石原慎太郎の発言 (憲法調査会)

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○石原参考人 石原でございます。本日は、この席にお招きをいただきまして、ありがとうございました。
 私もかつて自民党におりました議員ですが、党の中では憲法の議論をいろいろやってまいりましたけれども、公式にこの国会の場で憲法が論じられるというのは大変意義のあることだと思います。しかし、ここまで来るのに憲法が制定されてからおよそ半世紀たったというのも、まあ感無量と申しますか、ちょっと時がかかり過ぎたかなという感じがいたしますが。
 話がずれるようで実は重なっているんですけれども、アメリカの世界へのヘゲモニーに対する反発がいろいろ起こっていますが、ヨーロッパもまたその一人でありましょう。このヨーロッパが、ECからEUを経てユーロという通貨をつくり、ヨーロッパの主体性というものを経済を通じてもアメリカに主張をしようという体制をつくるまでに、やはり戦争が終わってから五十年以上過ぎたというのも、一つの歴史工学の中での必然的な時間だったのかなという気がいたします。
 いずれにしろ、二十一世紀における日本のあり方を占い、考えるために、国家の基本法であります憲法に忌憚のない意見を述べ合い、批判もし、必要ならば手直しもする、あるいは抜本的に物事を変えるということも、これはやはり国家というものの繁栄のために、国民のために、私たちがすべき大切な仕事だと思います。
 私、憲法についてつらつら考えるんですが、かつては私たちはこれをマッカーサー憲法と呼びました。いつの間にか平和憲法という呼称に変わって、平和を希求しない人はだれもいないわけですから、つまり、平和という理念をかぶせられた憲法があたかも一つの理念の象徴のごとき存在に私たちの意識、下意識の中で変わっていきまして、そして、その理念がいつの間にか確固たる現実のような錯覚を多くの日本人が持つようになった、これは非常に悪いことだと私は思います。
 かつて、私も非常に知己があって、一緒に旅行したりしましたが、司馬遼太郎さんが、あるとき笑って、石原さん、日本人というのは変なものやな、日本人にとっては観念の方がよっぽど現実性があるんやなという非常に皮肉な所感を述べておりましたが、私もいかにもそのとおりだという気がいたします。
 いずれにしろ、憲法も既存の一つの国家法、基本法でありまして、これを論じながらこれを考え直す、問題として取り上げるためには、私は、憲法なら憲法が現出したかつての時点での、ごく近い過去の歴史というものを私たちはもう一回正確に認識し直す必要があると思う。その認識の上に、歴史を分析し、そしてどういう意図を持ってこの憲法がつくられてきたかということを、またそのときの真の主体者がだれであったかということも私たちは考え直す必要があると思います。
 現行の日本の憲法が形づくられたあの時点、ごくごく近い過去、五十年前の歴史というものの規制によるものですけれども、しかし、それをさらにさかのぼって、この憲法がつくられたときの歴史的な条件というものを規制してきたもうちょっと過去の、さらに半世紀以前の近代史というものを私たちはもう一回考え直してみる必要もあると思います。
 つまり、言いかえますと、有色人種の中でひとり日本人だけが形成してきた近代国家としての日本の世界史の中での意味合いというものを私たちは考えて、それに対する評価が、有色人種と、ありていに言えばほとんどの有色人種を植民地として支配してきた白人の評価とがかなり相対的に異なるということも私たちは歴史の事実として認識し、憲法がつくられたときの五十年前の歴史状況、さらにそれを規制してきた過去百年に及ぶ、あるいはそれよりもっと前の近代史というものの中での日本の位置を考える必要があるのじゃないかと私は思います。
 これは決して私のドグマではなしに、白人の現代史、近代史の学者も認めておりますけれども、もし日本という国家が、その功罪は別にして、近代国家、言いかえれば強大な軍事産業国家として世界史に登場してこなかったならば、現実の世界の歴史は白人の植民地支配というものが続いている、これは間違いがない。それを崩した大きなきっかけに、近代国家としての日本の存在があったということを私たちは認識すべきだと思っています。
