浅井基文の発言 (国際問題に関する調査会)

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○参考人(浅井基文君) 四つほどの論点が出てきていると思うんですけれども、まず、言うならばアメリカという猫に日本が鈴をつけることができるかという形で問題をとらえてもいいと思うんですけれども、先ほど山本理事が、例えば非核の問題とか安保理でアジアを代表するとかいう可能性が出てくるということをおっしゃっておられましたが、これは周知のごとく、非核、核の分野で、唯一の被爆国と称しながら国連の核軍縮の分野で最もあいまいな態度をとり続けているのは日本だと、そしてなぜとり続けているかといえば、それはアメリカの顔色をうかがうからだというのはもう周知の事実である、公知の事実であるというようなことを考える。あるいは、アジアを代表するといいますけれども、本当に日本がどれだけアジア諸国のことを考えて動いているのか、動いてきたかということを考えれば、かつて私も外務省のアジア局で仕事をした者として考えますと、内心非常にじくじたるものがある。
 そういうことを考えますと、私は、日本が外交姿勢というものを根本的に改めない限りアメリカに対して物を申す、是々非々の態度で臨むということを期することは本当に手が届かないことである、やはり日本自身の自己改革というのが先決問題であるということを申し上げたいと思います。
 それから、アメリカの立場についても、お二人の参考人からおっしゃられたとおりでありまして、アメリカの国連政策というのは、国連というのはアメリカが行う対外政策において利用する手段の中のワン・オブ・ゼムにすぎない、利用できるときには利用する、しかし利用する価値がないときはそれをバイパスする、これはもう非常にはっきりした事実であります。この点は今後、原田参考人がおっしゃったように、ブッシュ政権のもとで強まることはあっても私は弱まることはないという悲観的な見方に傾かざるを得ないということであります。
 したがいまして、このようにアメリカですら安全保障理事会というものについて極めて選択的、制限的にしか利用しないということしか考えていない、そういうような程度の役割の安保理に何ゆえに日本が入ることを自己目的にしなければならないのかということは本当に考えなければいけないことではないのか。
 私たちはどういう安保理を目指すのかということをまず考える、そして、改革されるべきその安保理の中身が私たちにとって納得のいくものであるならば、その安保理とは協力すると。しかし、その安保理がますます大国志向性を強めるようなものであるならば、私たちはあえてそういう安保理に対して批判的な態度をとるということすら外交的な一つのオルタナティブであって私はいいんだろうというふうに思います。むしろ、私たちは安保理に入らないで外から安保理の行動をチェックするということが国際的に求められる役割ではないのかというふうに考えます。
 それからもう一つ、波多野参考人は、アメリカがユーゴの空爆を行ったということについて、伝統的な国際法においては違反であろうけれども、新しい国際法ができつつあるのかもしれないというふうにおっしゃいました。そういう論者は国際法学者の中でも少なくありません。
 しかし、私は次の事実を踏まえていただきたいということを申し上げておきたいと思います。
 すなわち、アメリカは人権に基づいてソマリアに軍事介入しました。しかし、そのアメリカは、ソマリアにおいてアメリカ兵が虐殺され、そしてソマリアの首都モガディシュというところを、市内を引き回されるというCNNの映像がアメリカじゅうを駆けめぐった途端にアメリカの世論が沸騰して、ソマリア撤兵を三日後にクリントン政権が決定したという事実があります。ということは、人道的介入とか人権による新しい国際法の定立という流れは確かにあります。しかし、肝心のアメリカは、やはりここでも、国内世論が人権を重視する方向で傾いているときにはそれに即した行動をとりますけれども、国内世論がアメリカの国益をさらに重視する方向に急変しますと途端に政策も変わるわけですね。
 したがって、そういうことをも考えますと、私たちは果たしてその新しい人道に関する国際法の定立に関してその方向性がもう不可逆な、流れは変わらないものとして考えることができるかどうかということはさらに考える必要があるだろうと思います。
 最後に、途上国の常任理事国入りの問題でございますけれども、私はそもそもこの常任理事国という問題を根本から考え直す必要があるだろうと思います。
 この常任理事国及びその拒否権という考え方は、ヤルタ会談でルーズベルトとスターリン、チャーチルの間で決定された約束事であります。そして、その問題に対して国連憲章制定会議の際に多くの中小国が、特別の地位を認めることはやぶさかではないけれども拒否権という問題については異論ありということで、かなり激しい攻防が大国と中小国との間に行われて、そして大国がその拒否権がないような国連なら我々は要らないんだというふうに突き放した結果、中小国が折れて拒否権という規定が入ったという経緯があることを私たちは思い出すべきであると思います。
 したがって、二十一世紀において私たちが国際関係も民主化すべきであるということを考えるならば原点に戻って、そもそも安全保障理事会というそういう制度が時代の流れに即したものであるのかということ自体、その拒否権も含めて、その点をやっぱり私は根本的に安保理改革の議題の中心的なテーマとして据えるべきであろう、少なくとも日本からは国連においてそういう問題提起をしていくべきであろうというふうに考えます。

発言情報

speech_id: 115114308X00120010214_023

発言者: 浅井基文

speaker_id: 31851

日付: 2001-02-14

院: 参議院

会議名: 国際問題に関する調査会