原田勝広の発言 (国際問題に関する調査会)

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○参考人(原田勝広君) 意見を述べる機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
 九〇年代前半にニューヨークで国連を担当いたしまして、現在も日本で国連を担当している、そういう経験と立場からこの問題について簡単に意見を述べたいと思います。
 お手元のレジュメに沿って述べたいと思います。
 まず、常任理事国入りは手段であるということです。
 いろんな議論を聞いておりまして感じることは、常任理事国になるならないというその一点にかなりこだわり過ぎた議論が非常に多いような気がします。私は、日本の常任理事国入りというのは必ず実現するし、またそうならなければならないと考えておりますけれども、そのこと自体以上に大切なのはそのプロセスであると思います。日本の真の国連外交の樹立と、そのために日本は変わらなければいけない、常任理事国に入るということはむしろその途上にあるべきものであるというふうな認識が必要ではないかと思います。
 日本が国連を、日本が変わり、それによって国連を変え、それを通して世界の平和の問題に日本がかかわっていく。これが、戦後日本というのは非常に平和を享受してきたわけですけれども、日本が国際社会の一員としてそういうことをするのが当然の義務であり、また世界が日本に期待しているものというのはそういうことであるというふうに思います。
 次に、国連幻想を捨てよと強調したいと思います。
 国連は、こう言っては言い過ぎかもしれませんけれども、一種の虚構なんですね。つまり、憲章にありますけれども、集団安全保障をうたって、これを脅かすものは国連軍によって軍事的制裁をするのだということをうたってありますけれども、実際には国連軍というのが存在していないということを見てもわかるとおり、その目指したものと現実というものには非常に大きな乖離がある。しかし、日本は敗戦後、五六年に加盟を認められて、これでやっと世界の仲間に入ったんだというその喜びというか感激がありまして、そのことによって、一方で余りにも国連というものに対する過剰期待と申しますか幻想というものを抱いてしまって、どうも論議がかみ合っていないのではないかと。
 九四年に、私もニューヨークにおりましたけれども、日本が常任理事国になれるかもしれないという雰囲気があったんですけれども、そのときに日本から聞こえてきた声というのは推されてなるという論だったんですね。私はそのときに思ったのは、横綱が協会に推挙されるみたいな推されてなる、つまりだれかが推薦してくれてありがたくお受けするという形を感じたんですけれども、そういうものではないと。つまり、これは国益に沿ってかち取る座である、常任理事国というのはそういうものであるというふうに思っております。
 次に、国連とは安保理のことである。
 御承知のとおり、国連というのは安保理のほかに、事務総長をトップにいただく事務局それから国連総会が三つの主要な機関でありまして、そのほかにも経社理でありますとか国際司法裁判所とか関連機関があるわけですけれども、この中で安保理というのは一番強力な権限を持っているわけですね。
 この主要三機関の、例えば政府と官庁と国会みたいなようなイメージがあるんですけれども、これは全く違います。例えば、国会で何かを決めてもだれも従わない、閣議で例えば勝手に決めてしまう、そこで何を話したかという情報も公開されないということがもしあれば、国会議員の皆さんも非常にお怒りになるのではないかと思いますけれども、実際に国連で行われているのはそういうことなんですね。安保理が決め、その過程と情報については公表しない、こういう組織であるということがなかなか一般には知られていないのが残念であります。
 五大国はしかるべき分担金も負担せずに既得権にしがみついていると。例えば、国連憲章を見てみましても、いまだに中華民国あるいはソ連という言葉がありまして、これは実態を反映していないわけですけれども、常任理事国の間の仲間内のなれ合いと申しますか、そういうことで動いてしまっているわけです。
 ということで、いろんな批判が多いんですけれども、これは第二次世界大戦の遺制といいますか遺物と申しますか、そういうことから考えるとある意味では当然でありまして、国連に期待される地球規模の問題というのを考える機関としてはふさわしくないのではないかということから、国連を変えなくてはいけない、改革が必要であるという観点から日本は貢献ができるし、またしなければならないんではないかというふうに考えております。
