リチャード・A・プールの発言 (憲法調査会)

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○参考人(リチャード・A・プール君)(通訳) 一つだけでしたか、幾つかの質問があったように思うんですが。
 たしか、私が理解した限りでは、最後の質問はこういうものだったと思います。GHQの民政局の草案者たちは国務省の研究について知っていたかどうか、そしてそれが反映されていたかどうかというのが趣旨だったと思います。
 国務省の見解は伝えられました。一九四五年の十一月に、先ほど申し上げましたSWNCC二二八号の資料の中で国務省の見解というのは伝えられておりました。このSWNCC二二八号という文書は、国務・陸軍・海軍三省調整委員会、すなわち国務省と陸軍、海軍との調整委員会のつくった文書であります。
 当時、極東問題担当部署、今は東アジア問題担当部署と言われているところのヒューボートン博士がその草案に大きくかかわったと言われております。彼の補佐をしたのはマーシャル・グリーンでありまして、グルー大使の個人的なアシスタントでありました。グルー大使はその後駐日大使になった方です。
 国務省からそのような見解が二二八号を通じて我々にも伝えられたわけです。ですから、我々が日本側に提示すべき憲法の草案づくり、起草をしたときには、そのような文書はもちろん我々のところにありました。
 マッカーサーは、実は余り国務省と相談したがりませんでした、本当のところを言いますと。マッカーサーの政治顧問とは実はマッカーサーは距離を置こうとしたわけです。彼は政治的アドバイスなど要らないと思っていたのです。ということで、いわば密室で憲法の起草というのが行われたわけですが、ワシントンに対してもこれが行われているという情報が伝えられたのは事後になってでありました。ポリティカルアドバイザーのオフィス、これは国務省のもとにありますが、そこも知らなかったんです。
 私自身は、もともと外交官でしたからこの件については少し変だなと感じていたんですが、当時は私は軍人ということで、若い将校として参加していたということで、ポリティカルアドバイザーオフィスに注進するということはしませんでした。また、彼らのアドバイスを受けるということも求めませんでした。
 SWNCC二二八号の文書は、我々にとってはガイドラインでありました。将来の憲法の草案のためのガイドラインとなったわけです。これは、国務省と陸軍、海軍によって共同でワシントンでつくられた文書でした。
 これで御質問のお答えになったでしょうか。

発言情報

speech_id: 114714184X00720000502_058

発言者: リチャード・A・プール

speaker_id: 15294

日付: 2000-05-02

院: 参議院

会議名: 憲法調査会