中山正暉の発言 (国土・環境委員会)
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○国務大臣(中山正暉君) もう都市工学の専門家でいらして、建設省の御経験もおありの先生でございますから、私なんかごく経験的、哲学論的な話しかできませんで恐縮なんでございますが、私も昭和三十八年に大阪市議会に出まして、三十九年がオリンピックでございました。大阪駅新駅周辺区画整理事業というのが紙一枚で、減歩率を幾らに決めて、それから清算金の問題とかいろんな、九十三万ヘクタールでしたか、そこへ今度はオリンピックが始まりまして、それでど真ん中を抜き取り買収しました。区画整理、紙一枚で引っ越していくところと、それから抜き取り買収で新幹線を早くオリンピックまでにつけなきゃいけないからというので大混乱した。新米の市議会議員でございましたが、私どもまで動員されまして、交渉を小学校の教室で地元市議会議員としてやってくれなんと言われて駆り出されたことを覚えております。
戦前の大阪の例を出していただきましたので、戦前の大阪というのは三百六十万の市民でございまして、今二百六十三万で百万人減りました。先生のお話でございましたように、バブルが崩壊する前、いわゆる昭和三十五年ごろからではないかと思いますが、経済繁栄の時代というのが来ましてどんどんバー、キャバレーなんかができて、今の庄内なんというのは、北新地とかそういうところに近いというので、新地のおねえさん方がタクシー代も安いので川を越えたところへどっと集中をした。今の先生のお話を伺いながら庄内を頭に思い浮かべ、こういう都市づくりはしょうないこっちゃななんて冗談を言い合いながらあの地区を思い起こしておりました。
あの辺は、豊中市の北の方は大変豪華な塀を引き回したような家があったりして、それがいわゆる大正十三年以来市域拡張をしていない大阪市の私は責任だとよく市議会議員時代に言っておりました。
例えば、東大阪市というのも、布施とか枚岡とかそういうところを全部まとめて東大阪市にしてしまいましたから、もう大阪市の周りに高い塀ができたみたいになってしまいまして、それで都市計画の専門家なんかがいわゆる衛星都市にはおりませんで、大阪市には立派な専門家がおりますが口が出せない。
私は、昭和四十四年に国会へ出ましたときに豊中の市長と地方行政委員会でやり合ったことがあります、バスを豊中へ出せと。合併しなさいと私が言いましたら、合併するわけにはいかぬけれどもバスや地下鉄は延伸させろなんという話がありまして、いわゆるゼロとゼロが一緒になったってゼロじゃないですかと。だから、やっぱり大阪という中心を持って、それで市域拡張をしてと。
私は一九六七年にモントリオールの万博へ行きました。ドラポーという向こうの市長に、今度の大阪万博に来てくださいと言って手を出しましたら、大阪万博と首をかしげられたんです。何で首をかしげるのかと。あれは吹田万博でしょうと言われたんです。それで、私は大阪市の財政総務委員会で、大阪の吹田万博に三十三億円の金を出すと言いますから、何でよその市域に金を出すんだ、地方財政法違反ではないかと、内山という財政局長でしたが、議論をしたことがあります。それじゃ寄附だと言う。赤字の大阪市が何で寄附をするんだと。私は万博に反対というんじゃない。ドラポー市長に大阪万博じゃない吹田万博だと言われたぞという話をして、だからというので、私は万博を機会に大阪市と吹田市を合併しようという看板を立てたら、大阪市議会議員の領土意欲だ、領土拡張侵略主義だなんて言われたことがございました。
これからの地方の時代に今度のこの改正案というのは、先生が今非常にうまい御表現をなさいました。社会的な規制は少しはないといかぬというお話がありました。そんな意味で、大阪市みたいな指定都市のトップにいって、財政規模は一番上が東京都、その次が大阪市、三番目が北海道、四番目が大阪府でございますから、大阪市と大阪府というのは逆転現象が起こっております。財政規模は大阪市の方が大きい。その大きいところが小さいところへ閉じこもっている。
私は、今度は介護保険で百六十八ぐらいの市町村が合併するなんという話がありますが、こういう都市計画なんかでもっとどんどんいわゆる中核都市と周辺がいかに連携をしていくか、そしてその地域に密着した市町村というのがいかに建設省それから都道府県とあうんの呼吸でやっていくかという、そういう形のものが今度の改正案じゃないかなと、役所の説明を私自体そしゃくしながら承っているわけでございます。
現行の都市計画法は、昭和四十年代の高度経済成長の過程で都市へ急速に人口や諸機能が集中して、市街地の無秩序な外縁化、いわゆるスプロール化が始まりまして、今お話のありました庄内なんというのはまさにドーナツ部分、ドーナツの真ん中は人口がどんどん抜けていって周辺地域にドーナツ化したという全国共通の課題が深刻化し、緊急対応することを眼目として私は制定されたものと思っております。
その後、三十年以上が経過し、経済社会状況が大きく変化しましたし、また人口動態については都市への人口集中が今は鎮静するという逆転現象が起こってきました。
それから、全国的に少子高齢化が進行しまして、私どもの地元大阪市内なんかでも、十三の商店街なんというのは、シャッターをおろしましたら二階で寝ていましたのが、今はシャッターをおろしたらみんな豊中とかそういうところへ家を持って、シャッターをおろしたら二階は倉庫になっているような形になってしまいました。
そういう産業立地につきましても、交通通信網の整備やモータリゼーションの進展に伴いまして都市計画区域の外側も含めて広域的な立地が進展をしてきております。国民の意識につきましては、多様な住まい方を望む意識が高まるとともに、住民みずからが町づくりに主体的に参画しようとする動きが広がっておりますし、各地域の固有の自然的な環境や景観の保全、さらには地球環境の保全の要請が高まっておりますところから、今回の改正はこれらの状況の変化に的確に対応すべく、時代もそういう意識がみんなの中に育ってきたように思いますから、それを調整する機能みたいなものが社会情勢の変化に伴う今回の改正案ではないかな、かように考えております。