大沼保昭の発言 (憲法調査会)
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○大沼参考人 まず最初に、中川議員の最初の方の御発言の中で、日本国憲法の前文と国連憲章の前文との若干混同があったかと思いますが、それはちょっと置きまして、日本国憲法の前文の趣旨を踏まえた憲法改正のあり方ということでありますけれども、私は、中川議員が最後の方でおっしゃったように、とにかく日本だけが平和であればよい、日本人の血が流れなければよいという基本的な姿勢を変えなければならないだろう。それは、我々国民一人一人がそういう気持ちをこれからつくり出していかなければならないという一つの作業があるだろうと思います。
もちろん、国家というものは国民の生命と安全を保障する、それが国家の基本的な目的でありますから、国民の生命と安全は最大限尊重するように、保障するように憲法というのはつくらなければならない。しかし他方で、人間というのは必ず死ぬわけです。私は、どういう死に方をするのか、社会の中で自分がどういうふうに生きてどういうふうに死んだのか、それを自分が納得できる、それが国家のあり方であり、憲法のあり方だろうと思うのです。
そういう意味で、私は、日本国の非常に利己的な、例えば経済的利益を追求するために自分が死んだり、自分の娘が、私は娘が二人おりますけれども、それが死ぬということは許せない。しかし、例えば自分なり自分の娘が、PKO活動に参加するとか地雷を除去するNGO活動に参加する、そういう過程でたまたま運悪く死んでしまった。それは非常に残念ではあるけれども、やむを得ないことであり、また、それは誇りに思うべきことだ、そういう基本的な考え方は大事である。
もちろん、それと違った考え方を持つ人がいてもそれは全く構いませんけれども、しかし、日本国全体の基本的な国のあり方、二十一世紀の憲法をつくるあり方としては、人間というのはいつかは必ずどこかでどういう形かで死ぬのだ、だから、生きることそれ自体が自己目的ではない、現在、老人医療で次第にそういう考え方が支配的になってきたと思いますけれども、どういう生き方をするのか、どういう死に方をするのか、その公共的な意義づけが問題なんだ、そういう問題意識を持った改正の姿勢というものが大事だろうというふうに思っております。