 これは決して私のドグマではありません。私がまだ若造のころ、二十代でしたけれども、ある有力な方の紹介で、エジプトに行ったときに会うことのできたナセルや、あるいはインドネシアのスカルノという大統領、あるいは私の非常に近しい友人でもあり、先輩でもありますが、私、アジアだけじゃなしに世界で最もプロミネントな指導者であると思うマレーシアのマハティールさんも同じことを言っている。これは、私会ったことはありませんけれども、日露戦争の後、国父としてトルコを帝政ロシアの桎梏から解放したケマル・パシャも同じことを言っておりました。
 国家というのは個人と同じでありまして、それぞれの個性、人格というものを持っております。その国家が持っている個性というものを自由に発揚することが、その発揚の仕方もよしあしがあるでしょうけれども、国家なるものの自律性の一つのあかしだと私は思うわけです。
 国家、つまりネーションでありますけれども、このネーションという言葉の起源は、大ローマ帝国のころ、つまり多くの植民地を抱え、広大な領土で形成されてきたローマ帝国のボローニャ大学に各地域のエリートが集まって、そこでは共通の言語である古代ラテン語で勉強もしていた。しかし、それぞれ自分が負うて出てきた郷土の文化とか伝統というものは、これはやはり郷愁も断ちがたく、当然、同じ故郷から出てきた仲間たちでつくるグループがありまして、言ってみると日本の県人会のようなものがたくさんの学生を抱えたボローニャ大学の中にあって、そして、その友好クラブのようなもの、県人会がナチオと呼ばれたわけでありまして、そこからネーションという言葉が派生しているわけであります。
 今日、いかに世界が時間的、空間的に狭小になっても、なおいろいろな国家、いろいろな民族があり、しかもそれがそれぞれ個性を持ち、独自の伝統、文化を持って、その相違、ディファランシーの上に、いい意味の競争もあり、悪い形の競争も紛争もあるということは否めない。
 これは、ある理念に燃えた人たちは、一種のグローバリズムとして、やがて世界が統一されて、人類皆兄弟という形で、国境というものがなくなり、人種の差がなくなるということを理念とされるかもしらないけれども、それはそれで結構でしょうが、とてもそれにおぼつくスパンの中で私たちは生涯を終えるわけにいかない。つまり、それははるかはるか先のことでありまして、決して夢物語とは言わないけれども、一つの理念としては希求されることは結構でしょうが、しかし、それをもって私たちの現実を逆に規制する、くくるということもとても危ういんじゃないかという気がいたします。
 国家の持っている自律性、つまり個性の発露といいましょうか、国家の主体性、自律性というものは、いろいろな国家としての行為の中にあらわれてくるでしょうけれども、それを抽象的にくくりますと、つまり、国家が国家としての個性を踏まえ、自分の利益というものを踏まえながら行っていく自己決定だと思います。また、国家社会としての命運を左右しかねない選択というものを自分でできない国家は、国家の名に値しないと私は思いますが、どうも今の日本を眺めていると、いささかちょっと危うい気がするのです。
 これは決して私一人の物の考え方ではなくて、ほどほどの歴史学者であったけれども日本ではばかに有名なトインビーが、「歴史の研究」という、彼にとっては一番有名な本でありますけれども、その中で言っていることは、いかなる強大な国家社会も必ず衰弱し、場合によったら崩壊し、滅亡もする。ただ、国家社会が衰弱していく要因というのはいろいろあるけれども、これはどれをとってみても決して不可逆的なものではない。それを意識してとらえて努力すれば失地を挽回することは必ずできるけれども、非常に危険な、国家の崩壊につながりかねない衰弱の要因というのは、何といっても国家が自己決定能力を欠くことであると言っています。
 その例に、彼はローマその他の強大なエンパイアを挙げているけれども、ローマの例は最も端的でありまして、自国の防衛、つまり国民の生命財産の保護、防衛というものをローマ人じゃなしに外人の傭兵の手にゆだねた。そういう決定というものをローマがした瞬間、非常に加速度的な崩壊が始まって、長い長い歴史のスパンで眺めると、信じられないぐらい短期間にローマは衰弱して滅びてしまった。私は、これは決してローマだけじゃなしに、今後もそうだと思いますけれども、いかなる国家社会、民族にも当てはまる一つの歴史の原理だと思う。
