奥野 恒久君
東京芸術大学学
生 浅田 眞理君
成城大学学生 西脇 伸幸君
お茶の水女子大
学学生 岡村 千尋君
同志社大学学生 杉尾 巨樹君
早稲田大学学生 中牟田 郁君
九州大学学生 星原 大輔君
東京大学学生 馬場 啓明君
島根大学学生 那須 参君
津田塾大学学生 横倉 由佳君
早稲田大学学生 池田 光政君
早稲田大学大学
院生 秋葉 丈志君
長崎大学学生 中園まどか君
琉球大学学生 與那嶺 新君
慶應義塾大学学
生 尾台 弘明君
─────────────
本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
─────────────
この発言だけを見る →午後二時十七分開会
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委員の異動
四月四日
辞任 補欠選任
岩井 國臣君 佐々木知子君
直嶋 正行君 柳田 稔君
四月五日
辞任 補欠選任
扇 千景君 田村 秀昭君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 村上 正邦君
幹 事
久世 公堯君
小山 孝雄君
鴻池 祥肇君
武見 敬三君
江田 五月君
吉田 之久君
白浜 一良君
小泉 親司君
大脇 雅子君
委 員
阿南 一成君
岩城 光英君
海老原義彦君
亀谷 博昭君
木村 仁君
北岡 秀二君
佐々木知子君
陣内 孝雄君
世耕 弘成君
谷川 秀善君
中島 眞人君
野間 赳君
服部三男雄君
松田 岩夫君
浅尾慶一郎君
石田 美栄君
北澤 俊美君
笹野 貞子君
高嶋 良充君
角田 義一君
簗瀬 進君
柳田 稔君
魚住裕一郎君
大森 礼子君
高野 博師君
橋本 敦君
吉岡 吉典君
吉川 春子君
福島 瑞穂君
田村 秀昭君
平野 貞夫君
水野 誠一君
佐藤 道夫君
事務局側
憲法調査会事務
局長 大島 稔彦君
参考人
東京大学学生 古賀 光生君
早稲田大学学生 馬場慶次郎君
東京大学学生 平山 陽子君
慶應義塾大学学
生 中島 健君
早稲田大学学生 石川 貴夫君
龍谷大学大学院
生 奥野 恒久君
東京芸術大学学
生 浅田 眞理君
成城大学学生 西脇 伸幸君
お茶の水女子大
学学生 岡村 千尋君
同志社大学学生 杉尾 巨樹君
早稲田大学学生 中牟田 郁君
九州大学学生 星原 大輔君
東京大学学生 馬場 啓明君
島根大学学生 那須 参君
津田塾大学学生 横倉 由佳君
早稲田大学学生 池田 光政君
早稲田大学大学
院生 秋葉 丈志君
長崎大学学生 中園まどか君
琉球大学学生 與那嶺 新君
慶應義塾大学学
生 尾台 弘明君
─────────────
本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
─────────────
村
村上正邦#1
○会長(村上正邦君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
日本国憲法に関する調査を議題といたします。
本調査会では、国民とともに論議する、過去と現在を踏まえつつ将来を見通しての論議を行うという二つの点を基本方針としております。これらの基本方針を踏まえ、本日は、学生とともに語る憲法調査会と銘打ち、将来の日本を担う若い学生の方々から憲法について率直な御意見を伺いたいと思います。
本日の学生とともに語る憲法調査会には、百七十七名の参加の希望が寄せられました。本日は、この中から二十名の学生の方々にお越しいただいております。
この際、お越しいただきました学生の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、本調査会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。
若い皆さんの率直な御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。よろしくお願いをいたします。
それでは、最初に、御意見をお伺いする十名の方々を御紹介いたします。
東京大学の古賀光生さん、早稲田大学の馬場慶次郎さん、東京大学の平山陽子さん、慶應義塾大学の中島健さん、早稲田大学の石川貴夫さん、龍谷大学大学院の奥野恒久さん、東京芸術大学の浅田眞理さん、成城大学の西脇伸幸さん、お茶の水女子大学の岡村千尋さん、同志社大学の杉尾巨樹さん、以上十名の学生の方々であります。
本日の議事の進め方でございますが、学生の方々からお一人三分程度ずつ御意見をまずお述べいただきまして、その後、各委員との質疑応答に移りたいと存じます。
なお、学生の方々、委員とも御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず古賀光生さんからお願いをいたします。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する調査を議題といたします。
本調査会では、国民とともに論議する、過去と現在を踏まえつつ将来を見通しての論議を行うという二つの点を基本方針としております。これらの基本方針を踏まえ、本日は、学生とともに語る憲法調査会と銘打ち、将来の日本を担う若い学生の方々から憲法について率直な御意見を伺いたいと思います。
本日の学生とともに語る憲法調査会には、百七十七名の参加の希望が寄せられました。本日は、この中から二十名の学生の方々にお越しいただいております。
この際、お越しいただきました学生の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、本調査会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。
若い皆さんの率直な御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。よろしくお願いをいたします。
それでは、最初に、御意見をお伺いする十名の方々を御紹介いたします。
東京大学の古賀光生さん、早稲田大学の馬場慶次郎さん、東京大学の平山陽子さん、慶應義塾大学の中島健さん、早稲田大学の石川貴夫さん、龍谷大学大学院の奥野恒久さん、東京芸術大学の浅田眞理さん、成城大学の西脇伸幸さん、お茶の水女子大学の岡村千尋さん、同志社大学の杉尾巨樹さん、以上十名の学生の方々であります。
本日の議事の進め方でございますが、学生の方々からお一人三分程度ずつ御意見をまずお述べいただきまして、その後、各委員との質疑応答に移りたいと存じます。
なお、学生の方々、委員とも御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず古賀光生さんからお願いをいたします。
古
古賀光生#2
○参考人(古賀光生君) よろしくお願いいたします。
憲法は国家の基本法ですが、近代憲法においてそれ以上に重要なことは、憲法は諸個人の権利を最終的に保障する規範であるということです。確かに、現代において権利や自由の乱用が社会正義に反する程度にまで振りかざされる傾向があります。しかし、そのことをもって基本的人権そのものをおとしめるような言説が流布していることは大変残念であります。
憲法によって保障される基本的人権の尊重は、特定個人の利益のためにあるのではなく、一人一人の人間が最大限に尊重され、個性を発揮しながら生きるために不可欠な条件を万人に保障するためのものであり、言うならば正義の実現の要求にほかなりません。これは何らかの義務の見返りに与えられるものではなく、人が人であることから自明に与えられる保障であります。
憲法をめぐる議論において現実と理念のギャップが取り上げられていますが、ここで注意が必要なのは、現実とはだれにとっての現実かということであります。
憲法が保障しようとする権利は、歴史的に見て社会的弱者や少数者において侵害されがちなものでした。そのため、限界的に保護を与えようとする規定が時に非現実的に映ったとしてもやむを得ない場合さえあるのではないでしょうか。
憲法が国家の統治機構について多くの条文を割いているのは、個人の尊重を可能にする体制を模索しているからにほかなりません。また、あらゆる条文が結局は個人の尊厳をいかに守るかを念頭に置いて編まれていると言っても過言ではありません。まず何よりこのような前提に立って議論がなされることを望みます。その上で、何が単なる放らつで何が正義実現の要求たる権利かを見きわめることが必要であると思います。
また、そのような権利は積極的に国家によって保護されなければなりません。確かに、往々にして国家は人権を侵害する側に回ることがかつて多かったのですが、そのことをもって国家の果たすべき役割を過小評価してしまうのは大変もったいないことであると思います。先ほども申しましたように、少数者の権利は民主制下においてさえも時に容易に侵害され得ますが、憲法という根本の法で保障されることで、司法などを通じて権利の救済が可能であれば、国家機関が人権の擁護に積極的に関与できるはずです。そのような観点から統治機構について語られることを期待します。
とても抽象的な話になってしまいましたが、具体的な条文の是非を論じる前にぜひ心にとどめおいていただきたいと思いましてお話しさせていただきました。
以上で終わります。
本日はありがとうございました。
この発言だけを見る →憲法は国家の基本法ですが、近代憲法においてそれ以上に重要なことは、憲法は諸個人の権利を最終的に保障する規範であるということです。確かに、現代において権利や自由の乱用が社会正義に反する程度にまで振りかざされる傾向があります。しかし、そのことをもって基本的人権そのものをおとしめるような言説が流布していることは大変残念であります。
憲法によって保障される基本的人権の尊重は、特定個人の利益のためにあるのではなく、一人一人の人間が最大限に尊重され、個性を発揮しながら生きるために不可欠な条件を万人に保障するためのものであり、言うならば正義の実現の要求にほかなりません。これは何らかの義務の見返りに与えられるものではなく、人が人であることから自明に与えられる保障であります。
