久保田真苗の発言 (憲法調査会)

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○久保田真苗君 「憲法」を愛する女性ネットの久保田真苗と申します。きょうは本当にありがとうございます。
 私は、終戦のときにちょうど二十歳でしたから、それ以前の古いこともそれ以後のこともかなりよく覚えております。
 戦前、女学生のとき、私は福沢諭吉の「新女大学」という本を読んだことがございます。それは、江戸時代のあの悪名高い「女大学」を一節ずつ引いて痛烈に批判し、男女平等を説いたものでしたが、その古い「女大学」の余りの女性べっ視に思わず本を壁に投げつけたことがあります。しかし、昭和十年代の私たちの女学校の修身の教科書は、言葉こそ違え、古い「女大学」の流れを多分にくむものだったと思います。
 そのころ、学校には、官製の冊子が大量に配布されてきました。「国体の本義」とか「臣民の道」とかいった名前の冊子です。それらは、神話の中の神勅による万世一系の天皇への絶対服従を求め、八紘一宇の精神によって、天皇を中心とする一大家長国家をあまねく四方八方に広げようという趣旨のものでした。ここでも、女性に対しては、個人や夫婦を基礎とする西洋流を退けて、日本の女は家に嫁するのであるから、家への服従、忍耐を旨とせよという息も詰まるようなものだったのを覚えております。
 ですから、私が今まで生きていた中で一番うれしいことは何だったかといいますと、真っ先に浮かぶのは実にささやかな景色なのです。それは、戦争が終わって黒い幕が取り除かれ、電灯の明るい灯がぱっとともった、その景色なんです。
 つぶされてしまった日本の婦人参政権運動にかわって、敗戦が婦人参政権を実現させ、女性議員も参加した国会で新しい憲法が審議されたあの時期は、私にとって何物にもかえがたく、精神の高揚を覚えた時期でございました。
 恐らく、戦前戦中のあの当時をよしとする方はここにはいらっしゃらないと思います。戦争の苦痛ばかりでなく、自国民にさえも振るわれたあの暴力的な支配をよしとする方は恐らく一人もいらっしゃらないでしょう。あの当時でさえ、純真な若者はともかく、まゆをひそめた大人は多かったに違いありません。それなのに、なぜ国民の生命財産を灰にしてしまうまで手もなく巻き込まれていったのか。ここはしっかりよく考える必要があると思います。多分、民権がまだよちよち歩きだったから、女権はまだ全く生まれていなかったから、そういうことかもしれません。今は全くそれとは違うのだと自信を持って言いたいものだと思っております。
 現在、私たちは、このネットワークをつくって、ささやかながら憲法調査会の傍聴をさせていただいております。ほかの傍聴者も多くて、憲法を気にかける市民はだんだんふえているということは御同慶にたえないことでございます。憲法の持つ主権在民、非戦平和、基本的人権の大原則は、人類の英知をもととし、広く国民の支持を受けていると思います。国会議員の皆様におかれましても、大筋それを重く受けとめている方が多いと感じております。
 しかし、一方には、これは占領憲法だから、あるいはこれは日本人の自律性が入っていない憲法だから否定しなければならない、やり直さなければならないと言う方々もございます。そういう方々は本当に幸せな方なんだと私は思います。
 当時憲法草案に参画して、昨年参議院の調査会に招かれたベアテ・シロタ・ゴードンさんの陳述によれば、草案の段階で男女平等の条項に対して日本政府側は猛反対したそうです。こういう女性の権利は全然日本の国には合わないと言って。
 したがって、私たちには、この憲法によるのほか人としての尊厳を得る道はなかったのでございます。この憲法を否定することなど思いもよらないことです。この憲法を生活の中に生かし徹底するよう努めてまいりたいと思っております。
 次に、戦争について一言言わせていただきます。
 私は、二十世紀に生まれて本当によかったと思っております。生きるかいのある世紀だったと思います。よく、二十世紀は戦争の世紀だったと言われておりますが、それも事実で、私なども大いに戦争を経験した者でございます。けれども、同時に、二十世紀は戦争防止のために多大の努力を払った世紀だったと思います。その努力にこそ注目して、二十一世紀にさらに発展させていきたいものだと思います。
 一昨年、ハーグで平和会議が開かれ、世界の百のNGO一万人が集まって、公正な世界秩序のための十原則を採択しました。その第一条はこう言っております。各国の議会が、日本の九条に倣って、政府が戦争することを禁止する決議を行うべし。短い言葉ですが、実に適切に行動の方向を示していると思います。九条、特にその二項は戦争禁止の手本になったのでございます。
 今から百年前のハーグ平和会議は、国際人道法の第一号と国際司法裁判所を誕生させました。その二つともが役に立って、四年前に、国連総会の要請を受けた国際司法裁判所が核兵器について意見を判示しました。核兵器による威嚇や使用は、一般的には国際法、特に人道法に反するというものでした。私たちは、現在核実験禁止条約を持っておりますが、核兵器廃絶条約にはまだ至っておりませんから、世界法廷のこの意見は極めて貴重で、国際世論に確信を与え続けるものと思っております。広島、長崎の市長の証言を通じて、原爆の犠牲者がこれに貢献したのだと思っております。
 二十世紀後半に、国際人道法は、二次大戦の犠牲を踏まえて飛躍的に発展しました。ジュネーブ四条約、その議定書、生物化学兵器禁止。対人地雷禁止条約では、日本人も参加した一市民運動が大奮闘してこれを成功に導いたことは、私どもの記憶に新しいところでございます。従来、人道法の受け皿が甚だ不十分でしたが、国際刑事法廷という芽も出てまいりました。為政者や軍による人道法違反の報いを無辜の民や難民が受けるというのでは全く納得ができないからです。
 人間の安全保障という言葉がUNDPから出てまいりました。森首相も所信表明演説の中で使っておられますが、失業、貧困、飢餓など広い原因に言及されたものと思います。私は、この概念を武力紛争にこそ持ち込むべきだと考えております。兵器の進歩そのものによって、軍隊が国民の生命財産を守るという考えはますます幻想になりつつあります。
 憲法前文の中には、「平和のうちに生存する権利」という言葉がありますが、同じ言葉を太平洋諸島の住民が使って、太平洋での核実験ができなくなるところまで成功しております。こうした一切の背景には、世界での民主化という一大潮流がありました。
 二十世紀は、奴隷制度を廃止し、植民地制度を廃止し、女性を解放することができました。二十一世紀は、これらの成果の上に立って、戦争廃絶まで、二十世紀にまさる世紀をつくってほしいと思います。そのために、微力でも力を添えてまいりたいと思っております。
 どうもありがとうございました。

発言情報

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発言者: 久保田真苗

speaker_id: 5823

日付: 2001-04-26

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会