石毛直道の発言 (憲法調査会)

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○参考人(石毛直道君) 私は、民族学をやっている人間でございますので、法律だとかあるいは政治とか国家ということを余り知らない方でございます。それで、皆さんの御要望にこたえられるかどうか甚だ不安ではございますが。
 我々のやっている民族学というのは、一方では文化人類学とも言われます。そこで、文化それから民族ということをキーにして国家と民族の関係、あるいは民族というのはまた文化をともにしている人々のグループでありますので、文化と国家の関係に興味を持ちまして、そういったことからお話をいたしたいと思います。
 まず申し上げたいことは、民族構成、その国家を幾つの民族がつくっているか、そういった民族構成というところから見ますと、日本は世界的に見たら例外的な国家のグループの中に入るんだということです。
 大体、世界の国家というのは複数の民族から構成されています。国連加盟の約百八十カ国の中で一つの民族集団が総人口の九割以上を占める国家、これは日本もそうですが、それは百八十カ国の中の二三・三%になっています。これは国の数で数えるとそうなるわけで、太平洋の小さな島の十万人ぐらいの国、そういったのも一カ国として数えた場合、そういったところはまた単一民族的である国家が多いのでそういった国の数が大変多くなっているわけですが、それでも二三・三%です。一つの民族集団が総人口の過半数を占めている国家、これが四九・七%。十人のうち五人以上一つの大多数民族が総人口に占めている、そういった国が四九・七%。どの民族も総人口の中に過半数に満たない国家、これが二七%あるということになっています。
 こうして見ますと、世界の国家の約七割は、住民十人のうち一人以上は多数民族以外の民族から構成されているということになります。
 日本は、そういった意味では大分世界の中で特殊な部類の方に入るわけです。それだけ現在ですと日本人が多数を占めているわけなんで、巨視的に見たら日本民族イコール日本国民ということになります。そこで、単一民族論というようなことが言われたりしたわけですが、これは確かに巨視的に見たら日本は単一民族に近いような民族構成をとっている。しかしながら、それで単一民族だということでおしまいにしてしまったら、実はその中で暮らしている少数者たちが全部無視されるということになります。
 今までも民族にかかわる問題としては、アイヌ民族の問題と在日韓国・朝鮮人問題の二つだけが論じられることが多くて、多くの日本人にとって民族問題というのは自分自身のこととして考えなくて済むような、そういった環境で育ってきたということが言えます。
 ところで、歴史を考えてみますと、日本の歴史の最初から日本民族というのがあったわけではございません。縄文時代の社会を考えたら、恐らく日本列島に文化が違うグループ、例えば言葉が通じないグループ、そういったのがたくさんあったに違いない。北九州のグループと東北地方のグループが、縄文時代にコミュニケーションが同じ言葉でできたとはまず考えづらいような、そういったものであったと思います。
 弥生時代になると、紀元前後のことを書いた中国の文献だと、「分かれて百余国をなす」、たくさんの国に分かれていた。それで、七世紀ごろになりますと、大和朝廷による国家統一が大分進行いたしますが、そのころでも当時の人々から異民族とみなされる人々が日本列島に幾つもありました。例えば、俘囚とか蝦夷とか熊襲とか隼人というような人々は異民族とされていて、そういった人々が北海道や東北、北陸の一部、南九州それから沖縄、そういったところは多数民族にとっては異民族と見える人々が住んでいた土地になっていた。
 あるいは十五世紀、当時の琉球王国は東南アジアで活動していたわけです。大交易時代であったんです、沖縄の。そういった東南アジアに進出した沖縄人たちを、当時のポルトガル文献なんかを見ますと、日本人と明らかに区別しています。沖縄の人々は、琉球からきたんでしょうが、レキオ人と書いてあるわけです。日本人とはまた別のグループとして考えている。島津が沖縄に侵略したり、あるいは明治になってから沖縄県の設置がなかったら、多分今は沖縄県の人々は、我々の日本民族と違うもう一つの民族になっていたかもしれないというそういう可能性があります。
 こういうことを考えますと、民族というのは自然発生的にできているものだというふうによく考えられるんですが、実は政治的につくられる集団でもあるわけです。沖縄もそういった例であります。それで、明治政府によって一方的に、おまえたちは日本国民だ、日本人だということにされて、そこのところで、方言だとかそういったのに取ってかわって国語教育を軸とする同化政策というのがなされたわけです。
 さて、ここでちょっと別の方向から考えてみます。