憲法をめぐる議論において現実と理念のギャップが取り上げられていますが、ここで注意が必要なのは、現実とはだれにとっての現実かということであります。
憲法が保障しようとする権利は、歴史的に見て社会的弱者や少数者において侵害されがちなものでした。そのため、限界的に保護を与えようとする規定が時に非現実的に映ったとしてもやむを得ない場合さえあるのではないでしょうか。
憲法が国家の統治機構について多くの条文を割いているのは、個人の尊重を可能にする体制を模索しているからにほかなりません。また、あらゆる条文が結局は個人の尊厳をいかに守るかを念頭に置いて編まれていると言っても過言ではありません。まず何よりこのような前提に立って議論がなされることを望みます。その上で、何が単なる放らつで何が正義実現の要求たる権利かを見きわめることが必要であると思います。
また、そのような権利は積極的に国家によって保護されなければなりません。確かに、往々にして国家は人権を侵害する側に回ることがかつて多かったのですが、そのことをもって国家の果たすべき役割を過小評価してしまうのは大変もったいないことであると思います。先ほども申しましたように、少数者の権利は民主制下においてさえも時に容易に侵害され得ますが、憲法という根本の法で保障されることで、司法などを通じて権利の救済が可能であれば、国家機関が人権の擁護に積極的に関与できるはずです。そのような観点から統治機構について語られることを期待します。
とても抽象的な話になってしまいましたが、具体的な条文の是非を論じる前にぜひ心にとどめおいていただきたいと思いましてお話しさせていただきました。
以上で終わります。
本日はありがとうございました。
村
馬
馬場慶次郎#4
○参考人(馬場慶次郎君) よろしくお願いいたします。
私も、憲法調査会の議論に期待するものということで私の意見を述べさせていただきたいと思います。
現行憲法は占領下にGHQから押しつけられたものというのは否定できないことであると思います。しかし、この五十年間の日本の発展は現行憲法の上に築かれたものでありますし、そこにうたわれた理念は大変立派なものであります。押しつけられた憲法だから改正すべきとか破棄すべきとかそういう議論ではなく、今の日本の現実に対応できていないからとか、日本のあるべき姿を示し切れていない、日本の目指すべき姿を示し切れていないからという視点から建設的な議論を行ってもらいたいと思います。
私としましては、今の憲法の中には幾つか問題点があると考えており、改正も必要ではないかと思います。
例えば憲法の文章がわかりづらいということが挙げられます。憲法とは国家の基本法であり、国民全員が共有すべきものであるはずなんですが、憲法学者の間ですら解釈が幾つにも分かれてしまっております。憲法を国民が共有できていないというのが現状ではないでしょうか。
解釈に柔軟性が生まれるのは法律でありますから当然でありますが、全く正反対にも解釈できてしまうようなこの解釈の幅が広過ぎるというのはいかがなものかと思います。それは、国内の混乱と同時に海外での不信感をも生んでしまっております。日本は憲法上ですらうそをつく国だということを聞いたことがあります。憲法は世界に向けた公約でもあると私は考えております。その点を踏まえて議論してもらいたいと思います。
また、憲法に書かれたものは絶対に正しいかといえばそうでもないと思います。制定当時は正しくても、時代の変化とともにその真実性が薄れていくこともあると思いますし、当時の認識違いということもあろうと思います。憲法は普遍的な理念であり、たやすく変えるべきではないとは思いますが、普遍的真理は次々に発見されていくというのが憲法の考え方でありますから、誤りがあれば勇気を持って改正すべきではないでしょうか。
また、私の希望なんですが、現在の三つの基本原則に加えて、公共心の尊重といったものを基本原理に加えていただきたいと思います。
先ほどの古賀さんが申し上げたとおり、近代憲法の制定史というのは、国家の抑圧からの個人の解放、個人の権利獲得の歴史であったかと思います。そこで、憲法には基本的人権の尊重というのが高らかに掲げられています。しかし、現在、国民主権が確立した今、国益と民衆の権利との二項対立という古い憲法の考え方の時代は終わったと思います。中世までは国益というのは国王の利益であったかと思うんですが、今は国民の利益というのが国益と等しくなっていると思います。現在は、行き過ぎた個人の権利を重視し過ぎているために、公の秩序といったものが乱れ、逆に国民の幸せが壊れていっているのではないでしょうか。個人の人権は大変尊重されるべきではありますが、社会の構成員としての個人といったものが自覚がなければ、それはまやかしの個人にすぎないと思います。ですから、公共心といったものを憲法に織り込んでいただきたいと思います。
最後に、国会議員の先生方を目の前にして申すのもまことに恐縮なんですが、憲法の基本原理であります国民主権といったものが全く機能していないのが現状ではないかと思います。国会議員に主権があると勘違いされておられる方が中にはおられるのではないでしょうか。
先ほどの首班指名のときに、自由党から保守党に行かれた方が森さんに投票したかと思いますが、その行動は全く理解できません。選挙のとき自由党に私も含め投票したはずであります。その人たちは、国民の声を無視して、今回は自由党に投票した有権者の声を無視した行動なのではないかなと思います。議員の私利私欲のための離合集散といったものは国民主権に背いているものではないでしょうか。
私の考えは以上でありますが、十年後、二十年後の日本を見据えて国民の立場に立った議論を先生方にはお願いしたいと思います。
以上であります。ありがとうございました。
この発言だけを見る →私も、憲法調査会の議論に期待するものということで私の意見を述べさせていただきたいと思います。
現行憲法は占領下にGHQから押しつけられたものというのは否定できないことであると思います。しかし、この五十年間の日本の発展は現行憲法の上に築かれたものでありますし、そこにうたわれた理念は大変立派なものであります。押しつけられた憲法だから改正すべきとか破棄すべきとかそういう議論ではなく、今の日本の現実に対応できていないからとか、日本のあるべき姿を示し切れていない、日本の目指すべき姿を示し切れていないからという視点から建設的な議論を行ってもらいたいと思います。
私としましては、今の憲法の中には幾つか問題点があると考えており、改正も必要ではないかと思います。
例えば憲法の文章がわかりづらいということが挙げられます。憲法とは国家の基本法であり、国民全員が共有すべきものであるはずなんですが、憲法学者の間ですら解釈が幾つにも分かれてしまっております。憲法を国民が共有できていないというのが現状ではないでしょうか。
解釈に柔軟性が生まれるのは法律でありますから当然でありますが、全く正反対にも解釈できてしまうようなこの解釈の幅が広過ぎるというのはいかがなものかと思います。それは、国内の混乱と同時に海外での不信感をも生んでしまっております。日本は憲法上ですらうそをつく国だということを聞いたことがあります。憲法は世界に向けた公約でもあると私は考えております。その点を踏まえて議論してもらいたいと思います。
また、憲法に書かれたものは絶対に正しいかといえばそうでもないと思います。制定当時は正しくても、時代の変化とともにその真実性が薄れていくこともあると思いますし、当時の認識違いということもあろうと思います。憲法は普遍的な理念であり、たやすく変えるべきではないとは思いますが、普遍的真理は次々に発見されていくというのが憲法の考え方でありますから、誤りがあれば勇気を持って改正すべきではないでしょうか。
また、私の希望なんですが、現在の三つの基本原則に加えて、公共心の尊重といったものを基本原理に加えていただきたいと思います。
先ほどの古賀さんが申し上げたとおり、近代憲法の制定史というのは、国家の抑圧からの個人の解放、個人の権利獲得の歴史であったかと思います。そこで、憲法には基本的人権の尊重というのが高らかに掲げられています。しかし、現在、国民主権が確立した今、国益と民衆の権利との二項対立という古い憲法の考え方の時代は終わったと思います。中世までは国益というのは国王の利益であったかと思うんですが、今は国民の利益というのが国益と等しくなっていると思います。現在は、行き過ぎた個人の権利を重視し過ぎているために、公の秩序といったものが乱れ、逆に国民の幸せが壊れていっているのではないでしょうか。個人の人権は大変尊重されるべきではありますが、社会の構成員としての個人といったものが自覚がなければ、それはまやかしの個人にすぎないと思います。ですから、公共心といったものを憲法に織り込んでいただきたいと思います。
最後に、国会議員の先生方を目の前にして申すのもまことに恐縮なんですが、憲法の基本原理であります国民主権といったものが全く機能していないのが現状ではないかと思います。国会議員に主権があると勘違いされておられる方が中にはおられるのではないでしょうか。
先ほどの首班指名のときに、自由党から保守党に行かれた方が森さんに投票したかと思いますが、その行動は全く理解できません。選挙のとき自由党に私も含め投票したはずであります。その人たちは、国民の声を無視して、今回は自由党に投票した有権者の声を無視した行動なのではないかなと思います。議員の私利私欲のための離合集散といったものは国民主権に背いているものではないでしょうか。
私の考えは以上でありますが、十年後、二十年後の日本を見据えて国民の立場に立った議論を先生方にはお願いしたいと思います。
以上であります。ありがとうございました。
村
平
平山陽子#6
○参考人(平山陽子君) 東京大学医学部六年の平山陽子です。
私のテーマは、憲法調査会に期待することです。皆さんの議論の中で再三言われていた憲法と現実の乖離という点について、日々医療現場で学んでいる医学生の立場から申し上げたいと思います。
