リチャード・A・プールの発言 (憲法調査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○参考人(リチャード・A・プール君)(通訳) それでは、私の日本での経歴をかいつまんでお話し申し上げたいと思います。
まず、私は横浜生まれでございまして、誕生日は一九一九年の四月二十九日です。もうかなり年をとってしまったんですけれども。たまたま私の誕生日は実は昭和天皇と同じ日ということでございまして、これは単なる偶然なんですけれども、その後になりまして複雑なことになりました。日本では五世に当たります、私の兄弟も含めまして私の代で。私の曾曾祖父の一人は、一八五四年にペリー提督が締結した条約のもとで日本に初めて派遣された二人の米国領事の一人でございまして、以来、私の家族の各世代はそれぞれ、私の世代も含めてずっと日本に滞在した経験を持っているという家系です。私の先祖のうちの四名は、実は日本のお墓に眠っております。
横浜に住んでおりまして、一九二三年の関東大震災が起こりまして、幸いにも命は助かりました、その他はすべて失ってしまったんですけれども。その後、神戸で二年過ごしまして、予想に反して私の父は、当時勤めていた会社の命令でニューヨークの事務所の長になるということで転勤を余儀なくされましたので、一九四五年に私が日本に戻ってくるまで私の家族は日本を離れていたわけです。
しかし、私は日本に対して深い愛着の心を持っております。また、日本の国民に対してもそうです。アーマといいましょうかお手伝いさんと申しましょうか、私の母のお手伝いをしていた人たちが私の面倒を見てくれたということで、とても愛着心を持っています。そして、時々連絡が途絶えたこともあったんですけれども、その連絡を後で復興させることができましたし、深いきずなを日本に対して抱いております。
そして、日本の文化からも大いに影響を受けております。例えば、掛け物ですとか広重の浮世絵ですとか家具ですとか、いろいろなもの、伊万里焼などのお皿も持っておりまして、私の先祖から代々伝わってきた日本の工芸品をたくさん我が家が所蔵しております。そして、日本の文化に対して、また日本の文化的な進捗に対して深い敬意を持っておりますし、また西欧に対しても日本の文化が大きく影響を与えたということを十分踏まえております。
一九四五年に、また私は日本に戻ってまいりました。当時は若い海軍将校でありました。当時、外交官としての勤務から、休暇を与えられてこちらに参っておりました。当時、そもそも陸軍と海軍との合同の形で九州に上陸、侵攻の計画でしたが、それは免れて横浜という私の出生地にまず上陸いたしました。
横浜に二度目参ることができたということで、当時、GHQ、スキャップの民政局の方に配属されました。連合国最高司令官総司令部です。そして、一週間のうちに憲法草案を起草する仕事を補佐するように命じられまして、驚きました。それから、二人で構成する天皇及び条約改正、条約締結などのその他の事項を担当する委員会の長となりました。ベアテさんほど若くなかったんです、当時私は二十六歳でしたから。それでも、私自身も外交官としての経験がございましたし、国際法、商法ですとか憲法ですとか海洋法ですとか、国際関係、歴史等々の学問を修めておりました。そして、常に私は日本に対して関心を生涯を通じて持ち続けておりましたので、それも関係して、私はまだ位は低かったんですけれども、この職に多分配属されたんだと思っています。
ケーディス大佐は民政局の長であられたということで、かつ運営委員会の議長を務めておられていたということで、ケーディス大佐いわく、占領軍にかかわっている人たちは、長い間日本に住んだ経験を持っているアメリカ人については猜疑心を持っているんだといったような話をしていました。でも、私の場合は例外になるかもしれない、六歳のときに日本を去っているからというふうに言われたものです。
さて、憲法の起草の背景については皆様方もうよく御存じだと思います。この件については九七年の憲法フォーラムでも詳細が語られております。これは日本の国会議員の先生方がスポンサーになって開かれたフォーラムでありまして、皆様方の憲法調査会の背景情報の源にもなっているかと思います。