 二十世紀の後半というのは、航空機による人々の移動が大変日常的になった時代であります。人類の歴史にかつてなかった世界規模での人口の移動というのが始まっています。よりよい生活を求めて人々は国境を越えて移動いたします。島国という日本の地理的な特殊性、それによって我々は多民族国家にはならなかったわけですが、それがもう通用しないようになってきます。
 一九九五年の時点で、その前の十年間に東京都の外国人登録人口というのは倍になっている。新しいデータを調べる暇がなかったので、ちょっと古いデータですが。
 日本経済が不況だといっても、アジア諸国なんかでは自国に比べたら日本での賃金だとか生活の質の高さというようなものには大きな落差があります。そういった落差がある以上、日本に一時居住しようとする外国人の数は減らないわけです。また、高齢化する日本社会が高い生産性を維持するためには、外国人労働者雇用の潜在的な需要というものが産業界にはございます。
 我が国の場合、専門的な職種への外国人就労者には門戸を開くけれども、単純労働を目的とする外国人の入国は認めないという政策でございます。しかし、南米の日系人の出稼ぎ労働者は受け入れますし、研修という名目での就労者、あるいはまた超過滞在者、不法入国者もかなりおります。いかに法の垣根を高くしても外国人の流入というのを阻止することはできないでしょうし、それを阻止するために一種の鎖国政策を実施したら、これは国際世論の非難を受けることになるかと思います。
 そういったことを考えますと、二十一世紀の中ごろになりましたら、お隣に住んでいる人が外国出身の人だという、それが当たり前になってくる。外国出身の人と隣り合わせに住む、そういったことになってきますと、ようやく日本が特殊な国家じゃなくて普通の国家になったんだということになるかもしれません。
 その新しく入ってくる外国人の人々、これは昔の移民なんかとは大分違います。それから、在日韓国・朝鮮人あるいは中国系の人々で特別永住権を持つ人々がおりますが、それと違って、現代日本へ入っている人々、ニューカマーと呼ばれたりしますが、それは移民と全く違う人々なんですね。
 かつての移民というのは、日本からも出ましたが、移住先の文化に同化してその国に骨を埋める覚悟で移住したわけです。ところが、現在の世界で起こっているのは、永住するのではなくて、一時的な就労を目的に国境を越えて移住する巨大な人口ができたということなわけです。
 これらの人々は、移住先の国の社会で生活に必要なルールだとか文化を身につける一方、故国に対する強固なアイデンティティーを維持しております。故国との間で国際電話だとかファクスだとか電子メールといったものでいつも親族や友人と交流し、衛星テレビでリアルタイムで故国の情報を知ることができる。つまり、二つの国を同時に生きている、そういった人々が出現したわけです。
 こういった人口が増加する現在を踏まえたときに、かつての日本の法律にあった、あるいは外国人政策の根本にあった日本への同化を前提とした定住外国人政策とか法律というのを転換せざるを得ないようになるのではないかと私は思います。
 そういった外国人が国政に参加すべきではないということが幾つかありますけれども、その一例を申し上げますと、公権力の行使あるいは国家意思の形成への参画に携わる公務員は日本国籍を持つべきであるという見解が大変強うございます。
 そこで、国家公務員に外国人がなれる職種というのは大分限られております。例えば国立大学の教官、教授や助教授になることは可能になりました。しかしながら、外国人の教官が学長だとか学部長の職につくことはできません。我々が外国でそういった学長だとか国立の研究機関の長と会って話していると、ああ、この人は別の国の国籍だなというのは、これは当たり前にあることなわけです。
 さて、四国のある国立大学が外国人留学生の宿舎を建設しようとしました。そのとき住民の反対運動が起こったんですが、新聞で見ますと、その場合、住民の反対運動は、結局は外国人は怖い、日本人なら信用できるけれども外国人は信用できないというのがその理由でした。
 怖いという反応はなぜ出てくるんでしょう。人間は未経験のことに遭遇しますと、不安を覚えて怖い、信用できないという、そういった反応を示すわけです。
 日本社会では歴史的に日常生活で異なる文化に接する体験がなかった。つまり、ほとんど日本人とのつき合いだけで歴史的に完結してきた社会でございますので、そこで、そういった体験がなかったので外国人と接触することが不安である、それで怖いという反応になるわけです。日本でこれから多民族国家化していく過程で同じようなことが各地で起こりまして、それで日本人は差別主義者であるという、そういった国際世論が起こる可能性が私はあると思います。
 未経験な事柄でも十分な知識や情報を持っていたら不安感を解消することはできます。
 他民族との共存を経験してきた社会では、異民族との交際の仕方、どこまで自分の文化を主張して相手の文化に立ち入ることができるか、どこまで相手の文化を尊重するか、そういったことが公教育だけじゃなくて家庭教育の中でなされます。