 四番目、国連像を描けということですけれども、国連の視点を持てということはつまるところ二十一世紀の国連像を描けということになると思うんですけれども、それは日本がアメリカを筆頭とする常任理事国と途上国、特にアジアの国々とどうつき合うかという問題、さらにはPKOそれから開発といった問題にどういうふうに対処していくのかという問題であると思います。
 基本的には米国との協調が非常に大切であるのではないかと思います。英米の協力なしに安保理改革というのは進みません。それから、先ほど申し上げましたように、フランス、ロシア、中国というのは既得権に非常に敏感になっていますだけに、かつての戦勝国の利害を無視するということはなかなか難しいのではないかと。その一方で、戦後、数を増し、さらに世界の安全保障において非常に無視できない存在である発展途上国、彼らを安保理の常任理事国の枠外に置くということは安保理の正統性そのものが疑われるということで、日本としましては途上国の常任理事国入りに積極的に支持を表明していくべきではないかと。
 この際、日本が、自分がなりたいなりたいということだけではなくて、アジアに足場を置いたアプローチ、核を持っていない非常に平和で豊かな国である、こういう日本はアジアのいわばロールモデルでありまして、アジアにおいていい兄貴分としてアジアの声を安保理に届けるという発想を持ってアジアの各国の理解を得るべきではないでしょうか。
 続きましてPKOですけれども、東ティモールのPKOにはアジアの十三カ国を含む四十五カ国が参加しておりますけれども、日本の自衛隊、文民警察の姿はありません。ボスニアそれからコソボというのは日本からははるかに遠くて、日本のプレゼンスがなくてもそれほど影響はないかもしれませんけれども、東ティモールというのは本当にすぐそこです。独立のために頑張っている人たち、それから彼らを支援する人たち、こういう人たちと一緒に日本が動かないということは、日本の信用というものをどれだけ失墜しているかということを考えますと非常に残念な思いがいたします。
 私が国連取材で非常に印象に残りましたのは、PKFという概念がないということであります。日本を出る前にいろいろ知識を詰め込んだんですけれども、自衛の武器だけを持っている軽武装のものがPKOで、非常に重武装であるのがPKFであるという認識を持ってニューヨークに参ったわけですけれども、国連ではすべてPKOなんですね。選挙監視の人とか行政官とか文民警察、それから軍隊まで全部入っているんですけれども、これが一つのまとまりになっているわけです。すべてPKOで、たしか軍事部門というのはフォーシズとかミリタリーフォーシズとかいう言葉を使っていたと思いますけれども、要するにすべてPKOであると。
 これに対して、日本から流れてくるニュース及び帰国してからのニュースを見ておりますと、日本では何かPKFという独立した概念があって、しかもそれがあたかもPKOと対立するような非常に奇妙な議論が行われている。新聞もよくそのような観点から間違っていると私は思うんですけれども、例えば東ティモールが独立の際に非常に混乱する、現地が国連に対してピースキーピング・フォーシズを送ってほしい、こういう要請をしますと、日本の新聞は国連にPKF派遣を要請と、こういうふうに報道するわけですね。これは正しくはPKOの派遣を要請なわけです。そして、国連としましては、とても混乱していてこれは手に負えないということで、たしかオーストラリアを中心に多国籍軍の派遣を承認したと思うんですけれども、そうするとまた新聞にはPKF派遣と、こういうふうに出るわけです。
 たまたま同じ新聞の政治面に、本体業務であるPKF凍結解除問題を国会で論議とかそういうものが載ったりします。それから、日本はPKO法で本体業務のPKFは凍結されていて、こういう部隊に自衛隊を送れないんだというような解説がある。そうすると、読者というか一般の方々は、オーストラリア軍の重武装の兵隊を見てとてもこういう仕事は自衛隊ではできない、無理だなというふうに感じるんですけれども、国会で凍結されているというのはPKOの中の軍事部門のはずでありまして、多国籍軍というのは全く想定していないはずなんですね。だから、全然別の次元なのにあたかも同じようなものとして国民が印象を受け、国会でもそういう議論が行われているのではないかと。つまり、ちょっと長々述べましたけれども、要は実態とかけ離れた議論が行われているのではないかということについて危惧をするわけであります。