私は、憲法の精神をもっと大学教育に実践的に取り入れる必要があると考えています。理由を医学部における一つの例をもとに述べたいと思います。
インフォームド・コンセントというのは既に一般的によく知られている概念ですけれども、医療現場では単に訴訟対策という視点で語られることが少なくありません。そのような場合、形式的な説明や一方的な告知で終わってしまいがちです。
しかし、憲法十三条の個人の尊重、生命、自由、幸福追求の権利や、二十五条の生存権に照らしてみれば、患者さんが自分自身の病について知り、価値観に基づいて治療法を選択するという権利は最大限尊重されるべきであり、そういった視点に立てば、医者の側も患者さんのために納得いくまで説明し、困難な選択をともに行うという本来のインフォームド・コンセントを行うことができると考えます。
また、この問題について、教育とは別ですけれども、患者さんへの説明といったことには現在全く診療報酬制度がついていません。現行の医療制度のもとでは三分間診療を余儀なくされています。こういったことも医師、患者間のコミュニケーション不足の原因となっています。これは、憲法二十五条の国の社会保障義務という項目にも反していると思われます。
最近、医療現場での不祥事が相次ぎ、医療改革は国民からの切実な要求となっています。しかし、現在の医学教育では疾患の生物学的側面のみが重視され、人権や倫理といった社会真理的側面は軽視されがちです。これでは国民の求めている医療改革はできないと思います。
以上をまとめますと、医学教育には人権や倫理といった視点が欠けています。憲法の視点を取り入れることが国民の求める医療改革の第一歩だと思います。また、こういった問題は、医学部のみならず、大学の理系教育において考えられることではないかと私は思っています。したがいまして、当調査会にはこういった大学教育の問題点の調査と、憲法の視点からの改善の提案をお願いしたいと思います。
以上で私の発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →私のテーマは、憲法調査会に期待することです。皆さんの議論の中で再三言われていた憲法と現実の乖離という点について、日々医療現場で学んでいる医学生の立場から申し上げたいと思います。
私は、憲法の精神をもっと大学教育に実践的に取り入れる必要があると考えています。理由を医学部における一つの例をもとに述べたいと思います。
インフォームド・コンセントというのは既に一般的によく知られている概念ですけれども、医療現場では単に訴訟対策という視点で語られることが少なくありません。そのような場合、形式的な説明や一方的な告知で終わってしまいがちです。
しかし、憲法十三条の個人の尊重、生命、自由、幸福追求の権利や、二十五条の生存権に照らしてみれば、患者さんが自分自身の病について知り、価値観に基づいて治療法を選択するという権利は最大限尊重されるべきであり、そういった視点に立てば、医者の側も患者さんのために納得いくまで説明し、困難な選択をともに行うという本来のインフォームド・コンセントを行うことができると考えます。
また、この問題について、教育とは別ですけれども、患者さんへの説明といったことには現在全く診療報酬制度がついていません。現行の医療制度のもとでは三分間診療を余儀なくされています。こういったことも医師、患者間のコミュニケーション不足の原因となっています。これは、憲法二十五条の国の社会保障義務という項目にも反していると思われます。
最近、医療現場での不祥事が相次ぎ、医療改革は国民からの切実な要求となっています。しかし、現在の医学教育では疾患の生物学的側面のみが重視され、人権や倫理といった社会真理的側面は軽視されがちです。これでは国民の求めている医療改革はできないと思います。
以上をまとめますと、医学教育には人権や倫理といった視点が欠けています。憲法の視点を取り入れることが国民の求める医療改革の第一歩だと思います。また、こういった問題は、医学部のみならず、大学の理系教育において考えられることではないかと私は思っています。したがいまして、当調査会にはこういった大学教育の問題点の調査と、憲法の視点からの改善の提案をお願いしたいと思います。
以上で私の発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。
村
村
中
中島健#9
○参考人(中島健君) 慶應義塾大学法学部法律学科三年の中島でございます。
それでは、意見を述べさせていただきます。
私が思いますに、今日求められる憲法論議とは単に憲法にまつわる議論をするということではなく、憲法が実現しようとしている正義や理想それ自体を再検討する立憲的な議論であると思います。そして、憲法の理念がなぜ政治に生かされていないのかというたぐいの議論、これは通常の国会審議や裁判所に担当していただくべきことではないかと存じます。
一例を挙げますと、私が現行憲法中特に疑問に感じますのが、前文や九条に象徴されます憲法平和主義であり、今や我々は九条の憲政史上の役割について事実に基づいた正しい認識が必要であろうかと存じます。
と申しましても、これは押しつけだから問題だということではありませんで、一見美しい理想が並べられている憲法平和主義の時代的あるいは国際政治的経緯を想起せよということであります。例えば、戦後我が国が成功したのは平和憲法のおかげで戦争に巻き込まれなかったからだという俗耳に入りやすい議論がございますが、私には真実は全く異なるように思われます。
すなわち、国際政治を力、利益及び価値の三つの体系によって構成されているとしますれば、戦後我が国が国際社会の中で発展し得たのは、在日米軍と自衛隊という力によって戦争を抑止し、さらに幸運にも自由貿易体制による恩恵を受けられたからにほかなりません。戦後、先進国による侵略戦争が減ったのも、安定した秩序の方が利益を生み、侵略が経済的に引き合わなくなったことが最大の原因であって、人類が戦争は悪であるといった高邁な道徳に目覚めたからではございません。
国際政治の要素としての力の意義があたかもないかのように見せかけ、我が国が国際秩序の形成に主体的に関与する余地を与えない現行憲法は、我が国が米国の庇護下にあった冷戦時代にのみ妥当する歴史的条文であります。
しかるに、今日、冷戦終結後十年がたとうとしておりますが、九条は普遍的価値であり、日本を戦争から守ったという錯覚が依然続いておるように思われます。そもそも、人間は理性的動物であると言われますように、理想それ自体は現実と独立して存在することはできません。
私が憲法調査会に期待いたしますのは、憲法という理想像の政治的、歴史的背景を謙虚に認識した上での、我が国が国際秩序の形成に主体的に関与しなければならない新時代にふさわしい憲法を模索するタブーなき立憲的議論であります。
以上で終わります。
御清聴ありがとうございました。
この発言だけを見る →それでは、意見を述べさせていただきます。
私が思いますに、今日求められる憲法論議とは単に憲法にまつわる議論をするということではなく、憲法が実現しようとしている正義や理想それ自体を再検討する立憲的な議論であると思います。そして、憲法の理念がなぜ政治に生かされていないのかというたぐいの議論、これは通常の国会審議や裁判所に担当していただくべきことではないかと存じます。
一例を挙げますと、私が現行憲法中特に疑問に感じますのが、前文や九条に象徴されます憲法平和主義であり、今や我々は九条の憲政史上の役割について事実に基づいた正しい認識が必要であろうかと存じます。
と申しましても、これは押しつけだから問題だということではありませんで、一見美しい理想が並べられている憲法平和主義の時代的あるいは国際政治的経緯を想起せよということであります。例えば、戦後我が国が成功したのは平和憲法のおかげで戦争に巻き込まれなかったからだという俗耳に入りやすい議論がございますが、私には真実は全く異なるように思われます。
すなわち、国際政治を力、利益及び価値の三つの体系によって構成されているとしますれば、戦後我が国が国際社会の中で発展し得たのは、在日米軍と自衛隊という力によって戦争を抑止し、さらに幸運にも自由貿易体制による恩恵を受けられたからにほかなりません。戦後、先進国による侵略戦争が減ったのも、安定した秩序の方が利益を生み、侵略が経済的に引き合わなくなったことが最大の原因であって、人類が戦争は悪であるといった高邁な道徳に目覚めたからではございません。
国際政治の要素としての力の意義があたかもないかのように見せかけ、我が国が国際秩序の形成に主体的に関与する余地を与えない現行憲法は、我が国が米国の庇護下にあった冷戦時代にのみ妥当する歴史的条文であります。
しかるに、今日、冷戦終結後十年がたとうとしておりますが、九条は普遍的価値であり、日本を戦争から守ったという錯覚が依然続いておるように思われます。そもそも、人間は理性的動物であると言われますように、理想それ自体は現実と独立して存在することはできません。
私が憲法調査会に期待いたしますのは、憲法という理想像の政治的、歴史的背景を謙虚に認識した上での、我が国が国際秩序の形成に主体的に関与しなければならない新時代にふさわしい憲法を模索するタブーなき立憲的議論であります。
以上で終わります。
御清聴ありがとうございました。
村
石
石川貴夫#11
○参考人(石川貴夫君) 早稲田大学政治経済学部政治学科四年の石川貴夫です。
本日、発言の機会をいただきましたことを大変感謝いたしますとともに、国民の一人として小渕前首相の御回復を心よりお祈り申し上げます。
さて、憲法とは国の形であると言います。我が国の憲法は、我が国の偉大なる歴史、誇りに満ちた今、そして希望と責任ある未来の象徴であるべきです。
昨今において、日本国憲法は第二次世界大戦後の占領軍からの押しつけであるという議論があります。事の真偽を断ずるに足る知識は私にはありません。しかし、少なくともそのような疑念がわくこと自体に大きな問題があると言わざるを得ません。