当時、私ども三人招待されました。今回は二人だけですが、我々起草にかかわった人たちで生き残っている数はもはや少ないんです。
東アジア・太平洋に対して行った日本の侵略によりまして、明治憲法は改正すべしということになったのです。というのは、狂信的国粋主義者と軍国主義者が明治憲法を隠れみのにして侵略を行ったからです。ポツダム宣言及びその他の連合国の声明も、変更を要求しておりました。
このようなことから、連合国最高司令官は、占領当初から、日本政府に対して、民主的な行動をとることと憲法改正に着手することを指示いたしました。米国政府がガイドラインを示しましたが、これはSWNCCナンバー二二八ということで国務、陸軍、海軍三省調整委員会が提示しておりましたけれども、ベアテ・シロタさんがおっしゃったように、マッカーサー元帥は、日本の人たちにまずは憲法改正をするようにと最初は考えていたわけでありますが、同時に発生した二つの出来事により急遽スキャップ、連合国最高司令官が直接かかわるようになったのです。
まず第一は松本案で、これがあるということをスキャップは知らなかったんです、新聞に漏れるまでは。そして、結局その松本案は明治憲法の表面的な改正だけのものであるということがわかりまして、受け入れられないものだということが判明いたしました。
ですから、そのような案をもとに討議するよりは、連合国最高司令官が草案をつくることを決定いたしました。いわばこういった例がありますよということを日本側に提示することで討議を進めようとしたわけであります。そして、それをたたき台に討議をいたしましょうというふうに提案いたしました。
そして、もう一つの要素は、ソ連がちょうど極東委員会に加わったということで、同委員会では米国、英国、中国、ソ連が拒否権を与えられたということから、ソ連がベルリンの場合と同様な問題を起こすおそれがありました。そして、連合国軍として民主的なことを達成したい、しかしその邪魔をするかもしれないと思ったわけです。
またもう一つ、達成不可能なことがありました。それは四月十日の選挙に間に合うような形で憲法を起草できないかという点でした。国会が憲法草案を承認し、国民投票といったような形で総選挙の機会を得て、憲法に対しても国民の審判を仰いだ方がいいんじゃないかという話もあったんです、当時は。しかし、これは時間がなくて無理でした。
そして、連合国最高司令官からの圧力を含めて、異常な状態で憲法改正議論が始まったことに不満のある方は、次のことに留意してほしいと思います。
すなわち、最高司令官の草案は、数多くの日本の学者や研究機関及び有識者の方々の見解を反映させたものであること、そして内閣との御検討もされまして、その結果、ある程度改正について合意されたということ、そしてその結果、政府の承認した改正案として国会に提出されたということ、そして結果、長時間の討論の末に追加の修正が合意をもって行われ、最終的には圧倒的多数で承認されたということをぜひ御留意いただければと思います。
さらに、忘れてならないのは、天皇陛下御自身が内閣での意見対立の解消に尽力され、草案の国会提出を支持されたことです。
ちょっとそれますけれども、約五年前のことだと思いますが、新しい天皇皇后両陛下がワシントンにお見えになりました。ちょうどケネディ・センターで日本の芸能をなさるということでそのオープニングにいらしたんですけれども、そのときに、天皇陛下は自由にお客様と交わられておりました。私は、向こう見ずにも陛下に自己紹介し、実は日本の憲法の起草に加わったんだということ、特に天皇条項について私は役割を持っていたということを申し上げましたら、天皇陛下はお笑いになって、そうですね、私の指示だったんですよというふうにおっしゃったわけです。つまり、私の印象では、皇室の方々は、天皇陛下の役割については、憲法の草案に入っていた条項について満足なさっていたということだと思います。もちろん、最終的には若干修正された形で採択されたんですけれども。
私の考えでは、憲法起草の過程よりも、その結果に焦点を当てる方が重要であると思います。
