中川正春の発言 (憲法調査会)

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○中川(正)委員 民主党の中川正春でございます。同じ中川が続きますが、よろしくお願い申し上げたいと思います。
 護憲的改憲論という一つの軸というのは私も非常に共鳴するところでありまして、恐らく、今この調査会の中の議論の大勢の中で、もしそれが憲法の精神を生かして政治的に本当に可能なものであれば、そして、その憲法の精神というものがそれぞれの思いの中で一つの形に終局していく、いわゆる日本の国家の意思というのがそれで決めていけるという前提に立っていけば、まことにそのとおりなんだろう。今、それぞれの立場で改憲ということに反対している政党の皆さんであっても、その前提さえ可能になっていけば、先生の、解釈だけでいくのはもう限界なんだという思い、その思いをそのまま受けながら、もっと積極的な議論に加わっていただけるのではないかなということを、改めて、きょうのお話を聞きまして、思いをいたすところでございます。
 その上に立って幾つかお尋ねをしていきたいと思うのですが、まず、さっきのテロの問題です。
 一つは、文明、宗教あるいは貧富の差、いわゆる構造的な部分であらわれてきている新しい体制に対する挑戦の形、これを言われたんだと思うのですが、今、それに対して、国家というもの、いわゆる国家権力というものは、どうもちょっと違った形で行動しつつあるんじゃないか。
 例えば、アラブ諸国の中で、本音のところはアメリカこんちくしょうと思っていても、テロを撲滅していく、テロに対して闘っていくというその大義にはやはり賛同せざるを得ない。その中で、国際秩序とアメリカの力というものを考慮に入れながら、アメリカの今の行動に対して賛成表明をする、あるいは国内にあるベースを貸していく、具体的にも軍事的な協力もしていく、そういう行動はやはり国家権力としての意思なんだと思うのですね。
 それに対して、先生の言われるのは、国民があるじゃないかと。いわゆる生活者といいますか、それぞれ国民個人のアメリカに対する感情。今、テロリズムというのが、その一人一人の発展途上国にあるうっせきされた怨念といいますか、そういう表現をされましたけれども、そういうものから発するとすれば、国連もその国家権力の集まりという定義の中で今運営がされておりますし、それぞれの集団安全保障あるいは個別の自衛権というような考え方も国家を一つの単位として考えられて、その枠組みの中で意思決定がなされていくということであるとすれば、それが新しい形態に変わっていくというのは、その国家を超えた中で意思決定の枠組み、それから、アメリカを含めた先進国がその新しい意思決定の枠組みをいかにつくり上げていくかということなのかなということを、先ほどの議論の中で思いをめぐらせてきたのですが、そういうことを、例えば、具体的に国連の中で、そして特にこの日本国憲法の中で新しい時代の流れとして組み込んでいくとすれば、どのような形、どこが問題であって、どう対応していったらいいのか、できるだけ具体的に先生のお考えをもう少し発展させていただきたいと思うのです。

発言情報

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発言者: 中川正春

speaker_id: 15692

日付: 2001-10-25

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会