 強調したいのは、PKOというのはもともと積極的に武力行使をするわけではないということでありまして、それが極端に変わったのは平和執行部隊用にPKOを転用したと。これはブトロス・ガリ前事務総長が九二年に打ち出しました「平和への課題」の中で平和執行部隊を提言したということなんですけれども、このときは本来二十カ国から二万人を集めようとしたんですけれども、各国は軍を提供しなかったんですね。平和執行部隊というのは、ですから存在しないんです。しないけれどもPKOを転用したということで、基本的に概念が違います。ですから、ボスニア及びソマリアで失敗したというのは、本来のPKOの能力、機能からすると当然というか当たり前のことでありました。現在どうなっているかといいますと、その業務といいますか技能を行っているのは多国籍軍でありまして、PKOはほとんど平和強制から撤退しておりまして伝統的PKOに回帰しているということであります。
 ですから、選択的PKO参加をしたらどうかということは、多国籍軍に日本は出る必要は全くないと思います。PKOも七章下のPKOは拒否して、そうではないPKOに参加すべきであると。日本がそんな勝手なことができるのかという議論はあると思いますけれども、常任理事国はもともとPKOには非常に冷たいというか消極的な姿勢でありますから、日本が仮にそういう態度をとっても全く問題はないというふうに考えております。
 その関連で、最近、津田塾大の学長の志村さんも参加されまして、国連平和活動検討パネルというところがPKOの報告書を出しております。委員長の名前をとってブラヒミ・リポートというふうに呼ばれておりますけれども、これは第四世代というか、新しいこれからのPKOがどういうふうにあるべきかということを話し合った委員会でありますけれども、これはPKO三原則にのっとって、人的、装備的な強化はするけれども、自衛の範囲内でやると、つまり防衛力を強化するのだという新しいPKO像を描いております。また、もう一点では、紛争解決後の国づくりに励む平和構築活動、ピース・ビルディング・オペレーションと言っておりますけれども、このPBOを組み込んだ複合型のPKOを前面に打ち出しておりまして、これにつきましてはカナダでありますとか日本でもJICAが相当研究を進めておりまして、日本としてはぜひともこういう第四世代のPKOに貢献すべきではないかというふうに考えます。
 それから次は、ドイツをモデルにPKO参加をということですけれども、これは時間もありませんので詳しく説明しませんけれども、一つは、段階的に財政貢献から物資補給、医療など戦闘にかかわらない分野、さらには警察官、そして軍隊という段階を踏むことが大切であろうということと、ドイツはNATOとEUという軍事的、政治的枠組みの中で参加しておりますので周辺国の理解を得やすいということで、日本でもASEAN地域フォーラム、ARFの活性化を通じてアジアの信頼を得ながら参加するということが非常に重要ではないかと思います。
 財政改革支持継続を。
 これも簡単に説明しますけれども、日本は分担金が御承知のとおり二位と非常に高いということで、これだけ負担が多いのに常任理事国になれないという、両者を絡ませて負担を下げるというような声もありますけれども、それは非常に当然であり理解できるんですけれども、余りお金と常任理事国入りというのを結びつけますと、日本は常任理事国のいすをお金で買おうとしているというようなあらぬ非難も受けるので十分注意が必要であろうと。
 また、この通常予算の額というものは年間にしますとちょうど藤沢市の一般会計の予算くらい、特に藤沢でなくてもいいんですけれども、例えばということで申し上げたいのは、そんなに大きな額ではないということなんですね。ですから、これを引き下げるというよりも、この程度は負担し続けながら常任理事国入りの重要な材料と申しますかそういう方に使う手もあるのではないかと。有利なカードをわざわざ捨てる必要はないのかという考えも成り立つと思います。
 次に、新しいアクターとのパートナーシップをということであります。
 新しい国連を考える場合に、地球的な規模の問題が非常に山積しておりまして、これが国連の新しい役割と思いますけれども、相対的に国家の役割が低下する中で国連の地位の低下を防ぐためには、例えばNGOでありますとか企業でありますとか一般市民でありますとか、そういう人たちとの連携が非常に重要で、これはもう五年ほど前から、例えばグローバルガバナンス委員会等でNGO、市民運動、多国籍企業などの多様なアクターを含まないと政府だけではガバナンスは維持できないということが指摘されておりまして、全くそのとおりであります。