我々国民が我が国の憲法に対して、日本国民の日本国民による我が国と世界の平和を目指すものであると確信できないとすれば、それは国家の存在意義そのものが危機的な状況であると思います。また、前文に加えて条文は百三カ条に及ぶにもかかわらず、日本国憲法は半世紀以上前の全くそのままの姿です。それが今日我々国民の求めるものであるとは思えません。
我が国の最高法規であるはずの日本国憲法は、守られてきたのではなく実は置き去りにされてきたと言う方が正しいのではないでしょうか。それはつまり護憲ではなく棄憲です。
国内外において国民の命さえも満足に守れない憲法などあってよいはずがありません。国民の命と安全を保障するために現実に存在している自衛隊を明確に定義できない憲法などあってよいはずがありません。さらに、日本国民に恩恵を保障したとしても、我が国の援助を求める諸外国からの要請にこたえられない憲法などあってよいはずがありません。憲法違反を問うよりも憲法が現実違反であることを問題にすべきです。同時に、時の政治権力が恣意的に憲法を曲解するようなすき間も決してあってはなりません。解釈の変更は余りに危険なレトリックだと感じます。
熟慮過程を経ずに憲法を変えるべきではありません。しかし、憲法は神聖不可侵なものでは決してなく、あくまでも我々日本国民の民主主義への不断の努力の象徴であるはずです。その努力を怠り、しり込みしてしまうことは、まさに不名誉な恐れであると思います。
確かに、現行の日本国憲法にはすばらしい点がたくさんあると思います。しかし、それをより今日に適した形にしていくことは当然のことです。改悪になる可能性があるから国会は決して発議しないというのは、実は主権者である我々国民を信頼していないからだとしか思えません。
我々は今、希望と勇気と責任を持って新しい時代を切り開いていくべきです。恐れに彩られた停滞は、まさに退行を意味するに等しいと考えます。もし論憲に終わってしまっては、それは取り返すことのできない歴史的な過ちになると私は確信します。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →本日、発言の機会をいただきましたことを大変感謝いたしますとともに、国民の一人として小渕前首相の御回復を心よりお祈り申し上げます。
さて、憲法とは国の形であると言います。我が国の憲法は、我が国の偉大なる歴史、誇りに満ちた今、そして希望と責任ある未来の象徴であるべきです。
昨今において、日本国憲法は第二次世界大戦後の占領軍からの押しつけであるという議論があります。事の真偽を断ずるに足る知識は私にはありません。しかし、少なくともそのような疑念がわくこと自体に大きな問題があると言わざるを得ません。
我々国民が我が国の憲法に対して、日本国民の日本国民による我が国と世界の平和を目指すものであると確信できないとすれば、それは国家の存在意義そのものが危機的な状況であると思います。また、前文に加えて条文は百三カ条に及ぶにもかかわらず、日本国憲法は半世紀以上前の全くそのままの姿です。それが今日我々国民の求めるものであるとは思えません。
我が国の最高法規であるはずの日本国憲法は、守られてきたのではなく実は置き去りにされてきたと言う方が正しいのではないでしょうか。それはつまり護憲ではなく棄憲です。
国内外において国民の命さえも満足に守れない憲法などあってよいはずがありません。国民の命と安全を保障するために現実に存在している自衛隊を明確に定義できない憲法などあってよいはずがありません。さらに、日本国民に恩恵を保障したとしても、我が国の援助を求める諸外国からの要請にこたえられない憲法などあってよいはずがありません。憲法違反を問うよりも憲法が現実違反であることを問題にすべきです。同時に、時の政治権力が恣意的に憲法を曲解するようなすき間も決してあってはなりません。解釈の変更は余りに危険なレトリックだと感じます。
熟慮過程を経ずに憲法を変えるべきではありません。しかし、憲法は神聖不可侵なものでは決してなく、あくまでも我々日本国民の民主主義への不断の努力の象徴であるはずです。その努力を怠り、しり込みしてしまうことは、まさに不名誉な恐れであると思います。
確かに、現行の日本国憲法にはすばらしい点がたくさんあると思います。しかし、それをより今日に適した形にしていくことは当然のことです。改悪になる可能性があるから国会は決して発議しないというのは、実は主権者である我々国民を信頼していないからだとしか思えません。
我々は今、希望と勇気と責任を持って新しい時代を切り開いていくべきです。恐れに彩られた停滞は、まさに退行を意味するに等しいと考えます。もし論憲に終わってしまっては、それは取り返すことのできない歴史的な過ちになると私は確信します。
ありがとうございました。
村
奥
奥野恒久#13
○参考人(奥野恒久君) 京都にあります龍谷大学大学院で憲法学を専攻しております奥野恒久です。大学を卒業してから少しブランクを置いて大学院に入りましたもので、三十を過ぎているんですけれども院生ということで応募させていただきました。
三点ほど述べさせていただきたいと思います。
一つは、私を含めましてかなり多くの人たちが今の日本という国についてこれからどうなるんだろうかという不安を持たれているんじゃないかと思います。日本のこれから進んでいくべき指針といいますか哲学、これが今ないんじゃないかとさえ思うわけです。
二つ目です。では、その哲学とか指針として何がいいんだろうかと考えましたところ、今いろいろと言われておりますけれども、私は、日本国憲法、これを掲げていくべきだ、こういうふうに考えます。
それは、日本国憲法が例えば第九条の先駆性といったそういうものを含んでいるということも当然あります。しかし、それ以上に私が重要視したいのは、戦後半世紀以上にわたって私たちや私たちの先輩方は、日本国憲法という後ろ盾を持って生活を営み、日本国憲法を武器にして運動をし、私たちの暮らしとか平和とか社会、これをよくしよう、守っていこうとしたはずです。憲法といいますのは形だけ見れば百三条の条文にすぎません。しかし、これによって、こういった運動、力強い運動が憲法に内容を込めてき、魂を入れてきた、そういうふうに考えるわけです。
その意味からいたしまして、今の状況の中で私は断固として護憲です。今の日本国憲法、これを掲げ、そして日本国憲法が発するメッセージ、これを広め、そして私自身もそれに努めていきたい、こう決意しております。
最後になります。日本国憲法が発するメッセージとは何か。
今、地球自体が環境の問題、資源の問題で、二十一世紀の地球はどうなるのかという危惧を持たれているときです。それに対し、日本国憲法から二つのメッセージを読み取ることができます。一つは、日本みずからが軍縮を進めることによって世界の軍縮のイニシアチブをとる。もう一つは、今の豊かさとか今の繁栄、果たしてこれがいいのかどうか問いかけてみる。この二つのことを日本国憲法のメッセージとして受け取ることができるんじゃないかと思います。
この路線は、普通の国になるという路線とは全く違います。しかし、日本がこの路線に向かって誠実に歩むのであれば、世界からもある種一目置かれる存在として私たち自身も胸を張っていくことができるかと思います。日本国憲法を基準に置いて二十一世紀を切り開いていきたい、そのように切に思う次第です。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →三点ほど述べさせていただきたいと思います。
一つは、私を含めましてかなり多くの人たちが今の日本という国についてこれからどうなるんだろうかという不安を持たれているんじゃないかと思います。日本のこれから進んでいくべき指針といいますか哲学、これが今ないんじゃないかとさえ思うわけです。
二つ目です。では、その哲学とか指針として何がいいんだろうかと考えましたところ、今いろいろと言われておりますけれども、私は、日本国憲法、これを掲げていくべきだ、こういうふうに考えます。
それは、日本国憲法が例えば第九条の先駆性といったそういうものを含んでいるということも当然あります。しかし、それ以上に私が重要視したいのは、戦後半世紀以上にわたって私たちや私たちの先輩方は、日本国憲法という後ろ盾を持って生活を営み、日本国憲法を武器にして運動をし、私たちの暮らしとか平和とか社会、これをよくしよう、守っていこうとしたはずです。憲法といいますのは形だけ見れば百三条の条文にすぎません。しかし、これによって、こういった運動、力強い運動が憲法に内容を込めてき、魂を入れてきた、そういうふうに考えるわけです。
その意味からいたしまして、今の状況の中で私は断固として護憲です。今の日本国憲法、これを掲げ、そして日本国憲法が発するメッセージ、これを広め、そして私自身もそれに努めていきたい、こう決意しております。
最後になります。日本国憲法が発するメッセージとは何か。
今、地球自体が環境の問題、資源の問題で、二十一世紀の地球はどうなるのかという危惧を持たれているときです。それに対し、日本国憲法から二つのメッセージを読み取ることができます。一つは、日本みずからが軍縮を進めることによって世界の軍縮のイニシアチブをとる。もう一つは、今の豊かさとか今の繁栄、果たしてこれがいいのかどうか問いかけてみる。この二つのことを日本国憲法のメッセージとして受け取ることができるんじゃないかと思います。
この路線は、普通の国になるという路線とは全く違います。しかし、日本がこの路線に向かって誠実に歩むのであれば、世界からもある種一目置かれる存在として私たち自身も胸を張っていくことができるかと思います。日本国憲法を基準に置いて二十一世紀を切り開いていきたい、そのように切に思う次第です。
ありがとうございました。
村
浅
浅田眞理#15
○参考人(浅田眞理君) よろしくお願いいたします。東京芸術大学三年の浅田眞理と申します。
私は、東京芸術大学で日本舞踊を専攻しています。今まで専門的に憲法について学んだということはありませんでしたが、日本の伝統文化を学んでいる体験を通して私が感じてきたことを率直に述べたいと思います。
私がきょうここで述べたいことは、自由と決まり事を守るということの関係についてです。