連合国が意図したところは、平和な日本に真の意味での民主主義を樹立することでありました。そして、歴史に逆らおうとする人たちが悪用できないような制度をつくろうということだったのです。そして、制度として正式に記載するのは、主権在民であり、基本的人権であり、真の民主主義であり、政治的権限を持たない立憲君主制であり、戦争の放棄であり、またこれらの原則がいかなる理由によっても縮小されたり停止されたりしてはならないということだったのです。
憲法は、これらの原則を樹立し、それらを実現するための機構を定めていることから、私は、これによって日本国民の利益が守られ、日本が西側の民主主義国家に仲間入りできるようになったと信じております。
しかし、だからと申しまして、憲法改正の可能性が否定されるものではありません。改正は憲法自身が認めているところです。しかし、私の意見では、憲法全体を改正しようとすれば、手に負えないような提案がなされてパンドラの箱をあけるようなことになるので、必要が生じた場合にのみ個々の問題についての改正を検討すべきだというふうに思っております。
憲法問題に関係する人たちもしくは憲法修正に関心ある人たちは、国民の間に本当に憲法改正への要求があるのか、またそうした要求がもたらす結果を和らげる方策があるのかについて、広く意見に耳を傾けるべきであると思っております。
ある人によっては、二十一世紀のニーズを満たすために憲法を近代的なものにすべきと言う人もいます。例えば、環境問題、人口増加、世界的な疫病、麻薬、犯罪、さらには新技術の発展を規制する問題等々です。しかし、これ以外にどんな問題が発生するのか予見するのは困難です。
このように指摘されている問題及び予見できないような問題を憲法改正で処理しようといたしますと、細かい事柄まで立ち入ることから、さらに多くの変更が必要となるので、むしろ法律や司法上の解釈によって解決されるべきだと私は考えております。したがって、憲法というのは幅広い文書であるべきだから、日本政府としましても法律制定もしくは司法上の解釈によって解決できるものではないでしょうか。
それでは、二つの具体的な条項について意見を述べたいと思います。
一つは、天皇に関する条項です。
これには私自身直接関与しておりました。私の少人数の委員会は、ケーディス大佐を長とする運営委員会と密接な協議も行っておりました。ですから、協議を行った上での草案ということです。
明治憲法では主権はすべて天皇に付与されておりましたが、この規定と憲法上の権利を停止させる権限を悪用して、天皇の名において軍事的な侵略を行い、反対者を抑圧したのが内閣と枢密院内部の狂信的国粋主義者と軍国主義者でありました。これは改正する必要があったのです。
さらに、連合国の一部と米国議会からは、裕仁天皇を戦争犯罪人として裁判にかけ、天皇制を廃止すべきだと要求しておりましたが、そのようなことをすれば、占領軍にとって重大な問題が発生したでありましょう。
日本の侵略について天皇御自身が個人的にどのように思っていらっしゃったかはだれにもわかりませんが、天皇が放送で降伏を表明し、武装解除を呼びかけたこと、一般大衆が天皇の声を聞いたのはこのときが初めてだったんですけれども、及び一九四六年一月一日にみずからの神格を否定して改革を呼びかけたことは、結果的には連合国にとって都合のよいことでありました。新憲法草案では天皇の役割を大幅に削減することになっておりましたが、天皇がこれを支持したことも有益でありました。
我々が目指したのは立憲君主制で、そこでは天皇は統治権を持たず、国家及び主権者である国民統合の象徴としての役割を果たすものでした。しかし、天皇には、儀礼的な行事を行う以外に、内閣の承認を条件に数多くの役目を付すことで、ある程度の意義ある役割が与えられたのです。
「象徴」という言葉の翻訳には困難が多少ありましたが、しかし、この問題は、起草者の意図した、また草案を承認した日本政府の意図した意味を備えた「象徴」という言葉を使うことにより満足裏に解決されたのです。ですから、私の印象としては、この言葉は我々が意味し、日本国民が一般的に理解し受け入れた意味を伝えたのです。
