2000-10-25
衆議院
加藤秀治郎
政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会
加藤秀治郎の発言 (政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会)
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○加藤参考人 東洋大学で政治学を教えております加藤です。
手元に配っていただいたと思いますが、三ページほどの資料に基づいてお話をさせていただきますので、あけていただきたいと思います。
時間がありませんので、早速お話しさせていただきます。
選挙制度は民主主義にとって非常に重要なものだということはおわかりかと思いますが、今回の変更も、ささいな変更のように見えますが、結果によっては重大な影響をもたらし得るものであります。
私がよく引く言葉でありますが、今世紀を代表する書物の一つでありますオルテガの「大衆の反逆」にこういう一節がございます。民主政治は、その形式や発達程度とは無関係に、一つの取るに足りない技術的細目にその健全さを左右される、その細目とは選挙の手続である、それ以外のことは二次的である、もし選挙制度が適切で現実に合致していれば何もかもうまくいく、もしそうでなければ、ほかのことが理想的に運んでも、何もかもだめになるということであります。
この観点から、私は、衆議院で旧中選挙区制を廃止したことはよかったと思っていますが、参議院についても、また不適切なことが起きて、そのためにどんどん外れていくようなことがないようにお願いしたいと思います。
それで、一般には金のかからない選挙という点が議論されていると思いますが、私はドイツと日本を比較しながら研究している者ですが、ドイツの場合は深刻な反省に立ってこの点をやらなきゃいけないという気持ちになっているのに対して、日本はまだ反省が足りないのではないか、そういう印象が否定し切れません。今回の場合ですと、制度の基本が金がかかるようになっていると思いますが、それを細かい事務所の数などの制限などでやりくりするというのは本末転倒で、根本のところを金がかからない工夫をしていただきたいものだと思います。
それで、二点ほど、一般に議論されていないこと、野党側からもほとんど議論されていない点に絞ってお話をさせていただきたいと思います。
一点は、選挙制度は、参議院だけを取り出して考えるのではなくて、国全体の選挙制度をどうデザインしていくか、そういう観点で考えていただきたいということであります。
以下の文章を読みますと、
衆院の小選挙区制度は、政党本位・政策本位を目指したものだが、参院のこの制度は選挙を人物本位へと向かせる。賛成する人は「人物が選べてよい」とか、「参議院の独自性」が回復できると言うかもしれない。
だが、ここがポイントだが、同じ国で、ある選挙は政党本位、他の選挙は人物本位というようなことをやろうとしても、うまくいかないのである。衆院の新制度が十分に定着をみないのも、地方選挙をはじめ、他の制度が以前のままであることに一因がある。
いうならば、衆院選だけで政党本位・政策本位を目指しても他がそうなっていないのでは、アクセルをかけながらブレーキを踏むようなもので、全体として政党の体質は変わらず、政党本位・政策本位は実現しない。
ということであります。
次のページに参りまして、その点を少し議論しますと、政治学者は、選挙制度をどれがいいかというようなことを議論するとき、二つの点を考えなきゃいけないということを指摘しています。
第一点は、その国の社会構造がどうなっているか。その国の社会が、内部が同質的か異質的か、マイノリティーなどがある場合でしたら比例代表制などを考えなきゃいけない。そういう点であります。
もう一点がきょう強調したい点でありますが、政党と社会の関係であります。難しい言葉では政党の構造化の程度などと言いますが、社会に政党がどれだけ根をおろしているか、そういうことであります。
それで、イギリスやドイツのように、深く構造化された、根をおろしている国、政党本位が確立している国があります。その場合ですと、その党が強い選挙区でしたらだれでも勝てる、だれが出ても勝てる、選挙区を変更できる、そういうことがあります。
これに対して、日本などでは逆で、政党が余り根をおろしていない、人物本位の面があります。その結果、その候補者が強い選挙区では、所属政党を変えても当選できる可能性があるというようなことがあります。政党本位、政策本位ということは、この意味での構造化を強めようというものだと思いますが、それが今回の場合どうだろうかということであります。
このことは、国によって同じ制度が働き方が違う可能性があるということでありまして、例えばドイツでしたら、今度の制度を仮に導入されても、個人名を書く人は余りいないと思います。ですが、日本の場合では個人名を書く人が相当出てくる。それで、衆議院でやろうとしたことと反対の動きが始まるということであります。
