憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十二年十一月三十日(木曜日)
午前十時一分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 石川 要三君 幹事 高市 早苗君
幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君
幹事 鹿野 道彦君 幹事 島 聡君
幹事 仙谷 由人君 幹事 赤松 正雄君
幹事 塩田 晋君
岩崎 忠夫君 太田 誠一君
久間 章生君 小島 敏男君
新藤 義孝君 杉浦 正健君
田中眞紀子君 中曽根康弘君
額賀福志郎君 根本 匠君
鳩山 邦夫君 林 幹雄君
平沢 勝栄君 保利 耕輔君
三塚 博君 水野 賢一君
森山 眞弓君 柳澤 伯夫君
山本 明彦君 五十嵐文彦君
石毛えい子君 枝野 幸男君
大出 彰君 中野 寛成君
藤村 修君 細野 豪志君
前原 誠司君 牧野 聖修君
山花 郁夫君 横路 孝弘君
江田 康幸君 武山百合子君
藤島 正之君 瀬古由起子君
春名 直章君 山口 富男君
阿部 知子君 辻元 清美君
土井たか子君 山口わか子君
近藤 基彦君 小池百合子君
…………………………………
参考人
(東京都知事) 石原慎太郎君
参考人
(ジャーナリスト) 櫻井よしこ君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
委員の異動
十一月三十日
辞任 補欠選任
杉浦 正健君 山本 明彦君
水野 賢一君 小島 敏男君
村井 仁君 岩崎 忠夫君
山崎 拓君 林 幹雄君
太田 昭宏君 江田 康幸君
武山百合子君 藤島 正之君
山口 富男君 瀬古由起子君
辻元 清美君 山口わか子君
土井たか子君 阿部 知子君
野田 毅君 小池百合子君
同日
辞任 補欠選任
岩崎 忠夫君 村井 仁君
小島 敏男君 水野 賢一君
林 幹雄君 山崎 拓君
山本 明彦君 杉浦 正健君
江田 康幸君 太田 昭宏君
藤島 正之君 武山百合子君
瀬古由起子君 山口 富男君
阿部 知子君 土井たか子君
山口わか子君 辻元 清美君
小池百合子君 野田 毅君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)
午前十時一分開議
————◇—————
この発言だけを見る →午前十時一分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 石川 要三君 幹事 高市 早苗君
幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君
幹事 鹿野 道彦君 幹事 島 聡君
幹事 仙谷 由人君 幹事 赤松 正雄君
幹事 塩田 晋君
岩崎 忠夫君 太田 誠一君
久間 章生君 小島 敏男君
新藤 義孝君 杉浦 正健君
田中眞紀子君 中曽根康弘君
額賀福志郎君 根本 匠君
鳩山 邦夫君 林 幹雄君
平沢 勝栄君 保利 耕輔君
三塚 博君 水野 賢一君
森山 眞弓君 柳澤 伯夫君
山本 明彦君 五十嵐文彦君
石毛えい子君 枝野 幸男君
大出 彰君 中野 寛成君
藤村 修君 細野 豪志君
前原 誠司君 牧野 聖修君
山花 郁夫君 横路 孝弘君
江田 康幸君 武山百合子君
藤島 正之君 瀬古由起子君
春名 直章君 山口 富男君
阿部 知子君 辻元 清美君
土井たか子君 山口わか子君
近藤 基彦君 小池百合子君
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参考人
(東京都知事) 石原慎太郎君
参考人
(ジャーナリスト) 櫻井よしこ君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
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委員の異動
十一月三十日
辞任 補欠選任
杉浦 正健君 山本 明彦君
水野 賢一君 小島 敏男君
村井 仁君 岩崎 忠夫君
山崎 拓君 林 幹雄君
太田 昭宏君 江田 康幸君
武山百合子君 藤島 正之君
山口 富男君 瀬古由起子君
辻元 清美君 山口わか子君
土井たか子君 阿部 知子君
野田 毅君 小池百合子君
同日
辞任 補欠選任
岩崎 忠夫君 村井 仁君
小島 敏男君 水野 賢一君
林 幹雄君 山崎 拓君
山本 明彦君 杉浦 正健君
江田 康幸君 太田 昭宏君
藤島 正之君 武山百合子君
瀬古由起子君 山口 富男君
阿部 知子君 土井たか子君
山口わか子君 辻元 清美君
小池百合子君 野田 毅君
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本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)
午前十時一分開議
————◇—————
中
中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めます。
本日、午前の参考人として東京都知事石原慎太郎君に御出席をいただいております。
この際、石原参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、大変御多用中のところ当調査会に御出席をいただき、まことにありがとうございました。参考人のお立場から忌憚のない御意見をいただき、調査の参考にさせていただきたいと思います。
次に、議事の順序について申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えを願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、御了承を願いたいと思います。
御発言は着席のままでお願いをいたします。
それでは、石原参考人、お願いいたします。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めます。
本日、午前の参考人として東京都知事石原慎太郎君に御出席をいただいております。
この際、石原参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、大変御多用中のところ当調査会に御出席をいただき、まことにありがとうございました。参考人のお立場から忌憚のない御意見をいただき、調査の参考にさせていただきたいと思います。
次に、議事の順序について申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えを願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、御了承を願いたいと思います。
御発言は着席のままでお願いをいたします。
それでは、石原参考人、お願いいたします。
石
石原慎太郎#2
○石原参考人 石原でございます。本日は、この席にお招きをいただきまして、ありがとうございました。
私もかつて自民党におりました議員ですが、党の中では憲法の議論をいろいろやってまいりましたけれども、公式にこの国会の場で憲法が論じられるというのは大変意義のあることだと思います。しかし、ここまで来るのに憲法が制定されてからおよそ半世紀たったというのも、まあ感無量と申しますか、ちょっと時がかかり過ぎたかなという感じがいたしますが。
話がずれるようで実は重なっているんですけれども、アメリカの世界へのヘゲモニーに対する反発がいろいろ起こっていますが、ヨーロッパもまたその一人でありましょう。このヨーロッパが、ECからEUを経てユーロという通貨をつくり、ヨーロッパの主体性というものを経済を通じてもアメリカに主張をしようという体制をつくるまでに、やはり戦争が終わってから五十年以上過ぎたというのも、一つの歴史工学の中での必然的な時間だったのかなという気がいたします。
いずれにしろ、二十一世紀における日本のあり方を占い、考えるために、国家の基本法であります憲法に忌憚のない意見を述べ合い、批判もし、必要ならば手直しもする、あるいは抜本的に物事を変えるということも、これはやはり国家というものの繁栄のために、国民のために、私たちがすべき大切な仕事だと思います。
私、憲法についてつらつら考えるんですが、かつては私たちはこれをマッカーサー憲法と呼びました。いつの間にか平和憲法という呼称に変わって、平和を希求しない人はだれもいないわけですから、つまり、平和という理念をかぶせられた憲法があたかも一つの理念の象徴のごとき存在に私たちの意識、下意識の中で変わっていきまして、そして、その理念がいつの間にか確固たる現実のような錯覚を多くの日本人が持つようになった、これは非常に悪いことだと私は思います。
かつて、私も非常に知己があって、一緒に旅行したりしましたが、司馬遼太郎さんが、あるとき笑って、石原さん、日本人というのは変なものやな、日本人にとっては観念の方がよっぽど現実性があるんやなという非常に皮肉な所感を述べておりましたが、私もいかにもそのとおりだという気がいたします。
いずれにしろ、憲法も既存の一つの国家法、基本法でありまして、これを論じながらこれを考え直す、問題として取り上げるためには、私は、憲法なら憲法が現出したかつての時点での、ごく近い過去の歴史というものを私たちはもう一回正確に認識し直す必要があると思う。その認識の上に、歴史を分析し、そしてどういう意図を持ってこの憲法がつくられてきたかということを、またそのときの真の主体者がだれであったかということも私たちは考え直す必要があると思います。
現行の日本の憲法が形づくられたあの時点、ごくごく近い過去、五十年前の歴史というものの規制によるものですけれども、しかし、それをさらにさかのぼって、この憲法がつくられたときの歴史的な条件というものを規制してきたもうちょっと過去の、さらに半世紀以前の近代史というものを私たちはもう一回考え直してみる必要もあると思います。
つまり、言いかえますと、有色人種の中でひとり日本人だけが形成してきた近代国家としての日本の世界史の中での意味合いというものを私たちは考えて、それに対する評価が、有色人種と、ありていに言えばほとんどの有色人種を植民地として支配してきた白人の評価とがかなり相対的に異なるということも私たちは歴史の事実として認識し、憲法がつくられたときの五十年前の歴史状況、さらにそれを規制してきた過去百年に及ぶ、あるいはそれよりもっと前の近代史というものの中での日本の位置を考える必要があるのじゃないかと私は思います。
これは決して私のドグマではなしに、白人の現代史、近代史の学者も認めておりますけれども、もし日本という国家が、その功罪は別にして、近代国家、言いかえれば強大な軍事産業国家として世界史に登場してこなかったならば、現実の世界の歴史は白人の植民地支配というものが続いている、これは間違いがない。それを崩した大きなきっかけに、近代国家としての日本の存在があったということを私たちは認識すべきだと思っています。
これは決して私のドグマではありません。私がまだ若造のころ、二十代でしたけれども、ある有力な方の紹介で、エジプトに行ったときに会うことのできたナセルや、あるいはインドネシアのスカルノという大統領、あるいは私の非常に近しい友人でもあり、先輩でもありますが、私、アジアだけじゃなしに世界で最もプロミネントな指導者であると思うマレーシアのマハティールさんも同じことを言っている。これは、私会ったことはありませんけれども、日露戦争の後、国父としてトルコを帝政ロシアの桎梏から解放したケマル・パシャも同じことを言っておりました。
国家というのは個人と同じでありまして、それぞれの個性、人格というものを持っております。その国家が持っている個性というものを自由に発揚することが、その発揚の仕方もよしあしがあるでしょうけれども、国家なるものの自律性の一つのあかしだと私は思うわけです。
国家、つまりネーションでありますけれども、このネーションという言葉の起源は、大ローマ帝国のころ、つまり多くの植民地を抱え、広大な領土で形成されてきたローマ帝国のボローニャ大学に各地域のエリートが集まって、そこでは共通の言語である古代ラテン語で勉強もしていた。しかし、それぞれ自分が負うて出てきた郷土の文化とか伝統というものは、これはやはり郷愁も断ちがたく、当然、同じ故郷から出てきた仲間たちでつくるグループがありまして、言ってみると日本の県人会のようなものがたくさんの学生を抱えたボローニャ大学の中にあって、そして、その友好クラブのようなもの、県人会がナチオと呼ばれたわけでありまして、そこからネーションという言葉が派生しているわけであります。
今日、いかに世界が時間的、空間的に狭小になっても、なおいろいろな国家、いろいろな民族があり、しかもそれがそれぞれ個性を持ち、独自の伝統、文化を持って、その相違、ディファランシーの上に、いい意味の競争もあり、悪い形の競争も紛争もあるということは否めない。
これは、ある理念に燃えた人たちは、一種のグローバリズムとして、やがて世界が統一されて、人類皆兄弟という形で、国境というものがなくなり、人種の差がなくなるということを理念とされるかもしらないけれども、それはそれで結構でしょうが、とてもそれにおぼつくスパンの中で私たちは生涯を終えるわけにいかない。つまり、それははるかはるか先のことでありまして、決して夢物語とは言わないけれども、一つの理念としては希求されることは結構でしょうが、しかし、それをもって私たちの現実を逆に規制する、くくるということもとても危ういんじゃないかという気がいたします。
国家の持っている自律性、つまり個性の発露といいましょうか、国家の主体性、自律性というものは、いろいろな国家としての行為の中にあらわれてくるでしょうけれども、それを抽象的にくくりますと、つまり、国家が国家としての個性を踏まえ、自分の利益というものを踏まえながら行っていく自己決定だと思います。また、国家社会としての命運を左右しかねない選択というものを自分でできない国家は、国家の名に値しないと私は思いますが、どうも今の日本を眺めていると、いささかちょっと危うい気がするのです。
