新藤義孝の発言 (憲法調査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○新藤委員 自由民主党の新藤義孝でございます。
佐々木参考人には、大変意義ある、そしてまた興味深いお話を賜りまして、心から感謝を申し上げたいと存じます。そして、きょうお話しいただいた、佐々木先生の今のお話をもとに、また私なりに、高名な政治学者でいらっしゃいます先生に御質問をさせていただきたい、このように思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
私は、最初にお断り申し上げておきますが、ごらんのように三十三年生まれで、世代的にはこの中で最も若い方の部類です。先ほど先生がお話しされました、憲法に対する考え方、また国家に対する考え方が国民の中でいろいろ変わっているようだというお話がございました。ですから、多分その変わっている方の部類に入ると思いますので、少しぶしつけになるかもしれませんが、お答えをいただければありがたいな、このように思います。
まず私は、今回まさに先生がおっしゃいました政治主導、これは、政策の体系を整える、それからそれを実際にできるように計画する、それがまさに政治だと思っております。ですから、政を治める、物事を決めていくのが政治、そして政を行うのが行政だ。ですから、官僚をうまく活用しながらリーダーシップをとって物を決めていくのが政治なんだと。だから、ある一面で、もう役所は要らぬ、政策、法律は全部自分たちでつくるというような声もあるけれども、私はそこはちょっといろいろ考えた方がいいな、こういうふうに思っているのです。
きょうの憲法の話なんですけれども、五十三年たちました。世界で十五番目に古い。しかも一度も改正されていない。私どもはそれが当たり前のように大切に、先生も何回もお話しいただきました、不磨の大典という形になっておるわけなんでございますが、ドイツは四十六回、先生に釈迦に説法でございますけれども、一週間前に四十七回目の改正があったそうでございます。そしてフランスも九月に十四回目の改正ということなんですね。
御案内のように、我々はこれをどうしてこんなに大切にするのかな、もちろん国家の基本法ですから大切にするのは当たり前なんですが、なぜさわってはいけないんだ、ここが私は不思議で仕方がないのです。無理に直す必要もないけれども、さわることを許さぬというのは私には全く理解ができないということでございます。
そして、実は、そういう意味で政治主導のもとで憲法調査会がこの衆議院に設置された。その前に、二年間でしたか、中山先生また先輩方が御努力をされて憲法制度調査会設置推進議員連盟というのができておりまして、私もそこに入っておりました。
今でも忘れられないのですが、二年前でございましたか、憲法五十年を記念して、GHQのまだお元気な方に三人おいでいただきましたけれども、憲法調査会のシンポジウムをやったのです。よく覚えておりますけれども、そのときに、憲法草案にかかわったとされる方のお話は、この憲法は確かにマッカーサーから指示を受けて民政局で六日間でやりました、そしてそれは日本の占領下における私たちがつくった憲法だと思っておりました、独立後は自主憲法を制定しているものだと思っておりましたが、まさか五十年間、一字一句変えずに使っていただけるとは思いませんでした、ありがとうございましたと。そういうことを向こうから来た人がおっしゃったときに、何と皮肉なことかな、こういうふうに思ったわけでございます。
そこで、私は、だから直せばいいんだとは思っておりません。ただ一方で、時代にそぐわないところが出てきている。それから、先ほどから先生がおっしゃっていらっしゃる、政治が主導して国の形、そして国の方向の基本を整えるものとして、これは今まさに時代が変わろうとしている中、大いに議論していかなくてはならないのではないか、このように思うのでございます。
そこで、これは本当に基本的なことなんでございますが、先生は、憲法改正の手続の問題、そして発議と国民投票、こういうことにお触れになりましたが、私はもう一つその前に、一体全体この憲法は、原案をつくるのはだれがどういう形で作業をすべきなのか、このことも考えるべきだと思っているのです。
我々は、政を治め、そしてルールを決めていく仕事です。でも、決める前に、原案となるもの、立法作業といいますか、これは一体どういう形で行われていくべきなのか。これは、通常の法律と同じように、我々が議員立法でやっていくやり方もあると思います。しかし、国の基本となる憲法が果たしてそういう形でいいのかどうかというところに私はちょっと疑問を持っておりますし、法律学者として先生の御見解をいただければありがたいと思います。
例えば、大日本帝国憲法はだれがつくったのか、実際に書いた人はどなたなんでしょうか。そして、アメリカの憲法もそうです。ジョージ・ワシントンが出したといっても、一体だれがそのとき書いたのか。私は、審議のたたき台になる、また我々がこれから議論していくことはその原案の中に盛り込んでいくかもしれないことなんでございますが、これを一体全体どこがどういう機関でやるのかということは、実は非常に政治の役割として大きなことになるのではないかというふうに思うのです。
今の日本国憲法は、大日本帝国憲法改正案という形で出た。これも、今いろいろ資料がございまして、読むと極めて興味深いのですが、ホイットニー民政局長のもとでメンバーがやった。そして、マッカーサー三原則とアメリカ憲法及び州憲法、ワイマール憲法、フランス憲法、ソ連憲法、それから前文はアメリカ憲法とリンカーンのゲティスバーグ演説、テヘラン会議宣言等々が参照された。そして、その当時出していた日本案はほとんど重要視されなかった。ただ、一方で、唯一重要視された、GHQが参照したのが、学者さんの私的グループによる憲法研究会、これが発表されたものについては重要視されたというようなことが過去の歴史を振り返ってみると出てくるわけなんです。
今私たちは、九条をどうしましょうとか、前文をどうしましょうとか、そういう議論に入っている場合もあります。ただ、政治主導として行って憲法をつくっていく過程、これはもう少し考えを深めるべきことがあるのではないかなというふうに思っているのでございますが、先生の御意見をいただければ大変ありがたいと思います。