 例えば、子供が、お隣のあの家族は教会へ行かないけれどもどうしてというような、そういったものに宗教の違いを、宗教が違うんだと、あの人たちの宗教はこんなのだから、そうすると教会へ行かなくてもいいんだという、そういったことが親からの子への何というか、教育もありますし、体験。それからやはり異文化に対する公教育がなされます。
 そのようなノウハウを日本の家庭は持っていないし、今のところ公教育でもほとんど教えていません。そういったことを考えると、多民族国家化する二十一世紀に向けて、公教育での取り組みというのが必要であろうと私は思います。
 そしてまた、そういった定住外国人をたくさん抱えている自治体レベルの方が国家レベルよりも私には門戸開放が進行しているように思えます。自治省では都道府県や政令都市に対して一般事務職での外国人の採用を控えるように指導しておりますが、職員採用に対して全職種で国籍条項を撤廃する自治体が今増加しております。
 一九九五年、最高裁判所は外国人の選挙権に関してこういう判断を下しています。憲法で保障された権利ではないが、地方選挙に限り外国人の選挙権は禁止されていないというような見解です。地域社会における住民の一員としての定住外国人に対する住民としての権利をどこまで拡大するか、これが将来の問題であります。
 さて、日本人とそれから定住外国人とのいろんな摩擦が具体化するのは、これは人々の生活の場、つまりそれぞれの地域においてであります。同じ町に住んだり同じ市に住んでいる、そういったところでの定住外国人と日本人というのは、抽象的な概念としての民族ではなくて、だれだれさんという名前を持った、顔をそれぞれ知っている、そういった名前と顔を持った民族同士が出会った場であります。そこで発生した解決を必要とする問題は、その地域のならわしだとか地域の歴史だとか、そういったものを背景として出てくる大変個別的であり、かつ具体的な事柄であります。
 その問題を日本人対外国人の問題だとして国家レベルまで持っていってしまったら、外務省だとかそういったのは、国家と国家として扱う、そういったことになってしまい、大変一般的、抽象的な次元となり、日本対外国という図式での解決が必要になってくるわけです。
 このような国家と国家の問題として深刻化する前に、地域住民の話し合いの中で解決したり、問題の発生を予防することが大切であろうと思います。ということは、そのためには、中央政府の権限を大幅に地方に譲渡することも考えなくてはならないのではないかと思います。
 そういった地方と中央ということで申し上げますと、鎌倉幕府以来明治時代になるまで、日本は地方分権が大変強い国家でありました。つまり封建制とか幕藩体制と言われるもとで、地方政府としての大名あるいは藩の自治権がかなり強い国家であったわけです。中央政府である幕府の地方に対する干渉は極めて少なく、税率だとか司法とか行政が藩に任されていたわけです。明治政府は廃藩置県を行って中央集権的官僚システムによる全国支配、統治を行って、それで伊予の国の住人だとか、紀州の住人、会津の住人といったような藩という地方への帰属意識を消して、日本国民という国民層を形成することに成功したわけです。
 ただし、そこのところで、そういった明治が近代化するときの国家の形、そこには帝国という国の形がある程度尾を引いております。明治の大日本帝国形成期、このころは大英帝国だとかオーストリー・ハンガリー帝国、ドイツ帝国など西欧型の帝国もありましたし、オスマントルコ帝国とかロマノフ帝国、これは西欧型に半分入れてもいい。中国の大清帝国、そういった古い形の帝国もありました。こういった帝国型の国家というものに共通するのは、領土を拡張し国家の勢力圏をどんどん広げること、その基礎としては強大な軍事力を持つこと、そういった帝国というイメージがありました。
 その十九世紀を引き継いだ二十世紀の先進諸国というのは、国家は二つの時代を経験したと思います。
 まず最初は、前世紀から引き継いだ軍事大国路線でございます。強大な軍事力を背景に、国際社会での発言力を増大して列強の仲間入りすることを国家目標としたのでありまして、我々の国家もかつてはそうでありました。
 二つの世界大戦を経過した後の二十世紀の中ごろからは経済力が国家の威信の源泉であると考えられるようになり、国々は経済大国になることを目指しました。生産力の増大と国際市場におけるシェアの拡大、そういったものを目指して物質的な豊かさ、それを実現させる、それに国家の目標が向かったわけですが、そういった経済の論理に陰りがあらわれるようになったのがこの世紀末でございます。
 例えば、地球環境問題に見るように、……

発言情報

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発言者: 石毛直道

speaker_id: 15355

日付: 2000-05-17

院: 参議院

会議名: 憲法調査会