もう一つ、ほとんど議論されていない点は、有権者にとってこの選挙制度はどうなのか、一部の熱心な有権者はともかく、大半の有権者にとって適切な選択ができるかどうかということであります。ここは専門用語では情報コストというんですが、後でその点は触れます。気分や願望で人も選べていいというような言い方は俗耳には入りやすいかと思いますが、現実的かどうかであります。私は学者で、政治家ではありませんから、有権者の方に対して遠慮は要らないわけでありますが、有権者の方が果たして、複雑な制度を導入したとき、そこで期待されているような努力をするものかどうかということであります。
次の文章を読みますと、
参議院の選挙制度を「非拘束名簿式」に改める法案について、ある重要な論点がほとんど議論されていないように思われる。それは、有権者が選択肢について、どれだけ本気になって情報を集めるかということだ。その気のない人に、多過ぎる選択肢を与えても、いい加減な選択となるのは明らかだ。
「非拘束名簿式」とした場合、政党だけでなく候補者も選べる点がよいという意見もあるが、実際にはそう簡単なことではない。「旧全国区」はカネがかかるということだけではなく、候補者の選択がいい加減になっていたことも問題であった。
百人を超える候補者の中から一人を選ぶといっても、その気にならないと各候補者のことはなかなかわからない。その結果、著名なタレントに投票したり、知り合いから支援を依頼された組織の候補者に票を投じたりするといった状態になっていた。
この点からいいますと、今度の場合、非常に懸念があります。
それで、情報コストというのは何か。次のページでありますが、物事を選択する場合、その選択に必要な情報を得るのに割く時間や労力や費用であります。選挙の場合は費用はほとんどかからないと思いますが、有権者がどれだけそのために時間を割くか、労力を割くかということであります。それで、選択の場合、少ない努力で無難な選択ができるのがよい制度だと考えられますが、今回の制度の変更でこの点はどうなるのかということであります。
それで、情報コストには量的な側面がありますが、一つは、選択肢が多過ぎるのは有権者に負担がかかってよくないということであります。旧全国区は余りにも多くの候補者の中から選ばせる、その結果、有権者が念頭に浮かぶ候補者は最初から限られてしまう、ないしはいない。そういうところでたまたま出たタレントの方とか、組織の依頼ですぐ投票したわけであります。
質的な面で申しますと、選択肢が選びやすい形で並んでいるかどうかということであります。日本には最悪の例がございます。選挙区の分かれていない市町村選挙で、無所属の人が非常に多いわけですが、三十人、四十人もいる候補者の中から一人選べと言われても、最初から有権者が検討する候補者というのは非常に限られてしまうわけであります。そういう中で選んだことが果たしてどれだけ合理的なものかというと疑問があるわけで、今度の制度はこれに非常に近くなると思います。
それで、同じ二大政党制、小選挙区制のアメリカとイギリスでも、質的な面でかなり違います。
イギリスは、政党の性格がすっきりしているので、ふだんから有権者は、労働党はこういう党、保守党はこういう党というイメージを持っていますから、その党の候補者がどういう人かということを一々チェックしなくてもかなり合理的な選択ができる。そういう状態になっていまして、有権者にかかる負担が少ないわけであります。
これに対して、アメリカは、共和党、民主党とありますが、レッテルの違う二本の空瓶と言われるように、ほとんど政党の性格がはっきりしません。そこで、有権者がどちらがいいのかということを選ぼうとしますと、有権者がそれなりの努力をしないといけないわけであります。それで、アメリカの場合、有権者がそれなりの努力をしていますからある程度格好がついていますが、ディベートや有権者団体が発行しています有権者ガイド、そういうようなものを参考にして選ぶわけでありますが、そういう努力を果たして日本の有権者がするのかどうか、ここが新しい制度を導入した場合生きるかどうかのかぎで、私は、これまでの惰性からいってかなり悲観的であります。ですから、人が選べるのはいいとかいうのは、簡単に聞こえますけれども、実際には、その気で有権者がそれに臨まないと、この制度は逆の効果を持つということであります。
そういうわけで、量的、質的な面についてともにいい状態というのがあると思いますが、それに近い国としては、制度は違いますが、イギリスやドイツがある。日本の旧全国区というのは最悪の部類に近い方だったと思いますが、今度の非拘束というのは、数はふえると思いますからより悪くなる、質的な面では、政党を多少意識させるのでちょっといいかなという点で、この面から見ますと、旧全国区とほとんど同じぐらいの点数しか上げられない、ちょっと困った制度ではないかと思います。
以上、私の陳述であります。(拍手)