これは決して私一人の物の考え方ではなくて、ほどほどの歴史学者であったけれども日本ではばかに有名なトインビーが、「歴史の研究」という、彼にとっては一番有名な本でありますけれども、その中で言っていることは、いかなる強大な国家社会も必ず衰弱し、場合によったら崩壊し、滅亡もする。ただ、国家社会が衰弱していく要因というのはいろいろあるけれども、これはどれをとってみても決して不可逆的なものではない。それを意識してとらえて努力すれば失地を挽回することは必ずできるけれども、非常に危険な、国家の崩壊につながりかねない衰弱の要因というのは、何といっても国家が自己決定能力を欠くことであると言っています。
その例に、彼はローマその他の強大なエンパイアを挙げているけれども、ローマの例は最も端的でありまして、自国の防衛、つまり国民の生命財産の保護、防衛というものをローマ人じゃなしに外人の傭兵の手にゆだねた。そういう決定というものをローマがした瞬間、非常に加速度的な崩壊が始まって、長い長い歴史のスパンで眺めると、信じられないぐらい短期間にローマは衰弱して滅びてしまった。私は、これは決してローマだけじゃなしに、今後もそうだと思いますけれども、いかなる国家社会、民族にも当てはまる一つの歴史の原理だと思う。
それをだれがどう意識するかということが非常に大事でありまして、今日この国会の場でようやく論議の対象になっている憲法というものも、私たちにとっては国家の基本法でありまして、すべての法律の体系というものもここから派生して出てくる。その限りにおいて、つまり憲法というものに対する私たちの意思というのは、いつも自由であり、柔軟であるべきだと思う。
さらに、さかのぼって考えてみたときに、私にはいろいろ問題があり過ぎるこの憲法が、先ほど申し上げたいかなる歴史的な規制の中で、条件の中で誕生してきたかという歴史的な考察を、私たちは今こそ冷静に、ごく近い過去でありますから、いろいろな有効な史料がある。史実がある。特に、アメリカの現代史家は、戦後二十年たち、さらに三十年たった時点で、いろいろな機密文書が公開された、それを踏まえて日米戦争というものを随分振り返って考えています。ここでは余談だから詳しく話しませんが、アメリカの現代史家の中で、あの戦争は日本のイニシアチブで始まったと思っている人間は一人もいません。そのことについてはいろいろな論もあるでしょうけれども、私の知る限り一人もいない。アメリカが、アメリカのイニシアチブでこの憲法を作成し、それが日本人の意として選択されるという政治状況をどうやってつくったかということを、私たちは冷静に考え直してみる必要がある。
物故しましたが、私の親友であった村松剛という非常にすぐれた評論家が、カナダの大学に交換教授で行っていて、数年いて、帰ってくる途中にニューヨークに立ち寄りまして、彼の思いつきで、日本があの戦いに敗れて降参をした八月十四日、向こうでは十四日、日本では十五日となっています。アメリカで一番ハイブラウなニューヨーク・タイムズ紙のエディトリアル、社説をコピーして持って帰ってくれて、私と亡き三島由紀夫さんにそれをくれました。同時に、公平を期すというか、参考の資料として、数カ月前にドイツが降伏したときの同じクオリティーペーパーのニューヨーク・タイムズの社説もコピーして私にくれた。
アメリカが非常に苦労して戦ってやっと打ち負かした、強力な、ともに近代国家、軍事産業国家ドイツの敗戦と日本の敗戦のときの、同じ相手だったアメリカの論調といいましょうか、アメリカ人の意識を代表したこのニューヨーク・タイムズの論調というのは極めて対照的でありまして、ドイツの場合には、非常にすぐれた民族であるドイツがナチスという一つの虚妄のとりこになって戦争を起こし、世界じゅうに迷惑をかけたけれども、とにかくやっと我々も勝った。その限りで、我々は、実はすぐれた友人であるべきドイツに思い切った手をかして、その復興を助長しようということで、実際にイギリスも対象になったわけですけれども、荒廃したヨーロッパを復興させるためのマーシャル・プランが遂行されたわけです。残念ながらその後東西に二分されて、最近になって統一が果たされましたけれども。
そのドイツの敗戦のときの論調とがらっと違いまして、日本の場合には、しかも漫画が添えてある。この部屋ぐらい大きな、何かナマズだか鯨だかわからない醜悪な化け物が倒れていて、それがあんぐりあいた口の中に、GI、つまりアメリカ兵がヘルメットをかぶって二人だか三人入っていって、大きな大きなやっとこで、あんぐりあいた怪獣の口からきばを抜いている。その社説には、この怪物は倒れはしたが、決して命を失っていない、いまだ非常に危険な存在だ、我々はアメリカのために、世界のために、一生かかってでも、永久にかかっても、この動物のきばと骨を抜き去って解体しなくちゃいけないと書いてある。そして、その作業はあるいはこの戦争に勝つ以上に困難かもしれないけれども、アメリカのために、世界のためにこれを行わなくちゃいけないとはっきり書いてあるのです。
つまり、それを分析すれば、アメリカ人にとって、あるいはアメリカが代表してあの戦争に勝ったと自負している自分が背中にしょった白人社会にとって、日本という近代国家の存在は非常に奇異なものです。これはドイツ・ナチスの、あのナチスは一種のヒステリーでしょうけれども、しかし、あの狂気に駆られたナチスの集団をも、なお彼らは一種の狂気として、倒した後は、それを克服すればドイツというのは見事な国になるという期待をあえて述べているわけですけれども、日本の場合には全く違いまして、倒れてもなお日本は白人社会にとってはエイリアンだったわけです。そして、依然として彼らにとっては不気味で非常に危険な存在であるということがちゃんと書かれていて、これを徹底的に解体しようということで戦後の統治が始まった。これはもう紛れもない事実であります。
私は恣意的に申し上げているのじゃないのです。それは、例えば、ニュースでも皆さんもさんざんごらんになったでしょうけれども、あのミズーリ号の甲板で、日本の代表団が、丸腰になった将軍たちも行き、重光外相もシルクハットをかぶってあそこに行って調印した。あの調印文書は何かというと、ポツダム宣言を受諾するという書類に調印したのです。そして、そのポツダム宣言は何かというと、この宣言を受諾する限り日本は無条件で軍隊を解体する、武装解除するということしか書かれていない。まさにそれを日本は受諾した。
そして、マッカーサーは、そこで非常に短いスピーチをしまして、そして翌日、マッカーサーのスピーチから丸二十四時間たたないうちにGHQで内外の記者団を集めて会見して、何を言ったかというと、きのうの調印式を見ても、諸君、想起したまえ、日本は無条件で降伏をした、そしてきょうから日本の統治が始まる、私は責任を持ってそれを遂行する。
これには、当時の暫定内閣の東久邇内閣の閣僚たちは、みんな良識のある方ばかりでありましたけれども、愕然としまして、こんなばかな話があるか、我々が受諾したのはポツダム宣言の受諾であって、無条件降伏なんか絶対していない。かんかんがくがく閣議の中では論議があったけれども、日本人にとっての降伏、被占領という処女体験がために動揺が大き過ぎて、結局これに対する正式な抗議というものは行われ得なかった。
これは、非常に強引なアメリカの講じたトリックでしょうか、つまり詐術であります。
対照的には、ドイツは降伏するときに三つ条件をつけています。それは、まさに国家の自律性、自己決定というものを阻害しかねない外国の干渉を、国家にとって三つの致命的な案件については排除する、もしそれが受け入れられないなら我々は降伏しないという形で、連合軍もそれを受諾して、とにかくドイツの降伏を認めたんです。ドイツがつけた三つの条件は何かというと、降伏はするが、翌日からも国軍は残す、ナチスは責任を持って解体するが、ドイツ国軍は残す。つまり、ドイツの国民の財産と生命の防衛はドイツ人自身がする。それから、ナチスは自分たちが淘汰するし、それが残したあしき教育の制度なり残滓は自分たちの責任を持って除去するけれども、戦後のドイツの子弟の教育はあくまでもドイツ人のイニシアチブで行って、一切外国の干渉を許さない。それから第三は、当然新しい憲法を創定しなくちゃいけない、これもドイツ人のイニシアチブで、一切外国の干渉を受けない。これを受けられないなら我々は降伏しないということでドイツは条件をつけて、連合軍もそれをのんで、ドイツの降伏を許した。
日本はまさに対照的でありまして、マッカーサーが一方的に日本は無条件降伏したと言い切った瞬間、それをはね返す力がなかったために、戦後の日本の教育も憲法も、そして与えられた憲法の中で、国軍どころか一切の防衛力を認めない、日本人もみずから認めない、そういう誓約というものをさせられた。憲法の九条はそのために講じられたわけです。
その後、非常に強引なマッカーサーの詐術から始まった日本の統治というものに対する徹底した統制が行われて、当時にしてみたら、ごく数カ月前の出来事に対する批判というものは一切許さない、物すごい過酷な言論統制が行われた。日本のメディアのだらしないところは、こういうものに対する反発は一切どの新聞も行ってこなかった。
それを告発したのが、たった一人江藤淳でありました。彼の、たしか「閉された言語空間」ですか、これは非常に大事な大事な資料ですし書き物ですけれども、彼はそこで当時の日本人のふがいなさ、特に日本の言論のふがいなさというものを告発していますけれども、実際に戦争中以上に微に入り細にわたる言論統制をやったんです。そして、私たちはそういう統制された言語空間の中で、彼らがつくって与えた憲法というものをあたかも至上の理念のごとき、つまり錯覚というものが造成されてきて、ついに、今日の結果から見れば、私は、アメリカの見事な統治政策が成功して、日本人は意識どころか下意識から解体されたという気がしないではない。
私、割と早くに年若く文壇に出たものですから、文壇と非常に親交のあった白洲次郎さんと文壇の催し物とか、小林秀雄さんと非常に親しかったもので、私も小林さんの近くに住んでいましたから、そんなことで折々一緒にお酒を飲んだりゴルフしたりしながら話をしたのです。この白洲次郎というのは、皆さんよく御存じのように吉田さんの側近でありまして、それでGHQとの交渉をすべてやった。ただ、この人は非常にこの憲法について疑義を抱きながら、特に九条に関しては、親しかった吉田茂と衝突して議論しながら、結局、自分の仕えている上司でありますから九条も是とせざるを得なかったのでしょう。この人が、実際に彼らが英語で起草した憲法の翻訳というのを、そのときいろいろな状況の中で非常に急いで拙速に、二日だか三日だかでやったんでしょう、それでその話をよくしていました。
私は後で申しますけれども、日本の憲法、特にあの評判の高い前文というのは醜悪な日本語でありまして、私は文学者ですから、あの醜悪な日本語を文章としても許すわけにいかない。その話もしましたら、白洲次郎というのは非常にさっぱりしたすばらしい男でしたけれども、あのべらんめえのおじさんが私に、そうなんだ、おまえ、おれはずっとイギリスで育ったものだから、日本語より英語の方がよっぽどうまいんだ、そのおれがかなりいいかげんな日本語でうんうんとやったんだよ、あんなものはでたらめに決まってら、とにかくマッカーサーがいなくなったらさっさと直すと思ったら、ばかだね、日本人というのはまだ同じことをやってやがる。自分で自分につば吐くみたいな話じゃないですかと言ったら、いや、全くそうなんだけれども、しかしおれ一人でどんどん行くものじゃないからなと言っていましたがね。
この白洲さんというのはいろいろなエピソードがありまして、非常にすばらしいキングズイングリッシュをしゃべったものだから、彼らから見れば田舎っぺのマッカーサーの属僚たち、何とかというナンバーツーかナンバースリーの将軍が、あるとき白洲次郎に、白洲さんの英語は見事ですなと言ったら、うん、まあ君の英語も少し勉強したらもうちょっとましになるよと言って、相手がかんかんになって怒ったというぐらいに達者な英語遣いでありましたけれども、同時に、非常に正確な日本語をしゃべった人です。その人が、個人的にはそういう述懐をしておりました。彼が、一人の日本人として、自分も含めて日本人をそういう形でそしるというのは、むべなるかなという気がいたします。
例えば、私、本当に前文というのは醜悪。うたわれている理念はいいんですよ、ごく当たり前のことですよ。ですけれども、それを表現するに、翻訳としても非常に拙劣な日本語でありまして、これは皆さんの言語能力をテストするつもりはないけれども、あの前文に、ここに「この憲法を確定する。」とありますね。これはたしか原文はエスタブリッシュという動詞だったと思うけれども、法律をつくるときに、確定すると言いますかね。普通だったらこれは、法の表現でいったら制定でしょう。
それから、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」云々とあるけれども、前置詞一つ、助詞一つの問題かもしらないけれども、「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」とは言わないですな、日本語では普通。欠乏を免れですよ。こういうところにやはり致命的な日本語の乱れがある。
だから、私は、今日の若い世代の言葉の乱れというのを大人はひんしゅくしているけれども、いつの時代でも、若い人は若い表現をするので、それが拙劣か歴史的なものになり得るかどうかわかりませんが。とにかく、日本人の日本語に対する敬意というものの欠如、無神経は既にこの前文で始まっているのです。私はこれは、国語の教育からいったって、こんなものは、たとえこの一字二字でいいから変えてもらいたい。ということで、私はやはり、余りにもいろいろな問題があると思うのです。後で個々に御質問があるようですけれども。
私は、とにかくこの憲法を考え直す。いろいろな瑕瑾があるでしょう。いいところももちろんあります。いいところは残したらいいのですが、変える変えないの問題じゃなくて、我々を有形無形で支配し、規制している国家の基本法の憲法というものが、歴史的な、どういう条件で規制されて現出したかということを、もうそろそろ冷静に、歴史の事実というものをつなぎ合わせながら、決してモンタージュじゃなしに、重ねながら、もう一回歴史的に分析する必要があると思う。そして、そこに日本人のどれだけの自主性、自律性というものが加味されたか。私はほとんどないと思いますけれども。
つまり、あり得たとしたら、この憲法が採択されるときに、自由党は、仕方ないじゃないか、暫定的に引き受けると言い、共産党は熾烈に反対した。ある意味では、私は、あのときの共産党の反対というのは、コミンテルンの支配とかいろいろあったでしょうけれども、しかし、言い分だけを眺めれば、国家というものを一番きちっと認識した真っ当な反対論だったと私は思いますな。