 アナン事務総長もおととし、九九年のダボスでの世界経済フォーラムでグローバル・コンパクトという概念を打ち出しました。これは、グローバル化がもたらす挑戦に取り組むには、国家だけではなくて企業であるとか市民社会にも国連の活動に参加してもらいたいという呼びかけでありまして、昨年七月には五十社が参加しました。三年間で多国籍企業百社、ローカルの会社百社に参加してもらって、環境とか人権とか労働基準の分野で普遍的な原則を守り、そういうものを促進する活動を展開しようとしております。
 企業との連携ということは実は日本の得意わざでもあるわけです。最近、NGOと行政、経済界が連帯しましてジャパン・プラットフォームというのが結成されましたけれども、これは皆さん御存じかどうかわかりませんけれども、難民及び自然災害の際の援助というものを目指しておりまして、さきのインド地震で現地にテントを持っていったり、いろんなものを配ったりというのが初仕事でありましたけれども、こういう国益とか安全保障の概念が広がっております。
 難民ですとか、環境ですとか、人権ですとか、エイズですとか、そういうものを安保理でも扱い始めている時代にありまして、日本もこういう問題に関心を持っているんだと、しかも日本のなし得ることもあるんだということを印象づけるためには、こういう活動を後ろからサポートするというか、バックアップするというか、そういうことが非常に大切ではないかと。
 例えば、難民にしましても、UNHCRに年間一億三千八百万ドルも出しているんですけれども、プロジェクトを見てみますと、二百万ドル以上のプロジェクト、これは二〇〇〇年だったと思いますけれども、三百三十四件のプロジェクトがある中で日本のNGOがやったというのはたった二件なんですね。そのほかは全部欧米のNGOがやっていて、日本がお金を出しているのに現地で動いているのは欧米の方々ということで、日本人の顔が全く見えない。見えないだけならいいんですけれども、そういうことを承知していながら日本人は何をしているんだと、難民を助けることもしないのかという、まさにあらぬ非難を受けるような実態というのはとても納得できるものではなく、やはり日本のNGOが活動できるようにバックアップが必要ではないかと。
 このプラットフォームには現在審議中の来年度予算に初動資金として五億円が流れるということになっておりますけれども、たまたま今度のインド大地震では外務省予算が間に合わずに彼らも動けないんじゃないかということで非常に心配したんですけれども、幸い経団連が動き出しまして、各企業が援助に乗り出しております。
 これが非常にいいのは、例えば企業がお金を出すといっても社長が出すわけではなくて、そういうところもあるかもしれませんけれども、各従業員に呼びかけて従業員の人が企業として出す。あるいは、あるスーパーがスーパーの各店に募金箱を置いて、そこに消費者の方々がお金を出すということで、経団連が出していると言うといかにも利益を目的とした組織がその中から出しているという印象を受けるんですけれども、実はそういうところを通して一般国民と非常につながっているというところが来るべき二十一世紀の市民社会というものをほうふつとさせて、非常にいい話ではないかというふうに感じるわけです。
 最後に、今後の問題ですけれども、こういう常任理事国入りといいますのは区切りというものが必要でありまして、例えば二〇〇五年を目標にして具体的な戦略の詰めを行ったらどうかというようなことを考えるわけです。
 現情勢ですけれども、昨年十一月に国連総会で安保理改革について公開討論があった際に、加盟百八十九カ国のうち百十カ国が演説したんですけれども、七十三カ国は常任と非常任双方の拡大に賛成しております。これは比率からいきますと三分の二を占めておりまして、数からだけ申しますと見通しは非常に明るい。しかも、議席数も二十四ということでおおむね合意ができているということは、アナン事務総長がさきに来日した際に記者会見で明らかにしております。アメリカのホルブルック前国連大使も、これまでの二十から二十一までということから一歩抜け出しまして、それ以上の可能性もあるというようなことを言明しております。問題は、実効性、効率性の維持が可能かどうかということでありまして、当然、今後は拒否権の問題が焦点になるのではないかと。
 いずれにしましても、新しくスタートしましたブッシュ政権の支持をどう取りつけるかというところがポイントになるかと思います。
 最後に、最近の世論調査で、常任理事国入り賛成が六七%、九四年当時は五六%でありましたので、急激にその割合はふえているということを指摘しまして、私の意見陳述を終わりたいと思います。
 ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 原田勝広

speaker_id: 16214

日付: 2001-02-14

院: 参議院

会議名: 国際問題に関する調査会