 それをだれがどう意識するかということが非常に大事でありまして、今日この国会の場でようやく論議の対象になっている憲法というものも、私たちにとっては国家の基本法でありまして、すべての法律の体系というものもここから派生して出てくる。その限りにおいて、つまり憲法というものに対する私たちの意思というのは、いつも自由であり、柔軟であるべきだと思う。
 さらに、さかのぼって考えてみたときに、私にはいろいろ問題があり過ぎるこの憲法が、先ほど申し上げたいかなる歴史的な規制の中で、条件の中で誕生してきたかという歴史的な考察を、私たちは今こそ冷静に、ごく近い過去でありますから、いろいろな有効な史料がある。史実がある。特に、アメリカの現代史家は、戦後二十年たち、さらに三十年たった時点で、いろいろな機密文書が公開された、それを踏まえて日米戦争というものを随分振り返って考えています。ここでは余談だから詳しく話しませんが、アメリカの現代史家の中で、あの戦争は日本のイニシアチブで始まったと思っている人間は一人もいません。そのことについてはいろいろな論もあるでしょうけれども、私の知る限り一人もいない。アメリカが、アメリカのイニシアチブでこの憲法を作成し、それが日本人の意として選択されるという政治状況をどうやってつくったかということを、私たちは冷静に考え直してみる必要がある。
 物故しましたが、私の親友であった村松剛という非常にすぐれた評論家が、カナダの大学に交換教授で行っていて、数年いて、帰ってくる途中にニューヨークに立ち寄りまして、彼の思いつきで、日本があの戦いに敗れて降参をした八月十四日、向こうでは十四日、日本では十五日となっています。アメリカで一番ハイブラウなニューヨーク・タイムズ紙のエディトリアル、社説をコピーして持って帰ってくれて、私と亡き三島由紀夫さんにそれをくれました。同時に、公平を期すというか、参考の資料として、数カ月前にドイツが降伏したときの同じクオリティーペーパーのニューヨーク・タイムズの社説もコピーして私にくれた。
 アメリカが非常に苦労して戦ってやっと打ち負かした、強力な、ともに近代国家、軍事産業国家ドイツの敗戦と日本の敗戦のときの、同じ相手だったアメリカの論調といいましょうか、アメリカ人の意識を代表したこのニューヨーク・タイムズの論調というのは極めて対照的でありまして、ドイツの場合には、非常にすぐれた民族であるドイツがナチスという一つの虚妄のとりこになって戦争を起こし、世界じゅうに迷惑をかけたけれども、とにかくやっと我々も勝った。その限りで、我々は、実はすぐれた友人であるべきドイツに思い切った手をかして、その復興を助長しようということで、実際にイギリスも対象になったわけですけれども、荒廃したヨーロッパを復興させるためのマーシャル・プランが遂行されたわけです。残念ながらその後東西に二分されて、最近になって統一が果たされましたけれども。
 そのドイツの敗戦のときの論調とがらっと違いまして、日本の場合には、しかも漫画が添えてある。この部屋ぐらい大きな、何かナマズだか鯨だかわからない醜悪な化け物が倒れていて、それがあんぐりあいた口の中に、GI、つまりアメリカ兵がヘルメットをかぶって二人だか三人入っていって、大きな大きなやっとこで、あんぐりあいた怪獣の口からきばを抜いている。その社説には、この怪物は倒れはしたが、決して命を失っていない、いまだ非常に危険な存在だ、我々はアメリカのために、世界のために、一生かかってでも、永久にかかっても、この動物のきばと骨を抜き去って解体しなくちゃいけないと書いてある。そして、その作業はあるいはこの戦争に勝つ以上に困難かもしれないけれども、アメリカのために、世界のためにこれを行わなくちゃいけないとはっきり書いてあるのです。
 つまり、それを分析すれば、アメリカ人にとって、あるいはアメリカが代表してあの戦争に勝ったと自負している自分が背中にしょった白人社会にとって、日本という近代国家の存在は非常に奇異なものです。これはドイツ・ナチスの、あのナチスは一種のヒステリーでしょうけれども、しかし、あの狂気に駆られたナチスの集団をも、なお彼らは一種の狂気として、倒した後は、それを克服すればドイツというのは見事な国になるという期待をあえて述べているわけですけれども、日本の場合には全く違いまして、倒れてもなお日本は白人社会にとってはエイリアンだったわけです。そして、依然として彼らにとっては不気味で非常に危険な存在であるということがちゃんと書かれていて、これを徹底的に解体しようということで戦後の統治が始まった。これはもう紛れもない事実であります。