だけれども、とにかく、結果としてこれが国会で是とされた。そこら辺ぐらいは日本人の意思というものが加味されたかもしらないけれども、そこより、国会に議題として提出される前に、一体日本のイニシアチブというのがどれほどあったかということを歴史的に検証すれば自明なことでありまして、私は、だから今国会ですべきことは、そういった歴史というものを踏まえて、国家の宣言、国家の自律性というものを再確認しながら、この憲法を歴史的に否定することなんです。
否定するのはどうこうって、ただ、とにかくこれは好ましくないし、こういう形で、決して私たちが望んだ形でつくられたんじゃないということを確認して、国会で否定したらいいじゃないですか。否定するには、内閣の不信任案と同じなんで、過半数があったら通るのです。手続じゃないのです。改正の手続に乗ることはない。私は、これを否定されたらいいと思う。否定された上で、どこを残して、どこを直すかということの意見が始まったらいいのです。
とにかく、今の改定の手続といったって、これはやはり白洲さんが言っていましたけれども、直させるつもりがないからあんなややこしい手続にしたので、彼は、直す必要はない、こんなものはとにかく否定してしまったらいいんだと言ったのを今になって思い出すんです。
私は、やはり国会が、ごくごく間近な過去の歴史の規制というものを分析して、決してそこに、この憲法が起草された段階では、ほとんど日本人のイニシアチブは及んでいなかった、そういう占領下という特異の状況にあった。その憲法というものに私たちの自律性、意思というものが反映されていない限り、国家の基本法としてのレジティマシーがないんだということを国会全体で認めて、これは日本人の民族の尊厳のためにもみんなで認めて、後はまた国会でそれぞれの立場の代表が集まっているところで議論したらいいけれども、まず、これをやはり歴史的に否定していただきたい。
それは、内閣不信任案と同じように過半数の投票で是とされると私は思うし、そこで否決されれば私はもう何も異論を挟まない。そういう作業こそひとつ国会で積極的にお考え願いたい。これは非常に簡単で、国民が納得する一つの、国民を代表する国会の意思の表示だと思います。
しかるべき上でどこをどう直すかという議論がされたらいいので、前文の前置詞、助詞がいい悪いというのは非常にトリビアルな話ですけれども、やはりこれは象徴的な意義があると思うのです。つまり、日本語になっていないからおかしいので、何で前文という大事な部分が日本語になっていないか。つまり、日本人のイニシアチブが及んでいない、発想が英語でされたというだけの話です。
そういうことで、私は、やはり半世紀以上たった今日、国民の自負、自覚、国家の尊厳、自律性というものを反映して、ごく間近な過去の歴史でありますから、それらを分析することで、この憲法を歴史的に、正統性がない、レジティマシーがない、つまりあの時点で日本人の意思というものが何ら反映されていなかった、そういう現行の法律が、完全に自主独立を取り戻した日本でレジティマシーを持つか持たないかという議論を、抽象論のようですけれども非常に大事なものだと思いますので、国会でぜひやっていただきたいということをお願いして、一応お話を終わります。
ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私もかつて自民党におりました議員ですが、党の中では憲法の議論をいろいろやってまいりましたけれども、公式にこの国会の場で憲法が論じられるというのは大変意義のあることだと思います。しかし、ここまで来るのに憲法が制定されてからおよそ半世紀たったというのも、まあ感無量と申しますか、ちょっと時がかかり過ぎたかなという感じがいたしますが。
話がずれるようで実は重なっているんですけれども、アメリカの世界へのヘゲモニーに対する反発がいろいろ起こっていますが、ヨーロッパもまたその一人でありましょう。このヨーロッパが、ECからEUを経てユーロという通貨をつくり、ヨーロッパの主体性というものを経済を通じてもアメリカに主張をしようという体制をつくるまでに、やはり戦争が終わってから五十年以上過ぎたというのも、一つの歴史工学の中での必然的な時間だったのかなという気がいたします。
いずれにしろ、二十一世紀における日本のあり方を占い、考えるために、国家の基本法であります憲法に忌憚のない意見を述べ合い、批判もし、必要ならば手直しもする、あるいは抜本的に物事を変えるということも、これはやはり国家というものの繁栄のために、国民のために、私たちがすべき大切な仕事だと思います。
私、憲法についてつらつら考えるんですが、かつては私たちはこれをマッカーサー憲法と呼びました。いつの間にか平和憲法という呼称に変わって、平和を希求しない人はだれもいないわけですから、つまり、平和という理念をかぶせられた憲法があたかも一つの理念の象徴のごとき存在に私たちの意識、下意識の中で変わっていきまして、そして、その理念がいつの間にか確固たる現実のような錯覚を多くの日本人が持つようになった、これは非常に悪いことだと私は思います。
かつて、私も非常に知己があって、一緒に旅行したりしましたが、司馬遼太郎さんが、あるとき笑って、石原さん、日本人というのは変なものやな、日本人にとっては観念の方がよっぽど現実性があるんやなという非常に皮肉な所感を述べておりましたが、私もいかにもそのとおりだという気がいたします。
いずれにしろ、憲法も既存の一つの国家法、基本法でありまして、これを論じながらこれを考え直す、問題として取り上げるためには、私は、憲法なら憲法が現出したかつての時点での、ごく近い過去の歴史というものを私たちはもう一回正確に認識し直す必要があると思う。その認識の上に、歴史を分析し、そしてどういう意図を持ってこの憲法がつくられてきたかということを、またそのときの真の主体者がだれであったかということも私たちは考え直す必要があると思います。
現行の日本の憲法が形づくられたあの時点、ごくごく近い過去、五十年前の歴史というものの規制によるものですけれども、しかし、それをさらにさかのぼって、この憲法がつくられたときの歴史的な条件というものを規制してきたもうちょっと過去の、さらに半世紀以前の近代史というものを私たちはもう一回考え直してみる必要もあると思います。
つまり、言いかえますと、有色人種の中でひとり日本人だけが形成してきた近代国家としての日本の世界史の中での意味合いというものを私たちは考えて、それに対する評価が、有色人種と、ありていに言えばほとんどの有色人種を植民地として支配してきた白人の評価とがかなり相対的に異なるということも私たちは歴史の事実として認識し、憲法がつくられたときの五十年前の歴史状況、さらにそれを規制してきた過去百年に及ぶ、あるいはそれよりもっと前の近代史というものの中での日本の位置を考える必要があるのじゃないかと私は思います。
これは決して私のドグマではなしに、白人の現代史、近代史の学者も認めておりますけれども、もし日本という国家が、その功罪は別にして、近代国家、言いかえれば強大な軍事産業国家として世界史に登場してこなかったならば、現実の世界の歴史は白人の植民地支配というものが続いている、これは間違いがない。それを崩した大きなきっかけに、近代国家としての日本の存在があったということを私たちは認識すべきだと思っています。
これは決して私のドグマではありません。私がまだ若造のころ、二十代でしたけれども、ある有力な方の紹介で、エジプトに行ったときに会うことのできたナセルや、あるいはインドネシアのスカルノという大統領、あるいは私の非常に近しい友人でもあり、先輩でもありますが、私、アジアだけじゃなしに世界で最もプロミネントな指導者であると思うマレーシアのマハティールさんも同じことを言っている。これは、私会ったことはありませんけれども、日露戦争の後、国父としてトルコを帝政ロシアの桎梏から解放したケマル・パシャも同じことを言っておりました。
国家というのは個人と同じでありまして、それぞれの個性、人格というものを持っております。その国家が持っている個性というものを自由に発揚することが、その発揚の仕方もよしあしがあるでしょうけれども、国家なるものの自律性の一つのあかしだと私は思うわけです。
国家、つまりネーションでありますけれども、このネーションという言葉の起源は、大ローマ帝国のころ、つまり多くの植民地を抱え、広大な領土で形成されてきたローマ帝国のボローニャ大学に各地域のエリートが集まって、そこでは共通の言語である古代ラテン語で勉強もしていた。しかし、それぞれ自分が負うて出てきた郷土の文化とか伝統というものは、これはやはり郷愁も断ちがたく、当然、同じ故郷から出てきた仲間たちでつくるグループがありまして、言ってみると日本の県人会のようなものがたくさんの学生を抱えたボローニャ大学の中にあって、そして、その友好クラブのようなもの、県人会がナチオと呼ばれたわけでありまして、そこからネーションという言葉が派生しているわけであります。
今日、いかに世界が時間的、空間的に狭小になっても、なおいろいろな国家、いろいろな民族があり、しかもそれがそれぞれ個性を持ち、独自の伝統、文化を持って、その相違、ディファランシーの上に、いい意味の競争もあり、悪い形の競争も紛争もあるということは否めない。
これは、ある理念に燃えた人たちは、一種のグローバリズムとして、やがて世界が統一されて、人類皆兄弟という形で、国境というものがなくなり、人種の差がなくなるということを理念とされるかもしらないけれども、それはそれで結構でしょうが、とてもそれにおぼつくスパンの中で私たちは生涯を終えるわけにいかない。つまり、それははるかはるか先のことでありまして、決して夢物語とは言わないけれども、一つの理念としては希求されることは結構でしょうが、しかし、それをもって私たちの現実を逆に規制する、くくるということもとても危ういんじゃないかという気がいたします。
国家の持っている自律性、つまり個性の発露といいましょうか、国家の主体性、自律性というものは、いろいろな国家としての行為の中にあらわれてくるでしょうけれども、それを抽象的にくくりますと、つまり、国家が国家としての個性を踏まえ、自分の利益というものを踏まえながら行っていく自己決定だと思います。また、国家社会としての命運を左右しかねない選択というものを自分でできない国家は、国家の名に値しないと私は思いますが、どうも今の日本を眺めていると、いささかちょっと危うい気がするのです。
これは決して私一人の物の考え方ではなくて、ほどほどの歴史学者であったけれども日本ではばかに有名なトインビーが、「歴史の研究」という、彼にとっては一番有名な本でありますけれども、その中で言っていることは、いかなる強大な国家社会も必ず衰弱し、場合によったら崩壊し、滅亡もする。ただ、国家社会が衰弱していく要因というのはいろいろあるけれども、これはどれをとってみても決して不可逆的なものではない。それを意識してとらえて努力すれば失地を挽回することは必ずできるけれども、非常に危険な、国家の崩壊につながりかねない衰弱の要因というのは、何といっても国家が自己決定能力を欠くことであると言っています。
その例に、彼はローマその他の強大なエンパイアを挙げているけれども、ローマの例は最も端的でありまして、自国の防衛、つまり国民の生命財産の保護、防衛というものをローマ人じゃなしに外人の傭兵の手にゆだねた。そういう決定というものをローマがした瞬間、非常に加速度的な崩壊が始まって、長い長い歴史のスパンで眺めると、信じられないぐらい短期間にローマは衰弱して滅びてしまった。私は、これは決してローマだけじゃなしに、今後もそうだと思いますけれども、いかなる国家社会、民族にも当てはまる一つの歴史の原理だと思う。
それをだれがどう意識するかということが非常に大事でありまして、今日この国会の場でようやく論議の対象になっている憲法というものも、私たちにとっては国家の基本法でありまして、すべての法律の体系というものもここから派生して出てくる。その限りにおいて、つまり憲法というものに対する私たちの意思というのは、いつも自由であり、柔軟であるべきだと思う。
さらに、さかのぼって考えてみたときに、私にはいろいろ問題があり過ぎるこの憲法が、先ほど申し上げたいかなる歴史的な規制の中で、条件の中で誕生してきたかという歴史的な考察を、私たちは今こそ冷静に、ごく近い過去でありますから、いろいろな有効な史料がある。史実がある。特に、アメリカの現代史家は、戦後二十年たち、さらに三十年たった時点で、いろいろな機密文書が公開された、それを踏まえて日米戦争というものを随分振り返って考えています。ここでは余談だから詳しく話しませんが、アメリカの現代史家の中で、あの戦争は日本のイニシアチブで始まったと思っている人間は一人もいません。そのことについてはいろいろな論もあるでしょうけれども、私の知る限り一人もいない。アメリカが、アメリカのイニシアチブでこの憲法を作成し、それが日本人の意として選択されるという政治状況をどうやってつくったかということを、私たちは冷静に考え直してみる必要がある。
物故しましたが、私の親友であった村松剛という非常にすぐれた評論家が、カナダの大学に交換教授で行っていて、数年いて、帰ってくる途中にニューヨークに立ち寄りまして、彼の思いつきで、日本があの戦いに敗れて降参をした八月十四日、向こうでは十四日、日本では十五日となっています。アメリカで一番ハイブラウなニューヨーク・タイムズ紙のエディトリアル、社説をコピーして持って帰ってくれて、私と亡き三島由紀夫さんにそれをくれました。同時に、公平を期すというか、参考の資料として、数カ月前にドイツが降伏したときの同じクオリティーペーパーのニューヨーク・タイムズの社説もコピーして私にくれた。
アメリカが非常に苦労して戦ってやっと打ち負かした、強力な、ともに近代国家、軍事産業国家ドイツの敗戦と日本の敗戦のときの、同じ相手だったアメリカの論調といいましょうか、アメリカ人の意識を代表したこのニューヨーク・タイムズの論調というのは極めて対照的でありまして、ドイツの場合には、非常にすぐれた民族であるドイツがナチスという一つの虚妄のとりこになって戦争を起こし、世界じゅうに迷惑をかけたけれども、とにかくやっと我々も勝った。その限りで、我々は、実はすぐれた友人であるべきドイツに思い切った手をかして、その復興を助長しようということで、実際にイギリスも対象になったわけですけれども、荒廃したヨーロッパを復興させるためのマーシャル・プランが遂行されたわけです。残念ながらその後東西に二分されて、最近になって統一が果たされましたけれども。
