田中英道の発言 (憲法調査会)
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○田中英道君 私は、歴史あるいは文化の問題について大学で研究しておりますが、ちょっとここにお渡しした、書いたものを読ませていただきます。
簡単ですが、少し自己紹介をさせていただきます。
私は、若いときにフランスで学位を取り、イタリア、ドイツに留学し、それぞれの国々の美術史を研究してきました。去年などは、一年だけでもアメリカ、イタリア、ポーランド、中国、イギリスなどの各国での学会に招かれて発表をしてまいりました。少なくとも、日本語を入れて五カ国語の言葉で発表してきましたし、そのことでもまあ国際的に活躍していると言っていいでしょう、これはちょっとあれですけれども。その経験をもとに、少しだけ日本の憲法について述べさせていただきます。
日本は、経済では世界第二位と言われますが、日本のテクノロジーは、欧米が軍事的なものを中心にしているのに対し、人間の生活に関係するものが多く、その意味でも世界で第一位となっています。電気製品、コンピューター関係、時計、モーター、あるいはスポーツ用品まで、その浸透ぶりは、日本の位置を考えられている以上のものに押し上げております。世界は、これだけの平和的な技術をつくり上げた日本人の道徳、生活のあり方に注目しており、日本人による発言が期待されております。その文化的意義は大きく、これまで西洋の植民地にならずに、日露戦争でも白人大国を打ち負かしたというような歴史的評価だけではないのです。残念ながら、日本人は、国内向けの発言ばかりで、国外に向けておりません。
また一方で、日本は世界で最も安全な国で、犯罪が少なく、それがすべて平等な経済性に依拠していることも知られております。日本は世界で最も貧富の差がない国家なのです。九〇%以上の人々が中産階級に属していると考えている国などどこにもありません。日本人はそれを余り誇りと思っておりません。北欧のことを言われますが、その経済力が違います。その平和的な生活ぶりは歴史的なものです。これは、既に七世紀に日本人みずからつくった憲法にあるように、和をもってとうとしとすというような言葉が実践されていると言ってよいのです。私は歴史家なので、そういうところを強調したいと思うのです。
日本にはもともと、聖徳太子のつくられた十七条憲法があります。これを読む皆さんは、その内容が決して古代の道徳を説いたものではなく、その内容がすべて現代人にも通じることを理解されるでしょう。ここには既に民主主義さえ語られ、汚職をとがめる精神まで論じられています。これを中国の儒教、仏教、道教などを折衷したものだとよく日本の学者が述べています。第一条が有名な、和をもってとうとしとすなどという言葉が論語から来たとか、第二条では、三宝を敬えというのが仏教を取り入れたものだと言われ、三教を折衷したものだというのが学者の見解です。
しかし、私の学者的体験からいうと、この十七条憲法のように、それまでの思想を選択し改変していくことが、外国の模倣であり、オリジナルなものではないというような見解は誤りであることを認識すべきだと思います。そうした誤った見解は、日本の歴史、日本の文化が単に模倣であるような誤解を生んでいます。つまり、日本の自己評価すべてに及んでおり、日本人の主張を全く弱くしております。それは学問というものを知らない日本の学者、知識人の責任なのです。
日本人が外国と戦争を起こしたのは、七世紀の白村江の戦いと十三世紀の元との戦い、あるいは十六世紀末の豊臣秀吉による朝鮮戦役、そして第二次世界大戦を含めた日清、日露、あるいは中国、朝鮮との戦争でした。近代は、世界のすべての国が巻き込まれた戦争の時代であり、日本の参加が特別侵略戦争をしたなどと言う必要はありません。欧米の植民地にならないための防衛戦と言ってよいでしょう。しかし、それ以前の十数世紀間に、海外との戦争がたった三回、厳密に言うとあれですけれども、三回というのは、世界のどこの国家の歴史をひもといてもないことです。これは、それを自覚するもしないも、和をもってとうとしとすという聖徳太子の憲法が生きている証拠です。
また、これは、日本の文化、例えば七世紀の法隆寺が木造であり、世界最古の建築や仏像や絵画を残していることでも端的に示されております。文化遺産として残る世界の名建築はほとんどすべて石づくりです。木造は、戦争や小競り合いのために破壊されたり、焼失したりして、西欧ではモニュメントとしてほとんど残されておりません。中国で残されている木造はほとんど明の時代以降のもので、奈良・平城京のもととなった長安のものなどは現在ではほとんど何も残っていません。それらを残しているのは、世界で唯一日本だけと言ってもよいのです。
このようなことでさえ、日本にいる日本人がみずから認識できないでいます。外から見るといっても、外をよく知っていないとわからないのです。世界でも傑出した日本人の民度の高さがまだ理解されていないのです。この無理解は、日本人同士の不信感、そして政治家不信、学者不信にまで続いています。現代は年間千六百万人もの日本人が海外に行くようになっていますが、常に日本に対する劣等感があるために、自己評価ができないでいるのです。
最後に、日本国憲法はどう改正すべきかという問題ですが、現在の日本国憲法は、日本のそうした長い伝統を少しも明文化しておらず、その意義を説いておりません。少なくとも、聖徳太子の十七条憲法を国是として、その上で、近代国家の法を説くことができるはずです。言うまでもなく、日本という国は、日本国民という共同体を構成する人々によってつくられています。したがって、当然、憲法は日本内部の国民の幸福のためということを前提にしていますが、それは内向きのことであって、国というものはほかの国に対する外向きの姿勢もとらなければなりません。
前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」などと書いてあります。しかし、この言葉のもとで、諸国で幾らでも残虐な戦争が行われてきたことはこれまでの歴史で明らかです。「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」というのは、ほかの国を余りにも善意で見過ぎる見解です。無論、それぞれの諸国の主張は理想を掲げます。しかし、そこにあるのは常に利益の対立です。昨今のロシアの北方四島返還問題、北朝鮮の拉致問題あるいはミサイル発射問題、中国、韓国の教科書介入問題、あるいは尖閣諸島等の領有権問題、これは、一方で日本が相当の援助をしている国から起こっているのです。それぞれの国が公正と信義を主張して行っているのです。
こうした外向きの問題に対して、前文で「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」などと言ったり、第九条のように、戦争の放棄をし、軍隊を禁止したりする偽善的な指示をしてはいけないと思います。つまり、それは現実認識がないこと甚だしいと言わなければなりません。現実では、軍隊を持たざるを得ないのは当然です。これが日本の戦争行為を懲らしめようとした占領下の憲法だと言われても仕方がありません。
また、内向けの問題についても、第八十九条のように、国の宗教活動の禁止などといって、第一条の天皇の行為と矛盾せざるを得ないというのもおかしいです。この憲法そのものが矛盾しており、ほかの国の主張に屈するようにしむけていると言っても過言ではありません。
日本自身の歴史がこれまで長い間とってきた見解をそのまま世界に普遍化し主張すべきです。それは決して世界の現実を見ることと矛盾しません。日本から積極的に世界の平和のために調停することも可能なのです。そのための憲法、すなわち内向けの憲法だけではなく、外向けの憲法であるべきです。
以上です。