 私は恣意的に申し上げているのじゃないのです。それは、例えば、ニュースでも皆さんもさんざんごらんになったでしょうけれども、あのミズーリ号の甲板で、日本の代表団が、丸腰になった将軍たちも行き、重光外相もシルクハットをかぶってあそこに行って調印した。あの調印文書は何かというと、ポツダム宣言を受諾するという書類に調印したのです。そして、そのポツダム宣言は何かというと、この宣言を受諾する限り日本は無条件で軍隊を解体する、武装解除するということしか書かれていない。まさにそれを日本は受諾した。
 そして、マッカーサーは、そこで非常に短いスピーチをしまして、そして翌日、マッカーサーのスピーチから丸二十四時間たたないうちにGHQで内外の記者団を集めて会見して、何を言ったかというと、きのうの調印式を見ても、諸君、想起したまえ、日本は無条件で降伏をした、そしてきょうから日本の統治が始まる、私は責任を持ってそれを遂行する。
 これには、当時の暫定内閣の東久邇内閣の閣僚たちは、みんな良識のある方ばかりでありましたけれども、愕然としまして、こんなばかな話があるか、我々が受諾したのはポツダム宣言の受諾であって、無条件降伏なんか絶対していない。かんかんがくがく閣議の中では論議があったけれども、日本人にとっての降伏、被占領という処女体験がために動揺が大き過ぎて、結局これに対する正式な抗議というものは行われ得なかった。
 これは、非常に強引なアメリカの講じたトリックでしょうか、つまり詐術であります。
 対照的には、ドイツは降伏するときに三つ条件をつけています。それは、まさに国家の自律性、自己決定というものを阻害しかねない外国の干渉を、国家にとって三つの致命的な案件については排除する、もしそれが受け入れられないなら我々は降伏しないという形で、連合軍もそれを受諾して、とにかくドイツの降伏を認めたんです。ドイツがつけた三つの条件は何かというと、降伏はするが、翌日からも国軍は残す、ナチスは責任を持って解体するが、ドイツ国軍は残す。つまり、ドイツの国民の財産と生命の防衛はドイツ人自身がする。それから、ナチスは自分たちが淘汰するし、それが残したあしき教育の制度なり残滓は自分たちの責任を持って除去するけれども、戦後のドイツの子弟の教育はあくまでもドイツ人のイニシアチブで行って、一切外国の干渉を許さない。それから第三は、当然新しい憲法を創定しなくちゃいけない、これもドイツ人のイニシアチブで、一切外国の干渉を受けない。これを受けられないなら我々は降伏しないということでドイツは条件をつけて、連合軍もそれをのんで、ドイツの降伏を許した。
 日本はまさに対照的でありまして、マッカーサーが一方的に日本は無条件降伏したと言い切った瞬間、それをはね返す力がなかったために、戦後の日本の教育も憲法も、そして与えられた憲法の中で、国軍どころか一切の防衛力を認めない、日本人もみずから認めない、そういう誓約というものをさせられた。憲法の九条はそのために講じられたわけです。
 その後、非常に強引なマッカーサーの詐術から始まった日本の統治というものに対する徹底した統制が行われて、当時にしてみたら、ごく数カ月前の出来事に対する批判というものは一切許さない、物すごい過酷な言論統制が行われた。日本のメディアのだらしないところは、こういうものに対する反発は一切どの新聞も行ってこなかった。
 それを告発したのが、たった一人江藤淳でありました。彼の、たしか「閉された言語空間」ですか、これは非常に大事な大事な資料ですし書き物ですけれども、彼はそこで当時の日本人のふがいなさ、特に日本の言論のふがいなさというものを告発していますけれども、実際に戦争中以上に微に入り細にわたる言論統制をやったんです。そして、私たちはそういう統制された言語空間の中で、彼らがつくって与えた憲法というものをあたかも至上の理念のごとき、つまり錯覚というものが造成されてきて、ついに、今日の結果から見れば、私は、アメリカの見事な統治政策が成功して、日本人は意識どころか下意識から解体されたという気がしないではない。