そのドイツの敗戦のときの論調とがらっと違いまして、日本の場合には、しかも漫画が添えてある。この部屋ぐらい大きな、何かナマズだか鯨だかわからない醜悪な化け物が倒れていて、それがあんぐりあいた口の中に、GI、つまりアメリカ兵がヘルメットをかぶって二人だか三人入っていって、大きな大きなやっとこで、あんぐりあいた怪獣の口からきばを抜いている。その社説には、この怪物は倒れはしたが、決して命を失っていない、いまだ非常に危険な存在だ、我々はアメリカのために、世界のために、一生かかってでも、永久にかかっても、この動物のきばと骨を抜き去って解体しなくちゃいけないと書いてある。そして、その作業はあるいはこの戦争に勝つ以上に困難かもしれないけれども、アメリカのために、世界のためにこれを行わなくちゃいけないとはっきり書いてあるのです。
つまり、それを分析すれば、アメリカ人にとって、あるいはアメリカが代表してあの戦争に勝ったと自負している自分が背中にしょった白人社会にとって、日本という近代国家の存在は非常に奇異なものです。これはドイツ・ナチスの、あのナチスは一種のヒステリーでしょうけれども、しかし、あの狂気に駆られたナチスの集団をも、なお彼らは一種の狂気として、倒した後は、それを克服すればドイツというのは見事な国になるという期待をあえて述べているわけですけれども、日本の場合には全く違いまして、倒れてもなお日本は白人社会にとってはエイリアンだったわけです。そして、依然として彼らにとっては不気味で非常に危険な存在であるということがちゃんと書かれていて、これを徹底的に解体しようということで戦後の統治が始まった。これはもう紛れもない事実であります。
私は恣意的に申し上げているのじゃないのです。それは、例えば、ニュースでも皆さんもさんざんごらんになったでしょうけれども、あのミズーリ号の甲板で、日本の代表団が、丸腰になった将軍たちも行き、重光外相もシルクハットをかぶってあそこに行って調印した。あの調印文書は何かというと、ポツダム宣言を受諾するという書類に調印したのです。そして、そのポツダム宣言は何かというと、この宣言を受諾する限り日本は無条件で軍隊を解体する、武装解除するということしか書かれていない。まさにそれを日本は受諾した。
そして、マッカーサーは、そこで非常に短いスピーチをしまして、そして翌日、マッカーサーのスピーチから丸二十四時間たたないうちにGHQで内外の記者団を集めて会見して、何を言ったかというと、きのうの調印式を見ても、諸君、想起したまえ、日本は無条件で降伏をした、そしてきょうから日本の統治が始まる、私は責任を持ってそれを遂行する。
これには、当時の暫定内閣の東久邇内閣の閣僚たちは、みんな良識のある方ばかりでありましたけれども、愕然としまして、こんなばかな話があるか、我々が受諾したのはポツダム宣言の受諾であって、無条件降伏なんか絶対していない。かんかんがくがく閣議の中では論議があったけれども、日本人にとっての降伏、被占領という処女体験がために動揺が大き過ぎて、結局これに対する正式な抗議というものは行われ得なかった。
これは、非常に強引なアメリカの講じたトリックでしょうか、つまり詐術であります。
対照的には、ドイツは降伏するときに三つ条件をつけています。それは、まさに国家の自律性、自己決定というものを阻害しかねない外国の干渉を、国家にとって三つの致命的な案件については排除する、もしそれが受け入れられないなら我々は降伏しないという形で、連合軍もそれを受諾して、とにかくドイツの降伏を認めたんです。ドイツがつけた三つの条件は何かというと、降伏はするが、翌日からも国軍は残す、ナチスは責任を持って解体するが、ドイツ国軍は残す。つまり、ドイツの国民の財産と生命の防衛はドイツ人自身がする。それから、ナチスは自分たちが淘汰するし、それが残したあしき教育の制度なり残滓は自分たちの責任を持って除去するけれども、戦後のドイツの子弟の教育はあくまでもドイツ人のイニシアチブで行って、一切外国の干渉を許さない。それから第三は、当然新しい憲法を創定しなくちゃいけない、これもドイツ人のイニシアチブで、一切外国の干渉を受けない。これを受けられないなら我々は降伏しないということでドイツは条件をつけて、連合軍もそれをのんで、ドイツの降伏を許した。
日本はまさに対照的でありまして、マッカーサーが一方的に日本は無条件降伏したと言い切った瞬間、それをはね返す力がなかったために、戦後の日本の教育も憲法も、そして与えられた憲法の中で、国軍どころか一切の防衛力を認めない、日本人もみずから認めない、そういう誓約というものをさせられた。憲法の九条はそのために講じられたわけです。
その後、非常に強引なマッカーサーの詐術から始まった日本の統治というものに対する徹底した統制が行われて、当時にしてみたら、ごく数カ月前の出来事に対する批判というものは一切許さない、物すごい過酷な言論統制が行われた。日本のメディアのだらしないところは、こういうものに対する反発は一切どの新聞も行ってこなかった。
それを告発したのが、たった一人江藤淳でありました。彼の、たしか「閉された言語空間」ですか、これは非常に大事な大事な資料ですし書き物ですけれども、彼はそこで当時の日本人のふがいなさ、特に日本の言論のふがいなさというものを告発していますけれども、実際に戦争中以上に微に入り細にわたる言論統制をやったんです。そして、私たちはそういう統制された言語空間の中で、彼らがつくって与えた憲法というものをあたかも至上の理念のごとき、つまり錯覚というものが造成されてきて、ついに、今日の結果から見れば、私は、アメリカの見事な統治政策が成功して、日本人は意識どころか下意識から解体されたという気がしないではない。
私、割と早くに年若く文壇に出たものですから、文壇と非常に親交のあった白洲次郎さんと文壇の催し物とか、小林秀雄さんと非常に親しかったもので、私も小林さんの近くに住んでいましたから、そんなことで折々一緒にお酒を飲んだりゴルフしたりしながら話をしたのです。この白洲次郎というのは、皆さんよく御存じのように吉田さんの側近でありまして、それでGHQとの交渉をすべてやった。ただ、この人は非常にこの憲法について疑義を抱きながら、特に九条に関しては、親しかった吉田茂と衝突して議論しながら、結局、自分の仕えている上司でありますから九条も是とせざるを得なかったのでしょう。この人が、実際に彼らが英語で起草した憲法の翻訳というのを、そのときいろいろな状況の中で非常に急いで拙速に、二日だか三日だかでやったんでしょう、それでその話をよくしていました。
私は後で申しますけれども、日本の憲法、特にあの評判の高い前文というのは醜悪な日本語でありまして、私は文学者ですから、あの醜悪な日本語を文章としても許すわけにいかない。その話もしましたら、白洲次郎というのは非常にさっぱりしたすばらしい男でしたけれども、あのべらんめえのおじさんが私に、そうなんだ、おまえ、おれはずっとイギリスで育ったものだから、日本語より英語の方がよっぽどうまいんだ、そのおれがかなりいいかげんな日本語でうんうんとやったんだよ、あんなものはでたらめに決まってら、とにかくマッカーサーがいなくなったらさっさと直すと思ったら、ばかだね、日本人というのはまだ同じことをやってやがる。自分で自分につば吐くみたいな話じゃないですかと言ったら、いや、全くそうなんだけれども、しかしおれ一人でどんどん行くものじゃないからなと言っていましたがね。
この白洲さんというのはいろいろなエピソードがありまして、非常にすばらしいキングズイングリッシュをしゃべったものだから、彼らから見れば田舎っぺのマッカーサーの属僚たち、何とかというナンバーツーかナンバースリーの将軍が、あるとき白洲次郎に、白洲さんの英語は見事ですなと言ったら、うん、まあ君の英語も少し勉強したらもうちょっとましになるよと言って、相手がかんかんになって怒ったというぐらいに達者な英語遣いでありましたけれども、同時に、非常に正確な日本語をしゃべった人です。その人が、個人的にはそういう述懐をしておりました。彼が、一人の日本人として、自分も含めて日本人をそういう形でそしるというのは、むべなるかなという気がいたします。
例えば、私、本当に前文というのは醜悪。うたわれている理念はいいんですよ、ごく当たり前のことですよ。ですけれども、それを表現するに、翻訳としても非常に拙劣な日本語でありまして、これは皆さんの言語能力をテストするつもりはないけれども、あの前文に、ここに「この憲法を確定する。」とありますね。これはたしか原文はエスタブリッシュという動詞だったと思うけれども、法律をつくるときに、確定すると言いますかね。普通だったらこれは、法の表現でいったら制定でしょう。
それから、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」云々とあるけれども、前置詞一つ、助詞一つの問題かもしらないけれども、「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」とは言わないですな、日本語では普通。欠乏を免れですよ。こういうところにやはり致命的な日本語の乱れがある。
だから、私は、今日の若い世代の言葉の乱れというのを大人はひんしゅくしているけれども、いつの時代でも、若い人は若い表現をするので、それが拙劣か歴史的なものになり得るかどうかわかりませんが。とにかく、日本人の日本語に対する敬意というものの欠如、無神経は既にこの前文で始まっているのです。私はこれは、国語の教育からいったって、こんなものは、たとえこの一字二字でいいから変えてもらいたい。ということで、私はやはり、余りにもいろいろな問題があると思うのです。後で個々に御質問があるようですけれども。
私は、とにかくこの憲法を考え直す。いろいろな瑕瑾があるでしょう。いいところももちろんあります。いいところは残したらいいのですが、変える変えないの問題じゃなくて、我々を有形無形で支配し、規制している国家の基本法の憲法というものが、歴史的な、どういう条件で規制されて現出したかということを、もうそろそろ冷静に、歴史の事実というものをつなぎ合わせながら、決してモンタージュじゃなしに、重ねながら、もう一回歴史的に分析する必要があると思う。そして、そこに日本人のどれだけの自主性、自律性というものが加味されたか。私はほとんどないと思いますけれども。
つまり、あり得たとしたら、この憲法が採択されるときに、自由党は、仕方ないじゃないか、暫定的に引き受けると言い、共産党は熾烈に反対した。ある意味では、私は、あのときの共産党の反対というのは、コミンテルンの支配とかいろいろあったでしょうけれども、しかし、言い分だけを眺めれば、国家というものを一番きちっと認識した真っ当な反対論だったと私は思いますな。
だけれども、とにかく、結果としてこれが国会で是とされた。そこら辺ぐらいは日本人の意思というものが加味されたかもしらないけれども、そこより、国会に議題として提出される前に、一体日本のイニシアチブというのがどれほどあったかということを歴史的に検証すれば自明なことでありまして、私は、だから今国会ですべきことは、そういった歴史というものを踏まえて、国家の宣言、国家の自律性というものを再確認しながら、この憲法を歴史的に否定することなんです。
否定するのはどうこうって、ただ、とにかくこれは好ましくないし、こういう形で、決して私たちが望んだ形でつくられたんじゃないということを確認して、国会で否定したらいいじゃないですか。否定するには、内閣の不信任案と同じなんで、過半数があったら通るのです。手続じゃないのです。改正の手続に乗ることはない。私は、これを否定されたらいいと思う。否定された上で、どこを残して、どこを直すかということの意見が始まったらいいのです。
とにかく、今の改定の手続といったって、これはやはり白洲さんが言っていましたけれども、直させるつもりがないからあんなややこしい手続にしたので、彼は、直す必要はない、こんなものはとにかく否定してしまったらいいんだと言ったのを今になって思い出すんです。
私は、やはり国会が、ごくごく間近な過去の歴史の規制というものを分析して、決してそこに、この憲法が起草された段階では、ほとんど日本人のイニシアチブは及んでいなかった、そういう占領下という特異の状況にあった。その憲法というものに私たちの自律性、意思というものが反映されていない限り、国家の基本法としてのレジティマシーがないんだということを国会全体で認めて、これは日本人の民族の尊厳のためにもみんなで認めて、後はまた国会でそれぞれの立場の代表が集まっているところで議論したらいいけれども、まず、これをやはり歴史的に否定していただきたい。
それは、内閣不信任案と同じように過半数の投票で是とされると私は思うし、そこで否決されれば私はもう何も異論を挟まない。そういう作業こそひとつ国会で積極的にお考え願いたい。これは非常に簡単で、国民が納得する一つの、国民を代表する国会の意思の表示だと思います。
しかるべき上でどこをどう直すかという議論がされたらいいので、前文の前置詞、助詞がいい悪いというのは非常にトリビアルな話ですけれども、やはりこれは象徴的な意義があると思うのです。つまり、日本語になっていないからおかしいので、何で前文という大事な部分が日本語になっていないか。つまり、日本人のイニシアチブが及んでいない、発想が英語でされたというだけの話です。
そういうことで、私は、やはり半世紀以上たった今日、国民の自負、自覚、国家の尊厳、自律性というものを反映して、ごく間近な過去の歴史でありますから、それらを分析することで、この憲法を歴史的に、正統性がない、レジティマシーがない、つまりあの時点で日本人の意思というものが何ら反映されていなかった、そういう現行の法律が、完全に自主独立を取り戻した日本でレジティマシーを持つか持たないかという議論を、抽象論のようですけれども非常に大事なものだと思いますので、国会でぜひやっていただきたいということをお願いして、一応お話を終わります。
ありがとうございました。拍手
中
中
柳
柳澤伯夫#5
○柳澤委員 石原参考人というお呼びかけ方はどうもちょっとなじまないという感じもしますので、石原先生ということで呼びかけさせていただきます。(石原参考人「石原さんにしておいてください」と呼ぶ)いやいや、石原さんでも結構でございますけれども。