天皇の地位についての当初の論争はおさまり、その後これについて改正しようという要求は私の知る範囲では出ていないと思っております。
二番目は、第九条についてです。
第九条は、いまだに憲法での最大の論争となっていると伺っております。もちろん、一九四六年に国会は疑念が生じないように修正を行ったにもかかわらずです。
現在の第九条のもとになった考え方は、ホイットニー准将及びマッカーサー元帥かあるいは二人が発案して幣原首相に伝えられたのか、またはマッカーサーのメモワールにあるように幣原の発案だったのか、また、この条項及び民政局へのその他の指示を含む鉛筆書きのノートがマッカーサーによって書かれたのか、あるいはマッカーサーの指示でホイットニーが書いたのか、これらの疑問点については多くの書物が書かれております。
でも、私はもう今となってはどちらでも構わないと思っております。余りにも遠い昔のことでありますし、問題は現在だからです。
私自身は第九条については何ら関与はいたしませんでした。
ただ、将来、日本が平和条約を締結して主権を回復した後でも軍事力を永久に放棄するのかという点について懸念を表明したことはあります。起草委員会が初めのころ、全体で会合を開きましたときに、意見を言い合う機会が与えられました。
その議長を務めたのはケーディス大佐だったんですけれども、最終的に第九条に盛り込まれた幾つかの点というのは、前文に意図表明として書かれるのはよいが、憲法本文に書くのはどうかという疑問を持って私は発言したのです。ケーディス大佐いわく、この条文の由来はどこだか知っていますかというふうに言われまして、彼は大佐でしたし、私は一本線の一介の海軍将校でしたから、いや知りませんというふうに言いました。そしたら、これは元帥から来た考えなんですよというふうに言われたわけです。元帥といえば一人しかいません。何かこれ以上質問があるかねと言われまして、もうありませんと私は答えました。この問題と私のかかわりはこれですべてです。でも、この問題についてはずっと私の個人的な関心として残っております。
私は、憲法改正をしてもいいんじゃないかというふうに思っております。でも、憲法全体を見直すという大変な作業のことを言っているのではありません。しかし、この点は検討してもよいのではと。
特に、第九条の前段の部分は、戦争と武力による威嚇または武力の行使を国際紛争解決の手段としては放棄しております、国権の発動たるということで。そして、一九二八年のケロッグ・ブリアン不戦条約に合致するものであり、この条約は約六十五カ国によって受け入れられていたことから、この第一項は論争の対象にはなっておりません。
しかし、論争が起きるのは第二項の方です。そちらのところでは、上記の目的達成のために陸海空軍を永久に保持しないと定めてあります。そして、交戦するという権利も認められないというふうに書いてあるというふうに思いますけれども、でも、日本は自衛隊という名のもとに軍隊を持っておられることは事実です。ただ、名称が違うということでありまして、軍隊であることに変わりはございません。
今日の現実に照らし合わせ、そして日本が他の主要な民主国家と同様に国際問題で責任を果たす必要があることを考えれば、現在のあいまいさは終止符を打つべきだというふうに私は考えております。そのために軍隊の役割は防衛に限定すべしと定めるのです。ここで言う軍隊とは、既に存在しているものですから、この役割とは既に制度的に存在するものについてであり、その役割は防衛に限定されるが、防衛とは自衛のみでなく、最近見られるケースのように、自分の国境を越えての防衛行為も正当化される場合があります、特に国際協力の枠組みのもとにおいて。ですから、自衛ということだけではなく、国際平和維持活動等にも参加するということで、国連のみならず、もちろん最たるものは国連だと思いますけれども、枠組みとしては。でも、そのほかにも国際合意がされる場合もありますので、その中で活動をするといったようなことで、この場合、日本国民の意思を明確にし、日本国民及び過去において日本の侵略に苦しんだ国々に対して、二度とそのような行動をとる意思が全くないことを保証することが不可欠でありましょう。
以上です。御清聴ありがとうございました。(拍手)