昨年、埼玉県の所沢高校で、生徒たちが学校側の卒業式には出ずに自分たちで卒業式を開くということがありました。生徒たちの見解としては、自分たちは自由に生きる権利があるのだから学校側の決まり事に従う必要はないということであると思います。
しかし、先日、大学の能のレッスンで先生が非常に興味深いことを言っておられました。能の中には決して破ることのできない型というものがある、しかし、型を守ることで自分の心まで束縛されるかというとそうではない、自分の心はあくまでも自由なんだ、その自由な心を型に込めようとすることでより自分の感情が生き生きと見ている人に伝わる、それがおもしろいから僕は能を続けている。
私も日本舞踊を専攻していますので、先生が言っておられることはよくわかります。すばらしい踊りを踊るためには、まず先人たちがつくり上げてきた型をしっかりと学ばなければなりません。型を軽視し自分勝手に振りつけをしたのでは、魅力ある踊りを踊ることはできません。私は、日本舞踊を通じて、伝統に培われた型、決まり事をしっかりと学ぶことの大切さを教えられたと思います。
この型を学び、とうとぶという考え方が所沢高校の生徒たちに全く見られないということが私は残念でなりませんでした。国旗を掲揚し国歌を斉唱し、厳粛な空気の中で新たな旅立ちをしていく、そうした卒業式の型、決まり事を尊重したからといって、それで内心の自由まで束縛されるわけではないのではないかと思います。むしろ、決まり事をとうとぶ中から、その決まり事を生み出してきた先人たちの思いをしのんでいく、そうすることで初めて自分らしい創造性も生まれてくるのだと思います。
ところが、憲法では自分の自由や権利だけが強調されていて、先人たちが築いてきた型を守り受け継ぐ中で新しい創造をなしていくという考え方は軽んじられているような気がいたします。果たして、自分の権利や自由を絶対視する憲法の考え方だけで日本の歴史、伝統を継承、発展させていくことができるのでしょうか。
少なくとも、世界に誇るべき日本の伝統芸術である日本舞踊に関していえば、型を守る、伝統に基づく決まり事を尊重するという考え方がなければ、その芸術性は守っていけません。個人の自由は大切です。しかし、先人たちが築いてきた型を守り受け継ぐ中で新しい創造をなしていくという考え方を憲法に盛り込んでいかなければ、すばらしい文化と芸術を守り発展させていく日本であり続けることは困難であると思います。
芸術や文化を守る日本にしていけるような趣旨をぜひ憲法前文に盛り込むことを検討していただきたいと思っております。
最後に、憲法のことについて専門的に学んでいない私がここで申し上げることによって、憲法というものは生き方そのものであり、今国民すべてが考えていくべきことであるという実感を皆さんに抱いていただければ幸いなことだと思います。
以上で終わります。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →私は、東京芸術大学で日本舞踊を専攻しています。今まで専門的に憲法について学んだということはありませんでしたが、日本の伝統文化を学んでいる体験を通して私が感じてきたことを率直に述べたいと思います。
私がきょうここで述べたいことは、自由と決まり事を守るということの関係についてです。
昨年、埼玉県の所沢高校で、生徒たちが学校側の卒業式には出ずに自分たちで卒業式を開くということがありました。生徒たちの見解としては、自分たちは自由に生きる権利があるのだから学校側の決まり事に従う必要はないということであると思います。
しかし、先日、大学の能のレッスンで先生が非常に興味深いことを言っておられました。能の中には決して破ることのできない型というものがある、しかし、型を守ることで自分の心まで束縛されるかというとそうではない、自分の心はあくまでも自由なんだ、その自由な心を型に込めようとすることでより自分の感情が生き生きと見ている人に伝わる、それがおもしろいから僕は能を続けている。
私も日本舞踊を専攻していますので、先生が言っておられることはよくわかります。すばらしい踊りを踊るためには、まず先人たちがつくり上げてきた型をしっかりと学ばなければなりません。型を軽視し自分勝手に振りつけをしたのでは、魅力ある踊りを踊ることはできません。私は、日本舞踊を通じて、伝統に培われた型、決まり事をしっかりと学ぶことの大切さを教えられたと思います。
この型を学び、とうとぶという考え方が所沢高校の生徒たちに全く見られないということが私は残念でなりませんでした。国旗を掲揚し国歌を斉唱し、厳粛な空気の中で新たな旅立ちをしていく、そうした卒業式の型、決まり事を尊重したからといって、それで内心の自由まで束縛されるわけではないのではないかと思います。むしろ、決まり事をとうとぶ中から、その決まり事を生み出してきた先人たちの思いをしのんでいく、そうすることで初めて自分らしい創造性も生まれてくるのだと思います。
ところが、憲法では自分の自由や権利だけが強調されていて、先人たちが築いてきた型を守り受け継ぐ中で新しい創造をなしていくという考え方は軽んじられているような気がいたします。果たして、自分の権利や自由を絶対視する憲法の考え方だけで日本の歴史、伝統を継承、発展させていくことができるのでしょうか。
少なくとも、世界に誇るべき日本の伝統芸術である日本舞踊に関していえば、型を守る、伝統に基づく決まり事を尊重するという考え方がなければ、その芸術性は守っていけません。個人の自由は大切です。しかし、先人たちが築いてきた型を守り受け継ぐ中で新しい創造をなしていくという考え方を憲法に盛り込んでいかなければ、すばらしい文化と芸術を守り発展させていく日本であり続けることは困難であると思います。
芸術や文化を守る日本にしていけるような趣旨をぜひ憲法前文に盛り込むことを検討していただきたいと思っております。
最後に、憲法のことについて専門的に学んでいない私がここで申し上げることによって、憲法というものは生き方そのものであり、今国民すべてが考えていくべきことであるという実感を皆さんに抱いていただければ幸いなことだと思います。
以上で終わります。
ありがとうございました。
村
西
西脇伸幸#17
○参考人(西脇伸幸君) 私は、成城大学法学部法律学科三年生の西脇伸幸です。
本日はこのような機会をいただき、ありがとうございます。
私は現在二十歳でありまして、いまだ参政権というものを行使したことがありません。本日、参議院の首班指名選挙の方は傍聴させていただきましたが、衆議院の首班指名選挙の方は結果を知りませんが、恐らく指名されたと思われます森喜朗現首相及び政府・与党の方々には、私に早期に参政権を行使させていただけるような配慮を求めたいと思います。
前置きが長くなりましたが、意見を今から述べさせていただきます。
今日、日本は国際社会においてさまざまな貢献と責任を求められる立場にあるとされています。先進国の一つに数えられ、第二次世界大戦後、未曾有の経済成長をなし遂げた日本に対して、国際社会は従来の経済的貢献のみならず人的貢献を強く求めています。それに対して、カンボジア、モザンビークにおけるPKOに対する自衛隊の派遣及び文民警察官の派遣などといった人的貢献の試みが実現されています。しかし、果たしてこれだけで足りるのでしょうか。
例えば、日本の小中学生に日本国憲法について知っていることを教えてくださいと質問すれば、ほとんどの人が戦争放棄をうたった第九条のことに関することを答えると思います。それは、私たち日本国民の心の中に憲法の重要な価値観の一つとして、二度と第二次世界大戦のような戦火を起こしてはいけないという平和主義の考え方が浸透していることを示していると思います。
そして、私たちには経済的貢献、人的貢献だけではなく日本国民が享有してきた平和主義という考え方を世界に広めていくという、いわば外交的な貢献が必要なのではないかと思うのです。
いまだ世界には、大小さまざまな紛争の火種がくすぶっていると言われています。全世界的な宗教対立あるいは民族対立を原因とするそれらの紛争は、大国の軍事力の理論では到底解決できない深い歴史的、精神的背景を持っています。そのような紛争にこそ、日本は世界の一員として、また日本国憲法という平和憲法を担う一員として解決の手助けに臨むべきではないでしょうか。
憲法調査会には、憲法の制定過程の調査や憲法改正項目の検討といった、憲法学を学ぶ身からすれば極めて重要で興味深いテーマについて議論が深められると聞いていますが、ぜひその中で、日本の平和憲法の精神をいかに世界に伝えていくべきかということの議論がなされることを私は期待したいのです。
具体的には、憲法の精神を伝える使節団の派遣などといったことが考えられるのではないかと思います。この平和憲法の精神は、憲法制定過程にいかなる問題があろうとも、変わることなく日本国民が持ち、世界に伝えなければならない精神であると思います。
最後になりましたが、今回、このような学生と憲法について語る企画はとても重要で有意義なことだと思います。ぜひとも今後は、学生に限らずさまざまな分野の人々、特に憲法の人権規定に関係する医師や報道機関の方々などを交えて有意義で建設的な議論を交わすことによって、憲法調査会が大きな業績を残されることを期待しています。
以上です。ありがとうございました。
この発言だけを見る →本日はこのような機会をいただき、ありがとうございます。
私は現在二十歳でありまして、いまだ参政権というものを行使したことがありません。本日、参議院の首班指名選挙の方は傍聴させていただきましたが、衆議院の首班指名選挙の方は結果を知りませんが、恐らく指名されたと思われます森喜朗現首相及び政府・与党の方々には、私に早期に参政権を行使させていただけるような配慮を求めたいと思います。
前置きが長くなりましたが、意見を今から述べさせていただきます。
今日、日本は国際社会においてさまざまな貢献と責任を求められる立場にあるとされています。先進国の一つに数えられ、第二次世界大戦後、未曾有の経済成長をなし遂げた日本に対して、国際社会は従来の経済的貢献のみならず人的貢献を強く求めています。それに対して、カンボジア、モザンビークにおけるPKOに対する自衛隊の派遣及び文民警察官の派遣などといった人的貢献の試みが実現されています。しかし、果たしてこれだけで足りるのでしょうか。