石原先生、自由民主党の国会議員であられたときに、特に我々が一時野に下ったときに、自民党は立ち直らなきゃいけないということで、平成六年の四月でしたか、橋本政調会長のもとで、二十一世紀委員会という、非常に広範囲な課題を考える会を事実上主宰をされたことがございます。そのときにつくられた「二十一世紀への橋 新しい政治の進路」、「二十一世紀委員会からの報告」という副題がついたものが手元にあるわけでございますけれども、今のお話を聞いておりまして、やはり自民党議員をおやめになると随分伸び伸びとされた発想をされるのかなという感じを率直に持ったわけでございます。
というのは、このときの文書によりますと、憲法についても非常に慎重な態度をとられまして、憲法改正が必要であることは当然認めていらっしゃるわけですが、九条についてはむしろ、ここ当分、五年なり十年なり棚上げをして、その他の修正なりをすべきではないだろうか、こういう御提言をなさっておられます。それは、そういうお立場というか変化を反映されたのかなという感じがいたしますが。
やや具体的なことになるんですが、この中で、部分的修正なりというテーマの中で、こういうくだりがございます。「この国際化の時代に順応して長期にわたる在日外国人の権利と義務の明文化」というようなところが、先生が多分お書きになられた「二十一世紀へのグランド・デザイン(骨子)」という中間段階での文書の中にそのくだりがありまして、先ほど私が述べた最終報告のところをそれに続けますと、「例えば、彼等が居住する末端の地方自治体の首長への選挙権などは是認されるべきではなかろうか。」こういうくだりがございます。
最近、先生の言葉を新聞でちらっと拝見をしたら、どうもこれと逆のようなことを御主張になっているのではないかという印象を私は持ったのでございますけれども、まず、これをお書きになったときに比べて本当にお変わりになったのか、そして、お変わりになったとすれば、それはどんなお考えの推移によるものか、お教えいただければありがたい、このように思います。
この発言だけを見る →石原先生、自由民主党の国会議員であられたときに、特に我々が一時野に下ったときに、自民党は立ち直らなきゃいけないということで、平成六年の四月でしたか、橋本政調会長のもとで、二十一世紀委員会という、非常に広範囲な課題を考える会を事実上主宰をされたことがございます。そのときにつくられた「二十一世紀への橋 新しい政治の進路」、「二十一世紀委員会からの報告」という副題がついたものが手元にあるわけでございますけれども、今のお話を聞いておりまして、やはり自民党議員をおやめになると随分伸び伸びとされた発想をされるのかなという感じを率直に持ったわけでございます。
というのは、このときの文書によりますと、憲法についても非常に慎重な態度をとられまして、憲法改正が必要であることは当然認めていらっしゃるわけですが、九条についてはむしろ、ここ当分、五年なり十年なり棚上げをして、その他の修正なりをすべきではないだろうか、こういう御提言をなさっておられます。それは、そういうお立場というか変化を反映されたのかなという感じがいたしますが。
やや具体的なことになるんですが、この中で、部分的修正なりというテーマの中で、こういうくだりがございます。「この国際化の時代に順応して長期にわたる在日外国人の権利と義務の明文化」というようなところが、先生が多分お書きになられた「二十一世紀へのグランド・デザイン(骨子)」という中間段階での文書の中にそのくだりがありまして、先ほど私が述べた最終報告のところをそれに続けますと、「例えば、彼等が居住する末端の地方自治体の首長への選挙権などは是認されるべきではなかろうか。」こういうくだりがございます。
最近、先生の言葉を新聞でちらっと拝見をしたら、どうもこれと逆のようなことを御主張になっているのではないかという印象を私は持ったのでございますけれども、まず、これをお書きになったときに比べて本当にお変わりになったのか、そして、お変わりになったとすれば、それはどんなお考えの推移によるものか、お教えいただければありがたい、このように思います。
石
石原慎太郎#6
○石原参考人 御指摘のとおりでありまして、前段の九条の棚上げ論は、とにかく憲法の改正も焦眉の問題だという自覚は私はずっと持ってまいりました。
あのとき、ヒアリングを内外でして、特に外側でしたんですけれども、印象的だったのは、連合の山岸会長と、鷲尾さんですか、今会長になった人が事務局長でいまして、両者がとてもおもしろいことを言ってくれたな。石原さん、とにかく憲法を直しましょう、九条になると非常に厄介な問題が起こってくるから、まず憲法を直す癖をつけた方がいい、納得のいくところはどんどん直したらいいということで、私は、なるほどなというので、要するにその発言をしんしゃくして、ああいう形の提言をしました。
とにかく、そうじゃないと九条がいつもバリアになりまして、つまり、九条が妙に観念化して絶対化されて憲法を表象しているものですから、憲法というとすぐ九条という連想が働いている。ですから、連合の労働組合の連中が、とにかく憲法を直す癖をつけましょうというのはとてもおもしろい発言なので、それからヒントを得てああいうレトリックをしました。
それから、後段のこと、これは私はちょっと中で議論をしたんです。私はそのときから反対だった、参政権については。ただ、これをどうしても入れろと言う人がいまして、中で議論があったんですけれども、限られた人間でやっていましたから、それでも、そうすべきだというので、私はそのときに、果てない議論をしてもしようがないので、とりあえずある期間まとめなくちゃいけないと思ったものですから、ああいう文章にしました。
それで、長期に滞在する外国人の権利義務が、これは必ずしもすべて参政権とか被選挙権ということではなくて、違った形でも、私は具体的に書いたような気がするんですが、半分市民になりかかったような外国人の日本社会に対する権利と義務というのは、やはりきちっとうたう必要がある。加えて、そこに参政権という声が挙がったんですが、私はそのときも否定的でしたけれども、議論の末、その限りにおいて衆寡敵せずで、多分反対したのは私一人だったと思うので、仲間の顔もありますから、ああいう形でまとめました。私は依然として、今反対です。
この発言だけを見る →あのとき、ヒアリングを内外でして、特に外側でしたんですけれども、印象的だったのは、連合の山岸会長と、鷲尾さんですか、今会長になった人が事務局長でいまして、両者がとてもおもしろいことを言ってくれたな。石原さん、とにかく憲法を直しましょう、九条になると非常に厄介な問題が起こってくるから、まず憲法を直す癖をつけた方がいい、納得のいくところはどんどん直したらいいということで、私は、なるほどなというので、要するにその発言をしんしゃくして、ああいう形の提言をしました。
とにかく、そうじゃないと九条がいつもバリアになりまして、つまり、九条が妙に観念化して絶対化されて憲法を表象しているものですから、憲法というとすぐ九条という連想が働いている。ですから、連合の労働組合の連中が、とにかく憲法を直す癖をつけましょうというのはとてもおもしろい発言なので、それからヒントを得てああいうレトリックをしました。
それから、後段のこと、これは私はちょっと中で議論をしたんです。私はそのときから反対だった、参政権については。ただ、これをどうしても入れろと言う人がいまして、中で議論があったんですけれども、限られた人間でやっていましたから、それでも、そうすべきだというので、私はそのときに、果てない議論をしてもしようがないので、とりあえずある期間まとめなくちゃいけないと思ったものですから、ああいう文章にしました。
それで、長期に滞在する外国人の権利義務が、これは必ずしもすべて参政権とか被選挙権ということではなくて、違った形でも、私は具体的に書いたような気がするんですが、半分市民になりかかったような外国人の日本社会に対する権利と義務というのは、やはりきちっとうたう必要がある。加えて、そこに参政権という声が挙がったんですが、私はそのときも否定的でしたけれども、議論の末、その限りにおいて衆寡敵せずで、多分反対したのは私一人だったと思うので、仲間の顔もありますから、ああいう形でまとめました。私は依然として、今反対です。
柳
柳澤伯夫#7
○柳澤委員 わかりました。どうもありがとうございました。
ちょっと話題が飛ぶようで恐縮なんですけれども、日米安保、石原先生、かねてからアメリカと日本のあり方というのは、今のお話にもあったように大変強い関心を持たれて、御主張もたくさんあるわけでございますが、この先生の「二十一世紀へのグランド・デザイン(骨子)」というのを見ますと、今後の日米安保の意味合いということを論じたくだりがありまして、そこから「日本を含めたアジアの集団安保体制というものにも発展するかもしれない。」つまり、アメリカの能力と責任において日米安保の意味を保証していくということであれば、そういうことになるかもしれない、こういうくだりがあります。
今、日米安保の延長線上に何を考えるかというときに、国会に、一つは集団的自衛権を考えていこうという説と、それから、石原先生がここで言われるように、地域的集団安全保障までその延長に見ていこうという二つの考え方が私はあるように思っております。それで、私の立場は、むしろ先生がここに書かれた地域的集団安全保障体制を展望した方が、そして日米安保というものを考えていった方がいいという考え方で、この点は全く同じなんですが、その基礎にある先生のお考え、あえてここで集団的自衛権ではなくて地域的集団安全保障体制を展望された背景になるお考えをお漏らしいただければ大変ありがたいと思います。
この発言だけを見る →ちょっと話題が飛ぶようで恐縮なんですけれども、日米安保、石原先生、かねてからアメリカと日本のあり方というのは、今のお話にもあったように大変強い関心を持たれて、御主張もたくさんあるわけでございますが、この先生の「二十一世紀へのグランド・デザイン(骨子)」というのを見ますと、今後の日米安保の意味合いということを論じたくだりがありまして、そこから「日本を含めたアジアの集団安保体制というものにも発展するかもしれない。」つまり、アメリカの能力と責任において日米安保の意味を保証していくということであれば、そういうことになるかもしれない、こういうくだりがあります。
今、日米安保の延長線上に何を考えるかというときに、国会に、一つは集団的自衛権を考えていこうという説と、それから、石原先生がここで言われるように、地域的集団安全保障までその延長に見ていこうという二つの考え方が私はあるように思っております。それで、私の立場は、むしろ先生がここに書かれた地域的集団安全保障体制を展望した方が、そして日米安保というものを考えていった方がいいという考え方で、この点は全く同じなんですが、その基礎にある先生のお考え、あえてここで集団的自衛権ではなくて地域的集団安全保障体制を展望された背景になるお考えをお漏らしいただければ大変ありがたいと思います。
石
石原慎太郎#8
○石原参考人 クリントンの政権というのは非常にどこかえたいの知れない、実に強引にダブルスタンダードを使って、日中問題についてもそれで日本は振り回されている節があるんですけれども。ただ、やはり、その同じクリントン時代に、当時の橋本総理が突然サンタモニカに呼ばれて、用件は何かといったら、秋に行われる日米首脳会談の打ち合わせだった。そんなものは役人がやればいいことでして、日本の首脳があそこへ出ていくことはない。果たせるかな、あそこで新しいガイドラインというものを突きつけられた。
それは皆さんそれぞれに情報を持っていらっしゃるでしょうけれども、李登輝さんが初めて開かれた台湾の総統選挙で出たときに、中共はそれを牽制するためにミサイルの威嚇射撃をやった。それだけじゃなくて、実はDIAが捕捉したことは、日本の与那国島の沖と台湾の高雄の沖、つまり台湾と日本の領海に、誤射と称して、正確な誤射ですね、アメリカもやるし、どこもやるんだ、正確な誤射と称して一発ずつミサイルを撃ち込む計画があったんです。それが漏えいしまして、アメリカは非常に強く反発して、インド洋からも一隻呼んで、日本からも原子力航空母艦が威嚇のために台湾海峡に出動して、それで、もしそういう誤射と称する威嚇をするならばもっと積極的に行動するぞと通告したので、結局、中国はやめました。
そのときに、非常に急いで行ったために、アメリカは過敏に緊張して出動したわけですから、日本側から出ていった航空母艦に対する給油の作業を非常に日本はリラクタントで協力しなかったんですね。それに対するアメリカの反発が、今までもずっとあったんですけれども、例えば日米合同演習をやってけが人が出ても、日本の地方の病院というのは、その地域の特性もあるんでしょうけれども、そういうものに対しての対処をしないような事例もたくさんありまして、これが一体果たして安保条約というものの実態でいいのかということで、もっと踏み込んで、つまりアメリカは新しいガイドラインをそこで提示した。
それは要するに、中国という国の軍事拡張主義は、近未来のアジアの安定と平和にとって極めて厄介な存在になったという認識を日本も持てという形であれが押しつけられたわけでしょう。私は、それはそれで妥当だと思うんですが、やはり日本はあそこでアメリカに試されたと思う。
この間も、サッチャーさんが暮れにいらしたとき話したけれども、日本は随分のんきですねと言われた。ソビエトが崩壊して帝国主義というものは完全になくなったと思ったら、ひとり中国が帝国主義をやっているわけです。これは、軍事力と強大な経済力で、文明、民族、伝統というもののディファランシー、差異というものを全く無視して強力な統治を行うという一つの国家覇権のパターンですよ。それが世界で淘汰された。ちっちゃい形でユーゴなんかもあったわけですけれども、それが唯一続いている国が中国なのに、日本は随分無神経ねと言っていましたけれども、また言われてしようがないと思うんです。
それで、私は、中国人は別に嫌いでも好きでもありませんが、今の中国政府の姿勢には我慢ならない。それは、中国の要人が、沖縄県なんてもともと中国の領土だと言い、私も当時随行でついていきましたが、沖縄返還交渉できちっと文書にして返してもらった尖閣諸島を、今になってみると自国の領土だと言い出している。アメリカもずるいから、そういうことに対して証言を逃げている。
