グレゴリー・クラークの発言 (予算委員会公聴会)

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○公述人(グレゴリー・クラーク君) 口と耳の英語の意味は、楽しくさせるよりも、これは根本的な問題なんです。言葉の能力、私、長年の経験でだんだんわかってきました。これは人間の本能的な能力なんですよ。学問的な能力ではないです。自転車乗りとかボール投げと同じなんです。教科書でボール投げを覚えるのは不可能でしょう。だから、意味はないです。自転車乗りも同じです。経験でやりながら自然に身に、体につけるんです。偉い学問だったら赤ちゃん、そんなに早く覚えられるはずはないです。これが問題なんです。
 スタートの時点で読み書きばかりだったら、自分の頭の中で間違った場所で能力をつくるんです。つまり、本能的、無意識ではなくて意識でつくるんです。そうすると、後で直すのは非常に難しいんですよ。
 よく日本人の方から聞いて耳にするんですけれども、考えてしゃべるんです。もともと考えて自転車に乗ることはないです。自然にしなくちゃならない。だから、スタートの時点で頭の中のコンピューター、言葉はコンピューターと同じなんですよ。正しい場所に入れるために、口と耳の英語も必要なんです。もちろん同時に読み書きとか大いにやってもいいですよ、全部。
 しかし、もう一つ、皆さん、入学試験の英語ごらんになったことありますか。もう信じられないぐらい難しいんですよ。うちの英語教育改善委員会では、だれか早稲田大学の入学試験を、英語試験を持ち出したんですよ。長文があるでしょう。あの長文の千二百ワードの半分、つまり六百ワード、一つのセンテンスだったんです。つまり、六百ワードの中でピリオド一つもないです。私、三回読んでも私も意味わからなかったんですよ。結果は、いや、これは英語試験ではなくて、英語先生のエゴ試験ですよ。自分の試験は東大より難しくて自分は東大より偉いんですよ。
 それで、そのために一生懸命準備しなくちゃなりません。だから、口と耳の訓練をしようとしても時間がなくて、いろいろの意味では読み書きへの偏重が弊害ばかり与えるんです。私、全く先生と同感です。

発言情報

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発言者: グレゴリー・クラーク

speaker_id: 312

日付: 2001-03-15

院: 参議院

会議名: 予算委員会公聴会