 私、割と早くに年若く文壇に出たものですから、文壇と非常に親交のあった白洲次郎さんと文壇の催し物とか、小林秀雄さんと非常に親しかったもので、私も小林さんの近くに住んでいましたから、そんなことで折々一緒にお酒を飲んだりゴルフしたりしながら話をしたのです。この白洲次郎というのは、皆さんよく御存じのように吉田さんの側近でありまして、それでGHQとの交渉をすべてやった。ただ、この人は非常にこの憲法について疑義を抱きながら、特に九条に関しては、親しかった吉田茂と衝突して議論しながら、結局、自分の仕えている上司でありますから九条も是とせざるを得なかったのでしょう。この人が、実際に彼らが英語で起草した憲法の翻訳というのを、そのときいろいろな状況の中で非常に急いで拙速に、二日だか三日だかでやったんでしょう、それでその話をよくしていました。
 私は後で申しますけれども、日本の憲法、特にあの評判の高い前文というのは醜悪な日本語でありまして、私は文学者ですから、あの醜悪な日本語を文章としても許すわけにいかない。その話もしましたら、白洲次郎というのは非常にさっぱりしたすばらしい男でしたけれども、あのべらんめえのおじさんが私に、そうなんだ、おまえ、おれはずっとイギリスで育ったものだから、日本語より英語の方がよっぽどうまいんだ、そのおれがかなりいいかげんな日本語でうんうんとやったんだよ、あんなものはでたらめに決まってら、とにかくマッカーサーがいなくなったらさっさと直すと思ったら、ばかだね、日本人というのはまだ同じことをやってやがる。自分で自分につば吐くみたいな話じゃないですかと言ったら、いや、全くそうなんだけれども、しかしおれ一人でどんどん行くものじゃないからなと言っていましたがね。
 この白洲さんというのはいろいろなエピソードがありまして、非常にすばらしいキングズイングリッシュをしゃべったものだから、彼らから見れば田舎っぺのマッカーサーの属僚たち、何とかというナンバーツーかナンバースリーの将軍が、あるとき白洲次郎に、白洲さんの英語は見事ですなと言ったら、うん、まあ君の英語も少し勉強したらもうちょっとましになるよと言って、相手がかんかんになって怒ったというぐらいに達者な英語遣いでありましたけれども、同時に、非常に正確な日本語をしゃべった人です。その人が、個人的にはそういう述懐をしておりました。彼が、一人の日本人として、自分も含めて日本人をそういう形でそしるというのは、むべなるかなという気がいたします。
 例えば、私、本当に前文というのは醜悪。うたわれている理念はいいんですよ、ごく当たり前のことですよ。ですけれども、それを表現するに、翻訳としても非常に拙劣な日本語でありまして、これは皆さんの言語能力をテストするつもりはないけれども、あの前文に、ここに「この憲法を確定する。」とありますね。これはたしか原文はエスタブリッシュという動詞だったと思うけれども、法律をつくるときに、確定すると言いますかね。普通だったらこれは、法の表現でいったら制定でしょう。
 それから、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」云々とあるけれども、前置詞一つ、助詞一つの問題かもしらないけれども、「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」とは言わないですな、日本語では普通。欠乏を免れですよ。こういうところにやはり致命的な日本語の乱れがある。
 だから、私は、今日の若い世代の言葉の乱れというのを大人はひんしゅくしているけれども、いつの時代でも、若い人は若い表現をするので、それが拙劣か歴史的なものになり得るかどうかわかりませんが。とにかく、日本人の日本語に対する敬意というものの欠如、無神経は既にこの前文で始まっているのです。私はこれは、国語の教育からいったって、こんなものは、たとえこの一字二字でいいから変えてもらいたい。ということで、私はやはり、余りにもいろいろな問題があると思うのです。後で個々に御質問があるようですけれども。
 私は、とにかくこの憲法を考え直す。いろいろな瑕瑾があるでしょう。いいところももちろんあります。いいところは残したらいいのですが、変える変えないの問題じゃなくて、我々を有形無形で支配し、規制している国家の基本法の憲法というものが、歴史的な、どういう条件で規制されて現出したかということを、もうそろそろ冷静に、歴史の事実というものをつなぎ合わせながら、決してモンタージュじゃなしに、重ねながら、もう一回歴史的に分析する必要があると思う。そして、そこに日本人のどれだけの自主性、自律性というものが加味されたか。私はほとんどないと思いますけれども。