こういう中で、軍事力の拡大を背景にした共産党という独裁政権のレジティマシーは、毛沢東が人民を解放し、トウショウヘイが経済を開放した後、彼らが独裁政権でやれることといったら、軍事力を背景にした領土拡張で、それで自分のレジティマシーを維持するしかないでしょう。ですから、私は、非常に危険な選択をしていると思うし、現に、コンフィデンシャルな話ですから詳しいことは申しませんが、江沢民なんというのは、自分の保全のために軍の特に過激な若手と、とんでもない計画の立案を唆して、個人的にそういうコミットメントをしている。これはとても危険な兆候だと思う。
ですから、私は、集団安保というのは、中国という非常に危険な路線を歩みつつある国に対して、日本がアメリカとのパートナーシップの中で推すべき選択の一つだと思いますけれども、しかし、そのアメリカそのものが、軍事力を持つ世界の警察官と自負している国として、かなり変貌してきた。
私、おもしろい本を読んだのですが、一年ほど前に、私が非常に好きな作家のノーマン・メイラーが、日本の月刊のプレイボーイマガジンのために非常にすぐれた個人インタビューをしておりました。その中で、いろいろな問題で私インスパイアされたのですけれども、アメリカはもはや世界の警察官たり得ない、アメリカができる戦争というのはもう限定がある、決して血を流す戦争にアメリカは踏み込んでいかない。つまり、もっとわかりやすく言うと、グランドフォースを使った戦争をアメリカは絶対にしない、せいぜいするのはコソボの戦闘だと。
そして、彼はとてもおもしろいことを言った。これは日本の技術も随分加味しているのですけれども、アメリカの現代戦というのは、五千メートルの上空から地上を行くビークル、車両を正確に撃つことはできる。しかし、五千メートルの上空からだと、これはバスだかタンクだかわからないということで、アメリカはバスを撃ったわけでしょう。あれで七十何人、人を殺したのです、市民を。そういう戦闘は、メイラーの言葉をかりると、戦争としてのレジティマシーがもはやない。
ですから、私たちは、そういうアメリカの後退というものを考えていくと、私は、やはりアメリカとの集団安保体制というものを一つのステージとして、その先は、柳澤さんがおっしゃるみたいにアジアのアライアンスの中での安保体制というものを考えざるを得なくなってくると思います。
この発言だけを見る →それは皆さんそれぞれに情報を持っていらっしゃるでしょうけれども、李登輝さんが初めて開かれた台湾の総統選挙で出たときに、中共はそれを牽制するためにミサイルの威嚇射撃をやった。それだけじゃなくて、実はDIAが捕捉したことは、日本の与那国島の沖と台湾の高雄の沖、つまり台湾と日本の領海に、誤射と称して、正確な誤射ですね、アメリカもやるし、どこもやるんだ、正確な誤射と称して一発ずつミサイルを撃ち込む計画があったんです。それが漏えいしまして、アメリカは非常に強く反発して、インド洋からも一隻呼んで、日本からも原子力航空母艦が威嚇のために台湾海峡に出動して、それで、もしそういう誤射と称する威嚇をするならばもっと積極的に行動するぞと通告したので、結局、中国はやめました。
そのときに、非常に急いで行ったために、アメリカは過敏に緊張して出動したわけですから、日本側から出ていった航空母艦に対する給油の作業を非常に日本はリラクタントで協力しなかったんですね。それに対するアメリカの反発が、今までもずっとあったんですけれども、例えば日米合同演習をやってけが人が出ても、日本の地方の病院というのは、その地域の特性もあるんでしょうけれども、そういうものに対しての対処をしないような事例もたくさんありまして、これが一体果たして安保条約というものの実態でいいのかということで、もっと踏み込んで、つまりアメリカは新しいガイドラインをそこで提示した。
それは要するに、中国という国の軍事拡張主義は、近未来のアジアの安定と平和にとって極めて厄介な存在になったという認識を日本も持てという形であれが押しつけられたわけでしょう。私は、それはそれで妥当だと思うんですが、やはり日本はあそこでアメリカに試されたと思う。
この間も、サッチャーさんが暮れにいらしたとき話したけれども、日本は随分のんきですねと言われた。ソビエトが崩壊して帝国主義というものは完全になくなったと思ったら、ひとり中国が帝国主義をやっているわけです。これは、軍事力と強大な経済力で、文明、民族、伝統というもののディファランシー、差異というものを全く無視して強力な統治を行うという一つの国家覇権のパターンですよ。それが世界で淘汰された。ちっちゃい形でユーゴなんかもあったわけですけれども、それが唯一続いている国が中国なのに、日本は随分無神経ねと言っていましたけれども、また言われてしようがないと思うんです。
それで、私は、中国人は別に嫌いでも好きでもありませんが、今の中国政府の姿勢には我慢ならない。それは、中国の要人が、沖縄県なんてもともと中国の領土だと言い、私も当時随行でついていきましたが、沖縄返還交渉できちっと文書にして返してもらった尖閣諸島を、今になってみると自国の領土だと言い出している。アメリカもずるいから、そういうことに対して証言を逃げている。
こういう中で、軍事力の拡大を背景にした共産党という独裁政権のレジティマシーは、毛沢東が人民を解放し、トウショウヘイが経済を開放した後、彼らが独裁政権でやれることといったら、軍事力を背景にした領土拡張で、それで自分のレジティマシーを維持するしかないでしょう。ですから、私は、非常に危険な選択をしていると思うし、現に、コンフィデンシャルな話ですから詳しいことは申しませんが、江沢民なんというのは、自分の保全のために軍の特に過激な若手と、とんでもない計画の立案を唆して、個人的にそういうコミットメントをしている。これはとても危険な兆候だと思う。
ですから、私は、集団安保というのは、中国という非常に危険な路線を歩みつつある国に対して、日本がアメリカとのパートナーシップの中で推すべき選択の一つだと思いますけれども、しかし、そのアメリカそのものが、軍事力を持つ世界の警察官と自負している国として、かなり変貌してきた。
私、おもしろい本を読んだのですが、一年ほど前に、私が非常に好きな作家のノーマン・メイラーが、日本の月刊のプレイボーイマガジンのために非常にすぐれた個人インタビューをしておりました。その中で、いろいろな問題で私インスパイアされたのですけれども、アメリカはもはや世界の警察官たり得ない、アメリカができる戦争というのはもう限定がある、決して血を流す戦争にアメリカは踏み込んでいかない。つまり、もっとわかりやすく言うと、グランドフォースを使った戦争をアメリカは絶対にしない、せいぜいするのはコソボの戦闘だと。
そして、彼はとてもおもしろいことを言った。これは日本の技術も随分加味しているのですけれども、アメリカの現代戦というのは、五千メートルの上空から地上を行くビークル、車両を正確に撃つことはできる。しかし、五千メートルの上空からだと、これはバスだかタンクだかわからないということで、アメリカはバスを撃ったわけでしょう。あれで七十何人、人を殺したのです、市民を。そういう戦闘は、メイラーの言葉をかりると、戦争としてのレジティマシーがもはやない。
ですから、私たちは、そういうアメリカの後退というものを考えていくと、私は、やはりアメリカとの集団安保体制というものを一つのステージとして、その先は、柳澤さんがおっしゃるみたいにアジアのアライアンスの中での安保体制というものを考えざるを得なくなってくると思います。
中
柳
中
島
島聡#12
○島委員 民主党の島聡でございます。
石原参考人、石原さんとお呼びしてよろしいのでしょうか、石原さんにお尋ねしたいと思います。本日は本当にありがとうございました。
今、憲法の歴史的な考察をというお話をされました。これにつきまして私の意見だけ申し上げさせていただきますが、私は石原参考人が文壇にデビューされたころの昭和三十三年生まれでございまして、そういう議員たちが、もうそろそろこの歴史的な考察という事柄の議論をするのは終えてもいいのではないか、生産的な……(石原参考人「そんなことはない」と呼ぶ)生産的な議論をするためにはこれは終えて、そして新たな二十一世紀の日本のあるべき姿ということを考えて憲法をつくっていくべきではないかというような意見を持っているのが多いと思いますし、この憲法調査会でもそのような意見を私は申し上げたと思います。
それで、質問に入らせていただきますが、今、地方自治の舞台におられるわけであります。この国会におられて、東京都知事として今活躍をされておるわけでございますけれども、憲法の第八章九十二条の地方自治の本旨、ザ・プリンシプル・オブ・ローカル・オートノミーというのは、これは、憲法の中においては、ある意味で日本の意思がある程度入ったものであるというようなことを書いている学説もたくさんございます。
石原参考人にお尋ねしたいのは、イタリアが今、憲法改正を九七年一月から始めております。いわゆる州の権限が列挙されていたものを、今度は国家に留保される項目を列挙する方向性でやっている。石原さんがことしを地方主権元年にしたいという言葉を使っておられますけれども、一般的に、地方政府と中央政府の役割分担を考える場合には、例えば外交とか防衛というのは中央政府がなすべきである、そして地方自治体はいわゆる生活環境、住民などのものに密着するものをなすべきだという議論が多くあると思われます。
石原参考人は、いわゆる外交、防衛に関する議論を東京都知事になられてからも積極的におっしゃっているわけでありますが、中央政府と地方政府といいますか、それの役割分担というものはどのように自分の中で整理されているのでしょうか。
この発言だけを見る →石原参考人、石原さんとお呼びしてよろしいのでしょうか、石原さんにお尋ねしたいと思います。本日は本当にありがとうございました。
今、憲法の歴史的な考察をというお話をされました。これにつきまして私の意見だけ申し上げさせていただきますが、私は石原参考人が文壇にデビューされたころの昭和三十三年生まれでございまして、そういう議員たちが、もうそろそろこの歴史的な考察という事柄の議論をするのは終えてもいいのではないか、生産的な……(石原参考人「そんなことはない」と呼ぶ)生産的な議論をするためにはこれは終えて、そして新たな二十一世紀の日本のあるべき姿ということを考えて憲法をつくっていくべきではないかというような意見を持っているのが多いと思いますし、この憲法調査会でもそのような意見を私は申し上げたと思います。
それで、質問に入らせていただきますが、今、地方自治の舞台におられるわけであります。この国会におられて、東京都知事として今活躍をされておるわけでございますけれども、憲法の第八章九十二条の地方自治の本旨、ザ・プリンシプル・オブ・ローカル・オートノミーというのは、これは、憲法の中においては、ある意味で日本の意思がある程度入ったものであるというようなことを書いている学説もたくさんございます。
石原参考人にお尋ねしたいのは、イタリアが今、憲法改正を九七年一月から始めております。いわゆる州の権限が列挙されていたものを、今度は国家に留保される項目を列挙する方向性でやっている。石原さんがことしを地方主権元年にしたいという言葉を使っておられますけれども、一般的に、地方政府と中央政府の役割分担を考える場合には、例えば外交とか防衛というのは中央政府がなすべきである、そして地方自治体はいわゆる生活環境、住民などのものに密着するものをなすべきだという議論が多くあると思われます。
石原参考人は、いわゆる外交、防衛に関する議論を東京都知事になられてからも積極的におっしゃっているわけでありますが、中央政府と地方政府といいますか、それの役割分担というものはどのように自分の中で整理されているのでしょうか。
石
石原慎太郎#13
○石原参考人 前段の、あなた、やはり歴史の原理というものを全く錯覚というのか無視して、つまり、歴史というのはコンティニュイティーで流れているわけですよ。だから未来を考える。未来を考えることで、未来は将来になるわけだ、人間の意思を反映して。そのためにやはり過去というものを踏まえなかったら、あなた、未来に対する正確な予測なんか立ちませんぞ。その年に……(島委員「踏まえてはいます」と呼ぶ)それはおかしいよ。それから……(島委員「そっちがおかしい」と呼ぶ)おかしいですよ、あなた。
この発言だけを見る →中
石
石原慎太郎#15
○石原参考人 それから、中央と地方の問題ですが、例えば、NHKは発表しなかったけれども、各知事に、もし新しいガイドラインが発効したときにはどういう条件でこれをのみますかというアンケートで、私一人だけが、私は無条件でのみます、協力します。たった一人の知事だそうです、発表されませんでしたけれども。
それは、やはり国あっての地方、国あっての国民ですから、同時に、地方あっての国という構造というものがこのごろわかってきた。というのは、何も中央集権が古くなったということじゃなくて、つまり、地方が抱えている問題は、例えば基地にしろ原発にしろ、国家の命運を左右する大きな大きな、フェータルな問題があるわけですので、それに対する地方の意思というものをそんたくしなければ、例えば地方は地方にそれぞれの選挙があるわけですから。
だから、さっきの話にちょっと戻りますけれども、日本にいる外国人に選挙権を与えるというのは、アメリカの今の選挙を見てごらんなさい。あれだけ膨大な世界一の大国も、大統領の選挙は百、二百の差で争われて、どうなるかわからない。そのときに、例えば新宿区の区長の選挙でもいいですが、あそこには独特の町がある。そういったものが東京全体の治安を攪乱する可能性だってあるときに、区長の選挙にそこに住みついている外国人の意思が反映されて、彼らの利益が他の区民の意思なり利益というものを逆転させるみたいな判定になりかねないから、私は、やはり地方においてもなお選挙権を与えることは反対で、ならば国籍を取りなさいと言っているわけです。だから、そのために、国籍を変える手続というものを合法化して、簡略化したらいいと思うのです。
いずれにしろ、私は、そういった地方と中央の相関関係というのはますます密接になってきて、濃くなってきたということを地方側も中央側も意識すべきだと思っております。
この発言だけを見る →それは、やはり国あっての地方、国あっての国民ですから、同時に、地方あっての国という構造というものがこのごろわかってきた。というのは、何も中央集権が古くなったということじゃなくて、つまり、地方が抱えている問題は、例えば基地にしろ原発にしろ、国家の命運を左右する大きな大きな、フェータルな問題があるわけですので、それに対する地方の意思というものをそんたくしなければ、例えば地方は地方にそれぞれの選挙があるわけですから。