例えば、日本の小中学生に日本国憲法について知っていることを教えてくださいと質問すれば、ほとんどの人が戦争放棄をうたった第九条のことに関することを答えると思います。それは、私たち日本国民の心の中に憲法の重要な価値観の一つとして、二度と第二次世界大戦のような戦火を起こしてはいけないという平和主義の考え方が浸透していることを示していると思います。
そして、私たちには経済的貢献、人的貢献だけではなく日本国民が享有してきた平和主義という考え方を世界に広めていくという、いわば外交的な貢献が必要なのではないかと思うのです。
いまだ世界には、大小さまざまな紛争の火種がくすぶっていると言われています。全世界的な宗教対立あるいは民族対立を原因とするそれらの紛争は、大国の軍事力の理論では到底解決できない深い歴史的、精神的背景を持っています。そのような紛争にこそ、日本は世界の一員として、また日本国憲法という平和憲法を担う一員として解決の手助けに臨むべきではないでしょうか。
憲法調査会には、憲法の制定過程の調査や憲法改正項目の検討といった、憲法学を学ぶ身からすれば極めて重要で興味深いテーマについて議論が深められると聞いていますが、ぜひその中で、日本の平和憲法の精神をいかに世界に伝えていくべきかということの議論がなされることを私は期待したいのです。
具体的には、憲法の精神を伝える使節団の派遣などといったことが考えられるのではないかと思います。この平和憲法の精神は、憲法制定過程にいかなる問題があろうとも、変わることなく日本国民が持ち、世界に伝えなければならない精神であると思います。
最後になりましたが、今回、このような学生と憲法について語る企画はとても重要で有意義なことだと思います。ぜひとも今後は、学生に限らずさまざまな分野の人々、特に憲法の人権規定に関係する医師や報道機関の方々などを交えて有意義で建設的な議論を交わすことによって、憲法調査会が大きな業績を残されることを期待しています。
以上です。ありがとうございました。
村
村上正邦#18
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
西脇さんの御提案どおり、各層の方々とこういう調査会をこれから企画いたしております。
次に、岡村千尋さんにお願いをいたします。
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次に、岡村千尋さんにお願いをいたします。
岡
岡村千尋#19
○参考人(岡村千尋君) 私は、今までの方と若干違う視点からの発言になるかと思いますが、憲法十四条の法のもとの平等という条文について、女性の暮らしの観点から発言します。
まず、憲法の歴史を振り返ってみますと、明治憲法においては女性は男性に従える者として扱われていました。私は、卒業論文で、戦前の女性の大学教育について調査研究することを通じて、戦前、憲法で女性の基本的人権が認められていなかった中で、女性が大学で学んだり社会に進出していくには血のにじむような努力や苦労が必要だったこと、そのような苦労や努力を重ねて時代を開拓していった女性がいたことがわかりました。世界的な男女平等の流れを背景にしたそれらの女性の功績が憲法第十四条の制定に大きな役割を果たしたと言えます。
そのような歴史を顧みれば、憲法十四条に支えられた現在の女性の活躍は目覚ましいものがあります。高等教育への進学率、就業率も年々上昇しています。その意味で、私たち女性にとって憲法十四条がかけがえのないものであることは確かです。
しかし、女性の暮らしは戦前とは比べものにならないほど平等で自由なものになったとはいえ、決して十分なものとは言えません。労働の現場においても男女差別はなくなっていません。募集、採用に始まり、昇進昇格差別、賃金差別などさまざまな形での女性への不当な差別が依然残っています。政治、行政への女性の参加率が大変低いことも御承知のとおりと思います。育児や介護に対する社会的なサポートが不十分な状況の中で、労働における女性の差別が合理化されていると思います。世界一の働き者と言われる日本でたくさんの人が家事、育児に十分に参加するゆとりもないほど働いている、そういう事実も見逃せません。大学においては、学問を盾に女性の性をもてあそぶようなアカデミックハラスメントが起きています。社会全体を見ても、セクシュアルハラスメントやレイプなど性暴力の被害が後を絶ちません。
このように、憲法に反して女性の人権を侵害するような行為や風潮が社会全体に根強く存在していることは事実です。憲法には、男性、女性、既婚者、未婚者を問わず、一人一人を個人としてその人権を尊重することが明記されています。
二十一世紀に向けて、男性の力も女性の力も十分に発揮できる、そういう日本をつくっていくためには、今あるような憲法と現実のギャップを直視し、改善し、私たちの暮らしの中に憲法を実現していかなければならないと思います。そのためには、政治、行政、労働、教育など、多方面にわたって意識の啓発と同時に、女性だけでなく、男性も人間として当たり前に望むようなライフスタイルを確立していけるような、そういう社会環境の整備が急がれていると思います。そして、このような憲法調査会などの場、その他の場での社会全体での議論が必要だと思います。
以上で発言を終わります。
この発言だけを見る →まず、憲法の歴史を振り返ってみますと、明治憲法においては女性は男性に従える者として扱われていました。私は、卒業論文で、戦前の女性の大学教育について調査研究することを通じて、戦前、憲法で女性の基本的人権が認められていなかった中で、女性が大学で学んだり社会に進出していくには血のにじむような努力や苦労が必要だったこと、そのような苦労や努力を重ねて時代を開拓していった女性がいたことがわかりました。世界的な男女平等の流れを背景にしたそれらの女性の功績が憲法第十四条の制定に大きな役割を果たしたと言えます。
そのような歴史を顧みれば、憲法十四条に支えられた現在の女性の活躍は目覚ましいものがあります。高等教育への進学率、就業率も年々上昇しています。その意味で、私たち女性にとって憲法十四条がかけがえのないものであることは確かです。
しかし、女性の暮らしは戦前とは比べものにならないほど平等で自由なものになったとはいえ、決して十分なものとは言えません。労働の現場においても男女差別はなくなっていません。募集、採用に始まり、昇進昇格差別、賃金差別などさまざまな形での女性への不当な差別が依然残っています。政治、行政への女性の参加率が大変低いことも御承知のとおりと思います。育児や介護に対する社会的なサポートが不十分な状況の中で、労働における女性の差別が合理化されていると思います。世界一の働き者と言われる日本でたくさんの人が家事、育児に十分に参加するゆとりもないほど働いている、そういう事実も見逃せません。大学においては、学問を盾に女性の性をもてあそぶようなアカデミックハラスメントが起きています。社会全体を見ても、セクシュアルハラスメントやレイプなど性暴力の被害が後を絶ちません。
このように、憲法に反して女性の人権を侵害するような行為や風潮が社会全体に根強く存在していることは事実です。憲法には、男性、女性、既婚者、未婚者を問わず、一人一人を個人としてその人権を尊重することが明記されています。
二十一世紀に向けて、男性の力も女性の力も十分に発揮できる、そういう日本をつくっていくためには、今あるような憲法と現実のギャップを直視し、改善し、私たちの暮らしの中に憲法を実現していかなければならないと思います。そのためには、政治、行政、労働、教育など、多方面にわたって意識の啓発と同時に、女性だけでなく、男性も人間として当たり前に望むようなライフスタイルを確立していけるような、そういう社会環境の整備が急がれていると思います。そして、このような憲法調査会などの場、その他の場での社会全体での議論が必要だと思います。
以上で発言を終わります。
村
杉
杉尾巨樹#21
○参考人(杉尾巨樹君) 御指名いただきました同志社大学をことしの三月に卒業いたしました杉尾巨樹と申します。現在は同志社大学の方で聴講生をしています。
僕は、ここで皆さんにお願いしたいんですけれども、ぜひともこの憲法、日本の最高法規である憲法を学校の授業の中に取り込んでいただけないか、そのような発言をしたいと思います。
日本には道徳というものが長い歴史、伝統、文化の中で残っているというふうによく言われます。
ここで、この間偶然読んだ新渡戸稲造という方の「武士道」という本の前書きにこういうふうな一文がありました。新渡戸稲造がアメリカに留学しているときに、アメリカの有名な法学者、名前はちょっと忘れてしまったんですけれども、その方と散歩しているときに話が道徳の議論に及んで、新渡戸稲造が日本には国としての宗教のようなものはないというふうに発言したときに、その学者が、宗教がないのにどうやって道徳を教えているのですかというふうな質問が書いてありました。
確かに、抽象的な意味での道徳というふうなものは何かあるとは思うのですけれども、それが具体的な何かとして残っていない。その結果、少し前にいろいろ問題になりましたけれども、援助交際というものがはやりました。ただ、その援助交際をしている女子学生に対して、何でそれをしていけないのだろうかというふうな説明を僕はどう考えても及びもつかないんですね。
そこで、ぜひともこの道徳にかわるものとして憲法というものを定義づけられないだろうか、そういうふうに期待しています。ですから、もし憲法を子供に教えるというのがとんでもないというのであれば、ぜひ子供に教えられるような憲法に変えてほしいと思います。
また、今の憲法はなかなかかた苦しい表現で、大学生になった私が読んでもなかなか理解することが難しいので、ぜひとも中学生、できることなら小学生でも理解できるような平易な文章に変えていただきたい。そういったことで国民の憲法意識を高めて、その上でより高いレベルでの憲法改正論議をしていければよいのではないかと思っております。
