中野寛成の発言 (外務委員会)
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○中野(寛)委員 きのうもたまたま大橋巨泉さんが言っておりましたが、私の好きな言葉で、これも、フランスのボルテールさんだと思いますが、言った言葉がありました。あなたと私の考え方は全く違う、しかし、あなたが私を批判する権利は命をかけてでも守る。こういった言葉がヨーロッパ民主主義の一つのお手本の言葉として今でも使われております。これは三権分立以前の問題です。民主主義の原点の問題なんです。
まして、先ほども委員長から言われましたように、この国会における質疑応答、そのできのよしあしや次元の高低は、大臣によって評価される、また判断されるものではなくて、国民が評価をするものであります。国会が次元が低いのか大臣の方が次元が高いのか、それは我々が述べることではなくて、国民が評価することだと思うのです。そういう意味で、私は、ぜひ大臣が民主主義の原点を考えていただきたい。
あなたが外務省の中であいさつをされたということや、また、大臣が電話をされる前に外務省の中でどういう場面があったかとか、それはいろいろな形で、捏造もあるでしょうし、うわさもあるでしょうし、想像もあるでしょう。しかし、にじみ出ております。そして、それは漏らした人が悪いのではないんです。その場面をつくり、その場面で何らかのことを大臣が言った、そしてそのことが捏造されたとすれば、その原因をつくった大臣の人徳の問題なんです。外務大臣という極めて重要なポストで仕事をされるときに、そのことをぜひ心していただきたいなというふうに思うのであります。
そこで、先般の訪米について触れたいと思いますが、例えば、大臣が、普天間の問題について頭痛の種だと繰り返しパウエルさんが言ったと。アメリカのバウチャー報道官は、うそをついてはいけない、そんなことは言ってはいないというふうに一部否定をいたしました。そして、きのうでしょうか、日本の外務省は、頭痛の種と言ったことは事実だと、改めて外務省の見解として述べられたと報道されております。
これは、どっちが本当だったかが問題ではないと私はむしろ思っています。そうではなくて、きのう外務省が外務大臣をかばうかのごとくあの発言はあったと加えたことは、まさに余計なことだったと思っています。むしろ、そのことよりも、彼が言ったか言わなかったか、そしてそのことは外務大臣も、記者会見か何かの、ぶら下がりか知りませんけれども、いや、向こうには向こうの都合があるんでしょうと言って受け流したそうでありますが、しかし、私が想像するに、その場面で恐らく頭痛の種とおっしゃったかもしれない。しかし、それは会話のはずみの中で言われることはよくあることです。しかし、本来は、それは取捨選択をして、話の本筋について述べられるのがコメントだと思います。またブリーフィングだと思います。
結局、相手は相手の都合があるのでしょうとして受け流したり、改めて外務省があの発言はあったんだと追認したり、余計なことです。むしろ、それらのことについては触れないこと、話の本質とは別と考えるならば、それを触れないこと。それが話の本質をついた的確な言葉だとするならば、それはまさに明確にお答えにならなければいけない。その判断をどうお持ちですか。