だから、さっきの話にちょっと戻りますけれども、日本にいる外国人に選挙権を与えるというのは、アメリカの今の選挙を見てごらんなさい。あれだけ膨大な世界一の大国も、大統領の選挙は百、二百の差で争われて、どうなるかわからない。そのときに、例えば新宿区の区長の選挙でもいいですが、あそこには独特の町がある。そういったものが東京全体の治安を攪乱する可能性だってあるときに、区長の選挙にそこに住みついている外国人の意思が反映されて、彼らの利益が他の区民の意思なり利益というものを逆転させるみたいな判定になりかねないから、私は、やはり地方においてもなお選挙権を与えることは反対で、ならば国籍を取りなさいと言っているわけです。だから、そのために、国籍を変える手続というものを合法化して、簡略化したらいいと思うのです。
いずれにしろ、私は、そういった地方と中央の相関関係というのはますます密接になってきて、濃くなってきたということを地方側も中央側も意識すべきだと思っております。
島
島聡#16
○島委員 一時期、例えば連邦制という議論等もありました。連邦制の議論というのは、要するに、抜本的な自治体の権限アップということであります。例えば、法律の制定権というものが地方自治体に、今は当然ないわけでありますけれども、そういうことも必要ではないかという議論があったわけです。
二十一世紀の日本のあるべき姿像ですから、将来的に地方自治体が、例えば法律の制定権あるいは課税権、今は限定された形であるわけでありますが、自治体がそういうふうに持った方がよい行政ができるというように石原さんはお考えなんでしょうか。
この発言だけを見る →二十一世紀の日本のあるべき姿像ですから、将来的に地方自治体が、例えば法律の制定権あるいは課税権、今は限定された形であるわけでありますが、自治体がそういうふうに持った方がよい行政ができるというように石原さんはお考えなんでしょうか。
石
石原慎太郎#17
○石原参考人 去年、地方分権一括法なるものができた。大変格好いいのですけれども、五カ条の御誓文みたいに、五カ条の御誓文は内容があったけれども、つまり実質のない法律でして、どんな行政だって財政が伴うわけで、それを保障する財源、税源の分与というものが中長期でしょう。国会の中期、長期というのは、私も長くいたからわかるけれども、あなたがやめるころまでそれが続いているかわからないよ、これは本当に。そんなものをつくられたってちっともありがたくない。ですから、私は外形標準なんかもやったんですけれども、今度も、国の税調なんて当てにならないから、東京都の税調をつくって、与党の税調にも働きかけて、地方分権一括法でない内容というものを地方の限りでつくっていかなくてはいけないと思います。
しかし、やはり国家は国家ですから、国というもののイニシアチブが及んでいる部分はたくさんありまして、それをやはり、この時代になったんだからという形で地方というものを考えて、国会なら国会の議員たちがもうちょっと踏み込んだ議論をし、もうちょっと踏み込んだ発想で物を考えてもらいたいですね。
この発言だけを見る →しかし、やはり国家は国家ですから、国というもののイニシアチブが及んでいる部分はたくさんありまして、それをやはり、この時代になったんだからという形で地方というものを考えて、国会なら国会の議員たちがもうちょっと踏み込んだ議論をし、もうちょっと踏み込んだ発想で物を考えてもらいたいですね。
島
島聡#18
○島委員 時間がございません。最後にもう一つ、テーマをかえてお伺いします。
二十一世紀の政治体制、先ほど柳澤先生の発言に、どうも東京都の方で伸び伸びとやっておられるという御発言がございましたけれども、今の日本の内閣は、御存じのように議院内閣制であります。憲法六十六条は、内閣はその首長たる内閣総理大臣で組織するとある。内閣総理大臣が今なかなか権限を発動できにくい状況にあるのではないか。
お尋ねしたいのは、今、首相公選制ということがかなり議論を始められております。国会を通して、議院内閣制で首相を間接的に選ぶというのが今の状況でありますが、それよりも、国民が直接選んでいくという首相公選制の方が、二十一世紀における割と速いスピードの時代には、政治スタンスとしては望ましいのではないかと私など思っているんですが、石原さんはどう思われるでしょうか。
この発言だけを見る →二十一世紀の政治体制、先ほど柳澤先生の発言に、どうも東京都の方で伸び伸びとやっておられるという御発言がございましたけれども、今の日本の内閣は、御存じのように議院内閣制であります。憲法六十六条は、内閣はその首長たる内閣総理大臣で組織するとある。内閣総理大臣が今なかなか権限を発動できにくい状況にあるのではないか。
お尋ねしたいのは、今、首相公選制ということがかなり議論を始められております。国会を通して、議院内閣制で首相を間接的に選ぶというのが今の状況でありますが、それよりも、国民が直接選んでいくという首相公選制の方が、二十一世紀における割と速いスピードの時代には、政治スタンスとしては望ましいのではないかと私など思っているんですが、石原さんはどう思われるでしょうか。
石
石原慎太郎#19
○石原参考人 御同感ですね。きょうそちらにおいでの中曽根先生に私は誘惑されまして、物書きのころに生まれて初めて政談演説を、中曽根さんがかつて唱えていらした、首相は国民投票で選ぼうというキャンペーンで、高崎まで行ってやったことがあるのですけれども、私は、やはりその方が、時間的、空間的に日本が狭くなってきているときに、国民のコミットメントの意識を育てると思います。
中曽根さん御当人がそういう主張をかねてからしていらしたから、中曽根さんの総理大臣というのはまさに大統領的だったです。私の選挙区でしたけれども、大島が爆発したときに、中曽根さんは一晩で決めて、とにかく全部エクソダスして出てこいと。あれは私に言わせると内閣法違反ですよ。超法規ですよ。ですけれども、当たり前だ。
内閣法というのは、つくられてから直っていないんだ。これはマッカーサーがつくった法律で、余計なことを日本の政府は考えなくていい、いざというときは全部GHQがやってやるんだから余計なことを考えるなという、こんな内閣法、総理大臣の権限が、ただ内閣を招集するだけしか与えられていない、こんなばかな法律がいまだに続いている。だから中曽根さんは、あそこではっきり、もう超法規的に大統領的な決断をされたのです。私は、政治家というのはそういうものだと思う。
だれとは言わないけれども、この間も内閣の偉い人と話していて、国民全体が被害を受けている、ばたばた人の死んでいる排気ガスの問題なんかでも、やはり国がやらなければいけないことがたくさんあるんだ。そうすると、各省の省益が分裂しているものだから、役所の意見がそろわないからと愚痴を言うから、それは君、そろえるのがあなたの仕事じゃないの、政治家はそのためにいるので、場合によったら役人の首を切ったってやってくれと、国民の生命の問題だから言ったんだけれども。手続、手続のフォーマットにおぼれてしまって、何か結局政治家ががんじがらめになって、自分で手かせ足かせをはめて、国民はいらいらして眺めているだけ。
だから、僕は、そういう点でも、まず、行政のトップに立つ総理大臣を国民が選ぶというのは、現代ではごくごく妥当な方法だと思います。しかし、こんなものは、憲法の改正から考えたら百年河清を待つで、さっき申し上げたみたいに、一回憲法を歴史的に否定していただきたい。
この発言だけを見る →中曽根さん御当人がそういう主張をかねてからしていらしたから、中曽根さんの総理大臣というのはまさに大統領的だったです。私の選挙区でしたけれども、大島が爆発したときに、中曽根さんは一晩で決めて、とにかく全部エクソダスして出てこいと。あれは私に言わせると内閣法違反ですよ。超法規ですよ。ですけれども、当たり前だ。
内閣法というのは、つくられてから直っていないんだ。これはマッカーサーがつくった法律で、余計なことを日本の政府は考えなくていい、いざというときは全部GHQがやってやるんだから余計なことを考えるなという、こんな内閣法、総理大臣の権限が、ただ内閣を招集するだけしか与えられていない、こんなばかな法律がいまだに続いている。だから中曽根さんは、あそこではっきり、もう超法規的に大統領的な決断をされたのです。私は、政治家というのはそういうものだと思う。
だれとは言わないけれども、この間も内閣の偉い人と話していて、国民全体が被害を受けている、ばたばた人の死んでいる排気ガスの問題なんかでも、やはり国がやらなければいけないことがたくさんあるんだ。そうすると、各省の省益が分裂しているものだから、役所の意見がそろわないからと愚痴を言うから、それは君、そろえるのがあなたの仕事じゃないの、政治家はそのためにいるので、場合によったら役人の首を切ったってやってくれと、国民の生命の問題だから言ったんだけれども。手続、手続のフォーマットにおぼれてしまって、何か結局政治家ががんじがらめになって、自分で手かせ足かせをはめて、国民はいらいらして眺めているだけ。
だから、僕は、そういう点でも、まず、行政のトップに立つ総理大臣を国民が選ぶというのは、現代ではごくごく妥当な方法だと思います。しかし、こんなものは、憲法の改正から考えたら百年河清を待つで、さっき申し上げたみたいに、一回憲法を歴史的に否定していただきたい。
中
赤
赤松正雄#21
○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。石原参考人におかれましては、大変にお忙しいところ、ありがとうございました。
先ほどお話を聞かせていただいて、いろいろなことを感じたのですが、日本の憲法前文の日本語の乱れ、稚拙さ、一字でもいい、たとえ一カ所でもいい、変えてほしい。なかなか私も胸に迫るものがありました。また、制定過程の問題等、私個人として極めて、日本の憲法に対する位置づけというものは共感を感じる部分が多いわけでございます。
ただ、なおかつ、それであって、石原参考人のお話を聞いていると、何だか私の心のどこかで少し危うさを感じるというか、懸念が幾つか出てきます。その原因は何かなと思ったら、文学者であられる、作家であられるから、言葉が少し生々しいというか、非常に過激な表現をされるのかなという気がいたしました。
本題に関係ないかもしれませんが、一つぜひ聞いておきたいと思うのは、私が当選をして国会議員になって七年になりますが、七年の政治家生活で、あえて残念ながらと言いますが、残念ながら石原参考人が衆議院議員を辞職されるとき、今からたしか五年前だったと思いますが、在職二十五周年を記念されるに当たって、最後にこれでやめるとおっしゃった、あの国会演説が最も痛烈な印象と、最もすばらしい国会演説だったなというふうに残念ながら思います。
あのとき、官主導から脱却できない政治、政党、政治家へのまさに痛烈な批判をされております。思い返してみますと、「日本の将来を毀損しかねないような問題が幾つも露呈してきているのに、現今の政治はそれにほとんど手をつけられぬままに、すべての政党、ほとんどの政治家は、今はただいかにみずからの身を保つかという最も利己的で卑しい保身の目的のためにしか働いていません。」これで、議事録によると「拍手」と書いてある。私はこれを読んでまさに笑ってしまいましたが、しかし、もう一遍丹念に見ると、石原参考人は「ほとんどの政治家は」とおっしゃっておるから、多分、拍手した人は、自分は違うというふうに思って拍手をしたのだろうと思います。
あれから五年がたちました。ある意味で、石原慎太郎という人が政治の表舞台から消えて、私は正直言ってほっとした部分があったのですが、今再び登場された。石原参考人の日本の政治に対する失望はやんだのか、それともとどまるところを知らないのか、このあたり、大変恐縮ですが、短く、まず御感想を聞かせていただきたいと思います。
この発言だけを見る →先ほどお話を聞かせていただいて、いろいろなことを感じたのですが、日本の憲法前文の日本語の乱れ、稚拙さ、一字でもいい、たとえ一カ所でもいい、変えてほしい。なかなか私も胸に迫るものがありました。また、制定過程の問題等、私個人として極めて、日本の憲法に対する位置づけというものは共感を感じる部分が多いわけでございます。
ただ、なおかつ、それであって、石原参考人のお話を聞いていると、何だか私の心のどこかで少し危うさを感じるというか、懸念が幾つか出てきます。その原因は何かなと思ったら、文学者であられる、作家であられるから、言葉が少し生々しいというか、非常に過激な表現をされるのかなという気がいたしました。
本題に関係ないかもしれませんが、一つぜひ聞いておきたいと思うのは、私が当選をして国会議員になって七年になりますが、七年の政治家生活で、あえて残念ながらと言いますが、残念ながら石原参考人が衆議院議員を辞職されるとき、今からたしか五年前だったと思いますが、在職二十五周年を記念されるに当たって、最後にこれでやめるとおっしゃった、あの国会演説が最も痛烈な印象と、最もすばらしい国会演説だったなというふうに残念ながら思います。
あのとき、官主導から脱却できない政治、政党、政治家へのまさに痛烈な批判をされております。思い返してみますと、「日本の将来を毀損しかねないような問題が幾つも露呈してきているのに、現今の政治はそれにほとんど手をつけられぬままに、すべての政党、ほとんどの政治家は、今はただいかにみずからの身を保つかという最も利己的で卑しい保身の目的のためにしか働いていません。」これで、議事録によると「拍手」と書いてある。私はこれを読んでまさに笑ってしまいましたが、しかし、もう一遍丹念に見ると、石原参考人は「ほとんどの政治家は」とおっしゃっておるから、多分、拍手した人は、自分は違うというふうに思って拍手をしたのだろうと思います。
あれから五年がたちました。ある意味で、石原慎太郎という人が政治の表舞台から消えて、私は正直言ってほっとした部分があったのですが、今再び登場された。石原参考人の日本の政治に対する失望はやんだのか、それともとどまるところを知らないのか、このあたり、大変恐縮ですが、短く、まず御感想を聞かせていただきたいと思います。
石
赤
赤松正雄#23