以上。ありがとうございました。
この発言だけを見る →僕は、ここで皆さんにお願いしたいんですけれども、ぜひともこの憲法、日本の最高法規である憲法を学校の授業の中に取り込んでいただけないか、そのような発言をしたいと思います。
日本には道徳というものが長い歴史、伝統、文化の中で残っているというふうによく言われます。
ここで、この間偶然読んだ新渡戸稲造という方の「武士道」という本の前書きにこういうふうな一文がありました。新渡戸稲造がアメリカに留学しているときに、アメリカの有名な法学者、名前はちょっと忘れてしまったんですけれども、その方と散歩しているときに話が道徳の議論に及んで、新渡戸稲造が日本には国としての宗教のようなものはないというふうに発言したときに、その学者が、宗教がないのにどうやって道徳を教えているのですかというふうな質問が書いてありました。
確かに、抽象的な意味での道徳というふうなものは何かあるとは思うのですけれども、それが具体的な何かとして残っていない。その結果、少し前にいろいろ問題になりましたけれども、援助交際というものがはやりました。ただ、その援助交際をしている女子学生に対して、何でそれをしていけないのだろうかというふうな説明を僕はどう考えても及びもつかないんですね。
そこで、ぜひともこの道徳にかわるものとして憲法というものを定義づけられないだろうか、そういうふうに期待しています。ですから、もし憲法を子供に教えるというのがとんでもないというのであれば、ぜひ子供に教えられるような憲法に変えてほしいと思います。
また、今の憲法はなかなかかた苦しい表現で、大学生になった私が読んでもなかなか理解することが難しいので、ぜひとも中学生、できることなら小学生でも理解できるような平易な文章に変えていただきたい。そういったことで国民の憲法意識を高めて、その上でより高いレベルでの憲法改正論議をしていければよいのではないかと思っております。
以上。ありがとうございました。
村
村上正邦#22
○会長(村上正邦君) ありがとうございました。
前半十名の学生の皆さんの一通りの意見陳述をいただきました。
これからこの意見陳述に対しまして各委員から質疑応答に入りますので、よろしくお願いを申し上げます。
なお、時間が限られておりますので、質疑はお一人五分以内でお願いをいたします。
あわせて、質問者は、学生の皆さんのお手元には各会派とお名前は配付しておりますが、やはりあらかじめ会派をおっしゃっていただいて質問に入っていただいたらより親切なのかなと、こう思いますのでお願いを申し上げます。
なお、学生の皆さんに各会派からまず代表の方お一人ずつ順次御発言を願って、後、時間がございましたならば、それぞれ自由に質疑を、挙手またはあらかじめ事務局の職員に申し出ていただいておれば、それに従って御指名をさせていただきます。よろしゅうございますね。
それでは質疑に入ります。
順次御発言を願います。世耕弘成委員。
この発言だけを見る →前半十名の学生の皆さんの一通りの意見陳述をいただきました。
これからこの意見陳述に対しまして各委員から質疑応答に入りますので、よろしくお願いを申し上げます。
なお、時間が限られておりますので、質疑はお一人五分以内でお願いをいたします。
あわせて、質問者は、学生の皆さんのお手元には各会派とお名前は配付しておりますが、やはりあらかじめ会派をおっしゃっていただいて質問に入っていただいたらより親切なのかなと、こう思いますのでお願いを申し上げます。
なお、学生の皆さんに各会派からまず代表の方お一人ずつ順次御発言を願って、後、時間がございましたならば、それぞれ自由に質疑を、挙手またはあらかじめ事務局の職員に申し出ていただいておれば、それに従って御指名をさせていただきます。よろしゅうございますね。
それでは質疑に入ります。
順次御発言を願います。世耕弘成委員。
世
世耕弘成#23
○世耕弘成君 自由民主党の世耕弘成でございます。
私は、きょう自民党の中では一番皆さんの世代に近いだろうということでこの質問のチャンスを与えられているわけですけれども、まず冒頭、全員にちょっとお聞きをしたいんですが、学校でも構いません、御自宅でも構いません、あるいはモバイルでも構いませんけれども、インターネットをお使いになる環境になっている方、ちょっと挙手をいただけますでしょうか。──はい、わかりました。
こういう状況でございますので、会長あるいは幹事の皆さんも、先日ホームページを開いていただきましたけれども、インターネットによる一層の議論の公開というのを進めていただきたいということをまず冒頭お願いをしたいと思います。
それでは移ります。
聞くところによりますと、今回この会への出席希望が百七十七名あったと。そのうち約八割以上が何らかの形でやはり憲法を変えることが必要だという立場に立っておられたということを聞いております。私もそうですけれども、二十一世紀に長く生きることになる世代にとっては、二十一世紀を生きていく道具としてやはり憲法がちゃんと現実にマッチしたものである必要があるという考えを持っておられるのだなということを感じた次第でございます。
さて、質問に移ります。
まず浅田さんにお伺いをしたいと思います。
浅田さんは、まず先人の例に学ぶべきであるということをおっしゃいました。あるいはまた、日本の先人がつくってきた伝統文化を何らかの形で憲法に織り込むべきだというふうにおっしゃいました。私も基本的には大賛成であります。
歴史を振り返りますと、日本人というのは、変動期にあって、その変動期の中で国がどうあるべきか、何を目指すべきかということをきっちりとうたい込んだ憲法あるいは基本法といったものを自分の力でつくる能力は過去持ってきたんですね。聖徳太子の十七条憲法もそうですし、大宝律令あるいは御成敗式目あるいは五カ条の御誓文、いろいろ例を挙げれば枚挙がありませんけれども、そういう実例がたくさんありました。そしてその中には、それぞれ例えば和の精神だとか、あるいは道理の精神だとか、あるいは話し合いで物事を進めていこうという日本独特のすばらしい精神文化が織り込まれていた、私はそういうふうに考えます。
そしてまた、浅田さんは型ということをおっしゃいましたけれども、私もこれはある方から伺ったんですけれども、お茶でも日本舞踊でも、日本の伝統的なものの中にある型というのは、これは決して型単体ではなくて、必ず日本人の体だとか心に非常に合理的につながっているんだということを伺ったことがある。だから日本の精神文化というのは極めて合理的なところがあるんだと、私はそう思っているんです。
二十一世紀を目前にして、環境問題だとか情報化だとかグローバリズムの進展だとかいろんなことがある。またいろんな不祥事が起こっている。日本人がどんどん今自信を失っている。そういう中でこそ、やはり日本人の進むべき方向の指針となるべき憲法をみずからの手でつくり直すべきだと、私もそのように考えているんです。
そういう意味では浅田さんと全く一緒なんですけれども、しかし一方で、私がこれは非常に悩んでいるんですが、情報化だとか国際化だとかあるいは市場優先主義だとか、そういうものというのは、どちらかというとぱっと考えたところ日本の歴史とか伝統文化になかなか整合しにくい。でも、それが今世界の潮流を支配している。
そういう中で、浅田さんとして、具体的に日本の歴史とか伝統とか文化というのをどういう形で憲法に、前文でも条文でも結構ですけれども、織り込もうと考えていらっしゃるのかをお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →私は、きょう自民党の中では一番皆さんの世代に近いだろうということでこの質問のチャンスを与えられているわけですけれども、まず冒頭、全員にちょっとお聞きをしたいんですが、学校でも構いません、御自宅でも構いません、あるいはモバイルでも構いませんけれども、インターネットをお使いになる環境になっている方、ちょっと挙手をいただけますでしょうか。──はい、わかりました。
こういう状況でございますので、会長あるいは幹事の皆さんも、先日ホームページを開いていただきましたけれども、インターネットによる一層の議論の公開というのを進めていただきたいということをまず冒頭お願いをしたいと思います。
それでは移ります。
聞くところによりますと、今回この会への出席希望が百七十七名あったと。そのうち約八割以上が何らかの形でやはり憲法を変えることが必要だという立場に立っておられたということを聞いております。私もそうですけれども、二十一世紀に長く生きることになる世代にとっては、二十一世紀を生きていく道具としてやはり憲法がちゃんと現実にマッチしたものである必要があるという考えを持っておられるのだなということを感じた次第でございます。
さて、質問に移ります。
まず浅田さんにお伺いをしたいと思います。
浅田さんは、まず先人の例に学ぶべきであるということをおっしゃいました。あるいはまた、日本の先人がつくってきた伝統文化を何らかの形で憲法に織り込むべきだというふうにおっしゃいました。私も基本的には大賛成であります。
歴史を振り返りますと、日本人というのは、変動期にあって、その変動期の中で国がどうあるべきか、何を目指すべきかということをきっちりとうたい込んだ憲法あるいは基本法といったものを自分の力でつくる能力は過去持ってきたんですね。聖徳太子の十七条憲法もそうですし、大宝律令あるいは御成敗式目あるいは五カ条の御誓文、いろいろ例を挙げれば枚挙がありませんけれども、そういう実例がたくさんありました。そしてその中には、それぞれ例えば和の精神だとか、あるいは道理の精神だとか、あるいは話し合いで物事を進めていこうという日本独特のすばらしい精神文化が織り込まれていた、私はそういうふうに考えます。
そしてまた、浅田さんは型ということをおっしゃいましたけれども、私もこれはある方から伺ったんですけれども、お茶でも日本舞踊でも、日本の伝統的なものの中にある型というのは、これは決して型単体ではなくて、必ず日本人の体だとか心に非常に合理的につながっているんだということを伺ったことがある。だから日本の精神文化というのは極めて合理的なところがあるんだと、私はそう思っているんです。