 つまり、あり得たとしたら、この憲法が採択されるときに、自由党は、仕方ないじゃないか、暫定的に引き受けると言い、共産党は熾烈に反対した。ある意味では、私は、あのときの共産党の反対というのは、コミンテルンの支配とかいろいろあったでしょうけれども、しかし、言い分だけを眺めれば、国家というものを一番きちっと認識した真っ当な反対論だったと私は思いますな。
 だけれども、とにかく、結果としてこれが国会で是とされた。そこら辺ぐらいは日本人の意思というものが加味されたかもしらないけれども、そこより、国会に議題として提出される前に、一体日本のイニシアチブというのがどれほどあったかということを歴史的に検証すれば自明なことでありまして、私は、だから今国会ですべきことは、そういった歴史というものを踏まえて、国家の宣言、国家の自律性というものを再確認しながら、この憲法を歴史的に否定することなんです。
 否定するのはどうこうって、ただ、とにかくこれは好ましくないし、こういう形で、決して私たちが望んだ形でつくられたんじゃないということを確認して、国会で否定したらいいじゃないですか。否定するには、内閣の不信任案と同じなんで、過半数があったら通るのです。手続じゃないのです。改正の手続に乗ることはない。私は、これを否定されたらいいと思う。否定された上で、どこを残して、どこを直すかということの意見が始まったらいいのです。
 とにかく、今の改定の手続といったって、これはやはり白洲さんが言っていましたけれども、直させるつもりがないからあんなややこしい手続にしたので、彼は、直す必要はない、こんなものはとにかく否定してしまったらいいんだと言ったのを今になって思い出すんです。
 私は、やはり国会が、ごくごく間近な過去の歴史の規制というものを分析して、決してそこに、この憲法が起草された段階では、ほとんど日本人のイニシアチブは及んでいなかった、そういう占領下という特異の状況にあった。その憲法というものに私たちの自律性、意思というものが反映されていない限り、国家の基本法としてのレジティマシーがないんだということを国会全体で認めて、これは日本人の民族の尊厳のためにもみんなで認めて、後はまた国会でそれぞれの立場の代表が集まっているところで議論したらいいけれども、まず、これをやはり歴史的に否定していただきたい。
 それは、内閣不信任案と同じように過半数の投票で是とされると私は思うし、そこで否決されれば私はもう何も異論を挟まない。そういう作業こそひとつ国会で積極的にお考え願いたい。これは非常に簡単で、国民が納得する一つの、国民を代表する国会の意思の表示だと思います。
 しかるべき上でどこをどう直すかという議論がされたらいいので、前文の前置詞、助詞がいい悪いというのは非常にトリビアルな話ですけれども、やはりこれは象徴的な意義があると思うのです。つまり、日本語になっていないからおかしいので、何で前文という大事な部分が日本語になっていないか。つまり、日本人のイニシアチブが及んでいない、発想が英語でされたというだけの話です。
 そういうことで、私は、やはり半世紀以上たった今日、国民の自負、自覚、国家の尊厳、自律性というものを反映して、ごく間近な過去の歴史でありますから、それらを分析することで、この憲法を歴史的に、正統性がない、レジティマシーがない、つまりあの時点で日本人の意思というものが何ら反映されていなかった、そういう現行の法律が、完全に自主独立を取り戻した日本でレジティマシーを持つか持たないかという議論を、抽象論のようですけれども非常に大事なものだと思いますので、国会でぜひやっていただきたいということをお願いして、一応お話を終わります。
 ありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 115004184X00520001130_002

発言者: 石原慎太郎

speaker_id: 28341

日付: 2000-11-30

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会