○赤松(正)委員 さっきのお話の中で、いろいろなアジアの指導者の、私もマハティールさんにはお会いしたことがありますが、ナセルやスカルノやマハティールの例を挙げて、ドグマじゃないんだということで、近代国家日本の世界史における意味合いという中で、日本という国家が巨大な軍事産業国家として登場してこなかったら、やはり世界は白人支配という格好になったであろうという意味の、正確を欠くかもしれませんが、そういうことをおっしゃった。非常に印象に残りました。
ただ、私が思いますのは、先ほど言った、石原さんのお話に対して幾つか共感も感じるのですが、ちょっとひっかかりを感ずる部分は、巨大な軍事産業国家として登場してきたという、この歴史的な事実というのはあるわけですけれども、その背景の中には、やはりそれに対する強い反対の意見、強い反論もあって、そういうものも存在して今日まで来ていると思うのです。
そういう中で、ひとつこれも御意見をお聞きしたいのですが、一九六五年、今から三十五年前に桑原武夫さんが中江兆民の「三酔人経綸問答」の解説のところでこう言っています。よく御存じだと思いますが、平和や自由や防衛といったあらゆる問題で、日本は、中江兆民のいた時代、「三酔人経綸問答」を書いた時代と全く基本的に枠組みというものは変わっていない、こういうふうな指摘をされています。
私は、これを通じて、いわゆる洋学紳士風の理想主義と、それから豪傑君風のパワーポリティックスのぶつかり合いというものがあって、それを南海先生流の穏健的現実主義というものが、理想主義とパワーポリティックスのぶつかり合いを高みから見ているという位置づけが「三酔人経綸問答」の基本的な位置づけだろうと思うのです。
今、どちらかというと、パワーポリティックスの部分が後景に下がって、むしろ穏健進歩的な現実主義というものが前に出ていっている、そんなふうに私自身はとらえているのですが、石原参考人の場合は、これは誤解かもしれませんが、いわばパワーポリティックスの部分を代表される考え方を持っておられて、その石原参考人のようなお立場が、かつての「三酔人経綸問答」における南海先生的立場に立って今おっしゃっているということが、少し私なんかが危うさを感じるところの原因につながっていっているんではないか、そんなふうに思うんです。
ちょっとわかりづらい表現だったかもしれませんが、「三酔人経綸問答」に言うところの、明治から戦争を経て今日に至るまでのそうした日本の国のあり方というものをめぐる理想主義、現実主義、あるいはさっき言ったようなパワーポリティックス、その辺についてのお考えを少し聞かせてください。
この発言だけを見る →ただ、私が思いますのは、先ほど言った、石原さんのお話に対して幾つか共感も感じるのですが、ちょっとひっかかりを感ずる部分は、巨大な軍事産業国家として登場してきたという、この歴史的な事実というのはあるわけですけれども、その背景の中には、やはりそれに対する強い反対の意見、強い反論もあって、そういうものも存在して今日まで来ていると思うのです。
そういう中で、ひとつこれも御意見をお聞きしたいのですが、一九六五年、今から三十五年前に桑原武夫さんが中江兆民の「三酔人経綸問答」の解説のところでこう言っています。よく御存じだと思いますが、平和や自由や防衛といったあらゆる問題で、日本は、中江兆民のいた時代、「三酔人経綸問答」を書いた時代と全く基本的に枠組みというものは変わっていない、こういうふうな指摘をされています。
私は、これを通じて、いわゆる洋学紳士風の理想主義と、それから豪傑君風のパワーポリティックスのぶつかり合いというものがあって、それを南海先生流の穏健的現実主義というものが、理想主義とパワーポリティックスのぶつかり合いを高みから見ているという位置づけが「三酔人経綸問答」の基本的な位置づけだろうと思うのです。
今、どちらかというと、パワーポリティックスの部分が後景に下がって、むしろ穏健進歩的な現実主義というものが前に出ていっている、そんなふうに私自身はとらえているのですが、石原参考人の場合は、これは誤解かもしれませんが、いわばパワーポリティックスの部分を代表される考え方を持っておられて、その石原参考人のようなお立場が、かつての「三酔人経綸問答」における南海先生的立場に立って今おっしゃっているということが、少し私なんかが危うさを感じるところの原因につながっていっているんではないか、そんなふうに思うんです。
ちょっとわかりづらい表現だったかもしれませんが、「三酔人経綸問答」に言うところの、明治から戦争を経て今日に至るまでのそうした日本の国のあり方というものをめぐる理想主義、現実主義、あるいはさっき言ったようなパワーポリティックス、その辺についてのお考えを少し聞かせてください。
石
石原慎太郎#24
○石原参考人 私は、中江兆民のその文章を読んだことがないんで、あなたのおっしゃることに正確な認識を持ち得ないと思うんですけれども、決して私は、有色人種の中で唯一強大な軍事産業国家たり得た日本の政治的な意味合いがすべて一〇〇%ポジティブなものとは思いません。
現に、日露戦争に日本が奇跡的な勝利を上げた後何が起こったかというと、白人の植民地進出は限界にも来ていたんでしょう、そこでぱたっととまるわけですね。強いて言うと、ムソリーニが、ファシズムがイタリアを統治して、その後は売名的にエチオピアを併合したぐらいで、あんなところは資源も何もないところですから一種のパフォーマンスだったんでしょう。しかし、かわって日本は、ミイラ取りがミイラになって植民地経営に乗り出すわけです。
ただ、振り返ってみても、近代史というものの政治原理は何だったんですか。それは、もちろんルネサンスあるいはヒューマニズムその他のものがあったでしょうけれども、しかし、国際政治においては帝国主義しかなかったんですよ。是非の問題じゃないですよ。それは、要するに、植民地にされるか植民地を持つかの競争原理しかなかったんです。
例えば、私のインドの友人も、何人もいるんですが、その連中たちが、ガンジーは尊敬するけれども決して評価はしない。つまり、無抵抗主義で我々は何を得たかといったら、結局、長くイギリスの統治に屈しただけじゃないか。だから、どちらに人間性を感じるかは別にしても、いずれにしろ、その人が、むしろ我々は大挙して反乱してイギリスに抗すべきだった、現に日本が戦争を起こした後、我々はやって勝てた、何であの試みをあの当時できなかったかという言い方をしていましたが、これはこれなりにインド人の一つの認識なんでしょう。
ただ、日本もまた、日露戦争という戦争は、日清戦争もそうでしたけれども、隣国の大国の植民地になることを忌避して、まさに司馬さんの小説じゃないけれども、坂の上の輝く雲をつかんだわけですな。これがやはり大きな転機になって世界史が変わってきた。それにヒントを得て、ケマル・パシャはトルコの国民を督励して帝政ロシアの支配の桎梏から解放した。
その他この他、ナセルとスカルノが、マハティールも、全く同じことを言ったんです。我々は日本の存在にインスパイアされた、同じ有色人種で日本人ができたことが何でできないのかということで、私たちは第三次世界大戦を戦った。第三次世界大戦とは何ですか。あなた方は知らぬだろうけれども、我々の独立戦争ですよ、勝ち組の白人が戻ってきてもう一回私たちを植民地化しようとするときに、私たちは熾烈に戦った、そのエネルギーを与えてくれたのは日本だと。
私は、それは彼らの一つの評価であって、私たちは別にそれでおごり高ぶる必要もないけれども、そういう外国の、かつて白人の植民地支配に呻吟してきたそういった指導者たちの告白というものを真摯に聞いたらいいと思うんです。
私は、何もパワーポリティックスが絶対とは言いません。ただ、やはりそれが国際政治の大きな力学として原理的にも世界を支配しているときに、それを無視して、人間主義だ、ピースだということが起こるかといったら、ガンジーの正確な評価は私知りませんけれども、それを批判するインド人の憂き目を私は味わいたくないと思います。
この発言だけを見る →現に、日露戦争に日本が奇跡的な勝利を上げた後何が起こったかというと、白人の植民地進出は限界にも来ていたんでしょう、そこでぱたっととまるわけですね。強いて言うと、ムソリーニが、ファシズムがイタリアを統治して、その後は売名的にエチオピアを併合したぐらいで、あんなところは資源も何もないところですから一種のパフォーマンスだったんでしょう。しかし、かわって日本は、ミイラ取りがミイラになって植民地経営に乗り出すわけです。
ただ、振り返ってみても、近代史というものの政治原理は何だったんですか。それは、もちろんルネサンスあるいはヒューマニズムその他のものがあったでしょうけれども、しかし、国際政治においては帝国主義しかなかったんですよ。是非の問題じゃないですよ。それは、要するに、植民地にされるか植民地を持つかの競争原理しかなかったんです。
例えば、私のインドの友人も、何人もいるんですが、その連中たちが、ガンジーは尊敬するけれども決して評価はしない。つまり、無抵抗主義で我々は何を得たかといったら、結局、長くイギリスの統治に屈しただけじゃないか。だから、どちらに人間性を感じるかは別にしても、いずれにしろ、その人が、むしろ我々は大挙して反乱してイギリスに抗すべきだった、現に日本が戦争を起こした後、我々はやって勝てた、何であの試みをあの当時できなかったかという言い方をしていましたが、これはこれなりにインド人の一つの認識なんでしょう。
ただ、日本もまた、日露戦争という戦争は、日清戦争もそうでしたけれども、隣国の大国の植民地になることを忌避して、まさに司馬さんの小説じゃないけれども、坂の上の輝く雲をつかんだわけですな。これがやはり大きな転機になって世界史が変わってきた。それにヒントを得て、ケマル・パシャはトルコの国民を督励して帝政ロシアの支配の桎梏から解放した。
その他この他、ナセルとスカルノが、マハティールも、全く同じことを言ったんです。我々は日本の存在にインスパイアされた、同じ有色人種で日本人ができたことが何でできないのかということで、私たちは第三次世界大戦を戦った。第三次世界大戦とは何ですか。あなた方は知らぬだろうけれども、我々の独立戦争ですよ、勝ち組の白人が戻ってきてもう一回私たちを植民地化しようとするときに、私たちは熾烈に戦った、そのエネルギーを与えてくれたのは日本だと。
私は、それは彼らの一つの評価であって、私たちは別にそれでおごり高ぶる必要もないけれども、そういう外国の、かつて白人の植民地支配に呻吟してきたそういった指導者たちの告白というものを真摯に聞いたらいいと思うんです。
私は、何もパワーポリティックスが絶対とは言いません。ただ、やはりそれが国際政治の大きな力学として原理的にも世界を支配しているときに、それを無視して、人間主義だ、ピースだということが起こるかといったら、ガンジーの正確な評価は私知りませんけれども、それを批判するインド人の憂き目を私は味わいたくないと思います。
赤
中
武
武山百合子#27
○武山委員 自由党の武山百合子でございます。
本日は、お忙しい中ありがとうございます。
早速ですけれども、石原さんは参議院議員をなさって、そして衆議院議員をなさって、そしてこのたび東京都知事をされているわけですけれども、国会というところをずっと経験と体験の中から、そして今度外から見られて、今の日本の参議院の役割は何かということをちょっとお聞きしたいと思います。
この発言だけを見る →本日は、お忙しい中ありがとうございます。
早速ですけれども、石原さんは参議院議員をなさって、そして衆議院議員をなさって、そしてこのたび東京都知事をされているわけですけれども、国会というところをずっと経験と体験の中から、そして今度外から見られて、今の日本の参議院の役割は何かということをちょっとお聞きしたいと思います。
石
石原慎太郎#28
○石原参考人 私が参議院にいたころは、参議院は衆議院のカーボンコピーだと言われましたが、今はむしろ非常にその役割というものを発揮してきて、チェック・アンド・バランスというのでしょうか、その存在感が出てきたんじゃないのでしょうか。
私は、いろいろ不満もうっくつしたものもありましたが、六年間ですが、あそこにいていろいろな勉強もできたし、そういう意味では、今振り返ってもとてもその時代が懐かしいのですが、今ある参議院というのはとてもアクティブで、二院制の意味というのはやはりあったのだなという感じを今得ております。
この発言だけを見る →私は、いろいろ不満もうっくつしたものもありましたが、六年間ですが、あそこにいていろいろな勉強もできたし、そういう意味では、今振り返ってもとてもその時代が懐かしいのですが、今ある参議院というのはとてもアクティブで、二院制の意味というのはやはりあったのだなという感じを今得ております。
武
武山百合子#29
○武山委員 ありがとうございます。
当時、参議院に当選されたときは、恐らく名前を書いていただいて当選されたのだと思います。今国会で、名前でも、また政党名でもということで、非拘束名簿方式が来年の参議院選から導入されることになりました。国会議員がいわゆる全国区で本当に名前を書いてもらうには、メリットとデメリットがあるわけですけれども、有名な方あるいは業界団体からでは出られない、そういう意味で、政党名になったということは、私などにとっては非常にいい制度ではなかろうかと思っておりましたけれども、このたびまた、非拘束名簿方式といいまして、名前で書く、それと政党でもどちらでもということになったのです。その辺、御自分が戦った状態と、今度新しくなる、戦って名前で当選されて、その後政党になって、そしてこのたびまたもとに戻ったような形になるのですけれども、それは外から見てどのように感じますでしょうか。
この発言だけを見る →当時、参議院に当選されたときは、恐らく名前を書いていただいて当選されたのだと思います。今国会で、名前でも、また政党名でもということで、非拘束名簿方式が来年の参議院選から導入されることになりました。国会議員がいわゆる全国区で本当に名前を書いてもらうには、メリットとデメリットがあるわけですけれども、有名な方あるいは業界団体からでは出られない、そういう意味で、政党名になったということは、私などにとっては非常にいい制度ではなかろうかと思っておりましたけれども、このたびまた、非拘束名簿方式といいまして、名前で書く、それと政党でもどちらでもということになったのです。その辺、御自分が戦った状態と、今度新しくなる、戦って名前で当選されて、その後政党になって、そしてこのたびまたもとに戻ったような形になるのですけれども、それは外から見てどのように感じますでしょうか。