二十一世紀を目前にして、環境問題だとか情報化だとかグローバリズムの進展だとかいろんなことがある。またいろんな不祥事が起こっている。日本人がどんどん今自信を失っている。そういう中でこそ、やはり日本人の進むべき方向の指針となるべき憲法をみずからの手でつくり直すべきだと、私もそのように考えているんです。
そういう意味では浅田さんと全く一緒なんですけれども、しかし一方で、私がこれは非常に悩んでいるんですが、情報化だとか国際化だとかあるいは市場優先主義だとか、そういうものというのは、どちらかというとぱっと考えたところ日本の歴史とか伝統文化になかなか整合しにくい。でも、それが今世界の潮流を支配している。
そういう中で、浅田さんとして、具体的に日本の歴史とか伝統とか文化というのをどういう形で憲法に、前文でも条文でも結構ですけれども、織り込もうと考えていらっしゃるのかをお伺いしたいと思います。
浅
浅田眞理#24
○参考人(浅田眞理君) ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
ただいまの御質問について、私なりに述べさせていただこうと思います。
確かに、今、国際社会となって情報化、いろいろな新しいものが日本の中に入っている中で、いかに日本の伝統の文化とそれらの新しいものをつなげていくか。そういうことに関して私が思いますのは、一つ具体例を挙げさせていただきたいんですけれども、歌舞伎役者の市川猿之助さんという方がいらっしゃいまして、その方のお話を以前に聞いたことがありました。その方は、皆さんも御存じであると思いますけれども、スーパー歌舞伎といって宙づりやいろいろな演出効果というものを取り入れた新しい歌舞伎というものをつくられております。
その中で、猿之助さんがおっしゃられていたことは、歌舞伎の中には決して変えてはいけない昔からずっと伝えられてきた伝統の形というものがあって、しかしそれだけではなくて、変えてもいい部分というものも歌舞伎の中にはあるんだというふうにおっしゃられています。猿之助さんは、そこを具体的に演出というところで今の人たちに取り入れられるような演出効果というものを入れていっていいのではないかということをおっしゃられています。私もそれに共感いたしまして、確かに日本の中に非常に型というものを大切に今まで守ってきたということが事実としてあります。しかし、それだけを守ってきたのでは今の人たちに取り入れられるかというと、必ずしもそうではないところもあると思います。
私がここで、古いものを守りながら新しいものも取り入れていくということを思うときに、日本人は型というものを大切にしてきましたけれども、その根本精神というか、日本人にずっと培われてきた根本精神というものを持った上で新しいものを取り入れていく、そういう基本精神さえしっかりとしていれば、これから新しいものがさまざまな形で入ってきますけれども、日本人の今まで大事にしてきたそういう型というものを大切にした上で今の人たちに受け入れられていくにはどのようにしていけばいいのかということを考えていけば、それは今の国際社会に十分対応していけることではないかというふうに私は考えております。
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確かに、今、国際社会となって情報化、いろいろな新しいものが日本の中に入っている中で、いかに日本の伝統の文化とそれらの新しいものをつなげていくか。そういうことに関して私が思いますのは、一つ具体例を挙げさせていただきたいんですけれども、歌舞伎役者の市川猿之助さんという方がいらっしゃいまして、その方のお話を以前に聞いたことがありました。その方は、皆さんも御存じであると思いますけれども、スーパー歌舞伎といって宙づりやいろいろな演出効果というものを取り入れた新しい歌舞伎というものをつくられております。
その中で、猿之助さんがおっしゃられていたことは、歌舞伎の中には決して変えてはいけない昔からずっと伝えられてきた伝統の形というものがあって、しかしそれだけではなくて、変えてもいい部分というものも歌舞伎の中にはあるんだというふうにおっしゃられています。猿之助さんは、そこを具体的に演出というところで今の人たちに取り入れられるような演出効果というものを入れていっていいのではないかということをおっしゃられています。私もそれに共感いたしまして、確かに日本の中に非常に型というものを大切に今まで守ってきたということが事実としてあります。しかし、それだけを守ってきたのでは今の人たちに取り入れられるかというと、必ずしもそうではないところもあると思います。
私がここで、古いものを守りながら新しいものも取り入れていくということを思うときに、日本人は型というものを大切にしてきましたけれども、その根本精神というか、日本人にずっと培われてきた根本精神というものを持った上で新しいものを取り入れていく、そういう基本精神さえしっかりとしていれば、これから新しいものがさまざまな形で入ってきますけれども、日本人の今まで大事にしてきたそういう型というものを大切にした上で今の人たちに受け入れられていくにはどのようにしていけばいいのかということを考えていけば、それは今の国際社会に十分対応していけることではないかというふうに私は考えております。
世
村
簗
簗瀬進#27
○簗瀬進君 民主党の簗瀬進でございます。
私も最初、浅田眞理さんに質問したいなと思っておりました。
実は、私も琴古流の尺八をやっております。そして、いろいろな伝統の中で、その伝統を脱皮するために大変な先人が苦労しているということも知っているわけなんです。
ちょっと簡単にお答えしていただければありがたいんですが、例えば芸能とか、ある意味では伝承的なものというのは一つの権威がもう決まっているんですね。例えば尺八だったら、家元というようなものが決まっている。歌舞伎の世界でもやっぱりそういう権威というようなものが決まっている。ところが、現代においては、今の御質問にもありましたように、いろんな新しいファクターもどんどん入ってくるし、それから社会全体で型とか今までの伝統的なものがどんどん壊れていくという、そういう状況がどんどん出てくるわけですよね。
そうした中に、単なる伝承ということだけではとても対応できないような場合も出てまいりますし、それから、社会はいろんな人でできているわけですから、そういう人たちといろいろぶつかり合いをしながら新しいものをつくっていくということになるとなかなかうまくいかない場合も出てくる。そうした場合にどうしたらいいんだろうかというようなことで、そこら辺についての若い考え方を聞かせていただければと思うんですけれども、いかがでしょうか。
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実は、私も琴古流の尺八をやっております。そして、いろいろな伝統の中で、その伝統を脱皮するために大変な先人が苦労しているということも知っているわけなんです。
ちょっと簡単にお答えしていただければありがたいんですが、例えば芸能とか、ある意味では伝承的なものというのは一つの権威がもう決まっているんですね。例えば尺八だったら、家元というようなものが決まっている。歌舞伎の世界でもやっぱりそういう権威というようなものが決まっている。ところが、現代においては、今の御質問にもありましたように、いろんな新しいファクターもどんどん入ってくるし、それから社会全体で型とか今までの伝統的なものがどんどん壊れていくという、そういう状況がどんどん出てくるわけですよね。
そうした中に、単なる伝承ということだけではとても対応できないような場合も出てまいりますし、それから、社会はいろんな人でできているわけですから、そういう人たちといろいろぶつかり合いをしながら新しいものをつくっていくということになるとなかなかうまくいかない場合も出てくる。そうした場合にどうしたらいいんだろうかというようなことで、そこら辺についての若い考え方を聞かせていただければと思うんですけれども、いかがでしょうか。
村
浅
浅田眞理#29
○参考人(浅田眞理君) よろしくお願いいたします。
ただいまの御質問に私なりに意見を述べさせていただきたいと思いますけれども、私自身も日本舞踊をやっていながら、何といいますか、日本人が今まで守ってきた型というもの、何でそこまでして守らなければいけないのだろうかというような疑問を抱きながらやられているという、何かよくわからないけれどもそこに何らかの魅力を感じてやっている方がいらっしゃるということを私は身近にいろいろな方と接する中で思うのですけれども。
その中で、まず型を守るということを単なる絶対に守らなければいけないことというか、ただそれだけとして見ているのでは、何で守らなければいけないんだろうかということがあるんですけれども、でも、やっぱり日本舞踊というものをやる中ではどうしても、よくわからないけれどもまず型から学ばせられます。次第に型をやっていく中で、ああ、型にはこんなに美しいしぐさというか、そういうものが含まれていたんだなという、その型を続けてやっていくことで型の美しさというものを後で気づくというか、私自身も三歳のころから日本舞踊をやっていまして、最初はわけわからなくてやっていましたけれども。
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その中で、まず型を守るということを単なる絶対に守らなければいけないことというか、ただそれだけとして見ているのでは、何で守らなければいけないんだろうかということがあるんですけれども、でも、やっぱり日本舞踊というものをやる中ではどうしても、よくわからないけれどもまず型から学ばせられます。次第に型をやっていく中で、ああ、型にはこんなに美しいしぐさというか、そういうものが含まれていたんだなという、その型を続けてやっていくことで型の美しさというものを後で気づくというか、私自身も三歳のころから日本舞踊をやっていまして、最初はわけわからなくてやっていましたけれども。